shin422のブログ

右翼反動による「便所の落書き」擬きの日記

批評と文体

 今日、いわゆる「フランス現代思想」について論じる際の躓きの石は、20年ほど前に起きたいわゆる「ソーカル事件」に触れないわけにはいかないことである。一般に読みやすい新書というかたちで「フランス現代思想」の通史を描こうとした岡本裕一朗『フランス現代思想史-構造主義からデリダ以後へ』(中公新書)も、冒頭からこの点について触れている。これもまた「フランス現代思想」について語る際のお決まりになっていることだが、日本では1980年代に浅田彰『構造と力-記号論を超えて』(勁草書房)が出て、雑誌『朝日ジャーナル』などは編集者であった筑紫哲也の意向もあって、浅田を「若者たちの神様」として祭り上げたりするなど、1980年代消費社会の潮流に乗った「ポストモダン」が一種の「ファッション」として流通していった。

 

 80年代の「軽重浮薄な」消費社会と歩調を合わせるかのように進行していった「ポストモダン」言説の流行は、時にアカデミズムとの摩擦を起こしつつも、論壇の中では一定の位置を占めてきた。この頃の論壇や文壇の状況を調べるとわかることだが、浅田彰だけでなく柄谷行人蓮實重彦あるいは中沢新一が目立ち、後れ馳せながらに消費社会への肯定的評価をする吉本隆明が彼らの後塵を拝するという妙な状況が見られた。明らかに日本経済の動向と軌を一にしていたわけである。

 

 ところが90年代に入ると、「ソーカル事件」が我が国に伝わるや、「ポストモダン」的言説は逆に「王様は裸であった」とばかりに天から地へと引きずり降ろされた挙句、遂には読みもしないで「フランス現代思想」と聞くだけでインチキだと決めてかかる軽蔑の態度を示す者がにわかに多くなっていった。ともに統計物理学を専門とする米国の物理学者アラン・ソーカルとベルギーの物理学者ジャン・ブリクモンによる『「知」の欺瞞-ポストモダン思想における科学の濫用』(岩波書店)で述べられている主張のすべてに首肯しうる者ではないが、ソーカルやブリクモンによる「フランス現代思想」として括られる少なからぬ論者の「知的詐欺行為」を糾弾する批判には、もちろん賛意を表明しないわけにはいかない。

 

 とはいえこの批判は、ソーカルらが始めた批判ではなかった。ソーカル以前も、それら一連の言説に対し批判をしていた者も確かに存在したからである。例えば、御当地フランスの哲学者でコレージュ・ド・フランス教授のジャック・ブーブレスもそうだし、米国の哲学者トマス・ネーゲルもその隊列に加えてもいいだろう。だが、その声は大きくならなかった。その理由は、彼らがソーカルのようなスキャンダラスなパフォーマンスをしなかったこともあるが、何よりも英米の大学の哲学科ないしは哲学部では分析哲学や科学哲学ないしは数理論理学もしくは伝統的な古典的な哲学の解釈学が主流を占めているので「フランス現代思想」の居場所は元からなく、予め摩擦が回避されるという「棲み分け」の構造がみられたからである。

 

 その代わり、「フレンチ・セオリー」として文学や社会学あるいは文化研究の分野において影響を及ぼした。事実ソーカルがパロディ論文を投稿したのは「ソーシャル・テクスト」というカルチュラル・スタディーズ系の学術雑誌であって、権威ある哲学系ないしは科学哲学系の学術雑誌に対して投稿したのではなかった。仮に投稿されていたとしても、明らかに査読の結果として却下されていたことであろう。特に、数理論理学の知識を必須とする英米の大半の哲学科ないしは哲学部では、哲学はもちろんのこと数学や物理学でもPh.Dを取得している者もいるし、たとえ取得していない者でも相応の見識を有する者がざらにいるからである。無意味な科学用語や数学用語の濫用によってその貧弱な主張に意匠を凝らして粉飾し、恰も深遠な主張をしているかのように装う「知的詐欺行為」と、それをありがたがって信奉し得意気にその解説にひた走る滑稽な連中に筆誅を浴びせかけた行為は、たとえその行為が「お行儀のよい行為」ではなかったとはいえ、倫理的な非難がされるいわれはないと言うべきだろう。

 

