shin422のブログ

右翼反動による「便所の落書き」擬きの日記

ブラックホールとメディア

 アインシュタイン一般相対性理論によってその存在が予言されていたブラックホールの姿が高解像度の電波望遠鏡によって得られたデータを分析することによって明らかになったことが発表された。桜田義孝五輪担当大臣の辞任の報道の方が大きく扱われているが、この国の報道姿勢はどうなっているのだろうか。桜田の辞任など人類史にとってはどうでもいいニュースであって、メディアの感覚は完全に狂っている。この件で、我が国の国立天文台などの研究者も参画していたことは二重の喜びである。

 

 21世紀に入り、観測技術や情報解析技術の飛躍的な向上にともない、素粒子物理学・宇宙地理学などにおける基礎理論から導き出される物理的存在の観測が相次いでいる。素粒子標準理論から予言されていたヒッグズ粒子の存在がCERNの実験で明らかになっただけでなく、一般相対性理論から推測されアインシュタインがその存在を主張していた重力波も2016年に発見された。今回はブラックホールの直接観測の成功ときた。アインシュタイン一般相対性理論を実験的に裏づける証拠がまた一つ増えたことで、ますます一般相対性理論の確証度が増したと言えるだろう。

 

 もちろん物理学の理論は経験に基づく理論であるから、数学の証明のように絶対的な真であるわけではない。ともすれば一般相対論と抵触する観測事実が発見されないとも限らない。その意味で、暫定的な真であるわけだが、これまでの観測結果や実験結果において一般相対論を否定する事実は一つとして存在しない。暫定的な真ではあるが、限りなく確証度の高い理論であるとの評価が強くなるだろう。改めて数学に支えられた理論物理学やその理論の予測を実際に観測や実験によって検証する実験物理学をも含めた自然科学の実力をまざまざと見せつけられる思いがした。特に数学や物理学は人類の生み出した世界全体についての最高の体系知である。恐るべし、アインシュタイン!(報道では、一般相対性理論が証明されたと言っているが、これは不正確な表現である。数学の証明とは性質が異なるわけだから、理論そのものの証明という表現はいかがなものか。「証明」という言葉を使いたければ、一般相対論によってその存在が予測されたブラックホールの存在が証明されたというべきだろう。一般相対性理論を裏づける実験ないし観測による結果は既にエディントンなどによってなされていたわけであって、今回の結果は、重力波の観測とともに一般相対論の確証を更に一段と高める結果となったという方が相応しい)。

 

 今回の観測成功の報道は、一般相対性理論関係の大ニュースとして重力波の観測以来の事件なるわけだが、一般相対性理論によると、質量とエネルギーが時空の基本構造を歪めることになっている。物質が静止していれば空間は歪んだまま静止しているが、物質が振動運動すれば空間の基本構造に波が立ちそれが伝播していく。アインシュタインがこのアイディアを思いついたのは、1916年から数年にかけてのことだ。一般相対性理論重力場方程式によって、ちょうど電子が上下に運動すれば電波が出るように、物質が動けば重力波が生じることを示そうとしたのである。重力は時空の曲率のことであるから、重力波は時空の曲率の波であると言える。超新星爆発は、いわば時空という池に投げ込まれた小石のようであり、そのさざ波が外向きに広がっていく。但し注意を要するのは、電磁波や力波や水の波のように空間を横切って伝播していくのではなく、空間それ自体によって伝播していくという決定的違いがあるということ。そうすると重力波とは、空間の幾何学そのものに生じた歪みという方が正確な表現だろうと思われる。重力波は、このように一般相対性理論からの一つの帰結であるが、長らく論争のテーマとして物理学界を賑わせてきた研究テーマの一つである。

 

