shin422のブログ

右翼反動による「便所の落書き」擬きの日記

思想としての「大阪」

 学問的な厳密性を犠牲にしても否定しがたい魅力を持つ書物というものが存在する。中沢新一『精霊の王』(講談社)は、その一例である。柳田國男の「石神問答」と金春禅竹の「明宿集」の読解から触発され飛翔するその思考はとどまるところを知らず、道端の石ころの話から地球大の話へと展開する。もちろん実証も論証もないので学術的価値はほぼ皆無ということになるのだろうが、中沢の自由奔放な想像力には思わず唸ってしまう自分がいることも否定できない。

 

 総合商社や広告代理店あるいは放送局に進んでも成功していたであろうこの中沢の奔放な想像力に触発されその基本的アイディアを掴んだ典型が、白井聡『「物質」の蜂起を目指して-レーニン、「力」の思想』(作品社)だろう。この書が、中沢新一の著作とくに『はじまりのレーニン』(岩波現代文庫)や『緑の資本論』(ちくま文庫)の後半の<モノ>論に影響されているのは見え見えである。なお、白井が評価する中沢新一『野生の科学』(講談社)は、この『精霊の王』と同様、何の前提もなくいきなり凄まじく抽象的なホモロジー代数を持ち出して論じるなどファッショナブル・ナンセンスを繰り返しているのが気になって仕方がない人も多かろうと想像するが、この点は無視して読めばよい。

 

 さて『精霊の王』によると、シャグジ=宿神という記紀以前の「古層の神」、否、神というよりもむしろ精霊という方が相応しい存在を金春禅竹は猿楽における「翁」と結びつける。猿楽における「翁」概念は宿神であり、日本の神々はその多様な現れであるというのである。

 

「『明宿集』は根源の神である『翁』の概念をもって、この列島に形成された宗教的な観念や思考のより分けをおこない、『古層の神』をめぐる縄文的な思考を内部に組み込んである神や仏をみつけると、それを『翁』と同じ構造をもつものとして、巧みに選別することができたのである。・・・スピノザの哲学が唯一神の思考を極限まで展開していったとき、汎神論にたどりついていったように、金春禅竹の『翁』一元論の思考も、ついにはアニミズムと呼んでもいいような汎神論的思考にたどりつくのである。・・・『翁』の背後には、目に見えない高次元の『シャグジ空間』が、まるで不思議な生き物のように呼吸をしたり、変身したり、動いたりしていることになる。それは目に見えない潜在的な空間の成り立ちをしている。そして、その内部には現実世界をつくりだす力と形態の萌芽がぎっしりとつまって、渦を巻いて絶え間なく運動をしている。潜在空間と現実世界との境界に形成される、薄い膜のようなものをとおして、不断に何かが出入りをおこなっている。・・・芸術にせよ、哲学にせよ、政治的思考にせよ、あらゆる活動の背後に『後戸』の空間があると理解してみると、いわゆる『日本的』な精神の構造が、異質な二種のトポロジーの二重並列的な共存としてできあがっていることに、気づかされる。背後にはクラインの壺状のもの、その前面には空虚な中心をもつトーラス状のもの。・・・『後戸』の前には、光や啓蒙や秩序をささえる超越者たちが、神や仏の姿をして立つ。こうした超越者たちは、メビウスの帯またはクラインの壷の構造をもった宿神的空間を裂開して、それを二元論の思考の発生しやすい別のトポロジーに改造することによって、超越をめぐる思考が権力の思考と一体であるような環境をつくりだしてきた。

 

 正にファッショナブル・ナンセンスな表現で満ち溢れた「知の欺瞞」炸裂といった文章に見えるが、それを差し引いても余りある魅力つまり我々の妄想を掻き立てくれることもまた確かなのである。中沢新一は、その類稀なる想像力=妄想力によって土地の地層、特に地質学上の「第四期」と現代の地層を重ね合わせることで、その土地の特徴からくる人々の潜在的な「心の無意識」を呼び起こし、そこから東京や大阪の街の特徴を暴き出す。『アースダイバーー東京の聖地』(講談社)や『大阪アースダイバー』(講談社)がそうである。