 但し、このソーカルらの批判を完全に真に受けるわけにはいかないのもまた事実である。というのもソーカルらは、本書で異なる問題をないまぜにして主張しているからである。野家啓一『科学の解釈学』(講談社学術文庫)が適切に整理しているが、その整理によると、ソーカルらの主張は、①「フランス現代思想」の「巨匠」たちに少なからず見受けられる科学用語や数学用語の無理解に基づく無意味な濫用への批判、②クーンのパラダイム論やクワインの認識論的ホーリズムやファイヤアーベントの方法論的アナーキズムなどの「新科学哲学」や反実在論の哲学的主張への批判、③「社会構築主義」や「フェミニズム科学」やラトゥールの科学論を含めた科学社会学の見解に対する批判に分けられる。例えば極端な「相対主義」や「反実在論」の主張に対するソーカルらの批判は、ソーカル自身は脚注において否定してはいるものの、結局はソーカルらが「素朴実在論」という一つの哲学的立場を暗に前提にしているからこそなのではないかとの疑いが拭い切れない。これは、未だ決着がつかない哲学上の大問題である。したがって、この点に関してはソーカルらの主張を正しいと決めつけることはできない。

 

 いわゆる「新科学哲学」で主張されている「通約不可能性テーゼ」に対する批判は、その極端な形態をとった過激な主張に関するものに限定されているが、ソーカルら自身が当初の批判の範疇を遥かに逸脱して、哲学的に見れば「過激な」・「極端な」主張になってしまっている点に対して批判者・賛同者を問わず指摘が少ないところが気にかかる。この点、さすがのソーカルも控え目なトーンに収まっている。逆に、極めて精密な議論をするファン・フラーセンのような「正統派」の科学哲学者から手厳しく批判されるかもしれない(もっとも彼は、構成的経験主義に立つ「反実在論」を主張しはすれ、相対主義には反対の立場なので、ソーカルらの立場と全く相容れないというわけでもないが)。ともかくソーカルらは、「第一の間奏」の箇所で、僅かにしかもやや控え目な批判を過激な主張に限定して展開しているに過ぎない。「フランス現代思想」に少なからず見られる傾向について、ラカン、クリスティヴァ、イリガライ、ボードリヤールヴィリリオドゥルーズ=ガタリあるいはラトゥールらの言説を取り上げて批判するのはよいとしても、その舌鋒が彼ら彼女らの言説とは無関係な「新科学哲学」の一部の傾向に対する批判へと逸脱して、未だ根拠さだかならぬ一つの立場を絶対視しかねない主張を紛れ込ませてしまっているのが、ソーカルらの主張の欠陥である。

 

 クワインの「経験主義の二つのドグマ」(『論理的観点から』(勁草書房)所収)の中にある「仮説の検証時に指示される観察対象は既に何らかの学説によって解釈されたものである」との主張は、決して相対主義を肯定する主張ではないし、同様にハンソンの「観察の理論負荷性」のテーゼも、ある意味でウィトゲンシュタインの「アスペクト知覚論」と同様、観点の違いからくる経験の相対性に関係した議論なのであるから、これもまた相対主義を肯定する主張ではない。だからこの点に関しては、露骨な相対主義を主張する極端なファイヤアーベントの学説に対する批判を除き、ソーカルらの主張のすべてを肯定するわけにはいかない。

 

 もちろん「新科学哲学」に対しては、いわゆる「正統派」の科学哲学の側からの批判があり、その論拠の正当性を認めるに吝かではない。とはいえ、ソーカルらによる「新科学哲学」の一部の極端な主張に対する論駁は必ずしも成功しているとは言い難く、議論の余地があり別途慎重な検討を要する箇所である。それとは別に文句なく本書の主張が正しいと断言できるところは、①と③の批判である。「フランス現代思想」の論者にみられた傾向すなわちナンセンスな科学用語・数学用語の濫用による知的欺瞞・知的不誠実に対する告発の部分である。

 

 この悪影響は日本でも見られ、例えば柄谷行人の一時期の批評活動は、大して理解もしないでトポロジーゲーデルの定理を振り回して何か重要なことを述べているつもりをアピールする単なる「ええ格好しい」の言説でしかなかった。その他エピゴーネンに関しては推して知るべし。ところが「ソーカル事件」は、ソーカル自身の意図を超えて独り歩きしてしまった。つまり、ソーカルの批判やその対象者の文章を実際に読みもせずに知ったかぶりして味噌も糞も一緒くたにして非難を浴びせかけるだけに終始し自己自身の知的怠惰を安易に正当化してしまう者を大量に生んでしまったということである。「フランス現代思想」の論者に見られた「知的不誠実」を主として批判する営為が、その意図を離れて「知的不誠実」な者たちに歓迎されてしまったという不幸が、特に日本社会で見られたのである。

