shin422のブログ

民族派右翼による「便所の落書き」擬きの極私的備忘録

歴史の皮肉

福沢諭吉が時事新報に所謂「脱亜論」を執筆したのは、甲申事変が勃発した後の明治18(1885)年3月である。福沢は、強硬な対支開戦論を「時事新報」紙上において展開したために、しばしば当局から社説掲載を禁じられたり、「時事新報」自体が廃刊処分の危機に曝されたわけだが、この時代も今と同様に、対外強硬論を展開したのは政府というよりもむしろメディアの側であって、政府は逆に火消しに回ることが多かった、というのが実相のようである。

今日の謀をなすに、我国は隣国の開明を待ちて共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろその伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従つて処分すべきのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免るべからず。我は心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。

壬申事変の頃には、朝鮮の独立党の者への協力を通じて朝鮮の近代化のために援助と指導に惜しみない努力をし、「凡そ朝鮮人といへば満腔の同情を惜しまない」と言っていた福沢諭吉が、何ゆえにシナや朝鮮に対する批判者に転じたかと言えば、一言にして「失望」に尽きるといってよいだろう。

 

アジア侵略の触手を伸ばしてきている欧米列強に対して、アジア諸国がこぞって近代化し、独立自尊の精神と互助によって互いの独立を守り抜かねばならないという切迫した思いが、遅々として近代化への方向へと動かないシナや朝鮮の現状に対する苛立ちと失望に転化したのである。

 

福沢にとって日本の独立は、ただ一国によって十全になし得るものではなかった。少なくとも、シナや朝鮮の近代化による「富国強兵」・「殖産興業」・「自由民権」・「文明開化」の必要は、シナや朝鮮自身のためでもあり、同時に日本の独立維持のための条件と考えたのは、福沢が隣家の火事の例を以って説明していることからも明らかだろう。

たとひ我が一家を石室にするにも近隣に木造板屋の粗なるものあるときは決して安心すべからず。故に火災の防禦を堅固にせんと欲すれば、万一の時に近隣を応援するのは勿論、無事の日にその主人に談じて我家に等しき石室を造らしむること緊要なり。或は時宜により強ひて之をつくらしむるも可なり。

米帝国主義諸国によるアジア侵略の野望にもかかわらず、朝鮮を属国のままにしておきたい清朝や、大院君派と閔妃派に分裂した朝鮮王室内の内紛から、清朝にすり寄ったりロシアにおもねたり、また日本にも近づこうとした節操なき事大主義によって周辺諸国をかき回し、北東アジアの不安定要因になっていた朝鮮に対して、苛立ちと失望を覚えた福沢諭吉の言を、現在の地点から、やれアジア人蔑視だの、やれ武断政治の肯定だのと言って糾弾する左翼がいるが、こうした言説は、それが我が国の独立と繁栄に直結しているがゆえの、危機感にかられての言説であったことを見ようともしない的外れの中傷と言うべきだろう。

 

韓国併合までの過程をその直近の出来事に限定して素描すると、日露戦争の要因が、結局のところ朝鮮であったことがよくわかる。明治37(1904)年1月、日露関係が抜き差しならぬ状況に至るや、国号を大韓帝国に変更していた朝鮮は、突如として「厳正中立」宣言を出した。既に、京城を制圧していたロシアは、兵を撤退させず無視を決め込んだ。実は、この宣言自身、ロシアが大韓帝国政府をして出さしめた宣言であって、その意図は直近に迫る日露開戦の際に日本軍の朝鮮の領土利用を予め封じておくことにあった。ハルバートの研究書『朝鮮亡滅/古き朝鮮の終幕』にも描かれている通り、中立を装ったものであることが、ロシアの進軍を要請する書簡を持参する朝鮮人の乗る船を日本側が拿捕したことをきっかけとして発覚したのである。

 

同年2月、対露開戦の初戦に日本が勝利するや、俄かに朝鮮が日本にすり寄りはじめ、これまでの親露政策を親日政策に改め、その結果として日韓議定書が締結されることになる。議定書の要旨は、①韓国は施政改善に関して日本の忠告を容れること、②韓国の危機に際して日本は軍事上必要の地点を収用できることを旨とするものであり、この議定書のおかげで我が軍は朝鮮から満洲へと軍を進めることができるようになり、なんとかロシアに勝利することができたといっても過言ではない。この議定書の意義は、日本の生存を脅かすロシアの南下を封じ、防衛ラインを死守することができたという点と、同時に朝鮮に対するロシアの占領から朝鮮を救ったという点にある。

