shin422のブログ

民族派右翼による「便所の落書き」擬きの極私的備忘録

「清浄な心」と「ふしだらな心」

 二十歳の若さで夭折したフランスの詩人・小説家レイモン・ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』は、「ドルジェル伯爵夫人のそれのような心の動きは時代おくれなのだろうか?」という一文で始まっている。このラディゲの恋愛小説は、文学史的な位置づけでは、17世紀のラファイエット夫人クレーヴの奥方』を模範としつつ古典主義の心理劇を現代に蘇らせたものという評価が定着している。事実、古典的手法によって古典主義の時代と現代の架橋しがたい断絶と同時にその断絶の中に両者の「近さ」という矛盾した二重性を描くことに成功した作品と評価する声が多い。

 

 ドルジェル伯爵夫人は、夫に対する貞潔の義務感とあることがきっかけで偶然に出会った青年への恋愛の情との間に引き裂かれ、その旨を夫であるドルジェル伯爵に告げようと試みるも、夫は無関心を決め込んだままである。そんな夫の態度に業を煮やして遂には青年の母親に対して手紙を書こうとする。それは、自らの煩悶がよからぬ不道徳なことであることを青年の母親からたしなめてもらいたいとの思いから出た挙動だったが、手紙を書けば書くほど青年への恋心は募っていくばかりで、古典時代の「清浄な心」の持つ奇異な「ふしだらな心」が潜在していく無意識の働きが逆にいやましてくるのであった。「古きもの」と「新しきもの」、「清浄な心」と「ふしだらな心」に引き裂かれた個人という描像は、何もドルジェル伯爵夫人にばかり当てはまるものではなく、およそ近代という時代に生をうけた者の宿命的絵図でもある。

 

 明治期の日本における英文学研究の先端を担わされ英国留学にまで至った夏目漱石は、ロンドンにおいて神経衰弱を患うこととなったが、そんな漱石の心を最も落ち着かせたのは、漢文を読み漢詩をつくっていた時であったという。今の時代に漱石や鴎外のような知性が存在するのか怪しいが、その漱石や鴎外が、明治天皇の御大葬の日に乃木希典・静子夫妻が殉死した事件にある種の感動を覚え、方や『こころ』に方や『興津屋五右衛門の遺書』を書いている。

 

 晩年は、後の昭和天皇となられる迪宮裕仁親王殿下の教育係として学習院院長になった乃木希典は、学習院で教育を受けていた「白樺派」の連中からは新しい世に対応できない時代遅れの化石のごとき扱いを受けていたという。その「白樺派」と旧世代の漱石や鴎外の殉死に対する思いの断絶は、『こころ』の中の「明治の精神」に殉ずることを理解しない・しようともしない者との決定的な断絶でもある。

 

 江藤淳は、『こころ』の「先生」の自裁をある種の「自己処罰」として位置づけていた。確かに「先生」の「K」への裏切りにいつか決着をつけねばならぬと考えていた「先生」からして、「自由と独立と己れとに充ちた現代」にあって自らの行為を処罰することでこの時代を拒絶する意思を示す意味で「自己処罰」という側面もあろう。しかし僕としては、大江健三郎の解釈すなわち「自己解放」としての自裁という側面の方が強いように思われる。

 

 「先生」は、ちょうどドルジェル伯爵夫人のように「清浄な心」と「ふしだらな心」に引き裂かれていた。そして同時に、その「清浄な心」に「ふしだらな心」が潜在していることも自覚していた。そうした状況でこれ以上醜い己れでありたくない、沈みゆく船にいるのならば、なりふり構わず救命船に乗ろうとあがくことなく、ただ沈みゆく船とともに命を任せることを選ぶことで、「自由と独立と己れとに充ちた現代」だけは御免こうむりたいという強い意思を示したのではあるまいか。いずれ「ふしだらな心」に専有されることになるのが分かっているのならば、そうした自分を断固拒絶したい。これは処罰ではなく解放という言葉の方が相応しい。

 

 むろん我々も、程度の差こそあれ、そうした相克に苦しむことがある。しかし、それをそうと自覚する者と能天気な者つまり、かつて三島由紀夫が「口をききたくもない」と述べたその対象との断絶は、今日の軽薄な日本においてもまだ見られる現象である。さて、それらが無理にでも共存していくのがよいのか、あるいは逆にいずれかが滅びた方がよりましなのか、ここではっきりさせることはできないわけなのだが・・・。