shin422のブログ

民族派右翼による「便所の落書き」擬きの極私的備忘録

春季例大祭をむかえて

 今年はキリスト教東方教会を除く教派のイースターは21日なので、ところによると数日前からイースター休暇に入った国もあるが、我が国では21日から3日間、靖國神社の春季例大祭が挙行されている。安倍晋三内閣総理大臣は今年も昇殿参拝を控え真榊を奉納するにとどめたようである。6月には大阪でG20サミットが開催される予定だし、年内の習近平中華人民共和国国家主席国賓として迎えたいと考えていることから、外交的配慮の結果だとも報道されている。本来ならば、内閣総理大臣として春季秋季の例大祭及び終戦記念日に堂々と本殿に昇殿参拝するのが筋だと思われるが、自身の政権の延命を最重視する安倍晋三のことだから、参拝を望んでも仕方がない。安倍晋三政権は左翼革命政権であると思う僕からすれば、寧ろ逆に国体破壊の方向に事を進めて独善的行為に突っ走りかねないとの危惧を抱かないわけにはいかない。靖國神社に関する最大の問題は、早く陛下の御親拝を賜る環境を整備することであり、また御英霊にとって大切なことであろうと想像する。皇室に対する尊崇の念に欠ける安倍晋三に期待する自称「保守」の人間は、新元号をめぐる安倍内閣の不敬な振る舞いをみてもまだ目を覚まさないのだろうか。

 

 それはともかく、平成の御代が終わり新帝が即位される時期に毎年何度も靖國神社周辺に遺族の感情を逆撫でしに出てくる反天皇制運動連絡会(反天連)なる国賊集団が不敬行為を働くことが予想されているので、この連中の好き勝手を許してはならない。警備当局に厳重にガードされながらしかデモができないにもかかわらず警備当局を悪し様に罵る醜態は卑怯な弱虫そのものである。警察も嫌々警備しているのだろうが、人員を割くのは無駄であり警備対象の必要性すらない連中なのであるから、即刻警備を解いていただきたい。警備をしているからあのような連中が生き残っていられるわけであって、もし警備がなければとうの昔に消えている者たちだ。皇室伝統に否定的な意見を持つ自由は認められるにしても、また少なくとも国家統治の中に制度的に取り込むことに異論を持つ自由が認められるにしても、あのように皇室に対する破廉恥なまでの冒涜・侮辱行為までしてよい自由などない。反天連の常軌を逸した言動を知らない人は、連中が何をやっているのか調べてみるといい。残念ながら我が国の現行刑法には不敬罪の規定は存在しないが、反天連の行為は現行刑法の体系からしても明らかな皇室の個々人の名誉を棄損する度を越した行為に該当するので、内閣総理大臣は代わって刑法232条2項、同法230条に基づき告訴すべきである。ともかく、反天連のような存在を今まで野放しにしてきた歴代政権の罪は重い。放置するならせめて警備をやめて国民の前に連中を晒せばよいのである。国家そのものを否定する連中なのだから、事何が起きようとも、よもや助けてくださいと泣き言を弄することはあるまい。

 

 思い出す度に反吐がでる連中のことは忘れよう。「皇国史観」という言葉を耳にすると、特に左翼的でない人でさえも「先の大戦における軍国主義的政策に国民を駆り立てた天皇神権主義の悪しきイデオロギーである」という類の印象を持つのではないかと思われるほど、戦後の日本ではこの「皇国史観」という言葉が喚起するイメージは、ほとんど「悪」と等価であるかのようのである。あろうことか、この「皇国史観」を本居宣長国学に結び付けて考える者がいる。宣長は盛んにこのような「物知り人」を揶揄・糾弾したが、結論から言えば、いわゆる「皇国史観」と本居宣長国学とはほとんど無関係である。そもそも宣長が「史観」などというものを称揚するだろうかと考えてみれば、国学の書を読んだ者なら明らかに奇妙な感覚を覚えることだろう。

 

 いわゆる「皇国史観」という言葉が全面的に政治の場に躍り出てきたのは、昭和12年支那事変辺りであると言われる。もちろん、その元になる考えを遡及すれば南北朝時代北畠親房による『神皇正統記』に起源を求めることができるだろう。この書は周知の通り、南朝方の正統なることを証明するために書かれた政治道徳ないし政治哲学の書であり、「大日本ハ神国也」という宣言から始まるこの書の含意するところを読み解こうとして現在も数多の知識人が関心を持ち続けている。蓮實重彦山内昌之『20世紀との訣別-歴史を読む』(岩波書店)において、山内はこの『神皇正統記』のことを「おそるべき政治哲学の書」と評価していた。「皇国史観」の「親玉」的歴史家で戦後は東京帝国大学教授の職を辞し白山神社宮司に就きながら、政界にも隠然たる力を有していたと言われる平泉澄もことのほか『神皇正統記』を愛し、いくつもの論考を残している。しかし、『神皇正統記』が「皇国史観」の起源に位置づけられるとしても、その内容を充実させる役割を果たしたのは、南北朝の時代から数百年下った江戸後期の水戸学である。小林秀雄安岡章太郎との対談で水戸学の歴史観唯物史観よりも高く評価していたわけだが、いずれにせよ『神皇正統記』は確かに政治道徳の書ではあるのだが、法治主義に対する徳治主義の優越性を主として強調する書であるに過ぎず、直接的に後の「皇国史観」につながる思想が見られるわけではない。