 

それでもなお、事大主義的傾向への疑念が拭い難くあった朝鮮に対して、我国の生存と繁栄を守るために先手を打つべく、議定書調印の半年後の明治38(1905)年8月、第一次日韓協約が締結され、日韓議定書の規定に基づき大韓帝国政府は日本人1名を財政顧問とし日本政府推薦の外国人1名を外交顧問として採用することになった。大韓帝国政府財政顧問には大蔵省主税局長を務めた目賀田種太郎が就任し、朝鮮の財政立て直しに尽力する。特に、当時の朝鮮では貨幣の濫鋳が甚だしく、粗悪を極め使い物にならなくなった貨幣の濫鋳を阻止すべく改革に乗り出し、日本の第一銀行京城支店に韓国政府の国庫事務を取り扱わせ、同行が朝鮮で発行する銀行券を通用させることにして、世界最悪と言われていた朝鮮の通貨の安定に寄与した。このことは、当時朝鮮に在住していたカナダ人ジャーナリストのマッケンジー『朝鮮の悲劇』にも書かれている。

 

こうした日本による外交および財政の面での韓国の保護国化は、第三国からみても東アジアの安定上やむを得なかったものとして評価されている。事実、当時の米国の大統領セオドア・ルーズベルトも、韓国保護国化に何の干渉もしなかったし、異論すらも差し挟まなかった。英国の外相ランズダウンも、「韓国は日本に近きこと、一人で立ちゆく能力なきが故に、日本の監理と保護の下に入らねばならぬ」と言っている。大国の共通認識として、日本による韓国の保護国化は北東アジアの安定と平和の維持の目的からすれば当然の帰結であった。

 

親日的な朝鮮人団体であった一進会が結成されたのは、日露戦争最中の明治37年秋である。会長には元東学党幹部だった李容九が推戴され、その会員数は百万人にも上る韓国最大の政治組織であったと言われる。李容九は、日露戦争をロシアに代表される西欧列強の侵略勢力との決戦と位置づけ、日韓軍事同盟でロシアの侵略を阻止してアジアを復興することが朝鮮の進むべき道であると考えていた。そのため、一進会は日本への協力を惜しまず、当時釜山から京城までしか敷設されていなかった鉄道を、日本軍が兵を輸送するのに必要な京城から新義州まで延伸せんと鉄道敷設に人的面でも金銭面でも尽力した。

 

この京義鉄道敷設工事に参加した一進会の会員は、黄海道平安南道平安北道合わせて約15万人に上り、軍事物資運搬には約11万5000人もの会員が参加したと言われる。時に、反日活動家による妨害を受けながらも日本に協力することで朝鮮の復興を企図した一進会の会員であった朝鮮人有志の活動が日露戦争の勝利に貢献したことは歴然とした事実であるのに、歴史の影に隠れているために中々指摘する声が出てこない。日本としては、こういう良識ある朝鮮人有志が数多く存在したことを記憶に留めておかねばならないだろう。

 

日露戦争中の明治38(1905)年8月には第二次日英同盟が締結され、先ず英米両国が日本による韓国保護国化を承認した。戦争終結後のポーツマス会議を終えた小村寿太郎に対して、米国大統領セオドア・ルーズベルトは「将来の禍根を絶滅させるには保護化あるのみ。それが韓国の安寧と東洋平和のための最良の策なるべし」と言っているし、英国は「日本の対韓措置に異議なきのみならず、却つて欣然その成就を希望する」と日本の立場をほぼ全面的に理解し承認したのであった。同年12月には第二次日韓協約が調印され、大韓帝国の外交権は大日本帝国に掌握される。

 

明治40(1907)年には、李王朝第26代国王であり大韓帝国初代皇帝であられた高宗による所謂「ハーグ密使事件」が起こり、事態が判明するや高宗が譲位され、新帝として李王が即位された(併合後は李王殿下となられ、東京の赤坂に居をお移しになった)。第三次日韓協約が締結されるに及んで、日本は内政権をも掌握した。

