shin422のブログ

右翼反動による「便所の落書き」擬きの日記

キム・ジョンウン国家主席?

 朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)の最高人民会議が開催された。いつもと違う点は、以前は「雛壇」に数人の最高幹部が座っていたのに今回はキム・ジョンウン朝鮮労働党委員長のみがいるという点である。しかも、最高人民会議代議員から国務委員長が指名される制度であるというのに、キム・ジョンウン最高人民会議代議員に立候補していないので代議員の身分を当然喪失しているはず。そこで新ポストが新設されるのではないかと予想されているが、そのポストが「国家主席」の復活なのか「大統領」になるのか、はたまた「総統」などの名称になるかは不明である。素直に考えるならば、立法府から選出されるポストではないので立法府と完全に独立した行政府の長たる大統領ないしは大統領的なポストになるのかとも思われるが、しかし民主的基盤なき大統領ということになるので、大統領がどの機関によって選出されるのか疑問が残る。ただ、最高人民会議に出席していることから、おそらく「推戴」というかたちで選出されるのではないか。あの国は素直には行かないだろうから「大統領」という名称になるかも大いに疑問で、結論から言うと「国家主席」の復活の可能性の方がまだ高い気もする。それでも疑問はなお残る。というのも、建国の父キム・イルソンを「永遠の主席」と位置づけ、これを空位ポストにしたキム・ジョンイルの遺訓があるからである。キム・ジョンウン自ら著した論文や万景台(マンギョンデ)革命学院などで行った講和を収録した『金正恩著作集』(雄山閣)から想像するに、朝鮮民主主義人民共和国という国家は、一般に思われている以上に、文書主義が貫徹された故キム・イルソン主席や故キム・ジョンイル朝鮮労働党中央委員会総書記の残した論文や講和など遺訓に基づく政治体制である。

 

 数年前、キム・ジョンウンの「後見人」として事実上「ナンバー2」の地位にあったチャン・ソンテク国防委員会副委員長が、すべての党や政府の役職を解かれ朝鮮労働党党籍を剥奪されるにとどまらず「国家転覆陰謀行為」なる容疑をかけられ死刑に処せられたわけだが、「国家安全保衛部」の人員が至るところに張り巡らされているあの国では、いくら実力者であろうと安易に国家転覆が可能になるわけないだろうから、権力闘争の結果とみる方が正しく、現に叔母のキム・ギョンヒ書記(まだ、キム・ジョンイル総書記が健在の頃に開かれた後継選びの「親族会議」にて、三男の後継指名は「時期尚早」との反対意見を主張したと言われる)もが失脚している結果をみると、なおさらの感がする。

 

