shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

朝敵石原慎太郎を糾弾せよ!

 今年で75年目の終戦記念日。東京では炎天下の最中、例年と同じく多くの参拝者が詰めかけたという。家族や知人・友人は千鳥ヶ淵戦没者墓苑に続いて足を運んだ靖国神社で午前中に参拝を終えたようだが、列に並んでから拝殿に辿り着くまで約1時間半も要したらしく、参拝を待つ列に並ぶ人の中には熱中症でダウンする人々もチラホラ出ていたみたいだ。民族派の知人は、例年なら8月15日に参拝するところ、COVID-19による混乱を意識して、混雑を避けようと9日に参拝を済ませたようだが、今年はそうした民族派団体が多いような気がすると言っていた。

 

 安倍晋三首相は、今年も私費で玉串料を奉納するにとどめ、参拝を見送ったという。結局、第二次安倍政権になって参拝したのは平成25年の12月末の参拝の一度きり。それ以後は、特に対日カードとしてこの問題を利用する中韓に阿て参拝をしていない。もっとも、参拝すればそれだけで安倍政権の過ちが許されるというものではない。今年は閣僚4人が参拝したようだが、どうせまた中韓がそれに難癖をつけ、それに呼応する日本の左翼が靖国批判の大合唱を弄することだろう。

 

 年中行事と化しているこうした状況を打破するため、安倍は毎日参拝すればよいと敢えて暴論めいたことを言いたくもなるが(めちゃくちゃな暴論だけど)、閣僚が何人行こうが、実はそれは些末なことであって、何よりもこうした状況を変えねばならないと思う最大の理由は、天皇陛下の御親拝を賜れる環境を整えることが切実な課題となっているためである。

 

 国会議員の誰それ誰べえが行ったの行かないだのといったことは、結局当人の政治的パフォーマンスの要素が多分に絡んでいるから、元から不純な動機が透けて見えてしまう。現役首相として靖国神社参拝を行った小泉純一郎にしても、参拝に踏み切ったこと自体は多とするけれど、しかし、小泉は首相になる前に靖国神社に参拝していたのだろうかと振り返ると、結局は小泉も自民党総裁選挙の時に党員票獲得を企図して「公約」の中に靖国神社参拝を含めたから参拝に踏み切ったのであって、参拝時に言った「政治問題化してはいけない」という正論も、どこか白々しく聞こえてしまう。「政治問題化」させたくないのなら、初めから自民党総裁選挙の時の票集めの手段として靖国参拝を含めず、静かに参拝すればよかったのである。総裁選の「公約」とした点からして問題であった。

 

 石原慎太郎も然りである。石原の靖国神社参拝は東京都知事になった時から目立つようになったが、果たして彼は何十年も国会議員をやっていた間、どれほど熱心に靖国神社に参拝していたのだろうか。政治家による遺族の心情を利用した靖国神社参拝というパフォーマンスは欺瞞であり、英霊のためでも遺族のためでもないことは明らかである。もちろん、政治家は行くなというわけではない。祖国のために尊い命を失った英霊に対し、感謝と哀悼の誠を捧げることは、むしろ「全国民の代表」たる国会議員として当然の行為である。但し、政治的打算に基づくパフォーマンスに過ぎないことが見え透いてしまうような振る舞いは、靖国神社を単に政治利用しているという意味で、違和感が残るということなのだ。

 

 石原慎太郎は、今年も靖国神社に参拝したようだが、その際「首相は当たり前だけど、天皇陛下に参拝していただきたい。なぜ参拝してもらえないのか」といい、靖国神社近くの日本武道館で全国戦没者追悼式が営まれている点を捉え、足をのばして靖国神社に「天皇陛下と首相はなぜ参拝しないのか。何で遠慮しているんだ」と記者たちの前で話したという。その話に参拝者の一部から拍手が沸き起こったようだ。石原慎太郎に拍手した参拝者も、この発言はとんでもない発言だということに気がつかないのはどうかしているとしか思われない(そもそも、石原慎太郎を支持している時点で、底の浅さが露呈しているわけだが。石原こそ、典型的なポピュリストである)。

 

 まず言葉遣いからして誤りであって、天皇の「参拝」ではなく「親拝」である。石原は度々この言葉を用いているから、単なる言い間違いとは言わせない。その上、畏れ多くも陛下に対して「なぜ参拝しないのか」だの「何で遠慮しているのか」だの抜かしているわけで、不敬にも程がある。畏れを知らない増上慢の本性が、ここでも現れた格好となった。

 

 天皇陛下の御親拝が途切れた直接の契機は諸説色々あるが、はっきりしていることは、靖国神社が国内外において「政治問題化」されてしまってから途切れたということである。「政治問題化」された原因は様々あり、一つは朝日新聞をはじめメディアが焚き付けたことも関係しているだろう。「ご注進」とばかりに朝日新聞が懇ろにしている中共を焚き付ける形になったのは、いわゆる「A級戦犯」の御霊の処遇が宮司預りとなっていたところで、当時の靖国神社宮司松平永芳が合祀に踏み切った後しばらくして、俄に首相の靖国神社参拝に中共が文句をつけはじめた格好になっているからであろう。その背景には、当時の中共中央政治局内部の権力闘争があったことは、内閣総理大臣として「公式参拝」に踏み切った中曽根康弘の証言からも推測される。

 

 というように、マスメディアの「ご注進」報道(日本の左翼は、国内での政争を有利に進めるため、頻繁に他国にわざわざ新たな争点を吹聴した上で、他国からの非難を利用して政府与党に対する攻撃を仕掛けるというやり方を繰り返してきた。対日非難の元を辿っていくと、たいてい日本の左翼に至りついてしまうという事例が多い)に原因があるといっても、その状況を漫然と放置するばかりか、逆により事態を悪化させ、結果として国内外の「政治問題化」に拍車をかけ、これを何とか改善しようとする努力を怠ってきた政治家の責任も相当重いと言わねばならない。

 

 ここまで「政治問題化」されしまった状況において陛下の御親拝があれば、どういうことになるのかの想像力に欠けるようだ。確かに、中韓や左翼の非難は、そのほとんどが難癖の類いであり、日本への外交的恫喝のカードに過ぎないだろう。しかし、そうさせたのは誰なのかを考えず、石原のように単純に「参拝いただきたい」と言っても、御親拝の実現はかえって遠のいてしまう。「政治問題」の渦中に陛下を巻き込んでしまうことになるし、そうなると陛下が批判の矢面に立たされる蓋然性を考えたことがあるのか。のみならず、靖国神社の平穏すら確保できなくなってしまう恐れもある。だからこそ、これまで陛下は勅使を靖国神社に遣わすだけにとどめておられるのである。そういう御配慮を、なぜ臣下である者が拝察できないのだろうか。

 

 陛下に「参拝しろ」という石原の発言は聖上に対する不敬で無礼の極みであるだけでなく、「政治問題化」された状況を改善しようとしない己の責任を回避している。どんなことになろうと上御一人をお守りするとの意志に欠けたこの逆賊ぶり、ここに極まれりといった感じだ。政治家がやらねばならいことは、遺族の願いでもある天皇陛下の御親拝を賜れるだけの状況になるよう、諸々の課題を解決し環境整備に努めることである。てめえが自己満足するためだけのパフォーマンスをすることではないのだ。

 

 石原慎太郎は、保守でもなければ民族派でもない。単なるエキセントリックなポピュリストでしかないことは、この発言だけでなく、上皇陛下に対する数々の不敬な言動からも明々白々。安倍晋三と同様、少なくとも、尊皇の志を微塵も持ち合わせていないことだけははっきりしている。「皇室は日本の役に立たない」だの、「皇室は無責任極まりない」だの、「君が代はダサい」だの、「君が代なんか歌わない」だの、と不敬発言を続け、皇居に一礼する人々を「バカ」呼ばわりしてきた人物だから、当然と言えば当然だ。要は、辻元清美と大して変わらない言動を弄してしたのである。東京への五輪招致のために皇太子殿下(現在の今上陛下)に協力願いたいだのと、思い返すだけで腸煮えくり返るような言葉を平然と口にしていたことも忘れたとは言わせない。

 

 民安かれ、国安かれと日々祈りを捧げられ、民を等しく大御宝とされてきた歴代天皇の大御心に反して、困難な境遇にある人々に対する数々の暴言も許しがたい。かつて、東京都知事として重度障害者施設を視察した折も、「この人たちには人格はあるのか」など天誅に値する差別発言を繰り出していたし(差別発言どころか、度し難い存在否定発言だが)、東日本大震災では、発生直後我を忘れて狼狽えていたくせに、主として東北で津波で犠牲になった者に対して「天罰」と発言していたこともあった(東日本大震災の際、日本への「天罰」だとして狂喜乱舞していた一部の韓国人の振舞いと重なる)。

 

 他にも、地震の被害にあった地域に対して「田舎だからいい」などの暴言も残している。ALS患者に対して「業病」とイカれた発言をしたことは記憶に新しい。水俣病患者の文章を「IQが低い」と罵り、相模原の重度障害者施設の人々を虐殺した殺人鬼の行為を理解できるかのような発言もある男だ。単なる失言を超えて一貫してこの種の発言を主張してきた男が、石原慎太郎という男である。

 

 こうした発言を反復する者に見られる傾向だが、いざ自分に困難が降りかかったりすると、豊洲市場の問題での我が身可愛さ故に出てしまった醜態に見られるように、そのヘタレぶりが暴露されてしまう。民族派の中では、石原慎太郎が実はビビりでヘタレであることは、半ば周知の事実になっている。自分より弱い者と見下す対象には強く出る一方、例えば民族派の重鎮クラスの先生方の前に出されると平身低頭、米つきバッタみたいにペコペコしている。

 

 こういうタイプの人間として有名な存在が、かつて石原慎太郎とともに自民党青嵐会のメンバーで、後に石原と仲違いすることになった浜田幸一である。浜田が稲川会の稲川聖城総裁の面前で額を床にこすり付けて土下座する姿を回想する民族派の先生方もいるくらいだ。こんな連中を「愛国者」と思って支持する人は、よほど石原のことを知らないか、あるいは石原自身が信者の一人であり、かつ石原の票田にもなっていた某新興宗教団体の信者くらいなものであろう。

 

 中選挙区制度であった頃、同じ選挙区から同じ自民党から出馬した新井将敬の選挙活動を妨害した所謂「黒シール事件」では、石原慎太郎選挙事務所の者が新井の選挙ポスターに「北朝鮮から帰化」というシールを貼りつけて回り、これに怒った民族派の重鎮である野村秋介先生が「日本民族の面汚し」として石原の事務所に乗り込み、「全ての在日朝鮮人に土下座して謝れ!」と抗議したことは良く知られている。もちろん、シールを貼り付けたのは石原の選対事務所の事務員であって、石原慎太郎が自ら直接貼り付けてまわったわけではないが、選対事務所の事務員が選挙活動の一環として行った行為に対して石原慎太郎自身に責任がないということはあり得ない。

 

 要するに石原慎太郎は、日本国や日本国民のことなどつゆだに考えていない「エセ保守」であり、皇室への畏敬の念に欠け、大御心を踏みにじる朝敵そのものである。我が国の政治を多少とも浄化するには、こうした石原慎太郎のような「保守」のフリをするだけの朝敵を討つことが先決の課題となる所以である。支持者には、石原がどういう言動をものしてきた男なのかを今一度よく調べてからにしてもらいたいと言いたい。

本性見たり!

左派勢力(親北派)のムン・ジェイン政権になって特に喧しくなった「反日ヒステリー」を続ける韓国(日本にも、一部に「嫌韓ヒステリー」みたいなことをやっている者もいないわけではないが)は、国防予算を大幅に拡大し、直に日本の防衛費を抜こうという勢いである。主要国の国防費の占める対GDP比は平均で2%程度と言われている中、韓国の国防予算の対GDP比は2%を優に超える。

 

対して、日本の防衛予算の対GDP比は1%未満であり、これは主要国の中でも突出して低い。我が国を取り巻く安全保障環境や経済規模からして現在の2倍以上の防衛予算を組む必要があるが、何せ「軍事大国化反対!」などという勢力が必ず出てくるので容易ではない。客観的に見て、日本は「軍縮大国」なのであって、決して「軍事大国」ではない。左翼が喧伝するデマとは逆に、日本の防衛予算は少なすぎるというのが実情であることは、具体的数字を見れば明らかだ。

 

韓国軍は、対北防衛の観点からだと説明できない装備まで備えようとしており、今後、潜在的敵国として日本を位置づけ、東京を射程に収めるミサイルを装備することになるかもしれない。事実、韓国軍の現役将校の中には、東京爆撃を口にした者も現れ始めているという。

 

韓国は、米国に空中給油機の売却を打診した折、その目的を東京爆撃を可能にするためと主張していた(日本の報道機関は、なぜか報道していないようだ)。さすがに、米国はこの打診を断ったが、韓国はどうしても東京爆撃をも可能にする空中給油機を諦めきれず、欧州に発注して4機確保することに成功している。その後は、空中給油機なくして東京爆撃が可能な戦闘行動範囲約1300kmの戦闘爆撃機を備えるまでになっている。

 

韓国政府の将来計画では、原子力潜水艦を持ち、あわよくば北の核技術を利用して核武装国となり、日本に対する軍事的恫喝を仕掛けることが可能になるよう望んでいるかのようだ。そうなると、少なくとも、対馬割譲を要求してくるかもしれない(竹島ならば、百歩譲ってまだ領有権を主張する理屈は成り立つかも知れないが、「対馬は韓国の領土」という主張の根拠らしきものには、未だお目にかかったことはない)。韓国政府は、特に対日政策に関して、必ずしも合理的な判断に基づく意思決定をしているのか疑念が持たれる行動を度々行うので、後先顧みずに、「国民情緒」に基づいて日本を攻撃することだって考えられる(今は、米軍の重しがある以上、その可能性は低いだろうが、左派政権が今後も継続して在韓米軍撤退という事態に至れば、間違いなく日本を正面切って敵国として認定し、場合によっては日本に対して軍事行動を仕掛けてくるか、軍事行動をチラつかせながら理不尽な要求を突きつける恫喝外交を繰り返してくるだろう)。

 

日本のマスメディアはほとんどとりあげないが、韓国の常軌を逸した反日教育反日活動はとどまるところを知らずエスカレートし、中には「日本にミサイルを撃ち込んで、日本人を殺しましょう」と幼い児童に教育する極端な左翼教師が紹介されたり、街頭でKill Japと反日活動に勤しむ団体も普通に存在する。日本にも排外主義的主張を繰り返す恥ずべき団体もいて、たいがいにしてもらいたいが、残念ながら、向こうのそれは、その比ではないのが実情だ。「日帝残滓清算」と言って、日本人名義の土地を名義人の断りなく一方的に国に没収するわ、日本人が植樹した木を切り落とするわ、日本品種の作物を否定しだすわ、公営バスには「慰安婦」の人形を設置するわ、親日派とされた者の墓を掘り返すわ、と「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という有様。一貫したいなら、鉄道もダムも道路もソウル大学校など各種施設も全部「日帝残滓」として破壊すればよさそうなものなのに、そこまでの狂気じみたことはまだやらないようだ。その前に、おそらく、日本人に対する違法行為ならば当該行為の違法性が阻却されるといった差別的取扱いがなされるのではないか。要は、日本人に対しては犯罪をしても許されるという論理である(実際、「反日無罪」を叫んでいる活動家もかなりいるようだし、韓国に進出した日本企業が理不尽な差別的取扱いを受け続けているために、撤退し始めている会社も出始めている)。