 

韓国統監府の指導の下、政治・司法・産業・教育・衛生などの分野で韓国近代化のための施策が促進されわけだが、翌年には韓国統監府による施策を絶賛していた米国人外交顧問スティーヴンスが韓国人によって暗殺され、さらにその翌年には伊藤博文も哈爾濱駅にて安重根に暗殺されるに及び、俄に日韓双方で併合論が叫ばれるようになった。遂に、日韓併合条約が明治43(1910)年に締結され、500年に及んだ李氏による朝鮮統治は幕を閉じた。

 

なお安重根に関しては、僕のような民族派にとっては複雑な思いがある。そもそも彼が真犯人だったのかどうか確証が持てないし、韓国政府が持ち上げるような「英雄」であるかは日本人として異なる意見を持たざるを得ないが、安重根自身は明治天皇に対する尊崇の念を持っていたようで、収監された監獄の刑務官の言によると、非常に高潔な人格の持ち主であったという。自民族の窮状に対するやむに已まれぬ思いにかられての行動であったということを鑑みれば、初代内閣総理大臣伊藤博文公を暗殺された国の国民からすると複雑な思いにかられるが(伊藤公は、大韓帝国保護国化までは容認していたが、朝鮮併合には反対の立場であったと言われる)、彼を単なるテロリストとして片づけてしまうの誤りであるように思われる。

 

もちろん、締結された併合条約は正式な手続きによって調印された(少なくとも形式的には)双方の合意の上に立脚した合法的な条約であって、これを現在の韓国政府が主張するような違法な条約と解するのは、国際法通説に反する主張である。韓国政府の主張に阿り、この無理筋の理屈に同調する高橋哲哉をはじめとする日本の左翼がいるのが困りもの。こういう存在が、逆に日韓離反の原因になっているのだ。日韓併合条約は、当時の国際法からしても瑕疵のない条約締結過程であり、韓国側がいかなる屁理屈を弄しても、この評価が覆ることはないし、いかなる国も認めていたことである。

 

確かに当時、大日本帝国大韓帝国との間には力の著しい不均衡があり、この点を捉えると、対等な関係の下での条約ではなかった。しかし、国際関係における「対等な関係」というのはおよそ幻想でしかなく、そもそもあり得ない現実である。歴史上、ほとんど全ての数の条約は完全に対等な関係の下でなされたわけではない「不平等な」条約になり、これらを全て違法無効としては条約など成り立ちようがない。戦後のあらゆる講和条約など、全て著しい力の不均衡状態において締結されたものであるから、形式的には成立しても有効な条約とは判断されないということになってしまう。

 

例えば、この論理に従えば、ミズーリ号上での降伏文書調印も圧倒的武力を背景とする中での意思表示となるわけだから無効とされてしまうだろうし、サンフランシスコ講和条約も当然のことに無効と解されるだろう。江戸幕府が締結した日米和親条約やら日米修好通商条約やらも明らかな不平等条約だったわけだから無効という理屈になりかねない。

 

しかし、それでは国際関係は成り立たなくなってしまうから、日本はこれら条約を有効と認めた上で、長い年月をかけて条約交渉によって不平等条約の改定に努めてきたわけである(私人間の法律行為の評価の判断基準を国家間のそれに直接持ち込むことはできないのである)。

 

現在の日本政府は、あくまで日韓併合条約は合法な条約であったとの立場を堅持している。国際法解釈からして、当然の解釈である。昭和40(1965)年の日韓基本条約の締結により併合条約は、「もはや無効」すなわち将来的無効を確認したということであって、不法を理由とした遡及的無効を宣言したものではない。この解釈は何も突飛な解釈であるわけではなく、国際法を素直に解釈するならばそうなるということであって、現在の韓国政府及び最近の大法院判決さらには韓国側主張を代弁する日本の左翼が、端的に特異な誤った解釈をしているというだけのことである。

 

ちなみに、昭和40(1965)年に締結された日韓請求権協定は、昭和20(1945)年8月15日までに発生した事由に基づく日韓両国及び両国民に対する財産権その他のあらゆる請求権は消滅し、いかなる理由があろうとも当該の主張はできない旨を最終的かつ完全に取り決めた合意である。たとえ実体法上個人の請求権までは放棄されていないという解釈が成り立つ余地があるとしても、この協定により、両国及び両国民が互いに対して訴訟による救済を求める権利が消滅したことを確認したのである。