 顧みるに、「建国の父」キム・イルソン主席からその長男たるキム・ジョンイル総書記への権力継承は、すんなりと運ばれたわけではなかった。万景台革命学院や金日成総合大学の同窓生などを中心とした「革命第二世代」の人脈を頼りに、「三大革命小組」運動に見られるように、激烈な権力闘争に勝ち抜いた結果でもあった。もちろん、「抗日パルチザンの英雄的将軍」で「建国の父」たる主席の長男という立場は、この権力闘争において俄然威力を発揮したことは確かだろう。しかし、まがりなりにも社会主義の看板を掲げているだけに、最高権力の「世襲」となることを友好国たるソ連中華人民共和国の首脳だけでなく、党や軍の「革命第一世代」にあたる古参幹部に納得させるには、相応の用意周到な工作が必要であったものと思われる。事実、キム・ジョンイルがキム・イルソン主席の事実上の後継として指名されてから、名実ともにナンバーツーとして公の場に現れるまで十数年という相当な期間を要している。「党中央」と呼ばれていた時から、朝鮮労働党組織宣伝担当書記として父キム・イルソンの「神格化」事業にも取り組んできた。首都平壌の都市計画もその一環である。チュチェ思想塔や千里馬通りに構える凱旋門あるいは万寿台の丘の革命博物館前に立つキム・イルソン主席の巨像(現在は、キム・イルソンとキム・ジョンイルの二人の像)、柳京ホテルやキム・イルソン広場前に控える人民大学習堂、錦繍山記念宮殿や人民文化宮殿あるいは万寿台議事堂などの巨大建造物の建築すべてにキム・ジョンイルはグランドプランの立案者として関わっている。思想面での活躍といえば、マルクス・レーニン主義の持つ欠点を止揚したと称する「唯一思想体系」としてのチュチェ思想の一層の精緻化と全社会のチュチェ思想化に貢献し、文芸面においても革命歌劇『血の海』に代表される作品を残し、その他にも映画や『生活と文学』に見られる文芸批評活動を通じた啓蒙・宣伝活動に励んできた。カリスマ性の点で主席に比して遥かに劣る自身を讃える大々的な宣伝を通じた権力と権威の強化に努力した期間は、優に20年を超える。この権力掌握の過程を経て、1990年代に軍部の実力者であるオ・ジンウ人民武力部長らの協力をとりつけて、朝鮮人民軍最高司令官の地位を得るにまで至った。こまめに各部隊ごとへの視察や国家安全保衛部などを使った「反動分子」の粛清を繰り返し、逆に忠誠を誓う幹部をつなぎとめようと「プレゼント政治」を拡大していった。主席死去三年後に、ようやく朝鮮労働党総書記に推戴され、名実ともに権力基盤を磐石なものとした最高権力者にまで上りつめたのは、事実上の後継指名されてから25年かかったのである。

 

 建国後、延安派やソ連派、南朝鮮労働党派のライバルを次々と粛清し、約20年を要して独裁体制を完全なものとしたキム・イルソン主席の後継者として、社会主義体制下での初めての「世襲」となることの困難と、既に確立した「キム王朝」の三代目として権力を継承することの困難とを等しく見るわけにはいかないだろう。したがって、仮にキム・ジョンウンが既にある程度の実績を党なり軍において有している段階でキム・ジョンイルの権力を継承するという段取りに進んだならば、事はスムーズに運んでいく。女性革命家キム・ジョンスクとキム・イルソン将軍との間にできた長男として、抗日ゲリラ闘争の最中に「聖地」白頭山密営にて誕生したとの「革命神話」の系譜に位置づけられるだけでは正統性を確保することはできない。このことはキム・ジョンウン自身が論文で触れていたことだ。現に、その系譜にあったキム・ジョンナムを暗殺したと疑われている。たキム・ジョンイルとは異なり、キム・ジョンウンにはそういう虚像すら作り上げられてはいない。周到な支配構造を作り上げたキム・ジョンイルに対して、キム・ジョンウンがそうした資質と能力を有しているのか未知数だが、今のところはうまくいっているようだ。キム・ジョンイルの論文「チュチェ思想について」の一節に、以下の文言がある。

 

「たとえ生命をなげうっても、党と領袖に最後まで忠誠を尽くす覚悟に徹し、断頭台に立たされても革命的節操を守れる人間。このような人間こそがチュチェの革命観の確立した革命家です」。

 

チュチェ思想により理論武装した有象無象の集団が、その創始者たるキム・イルソンとその解釈権者たるキム・ジョンイルへの忠誠をおいそれと放棄することはないだろう。対して、キム・ジョンウンチュチェ思想に果たした役割はわずかであり、この点からみても、キム・ジョンウンの精神的指導者としての側面は希薄であり、それゆえ、いきおい権威を著しく欠く状態での権力継承とならざるえない。物理的有形力を背後にしのばせつつも、それのみならずチュチェ思想による精神的支配によって確固とした権勢を保持してきた「キム王朝」は、内部に決定的な弱点を抱懐したままの状態が続いている。はたして、今回の最高人民会議でどのような権力機構改革がなされるのか、見ものである。

(追記)

結局、国務委員長に再任というかたちにおさまったようだ。しかし、国務委員は最高人民会議代議員から選出されてきたのに、今や代議員ですらない者が国務委員長に選出されるというのはどういうことなのか?憲法改正でもやったのだろうか?