 

 『大阪アースダイバー』では、主として西成を中心に語られがちな通常の「大阪論」とは違い、上町台地船場そして河内を中心に論じていることに特徴をみることができそうである。生駒山麓の方にいる縄文系の系譜に属する者と海民の系譜に属する者とが入り混じる「カヤ世界」という現在の国民国家の枠組みとは別の共通世界の東端部としての大阪という像を打ち出し、戦後に主として韓国の済州島から大阪に密航してきたニューカマーとしての「在日」の問題を重ねる筋立ても、かなりの飛躍があるものの読む者を楽しませてくれる。

 

 また旧渡辺村に注目し、大阪を論ずる場合に避けては通れない同和問題にもタブー視することなく切り込んでいる。この辺りの筆致は、中沢新一の叔父でもあった網野善彦『無縁・公界・楽』(平凡社ライブラリー)を思わせる貴種瑠璃譚といった調子で面白い。人並み外れた力を持った者たちが反転して虐げられていった歴史の犠牲者への優しい眼差しすら感じさせる。当時は「エゾ」と呼ばれていた東京では文化のベースが狩猟採集生活にあったことから死や血や動物の殺害に対する不浄感が希薄であったのに対して、西日本では早くから稲作文化が進んだので自然への畏怖感が強く、血や死に対する強い不浄感が根底にあって、中世以降の差別構造が確立し、今日にも根強い差別が残るに至ったということはよく耳にする話ではあるが、文明としての歴史が古く、長く都がおかれていた畿内及び畿内周辺をはじめとする西日本は、東日本よりもある意味濃厚な歴史を積んできたとも言える。

 

 但し、この箇所が本書の特質すべき箇所なのではない。まぎれもなく本書の中心に位置するのは、先述の通り、船場上町台地という局所的な場である。船場から北御堂・南御堂を貫通して千日前へとつながる御堂筋の縦のラインにおいて形成されてきた資本主義が、商都大阪の基礎となっていることが強調されている。田舎者の流入者ばかりの集まりである東京と違い、大阪は古くから都市であるが故に、網野善彦のいう「無縁」の原理の上に「信用」を基礎にした組合的つながりが可能であったという。谷崎潤一郎細雪』には、そんな船場の商慣行が描かれている。そういう関西ブルジョア文化の形式的洗練さに惹かれたのが、関東から流れ着いた「亡命者」谷崎なのであった。この谷崎の世界は、明らかに織田作之助夫婦善哉』の世界とは異なる。

 

 最近では、千日前や西成の世界に代表される庶民の文化や吉本興業が席巻するコテコテのお笑い文化ばかりが強調される大阪の文化であるが、大阪の文化というのは本来多層的である。日本の資本主義の発展やそれを担った資本家の多くは船場商人に由来するものであって、日本で初めてにして唯一の近代的なブルジョア文化が花開いたのは船場であり、その船場商人が上町台地から阪神間に移り住んだことによって「阪神間モダニズム」と呼ばれる文化が起こり、それが徐々に東京にも移っていった。

 

 大阪に行って注意深く耳を澄ませていると、同じ大阪人でも話す言葉が全く異なることがわかる。船場言葉に由来するはんなりとした言葉もあれば、河内や泉州のように他都道府県の者からすれば「どぎつい」言葉もある。ましてや京都や神戸ともなると全く言っていいほど言葉や文化の底流が違っていることがわかる。祖父母の家が大阪と神戸の中間にある西宮にあるので、東京に生まれ育った僕でも、いやそうだからこそかえって理解できるのかもしれない。

 