 

こうした状況に、まともな韓国人は「まずいことになった」と憂慮を示すものの、それを声高に主張すると、集団リンチに遭ったり、職場から追放される目に遭い、社会的に抹殺される恐れがあるので声を出しにくい。さすがに、欧米メディアも韓国の異常な反日活動に疑問を持つようになり、韓国政府に対する批判的な論調も増えてきてはいる。韓国政府のなりふり構わぬ反日宣伝活動が、逆にしっぺ返しを食らいつつあるのだ。

 

次は、新たな「歴史問題」を作り上げて、国内の対日世論を盛り上げるとともに、韓国と内通する日本国内の左翼系市民団体や左翼人士をたきつけて、日本の行動の足を引っ張る作戦に乗り出すことだろう。「嫌韓ムード」を生んだのは、先方の無茶な主張までをも無理やり擁護し、韓国政府へのありうべき批判ですら封じてきた左翼やマスメディアの言説である。ここ数年の「嫌韓ムード」は、こうした理不尽へのフラストレーションが一気に爆発した結果ではないだろうか。

 

当面は、元募集工問題における差し押さえた日本企業の資産の現金化にともなう日本側の報復措置を止めるよう、対日世論工作を一層進めてくるだろう(ムン・ジェイン政権では、この工作資金は約3倍に増やされている)。事実、昨年の輸出管理体制の見直し(要件を満たせば輸出許可が出されているので、決して輸出規制ではなく、「ホワイト国」扱いしなくなったというだけのこと)が行われた時、案の定、日本の左翼市民団体は、韓国側の利益を代弁する形で、この見直し決定の撤回を求めて運動を展開していた。十中八九、韓国擁護・日本批判の運動を日本の左翼市民団体や「知識人」を利用して仕掛けてくるに違いないのだ。

 

日本の左翼市民運動家の中には、向こうの左派団体が設けた賞まで受賞する者もいる。左翼系大学人でチュチェ思想を信奉し、北朝鮮の勲章をもらい、記念切手にまでなっている者が何人かいる。最近でも沖縄県辺野古の米軍の代替ヘリポート建設反対運動を展開する元沖縄大学学長は、日本におけるチュチェ思想信奉者の代表的人物の一人である(在日米軍基地負担が沖縄県に偏頗している現状は大いに問題があり、この理不尽は是正していかねばならないが、左翼の目的はそういうところにはなく、単純に日本の防衛能力を削ぎ、北朝鮮中共ないしは親北の韓国内左派の利益のために動いているだけのことである)。日本教職員組合には、チュチェ思想ないしはキム・イルソン主義(最近では「キム・イルソン=キム・ジョンイル主義」という言葉も出始めている)にかぶれた者も相当数いる。

 

どういった連中が、北朝鮮を「地上の楽園」と称賛し、キム一族の暴政を支援していたか。これは、『金日成回顧録-世紀とともに』(雄山閣)に推薦を寄せている連中の一覧を見ればわかるだろう。平壌チュチェ思想塔にある大理石で作られたプレートの中に北朝鮮を信奉する日本人の名が刻まれているし、妙香山にある国際親善展覧館には、キム・イルソン、キム・ジョンイル父子に恭しく献上した贈り物が展示されている。それらを実地に確認すればわかろう。日教組の委員長や総評の議長、はたまた大学教員や国会議員に至るまで、数多くの日本人が関わっている。

 

チュチェ思想と京都学派左派であった梯明秀の哲学の関係を勘繰っているので、それについての論文と、キム・ジョンイル「生活と文学」のブックレビューを書いてみたい。それとは別に、キム・イルソン主席死去からキム・ジョンイル朝鮮労働党総書記に推戴されるまでの期間に突如として登場した「赤旗思想」とは何だったのかにも興味がある。確かあの時期は、「チュチェ思想」の名はあまり登場しないで、「赤旗思想」という名の思想宣伝が盛んに行われていたのだが、いつの間にか消えてしまった。この辺の事情に詳しいチュチェ思想研究家に尋ねてみたいものだ。

 

岩波書店の元社長安江良介は筋金入りのキム・イルソン崇拝者で、一時期、美濃部亮吉の東京都政を支えた人物であったが、美濃部都政は何かと朝鮮総連に便宜を図ってきたことでも知られる。北朝鮮の体制を礼賛し、日本人拉致の事実が明らかになりつつあった時でさえ、拉致の事実を否定し続けた。キム・イルソンとの会見録など読むに耐えない内容だ。この辺の事情は雑誌『世界』でもわかるし、さらには『金日成著作集』朝鮮語版の43巻にも収録されているらしい。

 

もっとも、僕は朝鮮語が読めないので、日本語版『金日成著作集』1巻~30巻しか所有していない。日本語版のものとしては、先ほどの『金日成回顧録』や『金正日著作集』、『金正恩著作集』は一通り揃えている。「目指せ、向坂逸郎!」ではないが、一時、社会主義共産主義文献を片っ端から買い漁り、親戚から譲り受けた大量の左翼文献の蔵書を合わせて、私設「赤色図書館」でも作れそうな勢いだった。『毛沢東年譜』全巻をも網羅したマニアックなものになっているのが自慢。あとはロシア語さえできれば、旧ソ連のロシア語文献を集めることができたのに、と少々悔やんでいる。

 

岩波と言えば、安江のみならず、数多くの関係者がチュチェ思想を信奉し、キム・イルソンを崇拝してきたわけだが、その思想信条が北朝鮮拉致被害者家族への憎悪にまで肥大化した男が、国際政治学者の坂本義和であった。坂本に至っては、北朝鮮が拉致の事実を認めた後でさえ、横田夫妻を非難し続けていた。国際政治学者といっても、関寛治やら武者小路公秀など、北朝鮮と懇意な者が我が国の講壇学者として長年のさばってきた。ある時期までの岩波書店の雑誌『世界』は、バックナンバーを繰ればわかろうが、一見して朝鮮労働党の機関紙か何かと見紛う内容だった。未来社雄山閣もそうだが、「強制収容所国家」北朝鮮の体制を過剰に礼賛する書籍を出版してきた出版社には何某かの「落とし前」をつけてもらわないと、出版文化全体の信用にも関わることになろう。

 

何かにつけて日本を糾弾し、韓国や北朝鮮への謝罪と賠償を主張する市民団体は、明らかに韓国内左派と内通して韓国を利するための工作活動をしている団体である。その本音が現れたのが、昨年のGSOMIA延長反対の主張であった。明らかに北朝鮮北朝鮮の息のかかった韓国内の左派の主張は日本にとって資することはないはずなのに、日本の左翼市民団体は、日本の安保上の不利益になりかねないGSOMIA破棄まで主張していたことを見ればわかるように、それによって利益を受ける北朝鮮の意向に沿って動いていたことは見え透いている。この動きを怪訝に思い、運動から身を引いた人もいたようだが、当たり前だろう。その市民団体は、日本や日本人のための利益の団体ではなく、最終的には、中共北朝鮮の利益に資するよう一貫して活動してきた団体だからだ。

 

日本人の大学教員や評論家の中には、不自然なまでに韓国寄りの言動をする者もいるが、その者の大半は、裏で韓国政府の対日世論工作資金を直接・間接に受け取っている者だと疑った方がいい。直接的な利益供与までしている事例は少ないかもしれないが、間接的にその者の利益に適うよう様々な仕方で便宜を与えているはずだ。韓国政府は、自国に都合の良い言論活動をしてくれそうな言論人をピックアップして、手なずけるべく、先ずは大使や総領事が食事等に招待することで懐柔工作を図ることでも知られ、米国でも盛んにそうしたロビー活動がなされていることは周知となっている。おそらく日本国内でも、韓国大使館や総領事館に招待され、いそいそと喜び勇んで出向いている者もいることだろう。

 

大学の教員や評論家など懐柔するのは朝飯前であり、特に日本人は外国情報機関の対日工作にまんまと嵌められる人が多いと言われる。公安は当然把握済みだろうが、はっきりそうした情報を何らかの仕方で白日のもとに曝してやれば、結局どの言論人やメディア関係者などが外国の工作に乗せられて言論活動しているのかが国民に周知されることだろう。言論人というのは、偉そうなことを言っても、本性は金にせこい連中だから、対日工作にコロリとやられてしまう。かつては、韓国のKCIAやその先兵となった旧統一教会の工作によって懐柔された政府要人や与野党議員が相当数いたと言われる。

 

だから、こうした工作は、左翼だけに限られず、右翼の方にもまま見られることである。内閣情報調査室の活動資金や内閣官房機密費から拠出された資金を受け取り、その結果として言論内容を変節させた者もいるし、米国CIAや韓国KCIAから資金供与されていた言論人もいる。中には、米国のCIAから資金提供されつつ、同時に旧ソ連KGBからも金を貰っていたという「ツワモノ」もいるのだからたまらない。韓国のカルト団体であるムン・ソンミョン率いる旧統一教会が「接着剤」となって、日韓利権にありついた政財官学のお歴々も多数いる。表向き反共を掲げていたムン・ソンミョンは、その後北朝鮮のキム・イルソンと会見し、北朝鮮での権益確保に乗り出すのだから、この融通無碍ぶりには驚かされる。国際勝共連合つながりで旧統一教会の日本布教の手助けをしてしまった笹川良一は、晩年になってそれを後悔する言葉を残しているが、いくら当時が冷戦の最中で、共産主義の脅威が現実のものとなっていたという事情を勘案しても、悲しいかな、旧統一教会霊感商法詐欺によって、どれだけの日本人の財産が韓国に毟り取られていったかを考えると、笹川良一のなした罪の部分が指摘されてもよいだろう。

 

戦後日本は、中共南北朝鮮に対して阿り、日本を罵り蔑むことばかりに邁進してきた反日左翼と、中韓には「毅然とした態度を!」と威勢のいいことを口にするばかりで何もせず、一方で米国に対して「毅然として屈従」して恥としないばかりか、そのケツを舐め続けることに喜びを見出す親米保守が大きな政治勢力となってきた不幸がある。前者は、憲法九条があれば平和が維持されるというお花畑幻想を振りまき、後者は、日米安保があるので平和が維持されてきたから、これからも米国にしがみついて生きていけばよいと思っている。もちろん、両者とも完全に間違っている。憲法九条があろうがなかろうが、現実の安全保障環境次第で平和が維持されることもあれば、壊れることもある。対して、日米安保があるからと言っても、日本と米国と国益が常に一致するなどということは所詮あり得ないことであり、しかも、米軍が今後も北東アジアで一定の軍事的プレゼンスを維持するかどうかも確証はない。

 

元朝鮮人慰安婦を支援すると称する市民団体も、前々から言ってきた通り、案の定、日本にユスリ・タカリを繰り返してせしめた資金をネコババするための「反日ビジネス」を展開していた実態が徐々に明らかになりつつある。さらに追及が深まれば、その資金の一部が内通している北に送金されている実態も明らかになっていくことだろう(ムン・ジェイン政権下では、真相追求の動きが阻止されるかもしれないが)。「歴史問題」とは、日本への外交的恫喝の道具と、日本を金づるとするためのユスリのネタでしかない。

 

日韓関係が悪化することを危惧する心ある韓国人は、今のムン・ジェイン政権が民主主義的ではなく、典型的な左翼全体主義を体現した政権であるかを切々と語っている。だから優秀な人間は、いち早く米国に向かおうとすると。韓国人全体が反日であるわけではもちろんない。異常な反日教育やメディアの煽動によって、反日的な人間が多いことは事実だが、そういう自国の潮流に強い違和感を抱くまともな韓国人も相当数存在するということを忘れてはならない。その韓国人までも敵にしてしまう「嫌韓」の風潮は、我が国の益にはならない。ましてや、民族全体を侮蔑する言動は、民族派としても許容することはできない。韓国政府の無茶苦茶な言動に対しては厳しく応じればよいし(我が国の政府も、少なからずイカれた言動で物議を醸しているが)、時には制裁発動もやむをえないだろうが、韓国人全体を総じて敵に回すのは賢明ではないだろう。

 

そもそも、どこの国であれ、何とかを支援する団体というのが如何に胡散臭いかは、その団体の代表的な人物が具体的に何で飯を食っているのかという卑俗な面からアプローチしていけば理解できる。日本の市民運動を率いる者が胡散臭いかどうかを見る一つの判断基準は、その者の食い扶持が何かがはっきりしているか否かである。専従活動家というケースが多いわけだが、そいつの生活費がどこから拠出されているのか調べてみればいい。僕は民族派の者だから、公安の刑事とも話を交わしたことがあるが、たいていの左翼活動家は素性が定かならぬ団体の役員(十中八九、外国の工作機関から資金が拠出されているダミー団体や会社)であったり、逆に公安に情報を売って生活している者であるとのことだ。

 

一例を挙げよう。憲法問題や平和運動で目立つ活動を展開している常連の市民運動家がいるが、この者は、実は中共を支持する弱小社会主義政党(政党といっても議席はゼロだから、政治団体というべきだが)の党員で、中核派革マル派といった極左暴力集団とは一線を画すも、極左路線を進むことでは共通している。憲法問題や平和運動をしている表の姿しか知らない者は、彼がどのようにして生活費を工面しているのか、ほとんど知らないはずだ。

 

数年前の「平和・安保」法制の問題や福島第一原発事故から単純に平和運動脱原発運動に興味を持って市民運動に参画した若者もいるだろう。意見は異なれど、その純粋な思いは理解できる。しかし、そう思えばこそ、そうした市民運動の専従活動家が実はどういう背景を持っている人物であるのかを知っておくべきだろう。しかし、彼は紛れもなく通常の職業を持って生活する者ではない専従活動家である。薄々疑問に思っても尋ねることを躊躇する人もいるだろう。だから、そういう人に目を覚まさせるためにも、彼の生活費等の出処を言っておいてもよいだろう。なんのことはない、少なくともこの活動家は、定期的に公安に情報を流す見返りに生活費を工面してもらっているわけだ。左翼活動すること自体が自己目的化した団体に往々にしてみられる一つの典型である。

 

疑問に思うならば、自らが参加する市民運動の代表者のホームページなりtwitterfacebookなどのSNSの内容を過去に遡って読んでみるといい。おそらく、政府や自民党または自衛隊や米軍の批判は散々やるものの、中共南北朝鮮についてはほとんど批判的なことを述べていないはずだ。もちろん現在問題になっている香港の強圧的な支配についてもほとんど触れず。仮に触れたとしても中共の暴政そのものには触れない。当然、ウイグルチベットでの大量虐殺について一言も批判しない。尖閣諸島への挑発行動や南シナ海での暴挙にも触れない。インドやブータンへの覇権主義的な振舞いも触れない。台湾への武力を背景とした恫喝外交も批判しない。北朝鮮に関しても、拉致や核やミサイルの問題については無視して日朝国交正常化を急げとだけ主張する。北朝鮮の代弁者であることが見え見えである。気がついた賢明な者は、こうした市民運動から距離を置き始める。

