shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

暴排条例の廃止を

 警察による六代目山口組壊滅作戦の一環なのだろうか、警察当局は暴力団排除条例をちらつかせることによって、六代目山口組総本部がある神戸市灘区篠原本町の住民に対して、ハロウィンでの恒例となっている山口組からの子供たちへのお菓子のプレゼントを受け取らないようにと指導しているらしい。この恒例行事は、数年前に近所に住む事情も知らぬ外国人の子供がハロウィンの日にお菓子をねだりに山口組総本部を訪ねたことがきっかけで始まったという。当初、ハロウィンがどういう行事か知らなかった山口組総本部にいた幹部たちは、インターネット等でハロウィンがどういう行事なのかを調べ、そこから近所の子供たちにお菓子をプレゼントすることを始めることになり、今ではこの地域の恒例行事となったわけである。

 

 「暴力団追放運動」を行っている住民もいるかもしれないが、住民の多くは山口組に対してさしたる悪意を持ってはいないと言われる。その証拠に、多くの子供たちが総本部にお菓子をもらいに駆けつけることを大人が咎めることはしていない。むしろ、山口組総本部があるためにかえって治安が良好であるとも聞く。それもそのはず、組員がパトロールしているから変質者が夜道を歩く女性を襲う犯罪もなければ、ひったくりもない。泥棒も総本部近くの家に空き巣狙いに出向く度胸のある者はいるまい。

 

 山口組は、阪神・淡路大震災で神戸市一帯が壊滅した時も活躍し、救急や自衛隊よりも早くから救援活動に取り組み、総本部内にある井戸水を住民に開放することはもちろん、全国から組員を招集してボランティア活動に従事させるほど徹底して地域住民のためになる行動を率先した。しかも、通常なかなか気がつきにくい女性の被災者の悩みを組の姐さん達が慮って生理用品も用意するなどきめ細かいボランティアをしていたことを忘れてはならない。この時の恩を住民は今も覚えていて、山口組の組員に感謝する言葉を残す住民もいる。そういうと、山口組は善意でボランティアを率先して行ったわけではなく、その後の復興事業にあたってシノギにありつけることを目的としてやったのであって、今回のハロウィンの恒例行事も住民懐柔のための一環でしかないと悪意に解釈する見方も返ってくるだろうし、警察もそう見ているのだろう。確かに、そうした意図がゼロであるとは言わない。しかし、阪神・淡路大震災という大惨事にあって、周りの同胞が切羽詰まった状態にある中で、単に後の復興事業でのシノギを見越して活動したに過ぎないというのはあまりに狭量な見方であり、むしろ義侠心が現れた末の行動だったという側面の方が大であろう。でなければ、被災者当事者の目線に立ったきめ細かな配慮などされようはずもないではないか。

 

 神戸市ではないが、僕の祖父母の家は西宮市の苦楽園にあるので(それもあって、僕の本籍地は兵庫県西宮市苦楽園〇番町となっている)、阪神・淡路大震災阪神地帯がまるで戦災により破壊されたかのような様相を呈していたことをよく耳にしていた。そのような限界状況の中で、機動力に優れた山口組の支援がどれほどありがく感じたかは想像できる。ハロウィンでの子供たちに対するプレゼントにしても、もちろん住民懐柔の意図が全くないとは言わないが、そういう要素よりも、ヤクザの人々は意外に子煩悩な人が多いという僕自身の経験からして、純粋に子供かわいさから出た行動だと思われる。ヤクザは時として対立抗争に巻き込まれ、油断も隙もないくらい異常な程の精神的緊張状態にさらされることがある。そういう世界に生息しているからこそ、かえって純真無垢の子供たちが愛しくてたまらないという感情にかられることが多いとも聞く。

 

 警察は、特に六代目山口組を壊滅させることを至上目的とするために、ヤクザというだけでその集団をディーモナイズ=悪魔視し、彼らやその家族も含めて「反社会的集団」としてヤクザが社会経済的に生きていけない世の中を作ろうとしている。その先にやってくるのは、警察官僚の利権が肥大化した管理社会である。神戸港の港湾荷役の組合から山口組を日本最大の任侠組織にまで発展させた三代目山口組組長で「日本一の大親分」と言われた田岡一雄は、戦後のドサクサにおいて「戦勝国民」と称して暴れまわった所謂「三国人」に対して警察が全く手をこまねいている時に、日本人の市井の人々の利益を守ろうと立ち向かった人物の一人だ。実際、警察にも表彰され、神戸水上警察署の「一日警察署長」を経験したこともあるほどだ。何も朝鮮人全体を総じて否定しているわけではない。事実として、一部の朝鮮人終戦直後にやりたい放題して土地を勝手に占領されて泣き寝入りを強いられた日本人が多くいたということを述べているに過ぎない。この理不尽な暴力に対して立ち向かったのが田岡一雄だったのである。このことは高倉健主演の映画「三代目山口組」にも描かれている。

 

 暴力革命によって政権転覆を企む反日を公言して憚らなかった左翼の連中に対して、内務省警保局がGHQによって解体されて実力を削がれていた警察力だけでは対処できなかった時に、木村篤太郎元司法大臣の打ち出した反共抜刀隊構想に多くの仁侠や的屋の人々が参集して日本の治安を守り抜いた功績を忘れてはならない。こうした功績も手伝って、日本ではかつて仁侠映画が一世を風靡したのである。都合のいい時だけヤクザを利用した後は、掌返して「暴力団追放運動」を煽動した警察に対して、特に山口組は反警察の姿勢を固めていった。その姿勢の頂点が、四代目山口組竹中正久組長の時だった(竹中正久の兄は戦前の特別高等警察によって酷い目に遭わされた経験を持ち、そのことから竹中自身も終生警察権力を憎み続けた)。とはいえ、「反警察」は即ち「反国家」を意味するわけではない。ヤクザであっても、いやヤクザだからこそ祖国愛は人一倍あって、いわゆる仁侠右翼と称される政治結社右翼団体全体から見ても多い。六代目山口組司忍組長の出身母体である弘道会の組員の中には政治結社司政会議を率いて精力的な愛国運動に邁進している者もいる。大日本朱光会を率い、全日本愛国者団体会議議長も務めた阿形充規先生も右翼の世界では誰もが知る人物だが、元はと言えば住吉会の大幹部だ。

 

 仁侠は単なる犯罪組織ではない。ヤクザとは、言うなれば仁侠道に生きる者たちの「同好会組織」であって、決して犯罪を主たる目的として組織された団体でもないし、特定の外国の意を汲んで政治活動する破壊工作員の集まりでもない。あるいは、日本社会の破壊を目的に活動する極左暴力集団のごときテロ集団でもない。通常のサラリーマン生活を持続するにしては余りにフーテンであり過ぎ、大人しく社会規範を守り続けていくにしてはエネルギッシュな荒くれに過ぎるたちの集団ゆえ規範逸脱行動が確かに目立つ集団であるにしても、そうした荒くれ者を一定の縛りをもって統率していく者がいなければ、社会生活の基盤が崩れさることにもなる。ヤクザとは、人間社会である限り一定の割合で出現してしまうアウトローたちを抱擁する「受け皿」でもあるのだ。そのヤクザの居場所をなくすことがこの日本社会にとってよいことなのか。

 

 暴力団対策法(暴対法)成立以後、ヤクザの行動範囲が狭まり、今までは代紋を表に出して活動していたヤクザが「地下化」したと言われる。つまり、ヤクザの「マフィア化」を進行させた契機が暴対法成立という出来事だった。その上に次は、暴力団排除条例が各都道府県議会で可決されることで、ヤクザ一人一人の経済行為やヤクザと何らかの取引をした世間一般の者をも処罰する制度的枠組みが完成した。「反社会的集団」との関りがあると認定されて所謂「反社リスト」に掲載されることで、ヤクザやその密接交際者は銀行口座も持てず賃貸借契約も結べず、その他諸々の経済取引が遮断されてしまっている。現代社会で生きて行くことは何らかの経済活動を余儀なくされるわけだから、一連の暴力団排除条例は、ヤクザやその密接交際者とリストアップされた者には普通の社会生活を営む権利すら許さないという生存否定の宣告である。

 

 この暴力団排除条例は明らかに憲法違反の条例だと思われるが、その疑念が持たれるからこそ、警察庁は「法律」の形で成立させるよりも、成立のためのハードルが事実上低い地方議会の「条例」の形で成立させることを急いだわけだ。というのも、法律として成立させるとなると、通常は内閣提出法案の形をとることになるので、当該法案が憲法に照らして適当かを問う内閣法制局の審議に付されることになるわけだが、内閣法制局としては合憲になるような限定解釈を捻り出そうとしてさえも違憲の疑念を払拭できないと考えるだろうから、国会提出前にストップをかけることになるだろう。ところが、地方議会は内閣法制局に相当するような法解釈の専門家から構成される部局が存在しないので、憲法上の疑念など大して意識されることなく議会に提出され、容易に可決させることができるわけだ。

 

 これまで最高裁違憲と判断してきた(法令違憲適用違憲かの細かな区別は脇においとくとして)法律は相当数が議員提出法案を元にしたものであって、逆に内閣法制局のチェックを経た内閣提出法案が可決されて法律として成立した後に違憲と判断されたことはほとんどない。地方議会にはこのチェック機能がないのである。例えば、暴走族が「特攻服」を着用して集会を開く行為そのものを処罰する広島市暴走族追放条例違憲であるかが争われ、最高裁の第三小法廷で3対2というギリギリで辛うじて合憲との判断が下された事件を思い出そう。実質的には違憲と判断されても仕方がなく、合憲限定解釈で辛うじて救済されたに過ぎないことが判決文に書かれていたわけである。これをギリギリ合憲と判断した最高裁ですら形式的に見れば憲法違反であることを暗に認め、県の立法技術の稚拙さを批判していたほどである。反対意見を述べた藤田宙靖裁判官は、無理やり肯定的に読み込んで合憲限定解釈を加えた上で法文を救うよりも、明確に憲法違反の条例である旨の判断をすべきと述べていた。同様に、この暴力団排除条例に基づいて検挙された事件の裁判において、当該条例の違憲性の主張がなされた場合、ともすれば違憲の判断が下される可能性はあるだろう。


 かつて、六代目山口組司忍組長の出所を間近に控えた中で、とってつけたような罪責を突きつけて次々と最高幹部の面々の身柄を拘束し、その度ごとに神戸の本部を家宅捜索し、どこまで被疑事実との関連性があるのか定かではない物までをも押収しているのではないかとの疑念すらもたれかねないほどの一連の捜索・差押手続をみるにつけ、いわゆる暴対法に基づき「指定暴力団」と指定された団体やその構成員ないし準構成員及びその家族は憲法その他法令の保障の対象外であるかの如き扱いを受けていることに批判的な声があがらないのは何ゆえなのかと思ってきた。「人権派」と称する者たちの偽善・欺瞞が透けて見えてしまう。

 

 六代目山口組司忍組長の逮捕からして明らかな違法逮捕であって、さすがに一審判決は無罪であったが、おかしなことに最高裁は有罪と判断し終結した。解釈に解釈を重ねに重ねつつ、はじめから有罪との前提で以って銃刀法違反の共謀共同正犯として処罰したわけだか、明確な意思連絡も立証されたわけでもないのに、推測を重ねて「黙示の連絡」などという理屈を弄して有罪にまで持って行ったのである。そもそも実行行為の一部すら分担しない者を正犯に問うこと自体に違和感を覚えるが、実務が共謀共同正犯否定説に立脚してはもはや成り立たなくなるとされる実情を受け入れ、やむなく共謀共同正犯肯定説を是としても、構成要件該当性判断につき厳格な判断が求められることは、共謀共同正犯といえども同じく共同正犯の正犯性を基礎づけるに足りる事実の立証なくしてはありえないことに何ら変わりないことからして当然である。

 

 これまでの数多の最高裁の判断は、共謀共同正犯を容易に認定しているきらいがあり、どうみても正犯性を肯定できるだけの事実の立証がなされていない事件についても共謀共同正犯の成立を認定しているが、正面きって共謀共同正犯肯定説をとることを明示し、かつ、その成立要件を明確にした「練馬事件」最高裁大法廷判決を改めて想起する必要がある。上記判決によると、共謀共同正犯に問うためには少なくとも特定の犯罪を行うために共同意思の下に一体となって互いに他人の行為を利用しかつ各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなして犯罪を実行した事実が認められる必要がある。そうすると、共謀の事実が実行共同正犯と同視しうる程度の強い心理的因果性ないしそれに類する事由が要求されるべきであって、そうした共謀共同正犯の認定に際しては、そのことを基礎づけ得る明確な意思連絡の事実が立証される必要があろう。にもかかわらず、こと六代目山口組の組長に対しては、「大まかな」だの「概括的」だのといった形容を付した上で「黙示の」意思連絡があったと憶測を重ねて、ボディーガードをしていた組員の拳銃所持について共謀共同正犯が成立するとの無茶苦茶な判断をしたわけである。共謀の事実すら肯定できたとはいえないにもかかわらず、二審判決や最高裁は有罪の判断をしたという「暗黒裁判」であったのが事の本質である。