 その『細雪』であるが、この作品は俗に「現代版源氏物語」とも称される通り、関西の上流階級の一家である蒔岡家の四姉妹の生活を淡々と描くことで完結している。昭和10年代の阪神間に住むブルジョア階級の典雅な生活・風俗が絵巻物のように描かれていくばかりで、政治経済的な「大事件」は直接には描かれてはいない。「阪神大水害」であったり東京の台風被害であったりと、自然の猛威を前に為す術なく呆然と事態をやり過ごすしかない儚い人間どもの生態が描写されているにすぎない。あとは、婚約話であったり蛍狩りに行ったり京都の平安神宮での花見、奈良への旅行あるいは稽古事の「お師匠さん」の死であったり、あるいは鯖の寿司を食したせいで赤痢に罹患したりといったことばかりで、日常に起こりうる個人的事件の逐次がさしたる登場人物の内面の描写もなく、むしろ滑稽に描かれる。

 

 谷崎は近代小説にみられる「内面なるもの」への疑念を持ち、私小説的描写をこの『細雪』をはじめとして『吉野葛』や『蘆刈』でも意識的に排除している。その試みは近代に背を向けたアンチ・モダンな作風を醸し出しているかに見えるが、敢えて意識的に文体上の工夫を凝らしてある種の実験をしていたという意味で、逆説的ながら驚くほどモダンな振る舞いをしていたとも言える。それゆえ『細雪』は、「現代版源氏物語」という一面からではなく、最も完成された近代小説という一面からも見直されるべき作品であるように思われる。

 

 『細雪』は、徳川の世から連綿と続く大阪船場の老舗問屋蒔岡家を舞台としている。昭和10年代といえば、軍国主義の風潮が徐々に社会を覆い始め、戦争のきな臭さが漂い始めた時期である。にもかかわらず谷崎は、そのような世相を直接反映させた野暮な表現は一切とらなかった。戦争などあたかもないように、ただひたすら淡々と蒔岡家四姉妹の生活を主として雪子の視点から描いていく。世の事件や時局の緊張など我関せず、興味は戦争の行く末よりも今年の醍醐の花見にどの着物を着ていくべきかにある。それこそ、「古今集」の昔から延々と繰り返し桜の歌が何百首何千首と詠みつがれてきたように、毎年恒例のお花見、蛍狩りなどの行事が繰り返されていく。

 

 そうした中、出入りの写真屋で四女妙子と恋仲になる板倉が中耳炎の手術の失敗のために突如死を迎えることになる。物語の中で最大の事件ともいってよいこの唐突な中耳炎が原因しての死という出来事が、これまで進んできた物語を中断させるかのように不意に出来するわけだが、その伏線は、そのような言葉を言いそうにもない雪子の「うち、板倉みたいなもん、弟にもつのかなわんわ」という言葉にあった。この瞬間、淡々と進む物語にある種の亀裂を生じさせる微妙な細部がじわりじわりと物語を侵食してゆく。蒔岡家の令嬢とそこに出入りする板倉との階級関係が露呈される瞬間である。関東にはついに生まれることのなかったブルジョア社会の見えない階級関係の露呈。関東大震災後に、関東から「亡命者」として芦屋に移住してきた谷崎は、大正デモクラシー期の大衆化を東京で経験したその先に、近代におけるブルジョア階級を近世から続く蒔岡家とその周囲の者との関係を通して婉曲的に表現することで、近代社会の出現を示しているのである。

 

 大衆社会の全面化によって、露骨なまでの階級分化をみせることはなくなったものの、関西には今もその名残とでもいうべきものが見られる。それは一言でいうと「阪急的なもの」ととりあえず言っておけるであろう独特の現象である。映画『阪急電車-片道15分の奇跡』は、誰もが身に覚えがあるだろう日常のとりとめもない問題を抱えながら生きている中で、深刻とまでは言わずとも幾分か悩みの種を抱える人々の小話をちりばめつつそれが一つながりになって展開されていくという一種の群像劇である。日常よくある話の寄せ集めといったらそれまでだが、この映画の主役は題名にあるように、紛れもなく「阪急電車」であることが重要である。もちろん、この登場人物がブルジョアであると言いたいわけではない。阪急電車だからこそ成り立つという点にこそ力点が置かれるべきなのである。