 

もう一つの典型が、先ほどの対日世論工作に組み込まれてしまった例である。今も、中共擁護のための無理筋の主張をして憚らない日本の「市民活動家」がいるが、この団体は一貫して中共の宣伝マンよろしく、ウイグル強制収容所を成功例として礼賛し、香港の暴力的制圧と民主活動家の逮捕をデマも交えて正当化する論陣を張っている。何せ、チベット侵略や天安門事件ですら中共の振る舞いを礼賛擁護しているので何の不思議もないわけだけど。あまりに露骨すぎるものだから、中共中央統一戦線工作部もしくは国家安全部の工作活動であることが丸わかりだ。何の恨みがあるのか、「リンゴ新聞」の黎智英氏や「民主の女神」として日本で特に有名になった周庭氏をこれでもかと貶めることに躍起になっている。露骨なまでの中共プロパガンダを背景にしたその主張Chinazismにドン引きした者も多かろう。

 

オブラートに包んで共産主義者の本性が出ないように「市民の側」に立ったリベラルの装いをし続けることができなくなったのか、遂には今回の米中対立を通じて、マオイズムにかぶれた左翼の残党が炙り出されたのは、唯一の成果かもしれない。普段は、人権だの平和だのと言い募りながら、いざ中共の問題となると、露骨にその宣伝マンになって、香港の民主化運動を中共のデマをそのまま持ち込んで罵倒し、チベットウイグルの問題にしても中共の主張を垂れ流して必死の擁護に努める。そういう本性を隠してきたものだから気がつかなった人もいるだろう。そういう人は、この機会で炙り出された極左の本性を見抜き、いち早くそこから離脱した方がいい。カルト団体から脱出をしておかないと、人生全体が不幸なものとなるに違いないからだ。

歴史の涙-昭和20年8月14日

 令和2(2020)年8月15日、終戦詔勅玉音放送を通じて国民に向けて発せられてからちょうど75年目を迎える。わが国の大方の認識では、終戦の日といえば終戦記念日とされる8月15日ということになっているが、少なくとも米国では、大東亜戦争終結の日といえば、ミズーリ号甲板上にて外務大臣重光葵日本国全権が降伏文書に署名した9月2日ということになっている。もちろん、わが国大多数の国民の認識が端的に誤りというわけではない。当事者双方の立場が異なっているのだから、受け取り方に相違があってもおかしくはない。降伏を認めるポツダム宣言受諾の意思を内外に表明した8月15日に国民が大東亜戦争敗北という事実を認識したわけなので、この日を以って組織的な戦争遂行意思が消滅したという意味において、「戦争の終わり」=「終戦の日」と認識するのは不合理なことではないだろう。

 

  今年は、COVID-19の感染拡大防止のために、先月中ごろの靖国神社での「みたままつり」も中止になったと聞く。終戦記念日靖国神社は例年なら大勢の参拝者で激しい人混みとなるが、今年はどうなるのやら。父方の曽祖父の兄弟(確か、海軍兵学校65期か66期だったと思うが)が靖国神社に祀られているので、命日の月に昇殿参拝することはもとより、春と秋の例大祭そして終戦記念日への拝殿前での一般参拝を日本にいる時は欠かさず行ってきたが、今年はそれもできそうにない。

 

  この日の米国での報道を見ると、平成と令和の御代しか知らない僕のような人間でさえ悔しさと同時に怒りさえ込み上げてくるのは、そのレイシズム剥き出しの露骨な日本人像のためである。戦前の日本が国際社会に向けていくら人種の平等を訴えても、欧米列強がその主張をことごとく撥ねつけてきた歴史が想像される。ニューヨーク・タイムズのバックナンバーを調べたらわかることだが、日本人のことを表すイラストは得体の知れないエイリアンのような巨大な怪物であり、「今後この日本人という名のエイリアンが再起できぬよう徹底的にその牙を抜かなければ行けない」というのである。白人であるドイツ人に対しては、「再び文明国として再興する手助けをしなければならない」といった論調なのである。これを初めて目にした瞬間は、頭に血が上って「アメ公にも、二発原爆おめみえしてやれ!」と思ったものだが、もちろんそんなことできないし、絶対やっちゃあダメだ。ともあれ、気持ちの上では「やられたらやり返す」というのは人間のごく普通の感情であって、それを実行に移さなくとも、心のどこかでそういう気持ちを失ってもまずい。

 

 大東亜戦争敗戦についての反省と教訓は、もちろん負ける戦をしてしまったことや戦禍によって多数の死傷者を生んでしまったこと、あるいは二度とこのような戦禍を招かぬよう最善を尽くすことも含まれよう。しかし、それだけではなく、仮に心ならずも戦争に至ってしまえば、「今度は必ず負けない戦にしてみせる」ということも含まれていなければなるまい。

 

 連合国の勝利は、アジア・アフリカ諸国にとって何の解放をも意味したわけではなかった。むしろ、アジアやアフリカを植民地にすることは欧州諸国の権利であるとばかりに日本の敗戦後にアジアの再植民地化に乗り出したことからもわかるように、連中は単に先発的な帝国主義国でしかなかった。英蘭は自国だけでは大日本帝国陸海軍を前にして手も足も出ずに敗走するより他なかったわけだが(マレー沖海戦では、英国が誇る東洋艦隊が全滅し、プリンス・オブ・ウェールズが海の藻屑と化したという報を聞いたウィンストン・チャーチルは大泣きしたらしい)、今も旧日本軍の行動に文句をつけている者が僅かにいる。一部捕虜の待遇について問題があったことは認めるにしても、英蘭にとやかく言われる筋合いのものではないだろう。英蘭がインドやジャワなどで何をしていたかを考えてみればいい。もちろん旧日本軍の振る舞いが決して誉められるような態様ではなかったことも認めるが、少なくとも英蘭といった旧宗主国帝国主義者から非難される言われはない。

 

 昭和16年からの大東亜戦争が、後にダグラス・マッカーサーも認めざるを得なかった通り、主として安全保障上の必要に迫れての自存自衛のための戦争であったとしても、開戦に至る過程全体を考えると、我が国の振舞いの中には後発的帝国主義国家としての側面を持っていたことは否定できず、大局的には先発的帝国主義諸国と後発的帝国主義諸国との権益争いの末の戦争でもあったと言える。当時は、列挙諸国に共通して見られた振舞いであったとはいえ、大正4(1915)年の対華二十一か条の要求は中華民国に対するあからさまな覇権主義的恫喝であって、これに対して中華ナショナリズムが湧き起こり日貨排斥運動へと進展していくのも無理ないことであった。特に、清朝を打倒して中華民国を立ち上げた面々が日本の明治維新に倣えと親日的な姿勢を示していたのに、この要求によって反日的な姿勢に転嫁していった過程を見ると、日本人として申し訳なさに駆られる。今度は逆に、中華民国に同情し支援すら惜しまなかった日本人の態度も日に日に増してくる中華ナショナリズムに基づいた日貨排斥運動に対する反発から、華人蔑視へと変容していった。この流れを加速していった契機が、1919年の五・四運動である。独善的な善悪二元論で物事を割り切る傾向にある日本の左翼はこの運動を単純に礼賛するわけだけど、物事そう単純なものではないということに理解が及ばないらしい。

 

 既に、日本の敗北が濃厚であることを認識していたにも関わらず、終戦後の対日政策を米国有利に進めるために、旧ソ連の対日参戦の前に早期終結を図るという目的だけでなく(ヤルタ密約により、米国は旧ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して満洲国及び我が国に侵略することを半ば承諾していた。コミンテルン日本支部としてモスクワの指令に基づきスターリンの意向に適うよう活動してきたのが日本共産党である。「侵略戦争に一貫して反対してきた平和の党」と威張っているが、ちゃんちゃらおかしい。スターリンを利するために活動していたに過ぎなかった。戦後もなお、虚偽の通報によって呼び寄せた巡査を十数人の共産党員が鉄パイプで撲殺した練馬事件を始め、数々の殺人事件や警察襲撃事件あるいは放火事件といった無差別テロを起こし続けきた集団である。こうした過去の行いを徳田球一の一派だけに責任をなすりつけ、「51年綱領」に則った党の正式な路線であったことを認めようとせず党史を捏造するばかり。「ソフト路線」の装いを凝らしてる現在でも、なお暴力革命路線を最終的には放棄していないと警察庁は警戒しているし、公安調査庁日本共産党破壊活動防止法に基づく調査対象団体であるとしている。要するに、我が国の秩序を暴力的に破壊しようとする団体であるというのが、日本政府の一貫した認識なのであり、このような団体が国会に議席を有していること自体が大問題なのである)、新型爆弾の破壊力を見るための実験として、米国は広島と長崎に原爆投下した。

 

 果たして、相手がヨーロッパ人ならばどうだっただろうか。おそらく、原爆投下は憚られていたのではないだろうか。ハリー・トルーマンフランクリン・ルーズベルトも筋金入りの人種差別主義者で白人至上主義者だったので、この想像は必ずしも的外れとは言えまい。広島に投下した後、間髪入れずに長崎にも投下したのも、ガン・タイプとインプロージョン・タイプ双方のタイプの原爆を試したかったからだろう。

 

 意図的に非戦闘員を狙って大量殺戮する行為はもちろん違法であって、もし極東軍事裁判がフェアな裁判であろうと企図していたなら、広島や長崎の住人を大量殺戮した行為や東京や大阪といった大都市住人の頭上に爆弾の雨を降らせた都市空襲によって大量殺戮した行為につき米国も裁かれるべきであったが(旧日本軍も、当時中華民国重慶を爆撃して非戦闘員の殺人をやらかしたこともあるけど)、極東軍事裁判東京法廷では、米国側の当事者が裁かれることはなく、専ら連合国に都合よく事実認定が行われ、まともな弁明の機会も与えられず、法の不遡及原則を無視した事後法による処罰というおよそ近代法における裁判とは言い難い共産主義者の常套とする「人民裁判」擬きのような茶番が行われた。いかに日本側主張がさしたる理由もなく提出証拠が問答無用に却下されたかは、『東京裁判却下未提出弁護側資料』(国書刊行会)が示すところである(それをまとめたものとして小堀桂一郎東京裁判 日本の弁明』(講談社学術文庫)があり、ここには米国連邦議会上院の外交軍事合同委員会における公聴会でのマッカーサーの証言も原文で収録されている)。

 

 戦前の傲慢が戦後の卑屈へと極端に変わり、戦前日本の全否定へと変節した「知識人」が左翼人脈を形成して我が国の世論を中共旧ソ連あるいは北鮮を益する方向へと誘導してきたことは既に知られるところとなったが、体制の中枢も同じく、似たような変節人士が大量に棲息していた(戦後の日本は、あろうことか、東京大空襲の責任者カーチス・ルメイに対して勲章まで授与する始末なのだから)。米国は日本のことを完全に舐めきっていて、特に核についての情緒的な対応を上手く利用して日本国民の感情を手なずけようとしてきた。その典型がオバマ政権だった。

 

 バラク・オバマが広島の平和記念公園を訪れ被爆者名簿が収められている慰霊碑に献花し被爆者団体の代表と抱擁を交わしたことを美談として、日本国民は諸手を挙げて歓迎した。ルース大使が記念式典に参列したことも含めてオバマ政権は「核なき世界」に向けて懸命に頑張っているという虚偽のイメージを信じて、朝日新聞から産経新聞まで揃ってこれを称賛した。核兵器の直接的被害を受けた国民として核の問題について情緒的な反応になってしまうのは自然なことであって、それ自体責められるべきことではないが、こうした情緒的反応でしか返せない日本のあり方を、米国は完全にバカにしているという事実を直視した方がいいかもしれない。

 

 それは、バラク・オバマという人物がどういう人物だったのかを調べてみればわかるはずだ。オバマは、「核なき世界」に向けて積極的にそのための行動を起こすことを世界に宣言してノーベル平和賞を受賞し、広島まで赴いて被爆者団体の代表者と抱擁を交わすなど、わざとらしい演出によりさも自身が「平和の使者」であるかの装いを凝らしていたが、舌の根乾かぬうちに今後20年間の新型の核兵器開発に1兆ドル以上の予算をつける決定を下しているのである。

 

 なぜ、こうした白々しい演出が施されたのか。それはちょうど、北朝鮮のミサイル開発と核開発が進展し、日本にとって一段と安全保障環境が深刻化した時期と重なる。中朝露といった核保有国を周囲に持つ日本にとって事態は相当深刻になっており予断を許さない状況に立ち至っていること、そして有事の際に日米安全保障条約に基づく米国の行動が確証できるか否かわからない状況からも、冷静に判断すれば、我が国の防衛において核保有の選択肢が議論されるに違いないだろうと安全保障の専門家ならば当然に予想されたからである。そこで、日本の「反核勢力」(その全てとは言わないが、左翼イデオロギーから「反核」を主張する勢力は、これまで西側諸国の核は汚い核であるのに対して、東側諸国の核は綺麗な核だと主張して憚らなかったし、今も人民解放軍のミサイル約2000発が日本に照準を合わせているというのに、中共に対してはほとんど批判をしないままである。要するに、「反核」とは表向きの看板であって、彼ら彼女らの本音は、中共を支援するために日本の国力を落とすことにある)を支援することで国内世論に楔を打ち込んだというのが真相だろう。

 

 米国は日本をプロテクトリーとしておくという戦後一貫していた対日政策の基本を崩したくないので、ことあるごとに日本の核武装の萌芽を潰してきた。有名なのは、1960・70年代に日本と西ドイツとの間で検討された核武装の議論を米国が封じてきたことだろう。日本が核不拡散条約の批准を渋り続けてきたのは、何とか核武装の選択肢を確保しておこうという思惑があったからである。この時期は、まだ戦前の教育を受けた官僚が中心であったから、こんなもの批准してしまったら今後の防衛政策の足かせになり、米軍依存から一層抜け出せなくなると考えた骨のある官僚もいたというわけだ。この辺の事情は、外務次官や駐米大使を務めた村田良平による回顧録『村田良平回想録』(ミネルヴァ書房)の下巻に詳しい。

 

 以後、ますます対米従属に拍車がかかっていく。そりゃ当然である。安全保障の要を米国に依存しておいて対米自立などできるわけない相談だ。対米従属を批判する左翼は安全保障の必要性を見て見ないふりをしてひたすら憲法九条をお題目の如く唱え続けるだけであった一方、自民党自民党で、憲法九条第二項を素直に読めば明らかに武装解除条項であるのに、自衛のための必要最小限度の実力部隊を保持することは憲法に違反しないと苦肉の策で誤魔化し続けてきた。もちろん、現実に自衛隊すら保持せずして安全保障を図ることなど不可能だから、改憲が難しい状況下での苦し紛れの「方便」だったことは理解できる。現に、我が国が独立を果たし必要な防衛力を備える以前に、韓国はドサクサ紛れに竹島を不法占拠するに至ったわけである。その際、数十人の漁民が虐殺され、また大量の漁船が拿捕されて人質に取られた事件をよもや忘れたわけではあるまい。島根県民の中には、この事件に関して韓国に憎しみを抱き続けている人もいるのだ。本来ならば、明らかな我が国領土に対する侵略行動をとった韓国に対して自衛行動を発動してもおかしくはなかったのに、この時期は日本の主権回復もままならず防衛力もなかった。この点においても、韓国の卑怯ぶりがわかろう。事態を漫然と放置し続けてきた日本政府は、いまだに竹島奪還のための具体的行動を起こしていない(不法占拠状態が数十年も継続している状態となっては、たとえ軍事的には竹島奪還が容易であったとしても、政治的に軍事オプションはとれない)。