 

 日本でも「棲み分け」がなされているから、内心鬱陶しいと思っていてもまっとうな哲学者サイドから「現代思想」系に対して痛打を浴びせかける行為が厳に慎まれ、無視を決め込むという消極的姿勢を貫くことで否定的な態度表明をしてきたとも言える。米国と同様、日本においても「フランス現代思想」系は、商業誌の一般的潮流とは異なり、哲学研究のメインストリームから外れたところで細々と営まれていたに過ぎなかった。

 

 ところで哲学・思想系のテクストは、例えば法学や経済学の論文のように一定のステップを踏みさえすればスラスラ読めてしまうようなテクストにはなっていないものが多い。これには主として2つ理由が考えられる。1つは、扱っている問題そのものが難しいから可能な限り明晰に述べようと努めたところでどうしても難解さを払拭できないという理由である。あるいは、何が問題になっているのか、または問題として生い立つ地平が何かについて読者が共有していない場合、当然に何を述べたいのか不明となることがある。例えば、ABC予想の証明を公表した望月新一の論文は、明晰に書かれていることまでは理解できるものの、その厳格な筆致にもかかわらず専門家以外には理解が難しい。あまりに高度な数学的内容ゆえにおいそれとは近づけない我々のような門外漢からすれば、その内容の大半が理解できないのである。ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』(岩波文庫)のある部分は、たとえ明晰に書かれていてもどう解釈してよいのかわからない難解なものも含まれる。それは、問題そのものの難解さに起因していると言えるだろう。

 

 2つ目は、過剰な文学的修辞や比喩が文章全体の本質的部分を支える結構となっているために、本来難解ではないことがそれによって難解めいたものになってしまっているという理由である。ひどいケースだと、書いた本人もわかっていないという戯画的ケースもみられる。「フランス現代思想」系の論者のテクストが難解なのは、もちろん部分的には前者の理由もあるかもしれないが、後者にこそ起因しているのではないか。そう疑う読者がいるのも、「フランス現代思想」系の論者の文章が多分にレトリックに依拠する言説構造を持っているために「明晰に論じるられることは明晰に論じるべき」という精神が些か希薄で、むしろいかに華麗に文章を着飾るかという点に重点を置いているとしか思われない文章を目にすることが多いからである。

 

 「フランス現代思想」には含まれないサルトルにしても、文学的修辞や比喩を多用する「文学」的テクストと言えなくもない文章を残しはしたが、それでも「暗号」めいた書き方にはなっておらず、些か冗長で装飾過多な哲学論文という域に収まっている。この「フランス的」とでもいうべき傾向性に過剰な拍車がかかるのは、ポスト構造主義以降と言ってもいいのかもしれない。外国語文献の邦訳となると、結構悲惨なケースもある。僕が実地に確かめた限りでも、そこそこ有名な文献数冊で確認できた。やっつけ仕事だなと一目でわかる杜撰な翻訳である場合と、そもそも語学力不足という場合。特に構文の分析がめちゃくちゃという場合が目立つ。共通関係の取り違えから始まり、分詞構文の解釈や仮定法表現の無視、はたまた連鎖関係詞節が入った二重限定の解し方などで躓いている翻訳や、意味が真逆になってしまっている訳文があって唖然とせざるを得ないものまである。現代思想系の邦訳書ともなると、頭からケツまで意味不明という翻訳が目立つ。おそらく翻訳している本人もわかってないのだろうと思われ、ここまでくるともはや誤訳というレヴェルを超えている。明晰に言えることは明晰に言うべきである。これは一般社会のみならずアカデミズムにおいても広範に認められている規範となっている。確かに、一理も二理もある正論だ。

 