 

 末端の組員に対しては、刑事裁判での不当な取り扱いだけでなく、捜査機関による取り調べ段階で拷問に近いような扱い、つまりは通常なら特別公務員暴行陵虐致傷罪に該当するであろう酷い違法行為がまかり通り、かつそれを社会もよしとしているきらいすらある。捜査段階での不公平な取り扱いは、ヤクザに対してだけでなく暴走族に対してもそうである。 要するに、ヤクザや暴走族というだけで、当然に認められるべき権利や法律上保護されるべき利益が蔑ろにされ、曰く「市民社会の敵」としていかなる手段を講じて撲滅しても構わないとの扱いが常態化している現実がある中で、これを真っ先に問題視するべき弁護士すら一部の例外を除いて無視を決め込んでいるし、マスメディアともなれば言うに及ばず。むしろ、治安機関のお先棒を担いで糾弾キャンペーンを展開することに抜かりない。普段は「人権擁護」を叫ぶくせに、こういった「アウトロー」の人間に対しては人権無視も構わないとする偽善・欺瞞を追及しない風潮は極めて危険な兆候である。

 

 もっとも、現実に発生した違法行為を放置せよというのではない。現に違法行為があれば捜査機関としては捜査を開始し、将来の公判等を見据えて必要性と理由があれば身柄を拘束し証拠の収集・保全に努めることは当然の行為である。ヤクザや暴走族は、別に国体破壊を目論む反日左翼ではない。むしろ、ほとんどが愛国心を持っている右翼ないしは右翼に親和的な思想や情念を持っている人々である。単に一般人に対するのと同様の基準で以って同様の取扱いをするべしという当然の要求をしているまでである。法と証拠に基づき、適正手続に則りつつ事案を処理していくというありうべき姿に努めるべきであって、その当然のことがなされていないことが問題なのである。


 こうしたアウトロー集団は、以前書いた通り、丸山真男から言わせれば市民社会の成員として相応しからぬ類型に属する人間と位置づけられるであろうから、いずれにせよこの社会がより民主化されようと、依然として「市民社会の敵」として遇されることになろう。所詮、市民社会はその秩序を維持する強大な公権力の存在を背後に控えさせておくほかに成り立ちようがないと考えられているからであり、その意味で市民社会と国家権力は「共犯関係」に立たざるを得ない。暴排条例がその典型である。社会の「害虫」と認定されたヤクザには生きる資格はないと迫る「市民」どもによって、「無菌化」された「清潔な」社会が到来する。しかしその「清潔な」社会が、より悍ましい「コンプライアンス利権」に群がる警察官僚という毒蝮の上に立っているだけの醜悪な姿を晒すことだってありうるのだ。

 

 一刻も早い暴力団排除条例及び暴力団対策法の廃棄が求められる(さらに、広島市の暴走族条例も廃止し、特攻服を着る自由を認めなければならない)。仁侠道は、我が国の文化伝統の一端を担ってもきた。この伝統を絶やしてはならない。世間から蔑まれ、警察からの苛烈を極める弾圧によって、家族の者の生存まで否定されようとしている厳しいご時世においても、仁侠道を貫き通そうと筋を曲げずに誇りを持ち続けている人々がいることを思い返すべきである。

成功体験は後の失敗の温床となる

北朝鮮が今月2日に同国東海岸付近から発射した弾道ミサイルは、報道によると、どうやら潜水艦発射弾道ミサイルSLBM)のようで、飛行距離は約450kmだったという。軌道を変えて飛行距離を抑えた上でのこの距離なので、実際は日本全域を射程に収めているとみてよいだろう。

 

北朝鮮の核・ミサイル開発を放置し続けた結果が、この様である。まだ実験段階だろうが、実戦配備できる体制を完成させるのも時間の問題。米国の対北政策の甘さが、今日の状況を許してしまった。そう思う時、1994年における米国クリントン政権下での北朝鮮攻撃プランの中止は、誤った判断だったのではないかと痛感させられる。

 

1994年は、米軍による北朝鮮の核開発の中心施設が集中する寧辺等の核関連施設及び軍事施設を攻撃する一歩手前だったと言われている。ところが、大統領特使としてジミー・カーター元大統領が訪朝してキム・イルソン主席と会見し、核開発を放棄する代わりに軽水炉建設の支援を行う旨の合意がなされ、戦争一歩手前の段階で攻撃プランが中止された。

 

これには、韓国のキム・ヨンサム大統領が強い反対を米国側に申し入れたことも関係するだろうが、具体的には、北朝鮮の反撃により韓国側の被害が相当程度発生するということ、つまり休戦ライン北の数千とも数万ともと言われる火砲が一斉に火を噴くと、休戦ラインから数十kmしか離れていない首都ソウル特別市は「火の海」になること必至であり、これを米軍といえども、予め防ぐことは、軍事技術上困難と思われたことが大きな理由であったと言われる。現在では、在韓米軍の基地はソウルからずっと南の平沢に移動しているが、当時はまだ、米軍の軍人・軍属がソウル近郊に多数いたので、それらに甚大な被害の及ぶ可能性が残る選択肢を選ぶことは、かなりの勇気が必要であったのであろう。また、中朝との同盟関係や、中共がそれを許すかという大問題もあったので、クリントン政権としては決断に迷ったことも理解はできる。

 

しかし、北朝鮮が核の手段をそう簡単に手放すはずもなく、米国の過剰な楽観視による事実上の放置により、気がつけば北朝鮮は核保有国となってしまい、その運搬手段としてのICBMSLBMすら実戦配備可能な状態を実現するまでになってしまった。シナやロシアという核大国に囲まれた我が国の安全保障環境は、我が国とあからさまな敵対国の関係にある北朝鮮というもう一つの核保有国の誕生によって、さらに一段と深刻な状況に立ち至っている。

 

我が国からすれば、1994年の段階で、米軍による北朝鮮への先制攻撃がなされていたならば、事態は今日ほどの安全保障上の危機を招くほどのことなかったのかもしれない。もちろん、やるとなれば、寧辺のみならず、北の報復能力を完全に削ぐために、核による先制攻撃によって主要軍事施設と首都平壌を徹底的に破壊し尽くすことになっていただろう。仮に、北の反撃能力が残存していても、被害は韓国の首都ソウル及びその周辺地域に限定され、我が国に対する直接的被害は発生しなかっただろうから、専ら安全保障の観点からすれば、日本としては好都合な選択だったかもしれなかった。

 

もっとも、そうなれば、北の統治機構が壊滅して、国家としての統合が図れなくなり、朝鮮半島が大混乱するだろうから、韓国軍もしくは在韓米軍の地上舞台が北朝鮮に進駐せざるを得ない事態を招き、また中華人民共和国としては、米軍の勢力が鴨緑江まで押し寄せることを良しとするわけないので、人民解放軍北朝鮮に派兵することになり、米中の睨み合いが朝鮮半島で起こる可能性も考えられた。攻撃が限定的とはいっても、その限定攻撃が北朝鮮の権力構造を完全に破壊してしまう危険性もあったので、やはり現実的にはとりにくい選択だったのかもしれない。

 

ところが、北朝鮮が日本全域を射程に収めるミサイルを配備した今となっては、その選択は取れなくなった。時すでに遅し。かつて、ソ連への先制核攻撃を主張したフォン・ノイマンバートランド・ラッセルの主張は無視されたが、その後のソ連膨張主義政策の展開を見れば、ノイマンラッセルの主張にも理があったのに、当時は一笑に付されてしまったことと同じことが、再度繰り返されたわけである。

 

保有国は、よほどのことがない限り核保有を放棄しない。それもそのはず、その選択が合理的であるからだ。北朝鮮はある意味で外交巧者であって、隣の韓国などよりも遥かに合理的に行動している。北朝鮮は、キム一族による独裁体制を死守することを至上目的としているわけだから、自国に対する軍事力行使を阻止するのに、核とミサイルを有することこそ安全保障の要と位置づけて、その開発に邁進することは当然だろう。

 

むしろ世迷言を弄しているのは、「非武装中立」だの「反核平和」だのと叫んでるだけの日本の左翼や、米国にしがみついていさえすれば日本は安泰だと考えている自称保守の連中であって、双方とも能天気という点で全く共通している。自国のおかれた安全保障環境を冷静に見ることをせず、常に他国の善意に自国の運命を委ねていれば無事でいられるという「平和ボケ」である。

 

シカゴ大学の高名な国際政治学者ジョン・ミアシャイマーは、シナがアジアの覇権国になろうとして着実に経済力や軍事力を伸ばす一方で、米国のアジアでのプレゼンス低下にともない、日本が中華勢力圏に呑み込まれてしまう危険性を警告している。そして、シナの軍事力が米国のアジア地域での軍事力を凌駕し、アメリカを北東アジアから駆逐してアジアの覇権を握ることになる時期を、2025年頃から2030年頃と見積もって行動していると予測する。そして、中華勢力圏に呑み込まれた属領になりたくなければ、日本は核抑止力を持つとの選択をとる以外に道はないとも言う。

 

もっとも、こうした見解は、ミアシャイマーに特異な意見ではなく、リアリズムに立脚する米国の国際政治学者の多くは、冷静に分析してこう診断する。ケネス・ウォルツにしても、スティーブン・ウォルトにしても、ロバート・ギルピンにしても、然りだ。

 

リアリズムに立脚する国際政治学者による核戦略論は、既に日本でもよく知られているし、それ以外の安全保障理論に関しては、土山實男『安全保障の国際政治学-焦りと驕り』(有斐閣)に整理されている。多少毛色が違うが簡単に読めるものに、最近になって再販された岡崎久彦『戦略的思考とは何か』(中央公論新社)の真ん中あたりの、大量報復戦略や柔軟反応戦略そして相互確証破壊戦略といった核戦略理論の簡略的説明が便利だろう。

 

こうした国際政治学者や外交官による核戦略論の紹介も面白いが、何といっても当の戦略論を立案した張本人の書いたものが、ダントツで面白いに決まっている。不思議でも何でもないが、こうした戦略論の立案者は、必ずしも国際政治学を専門とする者ではなく、異なる分野の専攻者であることが往々にしてある。

 

米国の核戦略理論研究の中心であったランド研究所は、ノーベル賞受賞者を多数輩出した米国の頭脳の一つとして有名で、ジョン・フォン・ノイマンジョン・ナッシュといった天才も所属していた。それゆえ当然に、ゲーム理論研究のメッカでもあり、ゲーム理論を応用した核戦略理論も各種編み出された。

 

最初の核戦略理論研究では、歴史家バーナード・ブロディやスタンリー・キューブリックの映画「博士の異常な愛情または私は心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」に登場するマッド・サイエンティストのストレンジ・ラブ博士のモデルとも言われるハーマン・カーンよりも、僕は「フェイル・セーフ」の理論で基地研究者と知られるアルバート・ウォルステッターに興味を抱く。

 

アルバート・ウォルステッターは、元は数理論理学の研究をしていたが、法学や経済学なども学び、流れついて運よくランド研究所に雇用されることになった変わり種だ。さらに、その変わり種ぶりを示す経歴は、一時「革命労働者党同盟」という極左トロツキスト集団のメンバーだった過去がありながら、その経歴が長年封印されていたことである。

 

イラク戦争の時に注目されたネオ・コンサーバティヴ(ネオコン)の出自が元トロツキストであることを強調する言説があちこちで見られたようだが、ウォルフォヴィッツラムズフェルドなどは、この「ウォルステッターの高弟」を自称していたほどで、ネオコンと元トロツキストを結びつける言説にも一定の理由があるわけだ。「反共の闘士」として、ロナルド・レーガン大統領から米国大統領自由勲章まで授与された核戦略家ウォルステッターが、実は元トロツキストだったという事実は、ちょっとしたスキャンダラスなニュースとして知られるようになってしばらく経ち、ようやく客観的にウォルステッターを見るための情報がほぼ出揃った。

 

ウォルステッターが有名になったのは17歳の時だ。「命題と事実の構造」という数理論理学から科学哲学に及ぶテーマに関する論文を執筆し、それが学術雑誌Philosophy of Scienceに掲載され、この論文に感銘を受けたアルバート・アインシュタインが激賞してウォルステッターを自宅へ招待したエピソードがある。アインシュタインが「これまで私が読んできた数理論理学に関する論文の中で、最も優れた外挿法である」と称賛を惜しまない論文は、実在論的な枠組みに落とし込む言葉と世界の繋がりについての内容に関わるものである。ちょうど、26歳の若さで亡くなった数学者・哲学者・経済学者フランク・ラムジーの論文「事実と命題」と並べて読むと、その対照的な関係がよくわかる。ウォルステッターの立場が真理の対応説に近い見解とすれば、ラムジーの立場はそれとは明らかに異なる。