 

 米国は、かつての敵国である日本とドイツが復活して再び米国の脅威となることを封じておくために、自主的・自立的な防衛能力を持つことを決して容認しなかった。その代わり、安全保障条約に基づく防衛義務を設けることで両国をなだめようとしてきた。北朝鮮などの脅威を前にして、再びそうした議論が巻き起こらぬよう米国はそれを封じる手に出たといってよい。それがオバマの態度にも現れ、これまで被爆者団体に見向きもしなかった米国の態度の豹変ぶりにも現れている。

 

 NPT体制に入ってしまった現在の日本が、今更この体制から離脱することが最良の選択であるのか否かは議論のしどころだが、よほどの覚悟がなかれば核武装の選択をとるとの決断はしにくいだろう。核不拡散体制からの離脱は政治的・経済的リスクが大きすぎるという意見もあろうし、核兵器は水鉄砲のような玩具ではないのだから安易に弄ぶ議論や早急な判断は慎まれるべきで、デリケートな被爆者の心情にも慮った丁寧な議論となるべきだ。

 

 しかし、我が国を取り巻く安全保障環境は日増しに厳しい状況になっていることも確かだ。ケネス・ウォルツやジョン・ミアシャイマーなどリアリズムに立脚する米国の国際政治学者や安全保障の専門家ならば、日本は当然核武装の選択肢を視野に入れた防衛政策への転換を図らざるを得ないと考えている。彼らは別に好戦的な主張をしていないし、好戦的な気質の人物ですらない。むしろ、その逆である。彼らはベトナム戦争にも反対したしイラク戦争にも反対してきた。「中東の民主化」と称して中東に介入することにも反対してきた。米国のGDPが世界のそれの50%以上を占めていた1950年代までならともかく、その時期から明らかに衰退傾向にある米国の相対的国力からして、世界覇権を維持し続ける戦略は非合理的で非現実的な選択でしかない。

 

 ベトナム戦争イラク戦争あるいは誤った中東政策を主張してきたのは、ジョセフ・ナイJr.やらジョン・アイケンベリーなどといったリベラリストの方である。彼らのプランがいかに杜撰であったかは、イラク占領においても日本でのGHQ方式による統治モデルが妥当すると考えていたことにも現れている(日本も随分舐められたものである)。悲しいかな、日本国民が感情的にその選択は採りたくないと思ったところで、安全保障環境の厳しさが増している情勢がそれを許してくれない。事態がさらに深刻化するならば、好むと好まざるとに関わらず、日本国民はその選択の是非についての判断を迫られる時期がやってくる。

 

 安全保障論は、常に相手あっての議論である。こちらがいくらきれいごとで言葉を着飾ろうとその言葉を真に受けてくれる相手であるわけではない。外交は単なるおしゃべりの結果ではなく、軍事の裏づけがあって初めてまともに機能する。何らの力の裏づけなく、ただ単に美辞麗句を並べて外交交渉で解決すると言ったところで誰も本気で相手にしてくれない。会議で膨大に積み上げられた契約書類の山を持ち出したところで、最終的にはレボルバーというthe last resortを持った者の意向を無視できない。

 

 ある安全保障状況の中に置かれて、自らの経済的規模に見合う防衛力を欠如させることになれば、その状況における「力の空白」をもたらし、その状況を不安定にさせてしまう。いかに「力の均衡」を図ることで状況を安定させ平和を維持するか。そのバランス感覚を失い、ひたすら「平和」を合唱しているだけでは紛争を誘発することにしかつながらないだろう。逆に、周囲の状況からして無碍な軍拡を一方的に進めることも周辺諸国の警戒感を増幅させ、徒な軍拡競争を誘発させてしまうセキュリティ・ディレンマに陥らせてしまう。

 

 北朝鮮は核による恫喝外交を止めるどころか、ますますエスカレートしていくだろうし、中共は「九段線」という身勝手な理屈を根拠に南シナ海全域を支配していったように、やがて尖閣諸島や沖縄まで東シナ海全域をも我が領海だとしてその排他的支配のための軍事的圧力を加えてくるだろう(1992年に制定した「領海法」の主張を周辺諸国に力づくで押しつけてきている)。さらには外洋にある沖ノ鳥島周辺の我が国のEEZの海洋権益まで主張してくるのも時間の問題だ。中共の目的は、西太平洋を自らの支配下に収めることだと公然と主張していることからして、当然の行動である。習近平オバマとの会談で、米中両国により太平洋二分論を提案した時、オバマはまともに取り合わなかったが、習近平の決意は本気のようだ。それは、外交を取り仕切る楊潔篪中共中央政治局委員の発言にも現れている。尖閣諸島で何らかの軍事的衝突となるのは不可避かもしれない。それが米中全面戦争にまで拡大することは両国が核保有国なので回避されるだろうけど、米国の安全保障専門家の中では、米中の限定戦争が勃発する可能性は大きくなっているとの意見がかなりの数出始めている。

 

 オバマ政権は「中東和平」と言いながら、やっていることはシリアやエジプトそしてリビアの政局を不安定にし、中東を安定化させるどころか逆に混乱する政策を一貫してとり続けた。エジプトの例など特に酷く、独裁者ムバラクを米国の意に沿わぬ者として追放した後、選挙によって米国にとって不都合なムスリムブラザーフッドの者が大統領に就任するや、気に食わないとしてCIAの工作によって国軍にクーデタを起こさせ追放しもした。

 

 オバマの下した暗殺命令の数は3000件を超え、この数はオバマより前の歴代大統領が下した暗殺命令の合計よりも多く、前任者のブッシュのそれの十倍以上もの数で、暗殺候補者リストを見ながら暗殺指令を下す火曜日の午後は、ホワイトハウスではTerror Tuesdayと呼ばれていたほどの「殺人狂」だったことで知られる。暗殺の手段はたいていドローンを利用した暗殺方法が採られていたが、オバマ政権の頃は、さらにSignature Killingまで行われていた。これは暗殺リストに載っていない者であっても、米国本土にある基地に映し出される映像から少しでも怪しい行為だと判断すれば、根拠さだかならぬとしても殺して構わないというものである。だから、オバマの下した暗殺命令によって殺害された人数は3000人どころか、さらにその何倍もの数に上ると言われる。更に、前任のブッシュ政権時、キューバにおける米軍占拠地グアンタナモの収容施設におけるCIAによる拷問行為が暴露されて問題になったが、オバマはこの問題を解決するとして収容者全員を処刑した。

 

 国務長官を務めたヒラリー・クリントンの常軌を逸した言動はより知られているが、有名なところでは、リビアカダフィ大佐が血まみれになって殺害された映像を目にしたヒラリー・クリントンの反応だ。We came, We saw, He died!と手を叩き目を輝かせて狂喜するというもので、この映像が出回りヒラリーは火消に回るも既に遅し。米国に敵対するイランに対しても、We will obliterate Iran!(obliterateというのは相当強い表現で、地上から跡形もなく消し去るという意味である)とまくし立て、周囲の閣僚をドン引きさせたいわく付きの女でもあった。

 

 二度の原爆投下で敗戦が決定的となった状況でも、ポツダム宣言受諾をめぐって鈴木貫太郎内閣は、東郷茂徳外務大臣や米内光政海軍大臣などの「和平派」と阿南惟幾陸軍大臣の「主戦派」の意見の一致を見ず、その輔弼機能を喪失するに至った。最終的に陛下の御聖断を仰ぐことになったが、たとえ国体護持の確約や玉体の安全が守られる確証がない状態であろうと、これ以上の戦争遂行はできない以上、ポツダム宣言を受諾し戦争を終結させるべしというものであった。8月10日深夜の御前会議でのことである。

 

 昭和天皇は、一貫して立憲君主として振舞われ、原則として直接個々の政治判断に介入されることはなかったが、例外的に直接その御意思を表されたのは終戦の御聖断と昭和11(1936)年の二・二六事件の時である(もちろん内部的には、例えば木戸内大臣その他大臣や軍幹部に対して時局に関する御下問が色々あったりと、内奏時に政局に関する感想を時折述べられることはあったが)。二・二六事件は、陸軍皇道派青年将校に率いられた将兵千数百名が昭和維新・国家革新を唱えて蹶起したクーデタ未遂事件であるが、その時は首相官邸や警視庁など政府中枢機関が襲撃され、閣僚にも死傷者を出すなど当時の岡田啓介内閣が機能不全に陥った。側近を殺害された昭和天皇の逆鱗に触れることになり、「朕自ら近衛師団を率いて、これが鎮圧にあたらん」と仰せになるなど、直接に政治的意思決定に関与なされた。いずれのケースも、天皇を輔弼する役割を担う内閣がその機能を喪失してしまった場合である。

 

 ポツダム宣言受諾をめぐって政府中枢の意見は二分され、「和平派」と「主戦派」との意見集約が不可能な状態に陥っていた。特に陸軍内部の「主戦派」の勢いが強く、クーデタがいつ起きてもおかしくなかった。事実、近衛師団の何人かの将校はクーデタを起こして戒厳令を敷き、「和平派」要人を拘束した上、宮城と「和平派」の連絡を遮断し、「主戦派」が主導する内閣の樹立を図る計画が進められていた。そういう緊迫した状況の中での御聖断であった。

 

 終戦の御詔勅を国民に周知される玉音放送ための録音が行われたが、そのレコード盤を奪取しようと、8月14日深夜から15日早朝にかけて、近衛師団の一部将兵が蹶起し宮城に侵入するクーデタ未遂事件が起こった。いわゆる宮城事件である。15日早朝には首相官邸や枢密院議長宅、木戸幸一内大臣邸なども相次いで襲撃されたが、15日正午に全国民に向けて放送される直前に鎮圧されたこの事件は、映画『日本のいちばん長い日』やテレビドラマ「歴史の涙」でもよく知られている。阿南惟幾大将は8月14日深夜から翌朝までの間に、「一死以て大罪を謝し奉る。神州不滅を確信しつつ」と記した遺書をのこして割腹自決を遂げた。なお、この血染めの遺書は、靖国神社に併設された遊就館で見ることができる。ちなみに遊就館を隈無く見物しようとすれば、丸1日要する。神風特別攻撃隊で散華された英霊の遺書も展示されており、鹿児島県にある知覧特攻平和会館と並んで、日本人なら最低一度は見学しておくべき施設だろう。僕が通っていた小学校が、ちょうど靖国神社近くの九段下にあるカトリックの修道会の一つマリア会の学校だったが、靖国神社に対しては丁重に遇していたし、式典の際には日本の国旗も掲揚されていた(同じキリスト教であっても、西早稲田あたりにいるプロテスタント系の反日左翼団体が靖国神社を冒涜し続ける活動をしているのと対照的だ)。これ以上戦争継続は困難であることを理解しつつも、国体の護持が確約されない限り降伏することはできないと考える陸軍の一部勢力の暴走を封じるために微妙な立ち位置に置かれていた阿南大将の心境が察せられる。

 

 仮に、この8月14日のクーデタ未遂が成功し、「主戦派」の通りに本土決戦になっていたらと考えるとぞっとする思いがするが、同時に、もっと早期に戦争終結が可能であったと言えるのかというと、頭の体操としては可能だったと言えるかもしれないが、現実的には難しかっただろう。なにせ、沖縄が陥落し、二度も原爆を投下されてもなお徹底抗戦を主張する勢力が多く、事実としてクーデタ未遂まで起きていたほどなのであるから、終戦工作が早期に図られるべきだったというのは、そうした現実を見ない机上の空論でしかない。米英に宣戦布告した昭和16年12月8日から数か月間は我が国の優勢であったが、ミッドウエー海戦以後の形勢逆転時に講和に持ち込むべきだったという案もあり、なるほど、そうした案が一度は検討されたことはあったが、米国は開戦前から日本占領を企図していたことがルーズベルトチャーチルとの間の密談内容から明らかになっている以上、開戦したからには日米双方が承服可能な講和条件が提示されるだろう期待は持てなかった。そもそも講和に応じるほどならば、急遽内容を日本側が承服できないだろうとわかっていた条件を敢えて付加したハル・ノートを突き付けることはなかった。

 

 この点、左翼は昭和20年2月に近衛文麿昭和天皇に上奏した所謂「近衛上奏文」を持ち出し、終戦時期が延期されたのは昭和天皇の判断であり、この判断の誤りによってその後の沖縄戦や都市大空襲や原爆投下の惨劇が起こったと、「反天皇制プロパガンダのための捏造すらやってのける。一度戦果をあげてからでないと終戦は難しいという判断は、前後の文脈から戦争遂行を指示されたことを意味するわけでも何でもないことくらい容易に理解できるにも関わらず、そう受け取らずに、近衛の終戦提案を退けて戦争継続を命令したと受け取っている。まず日本の統治システムがどうなっていたのかの理解に欠けている以前に(天皇について、専制君主であったかのように完全に誤解しているか、わざと自身の政治信条に都合よく捏造している)、文脈を捉えてその意味を解釈しようとせず、言葉尻を捉えて曲解に曲解を重ねる悪質性が目に余るわけだが、昭和20年2月の段階で軍部が素直に終戦の判断を受け入れることはないので終戦に持っていくのは難しいという判断は、当時の情勢からして極めて的確な判断であり、この昭和天皇の御判断は戦争継続の御命令ではなく、情勢の客観的判断であった。こういう時にふと思い出されるのは、終戦を迎えて態度を豹変させて天皇を愚弄した上官を殺害した後、自らをも処決した蓮田善明のことである(文学的には、日本浪漫派の中で一番好きなのは伊東静雄だけど。ちなみに、僕が好きな杉本秀太郎大江健三郎も、この伊東静雄のファンである。前者には『伊東静雄』があるし、後者には『僕が本当に若かった頃』がある)。

 

 日米対立が決定的となった契機は、南部仏印進駐であると言われる。確かに間違いというわけでもないだろう。実際、南部仏印進駐が現実になるや、米国は資産凍結命令と対日石油禁輸を発動したわけだから。ただ、この時点では、対日強硬論で一枚岩になっていたわけではなかったという事実も見ておかねばならない。海軍作戦部長だったターナーは、対日石油禁輸は日本の蘭印やマレーの進出を招来し、その結果として米国が早い時期に太平洋上の戦争に介入せざるを得ない状況に至るとルーズベルトに進言し、ルーズベルトも当初は、ウェルズ国務副長官に対して、石油の全面禁輸を避けるようにとの指示を出していたのである。更に、輸出管理局も、国務・財務・司法省合同外交資金管理委員会に対して、日本に45万ガロンのガソリンを含む輸出許可を出していた。

 

 ところがこの決定は、アチソン国務次官補の決定によって覆されてしまった。ルーズベルトは、8月3日からニューファンドランド沖の船内でおこなれるチャーチルとの秘密会談のためにホワイトハウスを不在にしていたわけだが、そのルーズベルトチャーチルとの秘密会談の場で対日開戦を決意するとともに、開戦の口実作りのために日本から先に攻撃をするよういかに挑発するか、また日本に勝利した後で日本を永久に武装解除させ、米国のアジア拠点として属国化する計画を練り始める。つまり、真珠湾攻撃の4か月も前に、ルーズベルトは日本が戦争に踏み切るよう仕向け、対日戦勝利後の日本の武装解除を決断していたのである。