 

実体法上の権利の存否と訴権の存否とは性質上、別異の概念ある。したがって、この協定の反射的効果として、仮に韓国人がその個人請求権を行使したければ、その名宛人は韓国政府にこそある。だから、圧倒的多数の元募集工は韓国政府へと請求しているはずだ。今回の元募集工問題は、専ら韓国国内で解決されるべき問題であり、日本政府及び日本企業とは無関係の問題である(仮に、個人請求権は消滅していないのだから裁判での救済を認めないのはおかしいという理屈を撤回しないのならば、日本人が朝鮮半島に残してきた個人資産の返還請求権も認められることになるはずだ)。

 

中には、西松建設三菱マテリアルなどが元中華民国国民の徴用工に支払ったケースを持ち出す者もいるが、この主張は全く事例を異にする問題を混同する暴論である。というのも、元中華民国国民の徴用工のケースでは、日本国と中華人民共和国との間に日韓請求権協定に該当する協定がそもそも存在せず、専ら中華人民共和国が日本政府に対する戦時賠償請求権を放棄していた状況でのケースである(中華民国政府の戦争賠償請求権放棄を事実上継承する形となっている)。実際に日本軍の交戦相手が中国共産党であったのか否かは歴史的事実としては怪しい点が残るが、それはともかく、日本は支那事変を戦ったわけで、中華民国は日本の交戦国であったわけであるから戦時賠償請求権は観念できるのに対して、当時の朝鮮は大日本帝国と併合されていたわけであり、朝鮮半島の住民も日本内地の住民と同様、大日本帝国の国民であった。決して、交戦国であったわけではない。

 

サンフランシスコ講和の際、韓国も連合国として参加したい旨を表明したが、言下に断られている。当然である。当時の朝鮮半島は、あくまで大日本帝国の領土であり、当該領域内に住む者は日本内地と同様、日本国民だったからである。

 

中には、国外の朝鮮人が何人かで名乗りをあげた大韓民国臨時政府の存在を主張する向きもあるが、それはほとんど実態がない、サークルに毛が生えたような団体でしかなく、しかも一旦消滅している。いかなる国家も承認していなかったのである。したがって、戦時賠償請求権など観念する余地はない。

 

韓国国内の司法判断がどうであれ、それが国家間合意の拘束を破ると解することはできない。三権分立を盾に日本側の抗議に対して無視を決め込む韓国政府は、国際法上の違法状態を放置しているとされてもやむを得ないだろう。中には、日韓請求権協定の内容は当時の未払い賃金等の請求権に限定されたものであると主張する者もいるが、日韓請求権協定には「その他あらゆる請求権」としているように、未払い賃金等はあくまで例示列挙であって、限定列挙と解すべき根拠に欠ける。また、三権分立を理由に韓国大法院の判決を尊重せよと叫ぶ者に対しては、1965年の協定を根拠に訴えを退けた日本の最高裁の判断があるのだから、これら一連の判断を尊重しろと応答してやればよい。

 

そもそも、この問題に三権分立は無関係である。三権分立はその国の統治機構がどのように形成されているかという問題であって、その国が三権分立の制度を整えていようが、共産主義政党による独裁国家のような民主集中制を採っているかに関わりなく、国内裁判所の判決ないし決定が国際間の合意内容を拘束することはないというのが国際法解釈の常識である。それゆえ、憲法上条約に関する違法審査権が行使できるか否かという問題が生じるのである。条約については、憲法の条文上明文規定を欠いているので、条約の違法審査権は一切ないという有力説もあるが、条約についても国内法として効力が及ぶ範囲については違憲審査権の対象となると解する有力説もある。いずれにせよ、国家間合意の対外的効力に関する範囲については違憲審査権は及ばないと解する点は共通しており、この点から考えても、国内の一裁判所の判断が事後に国家間の合意内容を変質させる効果を持つと解することは到底できないのである。

 