 

「真理と確率」と並んで、ラムジーの代表的哲学論文である「事実と命題」は、哲学史・論理学史の知識として有名な所謂「真理の余剰説the redundancy theory of truth」を提示した論文で、ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』を強引にプラグマティズムに引き寄せて真理概念を解釈する論文としても読める。その意味で、ラムジーとウォルステッターの真理概念が異なり、後者がタルスキの見解に近いことも理解できる。

 

それにしても、核戦略論の基幹理論が国際政治学者からでも軍事史家からでもなく、数理論理学者によってもたらされたことが何よりも興味深い。ジョン・フォン・ノイマンも最初に執筆した論文は、数理論理学や集合論に絡む数学基礎論に関するものだった。第1次世界大戦が「化学者の戦争」、第2次世界大戦が「物理学者の戦争」であったと言われる。仮に第3次世界大戦が勃発することになると、それは「数学者の戦争」になるだろうとの予想を先取りするエピソードにもなっているわけだ。

 

ウォルステッターの最大の貢献は、「フェイル・セーフ」という多重安全装置の概念を生み出したことだと言われる。戦争遂行にあたって各現場ごとの意思決定は、必然的に不確実な状況の下での意思決定にならざるを得ない。そうすると、暗闇の中での作戦遂行を強いられたり、作戦からの逸脱行為がなされたりもする。大量の被害を発生させる核攻撃は、それゆえ少しの誤りがも許されず、慎重につぐ慎重を期さねばらない。偶発的混乱を避け、計画的に核攻撃を実行するための安全装置が求められる所以である。攻撃命令が確実に発せられていることを確認するためのチェックポイントを設けて、爆撃機が各チェックポイントでのチェックを受けなければ攻撃を続行できなくさせるシステムを構築することで、悲惨な事態を極小化するシステムである。

 

この「フェイル・セーフ」の概念が空軍に採用され、いくつかの局面において核戦争の大惨事を防いできたと言われる。1979年には、電話交換手のミスによって米国が核攻撃を受けているという誤った情報が流れ三つの空軍基地から戦闘機10機が緊急発進したが、「フェイル・セーフ」のおかげで後に誤りとわかり、戦闘機は攻撃をやめて基地に帰還したという事件があったし、1980年には、コンピュータの半導体の誤作動によって、ソ連が米国に攻撃との報が流れて、100機近いB52戦略爆撃機が発進し、ICBMの担当チームが反撃準備にとりかかる寸前のところで、その情報が誤りとわかり、事なきを得た。

 

ウォルステッターは核戦略以外の国防政策にも発言力を持ち、ソ連アフガニスタン侵攻の際、当時のカーター政権に対して、ソ連の侵略軍と戦う地元のムスリムのゲリラに最新の武器を提供し支援するよう提案したことでも有名である。レーガン政権になり、アフガニスタンムスリムのゲリラへの軍事支援強化を求めるロビー活動を展開し、レーガン政権はその言を取り入れて、アフガニスタンを占領するソ連の資金・兵士・武器を失わせて大混乱させることに傾注し、ついにソ連アフガニスタンから駆逐することに成功した。

 

ウォルステッターの長年の構想である弾道弾迎撃ミサイルによる防衛システムは、今の米本土ミサイル防衛システムの原型であり、レーガン政権では「戦略防衛構想SDI」に結実した。ソ連ICBMを米国へ向けて発射すると、自動追尾ミサイルが宇宙空間でソ連ICBMを迎撃することが狙いであった。ソ連は、米国との軍拡競争で遂に自壊、ソ連崩壊への結末を用意した。マルクスの言葉を捩って、「歴史の灰の山に、マルクス・レーニン主義を葬り去る」と宣言したロナルド・レーガンの「悪の帝国」ソ連撲滅政策にウォルステッターが寄与した功績は大きい。

 

ところが、歴史において往々にありがちなことに、成功体験が後の失敗の芽にもなるという教訓は、ウォルステッター自身というよりも、その弟子筋の人間の判断にも見られるということである。かつての我が帝国海軍もそうだった。世界海軍史に輝く日本海海戦での日本の勝利をもたらした東郷平八郎元帥は、日露戦争での成功体験に捕らわれて、晩年も大艦巨砲主義に拘り、機動性を重視する海軍への改編の動きの障害になった負の側面を持っている。極めて優れた軍人であった東郷元帥ですらそうなのだから、過去の成功体験の呪縛に捕らわれる者が多く存在するのも無理はない。

 

「悪の帝国」としてのソ連を崩壊させ、一見米国一極支配体制が実現するかに思えた頃から、実は米国一局覇権構造の綻びが出だした。冷戦が始まり、世界が米ソ二極構造となった頃は、二極といっても世界経済に占める米国経済の比率は50%程度あった。21世紀に入ると、米国経済の占める割合は2割を切った状態にまで落ち込んだので、冷静に考えれば、米国による一局覇権構造が長期的に維持できるわけがないという判断に至るが、現実はそうはならなかった。「パクス・ロマーナ」ならぬ「パクス・アメリカーナ」を本気で信じこむネオコンは、イスラエルのロビー活動も関係して、米国の中東支配へと乗り出すことになるが、皮肉なことに、米国がかつて支援したイスラームの過激派に反旗を翻されることになる。

 

もっとも事情は複雑で、例えばイラン・イラク戦争では米国はイラクサダム・フセイン政権を支持する一方で、イスラエルはイランを支援するなど不可解な面もあった。イスラエルからすれば、アラブ諸国とイランといったイスラーム諸国が一致団結して対イスラエル包囲網が作られるよりも、イランとイラクが殺し合いをしてくれた方が好都合という事情もあったのだろう。イスラエルからすれば合理的な選択だったのだろうが、果たして米国にとって合理性のある選択であったのかと言われれば些か怪しい。ところが、イランとイラクとシリアに対する戦争遂行計画は、1998年の段階でクリントン政権下で画策されていたことは、ネオコンの論客であるポール・ウォルフォヴィッツの書いたClean Breakとして知られるレポートから明らかになっているのだ(事実、ヒラリー・クリントンイラク戦争に賛成している点を無視してはならない。イラク戦争は、ブッシュの個人的思想から起きたものではないという何よりの証拠だ)。

 

「合理性の教会」とまで言われたランド研究所の所員の目論見が上手く行かなくなっている兆候としても理解できるこのエピソードは、実のところ日本にとって対岸の火事というわけには行かない影響を及ぼしている。日本の防衛構想の中核にまで位置づけられるミサイル防衛システムは、主としてシナや北朝鮮からのミサイル攻撃を想定して立案されている。

 

しかし現実的には、隣国のシナが保有する数千基とも言われる核弾頭から防衛することは到底困難である。シナの核兵器システムは、液体燃料を使用する旧式の単弾頭の核ミサイルから、固体燃料を使用する高精度の多弾頭核ミサイルに移行しており、このMIRVと呼ばれる複数個別誘導弾頭は、一基の弾道ミサイルに10個以上の核弾頭を載せることができ、各々の核弾頭は飛行中に分離して別の軌道に乗り複数のターゲットを同時に破壊する能力を持つ。この核兵器システムは、米国から盗んだ核弾頭設計技術に基づいており、例えばMXピース・キーパー(多弾頭ICBMの核弾頭)やトライデントD-5(多弾頭SLBM)がその一例である。シナは既に、米国の核抑止力に匹敵する核兵器システムを保有する国家になってしまった。ヘンリー・キッシンジャーをはじめとする親シナ派の対シナ宥和政策によってシナは米国の安全保障を脅かす存在と化してしまった。「身から出た錆」というわけだ。

 

米国は、北朝鮮の核開発を事実上放置する一方で、日本に対してミサイル防衛システムの購入を迫り、媚米派の小泉純一郎内閣が2003年12月にこのミサイル防衛システムの購入を閣議決定して、最低1兆円をかけて整備にとりかかった。2006年から海上自衛隊イージス艦に搭載するSM3(大気圏外での核弾頭迎撃)と地上に配備するPAC3(地上付近での核弾頭迎撃)という二種類の迎撃ミサイルの配備を始めた。しかし今では、この迎撃ミサイルシステムは時代遅れと化し、それを見越して新たなミサイル防衛システムを日本に購入せよと迫るだろう。シナは既に、ミサイル防衛システムを無効化させる対抗兵器を開発しているからである。ミサイル防衛システムが機能するための軍事衛星を破壊するレーザー兵器はその一例である。

 

さらに、米軍と自衛隊が使用するレーダー施設やイージス艦あるいはPAC3高射群などの上空でミサイルを故意に空中爆発させることで電磁波を撹乱し、ミサイル防衛システムのレーダーやセンサーそして通信機能を麻痺させることまでできる兵器を開発している。問題は、北朝鮮がこの電磁波撹乱行為の兵器を開発中であるということである。果たして、旧いミサイル防衛システムに拘って、他の有効な兵器の開発に移行する気が起こらないのか。ある種の成功体験の「神話」が、後の判断を誤らせる結果になるのではないか。再び、同じ過ちを繰り返そうとしているとしか思えないのが、我が国の実態なのである。

論争家・谷沢永一

『野火』や『俘虜記』あるいは『レイテ戦記』などの戦争時の体験を元にした小説や、『武蔵野夫人』といった恋愛小説、あるいは『堺港攘夷始末』などの歴史小説で知られる、戦後日本文学の代表的小説家である大岡昇平は、数ある論争でも知られる論争家としての顔を持っている。井上靖との「『蒼い狼』論争」はその一例であり、その他にも、森鴎外『堺事件』を批判する文章も残している。埴谷雄高との共著『二つの同時代史』(岩波書店)の中での吉本隆明に対する言葉も辛辣だ。この中での大岡の発言に対して、吉本は裁判も辞さずとばかりに怒り狂った文章を書き残している。吉本の『情況への発言』(洋泉社)を読めば、吉本隆明という人間の本性が現れていて、「戦後思想界の巨人」などというフレーズが如何に陳腐な「演歌の節回し」であることかが理解されよう。

 

論争には発展しなかったが、当時勢いがあり文芸誌に持て囃されいた文芸批評家柄谷行人に対する率直な批判の言葉を堂々と公開する気概は、武士ならぬ昔の文士然としたところがあって、その質実剛健ぶりに畏敬の念を覚えずにはいられない。晩年も旺盛な知識欲は衰えず、数学の教師を招いて教えを乞うなど、頗る貪欲に様々な知識を吸収していった様が、『成城だより上・下』(講談社)に描かれている。何度か引用したことのある柄谷行人に対する遠慮会釈のない批判は、以下のごとく辛辣である。

整数論集合論群論の美しさに驚嘆す。戦争中読みしダンネマン「科学史」によって、微積分の発生の理由について承知す。数学史、トポロジー、カタストロフィ理論に興味を持ったが、こんどラッセルの逆理以後の数学の展開を、正式に勉強する気にさせてくれたことで、柄谷氏の数学的発言に感謝する。ただし「文藝」の「一頁時評」月毎にひどくなり行きて、もはや数学的寝言に近し。・・・なおこの人と数学の話をするのは予めお断り。まともな話はできそうもない。氏の錯乱を見れば、文芸評論家が、ベクトル、位相、束の如き数学用語をいい加減に使うのを、私はもはや咎めない。みな比喩的にも使うのだから勝手にすればよい。数学と文学は全然無関係でいいのである」。

実験物理学者アラン・ソーカルとジャン・ブリクモンの共著『「知」の欺瞞-ポストモダン思想における科学の濫用』(岩波書店)や、フランスの哲学者ジャック・ブーブレス『アナロジーの罠-フランス現代思想批判』(新書館)を先取りする異議申し立ての文言だろう。今では、極く普通に圏論的手法は流通しているし、公理論的集合論で現在もなお、コーエンの方法を踏襲している者など皆無に近いだろうが、数十年も前の晩年の大岡昇平が、純真な知的興味の対象として連続体仮説の無矛盾性や独立性の問題なり圏論なりに関心を向け、数学者に直接教えを乞うて勉強に励んでいたというのは、驚きというより他ない。

 

日本近代文学の研究者で書誌学者であった谷沢永一は、特に『悪魔の思想-進歩的文化人という名の国賊12人』(クレスト社)や『こんな日本に誰がした-戦後民主主義の代表者大江健三郎への告発状』(同)など、愚にもつかぬ通俗本を粗製濫造したことで晩節を汚したものの、『大正期の文藝評論』(塙書房)や『文豪たちの大喧嘩-鴎外・逍遥・樗牛』(新潮社)あるいは『紙つぶて-自作自注最終版』(文藝春秋)など優れた書物を遺した批評家という一面を併せ持つ。大岡昇平が「ケンカの大岡」との異名をとったのと同様、谷沢もまた論争家として知られる存在で、その毒気を放つ文章が度を超えてしまうことも屡々だった。あの感動的な著作『回想 開高健』(新潮社)でさえ、開高の妻への罵倒の言葉を目にして閉口する者も多かろうと思うのは僕だけだろうか。