 伊藤仁斎の『童子問』は、そのような小賢しい連中を激しく批判してもいた。伊藤仁斎といえば、京都堀川の古義堂を拠点として実質的に徳川幕府官学の地位を得ていた朱子学だけでなく老荘思想や仏教思想に対しても手厳しい批判の矢を放つ言論を展開し、その学識の深さが世に広まったこともあって、山奥や離島にある三藩を除いて全国から隈なく門弟が集まることになり、古義堂は大いに盛況を呈したと言われる。仁斎の業績は後の清朝考証学に多大な影響を与えたと言われるほどの大学者である。中世ヨーロッパがギリシア由来のアリストテレス哲学などの知をイスラームから逆輸入したのと同様のことが起こっていたわけである。

 

 その仁斎であるが、無意味な抽象論を振りかざして複雑怪奇で意味不明な駄弁でしかないものをさも高尚なものであるかのように訳知り顔で吹聴して得意気になっている輩を以下の如く激しく罵倒していた。

 

「大抵詞直く理明らかに知り易く記し易き者は必ず正理なり。詞艱に理遠く知り難く記し難き者は必ず邪説なり。・・・聖人の言語は皆其の自然に循うて未だ嘗て粧点せず亦未だ嘗て作弄せず。・・・儒学の学は最も闇昧を忌む。須く是れ明白端的、白日に十字街頭に在つて事を作すが若くにして一毫も人を瞞き得ずして方に可なるべし。卑きときは則ち自から実なり。高きときは則ち必ず虚なり。故に学問は卑近を厭うこと無し。卑近を忽にする者は道を識る者に非ず。・・・故に知る凡そ事皆當に諸れを近き求むべくして遠きに求むべからず。遠きに求むるときは則ち中らず。学者必ず自ら其の道の卑近を恥じて敢えて高論奇行を為して以て世に高ぶる」。

 

また仁斎は、自己を社会関係から孤立せる存在として措定して社会に背を向けているように見せて己はさも達観した存在であるかの如く逆に優越的な位置から社会を見下ろして「御託宣」を垂れる思い上がった増上慢どもに対しても次のように筆誅をくらわす。

 

「人の外に道無く、道の外に人無し。若し夫れ人倫を外にして道を求めんと欲する者は猶風を捕り影を捉うるがごとし。必ず得べからず。故に道を知る者は必ず之を近きに求む。其の道を以て高しと為遠しと為企て及ぶべからずと為る者じゃ皆道の本善に非ず。・・・仏老は一身上に就いて道を求む。故に天下の従うや否やを顧みず専ら清浄無欲以て一己の安きを成就せんと要して卒に人倫を捨て礼楽を廃するに至る。・・・遂に人事を廃して修めず天下を蔑にして顧みず顔を抗げ眉を揚げ肆然として道を談ず」。

 

 

 明晰に言えることは明晰に言うべし。なるほど、これを是としても、では文体(スタイル)それ自体に拘ることは誤りであると言えるのか。確かに、現代の理論哲学に関しては、ある部分において妥当するかもしれない。というのも、ただでさえ抽象的かつ理論的な問題を扱う場合、過剰にレトリカルな表現を使用することは問題の核心部分が何であるのかが暈してしまい理解を一層妨げる危険性があるからだ。概念を明晰にしなければ、何をどう論じているのか焦点が定まらない理解に終らせ、結果的に思考をして茫漠としたイメージの交換と化さしめる恐れがあるということである。

 

 しかし、こと批評や倫理にかかわる文章についても同じことが言えるのか。ここで想起したいのは、デイヴィッド・ヒュームの文体である。デイヴィッド・ヒュームほど哲学者の中でその人格について毀誉褒貶著しい人物も珍しいのではないかと思われる。ヒュームの哲学がキリスト教とりわけ人によっては狂信的に思えるピューリタニズムの神学にとって不都合と受け止められたためか、ビーティやウォーバトンのような神学者からの批判があることは予想はつくだろう。自分の学説に対する批判に比較的寛容だったヒュームもさすがに堪忍袋の緒が切れたのか、彼らは「私を紳士として扱わなかった」と激怒していたという。ジョン・ブラウンは『当代の風俗と徳義考』において、ヒュームのことを「人気取りと金儲けに腐心した」と激しく人格攻撃をしている。またスコットランド人嫌いで有名なサミュエル・ジョンソンは、「愚鈍で悪者で嘘つき」であると罵倒する。ボズウェルは、「虚栄こそが彼を魅了した愛人であり、一生彼の心を掴まえてはなさず、彼を支配し続けたものである」と散々の言い様である。あのジョン・スチューアート・ミルまでも「文学趣味の奴隷」と難詰しているし、進化論で有名なハクスレーも「単なる有名欲や世俗的成功欲が多分にあり、それゆえに哲学を捨てて受けのいい政治論や歴史に向かうようになった」と罵倒する。加えてデンマークのクルーゼも「文学的野心に憑りつかれて真理の探究に無関心になった」と述べ、アメリカのジョン・ランドルも「ヒュームは二つの目的のために物を書いた。一つは金をもうけるためにであり、一つには文学的名声を得るためにである」と中傷してやまない。