したがって、韓国側の見解そして現在のムン・ジェイン政権の見解に呼応する一部日本の左翼の論者の見解は、実体法上の権利の不存在と訴権の放棄とを混同する誤謬に満ちた見解であるのみならず、国際法解釈の基本すら弁えない暴論の類である。実際、大法院判決が下される前では、韓国政府もその立場を採ってきたし、ノ・ムヒョン政権下でもそのことが確認されていたわけであって、その当事者でもあったムン・ジェインも重々承知していたはずのことである。日韓請求権協定など複数の協定に基づく日韓基本条約の根本が覆される事態は、両国の国交関係の基礎が転覆されるに等しく、国交断絶に発展したとしても何らおかしくはないほどの事態なのである。

 

さらには、人権蹂躙による個人の慰謝料請求権は消滅していないなどという暴論を展開する論者もいないではないが、再度確認する通り、請求権協定は「あらゆる請求権」が訴訟上行使できないことを日韓両国の合意により確認するものであって、たとえ人権蹂躙の慰謝料請求権(そのようなものが観念できるとしたとしても。もちろんできるわけないが)であるといっても例外ではない。そもそも、当時の日本による統治が違法無効だから、その元でなされた行為に対して不法行為に基づく慰謝料請求権を観念できると解するという理屈を立てるとすれば、当時の朝鮮人及びその遺族が皆等しく日本に対して請求権を持つという理屈となってしまう。

 

このような無茶苦茶な愚論が通じるわけがない。旧植民地(日韓併合が、果たして植民地化であったのかどうか議論かあるが)の人々が旧宗主国に対して慰謝料請求権を持つなどと言い出せば、欧米各国は大変なことになるだろうし、それゆえ、そのような暴論に与する国は出てこないだろう。日本の立場は、日韓併合はあくまで合法であって、慰謝料を基礎づける不法な状態という前提をそもそも共有しない。また、戦争もしていない。何ら賠償請求権が発生する基本事由が存在しないのである(むしろ、日本が朝鮮に多額の資本を投じたものの現地に残してきた財産を返還してもらいたいくらいである。日韓請求権協定によって、日本側が請求権を放棄したことで韓国側こそ救われたというのが真相であろう)。

 

韓国政府とりわけ今日のムン・ジェイン大統領が主張する「日本は加害者であり、韓国は一方的な被害者」(なぜだか、韓国は自国がベトナムに侵略し、多くの現地の女性を蹂躙した上、今もなおライダイハン問題を抱えることに無反省だし、左翼系市民運動家も声をあげない。ありとあらゆる事柄において二枚舌を弄するのが、左翼系市民運動家の特徴でもある)というのは、あまりに歴史を単純化した主張である。

 

確かに、加害の側面もあったことは間違いないが、同時に、当時の朝鮮側にも非があった。しかも僅かな非ではなく、我が国の生存を考えたならば多大な非があり、一方的な被害者などとは決して言えない。むしろ、ある意味で「加害者」でもあったとさえ言える。

 

日清戦争日露戦争も、元はといえば朝鮮半島の不安定が要因の戦争であり、我が国は朝鮮のために多大な犠牲を払わされてきたとも言える。福沢諭吉の理屈を借りるならば、火の手が差し迫っているにもかかわらず消火活動の意思もなく、それどころか他家の延焼を招き寄せようとする隣家に対してこれを何とかしろと迫るのは、自家を守ろうとするものにとっては当然の理である。

 

歴史は大局的な視点からも見つめる必要があり、局所的な事項ばかりをみていてはその評価と判断を誤る。当時のわが国のおかれた安全保障環境を考える時、日本は決して安穏としていられる状況ではなく、ともすれば欧米帝国主義国による侵略と占領すら危惧される切迫した状況だった。朝鮮の事大主義的行動によって振り回され、安全保障上明らかに差し迫った危機に直面していた我が国の対朝鮮政策全てが正しかったとまでは断言しないが、もし朝鮮を放置していれば、当時の状況や行動そしてそれを裏づける史料によって明らかになっているロシアの朝鮮半島占領計画が実現し、日本までもがロシアに侵略されるか、あるいは直接占領されることは免れていたとしても、ロシアの勢力圏に吸収され、国の独立を維持できたかどうか危うい状況に追い込まれていたであろう。この地域にそうした不安定な状況を作出してしまった朝鮮には、この意味での責任がある。

 