 

 我が国は神武天皇による建国の御創業より一貫して皇祖天照大神の天壌無窮の御神勅を奉じ、三種の神器を継受してきた万世一系天皇が代々統治されてきたわけだが、この三種の神器つまり剣・鏡・勾玉について親房は「剣ハ剛利決断ヲ徳トス。知恵ノ本源ナリ」として剣を「知恵ノ本源」と位置づけており、その他の鏡については「正直ノ本源」、勾玉については「慈悲ノ本源」と述べている。対して、後の水戸学は儒学の系統にあって、同時代の本居宣長らの国学とは直接のつながりはない。明治維新を牽引する思想は、本居宣長国学ではなく水戸学であることを既に小林秀雄は見抜いており、そのことについて先の安岡章太郎との対談で述べてもいた。水戸学を代表する学者である藤田東湖弘道館記述義』は、確かに『古事記』や『日本書紀』の記載に基づいてはいることは間違いないが、それを国学者のようには解さずそこから政治道徳ないし政治哲学を抽出するある意味正反対の行為に出るのである。

 

 対して本居宣長は、おそらくこのような政治道徳とは無縁だった。宣長は人間の素直な情趣や欲望を肯定し、それを理屈で抑えつけようとする試みを漢意として退けんとしたアンチ・モラリズムの徒なのである。宣長ニーチェに準えて理解する者もいるが、当たらずとも遠からずといったところであろう。藤田東湖は「聖子神孫克く其の明徳を紹ぎ」と述べ、この「明徳」とは「蒼生安寧」のうちに存することを明確にする。日本国は「宝祚無窮」・「国体尊厳」・「蛮夷戎狄率服」・「蒼生安寧」の4つを特色とする国柄だというのである。曰く、「蓋し蒼生安寧、是を以て宝祚窮りなく、宝祚窮りなし是を以て国体尊厳なり。国体尊厳なり是を以て蛮夷・戎狄率服す」と。すなわち、万世一系の皇統が永遠であることは、日本国の政治が元来「蒼生安寧」を旨とし、それをこそ目的として進んできたことに実現され、それゆえわが国体は尊厳を保つことができ、諸外国も尊敬に値するわが日本国に従うことが可能となるというのである。ここには、無理矢理にでも武力で以って諸外国を制圧し服従させようという思想はない。決して侵略を正当化する思想として大東亜戦争時の国民を駆り立てたイデオロギーというわけではない。大東亜戦争の開戦詔書にもこうある。

 

列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端ヲ開クニ至ル恂ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ。

 

何も好き好んで米英に宣戦を布告したわけでもないし、この部分の「皇国史観」の要素については、ひとえに「アジア侵略の合理化」であるかに喧伝する左翼がいまだに絶えないわけだが、寧ろ悲痛感さえ聞こえてくる開戦詔書であるという面を見ようともしない。戦後、GHQ総司ダグラス・マッカーサートルーマン大統領と朝鮮動乱をめぐる意見で対立した廉で解任された後の昭和26(1951)年5月3日に行われた米国の連邦議会上院の軍事外交合同委員会の席において、今では有名となっている証言を残した。質疑の最後はこう締め括られている。

 There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all of which was in the Asian basin. They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.

 

上記の通り、日本には蚕を除いては国産の資源は実質的にほとんど存在しなかった。日本には、綿も羊毛も石油製品もスズもゴムもその他多くの資源もない。それらすべての物はアジア海域に存在していたわけである。They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.とあるように、これら必需品の供給が断たれた場合には、日本では1000万人から1200万人の失業者が生まれるだろうとの恐怖にかられてもいた。そしてマッカーサーは、Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.の文言の通り、日本が戦争に突入した目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったとの結論を述べたのである。

 

 もちろん、戦前の日本の行動が全て正しかったと開き直るのもまた暴論であるし、中には侵略的な行動によって理不尽な被害をもたらした悲劇を見たことも確かにある。日露戦争以後の日本人の驕りと傲慢の姿勢が時として他民族に対する蔑視感情を醸成しもした。当時の列強諸国と歩調を合わせてシナ大陸での権益確保のために、当時の中華民国に対する居丈高な21ヶ条要求を突きつけたことも、中華民国側からすれば覇権的な態度と映ったことは間違いないし、それに反発する動きが出てきたことも十分に理解できる。また支那事変の最中、僅かにではあるが一分の可能性が残されていた講話の道を早々に断念して泥沼に陥る事態を招いたことは総じて国策の誤りであった。しかし、当時の状況でフリーハンドはあり得なかったわけであるから、あの状況で日本が国家としてどういう可能性が残されていて、その可能性がどういう形で肯定され否定されていったのかの具体的事情を無視してひたすら現在の視点から糾弾することは、歴史を直視するどころか歴史を歪めてしまう元になろう。