 

 しかし、ヒュームはそこまで罵倒されるような人格であったのかというと、どうも実態は異なるようだ。ヒュームは「もし私がスコットランドに年収百ポンドも収益できるような土地を相続していたならば、私は一生郷里にとどまり、農業に勤しみ、土地を改良し、読書をし、哲学について書いたことであろう」と友人に宛てた書簡にて述べている。ところがヒュームは、その家柄が伯爵家につながる小領主で、母方の祖父はスコットランドの最高民事裁判所長官であるなど法律家の家系に生まれたとはいえ、次男であったために当時のスコットランド法ではさしたる遺産相続の持分はなく、自力で経済的基礎を築き上げねばならなかった。しかも、カルヴァン派の教会に目をつけられていたために、エディンバラ大学グラスゴー大学の教授にもなり損ねてしまい、やっとのことでありつけた職であるスコットランド法廷弁護士図書館司書の年棒はわずか40ポンドだったという(ところが晩年のヒュームは、不労所得だけで毎年1000ポンドの収入があったらしい)。『自伝』によれば、「徹底的に節約した生活をやって資産不足を補い、何とかして独立してやっていきたいと思った」とある。

 

 ヒュームは、自らの活動のためには経済的自立が必須だとしていた。サラリ―をもらって生活している者は、経済的独立なきゆえ真に利害関係を超えた立ち位置を確保することはできない。大学の教員も結局は雇われの身なので経済的独立はなく、真に「知識人」として思い切った言動はできずにいる。ヒュームはこうした事態を打開せんと、英国スチュワート朝成立過程を描いた『ジェームズ1世及びチャールズ1世治下の英国史』を1754年に上梓した。ジェームズ1世は元々スコットランド王ジェームズ6世であったが、未婚のエリザベス1世の死去を受けて英国国王に即位してジェームズ1世となった人物である。元はスコットランドの出であるので、エディンバラにあるスコットランド法廷弁護士図書館の司書であるヒュームにとって資料集めが容易であったこともあって、第1巻を飾ることになったものと想像される。この第1巻は頗る評判が悪く、1年間で45部しか売れなかったらしい。相当へこんでフランスへの隠遁も考えたというが、その2年後には続編としてチャールズ1世の処刑からクロムウェルピューリタン革命までの歴史を書き上げ成功を収めてから、3年後にはチューダー王朝の歴史を書き、その2年後には遡って『ジュリアス・シーザーの侵入よりヘンリー7世までの英国史』を完成させる。すなわちヒュームは、自分の一番身近な時代から書き起こし、そこから遡及する形で歴史を叙述していった。

 

 実はこうした書き方は、ヒュームの哲学的主著とされる『人間本性論(人性論)A Treatise of Human Nature』にも見られるのである。『人性論』は、第1巻の悟性(知性)論、第2巻の情念論、第3巻の道徳論によりなるが、当初の計画では悟性、情念、道徳、政治、趣味判断の5つの主題につき論じる予定であったという。ところが、ケンプ・スミスやジェソップなどのヒューム研究の成果によって明らかになったことは、ヒュームは先に第2巻、第3巻の内容を考え、ある程度書いた上で第1巻を書き始めたというのである。

 