韓国の独立を最初に承認したのは、日本である。にもかかわらず、韓国は独立する意志も能力もなかったのが、今となっては残念の極みである。当初、併合する気はなかったのに、俄かに併合論が広まったのは、独立の気概も能力もない朝鮮が再び不安定要因となって北東アジアの安全保障環境の更なる悪化を招き、延いては我が国の生存を脅かす事態を招来するといった事態を回避するためだった。

 

もっとも、日本から朝鮮にわたった商人などが朝鮮の人々に高圧的な態度で臨んだり、時には統監府の傲慢な態度に怒りを覚えた人々もいたであろうと想像する。特に、第二次日韓協約調印時、せめて国家の体だけは維持させて欲しいと哀願された高宗に対して伊藤博文が高圧的な態度で臨んだエピソードを読むたびに、そのあまりの気の毒さに胸が締めつけられる思いがする。我が国政府高官の大韓帝国皇帝陛下に対する数々の無礼は非難されてしかるべきであるし、日本にも責められるべき点が多々あったことは確かである。

 

また、第三次日韓協約が締結されて軍隊すら解散され、元軍人たちがいわゆる「義兵闘争」に参加していった過程を考えると、彼らの祖国への思い切なるものがあったと同情を禁じ得ないことも確かだ。1919年3月1日の「三・一独立運動」の宣言文に込められた思想は、今見ても崇高さを感じさせる高邁で格調高い精神性を感じさせもする。逆に、そうした人々に支持されなかった日本の政策に多大な問題があったことも認めよう。

 

朝鮮の真の独立が叶うまで統監府をおいて、一時的な保護国化をするまではやむを得なかった措置であるとしても、果たして併合をして朝鮮総督府をおいて、之を数十年間にもわたって統治するまでする必要があったのかどうか。朝鮮経営が日本側の大幅な持ち出しの大赤字であった結果を鑑みれば、なおさら併合という措置は不必要だったのではないかと思われないではない。「内鮮一体」とは聞こえはいいが、朝鮮民族の文化伝統に対する配慮の無さは(もちろんハングルを広めた功績などもあるにはあるが)、朝鮮神宮創建などの面にも表れており、こうした事態に屈辱を感じた民族派の人士もいただろうと想像する。

 

したがって、日本は朝鮮の近代化のためにインフラを整備し、近代的統治システムを構築し、京城帝国大学をはじめとした各種教育機関を設置して内地とほとんど変わりのない教育水準に向上しようと努力し、結果的に朝鮮の人口が倍になるほどの豊かさをもたらした事実はあれど、だからといって日本の行為に感謝しろという居丈高な言葉をぶつける気にはなれない。そうした居直りの言動は慎まれるべきであろうが、韓国側にある過度な被害者意識も当然問題である。

 

しかも、日本に対する劣等感を含んだ歪な「恨」の感情のあまり、日本の過去の行為を過剰に悪く描こうと、中にはありもしなかった事実やら過剰に演出された架空の物語を作り上げてしまう癖が韓国側に存在することも確かだ。

 

歴史は、決して自身の都合の良いように描かれるファンタジーではないし、自身の政治的主張を実現するためのプロパガンダでもないし、ましてや恫喝によるユスリ・タカリの道具でもない。歴史は、好むと好まざるを問わず、意図しようと意図しなかろうと関係なく、否が応でも引きずらていく「歴史的世界」のロジックと力学に沿って淡々と推転していく「自然史的過程」である。国家も個人もこの力学に翻弄されている脆い存在である。この冷徹な力学を何とか理解にもたらし、何とかして徒に翻弄されぬよう自律を志向してもがき苦しんでいるところに歴史の悲喜劇が反復されていくのである。そこに過剰な道徳観念を持ち込むことが誤りであることは、火を見るより明らかだろう。

 

それにしても、何故あの崇高な独立宣言の精神が遅くとも開国直後に現れ、それが朝鮮の独立自尊・自主独立のための近代化への動きへと昇華されなかったのかと思わずにはいられない。そうであれば、あの悲劇も防げたかもしれないと思うと、脳裏によぎるのは、歴史的運命の皮肉である。日韓関係は現在、極めて険悪な関係にあるが、隣国であるからといって無理に良好な関係を期待する必要はない。過剰な思い入れは、寧ろ歪な関係に寄与するだけだ。