 

 ましてや特定のイデオロギーから自身の都合の良いように歴史的出来事の一側面を殊更に誇張し、最悪のケースでは無いことをあったかのように捏造する、あるいはあったことを意図的に無視するなどして「歴史」を自身の政治的要求実現の武器にしてしまう行為は、それこそ歴史を正視しない態度に代わりない。どういう事情で国策を誤る事態に至ったかということの理解に基づいた適切な反省があって然るべきところ、戦後の日本は極端に針がぶれてしまって、徒に過去の全てを情緒的に否定し、時には左翼イデオロギーに都合よく利用しようとする悪意に満ちた日本批判が起こり、こうした認識が左翼的なイデオロギーに基づいて自分たちの見解を正当化する動きに拍車をかけてきた。つまり「歴史」は、左翼のイデオロギーに都合よくこしらえられた道具に成り果てたのである。最近はイデオロギーの色眼鏡を外した近現代史の研究も進みつつあり、単純な「日本悪玉史観」は成り立たなくなってきているが、そうした史観で教育を受けてきた世代やそうした史観によって業績を積み上げるなどしてきた層にとっては、今更真相が明らかになったとしてもやり直すことができないと思い込んでいるのか、何とかして暗黒の構図を描かないわけにはいかないと躍起になる。そして、それに異議を申し立てる者に対してことあるごとに「歴修正主義者者」とか「リビジョニスト」とかといった罵倒を繰り返すわけである。

 

 いわゆる「南京事件」について、右翼である僕からしても一人の犠牲者も出なかった全く架空の出来事であるとする「まぼろし派」の主張は冷静に見て肯定することはできないと考えるし、「ホロコースト」の悲劇がなかったなどという暴論にくみしようとは思わない。そういう主張する者に対して「歴史修正主義者」と表現するのは確かに誤りではないだろうとは思う。ところが「南京事件」では、確かに多くの犠牲者がでたであろうと推測できても(無辜の市民なのか便衣兵なのかは定かではないが)、中華人民共和国が対外プロパガンダとして戦後数十年経ってから持ち出した30万人やら40万人やらの犠牲者数という見解に対して史料に基づいて疑義を呈する研究者にしても、先ずはイデオロギー上の理由から「歴史修正主義」のレッテルを貼ることは、結局歴史を自身のイデオロギーに都合よくプロパガンダとして利用していることを暴露しもする。ド素人ながら僕としては「中間派」である。数百人から数万人と幅がありうるが、いずれにせよ当時の陸軍中央が動揺したほどの何らかの不測の事態が発生したのだろうとは思っている。

 

 いわゆる「従軍慰安婦」問題にしてもそうである。日本の官憲が強制的に動員したという史料的な裏付けは今のところないのに、特定党派の研究者を除き、まともな歴史学者は「右翼」のレッテルを貼られることを恐れて何も言わなくなっている。「慰安婦」という存在は多くの軍隊にもいたし、米軍は日本占領中にもかかわらず米軍兵士用の売春施設を日本に設置させていた。少なくとも旧日本軍は原則として現地の人から募集するのではなく日本から連れていった。インドネシアで例外的な事態が発生したが、発覚した時点で責任者は死刑、その慰安所も閉鎖の処分がなされた。朝鮮人慰安婦ばかりが問題になっているが、実際は日本内地から募集された日本人慰安婦の方が多かった。米軍が北ビルマ慰安所にいた朝鮮人慰安婦朝鮮人の業者に尋問した記録が残っているが、この記録からすると、たいていは慰安婦の仕事が軽労働の上に高給であることにつられて応募したという。家の借金返済のためや、悲しいことに親が女衒に売り飛ばしてやってきたという気の毒な者もいれば、自ら高給を求めてやってきた者ばかりである。休みもあれば、嫌な客を断ることもできたし、ピクニックや買い物なども楽しんだと。給料は高級軍人の給料かそれ以上の金額が支給されていて、その郵便貯金記録も残されている。中には結婚にまで至った者もいた。

 

 こういった実態が明らかになっているとはいえ、だからといって我々は正しいことをしてきたと胸を張るつもりはないし、居丈高になることはよした方がいいだろう。戦時下の女性のおかれた環境という点で考えれば、旧日本軍だけが特別に悪かったというわけではないが、やはり中にはつらい思いをした女性もいたに違いない。再びこのような事態を招かぬようにしなければならとも思う。しかし、何らかの政治的意図を背景にして事態を誇張しておどろおどろしい物語に仕立てそれを外交的恫喝のカードにしたり、また国内の政権批判の口実に歴史問題を持ち出す左翼のやり口には、逆に歴史を直視しない不誠実な態度というべきだろう。歴史を脅迫の道具に使う政治・外交とは決別せねばならない。