 ヒュームにとって、純粋哲学の原理的な仕事の周辺に政治や歴史といった余技があったというのではなく、すべて混然一体になっていた。ところで、A Treatise of Human NatureとAn Enquiry Concerning Human Understanding(『人間悟性(知性)研究』)とを読み比べてみると、普段から英語を使用している者にとっては一読瞭然であろうが、明らかに後者の方が読みやすい簡潔・明晰な文章になっている。フランスのルネ・デカルトゆかりの地であるラ・フレーシュで3年かけて書き上げ、ロンドンのジョン・ヌーンとの交渉で出版にこぎつけた主著の英語は、ところどころスコットランド表現が使用されていたりして必ずしもジェントルマンの上品な英語とまでは言えない。日本の気取った研究者が海外の学会に送付した気張りすぎた論文の文章のように妙なぎこちなさが残っていて、決して貴族階級の好む美しい英文とは言えない。それに引き換え後者の英文は、まるで別人の英国貴族階級の紳士がものしたかのような簡潔極まりない美文である。それもそのはず、ヒュームはTreatiseの興業的な「失敗」の理由をその内容ではなく様式に帰していた。

 

「いかなる著述の企ても、私の『人間本性論』ほど不運なものはなかった。それは印刷機から死んで生まれおちたのであった(原文では、dead-born from the Pressという表現までしている)」。

 

 

 意気消沈するのも束の間、「しかし、生まれつき機嫌のよい気楽な性質だったから、私は極めて速やかに立ち直ってこの打撃から立ち直り、田舎で研究を非常な熱意をこめて続けた」とヒュームは語っている。この間、ヒュームは自身の英語力を磨こうとして英語の勉強にとりかかる。ヒュームが手本にしたのは『スペクテーター』誌の文章で、そこの明晰でかつ上品、さらにユーモアに富んだイングリッシュ・エッセイの代表ともいうべきアディソンの機知と諧謔を交えた明晰な文体を真似て文章修行を続けた結果、十年後にTreatiseにはなかった奇蹟論を追加してEnquiryを書き上げるのである。

 

 こうした表現上の努力によりEnquiryやその他政治論集も版を重ねるように売れ、ハーファド伯爵やコンウェイ将軍の後ろ盾もあって国務次官まで上り詰め、パリの社交界でもle bon Davidと呼ばれるほどの人気者となったという。言葉は単に情報を伝達するだけの手段ではない。内容さえよければ様式はどうでもいいというわけでもない。「内容と形式」といういささか使い古された文学研究上の枠組みも、あながち的外れというわけでもないという好例であろう。

 

 小林秀雄は、『本居宣長』(新潮社)の「補記」において次のように述べている。

 

「哲学者プラトンは、文章というものについて、非常に鋭敏な、異様とも言えるほど鋭敏な意識をもっていた。・・・『パイドロス』は、プラトンの作の中でも愛読したものだし、それに、この作の発想には、宣長の基本的な考えに、直ちに通ずるものがある」。

 

 また哲学者の中村雄二郎は、作家の大江健三郎との雑誌『新潮』での対談において、当時「最後の小説」と思って書いた『燃え上がる緑の木-第三部大いになる日に』(新潮文庫)を終えた後はスピノザドゥルーズスピノザ論を読んで暮らしたいという大江に向かって、スピノザの『エチカ』(岩波文庫)の厳格なスタイルをウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』のスタイルと並べて、その動かしがたい独特のスタイル自体の持つ力について触れていたかと記憶する。

 

 さらには、蓮實重彦山内昌之『20世紀との訣別-歴史を読む』(岩波書店)の中で、政治思想史学者丸山真男の思考について、蓮實は丸山の日本社会の分析は今もなお有効性を持ちその思想はしかるべき点でドゥルーズに先んじていた側面がある優れたものであるにもかかわらず引用したくないと思わせる理由に比喩やレトリックに賭ける意思が不在である点を挙げていたかと思われる。その点、「現代思想」の論者の言葉や表現あるいは文体に対する執着は凄まじい。スタイルに関する強いこだわり。同じ内容を伝達するにしても、スタイル如何によって異なる効果を及ぼすことぐらい文学に多少触れた者ならば理解できるはず。否、その場合は「同じ内容」とは言えないのかもしれない。

 

 アカデミズムの伝統的な文体と違い、さりとてジャーナリスティックな文体とも違う独特の文体。特に批評ともなると、その内容ばかりではなく文体=スタイルがともなうことが多い。中村光夫の「です・ます調」の文章も、中村の批評的文体となりおおせているし、ともすれば福田恆存丸谷才一の「歴史的仮名遣ひ」もその一つと考えることだってできるだろう。とりわけ蓮實重彦ともなると、この点が際立つ。蓮實独特の文体が生まれたのは、本人の弁によれば東京大学仏文科大学院の修士論文執筆の頃らしいが、あの文体なくして果たして批評家としての成功が望めたであろうか。『表層批評宣言』(ちくま文芸文庫)や『シネマの煽動装置』(河出書房新社)でみられるあの異様すぎる文体そのものが蓮實の批評の「内容」ともなっていると言えるのではないか。