 

日韓関係は再構築期に入っており、今はその過渡期であると考えて、日韓友好幻想やその逆の過剰な嫌韓思想を捨て、個別の具体的問題に関しても粛々とザッハリヒに法的に割り切る対応こそ求められる。冷却期間をおくことも重要なことだ。今やれることは、軍事衝突などの不測の事態が発生しないように、現場レベルの意見交流のツールを維持しておくべきを互いに確認し、消えかかっている日韓の知韓派・知日派の有力者間のパイプを再構築してことくらいである。従北路線に突き進み、対日関係どころか対米関係までをも拗らせ、外交的にどん詰まり状況にあるムン・ジェイン政権下では日韓関係の好転は望めず、寧ろますます反日挑発行動を次々と繰り出してくるだろうから、基本的には「丁寧な無視」を決め込みつつ、もはや容認できない事態に至れば韓国経済を一撃で即死させかねない伝家の宝刀を抜くという二段構えの方針で事にあたるより他ない。

 

とはいえ、日本も韓国と同様に厄介な存在がいることも確かだ。日韓関係が拗れた原因の一つは、双方の左翼「市民」運動であり、日本の左翼は、とにかく日本の保守政権のやることは何でも反対したいあまり、外国勢力と通謀して自国を貶め自国の利益を棄損するために精を出す一方で、韓国の左翼は過剰な民族主義に走る親北朝鮮系の団体によって牽引されている。韓国での反日・反米デモの先頭に立つ人物は毎度同じ顔触れであり、彼ら彼女らの背景には北朝鮮の影がちらついていることも知られている。日本に対する軍事的挑発行為に対してまでも支持するところに日本との友好などつゆだに考えていないことが端的に表れているし、それに呼応する日本の左翼「市民」運動も同様に、日本の対韓国輸出管理体制の見直し程度に激高して韓国の肩を持つくせに、韓国軍による我が自衛隊機へのレーダー照射問題について何も言わないどころか、露骨なまでの韓国擁護の無理筋な暴論を吐く者までいる。上皇陛下への謝罪要求発言に対しても批判を向けない。韓国が不法占拠する竹島周辺での大規模な軍事演習は、日本に対する挑発行為以外の何物でもないのに、この点に関しても日韓友好を主張するのならば、明らかにその動きに逆行する韓国の行為に対して批判を向けてもよさそうなのに、それも意図的に無視する。

 

俄かに騒ぎ始めた旭日旗(現自衛艦旗)に対する難癖に対しても、これに同調する日本の「市民」もいることには驚きだ。旭日旗は、現在は自衛艦旗として法的根拠を持ち、その掲揚を義務づけられている海上自衛隊を象徴する旗として国際的にも承認されている。この旗に難癖をつけるというのは、日本国に対する侮辱行為であり、その含意は、日本の自衛隊の存在は認めないということである。日本の左翼「市民」も旭日旗を否定しているということは、自衛隊の存在を認めないということを意思表示しているも同然である。旭日旗は日本軍国主義の象徴であるという。ならば、英国のユニオン・ジャックも米国の星条旗もフランスのトリコロールもシナの五星紅旗もさらには韓国の太極旗もすべからく侵略の象徴と解すこともできよう。

 

韓国の福島県に対する差別的言動に対して呼応するかのような彼ら彼女ら日本の左翼「市民」運動に対して、怒りを覚えている福島県人も多いと聞く。日本のメディアの中には、特にネット上の言説の中の韓国人に対する差別的な意見に対して批判するも、それがほとんど説得力を持たないのは、韓国の対日言動の酷さの圧倒的なる現実に対しても同時に批判しないアンフェアな態度が透けて見えてしまうからである(民族全体を否定するかのような極論は確かに許しがたいし、民族差別的言説は表現の自由として保障されるに値しないという意見については全く同感だが)。

 

韓国をめぐるいささか扇情的なメディアの在り方に疑問を供するのは頷けるが、同時に韓国内にみられる異常な反日言説に対しても批判を向けるのが公平な態度であるのに、韓国の国民は反日ではなく反安倍政権を言っているに過ぎないと言い含めようとする。しかし、この主張が実態に反していることは、韓国に行ってみればわかる。ソウル地下鉄には堂々とボイコット・ジャパンのステッカーが貼られているし、日本を「戦犯国」だと揶揄するステッカーまで出回っている。しかも、地方議会のレベルで反日決議がなされたりもしている。

