shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

2021-01-01から1年間の記事一覧

解除の法的性質について

法学部(厳密に言うと、教養学部文科Ⅰ類在籍の者は2年時の後期から民法の一部分に関して履修が始まるが)で民法の講義を受講した者ならば必ず触れたことのある解除の効果についての法的性質に関し、学修したばかりの者からすれば、判例及び通説の見解に納得…

日本におけるポストモダニズムと批評

柄谷行人(編)『近代日本の批評』シリーズ全3巻(講談社)は、Ⅰ-昭和篇(上)、Ⅱ-昭和篇(下)、Ⅲ-明治・大正篇から成る。各巻前半後半に分かれ、柄谷行人・三浦雅士・浅田彰・蓮實重彦・野口武彦が執筆した論文を叩き台にして共同討議を展開するという…

「美的な乱暴」の系譜-「哲学のヤンキー的段階」理解のための予備的考察②

1990年代後半から2000年代にかけて、東京の繁華街、中でも渋谷センター街を中心に遊んでいる、概ね15歳から22歳までの若者の中で目立った存在であった「ギャル」とその男性形の「ギャル男」といったある種の「トライブ」を対象に、比較的長期にわたる参与観…

空間論・時間論に対して共同主観性論及び物象化論はどの程度寄与しうるのか

世界観総体の革命を企図する壮大な哲学体系樹立を目指した廣松渉にとって、世界認識の範疇的枠組たる空間や時間の概念がその検討さるべき主題となるのは必然的であろうと思われるところ、その膨大な業績を見渡しても、廣松哲学に固有の空間論・時間論と呼べ…

真理についてのquid factiとquid juris-「哲学のヤンキー的段階」理解のための予備的考察①

廣松渉は、広く実践哲学・価値哲学・社会哲学・歴史哲学・文化哲学をも論域に収めた哲学体系を打ち立てることにより、「近代的世界観」の地平を超克し、新たな世界観の定礎を目論んだ哲学者であった。この目論見は、哲学の理論的な動機からというより、「資…

デボーリンとイリエンコフ

赤色教授養成学校哲学部での教え子マルク・ミーチンによる攻撃によって失脚したアブラム・デボーリンは、ロシア革命を経て建国されたばかりのソヴィエト社会主義共和国連邦哲学界を牽引する一人であった。ゲオルギー・プレハーノフの弟子であり、1920年代に…

外国人投票権について

先週、米国のニューヨーク市議会は、永住権もしくは就労許可を得ている、同市に30日以上滞在する外国籍の者に対して、市長選及び市議会議員選挙における投票権を付与する法案を可決した。これによって、来年初めからニューヨーク市在住の要件を満たす約80万…

高天原とは

辛酉正月一日、太陽暦にして2月11日。日向を出立され、大和にたどり着かれたカムヤマトイワレヒコノスメラミコト(『古事記』と『日本書紀』とでは漢字表記が異なるだけでなく、その御名も微妙に変わるので、とりあえず『日本書紀』の記載をカタカナで表記し…

危険なリベラリスト

我が国の国際政治学は、米国のそれとは全く異なる様相を呈している。特に米国では、大学のみならずシンクタンクが充実しているので、国際の政治経済状況に関する論文やレポートが飛び交い、金融業者の中でも、カントリー・リスク分析のために、その類のもの…

大東亜戦争開戦から80年目を迎えて

昭和16(1941)年12月8日は、日本が米英に宣戦を布告した大東亜戦争開戦の日であり、今日は、真珠湾攻撃から数えて、ちょうど80年目を迎える。日米対立が決定的となった直接的契機は、南部仏印進駐であると言われる。確かに、この認識自体に誤りはないだろう…

和辻倫理学と"airheadness"

小堀桂一郎『和辻哲郎と昭和の悲劇-伝統精神の破壊に立ちはだかった知の巨人』(PHP)は、戦前・戦後を通じて時局に便乗して変節することなく、日本の文化・伝統を固守しようと奮闘した知識人の一人として和辻哲郎を取り上げる一方、対照的に、折口信夫や鈴…

現代のマルコポーロ

ライプニッツは『クラークとの往復書簡』において、空間・時間の存在に関して絶対説を採るニュートン(その代弁者サミュエル・クラーク)に対し、関係説の立場を擁護した。この関係説によると、時間は同時に存在しない諸点の順序であり、一方の他方の比率であ…

マルクスとサルトル

哲学における人間社会の本質と構造についての議論は、発生論的な議論よりも存立構造論が中心に据えられる傾向にあるように見受けられるが、この点に関して、廣松渉『役割理論の再構築について』は、社会生成の基底に関して役割行動論に基づく発生論的な論理…

常識と保守

「常識」とは何かと問う時、そこに現れた文字だけを頼りにして意味を探ると、「常人でも持っているような知識」となりそうであるが、これだと、"common sense"ではなく"common knowledge"になってしまう。そうすると、"sense"には「知識」という意味はないの…

吉本隆明と批評

昭和史を紐解くと、昭和60(1985)年は色々な面で一つのメルクマールの年であったことがわかる。贔屓にしている阪神タイガースが21年ぶりに優勝した年で、地元西宮はもとより、神戸や大阪の街も優勝フィーバーで沸きに沸き上がったという。ミナミの街では、ケ…