 

 批評とは、一つの文体=スタイルの確立とともにある。そのことを蓮實重彦の批評は物語っている。最近では、千葉雅也『意味という無意味』(河出書房新社)が、特異な文体で貫かれたテクストとして際立っているだろう。博士論文を改稿したかたちで出版された『動きすぎてはいけない-ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)も通常の哲学論文とは違った特徴ある文体で書かれていたが、それでもまだ抑制された調子で書かれていた。対してこの『意味のない無意味』は、前著と異なり、批評的な文章であるためか一層圧縮したような「異様さ」が際立っている。この「異様さ」のために確かに読みにくい文章になっているわけだが、おそらくこれは殊更難解に見せるための装飾として意図されたというわけではなく、それとは別の理由からなのであろ。

 

 例えばギャル男やストリートファッションについて語られる批評は、この書に収録される文章の中で最も輝いている文章であり、その文体の濃密さが現れている文章であると思われるが、もちろん哲学的に難解な問題を扱っているわけではない。この文体は何も装飾のためのものではない。粗雑に言ってしまえば、この文体そのものが語られる対象の持つ輝きを際立たせるエロティックなものと化しているのである。「あなたにギャル男を愛していないとは言わせない-倒錯の強い定義」には、こうある。

 

「激しいタンニングとは、全身へと拡げられ抽象化された刺青のごとき、傾きのスティグマである」。

 

 

「『記号的乱交semiotic promiscruity』、それこそが、マンバやセンターGUYの身体のコラージュである。ギャル男の極限形式であったセンターGUYのヘアの、ギザギザでスカスカの『盛り』は、半面では、屹立した男根、すなわち<性別化というリアル>の印であるだろうとしても、同時にもう半面で(それを否認的に排除して)それは、欲望の多すぎる理由づけを遮断するいくつもの忘却戦のイメージとしても解さなければならない」。

 

 

「分離して-女装する女性に-なり、虚実の狭間をどうでもよくたむろしているギャル男のギザギザでスカスカの『盛り』-それは、<倒錯の強い定義>によって互いに分離された、互いに無関係なるthingの社交性、あるいは、各々が自らにおいて多面的に絶滅を経ているかのような『頭空っぽ性』に即して構想される何らかの共同性のアレゴリーなのであり、そのような共同性、あるいは多孔化された共同性を、現代日本の批評では、たとえば日本の、ひとつの希望として思弁しているのである」。

 

 ギャル男の極限形態であるセンターGUYが男同士でセックスで盛りあっている姿を夢想しながら勃起した興奮状態で綴られたそれ自体エロい文体。言葉の「物質性」が開示された文体。批評とは、ただ受け流される情報の伝達装置としての言葉ではなく、言葉そのものをその場で輝かせる何者かでなければならない。批評が、その批評対象に愛撫する言葉たちの「乱交」によって読む者を眩惑させる。異様な文体は、この劇的効果を企図してのものでもあろう。「アンチ・エビデンス-九〇年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い」や「美術史にブラックライトを当てること-クリステャン・ラッセンのブルー」もなかなか良い。

 

 但し、メイヤスーに代表される「思弁的実在論」に関しては、さほどの関心を催さないことも付け加えておきたい。一見しての感想にとどまるが、思弁的実在論はその立論内容自体に概念的混乱が見られ、特に必然性と不可能性との関係についての思考がきちんとなされているとは言い難い。また自然科学に則るというのでなくとも、少なくとも自然科学や数学の知見をとりこまない形而上学存在論ではおそらく得られるものはあまりない。しかしそうなると、ものすごい手数を要するほとんど不可能事ともいっていい労務を強いることにもなる。たとえ局所的に流行っていても早々に廃れていくのでないだろうか。むしろ狭義の社会存在論倫理学として読む方が面白く、千葉にはメイヤスーそのものに捉われることなく、その方面に切り込んでいってもらいたい。「お行儀の良い」「善良な市民」のための無菌化された倫理学が氾濫し、倫理学の豊饒さが失われ窒息しかかっている時代だからなおさらである。