shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

ドゥルーズの社会存在論

 西田幾多郎は、『無の自覚的限定』に収録されている論文「私と汝」において、いかなる具体的な場でもない、開かれた普遍性の極限にあるという意味で、とりあえず「無」という他ない「場所」が自己限定していく分節作用によって、私と汝が何者でもない「裸の存在」として邂逅するという論理を述べている。この論文と、「場所」という論文を重ねて読んでいくと、「物となって」世界に内在する私と他者の共存する原基的場面を西田が思考していたことがわかる。「無の場所」の自己限定によって、次々と個別的なものが規定されていく西田のこの思考パターンは、一者から次々とあらゆる個物が生まれ出でるプロティノスの流出論と違いがないではないかという田辺元による批判もわからないではない。田辺にとって、このような媒介を欠いた認識は受け入れられなかったに。いずれにせよ、この原基的場所は、明らかに和辻哲郎が考えた共同体とは異質なものであるし、廣松渉が『世界の共同主観的存在構造』で描いた社会的協働連関とも異なる、更に手前の事態である。

 

京都学派左派の一人である戸坂潤が、西田哲学を批判しつつも、それを「世界第一級の哲学」と評価していたように、西田は相当深いレベルの思索をしていたことは間違いなさそうだ。ちなみに、戸坂は筋金入りの左翼といっても、今日のボンクラ左翼とはオツムの出来が違う優秀な哲学者であり、初期の「空間論」に見られるように、あの当時で一般相対性理論を理解していた数少ない哲学者であった。マルクス主義というより新カント派、中でもマールブルク学派に影響されたと思われる戸坂の科学哲学研究は、決して田辺元下村寅太郎の科学哲学研究にひけをとるものではない。マールブルク学派のみならず西南ドイツ学派も含め、新カント派の哲学が日本において盛んに研究され隆盛を誇った一時期がある。当時のドイツでは今と違って、秀才たちが率先して哲学部に入ってきたという現象が見られたらしい。ところが一転して、現象学実存主義が流行することにになり、文科系の秀才たちの多くは再び法学部へと回帰していった。今では新カント派の研究者は片手で数えることができるほどに激減してしまったのは残念でならない。

 

それに引き換え、当時のソ連の理論家たちは、レーニン唯物論と経験批判論』のマッハ批判やアヴェナリウス批判に合わせるように相対論や量子力学を「ブルジョア的で観念論的」として否定して回ったわけで、戸坂の目にそれがどう映っていたのかと思うことがある。共産党の極端な論者は、弁証法唯物論に矛盾するものとして量子力学そのものを拒絶しもした。もちろん、そんなことをすれば原子爆弾をはじめ今日の科学技術は成り立ちようがない。そんことだと米国を盟主とした自由主義陣営との冷戦に敗北してしまう。そこで、あの手この手といろいろ理屈を弄して量子力学を受け入れていく。その時の正当化の理屈が笑わせてくれるのだ。弁証法唯物論は機械論的唯物論より豊かでそれゆえに捉えがたいものであるからして、弁証法唯物論の立場からも量子現象の全体論的性格は物理学者と測定装置がともに自然の一部であるという事実を反映しているにすぎず、また量子レベルの奇妙な性質はそれがどんなものであるにせよ物質の尽きることのない多様性を示すものとして理解できるというものであった。全く正当化のための方便としてもお粗末極まる。共産党の考えそうなことではある。

 

「隠れた変数理論」で知られるデイヴィッド・ボームや、「坂田モデル」で知られる坂田昌一のような優れた物理学者も弁証法唯物論に引きずられてしまって、意固地なまでに唯物論決定論に拘ってしまったタイプとされているわけだが、それほどまでにマルクス主義が知的世界の一端に確固とした場をもっていたことは、今から見れば不思議なことだし、相当な知の浪費であったとも言える。これはマルクスその人の責めに帰すべきことではなく、僕に言わせれば、レーニン、カウツキー、エンゲルスに帰すべき事柄である。マルクスは、思考や存在に一貫して妥当する法則としての弁証法唯物論なるものを説きはしなかったし、ましてや自然弁証法なる奇妙な代物を主張しはしなかった。

 

檜垣立哉西田幾多郎の生命哲学』(講談社学術文庫)の最後に収録されている、小泉義之檜垣立哉との対談の中で、小泉は、西田幾多郎が当時の量子論の動向をチェックしてハイゼンベルグディラックの論文をも読み込んでいただろうと推測した上で、西田幾多郎の「場所」や「自覚」の概念を無限次元ヒルベルト空間やヒルベルト空間内のベクトルを関係づける演算子に準えて理解するという、かなり強引ではあるが面白い読み方を提示していたかと記憶している。この辺りで、小泉と檜垣の対話は噛み合っていないのがこれまた面白く、解説に代わる対談の機能を果たしていない。ともかく、ゲラゲラ笑えたのを覚えている。ただ実際どう絡んでいるのかはわからない。もっとも、それについて論じようとしたら、おそらく本一冊分の量を要するだろうから仕方ないし、むしろ西田をめぐる一冊分の対談本として出しても面白いだろう。とはいえ、小泉の言わんとすることは何となくわかる気もする。「永遠の今」がデデキントの切断概念からインスピレーションを得ているだろうとの指摘はなるほどと思うとこもあるし(『差異と反復』の第4章で、デデキントの「切断」概念について触れられていたはず)、個体の生成消滅のロジックが世界のロジックと地続きになっていることへの疑問など、西田哲学の核心部分に斬り込む内容になっていて、対談として噛み合っていなくとも、ここでの小泉の発言は滅法面白い。但し、本題の生命哲学はどこぞへとぶっ飛んでしまっている。