 

しかし谷沢は、自分より立場が弱い者に対する批判を原則としてやらなかった。批判の対象は、学界なり論壇なりで比較的権威・権力を持っている者であったことを付け加えておくのがフェアな態度と言うべきだろう。中には、お門違いの批判も含まれていたとはいえ、専門分野における権威者に対する批判は、冷静に見て、概ねまっとうな批判になっていると言ってよく、ある程度白黒はっきりつけられる類の問題について、谷沢が論争で負けたことがないと言われるのは、20万冊と言われた豊富な蔵書も手伝っていたのだろう。越智治雄平岡敏夫あるいは十川信介三好行雄など当時の近代国文学界のボスたちの論文に見られる、レトリックによる誤魔化しやロジックの不整合を、一節一節取り出してメッタ斬りする舌鋒の鋭さで恐れられた谷沢が、学会の会場に現れるや、「谷沢永一、来襲!」とばかりに会場が騒然となったというエピソードは、今や語り草となっているようだ。

 

谷沢は学界の重鎮であろうと、否、重鎮であればこそ、かえって蛮勇を奮って容赦なく手厳しい批判を堂々と展開した。身内だけの予定調和の「仲良しクラブ」と化している日本の学界の現状からすれば、よほど健全な姿だと思われるが、批判の対象として槍玉にあげられた当人にとっては堪らない。中には、再起不能になるまでトコトン痛めつけられ、二度とデカい口を叩けなくなった学界のボスまでいたらしい。東大至上主義者で、学界のボス猿として君臨していた麻生磯次を徹底的にこき下ろしたのも、谷沢永一だ。これには、密かに快哉を叫んだ者や溜飲を下げた者もいたに違いない。相手の急所を見つけて一撃でノックアウトを食らわせる谷沢の論争術は見事というほかなく、その一端は、『論争必勝法』(PHP研究所)や『執筆論』(東洋経済新報社)で読むことができる。また、小説や批評を俎上に上げて料理する様は、『雉子も鳴かずば』(五月書房)が参考になるだろう。

 

専門の論文としては、和泉書院から出された「谷沢永一・日本近代文学研叢」シリーズの『方法論論争』や『書誌学的思考』所収の論文がオススメである。平岡敏夫十川信介などをサンドバッグ代わりにボコボコに料理する論文は、そのユーモア溢れるからかい表現とが合わさって、職人芸の域にまで達しているとさえ言えよう(谷沢永一の書誌学方面での著作としては他にも『日本近代書誌学細見』(和泉書院)があるが、あちこちに散らばった論文をまとめて読みたければ、青山毅と浦西和彦の編集による『谷沢永一書誌学研叢』(日外アソシエーツ)が便利)。『論争必勝法』では、学会での発表の場において、越智治雄漱石私論』(角川書店)の出鱈目ぶりをこれでもかというほど叩き、相手が完全に憤死するまでの舌鋒で完全否定する様が克明に描かれている。読んでいて痛快でもあるが、同時に再起不能にまで叩かれた越智が少々気の毒に思えるほどの谷沢の鬼気が伝わってもくる。こうして、多分にレトリックで粉飾され空理空論を振り回すだけの越智の著作は、谷沢による舌鋒により一撃で葬り去られた。

 

谷沢は、権威に胡坐をかくだけが取り柄でその実中身のない類の威張り腐った増上慢には情け容赦のない筆誅を加えるが、同時に世に埋もれ忘れかけている優れた仕事を称揚する配慮を持ち合わせていた。更にはマス・メディアからは注目されないが、真の学者として賞賛を惜しまない人物を紹介することも忘れない。そうした著作として『読書通-知の巨人に出会う愉しみ』(学研)が挙げられるだろう。この書では、世間では目立たぬものの、その道の玄人から尊敬されている偉大な業績を残した碩学中の碩学11人が紹介されている。門外漢の僕でさえ、その著作を読んだことのある日本近世文学研究の大家である中村幸彦や、漢籍に精通した大書誌学者たる長澤規矩也が紹介されているのが嬉しい。今日の大学に棲息する「なんちゃって大学教授」とは、月とスッポンの関係だ。最近、テレビに登場するロバート・キャンベル東京大学名誉教授が師事し、数年前に文化勲章を受章した中野三敏九州大学名誉教授は、この中村幸彦の愛弟子である。

 

権威主義的人間の権化でもあった吉本隆明を完膚なきまで叩きのめし、それに対して吉本が半狂乱の体で罵倒を以って返答するしかなかった論争の渦中にあった論文は、『牙ある蟻』(冬樹社)に収録されている。現代日本評論をまとめた書籍の編集にあたり、浦西和彦の求めに対して応じた吉本隆明の態様の異常に端を発したこの論争において、吉本はまともに応じることができず、谷沢に意味不明の罵倒を繰り返すだけに終始するという醜態をさらけ出したことで、今では知る人ぞ知る事件となっている。さらには、学問であるからには厳密な論証や実証が求められるところ、抽象的な理論めいたものを振り回すだけの論文や論証も実証も糞もない単なる思いつきのぐうたら作文めいた論文に対しても、容赦なく批判の矢を放つ。その代表が『あぶくだま遊戯-社会批評集106篇』(文藝春秋)所収の「アホばか間抜け大学紀要-大学はいまやナンセンス論文の巨大な製造工場になり果てた」や「アホばか間抜け大学教授-三日やったらやめられぬ、平和ニッポンの大学に巣喰う極楽トンボたち」であり、これがまた楽しんで読める傑作である。編集者萬玉邦夫に唆された企画らしいが、やたらと量産される「大学紀要」や学会誌をも含め、内容空疎で意味不明瞭な論文が業績稼ぎのために粗製濫造される様を揶揄したこの文章の槍玉にあげられているのは、決して新人や若手の研究者のものではなく、それなりのポストに収まっている連中ばかりである。具体名と論文の文章が一節ごとに検討され、その論理の不備や珍妙な盲説を谷沢が逐一指摘する。

 

「大学教授」とは名ばかりの、無意味で支離滅裂な論文を量産することに精を出すふやけた連中が吊し上げられる様は愉快痛快である。俎上に上った連中は戦々恐々。最近はこういった真剣勝負の批評がない。あるのは、身内だけで褒め合い馴れ合っている同人サークルのごとき状況だけである。左翼がかった連中が珍妙なツイートをし、それをお仲間の人間がリツイートし合って自慰行為しているのと同様である。特に文科系の研究に対する科学研究費補助金に関して、どこまで厳密に審査されているか怪しい状況の中で、せめてこうした谷沢永一のように、いい加減な論文に対してまっとうな批判を公開の場において展開する論者がいてくれた方が、アカデミズムの健全な発展のためには必要だろう。特に日本の大学が雨後の筍のように林立し、大学教員のポストが増設されたために、さしたる研究業績のない者でも大学教員のポストにありつけた時代に、学生運動の残党が雪崩を打ってアカデミズムの世界に棲みつくようになってから、まるで大学が赤化したかのような状況になった場所もちらほら出てきた。

 

かつて学生運動の中心でやってきた者でも、自らの拙さを恥じて運動歴を表に出さずに研究に邁進している研究者もいる。これは理科系の研究者に多い傾向かもしれない。彼ら彼女らは、政治的主張と学問研究との峻別はつけている。質の悪いのは、学生時分は学生運動の中心でもなくノンポリよろしく陰でシコシコ院試の勉強に勤しんでいた者が、首尾よくポストにありつけて安定を得るや否や、突如として俄仕立ての左翼的言辞を弄して悦に浸り出すピエロになってしまう場合である。専門の範囲内ですら大した業績とも思えない業績しか残していないのに、専門外にまで大学教員の立場を利用して口を出し、いい加減なことばかり主張する者が特に最近目に余るようになった。メディアも都合がよいからそういう単純なバカを重宝する。

 

日本に「反知性主義」が蔓延するとのたまう当人が、正に知性の劣化を象徴しているという戯画。あちこちの媒体に寄稿しているものだから、避けようと思ってもつい目にしてしまう。逃げ込んだ書店でも、そいつの著作が大量に専門書の書棚に陳列されている。こういうバカを一掃するためにも、ポスト谷沢永一を担う戦闘的な文士が現れてくれないかと無いものねだりを繰り返すばかりである。

唯物史観の原像

 日本はマルクス研究が昔から盛んで、研究者の層の厚さでは、かつての新カント派研究と類似して、本国よりも日本の方が勝っているという珍妙な現象が見られる。これまでマルクスの入門書として数多の本が量産され続けてきたが、唯物史観についてその概要を知りたければ、特に廣松渉唯物史観の原像-その発想と射程』(三一新書)という三部構成の新書サイズの本がお勧めである。

 

 マルクス主義に関する入門書は多いようで、こと唯物史観そのものについて論述した書物となると意外に少ないという実情を踏まえると、この廣松の書は貴重である。また、独自の廣松哲学を前面に出して立論することは控え、極力マルクス・エンゲルスのテクストに多くを語らせるという方法を採っているので、解釈的私見を期待している読者にとってはやや不満が残る書き方になっているかも知れないが、逆に廣松哲学の引力に引きずられがちな他のマルクス関係の書とは違った趣のものを期待している者にとっては適切な書であることは間違いない。

 

 ここ数年に出されたマルクス関係の新書では、熊野純彦マルクス資本論の哲学』(岩波新書)もお勧めである。もっとも熊野はマルクス研究者でもなければ、おそらくマルクス主義者ですらない。ドイツやフランスの近現代哲学や倫理学を主として研究対象にする研究者であるが、制度上はともかく(熊野純彦は東大本郷の倫理学出身なので)事実上の廣松渉の「弟子」筋にあたる。

 

 主たる研究対象としてマルクスを扱ったことはなかったが、廣松の死後二十年ほど経過して『マルクス資本論の思考』(せりか書房)を出版した。この書は400字詰原稿用紙にして約2000枚にも上る大著で、哲学者がマルクス資本論』の論域を広範に取り扱った著作として異例な本でもあったわけだが、新書として出された『マルクス資本論の哲学』は、その内容を縮約した内容にもなっており、『資本論』の行論を順次追いながら解説していくような格好ともなっている。

 

 前著でも論じられていたマルクスから取り出せる時間論が特徴として際立つ点も共通している。多分に宇野学派に関する記述が現れていた前著と違って、新書ではこの辺りの議論はバッサリ端折った書き物になっている。おそらくは、マルクスのテクストに手を伸ばしたことのない者あるいはマルクスのテクストに手を伸ばしつつも途中で挫折した者に対して直接マルクスのテクストに触れて考えて欲しいという思いで書かれた道先案内としても便利な著作である。

 

 廣松には同じく新書で『今こそマルクスを読み返す』(講談社現代新書)がある。こちらの方が『唯物史観の原像』よりは読みやすく出版された時期も新しい。ところが、一般の読者は『ドイツ・イデオロギー』の編纂問題においてリャザーノフ版やらアドラツキー版がどうのこうのという議論を冒頭で読まされるのは退屈であろうし、そもそも唯物史観というものがどういう内容のものなのかに関しては意外に詳しく語られているとまでは言えない。

 

 この点で『唯物史観の原像』は、マルクスの社会存在論や「疎外論から物象化論へ」というテーゼの意味、未来のゲマインシャフトリッヒな社会構想の説明など唯物史観の理解に必要不可欠な内容が網羅されている名著である。確かに文体はあいかわらず硬い文体であるといえるが、主著である『存在と意味-事的世界観の定礎』(岩波書店)ような晦渋な文体ではなく、初期の『世界の共同主観的存在構造』(岩波文庫)や『マルクス主義の地平』(勁草書房)あるいは『マルクス主義の理路』(勁草書房)における勢いある文体が読み易いといえるので、たとえマルクス主義に無縁の者であっても普通に呼んで理解できる内容であると思われる。

 

 残念ながら、この『唯物史観の原像』は絶版となっている。岩波書店から出された「廣松渉著作集(全16巻)」では第九巻に収録されているが(ちなみに『今こそマルクスを読み返す』は著作集には収録されていない。河合教育研究所の出版助成があるとはいえ、廣松の全集を編むとなると更なる資金が必要となる。そこで、できるだけ入門書や新書として出された著作については著作集から省く方針を採りたいところ、著作集の編集委員会はおそらく、たとえ新書という形式ながらも内容的に名著として扱われるべきとの判断から、『唯物史観の原像』を収録したのだと思われる。『事的世界観への前哨-物象化論の認識論的=存在論的位相』所収の各論文もバラバラに著作集の各巻に配列しなおされるなど、できるだけ多くならないよう苦心している跡が垣間見れる)、やはり単行本としての方が扱い易いだろう。ぜひこの『唯物史観の原像』を復刊してもらいたいのである。

