shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

動機と効果意思

 平成29(2017)年5月26日に民法の一部を改正する法律が成立したわけだが、民法のうち債権関係規定は,明治29年(1896)年に民法が制定されて以降約120年間ほとんど改正がされていなかったところ、今回の改正は,民法のうち債権関係規定につき、取引社会を支える最も基本的な法的基礎である契約に関する規定を中心に社会・経済の変化への対応を図るための見直しを行うとともに,民法を国民一般に分かりやすいものとする観点から判例として通用している解釈を条文に組み込むなど実務で通用している基本的なルールを適切に明文化することとしたものである。そしてこの改正民法は令和2(2020)年4月1日から施行されることになっている。

 

 さて民法解釈学のおさらいになるが、民法95条によると、錯誤無効の主張が可能となる条件は、「法律行為の要素に錯誤があること」が認められることである。すなわち、民法95条の錯誤無効主張の成立要件である「要素の錯誤」とは、法律行為の重要な部分に錯誤がある場合、通常当該錯誤に陥っていなければ法律行為(契約等)をしなかったであろう錯誤を意味する。これに対して「動機の錯誤」とは、意思表示形成過程における動機のレヴェルで錯誤があったために意思表示をしてしまった場合に問題となる錯誤である。そして、目的物の性質ないし性状等についての錯誤は、この意思表示形成過程上の「動機の錯誤」とみなされている。目的物の性質ないし性状等についての錯誤つまり「動機の錯誤」があるからといっても、動機は直ちに法律行為の内容をなす効果意思(ゆえに給付義務の内容)を形成するものでない以上、当該目的物の性質ないし性状等についての認識ないし判断は何ら効果意思にならない。すなわち契約目的物の瑕疵についての錯誤は「動機の錯誤」を形成するにとどまり、それのみで直ちに法律行為の要素に錯誤があるとはみなされないということになる。

 

 効果意思とは、その意思の表示によって最終的に認められる法律行為に対応する意思であり、したがってそれは法律効果を欲する意思であることにより、この「意思」の中に権利義務の変動の対象となる目的物が入っていなければならない。特定物の場合、「この物」が指示ないし名称されさえすれば足りる。性質は「この物」の属性にすぎず「意思」の内容足りえない。ゆえに性質錯誤は法律行為の内容の錯誤ではなく、動機の錯誤のレヴェルにとどまると考えられている。

 

 ところが「動機の錯誤」であっても、それが法律行為の要素に錯誤があると認められるために付加されるべき条件は、当該動機が「表示」されることであるとするのが、これまで積み重ねられてきた判例の立場であろうと思われる。つまり動機が「表示」されることにより、はじめて法律行為の要素に錯誤ありと認められる可能性が生じることになる(いわゆる「動機表示構成」)。動機は法律行為の不可欠の要素たる意思表示に包含されないことを原則としつつ、同時に表示されることを付加的条件として、その場合例外的に法律行為の内容に包含されうるという論理構成をとるわけである。つまるところ、錯誤主張が認められる最低限の条件は当該錯誤の対象が法律行為の構成要素たる意思表示(効果意思をそのうちに含む)に包含される必要がある、ということを意味するはずである。

 

 他方、改正前民法570条の瑕疵担保責任の法的性質をめぐる主要学説である「法定責任説」に立脚すると、特定物売買契約の目的物の瑕疵についての認識は当該契約の法律行為を構成する効果意思を形成する要素足りえず、したがって当該契約においては目的物の占有移転義務が尽くされたことで完全な履行つまりは瑕疵なき履行として評価される。こうした主張の前提は、契約責任説から寄せられる批判的言辞により形容されてもいる「特定物ドグマ」である(もうひとつ「原始的不能ドグマ」もある)。「特定物ドグマ」からは、いかに目的物に瑕疵があろうとも当該売買契約の効果意思をなすものは「この物を引き渡すこと」でしかない。そうすると、目的物の性質等は一切意思表示の内容に包含されないことが含意されているはずである。

 

 以上から、錯誤と瑕疵担保責任との制度間競合を考えてみると、一方が成立すると他方が成立し得ない関係に立つことが理解されるだろう。というのも、錯誤主張が認められるのは、たとえそれ自身では「動機の錯誤」にとどまるものであっても「表示」されることが付加されることを条件として意思表示の内容になりうるとされた目的物の性質ないし性状等は、瑕疵担保責任が適用される場面では法律行為の内容たる効果意思を形成するものでさえないからである。つまり同一事実関係について、一方では法律行為の構成要素たる意思表示に包含されることを前提とする主張をし、他方でその内容に包含されないことを前提とする主張を同時に展開するという結果をもたらすことになる。これはある肯定命題Pの主張とその否定命題¬Pの主張(P∧¬P)が両立するといった論理矛盾と言わねばならない。

 

 具体例を挙げて、以上の主張を敷衍しよう。例えば、甲と乙との間で中古車Aの売買契約が締結されたとする。ところがAには契約当初からフロントガラスがなかったとしよう。この場合「法定責任説」によると、中古車Aは特定物であるから当該売買契約の効果意思にはフロントガラスがある/ない中古車という目的物の性質は含まれず、中古車Aを引き渡すことのみが効果意思を形成する要素となる。だから中古車Aを乙に引き渡すことだけで甲の履行は尽くされているわけであり契約責任は生じない。このような場合、有償契約の対価的均衡を失することになることから法が特別に認めた責任が瑕疵担保責任であるというのが「法定責任説」からの説明となる。

 

 ところで、フロントガラスがなかったことについての錯誤は原則動機の錯誤にとどまる。ただ当該動機が表示されている限りで法律行為の要素に錯誤があったと認められる余地があるというわけだから「フロントガラスのある中古車を買おう」という動機が「表示」されているという条件付でフロントガラスがない中古車だったら当該契約を交わしていなかっただろうとされる場合、法律行為の要素に錯誤ありと認められるわけである。この点で、フロントガラスの有無という当該契約目的物の性質は法律行為の不可欠の構成要素たる意思表示の内容に含まれることになる(含まれなければ原則通り錯誤主張は認められない)。

 

 ここまできて、錯誤と瑕疵担保責任の制度間競合の問題は同一事実関係において相矛盾する前提に立脚する虚偽の問題であると言わなければならないということに合点がいくであろう。両主張が同時に成り立つとする議論であるとするならば、不可能を求める議論である。この点につき、京都大学法学部の民法学者である潮見佳男は、動機錯誤をいわゆる「動機表示構成」を採用することで法律行為の内容錯誤になりうるとする立論をしつつ同時に瑕疵担保責任における「法定責任説」に立脚するならば、錯誤と瑕疵担保責任との制度間競合の場面で奇妙な問題が生じうることを、詳細を論じることまではしていないまでも、ともかくも示唆している。そして同僚の民法学者である山本敬三も指摘している通り、動機錯誤に関して「動機表示構成」を採用するならば、その拠って立つ前提のために瑕疵担保責任の場面では「法定責任説」に立脚せざる得なくなる。

 

 ところが自らの首を真綿で絞めるが如く、錯誤と瑕疵担保責任との関係では両者は相矛盾する関係に入り込むので、畢竟これら両者を捨て去らねば整合的な法解釈ができないジレンマに陥る。優れた民法解釈学者であるならば、かかる陥穽の原因の核心をなす部分について指摘できるはずである。