 

 ともかく話の内容を確認しておくと、映画の舞台は、阪急電鉄とはいっても、神戸線でも宝塚線でも京都線でもない。本線に対する支線の位置づけである今津線の北線である。今津線の北線は、西宮北口駅から宝塚駅までのわずか15分ほどの区間である(もっとも今津線自体は、西宮北口駅から阪神電鉄今津駅までの南側の区間もあるのだが、西宮北口駅で北側方面と南側方面では分断されており、今津線といえば西宮北口駅から宝塚駅までをイメージする者が圧倒的である)。この区間は、閑静な住宅街が広がる一帯である。阪急の持つ高級感を代表する区間と言えば御影山手住吉山手、六麓荘、苦楽園などなど日本屈指の高級住宅街を抱える夙川駅から六甲駅までの区間が選ばれそうだが、今津線沿線はそういう街とは趣を異にしている。今津線北線は、程よい中流階層が集中する高級とまではいかないが品のある閑静な住宅街が連なる。

 

 この映画の成功は、阪神でもなく近鉄でもなく京阪でもなく南海でもなく、ましてや東急でもなく京王でもなく小田急でもなく東武でも京成でも京急でもなく、他ならぬ阪急であればこそ可能であった。阪急にしかない何か、その「阪急的なもの」がおぼろげながらでも見え隠れしていたからである。といっても、ここにいう「阪急的なもの」は、それが持つ高級感そのものということではない。なるほど、関西の者に尋ねるなら、その多くが「阪急」に対して持っているイメージの一つは「高級感」なのかもしれない。確かに、阪急神戸線の夙川駅から六甲駅までの区間は日本屈指の高級住宅街が広がる。日本の資本主義を支えてきた財閥の当主やその他大企業の創業家一族が居を構え、明らかに小金持ちの成金が多い東京の高級住宅地とは趣が異なる。

 

 「阪急的なもの」とは、単に「高級感がある」といった安っぽいものではなく、強いて言えば他の私鉄沿線にはない独特の「地に着いた」落着きないしは品なのである。関東でいえば東急に近いものがあるが、やはり東急には阪急的なものが醸し出す「落ち着き」に欠ける。同じ阪神間を走る阪神電鉄と比べると一目瞭然であろう。その距離は直線距離にしてわずか数キロである。にもかかわらず、一度乗ればわかろうが全く違う。このような如実な違いは、他の地域の私鉄沿線には見られない現象であり、東京に生まれ育った僕ですら肌で感じ取れる。

 

 なお、この今津線沿線には阪神競馬場がある。仁川駅がその最寄駅で、JR武蔵野線船橋法典駅から中山競馬場まで地下通路がつながっているのと同様、駅から地下通路が設けられている。それはともかく、いわば「鉄火場」である競馬場を沿線に持っているにもかかわらず、仁川駅周辺にはそのような雰囲気はまるでない。競馬場があるにもかからず閑静な住宅街の雰囲気を醸し出せているのは、もちろJRAの考慮にもよるところ大なのであろうが、この「阪急的なもの」が博打の負の側面を打ち消してあまりほど強く今津線沿線に張り巡らされているがゆえなのであろう。博打場ですら、その猥雑なイメージをかき消されてしまうほどの「阪急的なもの」がアウラとしてとして満ち溢れていると言ったら大げさだろうか。この「阪急的なもの」とは、我が国の近代化の過程の一時期に花開いた唯一のブルジョア文化の精華のわずかながらの名残りである。

 