 

 『唯物史観の原像』は、「はしがき」と「あとがき」を挟んで三章構成からなる。第一章は「唯物史観の確立過程」、第二章は「唯物史観の根本発想」、第三章は「唯物史観と革命思想」で、各章がそれぞれ更に三節で構成される。しかも、他の廣松の書と同様、文字数も完全に揃えるなど僕から言わせれば「どうでもいいこと」に拘る廣松の潔癖症が垣間見えるところも面白い。具体的には次のようである。

 

第一章 唯物史観の確立過程

 第一節 哲学的人間学から社会的存在論

 第二節 市民社会の「経済哲学」的分析へ

 第三節 疎外論から「物象化論」の地平へ

第二章 唯物史観の根本発想

 第一節 唯物史観の基軸的発想と基礎的範疇

 第二節 階級闘争史観の基礎づけと歴史法則

 第三節 社会の生産的協働聨関態と階級国家

第三章 唯物史観と革命思想

 第一節 ユートピアから「科学的社会主義」へ

 第二節 革命主体の形成と大衆運動の物象化

 第三節 共産主義革命の人間=存在論的射程

ざっとこんな感じである。

 

 第一章は、その章題の通り、マルクス主義の思想的な構えをなす唯物史観の基本的な発想及び思想内容の概括的整理の章であり、そこではマルクスエンゲルスの初期から後期にかけての飛躍的な発展過程を無視することができない点を確認しつつ、初期と後期の思想にいかなるつながりがあり、どのような違いがあるのかを記述し、初期に見られた疎外論を前提とする哲学的人間論が後期の物象化論に基づく社会的存在論に発展していく中で唯物史観が形成されていった点が、主としてヘーゲル左派の論者との対比から明らかにされていく。この点の詳しい分析が『マルクス主義の成立過程』や『エンゲルス論-その思想形成過程』において論じられている箇所に該当する。

 

 廣松は、その物象化論を展開するにあたってことあるごとにヘーゲル左派との対質を試みつつ論じているように、廣松は相当ヘーゲル左派のテクストを読み込んでおり、この部分を無視して廣松によるマルクス主義解釈はおろか広義の廣松哲学を理解することはできない。

 

 最近の廣松哲学研究の書である渡辺恭彦廣松渉の思想-内在のダイナミズム』(みすず書房)が、廣松の残した広範囲な領域にわたるテクスト全体を鳥瞰した仕事であるにも関わらずなお物足りなさが残るのは、廣松の科学哲学方面での仕事ととともにこのヘーゲル左派研究についての言及が希薄であるからである。

 

 第二章は、唯物史観を形成する基本的な発想とそれにまつわる哲学的命題について確認するとともに、唯物史観が単なる階級闘争史観として片づけられる類の歴史観に還元されるものではなく、人間・自然を全一的に包含する世界観的な構えとなっていることを見定める。第三章は、唯物史観と革命理論との関連を論じながら、ゲゼルシャフトリッヒに対置される真にゲマインシャフトリッヒな共同体としての共産主義社会の展望を見る。 

裾野を広げる

 強豪南アフリカを日本が破るという番狂わせを演じた前回のラグビーW杯から4年後の今年、日本で初めて開催される今大会が今日、名誉総裁を務められる秋篠宮殿下及び同妃殿下の御臨席を賜り、殿下の開会宣言の御言葉で以って無事開幕した。日本の対戦相手は世界ランクでは格下とされるも、その実力は侮れないロシア。前半開始まもなくロシアのトライを許し後塵を拝する状況となったが、すぐにバックスの好プレーからWTBの松島幸太朗がトライを決めて反撃開始。前半終盤に再び松島がトライに成功して逆転。後半にはペナルティゴールのチャンスをものにし、さらに二本のトライでロシアを突き放し、最終的は30対10で日本が勝利した。カメラ位置の問題からも知れないが、若干スローフォワード気味のパスも見られなくもなかった。

 

 ラグビーはサッカー以上に反則の判定が微妙な要素が大きく、それゆえ主審の判断次第で試合の「流れ」が一変してしまうこともある。それはともかく、一試合に三本のトライを決めた松島も素晴らしいが、one for all, all for oneの精神で団結した日本チーム全体がなしえた勝利であったと言える。中でもバックスの活躍が見落とされてはならないだろう。今回のW杯を契機に増々日本のラグビー界の裾野が広がってくれば、なおのこと言うことはない。僕自身はラグビー経験はほとんどないと言って等しく、小学生のためのラグビー教室で軽く遊び程度にプレーした経験があるものの、部活動でやっていたサッカーほどは親しんでいるとは言えない。それでも、ラグビーアメリカン・フットボールはサッカー以上に戦略性が要求されるスポーツということで、ちょっとした畏敬の対象であった。中学入学当初は、部員の少なさからラグビー部に入ればすぐにでもレギュラーになれるかなという下心もあって入ることも考えたが、中学時代はやはりサッカー人気が強くて、ミーハーさながらにサッカー部を選択してしまった。幸い出身は中高一貫校であるがゆえに中学・高校と連続していたサッカー部の人数はそこそこあり、また局地的ではあるがそこそこ強かったということも影響していたかと今にして思う。

 

 日本でのサッカー人気はJリーグの設立に伴い劇的に高まった。Jリーグの成功の要因の一つが、これまでの企業スポーツの伝統とは違って地域密着に徹して、その地域でのサッカー人口を増やすべく子供のためのサッカー教室を設けたり、プロを養成するための接着剤として機能するその他諸々のシステムを作ったり、さらに平均引退年齢が26歳と言われるプロを早期に引退するものに対する第二の人生のための再教育制度や就職斡旋などのフォローを欠かさないようにしたためであろう(この点からしても、50歳を超えてもなお現役選手であり続ける三浦知良がいかに「化け物」であるか、いかに身体のメンテナンスに気を遣っているかがわかろう)。この辺が、日本のプロ野球と違っている点である。更には日本代表チームが立て続けにW杯本線に出場したり、日韓共催のW杯が開催された意義も大きい。

 

 サッカー人気の高さから、サッカーの裾野は相当広がったと言えるが、果たしてラグビーはどうだろうか。まだサッカーや野球ほどの裾野の広がりはないように見受けられる。確かに、大阪など伝統的にラグビーが盛んな地域は存在する。公立中学でもサッカー部や野球部はなくてもラグビー部は存在するという中学は大阪に多いと聞く。事実、その影響から花園ラグビー場で開催される全国高校ラグビーでは毎年のように大阪代表の強豪チームが複数校上位に来る。おそらく優勝回数も大阪代表チームが圧倒的に多いはずである。大阪は伝統的にサッカーに強い高校は少なく、ラグビーと野球が強い。甲子園の優勝回数も大阪がダントツの一位である。ラグビー人口が大阪や福岡並みに全国的な広がりを見せれば、層の厚さが増して将来の日本代表チームのレベルもさらに高まること間違いないだろう。

 

 何事も裾野が広がらないことにはその国を代表する者のレベルは向上しない。学問研究にしても例外ではないように思われる。日本の近代化が進んだ要因の一つは、江戸期での庶民レベルにまで行き届いた教育制度である。幕末期に開国した際に日本を訪れた外国人を驚かせたのは日本人全体の識字率の異様な高さであった。大半が読み書き算盤ができ、また外国語の能力にしても幕府の役人では複数の外国語を自在に操る者は別に珍しくなかった。米国に派遣された小栗上野介忠順の明晰な頭脳と博識ぶりに驚嘆した米国人が多くいたことはよく知られている。米国の黒船を内覧した日本人学者は、その圧倒的な科学技術力に恐れおののくどころか、この程度のものなら30年もあれば我が国は追いつくことができると感じたのも、西洋の学問を吸収していけるだけの学問的素地が既に形成されていたためである。事実、明治維新から約30年後の第1回のノーベル賞から日本人学者がノミネートされているほどである。

 

 こうしたエピソードから日本人は優秀だとか、日本は凄いと礼賛論をぶちたいわけではない。学問研究が花開くためにはそれを可能にする素地が形成されている必要があり、そうした素地の形成に裾野の広がりが重要な役割を果たしているということなのである。国民レベルの教育水準の向上は、何もその人個人のためだけでなく、国力向上の観点からも重要なことである。貧困その他の理由で十分な教育を受ける機会が保障されない国家では、どこぞに埋もれているかも知れない優れた資質や才能が開花するための芽を予め摘んでしまうことになり、大きな国家的損失にもなってしまう。この「豊かな社会」であるはずの日本において、故あって十分な教育環境が行き届いていない児童が存在することは、長期的に見て国益の棄損であることに自覚的な政治家や役人がどこまでいるのか怪しくなってきているのが実情である。

 

 加えて、「科学技術立国」を宣言しておきながら基礎科学の研究費の対GDP比に占めるが割合がOECD加盟国の中で下位にある日本の文部科学行政は、ほとんど無知無能の人間の愚策のために最悪といっていいレベルである。まるで日本という国を科学研究や教育のレベルからぶっ壊しにかかっている有様である。悪名高い旧民主党政権下での事業仕分けが槍玉にあげられたことがあったが、その旧民主党政権の悪政を安倍政権が糾弾する資格があるのかと問われれば、こと文部科学行政を見る限り到底資格はないと言わざるを得ない。かつて安倍晋三OECDの会合の中で、これからは基礎研究ではなく応用研究に傾注するなどと愚かな言葉を吐いたことがあったが、これは安倍が、これまで少ない予算の下で研究者の創意工夫により何とか辛うじて維持してきた基礎科学の研究を長期的にじわじわとぶっ潰しにかかりますと公言しているようなものである。

 

 有名な話だが、米国には大統領直属の科学顧問が存在しており、ノーベル賞級の超一流の科学者が中長期的視点から合衆国の科学政策を進言している。合衆国の長期的国益を向上するには基礎科学が重要であることを事あるごとに強調している。トルーマンアイゼンハワーもそしてクリントンもその進言に耳を傾けてきた。東京大学宇宙線研究所の施設スーパー・カミオカンデニュートリノに質量があることを観測結果から明らかにしたニュースに一早く飛びついたは、残念ながら我が国の内閣総理大臣でもなければ文部科学大臣でもなかった。事の重大性を認識し、MITでの演説の場でこのビッグ・ニュースを称賛した米国大統領ビル・クリントンだった。

 

 理科系出身か文科系出身かということではない。文科系出身でも理科系の知に関心を持つ者もいるし理科系出身でも文科系の知に関心を持つ者もいる。とりわけゼネラリストとして大局的判断を強いられる者が両者の知をもたないとなれば歪な判断しかできないことぐらい考えてもみれば当然であって、要は何が重要なのかについての大局的・長期的視点からの適切な判断力の有無である。日本の教育行政や科学行政について、こうした視点を持つ政策担当者がほとんど存在せず、近視眼的な視野しかない門外漢であるはずのコンサルタントがでかい面をして引っ掻き回し、我が国の国益を棄損して状況が今の日本の惨憺たる文部科学行政の姿であり、まずはこうしたアホどもを駆除することから始めなければ、我が国は亡国の一途を突き進むだろう。

 

 日本の文部科学行政は、故意に日本の国力を弱体化させる方向へと教育や学問研究の基礎部分を解体することを目的に様々な「改革」を行っているかのように見られる。大学入試における英語の民間業者委託の問題など、ほとんど枝葉末節の問題であるほどだ。近代化の過程における我々の先達の献身的な努力により我が国の高等教育が母国語で行うことが可能となった結果として、外国語に通じる必要に迫られることが他国と比べてなかったという事情もあるとはいえ、小学・中学・高校・大学を通じた語学教育にも関わらず英語すらまともに使用できない者が圧倒的なのは先進諸国でも日本くらいなものだから、日本の英語教育は明らかに失敗していくことははっきりしている。

 

 しかし、オーラル・コミュニケーション中心の教育に変更したからといって英語の総合力が向上するわけではない。週に一・二時間英会話教室に通ったからといって英会話が達者になるわけではないし、英文法や英語構文の知識がおざなりになっては、まともな英文を読解する力は身につかないし、日常会話以上の高度な英作文能力が向上するわけがない。そもそも、言語の構造が日本語と英語とでは異なっているわけだから、完全に英語の世界という海に浸りきっているという環境なら格別、そうでない限りは英語を外国語として対象化し、その構造上の差異に関して意識的な構えで学ばないことにはどうしようもない。その意味で、英文を精読していく作業はいずれかの段階で必要である。

 