 なぜ長く論争になってきたかというと、おそらく単に物理学だけの問題に完結できない哲学上の問題が背景にあったからであろうと想像する。すなわち、マッハ原理として知られるマッハの哲学との関係である。ホイーラーが模索していたのも、このマッハ原理と相対論との整合的理解であった。仮に一般相対性理論にマッハの哲学が反映されているならば、空間の幾何学とは、大きな質量をもつ物体の位置と運動量を他の物体を基準として記述するために便利な術語体系でしかない。「からっぽの空間」というのは空疎な概念であって、「からっぽの空間」が揺動するというのがいかなる意味を持つのかという哲学的な疑問が生じるからである。それゆえ多くの物理学者は、空間を伝播する波という概念が登場したのは一般相対性理論の数学が理解されていないからであると考え、重力波の実在に関して懐疑的ならざるを得なかった。しかし2016年の研究成果によって、重力波の概念はアインシュタインの「妄想」ではなかったことが明らかになった。

 

 重力波の山と谷が通過すると、重力波により空間の幾何学に歪みが生じる。そうすると、空間と空間の中にある物質はある方向に引き伸ばされ、それと垂直な方向には圧縮される。多くの場所の間の距離を測定し、距離の比が瞬間的に変化する様子を捉えることができれば重力波の通過を検出したことになる。電磁波が膨大な数のフォトンが協調して進んでいるものとみなせるように、重力波は膨大な数のグラヴィトンが協調して進んでいるものとみなせるものの、グラヴィトン一個だけを検出するのは極めて困難である。例えば、原子爆弾の爆発で生じる重力波による観測者の身体の歪みは原子の直径にも満たないほど小さい。超新星爆発や非球形中性子性の回転運動あるいはブラックホール同士の衝突など天体物理学的波源によって生じた重力波であったとしても、波源が近ければ近いほど、質量が大きければ大きいほど我々が受け取る重力波は強力になるが、たとえ一万光年という近距離にある恒星が超新星爆発を起こしたとしても、それによって生じた重力波が地球を通り過ぎるときには、例えば長さ一メートルの棒が一センチメートルの100万分の一のそのまた10億分の1の長さだけ引き伸ばされるに過ぎない。つまりは原子核の直径の100分の1程度なのである。よって重力波を検出する装置は、きわめて小さな長さの変化を検出できるだけの精緻なものでなければならないのである。人類は肉眼で見える望遠鏡を利用することによって宇宙の姿を求め始めて、やがて肉眼で見える光は電磁波の中でもごくごく狭い帯域でしかないことを知り、赤外線望遠鏡、電波望遠鏡、X線望遠鏡、ガンマ線望遠鏡と次々と道具を更新して宇宙の新たな眺望を得てきた。重力波の観測という事件は、今回のブラックホールの観測と同様に人類の知の歴史にとって重大な事件であったのである。

 

 高校・大学時の部活の先輩が素粒子論を専攻し、今もEHTで研究しているが、特に物理学研究に関して東京大学は先のEHTやMITと研究交流を深めることで研究環境が比較的恵まれた体制になっていると聞く。この点は文科系との違いで、況や僕のいた法学部とは雲泥の違いである。とはいえ折からの財政難や安易な「実学」志向の政策判断などの理由から、予算獲得のための研究外の政治的気苦労が絶えないとも仄聞する。学問上の苦労なら結構ながら、学問研究に無理解なアホな連中に予算審議権が握られているため、無用な苦労を強いられている。

 

 本来なら、各分野で見識ある重鎮級の学者が歴代内閣に直接的に進言する制度が必要とされるところ、形の上では総合科学なんちゃら会議という組織があるばかりで、実質的に機能しているようには見えない。審議会ともなれば二流・三流の御用学者・御用ジャーナリスト・御用評論家の声ばかりがでかく鳴り響き、まともな意見が取り上げられない。米国は、トルーマン以後、大統領直属の科学顧問がついていて、その顧問は、国家を強くするには国の利益には直接的には資さない基礎研究に投資することが中長期的に見て合衆国全体の国力を増すことにつながるのだと主張したのである。ビッグ・サイエンスの先駆となったマンハッタン計画の「恩恵」を受けた米国は、歴代の大統領に科学顧問が適切な進言をするという制度が整備されてきたのである。あのジョン・ホイーラーもその一人として有名で、彼は数人の大統領直属の科学顧問としても活躍した。旧ソ連でも、スターリンはベリヤに唆されて、当初はクルチャコフら物理学者の意見に耳を貸さなかったが、いざ原子爆弾が広島に投下されたとの報を聞くや、その日のうちに科学者をクレムリンに招集して原爆開発に取り組ませる決定を下した。