 映画『大阪物語』は、多層的な文化を大阪の持つもう一つの側面が描かれている。大阪という街の一つの側面が繊細にフィルムに定着している傑作と言ってもよいのではないか。主人公は、沢田研二・田中裕子が扮する売れない夫婦漫才師の長女である中学生の若菜で、池脇千鶴が演じている。沢田研二扮する父親は、生来普通のサラリーマンとしてやっていけないズボラな性格で、博打や女にうつつを抜かす男で、当然妻にうだつが上がらない。しまいに二十歳ほど年の若い女の子供を身ごもらせてしまい、堪忍袋の緒が切れた妻から離婚を突き付けられる。離婚はしたものの、夫婦漫才は解消せずパートナーとしてつかず離れずの妙な生活がしばらく続くが、ある時、その父親が失踪する。池脇千鶴扮する若菜は、父親を捜そうとはしない母親に怒りをぶつけ、遂には家出をして父親捜しの旅にである。旅とは言っても大阪市内を捜しまわるだけなのだが、ある深夜のミナミで、同じ中学の男子で学校に来ずに建設現場で働いているトオルと再会する。別の不良集団と抗争の最中であったが、何とか逃げ延びたトオルの住んでいる宿に泊まり、失踪した父親を探し求めて縁故者の元をトオルとともに大阪の街を歩き続ける。淀川に架かる橋の真ん中で両端から補導員と抗争相手に挟まれた若菜とトオルであったが、トオルは両者から逃げ切ろうと若菜にさよならを告げて橋から淀川に飛び込む。川の中を泳いで対岸に辿り着いたトオルを橋の上で確認する若菜のもとにかけつけた補導員から父親は病院にいることを告げられ、若菜が病院に駆けつけると、若菜を除く家族が笑い顔で迎えてくれる。その一か月後あっけなく父親は死ぬ。

 

 ざっと粗筋を言えばごく短くまとめられるわけだが、この映画も主役は「大阪」という街なのではないかと思えるほど、「大阪の臭い」がプンプンとしてくる。映画の中でミヤコ蝶々池脇千鶴に対して、失踪した父親はきっと大阪の街を離れていないだろう、大阪は外から流れてきた人間もいつの間にかいついてしまう不思議な街であるといったようなセリフを語っていたことも印象的である。かつて浅田彰大阪市から街を国際化するにはどうすればよいかと尋ねられた時に浅田が大阪は既に国際的な都市である旨の返答をしたというエピソードが妙に重なりもする。映画の冒頭から、おそらく瓢箪山と思える街(近鉄が出てくるので、多分そうではないか。確か池脇千鶴の出身地も東大阪瓢箪山近くの街だったかと)の商店街が登場し、大阪の街の雰囲気に一気に飲み込まれる。

 

 何よりも美しかったのは、真心ブラザーズの「Endless Summer Nude」の曲に乗せて若菜とトオルが自転車に乗って大阪の街を疾走するシーン。失踪したはずの父親から知人に宛てられた「夏が来て 短いスカート 風よ吹け」とだけ書かれた暑中見舞いの葉書を目にして父が生きていることを知り、周囲の世界の表情が一変する。別に恋人同士が美しい光景広がる自然の中を走り抜けるわけでもなければ、特別に整備されたお洒落な街を走っているわけでもない。むしろ明らかに小汚い場所を疾走している。500円で自転車を買ってくれとねだる壊れた眼鏡をかけた盗品の故買屋らしき怪しいおっさんは出るわ、用もないのにママチャリを必死こいて漕いで西成の街を疾走するおっさんも登場するわで、美しさとは無縁の光景。西成の釜ヶ崎新今宮から天王寺までの環状線沿線の段ボールハウスが連なっていた場、安治川か木津川かの沿岸付近の工場地帯のポンポン船、いわば「ディープ」な場所であるのにやたらと美しく見えるのは、その土地の臭いその土地に生きる者の体臭が、ある種のノスタルジックな感情と決して恵まれたとは言えない境遇におかれた思春期真っ只中の者の抱える鬱屈した世の中へ怒り感情を乗せながらともにそれらが浄化されていくように思われたからもしれない。