 

しかし、そこまで理解できている小泉が、ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)の潜在性の存在論について点が甘いのが気にかかる。もちろん、ドゥルーズは優れた哲学者だ。それはわかるけど、少なくとも『差異と反復』におけるドゥルーズ存在論潜在的なものを示そうとして挫折したという面を批判してもよいのではないかと思われるのである。西田幾多郎とは逆に、ドゥルーズこそ、社会的世界の存在論として読むに相応しいと言うべきではないかと。また、西田のロジックが歴史的世界の話に持ち込まれるや勢いキナ臭い感じがしてくると適切な評価も同時にしていたかと思う。自然の論理を社会の論理に無媒介に接続するような話は胡散臭いに決まっているわけで、かつてプリゴジーヌの散逸構造論から発展した自己組織化論が、社会システムを論じる場で振り回されたことがあり、フランスや日本でも大流行になったことがあったが、現代の僕が読んでみると相当胡散臭い話になっていて、これはプリゴジーヌにもある程度の責任があるようだ。

 

ドゥルーズも、ミーハーなところがあったようで、自己組織化論やカオス理論にも飛びついていた。そういう軽薄なところもドゥルーズの面白さなのだが(『哲学とは何か』なんて、結構いい加減なことまくし立てていて、どうやらウイスキーの1本や2本空けたんだろうなあという感じ)、これは話半分に聞いておくというリテラシーがないと、とんでもない世界にトリップしてしまう。この点、ドラッグきめては鼻血を出し、またドラッグきめては鼻血を出しという感じで論文を書いていた折口信夫に似たところがある。17世紀のデカルトライプニッツみたいな天才的な頭脳の持ち主ではなく、新カント派のエミール・ラスクやエルンスト・カッシーラーのような秀才肌でもなく、逆に不器用な部類に入るだろうドゥルーズや折口ではあるが、彼らが並みの思索家ではなかったのは、ヤク中のハイテンションのなせる業としか言いようのないぶっ飛び度なのである。

 

それはともかく、西田が当時の量子論の動向に格別の注意を払っていたというのはどうやら事実のようなので、ひょっとしたら西田はそこから思考の源泉となるアイディアを掴み、それを西田哲学の思考に合うように概念化していたと考えられる。西田の長男である西田外彦は京都帝国大学理学部出身の理論物理学者で、湯川秀樹朝永振一郎の教室の先輩にあたる人物である(そういえば、朝永振一郎も朝永三十郎という哲学者を父に持っている)。湯川秀樹朝永振一郎が京大を卒業した年は1927年であり、この時期はちょうど量子力学場の理論に拡張されていく草創期にあたる時期と重なる。この場の量子論を研究する京大卒業生たちによる「自主ゼミ」の最上級生が西田外彦なのであった。西田幾多郎は、現代物理学の最先端についてテキストだけからでなく、息子とのやり取りからもそのエッセンスをつかみ出していたのかもしれない。

 

そういう強引な読みによって、西田幾多郎の思考からどのような哲学の可能性を引き出すことができるかは未知数である。あくまで感想の域にとどまるが、日常言語だけで複雑で抽象的な概念を取り扱わねばならぬ形而上学的なレベルでは、破綻を免れないのではないかと思われる。僕が現象学存在論に点が辛いのも、現象学が超越論的還元を遂行する際に、その当の言語に対して何ら意識的でないことや、したがって勢い概念装置として貧弱で使い物にならない道具しか備えていないと思われるからである。「現象学的言語」なるものがあればよいが、日常の言語使用によってその語の意味内容が決定するはずの言語自身で以って現象学的分析を遂行したところで何が得られるのだろうかという素人からの素朴な疑問に現象学は何ら応えていないと思われるのである。ウィトゲンシュタインは、形而上学を批判するときも、時間や世界や存在といった形而上学的問いの重要性を否定したのではなく、また数学の思考を否定したわけでもない。そうした刑事学的問いを日常的な経験言語によって経験的事実に準えているように考えることを否定したにすぎない。非時間的で経験的事実ではない事柄については、特殊な時間的存在や持続的に存在する経験的な対象のように考える愚を諫めていた。

 

 しかし、ドゥルーズには時間がなかったのだろう。数学や物理学に対する好奇心は旺盛であっただろうが、いかんせん乏しい知識しかなかった。もしドゥルーズにせめてホワイトヘッドくらいの知識があればドゥルーズの哲学も違った装いを示していたかも知れない。あくまで1人の読書人として言わせてもらうと、ドゥルーズの哲学は残念ながら自然哲学としてみた場合、成功しているとは思えない。しかし社会存在論としては未だ組み尽くせていない豊饒な可能性はあると思う。この点が、僕がドゥルーズを放り出せない理由になっているのだが、社会哲学者、倫理学者としてのドゥルーズドゥルーズドゥルーズに関するあまたの論考も自然哲学にはなっていない。我々の生きている世界内の社会存在論であり、ドゥルーズ哲学の可能性はそこにある。ドゥルーズの哲学が西田幾多郎田辺元の哲学とある意味で親和的なのも当然と言えば当然である。田辺の「種の論理」は、後に務台理作『社会存在論』や丸山真男の東大法学部緑会懸賞論文「政治学に於ける国家の概念」に影響することになるが、ドゥルーズ哲学もこの次元で読み込まれるべきと思われる。