shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

成功体験は後の失敗の温床となる

北朝鮮が今月2日に同国東海岸付近から発射した弾道ミサイルは、報道によると、どうやら潜水艦発射弾道ミサイルSLBM)のようで、飛行距離は約450kmだったという。軌道を変えて飛行距離を抑えた上でのこの距離なので、実際は日本全域を射程に収めているとみてよいだろう。

 

北朝鮮の核・ミサイル開発を放置し続けた結果が、この様である。まだ実験段階だろうが、実戦配備できる体制を完成させるのも時間の問題。米国の対北政策の甘さが、今日の状況を許してしまった。そう思う時、1994年における米国クリントン政権下での北朝鮮攻撃プランの中止は、誤った判断だったのではないかと痛感させられる。

 

1994年は、米軍による北朝鮮の核開発の中心施設が集中する寧辺等の核関連施設及び軍事施設を攻撃する一歩手前だったと言われている。ところが、大統領特使としてジミー・カーター元大統領が訪朝してキム・イルソン主席と会見し、核開発を放棄する代わりに軽水炉建設の支援を行う旨の合意がなされ、戦争一歩手前の段階で攻撃プランが中止された。

 

これには、韓国のキム・ヨンサム大統領が強い反対を米国側に申し入れたことも関係するだろうが、具体的には、北朝鮮の反撃により韓国側の被害が相当程度発生するということ、つまり休戦ライン北の数千とも数万ともと言われる火砲が一斉に火を噴くと、休戦ラインから数十kmしか離れていない首都ソウル特別市は「火の海」になること必至であり、これを米軍といえども、予め防ぐことは、軍事技術上困難と思われたことが大きな理由であったと言われる。現在では、在韓米軍の基地はソウルからずっと南の平沢に移動しているが、当時はまだ、米軍の軍人・軍属がソウル近郊に多数いたので、それらに甚大な被害の及ぶ可能性が残る選択肢を選ぶことは、かなりの勇気が必要であったのであろう。また、中朝との同盟関係や、中共がそれを許すかという大問題もあったので、クリントン政権としては決断に迷ったことも理解はできる。

 

しかし、北朝鮮が核の手段をそう簡単に手放すはずもなく、米国の過剰な楽観視による事実上の放置により、気がつけば北朝鮮は核保有国となってしまい、その運搬手段としてのICBMSLBMすら実戦配備可能な状態を実現するまでになってしまった。シナやロシアという核大国に囲まれた我が国の安全保障環境は、我が国とあからさまな敵対国の関係にある北朝鮮というもう一つの核保有国の誕生によって、さらに一段と深刻な状況に立ち至っている。

 

我が国からすれば、1994年の段階で、米軍による北朝鮮への先制攻撃がなされていたならば、事態は今日ほどの安全保障上の危機を招くほどのことなかったのかもしれない。もちろん、やるとなれば、寧辺のみならず、北の報復能力を完全に削ぐために、核による先制攻撃によって主要軍事施設と首都平壌を徹底的に破壊し尽くすことになっていただろう。仮に、北の反撃能力が残存していても、被害は韓国の首都ソウル及びその周辺地域に限定され、我が国に対する直接的被害は発生しなかっただろうから、専ら安全保障の観点からすれば、日本としては好都合な選択だったかもしれなかった。

 

もっとも、そうなれば、北の統治機構が壊滅して、国家としての統合が図れなくなり、朝鮮半島が大混乱するだろうから、韓国軍もしくは在韓米軍の地上舞台が北朝鮮に進駐せざるを得ない事態を招き、また中華人民共和国としては、米軍の勢力が鴨緑江まで押し寄せることを良しとするわけないので、人民解放軍北朝鮮に派兵することになり、米中の睨み合いが朝鮮半島で起こる可能性も考えられた。攻撃が限定的とはいっても、その限定攻撃が北朝鮮の権力構造を完全に破壊してしまう危険性もあったので、やはり現実的にはとりにくい選択だったのかもしれない。

 

ところが、北朝鮮が日本全域を射程に収めるミサイルを配備した今となっては、その選択は取れなくなった。時すでに遅し。かつて、ソ連への先制核攻撃を主張したフォン・ノイマンバートランド・ラッセルの主張は無視されたが、その後のソ連膨張主義政策の展開を見れば、ノイマンラッセルの主張にも理があったのに、当時は一笑に付されてしまったことと同じことが、再度繰り返されたわけである。

 

保有国は、よほどのことがない限り核保有を放棄しない。それもそのはず、その選択が合理的であるからだ。北朝鮮はある意味で外交巧者であって、隣の韓国などよりも遥かに合理的に行動している。北朝鮮は、キム一族による独裁体制を死守することを至上目的としているわけだから、自国に対する軍事力行使を阻止するのに、核とミサイルを有することこそ安全保障の要と位置づけて、その開発に邁進することは当然だろう。

 

むしろ世迷言を弄しているのは、「非武装中立」だの「反核平和」だのと叫んでるだけの日本の左翼や、米国にしがみついていさえすれば日本は安泰だと考えている自称保守の連中であって、双方とも能天気という点で全く共通している。自国のおかれた安全保障環境を冷静に見ることをせず、常に他国の善意に自国の運命を委ねていれば無事でいられるという「平和ボケ」である。