憲法制定権力と一般意志

1789年の「人および市民の諸権利の宣言(いわゆる「フランス人権宣言」)」16条に明記されている「権利保障」と「権力分立」の概念は、近代立憲主義の下での憲法を支える主要な構成原理である。この「フランス人権宣言」は、英国の1215年の「マグナ・カルタ…

グロティウスとストア派

ベンヤミン・シュトラウマンのHugo Grotius und die Antike. Römisches Recht und römische Ethik im frühneuzeitlichen Naturrecht (Baden-Baden)は、フーゴ―・グロティウスの著作の中でも、主に『捕獲法論De jure praedae commentarius』と『戦争と平和の…

TreatiseとEnquiry

デイヴィッド・ヒュームほど、哲学者の中でその人格につき毀誉褒貶著しい人物も珍しい。ヒュームの哲学が、ピューリタンにとって不都合と受け止められたため、真っ先に、ビーティやウォーバトンのような神学者からの批判があった。猛烈なバッシングに対して…

ブルシット・ジョブ

将棋の棋士で、一時は弟弟子の大山康晴十五世名人と鎬を削りあった「升田・大山時代」を演じた升田幸三実力制四代名人は、「棋士という仕事は、別に世になくてはならない仕事というものではない」と言った。もちろん、この言葉は、棋士という職を貶めたい意…

「改革」とは、即ち「粛清」の別称なり

鴉の鳴かない日はあれど、「改革」の絶唱が鳴り止む日はない。そう思えてくるほど、世間では、とかく「改革」の言葉が好まれる。「改革」されさえすれば全ての問題が解決されるかのような幻想が振りまかれ、見せかけの「特効薬」の効用書に惑わされた大衆が…

fagging out

ギャングに属するゲイの男にとっての「男らしさ」とは、どのようなものなのか。ヴァネッサ・パンフィルのThe Gang's All Queer: The Lives of Gay Gang Members, NYU Press.はこう問いかけている。パンフィルは社会学と刑事政策の分野で学位を取得した女性研…

訴訟における証明論の基礎

東京大学教養学部理科Ⅰ類から法学部に進学したという「変わり種」である太田勝造が、東京大学大学院法学政治学研究科に提出した修士論文(指導教官は、高名な民事訴訟法学者の新堂幸司。なお、新堂学説の中で最も有名な部類に入るだろう争点効理論については…

法学の基礎

最近漸く手にした菅野和夫『労働法の基軸-学者五十年の思惟』(有斐閣)を読むと、現在の我が国で最高峰に位置する労働法者の、業績に裏打ちされた自負と併せて、言葉には出さないまでも「俺が日本の労働法学を背負って立つんだ」という静かな気概に支えられ…

ナショナリズム

大澤真幸『ナショナリズムの由来』(講談社)を読んだのは、まだ大学に入学してしばらく経ち、一人暮らしがしたくなったために、実家から大学まで十分通えたにもかかわらず、「渋谷で乗り換えるのが面倒だ」とか何とかゴネた挙げ句、どうにか引越しすることに…

「リベラル」と「ヤンキー」

ヤンキーは、「市民生活」のルーティンに堪えることへの侮蔑を背景に非日常的な「冒険」や「破天荒な行為」に興奮する傾向が強く、それゆえ行為の目的や意味よりも過程において惹起される波瀾それ自体に「祝祭」としての強い興味を覚えることに加え、公共的…

多世界解釈に対する素人からの疑問―ボルンの規則の導出について

量子力学の多世界解釈における確率の問題は、世界の分岐がボルンの規則と無関係であるために発生する。この理論では、測定結果の可能な組み合わせ系列は量子振幅のサイズに関係なく(それがゼロでない場合)量子状態のいくつかの分枝で実現される。これは、…

マルクスとハイデガーにおける個体化の問題について考えるために

人間は、歴史的に相互に複数の個々人として構成されている社会的存在である。「歴史」と「人間」は、マルクスにおいては密接不可分の概念である。よって、唯物論の歴史概念の時間論的解釈も、この歴史によって創造された「人間」に対する時間論的解釈の形を…

市民主義の哲学

昭和35(1960)年と言われて、すぐに思い浮かべるのは、日米安全保障条約の改定を実現しようとする岸信介内閣の打倒を掲げた一部の国民による激しい抗議運動である「60年安保闘争」であろう。「闘争」といっても、一部の都市において、一部の者が騒いでいた「…

キュービズムの哲学

野家啓一は、『物語の哲学』(岩波書店)において、独自の「物語論」と言語哲学に関する一定の立場に基づき、また大森荘蔵の見解への批判的再検討を加えながら、歴史記述の物語性について論じている(なお、野家の言う「物語論」でいう「物語」とはstoryとして…

廣松渉と毛沢東とプラグマティズム

平成8(1996)年から翌年にかけて、岩波書店から刊行された『廣松渉著作集』は、計16巻から成る。大部の著作集ゆえ、出版に要する経費は多額になる。そこで、本来なら廣松渉が東京大学退官後に着任する予定であった河合教育研究所から出版助成を受けることによ…