 ただ、日本の語学の教科書に往々にして見られることだが、文法や構文の難易度と内容の幼稚さとは必ずしも相関しないのに、高校までの語学の教科書はその内容があまりに幼稚である。一般に第二外国語として学ぶことになる独語や仏語あるいは北京語の教科書も、大学生が読む文章の割には幼稚な内容のままである。その割には、日常的使用に必要な定型表現については教育しないというアベコベな状態が続いてきた。日常会話に必要な表現は概ね定型化されており、それらを条件反射のように引き出せるくらい何度も反復していれば自ずと身につく。定型化されているのは、皮肉なことに大学入試の出題パターンである。例えば東京大学の英語の試験は、まず初めに要旨要約問題がきて、次にちょっとした文法の問題や軽めの英文和訳やら英文構成の問題を出して総合問題へと移り、そこにヒアリング問題がプラスされるだけで、このパターンは一貫している。ヒアリングといっても、別段癖のある発音ではなく、しかもナチュラルスピードよりかは緩めの、ちょうどNHKの英語教育番組で流される程度のスピードである。CNNやBBC World Newsでも視聴する機会を設けて耳馴れしておけば十分である。

 

 ほとんどフォーマットが確立している典型がTOEICである。これでは、点のとり方だけに習熟した受験生が高得点を取る結果となり、果たして本当に英語の実力が身についているのか怪しい高得点者で溢れることになる。「男子、帝国大学に入る。一点一分も稼がざるべけむや!」という我妻栄のようなメンタリティでは困るのである。実際、東京大学の在籍者でまともに英語を使いこなせる人間がどれほどいるか観察してみればよい。一割もいないというのが実態だろう。ひょっとしたら1%程度かもしれない。学生のみならず教員ですらまともな英文を書ける者は少ないし、丁々発止英語で喧嘩できるほどの者となるとかなり少数になろう。国際学会でアワアワ何を言っているのかわからない日本人の大学教員が醜態を晒している光景が散見されるという。もっとも、語学力が拙かろうと、話す内容が高度であるならば尊敬を受けるわけだが、ごく一部の科学者を除き、特に文科系の分野であるにも関わらず、拙い語学力しかない者の話す内容は概してレベルが低い。

 

 そもそも、日本の大学入試そのものを抜本的に改めなければ、日本の大学のレベルは一層地盤沈下していくことだろう。世界の大学ランキングがどこまで実態を反映したものなのか怪しい面もあろうが、日本の大学のレベル低下は著しい。もはや、東京大学はアジア一位の座をシンガポールやシナの大学に明け渡している。しかも、東京大学京都大学の国際的なレベルは専ら理科系のとりわけ理学部の基礎研究が担ってきた。文科系の研究レベルは昔から低かった。これがさらにレベル低下するとなると、もはや日本は先進国とは言えないレベルの大学のお粗末さを呈することになるだろう。学生のレベル低下を嘆く教員が後を絶たない。しかし同時に、そう嘆く教員の多くもレベルが低いという笑うべき状況だ。高度成長期から人口増加に合わせて大学が雨後の筍のように林立し、教員のポストも大幅に増えて、大した業績もない者でもアカデミズムのポストにありつけた時代が出現したことで、学生のレベル低下より先に教員のレベル低下が起こった。

 

 日本の大学は、学生も教員もある特定の属性を持った者に集中しすぎている。学部はともかく、大学院までもが圧倒的に日本人で、世界の優秀な学生がなかなか寄りつかない。教員となるとなおさらで、当該大学の出身者が圧倒的多数を占め、男性教員が過剰に多く、しかも日本人教員ばかりである。しかも、社会人を経験してきた教員も少なく、いたとしても博士の学位をもたない学問研究の資質のあることを証明する制度的担保に欠ける「天下り」教員ないしはタレント教員、ひどいケースだと落選議員の腰掛ポストと化している例もある。無学無能な教員を数十人雇うくらいならば世界的な業績のある真の学者を高給で雇い入れた方が断然に大学のレベル向上に資する。なんでもかでもグローバル化することには反対だが、こと大学以上の高等教育に関してはグローバル化する必要があろう。極端に言えば、東京大学の教員の半数は外国籍、大学院生も半数は外国籍というくらいでも構わない。それで東京大学のレベルが向上するならば、これは結果的に国益に資することになろう。

 

 業績に乏しく、ただひたすら政府の提灯持ちを務めるだけの御用学者。同じく業績に乏しく、ただひたすら日本批判を繰り返しす評論活動しかしていない左翼学者。こういった連中に飯を食わせる余裕はない。まっとうに学問研究に勤しみ、相応の業績を残している学者が正当に評価され、その努力が報われるような制度設計を構築すること。国内だけでしか通用しない研究レベルの低い教員があまりにも多すぎる現状をぶち壊し、能力次第でどこの国の研究者であろうと厚遇を以って迎え入れる体制を整備すること。思い切った変革をしないことには、日本の基礎学問のレベルは見るも無残な結果に失墜することになろう。

 

 もちろん、大学の制度を変革するだけでは十分ではない。日本独特の奇妙な企業文化を変えることが重要だ。特に大学(特に学部)を卒業見込みの学生が一斉に就職活動(いわゆる「シューカツ」)をし、企業も新卒一括採用をする奇妙なビジネス慣習は弊害である。これは就活生だけに当てはまるのではなく、純粋培養型の研究者にも言えるだろう。彼ら彼女らは就活生と同様、何の迷いも冒険もなく一目散に大学院に進学する。まるで、できるだけ若いことが優秀さの証であると言わんばかりに。その意味では就活生と全く同様である。一つの専攻についての知にしか関心を持たず、幅広く学ぼうともする姿勢にも欠ける。教養のない大学教員で満ち溢れているのもその証左。

 

 蓮實重彦が述べていたように、日本社会には「グレる」ことへの不当な評価が蔓延している。欧米の学者には、例えば中世イタリア文学を専攻していた者が高分子化学の専攻へと移るなど、異なる学問的知を周遊してから自らの研究の中心となるべき専攻を見定めるといった「グレる」体験に恵まれた教員が結構いるのに対して、日本では画一的すぎると。日本の大学教員も、結局は大企業に奉職してそこで安定することが優秀な者の歩むスタイルであるとの暗黙の了解を共有しているのである。これでは中々クリエイティブな仕事は生まれにくいだろう。

憎悪の連鎖

いわゆる「嫌韓」を主張する勢力に対する警戒の声が、「ヘイトスピーチ」規制の実施を求める声となって表れている。かつての「在日特権を許さない市民の会在特会)」の活動など、「行動する保守運動」と称する一連の排外主義的主張を展開している集団の言動を、「ヘイトスピーチ」として罰則付きの取締対象にしろとの声である。また、国際機関の「お墨付き」を得ようと、各種団体が国連の人権委員会でロビー活動を展開して、国連の機関からこの種の主張に対する取り締まりの勧告を取りつけ、それを以って国内での取締論の強化に利用としているようにも見られる。

 

この構図は、ちょうど日本国内の左翼団体が「従軍慰安婦」問題において、国連人権委員会でのロビー活動を通じて、日本政府に対する勧告(クワラスワミ報告書に基づく勧告。この報告書には、日本国内の左翼活動家の一方的な主張が露骨に反映され、その作成過程における関与が疑われる内容になっている)を出さしめ、以って自らの主張を実現しようとする構図に類似している。「外圧」に弱い政府の性格を見越して、自らの主張を通そうとする算段である。

 

行動する保守運動」という排外主義的グループによるデモに対して反発するカウンター運動も活発となり、その過激な抗議行動により、各地で逮捕者を出すまでに至っている。但し、排外主義的グループのデモは、道路使用許可の下になされた合法的活動であり、日本国憲法21条1項において保障される「言論・表現の自由」の範囲内での政治活動に見える。対して、カウンターデモの側は、道路使用許可を取らずに、デモ行進により政治的主張を展開する者たちに対する沿道からの妨害活動に映ってしまう。対抗言論をぶつけるのならまだしも、「レイシスト帰れ!」だのと大声で連呼するだけならば、単なる妨害工作と感じる者も多かろうと想像するし、余計な反発を呼ぶだけだろう。そういうことはあるまいとは思うが、排外主義的グループとの「共犯」関係にもとれる協働行為を疑う者が出てきても不思議ではない程だ。

 

左翼の中には、この排外主義的グループとそのカウンター勢力との直接衝突によって不測の事態が発生することを予防しようとして警備体制を敷いている警察に対して、「排外主義的グループを擁護している」と非難しているようだが、もし本気でそう思っているのなら、明らかにおかしな主張である。警察が警備体制を敷くのは、排外主義的グループとカウンターの左翼との衝突による不測の事態発生を回避することが目的であって、排外主義的グループを擁護する目的など持ってはいないことくらい容易に理解できることである。警察は、「反天連」という、我々から見て最も許しがたい集団がデモ行進する際にも、我々右翼の側からの襲撃を防ごうとして、過剰なまでの警備体制を敷いており、我々も時には警察に対して過剰警備を批判し「反天連」など守る必要はない旨の抗議を行う。しかし、警察が「反天連」を擁護するために警備体制を敷いているわけでなく、自身の信条に反する任務につかざるを得ない立場であることも理解した上で抗議する。左翼には、そうした立場にある個々の警察官の境遇に対する想像力に欠けているのだ。

 

日本の左翼の特筆の一つとして、ご都合主義的な二枚舌を弄する点が挙げられるが、こうした警察に対する対応一つとっても、同じ二枚舌を弄することは相変わらず。左翼系デモに対する右翼側からの襲撃がなされたとすれば、左翼は警備が手薄な旨攻撃することだろう。仮に、排外主義的グループとカウンターとの直接衝突を回避すべく適切な措置を講じないことにより死傷者が出た場合、左翼は警察にその責めを帰す文句を吐くのではあるまいか。実際に衝突による負傷者や逮捕者が発生している事案が存在する中で、警察がこれを放置することはできないと判断するのは、当然と言えるだろう。そういう想像力に欠けているのも、独善的な左翼にみられる傾向である。我々民族派右翼も頻繁に警察当局と衝突し、強い口調で警察を批判することもある。しかし、そうであっても、警察には警察としての立場があって行動していること、そのことにも理があることを承知して行動している。相手の立場に立つことは中々難しいことではあるけれど、多少は想像力を働かせて、相手を理解しようという寛容を持とうと少なくとも努力はしている。

 

民族派右翼による直接行動における最も過激な形態である要人暗殺にしても、「一人一殺」を旨として対象者以外の者に直接害が及ばないように配慮してきた。たとえ国賊売国奴であろうと、その者にも愛する家族や知人がいるであろうからと「一滴の涙」をもって、できる限り犠牲者が少なくなるように、また家族に現場を見せまいと配慮しつつ、やむに已まれぬ直接行動に出た者がほとんどである。女や子供には手を出してはならないことが不文律としてあるのは、あの陸軍皇道派青年将校によるクーデタ未遂事件「二・二六事件」の精神にすら貫徹されていた。ところが、左翼によるテロリズムは、対象者が誰であろうと、家族や一般市民をも巻き込む無差別テロが多い。そこには人間の細かな機微に対する感覚もなければ想像力もない。もちろん「一滴の涙」もない。ただひたすら、自分の独善的な世界観に合わせて、他人をそのための道具とみなすばかりである。一人の人間を政治的カテゴリーだけでしか見れないというのが、これまでの左翼全体主義に例外なく見られる特徴である。この左翼全体主義が世を覆うことによってどのような地獄絵が展開されるか、それは歴史が証明するところである。

 

東西冷戦は世界的にみれば終焉したが、北東アジアでは今もなお形を変えて存在している。共産主義体制の実情と左翼政権による残忍な行為が白日の下にさらされたことによって左翼勢力はかつての勢いを失ったとはいえ、様々な社会運動を隠れ蓑にして生き残りを図ろうと躍起になっている。反核運動を基軸とした環境保護運動もその一つだし、人権擁護運動も然り。一見、誰もが反論しにくい耳触りのよいスローガンを掲げ、さして左翼思想を持つわけでもない一般の国民を取り込み、最終的にオルグして左翼運動の先兵となさしめること。こうした戦略によって、一般国民の間に浸透を図ろうとするが、本音のところを隠しているのが実態だ。このところ左翼の偽善・欺瞞があからさまに目立つのも、表向きのスローガンと本音との齟齬が際立つ場面が臨界状況に達してもはや隠しきれない程に広がってきたからに他ならない。

 

 「ヘイトスピーチ」なるものを批判し糾弾する内容は、それ自体としては大いに首肯できるところがあり、本心からそれ自体を目的に主張するならば理解もできる。しかし、素直に左翼の主張に同調しかねるのは、左翼の本音が別のところにあることが透けて見えてしまうからだ。日本の左翼は世界的にも珍しく、自国の尊厳を貶め、自国民を足ざまに罵り蔑み見下す活動に精を出し、いわば「日本呪詛」の怨念に突き動かされるあまり、他国とりわけ中華人民共和国や南・北朝鮮の利益に資するような行動を繰り返している。共産主義の世界的敗北という惨めな結果を率直に受け入れられないことから来る歪な感情がルサンチマンとなって日本呪詛の言動へと転化した成れの果てが、日本の左翼という世界的に見ても奇特な連中の実相なのである。