 

 対日石油禁輸にあたり近衛文麿内閣は、事態打開のために近衛・ルーズベルト会談を提案し、あくまで外交交渉を優先して対米政策を講じたのだが、東条英機陸軍大臣が拒否して近衛内閣が崩壊してしまう(山縣有朋が導入して一旦廃止されたものの廣田弘毅内閣が再び復活させてしまった軍部大臣現役武官制の欠陥の現れの一つ)。この時点では日本としても、少なくとも近衛からすれば、①シナからの撤退、②南部仏印からの撤退、③三国同盟からの離脱ないしは事実上の骨抜きという米国側の要求にも応じる心づもりはあった。米国の国務省も、暫定協議案を日本に提示する予定もあったという。ところが、突如として国務長官ハルが日本が絶対に飲めない④満洲権益の放棄という条件を追加した「ハル・ノート」を突き付けるわけだが、これはその内容から事実上の外交交渉打ち切りの宣告を意味した。内容が日本政府に打電された11月26日、連合艦隊の約50隻の艦艇がハワイ攻撃に向けて択捉島から出港したのであった。だから問題としては、ハル・ノートに至る手前で阻止できたかどうかということになるだろう。

 

 ハル・ノートについては近年、中華民国の対米ロビー活動が果たした役割も注目されているようだが、それが決定的な重要性を持っていたかは歴史学の研究者でもない僕にはわからない。ただ、いずれにせよ、突如として④の項目が追加されたのはなぜなのかを理解するにあたって、注目しなければならないのは、やはりニューファンドランド島沖に停泊していた船内でのルーズベルトチャーチルの秘密会合の果たした役割ではないかと思われる。だとするなら、対米開戦は米国により仕掛けられた罠にまんまと嵌められた結果だと言えなくもない。とはいえ、日本政府は間違っていなかったというわけでもない。罠であれ、罠であることを見抜けずみすみす術中に嵌まった日本政府の判断には瑕疵があったからである。個人間の関係では罠に嵌められた方が被害者で嵌めた側は加害者だとするのに理があるけれど、国際政治の舞台における国家間の利害関係が絡む「ゲーム」では、そういう理屈を押し通すことはできない。

それをいっちゃあ、おしめえよ

先月末、京都市内に在住のALS患者に対する嘱託殺人の疑いで、医師2人が京都府警に逮捕された。筋萎縮性側索硬化症は、筋肉が萎縮し徐々に筋力が低下していく進行系神経変性疾患で、治療法は未だ確立されていない難病である。理論物理学スティーブン・ホーキングがこの病を患っていることで、意外と世に知られているのではないだろうか。

 

漕艇部でコックスを務めるなど、スポーツにも打ち込んでいたホーキングを襲ったのは、彼がケンブリッジ大学の院生時代だった。自由が利く左手の小指と薬指で(後には、眼球の動きなどを利用して)機械を操作して意思疎通を図る「車椅子の天才物理学者」として知られ、「人類最高峰の頭脳」とまで遇せられいた。数年前、残念ながらホーキングは亡くなったが、いつ亡くなるかという不安の中で、それでも70代半ばまで生き続け、その生涯において、ホーキング輻射の理論や、ロジャー・ペンローズとの共同研究で特異点定理を発表し、ジム・ハートルとの共同して無境界仮説に基づく宇宙論を打ち立てるなど、画期的な業績を上げた。

 

それはそれとして、この事件で亡くなった患者が具体的にどのような生活を送り、どういう苦しみを抱えていたかは想像するより他ないので、この女性が死という選択をしたことそれ自体に対して賛意を表したり、また逆に非難するといったことはする気もないし、またそうする資格を欠いている。ただひたすら、「ご冥福をお祈り申し上げます」としか言えない。

 

気になるのは、この事件を「優生思想」が現れた末での事件であるかのように議論されたり、中には、「新自由主義」と絡めて取り出されたりと、およそ「優生思想」の歴史的展開について多少勉強すれば出てこないような杜撰な話に流れて行きそうな点である。一口に「優生思想」といっても、僕のような全くの門外漢にとってさえ、その内容は存外複雑であることは承知している。例えば、フランシス・ゴルトンのような比較的単純な見解もあれば、中立進化説で知られる木村資生のような見解もある。集団遺伝学の発展に伴い、その知見が生態学に応用される形で提唱されたウイルソン社会生物学も、見ようによっては「優生思想」を背後に忍ばせた思想だと言えてしまうだろう。

 

英国で「優生思想協会」ができた頃に、熱烈にこの「優生思想」を支持していたのは、カール・ピアーソンのような(マルクスレーニン主義とは別の系統の)フェビアン協会社会主義を奉じる人々が多くいた。それにも関わらず、「新自由主義」と結びつけて論じようとする安直な議論も目立つ。そうした主張をする者は、おそらく優生学史に関する基本的知識がないままに、単純に「弱者切り捨て」というイメージだけに基づき、「優生思想」というフレーズを連呼しているのかもしれない。事実、この事件後に発せられた数多の論者の見解の中で、この事件と「優生思想」と結びつけて論じる論者は、進化論や優生学史についての知見に乏しい人が多く、逆に、この方面の知識に案内のある者は安易に「優生思想」という文言を用いていないように見受けられる。

 

もちろん、この事件の背景にある考え方が「優生思想」と一切無関係であるとまでは断言するつもりはない。しかし、かなりかけ離れたものであると考える専門家の方が圧倒的に多いのではないか。結局、銘々が勝手に抱いているイメージに基づいて批判しているのであって、「優生思想」の根深さというのは、ピアーソンのような比較的穏健な社会主義思想を抱く者にも、一見「人権」だの「平和」だの「平等」だのといった耳障りのいい標語を唱えているだけのリベラルな者にも、ナチズムやコミュニズムの信奉者にも、その片鱗が見られることである。からも明らかである(ナチズムばかりが喧伝されているが、コミュニストも似たような政策を採っていた)。ジョン・ロールズ『正義論』と「優生思想」を絡めて論じたアラン・ブキャナンのFrom Chance to Chois: Genetics and Justiceだってある。それゆえ、この件を「優生思想」に基づいた嘱託殺人だといって社会問題化したところで、かえって「優生思想」の根深さが隠蔽されてしまうように思われてならない。

 

今回の事件に関しては、少なくとも報道されている通り、この医師が特異な主張をしていて、その考えに基づいて事件を起こしたのが事実であるとするなら、これは「優生思想」云々というレベル以前の話でしかなく、単に頭がイカれた医師二人が起こした妄動であるにすぎないと考えておくべきではないか(相模原障害者施設殺傷事件にしても然り。ただ、あの事件に関しては思い出すたびに内臓が抉られるような思いがして、まだ冷静に見ることはできそうもない。生き残った重度の精神障害を持った負傷者が病室で看病する両親を呼び続けている姿を見た御両親が、改めて「無駄な命なんかじゃ絶対にない。この子が生まれてきてよかった」と心底思ったことを語った記事を目にして、思わず号泣してしまって以降、特に気持ちの落ち着かせる場所が見いだせないのである。この御両親にとって、この重度の精神障害者とされた子は、おそらく「天使」に違いないのだ。そう思うとき、ふと脳裏をよぎるのは良寛様であるのが不思議である)。

 

この事件直後に、れいわ新撰組選出の参議院議員舩後靖彦が、「インターネット上に『安楽死を法的に認めてほしい』というような反応が出ているが、人工呼吸器を付け、ALSという進行性難病とともに生きている立場から強い懸念を抱いている」と声明を出し、その中で「こうした考え方が難病患者や重度障害者に『生きたい』と言いにくくさせ、生きづらくさせる社会的圧力が形成していくことを危惧する」と述べた。ALS患者という当事者として、さらに国会でも精力的に活躍している議員として、至極まっとうな見解である(その中で「生きる権利」・「死ぬ権利」という表現があったが、後に触れるように、この表現に関しては違和感がある。舩後議員は、そういう言葉が流通してしまっている現状を踏まえ、敢えてこの言葉を使ったのだろうと思われるが)。

 

この発言に対して、日本維新の会幹事長で衆議院議員馬場伸幸が、「議論の旗振り役になるべき方が議論を封じるようなコメントを出している。非常に残念だ」だの「れいわの議員(舩後靖彦と脳性麻痺を患う木村英子両議員を指しているのだろう)は積極的に国会で議論する役目がある」だのと批判したという。個別の事件を離れて、一般に終末医療の在り方や個人の尊厳ある生き方、特に重度の障害や疾患を持つ人々の生き方などについて、それをサポートするための政策論上の議論が必要になってくる場面はあろう。但し、この問題は非常にデリケートな問題だから、慎重の上にも慎重を重ねた議論が必要で、個々の議員の判断を可能にするだけの十分な見識がない状態では、安易に手を付けるべきではない。アホな奴がアホな判断しかできないままで早急に結論を急ぐと、必ずアホな結論に至るからである。

 

しかし、馬場の発言は事態の前後の文脈からして、そういう類のものではない。ALS患者への嘱託殺人事件が起き、しかも、その容疑者が「優生思想」云々というレベル以前のイカれた考えに基づいて実行した事件直後に発せられたALS当事者の声明に対して、「議論を封じるようなコメント」と批判したのである。これが、特に当事者にとってどういう意味として理解されるかを想像できないのだろうか。今後こういうことも許容されるような法整備について国会でも議論すべきなのに、その議論を封印するのはおかしいとでも言いたいのだろうか。第一、人としてどうかしている思われるが、少なくとも国会議員の発言として論外中の論外である。はっきり言おう。完全にイカれている。

 

国家は、最低でも当該国家に帰属する全ての国民の生命を守ることを第一義とするところにraison d’êtreがある。国民の生命を何らかの事情によって半ば意図的に奪うような方向の「政策」についての議論は、少なくとも前国家的・前憲法的前提としての「個人の尊厳」を至上の価値として、それを守るための諸々の基本権体系とこれを担保する統治制度を具備した近代立憲主義国家としての政策論議の名に値しないのだ。「死ぬ権利」というが、「死ぬ」ことに権利も何もあったものではない。ついでに言うと、「生きる権利」というけれど、「生きる」こと自体に権利もヘチマもない。

 

生存権」とは「生きる権利」と同義ではなく、したがって憲法25条の「生存権」規定は「生きる権利」なるものを保障した規定ではない。権利とは、原則として「生きていること」を前提にして初めて成り立つものである。胎児などの権利を認める特別規定の存在ような例外はあるが、これは、民法上の権利能力取得を母体からの全部露出時という解釈があるからだし、刑法上の法益主体となるのは、直接身体が侵害される可能性が生じる一部露出時とする解釈があるからである。いずれにしても、これから「生きよう」としている生命体だ。生存権」は、現に生きている人の存在を前提として、その上で、原則としてその者が国民として包摂される権利主体ならば、国民として「健康で文化的な最低限度の生活」が保障される地位にあることを意味する。現に生きている存在が一定の法的保護に値する身分または地位を持つか否かという区分けに関わる次元で問われるものであって、ある人間の「生きる」・「生きない」を区分するものでも何でもない。そもそも、法ごときが「生きる」ことを権利化してその有無を決せられるわけないことぐらい誰でも多少考えればわかるだろう。馬場の発言は、国政のあり方を最終的に決定する力でもあり権威でもある国民からの付託にこたえるべき「全国民の代表」として全く相応しくない発言であって、この発言自体が議員辞職に値する妄言なのである。

 

さすがに日本維新の会代表の松井一郎は、この馬場のイカれた発言に対して問題であると批判し、自分は舩後の立場と同じくすると火消に回ったが、この妄言に対して日本維新の会としてどうけじめをつけるのか注視していく必要があろう。思い返せば、日本維新の会は、舩後靖彦、木村英子両議員が国会で議員活動を全うするための介護者の負担をどうするかについて、「議員特権」が云々と寝ぼけたことを言っていたはず。国会議員にALS患者や脳性麻痺患者が就くことを想定してはいなかったことまでは理解できなくもないが、現実に参議院議員に選出されたのだから、両人が「全国民の代表」として国会での議員活動を全うできるだけの可能な限りの整備を行うために国会で予算措置をとれば済む話であり、こうした予算措置を講じたからといって直ちに「議員特権」となるわけでもない。こういう意味不明な与太事を吐いていたのも、日本維新の会の党員であった。

 

かつて、元キー局のアナウンサーだった者が「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担させよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」との表題をつけたブログ記事を載せたことがあった。こういう表題を掲げるような者が国会議員になろうものなら、それこそ「日本を亡ぼすだけだ!!」なのだが、幸いなことに落選した。問題は、このブログ記事が書かれた翌年の衆議院議員総選挙において、日本維新の会はこの者を公認候補として擁立していたということである。しかも、二年後の参議院議員選挙において、一旦は比例区の公認候補者ともなっていたところを見ても、党としてさほど問題視していなかったことが伺える。その後、被差別部落に対するあからさまな差別発言が問題視されて公認辞退に至ったようだが、度重なる暴言を吐いてきた人物をなぜこの政党は容認し続けたのか。この点にも説明責任があるのに、その責任を公党として果たしているとは言い難い。

 

ちなみに、日本近世史・中世史研究におけるこの方面の研究はかなりの蓄積があるから、そのすべてとはもちろん言わないが、ある程度の知識を踏まえて述べないとテンで話にならないわけだ。歴史学の専門研究書は素人で読みこなすのも大変だろうから、かなり独自色が強い面もあろうが、網野善彦の書いた一般向けの書物としても読めるだろう『無縁・公界・楽-日本中世の自由と平和』(平凡社)とか『異形の王権』(平凡社)といった名著があるので、そこから始めてもよい。網野は政治思想的には左翼で僕とは真逆の人物だけど、それでもなお、これらの書は紛れもなく名著であり何より抜群に面白い(面白いことに、網野の中世史研究に影響を与えたのは、これまた真逆の思想の持主である平泉澄なのである)。何と、日本史とは豊かなものであることか、と改めて気づかされもする。併せて、折口信夫柳田國男の被差別民の研究を読むのもいいだろう。日本にもこうした偉大な学者がいたということ、そして彼らの虐げられた人々に対する眼差し、それも単に憐みの対象としての眼差しではなく、そこで逞しく生き続けてきた人々に対する信を置いた眼差しすらも感じることができるかもしれない。

 

それはともかく、日本維新の会の議員全てとは言わないけれど、どうもこの種のトンデモ発言をする者が関係者の中で目立つように思われるのは気のせいだろうか。急成長してきた政党にありがちなことだが、議員としての資質に難ありとおぼしき人物が一定の地位に収まると、党全体の体質がそうなのではないかと疑われてしまうだろう。この面子を見て、「ヤバい!」と感じてしまう人物があまりに多いのだ。候補者選定は慎重の上で念入りに行われないことには、更にとんでもないのが瞬く間に出現するかもしれない。

 