 

反日ナショナリズムが過剰なまでに行き渡っていることは、日本だけでなく米国でも知られている。ウイーン条約に違反する行為までやっているのは、韓国であって日本ではない。国ぐるみで反日を絶叫していると解されても致し方ない。それを反安倍政権と言っているにすぎないと誤魔化す意図がどこにあるのか、考えれば自ずと理解されよう。日本の左翼「市民」運動は、実は日韓友好などを目的としてはいないのではあるまいかと思わずにはいられない。彼ら彼女らの本音は、日韓・米韓の関係を悪化させることによって彼ら彼女らの信奉する北朝鮮を利することにあると考えれば、彼ら彼女らの不可解な主張にも合点がいく。ことごとく北朝鮮の利益にかなう方向で主張を展開していることが、列挙していけば明らかになるだろう。韓国の市民と連帯すると称しているが、反日デモよりも遥かに参加者の多いムン・ジェイン批判のデモに参加する市民には連帯しないし、北朝鮮の意向に沿ってGSOMIA破棄をも訴えていたのが何よりの証左である。そもそも「市民」たちが北朝鮮の拉致や核開発あるいはミサイル発射など一連の行為に対して抗議の声をあげているところを見たことがない。

 

人権が大事だというのなら、なぜ中共による独裁的統治の犠牲者に対して支援の声を上げないのだろうか。なぜ強制収容所国家たる北朝鮮の悍ましい人権抑圧に沈黙するどころか露骨なまでの親北朝鮮の団体に呼応するのか。韓国人慰安婦については騒ぐくせに圧倒的多数の日本人慰安婦については言わない。ましてや慰安婦どころの騒ぎではないベトナムのライダイハンこうしたところにも日本の左翼「市民」運動を主導する者たちの本音が現れている。韓国におけるパク・クネ大統領退陣を求める「ローソク・デモ」に日本も学ぶべきといっても、決して香港市民の反中共デモに学ぼうとは言わない。この点についても、なるほど彼らのイデオロギーからすれば当然だともいえる。

 

数十年前の左翼学生運動や労働運動が挫折し、その拠り所を「平和運動」や「環境保護運動」へと求めた成れの果てである日本の左翼「市民」運動は、その末端の参加者はともかく、その中心となる人物の思想は共産主義の幻想に憑りつかれたままの状態であって、中共朝鮮労働党の信奉者である実際の姿を隠しているだけのことである。この場においては敢えて具体名は伏せておくが、この種の運動に常に顔を出している中心人物が何故「市民」運動だけに専従し職業を持たずに生活を送れているのかを想像してみるといい。彼はかつての労働組合にいた専従活動家ではなく、社会主義を報じる親中共の弱小政治党派の党員なわけだが、表向きは、あくまで市民運動家と称して「反自衛隊」・「反日米安保」・「反原発」・「憲法九条擁護」どの活動を主導するだけで職業生活を送っている形跡はない。

 

少なくとも、公安当局がマークするほど実のところ外国勢力とつながっている可能性が大いにあるということに用心しておかねばらないだろう。原発政策や集団的自衛権行使の一部容認を規定した平和安全法制あるいは一連の安倍晋三政権の施策に対する素朴な疑問・異議から偶々市民運動に参加したという人もいることだろう。政治信条は異にするものの、その人の良心を疑うわけではないが、その運動を先導している中心人物が本音のところでどういう思想の持主であり、どういう勢力と背後で繋がっているのかと一度立ち止まって考える余裕を持って欲しい。そうしないと、油断している間に気がつけば外患誘致のお先棒を担がされているという事態になりかねない。さほどに、日本の左翼「市民」運動には胡散臭さが漂っているわけである。もし左翼「市民」運動に参加したことのある方がおられたら、一度でいいからその中心人物に「あなたはどうやって飯食っているのですか?」と尋ねてみて欲しい。おそらく、まともに答えずお茶を濁したような返答がかえってくるはずである。それが何を物語っているのかについて改めて説明するまでもないだろう。