 

だからといって、排外主義的グループの極端な主張が許容されるわけではない。少なくとも「不逞鮮人は日本から出ていけ!」や「ゴキブリ朝鮮人」あるいは「朝鮮人、息するように嘘をつく」、「朝鮮人、顔面の捏造するように歴史を捏造することをやめろ」などという表現は、言論・表現の自由の保障をうたう憲法21条1項が予定している自由の範疇を超えているように思われるし、このような言動が日本社会に広がっているのが仮に事実であるとするならば、かかる事態は日本国及び日本人並びにこの国に住む住民全体にとっての恥であり、一刻も早く是正されるべきとも思う。ましてや、矛先を在日コリアンに向けるのは論外であろう。東京の新大久保や大阪の鶴橋あるいは名古屋の大須など在日コリアンが多数住む街で韓国糾弾を叫ぶのは、彼ら彼女らの平穏な生活を侵害する行為である。我々民族派右翼は、民族派ゆえにこそ一つの民族を全てまとめて否定するような民族憎悪・人種憎悪には断固として反対する。我々が日本民族の尊厳を守りたいと思っているのと同様、朝鮮民族朝鮮民族としての誇りと尊厳と矜持を持っているはずである。だからこそ、朝鮮民族全体を否定するような行為に対しては断固として反対するし、民族派団体の中にはこのような排外主義的グループに対して直接抗議街宣活動を展開している団体もある。かつて、石原慎太郎の選挙事務所が同じ選挙区から出馬した新井将敬の選挙ポスターに「北朝鮮から帰化」などと書いたシールを貼りつけて回った選挙妨害事件があったが、その際、石原慎太郎の事務所に猛抗議したのは野村秋介である。野村烈士は、大悲会会長として知られる民族派右翼の重鎮で、葦津珍彦の薫陶を受けた思想家であり活動家であり、朝鮮民族を差別する行為を断じて許さなかった人物である。かつて、獄中で出会った在日コリアンの収監者で刑務官から不当な扱いを受けていた者を守るべく、刑務所の所長に直談判したのも野村先生であった。

 

また民族派右翼の中には、数としては極く少数ながらも、故あって在日コリアンの人も在籍している。犯罪歴などの理由から日本に帰化したくても難しい事情があって、在日という立場のままという人が多いのだが、彼らは心底生まれ育ったこの日本という国や文化を愛し、その思いが強くて敢えて民族派にまでなった人々である。それ故、まっとうな民族派右翼は、「ヘイトスピーチ」に代表される排外主義的主張に反対することこそあれ、これを容認するような真似はしない。

 

しかし、排外主義的な主張を容認しないことと、韓国批判を容認しないこととは全く別異のことである。この点を左翼は意図的に混同し、自らの政治的主張に沿わない言論に対して、「ヘイト」だの「嫌韓」だのといって全否定した上で、これら一連の批判を封じ込めようとする。ここにも左翼全体主義が現れていると言えよう。あからさまな反日言動を展開する現在の韓国政府や韓国人に対して、これはおかしいと思うことがあれば率直に批判を展開するというのが健全な関係ではないのか。韓国批判はすべて悪であるかのごとき物言いは、むしろ言論・表現の自由を萎縮させ自らの首を絞めているようなものである。

 

ところが、独善体質の左翼は、自らの「正義」に対する懐疑の態度を欠落させ、自分と異なる意見は容認しないという不寛容な態度を貫き続ける。ちょうど共産党独裁政権が政権批判を一切許すまじとして弾圧してきた歴史を彷彿とさせる。日本共産党の独善体質を一目見ても、彼らが間違って政権を取ろうものなら、次にどのような暗黒の世の中が出来するか想像が容易につくだろう。再度言うように、一つの民族全体を十羽一絡げにして否定するかのごとき主張は端的に言って「レイシズム」であり、こうした「レイシズム」に対して日本社会の声としてこれを断じて許さないという土壌が形成されていく必要があろう。但し、その土壌は「レイシスト帰れ!」と怒鳴っているようでは醸成されにくいだろうことも、また確かなように思われる。それどころか、かえって反発から「レイシズム」を増長させていくことに結果としてつながるだろうことも容易に想像される。いかなる民族も、その民族の祖先から受け継いできた歴史・伝統・文化に対する誇りとそれを守り継いでいくとの矜持を持っている。日本民族であろうと、朝鮮民族であろうと、アイヌ民族であろうと、漢民族であろうと、満洲民族であろうと、皆等しく変わらぬところである。その誇りと尊厳を傷つけるかごとき主張は許されないことであって、この一事を以って排外主義的グループの言動は肯定できない。

 

批判は、正々堂々と個別の問題ごとに批判すべき点を明確にして、理路整然とした批判活動を展開していくのが筋である。韓国批判は許すまじとする左翼のように、表向きでは韓国擁護の論陣を張りつつも、実は心底では朝鮮民族を見下している潜在的差別主義者の言に惑わされず、日本国民は、一人の立場からでも、韓国がおかしいと思うことがあれば、批判すべきを批判するという態度で臨めばよいのであって、何も韓国に阿る必要など些かもない。それこそ、相手を対等な存在として遇することであって、「ごまめ」扱いすることが相手を尊重することであるわけではない。

 

しかし、一連の排外主義的グループの活動を法的に取り締まることは行き過ぎであって、あくまでも対抗言論をぶつけることで戦うのが筋である。もちろん、その対抗言論とは、良識派知識人が言いそうなきれいごとではなく、必ずしも暴力否定論者ではない僕からすれば、場合によってはそこに「肉体言語」も含まれて構わない。逮捕されることも厭わずという覚悟を持って抗議したいならそうすればいい。「ヘイトスピーチ」とは、一定の集団とりわけマイノリティに対する侮辱、名誉棄損、憎悪排斥、差別などを内容とする表現行為であって、内容いかんによっては、必ずしもマイノリティとはいえない特定の集団に対するその存在を否定する誹謗中傷・皮肉表現も包含される。だから、何を「ヘイトスピーチ」と認定するかは、あからさま極端な事例は別として、困難を極める。それを法的に規制することは、憲法上「表現の自由」が重要な権利として認められている以上、慎重を期さねばならない。

 

まず、何を以て「ヘイトスピーチ」として定義された行為の範疇に包含されるのかについての合意がなされず、それゆえに規制立法の法技術的困難と具体的適用場面における解釈上の困難がつきまとう。ある行為を犯罪とするからには、構成要件該当性判断を容易ならしめるだけの明確性が要求されるところ、これほど人々の意見が複雑化・多様化した現在において概ねの一致をみることが期待されるだけの明確性をどう確保するのだろうか。蓋し、言論・表現活動の萎縮効果をもたらすだけにしかつながらないことだろう。言葉の上で「ヘイトスピーチ」を定義したとしても、ある行動がそれに当てはまるのかを判断する具体的な場面に遭遇すると、どうしても解釈の争いは避けられない。現在の左翼の言動を見る限り、中韓批判自体が許されないと濫用されるに至りかねない。

 

最近の下品な「週刊ポスト」の韓国関連の特集記事に対する一部の人々の発狂ぶりをみると、こういう連中によって十中八九立法が悪用されかねないという危惧を一層募らせもする。この事件は、別の角度から見ると、左翼全体主義の一端を垣間見させてくれたとも評価できよう(メディアの問題を言うならば、例えば東海大学金慶珠教授が出演するテレビ番組のあり様の方だろう。もちろん、金教授を出演させるなと言っているのではない。その逆である。金教授を出演させて議論させるなら、きちんと一対一で冷静な議論ができる状況を設定するべきであって、四面楚歌のような状態であたかも彼女だけを袋叩きするかのような演出は卑怯なことなのでやめた方がいいと言っているのである。僕は決して金慶珠教授の主張には同意できないが、日本のテレビ番組における多勢に無勢の状況での彼女の孤軍奮闘ぶりに対しては寧ろある種の同情を覚えるのが正直な気持ちである)。またそうなると、かえって日本人の極端な反発を招き寄せるおそれだってある。極端はその正反対の極端を生み出す。強制によって差別が解消されることはないのである。

 

そもそも、最近十年ほどの間に排外主義的グループの活動が活発化し、これに共鳴する日本人が多くなったのも、彼ら彼女らからすると、これまで日本は中華人民共和国や南・北朝鮮から言われたい放題やられたい放題であり、そうした日本に対する誹謗中傷に対して政府やメディアは適宜反論してくればよかったのに、そうした反論をしていくことが何とはなしに慎まれるべきであるとの「暗黙の強制」的雰囲気、あるいは「臭いものには蓋をしておけ」といった空気に対する不満が溜まりに溜まったことに起因する。確かに、中華人民共和国や韓国・北朝鮮に対しては、他国への批判と違って何か奥歯に物が挟まった物言いしかなされない遠慮が働いていた。特に日韓関係は、両国の国力の差があり、韓国側の無理難題の要求に対して日本は「大人の態度」とばかりに大目にみてきた歴史がある。対北朝鮮の関係からも韓国も西側陣営の一員だからということで、日本の保守派政治家も韓国に対して過剰とも言えるサービスを供してきたことも手伝っていよう。左翼は何かにつけて「歴史」を持ち出し、韓国に対するまっとうな批判ですら封殺しようとしてきた。

 

しかし、思い返してみて欲しい。つい最近まで韓国を攻撃していたのは左翼であった。北朝鮮を「地上の楽園」と礼賛する一方で、韓国に対しては反共軍事独裁政権であるとして非難してきたのである。岩波書店の雑誌「世界」のバックナンバーを読み返せばはっきりするが、北朝鮮礼賛記事で溢れかえっていた。大学の左翼教員、労働組合の委員長、日教組の委員長、国会議員などの面々は、デタラメのオンパレードの『金日成回顧録―世紀のなかで』(雄山閣)の推薦文を嬉々として寄せ、ピョンヤンチュチェ思想塔に花崗岩でできたプレートを寄贈していたのである。まだ「論壇」が機能していた時代に不幸にも左翼全盛時代を迎え、我が国の「戦争加害者」の側面が殊更に強調され、道徳的に劣位の立場であることを押しつける言説が幅を利かせてきたこともあって、適切な批判がともすれば「差別」として糾弾されかねない雰囲気が醸成され、正面切った批判が憚られた。拉致問題が長年放置されてきたのも、北朝鮮を礼賛してきた左翼が拉致を全否定する言論活動を展開してきたことが一因である。

 

とりわけ、北朝鮮の体制を礼賛し拉致問題を封印してきた旧日本社会党岩波書店の責任は重大である。特に、社長だった安江良介はあからさまなキム・イルソン崇拝者で、雑誌「世界」を中心に北朝鮮の体制を礼賛し続け、拉致問題を否定してきた人物である。更に、岩波書店のお気に入りの国際政治学坂本義和は、よほど北朝鮮が好きなのか、北朝鮮への経済制裁を求める拉致被害者家族に対して非難するなど、愚かとしか言いようのない活動をしていた。北朝鮮を「地上の楽園」と宣伝しまくっていた者が、「知識人」として偉そうに君臨していた戯画のような光景が繰り広げられていた戦後日本の一定の言説の偽善・欺瞞に辟易する声が方々から聞こえてくるのも、無理ないことであった。もっとも、左翼的な立場であった東京大学の小川晴久のように、早くから北朝鮮による日本人拉致の問題や北朝鮮帰国事業で向こうへ渡った人々の人権状況を批判する活動を展開してきた識者もいた。ところが大部分の左翼は、こうした活動を無視するか、逆に暴力的な介入によって妨害活動に勤しむなど、朝鮮労働党統一戦線部の指揮下にある朝鮮総連の人間らと組んで、北朝鮮を利する活動に邁進してきた。そうした妨害活動を率先していた人間が「慰安婦問題」を声高に叫んできたということを記憶にとどめておくべきだろう。

 

ネット社会がそうさせたなどと安易なことを言うつもりはないが、少なくともネット社会になって、人々が本音のところで「薄々感じていたこと」をお互い知る術ができたことで、自分のみが特殊な考えを抱いているのではないかとの疑心が晴れ、同じことを皆が思っていたことの気づきから来るある種の開き直りが、本音を暴力的にまで表に出してしまう大衆を生み出しもしたのだろう。こうした表に出てきた「本音」を無理やり弾圧して活動を停止させたとしても、それは、これまで醸成されてきた憎悪をますます増幅させることになる。

 