 

 橋の両岸から警察と対立する不良連中に挟まれ観念したのか、「これで終わりにしよか。ほな」と言って淀川へ身を投げ川の流れに逆らって泳いでいくトオルの後姿は、あのひと時が一つのメルヘンでもあったことを告げ知らせているかのようだ。父が遺した幼い女児をおぶっている若菜も自己のおかれた状況を現実として受け止めつつ、しかし同時に深刻にはならず生きていこうとする逞しさ。この夏休みを境に彼女の何かが変わった。きれいなものも汚いものも関係なく吸収していくといった清濁併せ呑む街である大阪の生き方としてのリアリズムをそこに見ることもできないわけではない。あるいはここに倫理を認めることもできるだろう。

 

 倫理は、世の道学者が書斎の中で空想に浸りながらひねり出した思弁から引き出されるものとは別に、人間のおかれた具体的状況から立ち上ってくるものでもある。でなければ、何一つ響かない。義務論や功利主義のように何らかの原理から導出される規範としての倫理とは別のリアルな倫理である。リアルな倫理は、教説ではなく伝染である。本居宣長の『玉鉾百首』に「人みな物のことわりかにかくに思ひはかりていふはからこと」という漢意について書き付けた言葉がある。この言葉につき、宣長の学を継ぐ本居大平は次のように注釈している。

 

「からことは漢流の説をいふなり。世の人、何事につけても、それはかやうの理にて、しかり、これは、かようの理にて、然りと、まずその理を、とやかく也とさだめいふ。それはみな漢国の風俗にて、から説なり。すべてのこと、その理は実はしれぬことなれば、大やうにて、何となく心得おくぞ、御国のいにしへの意なりける」。

 

また『くず花』にて宣長いわく、

 

「漢国の人は、聖人の智は、天地万物の理を周く知り尽くせると心得居るから、そのさかしらを手本として、己が限ある小智をもて、知りがたき事をも、強てはかりしらんとする故に、その理の測りがたき事に至りては、これを信ぜず、おしてその理なしと定むるは、かしこげに聞こゆれ共、返りて己が智の小きほどをあらはすもの也」。

 

『直毘霊』にていわく、

 

「神は、理の当り当らぬをもて、思ひはかるべきものにあらず。ただその御怒を畏みてひたぶるにいつきまつるべきなり。されば祭るにも、そのこころばへ有りて、いかにも其神の歓喜び坐すべきわざをなも為べき。そはまづ萬づを斎忌清まはりて、穢悪あらせず、湛える限り美好物多に献り、或は琴ひき笛ふき歌舞ひなど、おもしろきわざをして祭る、これみな神代の例にして、古への道なり。然るをただ心の至り至らぬをのみいひて、献る物にもなすわざにもかかはらぬは、漢意のひがごとなり。さて又神を祭るには、何わざよりもまづ火を重く忌み清むべきこと、神代の書の黄泉段を見て知るべし。是は神事のみにあらず、大かた常にもつつしむべく、かならずみだりにすまわじきわざなり。もし火穢るるときは、禍津日神ところをえて、荒び坐すゆえに、世の中萬づの禍事はおこるぞかし、かかれば世のためにも民のためにも、なべて天の下に、火の穢は忌まほしきわざなり。今の代には、唯神事のをり、又神の坐す地などにこそ、かづかづも此の忌は物すめれ。なべては然る事さらになきは、火の穢などいふをば、愚なることとおもふ、なまさかしらなる漢意のひろごれり」。

 

 一般的原則を導出してそこから具体的行為の是非弁別や善悪を演繹する思想を拒絶する、具体的生活実感から生まれ出る倫理。小賢しい思弁の結果としての倫理ではなく、人間の身の丈にあった自然な倫理は、生活の中から自ずと出てくる生き方の一つの型なのかもしれない。生き方としてのリアリズムは、それを示してもいるように思われる。