 

シカゴ大学の高名な国際政治学者ジョン・ミアシャイマーは、シナがアジアの覇権国になろうとして着実に経済力や軍事力を伸ばす一方で、米国のアジアでのプレゼンス低下にともない、日本が中華勢力圏に呑み込まれてしまう危険性を警告している。そして、シナの軍事力が米国のアジア地域での軍事力を凌駕し、アメリカを北東アジアから駆逐してアジアの覇権を握ることになる時期を、2025年頃から2030年頃と見積もって行動していると予測する。そして、中華勢力圏に呑み込まれた属領になりたくなければ、日本は核抑止力を持つとの選択をとる以外に道はないとも言う。

 

もっとも、こうした見解は、ミアシャイマーに特異な意見ではなく、リアリズムに立脚する米国の国際政治学者の多くは、冷静に分析してこう診断する。ケネス・ウォルツにしても、スティーブン・ウォルトにしても、ロバート・ギルピンにしても、然りだ。

 

リアリズムに立脚する国際政治学者による核戦略論は、既に日本でもよく知られているし、それ以外の安全保障理論に関しては、土山實男『安全保障の国際政治学-焦りと驕り』(有斐閣)に整理されている。多少毛色が違うが簡単に読めるものに、最近になって再販された岡崎久彦『戦略的思考とは何か』(中央公論新社)の真ん中あたりの、大量報復戦略や柔軟反応戦略そして相互確証破壊戦略といった核戦略理論の簡略的説明が便利だろう。

 

こうした国際政治学者や外交官による核戦略論の紹介も面白いが、何といっても当の戦略論を立案した張本人の書いたものが、ダントツで面白いに決まっている。不思議でも何でもないが、こうした戦略論の立案者は、必ずしも国際政治学を専門とする者ではなく、異なる分野の専攻者であることが往々にしてある。

 

米国の核戦略理論研究の中心であったランド研究所は、ノーベル賞受賞者を多数輩出した米国の頭脳の一つとして有名で、ジョン・フォン・ノイマンジョン・ナッシュといった天才も所属していた。それゆえ当然に、ゲーム理論研究のメッカでもあり、ゲーム理論を応用した核戦略理論も各種編み出された。

 

最初の核戦略理論研究では、歴史家バーナード・ブロディやスタンリー・キューブリックの映画「博士の異常な愛情または私は心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」に登場するマッド・サイエンティストのストレンジ・ラブ博士のモデルとも言われるハーマン・カーンよりも、僕は「フェイル・セーフ」の理論で基地研究者と知られるアルバート・ウォルステッターに興味を抱く。

 

アルバート・ウォルステッターは、元は数理論理学の研究をしていたが、法学や経済学なども学び、流れついて運よくランド研究所に雇用されることになった変わり種だ。さらに、その変わり種ぶりを示す経歴は、一時「革命労働者党同盟」という極左トロツキスト集団のメンバーだった過去がありながら、その経歴が長年封印されていたことである。

 

イラク戦争の時に注目されたネオ・コンサーバティヴ(ネオコン)の出自が元トロツキストであることを強調する言説があちこちで見られたようだが、ウォルフォヴィッツラムズフェルドなどは、この「ウォルステッターの高弟」を自称していたほどで、ネオコンと元トロツキストを結びつける言説にも一定の理由があるわけだ。「反共の闘士」として、ロナルド・レーガン大統領から米国大統領自由勲章まで授与された核戦略家ウォルステッターが、実は元トロツキストだったという事実は、ちょっとしたスキャンダラスなニュースとして知られるようになってしばらく経ち、ようやく客観的にウォルステッターを見るための情報がほぼ出揃った。

 

ウォルステッターが有名になったのは17歳の時だ。「命題と事実の構造」という数理論理学から科学哲学に及ぶテーマに関する論文を執筆し、それが学術雑誌Philosophy of Scienceに掲載され、この論文に感銘を受けたアルバート・アインシュタインが激賞してウォルステッターを自宅へ招待したエピソードがある。アインシュタインが「これまで私が読んできた数理論理学に関する論文の中で、最も優れた外挿法である」と称賛を惜しまない論文は、実在論的な枠組みに落とし込む言葉と世界の繋がりについての内容に関わるものである。ちょうど、26歳の若さで亡くなった数学者・哲学者・経済学者フランク・ラムジーの論文「事実と命題」と並べて読むと、その対照的な関係がよくわかる。ウォルステッターの立場が真理の対応説に近い見解とすれば、ラムジーの立場はそれとは明らかに異なる。

 

「真理と確率」と並んで、ラムジーの代表的哲学論文である「事実と命題」は、哲学史・論理学史の知識として有名な所謂「真理の余剰説the redundancy theory of truth」を提示した論文で、ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』を強引にプラグマティズムに引き寄せて真理概念を解釈する論文としても読める。その意味で、ラムジーとウォルステッターの真理概念が異なり、後者がタルスキの見解に近いことも理解できる。