世界的に見て特に政治家の質が劣化している状況の中で、日本の国会議員のそれの劣化が著しくなった要因がなにかははっきりしないが、少なくとも衆議院において中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に改められたことも関係しているのではないか。確かに中選挙区制の下では政権交代が起きにくいとされているが、政権交代自体が必ずしも良い結果をもたらすとは限らないわけで、現に旧民主党政権を経験した国民は、あの時代の悪夢をトラウマとして持っている。そのため、いくら安倍晋三内閣がデタラメなことをし続けようと、政権を野党に託そうとする声には結びつかない。つまり、旧民主党政権の悪夢が安倍晋三のデタラメを温存させているわけだ。政権交代によるよき政治への転換という夢物語を抱くよりも、自民党内の相互牽制の力学が機能していた派閥均衡型政治による安定した運営の方がよほど危険度は小さくて済むのだから、まずは中選挙区制復活を図るべきだろう。

経営学についての雑感

第二次ベビーブーム世代が18歳になる頃を見計らうかのように、1990年代前半になされた大学設置基準の大綱化の影響で雨後の筍のように大学が乱立することになり、とにもかくにも大学進学することが望ましいという故のない妄想が日本社会を覆って行った。工業高校・商業高校・農業高校・水産高校が軒並み閉鎖されて行き、大学進学を視野に入れた全日制普通科高校ばかりになっていった。その傾向の直接のあおりを受けたのが、高等専門学校(高専)ではないだろうか。かつては、日本経済を支える生産ラインを担う有為な人材の供給源の一つでもあった地方の高専のレベル低下は著しく、今や地方の中学生の成績上位層が積極的に選択する進路とは言えなくなったと聞く。更に、共通一次試験の後継たる大学入試センター試験が定着したことや、大学受験予備校主催の模擬試験で作られた偏差値による一元的序列化などの事情が重なり、地方の国立大学のレベル低下に拍車がかかり、社会全体の東京一極集中化の流れと歩調を合わせるかのように、東京の大学に人材が集中して行った。日本経済の長期停滞が少子化の流れを加速させるに連れて、乱立された私立大学の中は、学生獲得のために受けのよさそうな流行を意識した名前の学部を創設して生き残りを図ろうと「改革」に邁進した。文部科学省の方針も手伝って、「総合」なんちゃら、「グローバル」なんちゃら、「ビジネス」なんちゃら、「フロンティア」なんちゃら、「メディア」なんちゃらなど一見したところ何を学ぶのか不明な名前の学部が量産される一方、理学部、医学部、工学部、農学部、薬学部、文学部、法学部など「一文字学部」の新設が抑制されていった。

 

そもそも日本の大学に進学したからといって得られるものは少ない。ごく一部の研究者・教育者を除き、「教養人」・「知識人」と言える大学教員は数少ない。のみならず、専門分野での業績すらさしたるものが存在しない者も目立つ。学生も学生で、教員のレベルに比例して総じて低いレベルに止まる。「学生のレベルが低い」と嘆く教員もいるが、それは教員自身のレベルの反映つまりは自己を写した鏡であることに気がつきもしない。教員のレベルが高いにもかかわらず学生だけが低レベルなどいうことは通常考えられない。そうした従来の学部の中で、まだ辛うじて人気を得ているのが経営学部かもしれない。商学経営学は厳密に言って同じではないものの、既存の商学部経営学部やら現代経営学部やらといった名称に模様替えしくといった光景も見られた。米国を真似して、ビジネス・スクールといった専門職大学院も矢継ぎ早に創設されるなど、経営学部系の部門が拡充されていった。

 

こうした状況について、当時東京大学総長だった蓮實重彦は、「ビジネス・スクールよりも無用の学を」と主張していた。それもそのはず、当時はビジネス・スクールの本場である米国では、ビジネス・スクール内から今日のビジネス・スクールの在り方を疑問視する声が出始めており、『ハーバード・ビジネス・レビュー』でもビジネス・スクールの弊害を論じる論文すら掲載されたほどだったわけだから、日本にもビジネス・スクールをという多数の声に対して蓮實が異論を挟みたくなるのも当然だろう。この点でも蓮實重彦の慧眼が際立つ。蓮實重彦東京大学総長の職に就いていた頃、あくまで裁量の範囲内として許さる限りで基礎科学の研究、中でもスーパーカミオカンデを利用したニュートリノの観測といった素粒子物理学に思い入れ深く関与したという。この点でも、何が基礎科学において人類史的偉業につながる研究なのかを朧気ながらでも見抜く蓮實の眼力を伺える。更には、東京大学の教員スタッフの偏頗性を問題視し、性別による差別、年齢による差別、国籍による差別、出身校による差別を是正する必要があることを強調し、東京大学が真の「国際化」を果たすには何が課題であるかも理解していた。「グローバル人材」(「火星人」と同じで、そんな奴を僕は未だに見たことがないが)がどうのこうのと言っている前総長よりも遥かに世界的な視野を持っていたのだ。

 

蓮實重彦の批判は、具体的状況に応じた試行錯誤を繰り返しながら鍛えられていく思考を蔑ろにし、リスクを自ら負うことなく口先ばかりの観念論に戯れてそのツケを他人に転嫁するだけの者がMBA取得者に往々にして見られる実状を踏まえた批判であった。したがって、その本質は何もビジネス・スクールや経営学部だけに限られた問題ではなく、そうでない分野に従事する者にも等しく当てはまるわけだから、ここで「無用の学」とされた分野だからといって批判の射程から外れていると考えるのは早計に過ぎるということになろう。これは、柄谷行人との共著『闘争のエチカ』(河出書房新社)の中にわずかながら出てくる「文学部」批判からも推量されることである。もちろん、この対談がなされた時期は蓮實重彦東京大学教養学部長に就いたばかりの時期に該当するので、これまで学内ヒエラルキーの上で本郷よりも格下と見られていた駒場の教員としての対抗意識から出たものと言えなくもないが、「世界的に見て、文学部というのは終わっている」というような文句は、本郷と駒場との対抗関係という学内政治の問題だけには還元されないような問題意識から出たものであろうと思われる。蓮實が人文系学問の危機という意識を持っていたと見ることもできないわけではない。

 

経営学という学問が数学や物理学のような学問と比較してどの程度精緻化されているのかと言えば、残念ながらきわめて怪しい。ジェンダー研究やらポスト・コロニアル研究といった社会学系統の分野から精神分析学に至るまで、もはや「政治プロパガンダ」や「似非科学」と化しているインチキ学問よりかは多少はマシかも知れないといった程度だ(といっても、どんぐりの背比べかも知れないが)。特に、日本の大学の経営学部で経営学を学んだと言っても、その内実はアド・ホックな知識を継ぎ接ぎして内容空疎な「処方箋」を後知恵として声高に叫ぶだけで、自らはその言説について何の責任も負わない「お気楽コンサルタント」を増産することにしか貢献しなかったというのは言い過ぎだろうか。コンサルタントやタレント化している大学教師といった「身銭を切らず」ツケだけを他人に負わせるいい加減な連中がデカい顔してメディアに躍り出る。もちろん、彼ら彼女らが経営学部出身と言いたいわけではない。ただ、いかにも「経営学部的」という印象を持ってしまうわけだ。この種の連中に組織の運営を任せると、やれ「これからの組織はボトムアップ型だ」と言っていた舌の根乾かぬうちに、やれ「強力なリーダーシップに牽引されたトップダウン型に変えて行かねばならない」などと言質を変えて組織を引っ掻き回すだけして「後はよろしく」とばかりに高額報酬を要求してトンズラする。残されたのは、目も当てられぬくらいボロボロに解体された組織だけ。「企業再生のエキスパート」とか調子のいいことを言っても、やっていることはアホでもできるリストラという名の首切り。成功でも何でもないことを成功と称して実績に数え入れて宣伝する一方、ぶっ潰したケースは書かない。

 

経営学と一口に言っても様々な分野があるので、中には企業経営に直接資する内容もあろうし、間接的な貢献をも含めると、全く役に立たないとまで言うのは些か乱暴かもしれないが、経営学の書籍や論文を読んでもさしたる知的刺激を受けたことが皆無なので、経営学に対する懐疑の念が人一倍強いせいかも知れない。大したことを言っているわけでもないのに、やたらと派手なキャッチフレーズをぶち上げるのも経営学の特徴の一つかもしれない。どう見ても、広告代理店に就職した方がいいという人が経営学者を名乗っていることもある。その上、いろんな分野から中途半端な理解のままつまみ食いして持ってくるので、言っている本人も何言っているかわからなくなって錯乱していくという光景が見られるのも特徴の一つだろうか。経営学を専攻する大学生で、もし中途半端にしか経営学を齧る程度でやり過ごすというなら、いっそのことホストクラブにでも飛び込んで実地に稼ぎ方なり店舗経営がどうなっているのか、その資金管理や組織運営の実態を体験した方が、経営学そのものではないにせよ現実の経営の一端を覗き見ることができるかも知れない。

 

ビジネス・スクールといっても、米国のおおよそ8つの大学のビジネススクールは比較的マトモな方で、日本のなんちゃってビジネス・スクールのようではない。米国のビジネス・スクールが素晴らしいというわけではないが、少なくとも教員は相当な労力を割いて授業の準備をしていることは確かで、たとえ大人数の授業であっても受講する学生の顔や名前や国籍についてはもとより、当該学生の出自や背景まで丹念に資料を読んで記憶するまで全員の情報を頭に叩き込んで授業に臨む。日本の大学はとりあえず大学を卒業したという学歴を得るための機関と化しているので、学士の学位を取る以外そこで何かを得ようという期待は持てない。最近ではMITが、たとえ大学や高校を卒業していない者であっても優秀と認められる者に対して大学院入学の門戸を開くとの方針を打ち出した。これから大学ないし大学院に進む予定の者は、単に学歴を得る目的で入学する者が圧倒的多数を占める学生と低レベルな教員の多い日本の大学など相手にせず、欧米圏の比較的定評のある大学や大学院に進むことが望ましいのではないだろうか。

 

ビジネス・スクールでは狭義の組織管理論はもちろんのこと、ミクロなレベルでの具体的なリスクの総括的管理や計量的分析といった技術的側面に不案内な者にとっては役に立つ授業も中にはあるし、コースの取引費用理論など盛んに応用されて知らないわけにはいかない理論(といっても、この理論の弊害も目立ってきていると思われるが)も学べる。何より人脈づくりに好都合という利点もある。それでも、高額な授業料に見合っているかはわからない。しかし、教員は可能な限りハイレベルな授業に努めて懸命であることは、日本の大学教員も多少は見習ってもいいのではないか。日本の大学教員の大半は、小金程度の給料であろうと、その給料に見合った研究業績と教育を残しているのか怪しいわけだから。日本では今もなお、ジェームズ・コリンズの『ビジョナリー・カンパニー』やマイケル・ポーターの『競争の戦略』あるいはジェイ・バーニーの『企業戦略論』やコトラーマーケティング論が持て囃されが(というか、ピーター・ドラッガーがベストセラーになるような奇特な国なんで、さして驚きはないが。授業で二回ほどその名が登場したけど、それ以外お目にかからない。それくらい忘れられた経営学者なのだが、日本の場合、書店の経営学コーナーに行けば、MBAなんちゃらと題した胡散臭い本と並んでドラッガーの著作がわんさか陳列されている)、確かにそれが場合によっては役に立つこともないわけではない。

 

結論から言わせてもらうと、経営学の研究書ならまだしも、一般のビジネス書となるとまず間違いなくロクなものではなく、せいぜい3分読めばわかるものばかりで、しかもアホなことしか書いていないので、この類のビジネス書の愛読者を信用しない方がいい。こんなの読むのなら、まだエッチするなりシコっとくなりした方が時間を無駄にしない。ビジネスパーソンにこそお薦めしたいのは、ボエティウスのDe consolatione philosophiae(哲学の慰め)だ。邦訳はないし原文はラテン語だけど、幸いも英訳がある。『羅和辞典』やLatin-English Dictionaryなどの辞書ありでも数ページ読むのに小一時間要してしまう拙い語学力しかない僕は、あくまで英訳で読んだに過ぎないが、直接ビジネスに資するか否かというしょーもない次元ではなく、獄中で書かれたこの碩学中の碩学の著した哲学的古典から得られる精神的糧は、そこらのビジネス書なんぞからは得られない。

 

米国の場合、多少事情が異なるが、いずれにせよ僕にとっては、マクロ組織論やら経営戦略論やら事業ポートフォリオ論やらSCP理論やらその他なんちゃら理論やら、この種の「後知恵的」あるいは「こじつけ」の類の授業には一秒も感心させられたものはなかったし(そのほとんどは、「理論」という名に値しない)、ある意味古典的となっているファイブ・フォース分析だのバリュー・チェーンなどの発想もSo what?としか思わなかったが、この種の議論で「優良」と誉めあげられた企業への投資だけは絶対にするまいという反面教師として役に立った。しかし、そうした類いの大風呂敷を広げたような内容の知識は、書店で著作を立ち読みするなり(ポーターの『競争の戦略』にしてもせいぜい30分もあればその内容を頭に叩き込めるだろう。『競争戦略論Ⅰ、Ⅱ』(ダイヤモンド社)を見たら、おおよそ察しがつくように、そもそも著者自身の写真を表紙に載せている著作にロクなものはないの。コリンズの『ビジョナリー・カンパニー』なんか使い道に迷って今では鍋敷きにしている)、図書館でジャーナル掲載の論文を一瞥すれば得られる。そうではなく、広範囲にわたる数値解析手法や数理ファイナンスの基本を徹底する方がいいだろう。

 

 

香港よ、さようなら

 先月30日に、中華人民共和国全国人民代表大会全人代)常務委員会で「香港国家安全維持法」が可決され、当日に施行されることとなった。これを以って、当局は早速「被疑者」を拘束し始めている。中共共産主義者としての本性を露骨に現したのである。この件は世界各国のメディアでも連日報じられており、中には「香港の死」とまで表現するメディアもある。日本のメディアはおそらく中共に阿り、この件を大きく報道していないだろう。案の定、日本の左翼は米国の騒動を取り上げるものの、より悪質な中共の暴挙には無視を決め込む。具体的に名指しすることは避けておくが、中共の工作機関と内通している社会主義を掲げる某団体の構成員である身分を隠して表向き耳触りのよい平和運動の形をとって「市民運動」に専従する者が深くコミットしているので、当たり前と言えばそれまでだけど。ちなみに、この人物は既に公安の監視対象であり、この団体の機関紙を読めばあからさまな中共擁護の姿勢であることがわかる(ネット上に公開されているので、誰でも読める)。米国の騒動について「米国市民(この人は「国民」とは言わず「市民」とだけ言う)の反差別主義闘争やアジア民衆の反植民地主義と連帯しよう」と言うのに、かつてのナチス顔負けの民族浄化政策や覇権拡張を続け、香港の自由を弾圧する中共の批判は一つとしてしない。

 