 

 もちろん安全保障と直結していたからという事情もあるが、ソ連はその後、莫大な予算を基礎研究に投じている。ソ連が誇った宇宙科学はその成果の一つである。また、米国でウィーナーのサイバネティクスが注目されるや、ソ連も負けじと情報科学の研究に取り組んでいる。この成果は、主として優れた数学者・物理学者を誇っていたソ連だからこそ為しえた成果でもあった(仮に第3次世界大戦が起こるとするならば、第1次世界大戦が「化学者の戦争」で第2次世界大戦が「物理学者の戦争」という側面もあったように、「数学者の戦争」という様相を呈するかもしれない)。事実、日本の学生もかつては『ランダウ・リフシッツ理論物理学教程』や『スミルノフ高等数学教程』で学んだ者が多いと聞く。『ファインマン物理学』といった米国生まれの素晴らしい教科書もあるが、あくまで素人の感想を述べるとするなら『ランダウ・リフシッツ理論物理学教程』の方が、変分原理からきれいに導出していくところなどを読むと断然洗練されているという印象を受ける(もっとも、高度な数学・物理学の水準を誇った旧ソ連は、洗濯機など家電品に関してはポンコツしかつくれなかったが)。

 

 かつて湯川秀樹朝永振一郎らの影響で京都大学を中心に素粒子論が興隆し、最も優秀な頭脳の学生がそれに魅惑されていわゆる「素論」を志したわけだが、そのほとんどは実を結ぶことなく挫折し、あたかも敗れ去った秀才たちの墓場と化した感が否めなかった(日本最高の物理学者といっても過言ではない、後に米国籍を取得した南部陽一郎東京大学出身だが、朝永との関係が強く、大学こそ東大であれ、どちらかいえば林忠四郎と同様、京都大学系統に思える)。比較的実験設備に恵まれた東京大学は、専ら理論物理に強い京都大学の伝統とは少々違って、その強みを生かして特に素粒子実験の分野で数々の素晴らしい成果を今も生み続けている。小柴昌俊や戸塚洋二や梶田隆章らの偉大な成果はその一例だ。

 

 ともかく今回の成果は、人類史に残る新たな1ページを刻んだことは確かだ。ところが、先にも触れた通り、メディアは桜田義孝の事実上の更迭劇を大きく報道するときた。この状況は、報道に携わる人間の感覚がトチ狂ってるというよりも、メディア特に新聞社(テレビ局は今もなお新聞社の支配下に置かれれている)において「政治部」の力が強いことに起因する。かつて岐阜県神岡鉱山跡を利用して作られたスーパーカミオカンデによるニュートリノ観測実験の成果について、ニューヨークタイムズをはじめ英米のクオリティ・ペーパーは一面で報じたが、日本の新聞ではごく小さな扱いにとどまり(朝日新聞科学欄は2面使うなどそれなりの扱いで報じたらしいが)、政界記事が優先的に扱われた。科学上の大発見が人類史にとってどれほどのニュースバリューであるのかという見識に欠け、どうでもいいような政界の浅ましい連中の言動を有難がって、さも一大事と言わんばかりの間抜けぶりをさらした(この点を強調していたのが、蓮實重彦東京大学卒業式における総長告辞である。この意味でも、やはり蓮實重彦は見識があると感心させられる)。

 

 もっとも、これは日本の新聞記者の質が総じて悪いということを意味しはしない。科学部に属する記者で事の重大性に気がついていない者などいなかっただろう。しかし悲しいかな、新聞社では圧倒的に政治部の力が強いため、最終的に紙面構成を判断する編集局長は、たいていが政治部出身あるいは経済部出身の記者上がりで、その結果どうでもいい政界記事が一面に踊りやすい傾向にある。それゆえ、飽きもせず延々と下らない政界の記事が天下の一大事であるかの如く垂れ流される。それでも、まともな政治の記事であればまだ許されるところ、日本の政治記事は、かつて丸山真男も嘆いたように、「政界部」と化した自称「政治部」の記者によって書かれた政界記事ばかりなのであるのは嘆かわしいことである。