shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

ヤンキー研究

 打越正行『ヤンキーと地元』(筑摩書房)と知念渉『<ヤンチャな子ら>のエスノグラフィー』(青弓社)と立て続けに社会学的な「ヤンキー研究」本が出版された。社会学の中のエスノメソドロジーに分類される研究に関する書籍だが、この方面の先駆的研究書は、言わずと知れた佐藤郁哉『暴走族のエスノグラフィー-モードの叛乱』(新曜社)で、当然この2つの書も本書を意識したものだろう。佐藤の著作は、主として京都の暴走族「右京連合」(すでに消滅しているだろうけど)という複数のチームからなる連合体にスポットを当て、これを単に外部から観察するのでなく、彼らの中に入り込み寄り添いながら彼らの生態を観察・記述していくとう日本では画期的な研究だった(といっても当事者ではなく、あくまで研究者としての視点は維持されたままだが)。

 

 打越の書は、広島と沖縄の暴走族の中に入って、時には警察沙汰を起こしながら、長い時間をかけて彼らからの信頼を得るにまで食い込んだレポートになっているだけでなく、当事者と観察者の二重の視点を併せ持つ貴重な体験記録といいうる。他方、知念の書は暴走族というわけではないが大阪のいわゆる「底辺校」にいるヤンキーに焦点を当てる。両者に共通する点は、「ヤンキー」の多くがおかれる社会経済的条件へのこだわりである。もちろん、このことは何も特異なことではなく、社会学の研究である以上、生活の行動パターンがそれ自身だけで説明されるわけもなく、マルクス主義的な立場によるものでなくとも、下部構造への意識は必要不可欠である。ただ残念なのは、既存の理論を事例に当てはめるだけでなく、当該理論とは別の理解の枠組みがありうることや、社会学的分析には収まらない別の積極的側面からの見方も提示して欲しかったという不満がやや残るものことだ。理論的分析の深度がやや浅いのではないかという不満もある。そういう不満があるが、ともかく彼らの懐の中に飛び込んで長い時間をかけて粘り強い研究をやり遂げた著者の労を考えると、力作であるとの評価は動かないだろう。

 

 研究対象の内部に入って観察した結果を報告するような著作は米国では結構存在し、例えばヴァネッサ・パンフィルという女性の犯罪社会学やクイア理論を専門とする研究者によって書かれたThe Gang's All Queer-The Lives of Gay Gang Members(ニューヨーク大学出版会)は、単なる犯罪社会学の研究書でも単なる「犯罪集団」のエスノグラフィックな著作でもなく、犯罪社会学なる学問そのものに対する反省をも含めた批評的視点にも彩られた好著である。パンフィルは、オハイオ州コロンバスのギャングの集団の中に入って行き、50人ほどのゲイのギャングたちの生態をインタビューを交えながら描写していく。ゲイのギャングやヘテロセクシャルのギャングあるいはバイセクシャルなギャングとそれぞれのディスポジションの違いにも触れながら、これまでの犯罪社会学におけるステレオタイプ化されてきた言説を覆していく。

 

 「暴走族御用達」の雑誌『チャンプロード』が数年前に廃刊の憂き目に遭ったが、これには、少子化による若年人口減少に加えて「ヤンキー文化」自体が廃れ、リスクを恐れる打算的な思考を持つ者が増えてきたことからくる暴走族構成員数の激減から需要がなくなってきたこと、『チャンプロード』が各都道府県で有害図書指定を受け販売が難しくなってきたことなどが影響している。昔は、『チャンプロード』だけでなく、『ライダーコミック』や『ティーンズロード』あるいは『ヤングオート』など暴走族に入っている青少年や暴走族に興味を抱く人々を対象にした雑誌があったが、数年前からは『チャンプロード』のみが暴走族やヤンキーを扱った唯一の雑誌となり、これすらもが廃刊となって、この手の雑誌は絶滅した。とはいえ、「ヤンキー」が絶滅したかとなると事態はそうではなく、例えば茨城・栃木・群馬といった「中途半端な田舎」の代名詞となっている北関東にはまだ多く生息する。だが、こと暴走族となると、ここ数年でほぼ壊滅状態になり、ごくたまにゲリラ暴走がある程度となり、主体は一応交通ルールを遵守する旧車會に変わった。

 

 打越の書は、本土では壊滅状態になった暴走族がまだ存在する沖縄(那覇市街地から浦添方面へつながる国道58号線では、暴走族に出くわすことがよくある)の暴走族に何年もかかわる。そこでわかるのは、沖縄のおかれた経済的構造の矛盾である。暴走族やヤンキーという「非行少年」は、この企業社会日本における政治的経済的諸矛盾の周辺領域に現れた象徴的な現象であって、その意味では一つの「社会病理」としての現れであるという診断は、ある程度理解できる。かつて校内暴力が吹き荒れた時期があったが、これも日本社会における企業社会化ともいうべき権威主義的支配体制の矛盾の周辺部分に現れた現象として理解することもできる。僕は右翼団体とかかわっているので、かつて暴走族に属していた者で右翼の構成員になった者は相当数に上ることを知っているし、昔ともなればなおさらである。中には暴走族のチームごと政治結社になったケースもある。

 