 この法律は、「国家分裂」、「国家転覆」、「テロ活動」、「外国勢力と結託し国家の安全を害する行為」を取り締ることを目的としている。立法趣旨だけを見れば正当性があるように思われるが、なぜ各国がこれを懸念し、香港市民が強く抵抗しているかと言えば、中共中央の都合に従って極めて恣意的に解釈・運用されることが火を見るより明らかであるからだ。本法の対象事案についての裁判にあたっては裁判官の身分保証もなされず、中共の意に沿わない者ならばいつでもすげ替えができるという仕組みになっている。民主集中制という美名の下での共産党による全ての国家権力の諸作用の独占的行使の恐怖が、香港をも覆うようになったわけだ。ちなみに、日本共産党民主集中制を採用し、党中央の意に反する意見があれば、これを直ちに「分派活動」とレッテルをはり、時にはその者の身柄を事実上拘束して査問という名の拷問にかけてきた。今もその組織体質に変わりなく、だからこそ、かつて交番を襲撃したり火炎瓶を投げるなどして武装闘争路線をとってきた日本共産党は、まだなお公安調査庁の監視対象団体であり、警視庁公安部公安総務課も日本共産党の監視や情報収集を念頭に少なからぬ人員を割いてきた。

 

 甘い顔をして近づいてくる共産党が、万が一にでも政権を握ることになるや、反対者の粛清に乗り出すに違いないだろう。共産党共産主義者がこれまで重ねてきた歴史を見れば容易に想像がつく話である。連中の常套であるが、自分たちの勢力が弱い時は本性を隠して他の団体などに甘言を弄して近づいていく。そして、その内部に党員を送り込みその団体の主導権を握るという戦略を講じる。例えば、「平和運動」や「反原発運動」を組織する「市民団体」(これだって実は、特定政治党派の人間が絡んでいることが実際なのだけど)に協力を呼び掛けて関係を構築する。そして、その内部に党の支持者を増やしていくことで主導権を奪取する。気がつけば共産党の票田と化している。だから、時には極左暴力集団中核派革マル派が身分を隠して「市民運動」に紛れ込むことを極端に警戒しもする(日本共産党極左暴力集団は、六全協以降対立関係にあり、そのことは全共闘が暴れ回っていた頃に大学の正常化をうたって共産党の事実上の下部組織である民青と全共闘が殴り合いの抗争を繰り広げていた。日本共産党のイデオローグを率先して務めた連中は、こうした新左翼批判に精を出していた。共産党の連中が廣松渉を極端に忌み嫌うのも、廣松が新左翼のブントと深く関わっていたことが大きく影響しているはず。廣松も一時は日本共産党の党員で国際派に所属していたらしいが、党による査問という名のリンチを立命館大学構内で受けて以降、京都の地に足を踏み入れることはなかったらしい。左翼内の内ゲバの凄惨な様は、今では多くの人の知る所となったが、その拷問の一例は、太腿に穴を開け、そこに腐った牛乳を流し込むという常軌を逸したものもあった。共産主義者による忌まわしい虐殺や凄惨な拷問の犠牲者は既存の社会主義国だけでなく、日本でも起こっていたのである)。

 

 香港の自由や独立のための言論活動をするだけで「国家分裂行為」であるとの疑いで検挙されたり、中共に否定的な外国メディアの取材を受けただけで「外国勢力と結託し国家の安全を害する行為」に加担したとして逮捕されかねない危険性もある法律。鄧小平とマーガレット・サッチャーとの間で交わされた英中合意で認められた「高度の自治」を事実上否定する暴挙に対して、世界中から批判が起きている。しかも、対物的強制処分である(逮捕に伴う捜索差押えというのとは異なる通常の)捜索・差押え手続きの無令状執行を許容するなど、およそ近代法の原則すら遵守しない本法によって、法の支配に基づく香港の「自治」は、さらに一段と形骸化していくことは明白。恐ろしいことに、本法は外国人も適用可能であるという点である。極論すれば、中共に批判的言論活動を展開し、香港の自由を求める声に呼応する主張をしている外国人が、たとえ当該国の政治的意思決定及びその実施に影響を与える行為をしたとまで言えなくとも、香港国際空港の入国ゲートを超えた瞬間、直ちに当局に拘束されてしまうことだってありうるのだ。

 

 国際金融取引のハブとしての役割を担ってきた香港の利点は、まずは英国法継受の法体系による統治が曲りなりにでも確保されているという信頼の上に立脚して可能であったところ、今後、どうなるのか。中共の政治的圧力を恐れて今後のビジネス展開にとって当局に目をつけられてはかなわないとばかりにHSBCは早々に本法への賛意を示すという有様だ。そうした金融機関もまたぞろ湧いて出てくるのだろうが、かつての「反共の砦」としての自由な香港の魅力は失われていくだろうことははっきりしている。習近平はバカだから国際金融センターとしての今の香港のもたらす利益が理解できずに愚かな行為に出たと見る者も中にはいるが、中共中央をそう甘く見ては痛い目にあうだろう。確かに習近平自身は大して頭のいい男とは言えないだろうし、経済や金融に関してはアホという評価は正しいと思うが、これが習近平自身の暴走ではないのだとしたら、これまでの香港の特殊な位置づけから得られた利益を犠牲にしてもなお余りあるメリットを中南海の連中は周到に考えた上で決定したに違いないと見ておくべきだろう(悲しいかな、中南海に巣食う中共中央の指導部の面々は、我が国の永田町の盆暗どもよりも格段に頭がよく、長いスパンで中共の覇権拡大を虎視眈々と計画・準備・実行に移してきているのだ)。

 

 新帝御即位を内外に宣明する即位礼正殿の儀に参列した後、その足で北海道への視察に直行した国家副主席の王岐山は、元は歴史学者であったが国際金融にも通じ、ウォール街とも深い人脈を築いている切れ者だ。中国科学院や中国社会科学院の研究者をブレーンに持ち、科学政策においても長期的視野で的確な判断ができる人物で、清華大学経営管理委員会の外国人メンバーを見てもわかるように、様々な方面に実効的な楔を打ち込んでいる。国務院総理の李克強も朱鎔基ほどではないにせよ、我が国の現在の政治家よりも遥かに優秀だ。習近平そのものは単なる「くまのプーさん」でしかない(その意味で、我が国の内閣総理大臣安倍晋三と似たり寄ったりであって、正真正銘のアホであるムン・ジェインよりかは幾分マシといった程度だ。米国も大統領候補者が方やトランプで方やバイデンという「究極の選択」を迫られている有り様だ。トランプがヤバいことは衆知のところだが、バイデンも負けず劣らずヤバい奴だということがあまら伝わっていない。メディアを敵に回すトランプに勝たせるわけにはいかないと思っているのか、バイデンが白人至上主義人種差別過激派のKKKの幹部と関係していることや、どうみても認知症の兆候が見られることがあまり報道されていない。「カレー味のウンコ」か「ウンコ味のカレー」かいずれかを選べと迫られても、「どっちも食いたくない」というのが、ごく普通の人の反応だ)。

 

 共産主義者の通例として中共が牙を剥き出しにしてきたのは、もちろん国力が昔に比べて格段に向上し、経済力だけでなく軍事力の飛躍的な増大が背景にある。例えば、尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは1970年代だが、それを明確に国家の核心的利益の一つとして打ち出したのは1992年に制定した「領海法」である。しかし、この頃は人民解放軍の軍事力は我が国の自衛隊の実力に対抗できるほどではなかったので大人しくしていたが、大軍拡の末に尖閣諸島に対する挑発行動をエスカレートさせていった。これはちょうど第4世代の戦闘機の機数が航空自衛隊のそれを圧倒的に凌駕するようになり、東シナ海の制空権をわが自衛隊が確保できなくなった時期に重なる。中共は国際政治のリアリズムに徹しているので、力の裏打ちのない外交など所詮は絵空事でしかないことを熟知している。戦略的思考に長けた中共南シナ海東シナ海を自国の領海に組み込み、少なくともインド洋から西太平洋の地域一帯の覇権を握るための行動を着実に進めている。尖閣諸島を掌中に収めることは、次の目標である台湾の武力統一と沖縄の併合のために必要な一歩である。香港問題は、他人事として傍観して済ませる問題ではなく、我が国の死活問題でもあるのだ。

 

 「今こそ反共の戦いを!」と叫びたいところだが、国内には中共の回し者みたいな連中もいれば、問題の所在にすら気がつかない釜中の魚もいるので、日本国及び日本国民の生存と繁栄を維持したいと思う人々には前途多難な戦いが強いられる。この期に及んで習近平国賓訪日を考えているとは思いたくもないが、そんなことをしようものなら中共独裁政権による香港の暴力的制圧を容認する姿勢を日本は見せているという誤ったメッセージを国際社会に送ることになる。

都知事選の顛末

今月5日に投票・開票された東京都知事選挙は、前評判通り、現職の小池百合子有権者の圧倒的な支持を受けて再選を果たした。投票率は約55%と低調な数字だったにも関わらず、得票数は、次点の宇都宮健児の約84万票の4倍以上の約366万票という歴代2位の票数だった。この点だけ見ても、都民の大多数は、小池百合子の都政運営を概ね支持したと言えるのかもしれない(必ずしも積極的支持とは言えなくても)。しかも、全ての市区町村で小池が圧倒的な得票で一位であったことは大きい。普通は、市区町村で最高得票者が一部異なることがあるのに、今回の選挙では、それすらなかった(次点は宇都宮健児という市区町村は多かったが、それでも多摩地区の一部や23区内の一部あるいは島嶼部などの村では、山本太郎が次点に入ることもあれば、反対に千代田区、港区など比較的所得の高い層が居住する地域では、山本太郎の得票率は低く、小野泰輔が次点に入るなどの違いがあった)。最終的に現れた数字を見れば、圧勝中の圧勝だったわけである。

 

前回選挙時の公約のほとんどを実現することができなかったにもかかわらず、圧倒的な得票率を勝ち得た要因は様々あるのだろうが、他の候補者が弱すぎたというのが最も大きな要因だろう。在外邦人の身の上、具体的な選挙活動がどうなっていたのかについてはネット配信の情報からしか判断できないが、「三密」を避けるために大規模な街頭演説が行いにくかったことや、地上波での討論会がなされなかったという事情が重なった事情もあろう。とはいえ、仮に通常通りの選挙戦がなされていたとしても、それが結果を左右したとは思えないほどの大差だ。ところが、宇都宮陣営は、自陣の大敗を他人に責任転嫁するばかりで何が足りなかったのかを反省する姿勢はほぼ皆無。中には、逆ギレして、山本太郎が出馬したことが原因だと言わんばかりの与太事を吐いて憂さ晴らしする者まで現れたのだからお笑いである。

 

立憲民主党日本共産党などの既存野党の選挙戦略が、候補者選定過程からして大失敗だったことを謙虚に受け止めることができないようで、こうした態度のままなら、自公政権を打倒することなど覚束ない。せいぜい、弱小政党として細々と生き残っていくより他ないだろう。「安倍晋三憎し」の一念だけで、何でもかんでもあることないこと罵詈雑言を投げつけるだけの自称「知識人」たちも(確かに、安倍晋三は酷いとは思うが)、「郵便ポストが赤いのも安倍晋三のせいだ」と言わんばかりの頓珍漢な批判に終始するばかり。発狂した言説をツイッターでまき散らかし、似たような「お仲間」がリツイートするだけのオナニーに満足するだけで、ごく少数の中だけで互いにうなずき合っている「カルト集団」と化して、周囲からの嘲笑を浴びながら人生を終えていくつもりなのだろうか。

 

前回の参議院選挙で旋風を巻き起こした「れいわ新選組」代表の山本太郎も出馬したが、前回のような風が吹かず、約65万票(約11%という得票率)にとどまった。この数字は供託金没収ライン10%すれすれの数字であって、おそらく山本太郎自身にとって予想外の少なさだったのではあるまいか(小野泰輔から先は皆供託金没収のはず)。もちろん、事前調査をしているはずだろうから、この結果もある程度は織り込み済みだったのかも知れないが、数字が数字だけに、次回の国政選挙にあたって戦略を大幅に見直さねば沈んでいくとの認識をしているはずだ。「野党統一候補」を立てれなかったという理由で、宇都宮健児を支援していた者たちの中には、山本太郎に対して下品な罵詈雑言を投げている者もいるが、こうした反応は十分予想できたこと。この者たちは、普段から独善的な体質で自らの信条に反する者を「病人化」するか「悪魔視」するかしかできず、論理的に批判する能力に乏しい人々だから、宇都宮健児の惨敗の責任を山本太郎に転嫁して自分たちは悪くないと強弁し続けるだろう。

 

当然、我が国には一定の要件を満たす者であるならば立候補する自由があるわけで、山本太郎が立候補する自由は当然に尊重されねばならない。「野党統一候補」を一本化したいというのはその者の勝手な都合であって、山本太郎がそれに従わねばならないという理由は微塵もない。ましてや、根本のところで宇都宮健児の政策と違うとなっては、山本太郎の立候補には一理も二理もあろう。実際、山本太郎は財源論のところで宇都宮健児とは異質である旨をことあるごとに強調している。その賛否は別として、山本太郎の財源論は、必ずしも画に描いた餅ではなく、実現可能性を検討するに値する提言の一つである。地方自治体が緊急時に公債発行により財源を調達し、中央銀行などにそれを引き受けてもらうという選択はありうる。そして、山本太郎は東京都にそれが可能かどうか、どこまでが許容されるのかにつき、事前に総務省に照会した上で提案している。

 

もちろん、この政策につき賛否両論あるだろう。が、少なくとも「アホ」な見解でもなければ、「カルト」な見解でもない。左派の人間の中にも右派の人間の中にも、宇都宮と山本の政策はほぼ同一と思っている者もいるようだが、その者は「野党統一候補」の実現への期待のあまり、目が曇っているとしか言いようがなく、両者の政策や政策実現に至る方法論の根本部分において異質な面が多いことが見えていなかった。要は、「反安倍政権」という点と、元々の支持層が重複するという点を以って同質と思いたいのかもしれないが、どう考えても違いは明白だ。松本清張の仲介で、創価学会会長(当時)池田大作日本共産党議長(当時)宮本顕治との間に交わされた「創共協定」は、共産党公明党の支持層が重なっていたことが大いに関係していた(なにせ、池田大作が大学紛争時に、デモ隊の学生に混じってヘルメットをかぶっている写真も残されているぐらいだし)。どちらも、地方から大都市圏に流入してきた中小零細企業に働く労働者や恵まれない階層を票田としていた。今ではだいぶ違ってきているだろうが、公明党の支持母体の創価学会の会員の中における被差別部落出身者や在日コリアンの比率は、他の宗教団体におけるそれよりも高かったと聞く。既存の宗教が、そういう階層に救いの手を差し伸べようと積極的に行動しなかったのに対して、創価学会が「折伏大行進」に見られる些か攻撃的な積極的布教を進めていった結果である。もちろん、票の食い合いになるので両者の決裂は半ば必然であって、以後、選挙のたびごとにお互いが選挙公報などを通じて相手を罵り合う光景が頻繁に見られるようになった。

 

当初、立憲民主党は、「野党統一候補」として山本太郎を擁立しようと画策したが、山本太郎としては、自党の根本政策である消費減税の主張を飲めないとした立憲民主党に合わせることなどできないと考えるのはむしろ当然だろう。経済政策にしても、大規模な積極財政を主張する山本太郎と、財務省の方針に従って緊縮財政を採る立憲民主党とは水と油の関係であって、立憲民主党日本共産党などが支援する宇都宮健児で一本化しろと迫ることの方がどうかしているわけだ。宇都宮の政策は、今ある予算を別のところへすげ替えるというものであって、山本太郎の主張する都債発行による財源調達には反対の立場であった。宇都宮健児を支援する金子勝などは、山本太郎の財政・金融政策をさして理解もしないで罵倒を繰り返しているわけで、この点だけから見ても、両者は水と油の関係であることがわかる。したがって、「統一候補」の提案に乗れるわけがなし、ましてや山本太郎が立候補を辞退して宇都宮健児支持に回ることなど無理な相談だったのである。