考えてもみれば、元から嫌韓ムードが日本社会を覆っていたわけではない。むしろ、サッカー「日韓W杯」の頃には、マスメディアによる友好ムードの煽情とあたかも「日韓新時代」を迎えたかのような脚色が施された報道がなされていたことを差し引いても、日本社会で露骨に韓国を嫌う人びとはさほど多くはなかった。これほどまでに韓国を嫌悪する声が高まったのは、専ら韓国側の姿勢による。実際、極端な嫌韓を主張する声なり韓国嫌いを公言する人々が増えたのは、韓国の元大統領李明博竹島への密入国と、その直後に発せられた現上皇陛下に対する不敬発言が契機となっている。我が国の象徴であられる天皇に対し、かくも侮辱的な罵詈雑言を浴びせかけた政治指導者の存在は前代未聞であって、日本国民に与えた驚きと怒りは極めて大きかった。右は産経から左は朝日まで、この点に関しては韓国の無礼に対する批判を一致して展開していたほどである。国交を断絶するもやむなき事態というほどに、外交上ありえない所業であって、日本国民の嫌韓の思いはこのとき最高潮に達したといってよい。

 

その後にも、「慰安婦問題」を声高に叫び、諸外国での反日言動が日本国内の人々にも伝えられるたびに韓国への疑心は高まっていった。この状態で韓国を好きになれという方が無理筋の主張であって、国民感情の機微に触れずに単に仲良くしなければならないというだけでは何ら問題は解決しない。日韓関係を悪化させた要因は、韓国政府や陰に陽に日本に対する執拗な嫌がらせ行為を続ける韓国人たち含め総じて韓国側の言動であった。韓国の反日的言動を列挙すればきりがないほどである。しかし、日本人は概ねその怒りを表に出さず耐えてきたが、これ以上の我慢はできないという日本国民が増えてきた。これが極端な主張をする排外主義的グループの躍進の背景にあるのだろう。日本だけに我慢をしろとせがむのは、もはや無理がきているのである。

 

そこに加えて、露骨な親北反日ムン・ジェイン政権の誕生と来た。ムン政権は慰安婦合意によって設立された財団を解散させ事実上合意を一方的に破棄し、元募集工判決にみられる国際法上の違法状態を放置し、日本に対する罵詈雑言を並べ立て、地方議会では「戦犯企業」と名指しして日本企業をヘイトする条例を制定するなど、やりたい放題の有様である。自衛隊の哨戒機に対する火器管制レーダー照射行為など、いつ不測の事態の発生に至ってもおかしくはない韓国軍の行動に怒りを覚えた日本人も多い。さらに、逆切れして日本が悪いと無理筋の理屈を弄して日本批判をする。非があれば認めればようものを、決して認めようともしない。解釈は両国で相違が出ることはあろうが、明らかな事実に対してすらも否定する厚顔無恥ぶりに怒りを通り越して呆れ返った日本人も多かろう。「これはおかしいだろう」と思う日本人が批判の声を上げ始めるや、左翼は「嫌韓を煽るな」と韓国批判を封じ込めようと躍起になる。そうすると逆に、これに反発する日本人がさらに過激さを増した韓国批判を展開する。この悪循環が今日の状況である。

 

なぜ、かくのごとき「嫌韓」の人々が増えてきたのか。それは何も差別を煽動する言説が突然に出てきたためではない。むしろ、そうした主張に呼応する人々が大勢で出てくるほどに韓国・北朝鮮に対する鬱積した感情が醸成されるだけの土壌が存在してきたからだと考えた方がいい。その土壌は、韓国・北朝鮮に対する面と向かった批判すらも許されないとする暗黙の雰囲気があったことへの反動として形成されてきた。いずれにせよ、「嫌韓」がかなりの数増えてきてきている要因を分析し、言説レベルでも左翼的言説が跳梁跋扈してきたことの反省も踏まえて事に当たらないと、暴力的威圧による差別糾弾の運動や、逆に「差別はやめよう」・「仲良くしよう」と融和的言辞を弄しても、問題の本質的な解決には何ら繋がらないということである。

 

韓国では、親北の左翼系市民団体を中心に反日運動を展開し、日韓離反のための策動が継続されている。GSOMIA破棄もその成果である。日本の左翼もそれに呼応して、日韓GSOMIA破棄を主張してきた。日韓友好を表向きではうたいつつ、両国の国益にとって害となるはずの日韓GSOMIA破棄の主張は、隠していた本音がつい零れ落ちて表面化した典型である。次なる目標は、韓国側の無理筋な主張を強引な屁理屈で肯定し、日本人のフラストレーションを募らせることで最終的に日韓離反へと持っていくことである。この点で、実は日本の左翼と排外主義的グループは、共通の目的に向かって進む共犯関係を取り結んでいる。

Crisis between the United states and Iran

 Yemen’s Houthi rebels launched drone attacks on the world’s largest oil processing facility in Saudi Arabia and a major oil field Saturday, sparking huge fires at a vulnerable chokepoint for global energy supplies. It remained unclear hours later whether anyone was injured at the Abqaiq oil processing facility and the Khurais oil field or what effect the assault would have on oil production. The attack by the Iranian-backed Houthis in the war against a Saudi-led coalition comes after weeks of similar drone assaults on the kingdom’s oil infrastructure, but none of the earlier strikes appeared to have caused the same amount of damage. The attack likely will heighten tensions further across the Persian Gulf amid an escalating crisis between the U.S. and Iran over its unraveling nuclear deal with world powers.

 

 Iran denied that it was involved in Yemen rebel drone attacks the previous day that hit the world’s biggest oil processing facility and an oil field in Saudi Arabia, just hours after America’s top diplomat alleged that Tehran was behind the “unprecedented attack on the world’s energy supply.” The attacks  claimed by Yemen’s Houthi rebels resulted in “the temporary suspension of production operations” at the Abqaiq processing facility and the Khurais oil field, Riyadh said. The amount Saudi Arabia is cutting back is equivalent to over 5% of the world’s daily production. While markets remained closed Sunday, the attack could shock world energy prices. They also increased overall tensions in the region amid an escalating crisis between the U.S. and Iran over Tehran’s unraveling nuclear deal with world powers.

 

 The U.S. officials previously alleged at least one recent drone attack on Saudi Arabia came from Iraq, where Iran backs Shiite militias. Those militias in recent weeks have been targeted themselves by mysterious airstrikes, with at least one believed to have been carried out by Israel. Iranian Foreign Ministry spokesman Abbas Mousavi  dismissed Pompeo’s remarks as “blind and futile comments.”


 President Donald Trump called Saudi Arabia’s Crown Prince Mohammed bin Salman to offer his support for the kingdom’s defense, the White House said. The crown prince assured Trump that Saudi Arabia is “willing and able to confront and deal with this terrorist aggression,” according to a news release from the Saudi Embassy in Washington.

 

 Among the states in the Middle East, Iran has perhaps the most coherent experience of national greatness and longest and subtlest strategic tradition. It has preserved its essential culture for three thousand years, sometimes as an expanding empire, for many centuries by the skilled manipulation of surrounding elements. Before the ayatollahs' revolution, the West's interaction with Iran had been cordial and cooperative on both sides, based on a perceived parallelism of national interests.

 

 The United States and the Western democracies should be open to fostering cooperative relations with Iran. What they must not do is base such a policy on projecting their own domestic experience as inevitably or automatically relevant to other societies', especially Iran's. They must allow for the possibility that the unchanged rhetoric of a generation is based on convinction rather than posturing and will have had an impact on a significant number of the Iranian people. A change of tone is not necessarily a return to normalcy, especially where definitions of normalcy differ so fundamentally. It includes as well-and more likely- the possibility of a change in tactics to reach essentially unchanged goals. The United States should be open to a genuin reaconciliation and make substantial efforts to facilitate it. Yet for such an effort succeed, a clear sense of direction is essential, especially on the key issue of Iran's nuclear program.

 

 The future of Iranian-American relation will depend on the resolution of ostensibly technical military issue. As these pages are being written , potentially epochal shift in the region's military balance andits psychological equilibrium may be taking place. It has been ushered in by Iran's rapid progress toward the status of a nuclear weapons state amidst a negotiation between it  and the permanent members of the UN Security Council plus Germany (the P5+1). Though couched in terms of technical and scientific capabilities, the issue is at heart about international order-about ability of the international community to enforce its demands against sophisticated forms of rejection, the permeability of the global nonproliferation regime, and the prospects for a nuclear arms race in the world's most volatile region.

 

 The traditional balance of power emphasized military and industrical capacity. A change in it could be achieved only gradually or by conquest. The modern balance of power reflects the level of a society's scientific development and can be threatened dramatically by developments entirely within the territory of a state. No conquest could have increased Soviet military capacity as much as the breaking of the American nuclear monopoly in 1949. Similarly, the spread of deliverable nuclear weapon is bound to affect regional balances-and the international order-dramatically and to evoke a series of escalating counteraction.

 

 All Cold War American administration were obliged to design their international strategies in the context of the awe-inspiring calculus of deterrence: the knowledge that nuclear war would involve casual-ties of a scale capable of threatening civilized life. They were haunted as well by the awareness that a demonstrated willingness to run the risk- at least up to a point- was essential if the world was not to be turned over to ruthless totalitarians. Deterrence held in the face of these paralel nightmares because only two nuclear superpowers existed. Each made comparable assessments of the perils to it from the use of nuclear weapons. But as nuclear weapons spread into more and more hands, the calculus of deterrence grows increasingly ephemeral and deterrence less and less reliable. In a widely proliferated world, it becomes ever more difficult to decide who is deterring whom and by what calculations.

 

 The complexity of protecting nuclear arsenals and instalations and bulding the sophisticated warming systems possessed by the advanced nuclear states may increase the risk of preemption by tilting incentives toward a suroprise attack. They can also be used as a shield to deter retaliation against the militant actions of non-state group. Nor could nuclear powers ignore nuclear war on their doorsteps. Finally, the experience with the "private" proliferation network of technically friendly Pakistan with North Korea, Libya, and Iran demonstrates the vast consequences to international order of the spread of nuclear weapons, even when the proliferating country does not meet the formal criteria of a rouge state.

 

 The United States and the other permanent members of the UN Security Council have been negotiating for over ten years through two administrations of both parties to prevent the emergence of such a capability in Iran.Six UN Security Council resolutions since 2006 have insisted that Iran suspend its nuclear-enrichment program.Three American presidents of both parties, every permanent member of UN Securuty Council plus Germany, and multiple International Atomic Energy Agency reports and resolutions have all declared an Iranian nuclear weapon unacceptable and demanded an unconditional halft to Iranian enrichment. No option was to be off the table in pursuit of the goal.

 

 The record shows steadily advancing Iranian nuclear capabilities taking place while the Western position has been progressively softened. As Iran has ignored UN resolutiona and built centrifuges, the West has put forward a series of proposals of increasing permissiveness-from insisting that Iran terminate its uranium enrichment permanently(2004); to allowing that Iran might continue some enrichment at low-enriched uranium levels, less than 20 percent(2005); to proposing that Iran ship the majority of its low-enriched uranium out of the country so that France and Russia could turn it into fuel rods with 20 percent enriched uranium(2009); to a proposal allowing Iran to keep enough of its own 20 percent enriched uranium to run a research reactor while suspending operations at its Fordow facility of centrifuges capable of making more(2013). Fordow itself was once a secret site; when discovered, it became the subject of Western demands that it close entirely.

 

In the spring of 2013, Ayatollah Ali Khamenei, the Supreme Leader of the Islamic Republic of Iran- the figure then and now outranking all Iranian government ministers, including Iran's President and Foreign Minister- delivered a speech to an international conference of Muslim clerics, lauding the onset of a new global revolution. What elsewhere was called the "Arab Spring", he declared, was in fact an "Islamic Awakening" of world-spanning consequence. The West erred in assessing that the croweds of demonstrators represented the triumph of liberal democracy, Khamenei explained. The demonstrators would reject the "bitter and horrifying experience of following the West in politics, behavior and lifestyle "because they embodied the "miraculous fulfillment of divine promises".

 

 In Khamenei's analysis, this reawakening of Islamic consciousness was opening the door to a global religious revolution that would finally vanquish the overbearing influence of the United States and its allies and bring an end to three centuries of Western primacy. Following "the failure of communism and liberalism" and with the power and confidence of the West crumbling, the Islamic Awakening would reverberate across the world, Khamenei pledged, unifying the global Muslim ummah(the traditional community of believers) and restoring it to world centrality. Khamenei had explained upon this topic previously. As he remarked to an audience of Iranian paramilitary force 2011, popular protests in the West spoke to a global hunger for spirituality and legitimacy as exemplified by Iran's theocracy. In any other region, such declaration would have been treated as a major revolutionary challenge: a theocratic figure wielding supreme spiritual and temporal power was, in a significant country, publicly embracing a project of constructing an alternative world order in opposition to the one being practiced by the world community.

 

 The Supreme Leader of contemporary Iran was declaring that universal religious principles, not national interests or liberal internationalism, would dominate the new world he prophesied. Had such sentiments been voiced by an Asian or a European leader, they would have been interpreted as a shocking global challenge. Yet thirty-five years of repetition had all but inured the world to the radicalism of these sentiments and the actions backing them. On this part, Iran combined its challenge to modernity with a millennial tradition of a statecraft of exceptional subtlety.