 打越が、沖縄のヤンキーが置かれた現状を分析して得た結論は、予想の範囲内であることは確かながらも、それを実地に検証したことに意義がある。沖縄には地域ごとの密な共同体があって、その共同体に支えられている者は多少所得が低かろうと十分生活していく余裕はあるが、その共同体から外れてしまった者にとってはそうしたセーフティネットは機能しない。別の人的紐帯に結びつけられ、その中での上下の身分秩序が搾取構造にまで発展する時、彼らは経済的に収奪される身に転落する恐れを抱えながら沖縄の地で生きることを余儀なくされる。中にはそれに耐えかねて沖縄の地から本土に逃げて行く者もいればヤクザになる者もいる。間接的な知り合いでしかないが、沖縄の右翼団体に所属しつつ同時に沖縄のヤクザになっている者がいるが、彼は最近まで沖縄市のミュージック・タウン(MT)前の交差点、ちょうど嘉手納基地のゲートの程近くの場所で暴走行為に明け暮れていた。その彼が、辺野古基地反対を叫ぶ市民団体のテントに抗議街宣に出向く時には、やはり胸中複雑な思いが交錯している。ヤクザとして那覇市の風俗街からショバ代を回収する際もまた然り。暴力は下へ下へと流れていく。知念の書は、ヤンキーの意識に焦点をあて、いわばヤンキーの「社会化」の過程を追う感じになっている。もちろん、彼らの大半が置かれた現実の描写も怠らない。

 

 そういう社会学的対象として見ると、逆に理解できない側面も出てくる。というのも、東京のヤンキー文化に関しては必ずしも彼らの分析が妥当しないケースが多いからである。東京のヤンキーは、確かに下町を拠点とするチームに関しては妥当する面もあろうが、比較的裕福な層の子弟もかなりの数に上る。中高一貫校でヤンキー文化に親しんでいた者もおり、例えば関東連合などは、裕福な家庭で育った者もかなりの数いる。そういう棲み分け構造が見られる東京都心のヤンキーシーンからすると、両者の著書で描かれているヤンキー像は、従来のそれとあまり変化はない。それよりも、別の積極的側面をも取り出してもらいたい気もしないではない。つまり、社会学的分析からは漏れてしまう文化的ないしは批評的な積極的意味を見出したいという思いがある。例えば、婆沙羅な文化の継承という面からみると、彼ら彼女らはわが国に連綿と続いてきた日本文化の一側面の嫡子でもある。

 

 わが国の神々は和魂と同時に荒魂をも持ち合わせてきた。アブラハムの宗教における超自然の絶対者としての神ではなく、人間と同じく喜び、泣き、笑い、怒り、快楽をも愉しむ神々であって、スサノオノミコトの荒ぶる魂はディオニソスの灯であるかの如く継承され、規律を撹乱する狂喜乱舞を演じてきたのである。江戸の平穏の最中に間欠泉のように湧き出た旗本奴や町奴のような奇抜な格好をした傾奇者たちの系譜にヤンキーやある意味ではギャル男の最も先鋭化された形ともいうべきセンターGUYも位置づけられよう。ともに市民社会からは煙たがれる存在である。彼らは、時には性規範をも撹乱する存在であった。わが国に本格的にキリスト教が入ってきた明治期より前では、例えば男色の優越性が議論された『田夫物語』にあるように、男色は特に傾奇者とされた連中の間で盛んであって、傍若無人に暴れまわる荒くれ者同士での性行為は日常茶飯事でもあった。戦国の世の武士の間でもそうだったし、荒くれ者の集団であった新撰組でも男色行為が見られた。明治期でも郷中教育で結束が固かった薩摩武士の若者の間でも男色の風習は残っていたのでという。

 

 ヤンキーは、先輩ヤンキーへの憧れもあって自ら進んでヤンキー化していく。そこに何らの性的関心がないというわけはない。現在の暴走族は上下関係がさほど厳しくないが、一昔前の暴走族では、先輩に掘られたり逆に掘ってくれとせがまりたりした例もあったようだし、少年院では同性愛行為は、さほど珍しいものではないとも聞く。もちろん、表向きにはそういった面は隠されているが、規範の逸脱者たちの過剰な暴力性が同性愛への志向へと転化する現象は、ある種のわが国の伝統の一面を形作っているともいえる。かつて存在したセンターGUYの中でも様々な分身を生き、GUY同士で見境のないチャラ打ちの快楽に身を委ねる者だって存在した。

 

実際、センターGUYであった名古屋に住む年上の知人は、単に「マンバ」と称していたが(彼にとっては、男性も含めて「マンバ」と総称していた。センターGUYは2000年代前半から半ばまでが全盛期であったが名古屋への伝播は時期が多少ずれていて、その知人も2010年過ぎても大学に通いつつ名古屋で「マンバ」の格好をしていたという)、男同士のセックスはあったと言っており、自身も「ゲイ寄りのバイ」と認めていた。当初は隠していたものの、気心知れると男同士でのセックスへの欲望が抑えきれずに最初は軽いノリとして互いの性器を見せ合いつつ性行為への誘いをかけ、最終的にはセックスに至るケースもあったのだそうである。社会学的な分析対象として「ヤンキー」を取り上げるのも結構だが、やるならセクシャリティについてももう少し突っ込んだ踏み込みをしたものがあってもいいのではないか。