 

どのパラダイムに立脚して論じるかについてはもちろん争いがあるだろうから、この点について理論的な根拠に基づいて批判することは結構なことだけど、金子勝は相手の立脚する経済理論について理解をしないばかりか、経済学を本当に学んだのかとの疑念すら抱きたくなるほどの頓珍漢で支離滅裂なことまで吹聴していた。山本太郎が依って立つポスト・ケインズ主義左派の系譜に位置づけられるMMT(現代貨幣理論)については、米国の経済学界でも賛否両論あり、その是非についての見解は分かれるだろうけど(批判者が感情的に「トンデモだと」喚くほど出鱈目な理論ではなく、ケインズ主義の思想からはそういう理論的展開がありうることくらいは想像できる。もちろん、だからといって僕がMMTを支持しているというわけでは必ずしもないが)、金子勝はどうやらMMTについての正確な理解に欠け、賛否云々以前の無知と不勉強が酷い。

 

そもそも、都知事選において山本太郎MMTに基づく財政金融政策など述べていない。専ら、都債発行による財源捻出による東京都独自の財政出動を主張しているに過ぎず、これまた山本太郎の主張を聞いていれば、混同することのないはずの罵倒を繰り返すばかり。その他にも、きちんと経済学の各学派の理論を学んだ者ならおかすことのない初歩的な知識が欠落しており、ここまで酷い人だったのかと漠然とさせられる。正に、御自身が「アホの極み」であることの自覚がない。皮肉なことに、金子勝に見られる主張は、彼らが忌み嫌っているはずの「ネオ・リベラリズム」と歩調を同じくしているわけだ。生活困窮者にとって、実は金子のような存在(要は既に小金を貯め込み、一定の地位が保証されている大学教員によくいるタイプ)こそが「敵」である。金子勝の主張でまだましな主張と言えば、再生可能エネルギー開発への支援や、食糧安全保障の観点からの農業支援の主張くらいのものである(もっとも、再生可能エネルギーの開発研究への資金投下は賛成できるものの、そこから飛躍して「脱原発」の過激な主張にまで至ると、途端にボロが出る)。

 

なぜ、朝日新聞日本経済新聞から「新自由主義」者(「新自由主義」の概念が曖昧で、論者によって異なる意味に解されているので、あまり使いたくないのだが)に至るまで、基本的に金融緩和と財政出動に反対するのかと言えば、「財政破綻」や「ハイパー・インフレーション」を危惧しているからなのではない。もし、本気で信じているのなら、相当なイカれポンチだろう。この種の議論は何年も前から主張されている「オオカミ少年」的な戯言であるのだけれど、もし彼ら彼女らの危惧が正しいとするなら、今頃、国債長期金利が暴騰する兆候となる現象が見られておかしくないのに、そうした現象が見られないどころか、逆になっていることをどう説明するのだろうか。国債の日銀による間接的引受についても、政府と日銀との間の償還メカニズムを知っていれば口に出さないような出鱈目を弄して批判する。もし無知ならば、財政学者としてあまりに不勉強。もし知っているならば、嘘つきということになってしまう。実際は、もっと卑俗なレベルでの話なのだろうと思われてならない。つまり、既に小金を貯めた逃げ切りを図ろうとする自分たちの現有貨幣価値が相対的に低下してしまうことを恐れているからである。それゆえ資産価値を何とか死守しようと、マネーの逃避先として一時的に金に流れたりする(金先物が1800ドルを超えて1900ドルに達しようかという勢いだ。ともすれば2011年以来の高値更新も考えられる)。単に経済状況の不安定から逃避先として金が選ばれているわけではない。

 

立憲民主党日本共産党など宇都宮健児を推す陣営は、宇都宮を「日本のサンダース」と売り出していたが、バーニー・サンダースが唱える政策は、宇都宮やその支持者の主張とはまるで逆の方向であることくらい調べればわかるはずなのに、あからさまな虚偽宣伝をしていた。サンダースの財政金融政策の最大の眼目は、大規模な歳出拡大による積極財政政策と金融制度改革である。メディケア・フォー・オールの導入と民間医療保険の廃止、数兆ドル規模の気候変動対策や公共事業の拡充、学生ローンの債務帳消しや公立大学の無償化、発電事業の国有化や銀行業と証券業の分業を定めたグラス・スティーガル法の復活などである。確か、金子勝は公共事業を無駄と言い募り、消費減税は意味がないと叫び、積極財政に反対し続けている財務省の意向に沿った主張を展開する人物であって、サンダースの政策とは真逆である。ちなみに、ウォール街の面々が一時戦々恐々としていたのは、サンダース大統領が誕生し、エリザベス・ウォーレン上院議員を財務長官に指名するといった事態だった(2020年の米国大統領選挙の民主党の候補に指名されるだろうバイデンが予定している女性の副大統領候補の一人としてウォーレンの名が挙がっているが、もし実現しようものなら、ニューヨーク株式市場は一旦大暴落し、それにつられて欧州市場や東京市場も連鎖的な暴落となるかもしれない。ウォール街の全体的な総意としては、大統領はトランプ続投が望ましいが、別にバイデンがなろうと構わない。但し、エリザベス・ウォーレンの副大統領就任だけは勘弁してくれというものだ)。そうなれば、FRB議長を意に沿う人物にすげ替えて過激な金融規制を講じることになり、金融市場の大混乱を招き寄せることになるシナリオを恐れたのだった。それはともかく、宇都宮健児を「日本のサンダース」だと立憲民主党などが持ち上げるのは、ちゃんちゃらおかしい。

 

しかし別の側面から見れば、山本太郎にとって今回の都知事選は一つの成果をもたらしたと言えるかもしれない。内ゲバを繰り返し自滅していくだけしか能のない旧態依然とした左翼体質から抜けきれない者の正体がはっきり認識できたわけだから、こうした人々と「共闘」していてはとてもじゃないが政権をとることなど不可能だし、山本太郎が目標とする政策を実現することなど覚束ないことが理解できたはずだから。僕は「れいわ新選組」の支持者ではないし、ポスト・ケインズ主義に一定の理解を示しはしても、全面的にMMTに賛同する者でもないが、既存政党のどうしようもなさを感じている点で、「れいわ新選組」に期待する声が、今の日本社会で一定数存在することは理解できる。沈みゆく泥船に乗ったままともに水没していくのではなく、そこから脱出してより広範な層を取り込めるだけの脱イデオロギー的で国民の生活に直結する政策課題を着実に実行に移していくだけの影響力を持つ政党であることを強調していく方がいいだろう(もちろん、現実主義的な安全保障政策を採ることを条件で)。この日本社会を維持していくためにも、個別の社会問題によって生じた困窮者の具体的救済に直結するきめ細かい政策の実現に傾注することで支持拡大を図るのである。

 

旧来の左翼の内ゲバを続けていては、反自公政権の意見を持つ特に「無党派層」の票は逃げて行き、いわば「第三の選択肢」として日本維新の会へと集まっていくことだろう。今回の都知事選も、東京では無名の小野泰輔元熊本県副知事が当初の予想に反して健闘し、ともすれば山本太郎を抜くやもしれぬところまで迫ったことをその兆候と見ることができる。もちろん、日本維新の会の政策は、都市部のホワイトカラー層や「改革バカ」には受けがよく、千代田区や港区で比較的多くの票を得られることは事前に予想できたことであって、このことは、いわゆる「大阪都構想」の是非をめぐる住民投票の結果にも現れていた。大阪市の24の行政区ごとの投票結果を見れば歴然で、比較的高所得者が居住する北区や中央区あるいは西区など大阪市中枢部では賛成多数であったのに対して、市の南部・沿岸部に位置する行政区では反対多数。南北ではっきり分かれる結果となった。例えば、「港区」といっても、東京の特別区である港区と大阪市の行政区である港区では全く性格を異にする。前者は、東京の都市機能の中枢を担う地域の一つで、住人の平均年収は約1100万円程度で、足立区のそれの約3倍ほどの開きがある。大阪市港区の住人の平均年収についての統計的数字は持ち合わせていないが、おそらく工場地帯に位置している土地柄からして、足立区のそれとさして違いはないだろう。

 

今年の秋に、仮に「勝つまでジャンケン」の如き再度の住民投票となれば、おそらく賛成多数という結果になるのだろう。大阪市以外の府内の市町村からすればともかく、少なくとも大阪市民にとって益することのない都構想に賛成するのは不思議な感じもするが、要は「二重行政の解消」という「改革バカ」の口車に乗せられて、自らわざわざ政令指定都市としての大阪市をぶっ壊して何がしたいのか。思い出してみればよい。東京市が解体されて特別区として再編成されたのは、東条英機内閣の頃である。これは、東京の都市機能を強化するためではなく、逆に強すぎる東京市の力を削ぐために東京市そのものを解体する思惑でなされたものである。「大阪都構想」とは、巨大政令指定都市大阪市を解体し、その行政機能を弱体化させるための構想であるというのが実態だ(どさくさに紛れて、性格の異なる大阪市立大学大阪府立大学を統合して何になるのか。多くの蔵書量を誇る指折りの公立図書館である大阪市立中央図書館と大阪府立中央図書館をも「二重行政の解消」と称して一つにするのだろうか。全くバカげている。図書館は一つあるより二つある方がいいに決まってる)。他の都市は無理やり併合してまで政令指定都市になることを目指して懸命になるほどなのに、わざわざ政令指定都市である利点を放棄するとは、自宅の壁をハンマーで叩き壊しているようなものである。

 

抽象的なイデオロギーを振りかざして「社会的弱者」を好都合な道具としてしか考えていない左翼の支援を期待していては、多数の国民の評価は得られない(イデオロギーで空腹は満たせないのだ。マキャベリも言っている。人間にとって何が究極の欲求かと言えば、「身の安全」と「明日の食」であると。既存左翼に見切りをつけ、「れいわ新選組」に期待を寄せる他ないという者からすれば、おそらく「同情するなら金をくれ!」というのが本音なのだろう)。ましてや、山本太郎が喫緊の課題としている生活困窮者の生活を底上げするという目標は達成できない。自らの陣営の不甲斐なさを自覚せずに逆ギレして、山本太郎に責任を転嫁したり罵倒を繰り返す連中の面々を見れば一目瞭然だ。たいてい、そこそこの生活レベルが保障されている小金を貯め込んでいる大学の教師または元教師だ。

 

こうした面々は、ナシーム・タレブが散々おちょくっている通り、自らは身銭を切らず、すなわちリスクに身を晒さず、無責任でいい加減な言説を吹聴するだけで、いざその主張の欠陥が露呈するや、ツケを他人に転嫁するだけで、大学から支給される給与に依存したり贅沢をしなければそれなりに生きていけるだけの余力を持てる年金を受給して生活を維持している者だから、本音のところではデフレが続いてくれた方が相対的に優位な地位を維持できることもあって好都合。「社会的弱者」の救済など、実は微塵も考えていない。逆に、こうした連中は、表向き「きれいごと」を口にしつつも、実際はその心底に嫉妬深さを隠し持っているので、自分たちより圧倒的に高所得の人間を妬んでおり、しかしその妬みをオブラートに包んで攻撃する。反面、「憐れむべき存在」としてのわかりやすい「社会的弱者」を表向き「思いやる」言説を吐いて自己満足する。中には、この「社会的弱者」を「飯のタネ」にする大学人もいる。表向き「弱者救済」の御題目を連呼し、それに騙された情報弱者喝采をあげるという構図。山本太郎が本気で現状を改善したいと思うなら、こうした「シャンパ社会主義者」や「キャビア左翼」といった旧態依然の左翼とは一線を画すことだ。

 

今回の都知事選挙は、立憲民主党日本共産党などの支援する候補者に拭い難く感じ取られる極左的なイデオロギーを嫌悪した者も多いことだろう。そもそも宇都宮健児を候補者として推すことを決めた時から「野党統一候補」など不可能だということは決定づけられていた。事実、立憲民主党の支持層の相当な割合の者が宇都宮健児に投票しなかったようだし、支持母体の一つであるはずの連合東京も小池百合子を支持した。国民民主党にいたっては自主投票の方針を採ったこともあって、小池支持を言う者もいれば山本の支援を打ち出す者もいるし、宇都宮の応援に駆け付ける者もいれば、日本維新の会の小野泰輔の支援に回る者もいて、もはや空中分解の様相。

 

大阪でも、維新に抗するために共産党と手を組んだ自民党大阪府連は支持者離れが加速した。つまり、共産党と協力することは共産党支持者の票を得られる反面、共産党だけは避けたいと考える者の票は逃げていく。多様な意見があることは大いに結構であるが、その多様な意見の存在を許容できず抹殺すら厭わない共産主義者との協力だけは御免こうむりたい。そう考える者は多い。そして、こういったイデオロギーに惑溺するような旧来型左翼こそが、真に困窮している人々の状況を改善することの妨げになっているのである。

 

来るべき衆議院総選挙において、「野党統一候補」を各選挙区で擁立することはもちろん勝手にやればいいわけだが、各々の政策の相違を過度に圧し殺してまでそれに拘るのならば、早晩頓挫することは必定。有権者もその欺瞞に気がついてかえって票は逃げて行くだろう。仮に、日本共産党とも共闘する路線を立憲民主党が選択するならば、その時こそ立憲民主党の壊滅を告げる日になるだろう。「野党統一候補」を擁立するとなると、当然に共産の候補を立てる選挙区を要求してくるに決まっているわけで、そうすると立憲民主党支持層には共産党員に投票することは願い下げという者が少なからずいるわけだから(今回の都知事選ですら、立憲民主党支持層の半数も宇都宮健児に投票しなかったことがわかっている)、もちろん当選はほぼ不可能だろうし、立憲民主党など共産党以外の候補者を擁立するに際しても、共産党から事細かい注文を聞き入れざるを得ないだろうから、結局共産党の意向に振り回されることになる。

 

共産党がよくやる手法で、相手方の陣営に甘い顔をして近づいていって、いつの間にか主導権を握る方策を画策するに違いなく、それが透けて見えてしまうことで立憲民主党共産党とともに沈んでいく。万が一、野党が勝利して連立政権を組む際に閣外協力ではなくて共産党からも閣僚入りするという事態になった場合、どうするのだろうか。我が国の皇室伝統を否定し、自衛隊や日米同盟を否定し続けてきた共産党が内閣に入るや、全会一致原則をとる閣議を成立させるために結局共産党の意向に沿った政策が実行されていくという悪夢が現実のものとなってしまうだろうし、何より破壊活動防止法に基づく調査監視団体として公安調査庁警察庁警備局から目をつけらている団体が内閣の構成員になるという戯画のような状態となるわけで、まさかこのような事態を大多数の日本国民が支持するわけがないことを考えるならば、共産党と協力した「野党共闘」は早くも瓦解にするに決まっている。