 

それにしても、核戦略論の基幹理論が国際政治学者からでも軍事史家からでもなく、数理論理学者によってもたらされたことが何よりも興味深い。ジョン・フォン・ノイマンも最初に執筆した論文は、数理論理学や集合論に絡む数学基礎論に関するものだった。第1次世界大戦が「化学者の戦争」、第2次世界大戦が「物理学者の戦争」であったと言われる。仮に第3次世界大戦が勃発することになると、それは「数学者の戦争」になるだろうとの予想を先取りするエピソードにもなっているわけだ。

 

ウォルステッターの最大の貢献は、「フェイル・セーフ」という多重安全装置の概念を生み出したことだと言われる。戦争遂行にあたって各現場ごとの意思決定は、必然的に不確実な状況の下での意思決定にならざるを得ない。そうすると、暗闇の中での作戦遂行を強いられたり、作戦からの逸脱行為がなされたりもする。大量の被害を発生させる核攻撃は、それゆえ少しの誤りがも許されず、慎重につぐ慎重を期さねばらない。偶発的混乱を避け、計画的に核攻撃を実行するための安全装置が求められる所以である。攻撃命令が確実に発せられていることを確認するためのチェックポイントを設けて、爆撃機が各チェックポイントでのチェックを受けなければ攻撃を続行できなくさせるシステムを構築することで、悲惨な事態を極小化するシステムである。

 

この「フェイル・セーフ」の概念が空軍に採用され、いくつかの局面において核戦争の大惨事を防いできたと言われる。1979年には、電話交換手のミスによって米国が核攻撃を受けているという誤った情報が流れ三つの空軍基地から戦闘機10機が緊急発進したが、「フェイル・セーフ」のおかげで後に誤りとわかり、戦闘機は攻撃をやめて基地に帰還したという事件があったし、1980年には、コンピュータの半導体の誤作動によって、ソ連が米国に攻撃との報が流れて、100機近いB52戦略爆撃機が発進し、ICBMの担当チームが反撃準備にとりかかる寸前のところで、その情報が誤りとわかり、事なきを得た。

 

ウォルステッターは核戦略以外の国防政策にも発言力を持ち、ソ連アフガニスタン侵攻の際、当時のカーター政権に対して、ソ連の侵略軍と戦う地元のムスリムのゲリラに最新の武器を提供し支援するよう提案したことでも有名である。レーガン政権になり、アフガニスタンムスリムのゲリラへの軍事支援強化を求めるロビー活動を展開し、レーガン政権はその言を取り入れて、アフガニスタンを占領するソ連の資金・兵士・武器を失わせて大混乱させることに傾注し、ついにソ連アフガニスタンから駆逐することに成功した。

 

ウォルステッターの長年の構想である弾道弾迎撃ミサイルによる防衛システムは、今の米本土ミサイル防衛システムの原型であり、レーガン政権では「戦略防衛構想SDI」に結実した。ソ連ICBMを米国へ向けて発射すると、自動追尾ミサイルが宇宙空間でソ連ICBMを迎撃することが狙いであった。ソ連は、米国との軍拡競争で遂に自壊、ソ連崩壊への結末を用意した。マルクスの言葉を捩って、「歴史の灰の山に、マルクス・レーニン主義を葬り去る」と宣言したロナルド・レーガンの「悪の帝国」ソ連撲滅政策にウォルステッターが寄与した功績は大きい。

 

ところが、歴史において往々にありがちなことに、成功体験が後の失敗の芽にもなるという教訓は、ウォルステッター自身というよりも、その弟子筋の人間の判断にも見られるということである。かつての我が帝国海軍もそうだった。世界海軍史に輝く日本海海戦での日本の勝利をもたらした東郷平八郎元帥は、日露戦争での成功体験に捕らわれて、晩年も大艦巨砲主義に拘り、機動性を重視する海軍への改編の動きの障害になった負の側面を持っている。極めて優れた軍人であった東郷元帥ですらそうなのだから、過去の成功体験の呪縛に捕らわれる者が多く存在するのも無理はない。

 

「悪の帝国」としてのソ連を崩壊させ、一見米国一極支配体制が実現するかに思えた頃から、実は米国一局覇権構造の綻びが出だした。冷戦が始まり、世界が米ソ二極構造となった頃は、二極といっても世界経済に占める米国経済の比率は50%程度あった。21世紀に入ると、米国経済の占める割合は2割を切った状態にまで落ち込んだので、冷静に考えれば、米国による一局覇権構造が長期的に維持できるわけがないという判断に至るが、現実はそうはならなかった。「パクス・ロマーナ」ならぬ「パクス・アメリカーナ」を本気で信じこむネオコンは、イスラエルのロビー活動も関係して、米国の中東支配へと乗り出すことになるが、皮肉なことに、米国がかつて支援したイスラームの過激派に反旗を翻されることになる。

 

もっとも事情は複雑で、例えばイラン・イラク戦争では米国はイラクサダム・フセイン政権を支持する一方で、イスラエルはイランを支援するなど不可解な面もあった。イスラエルからすれば、アラブ諸国とイランといったイスラーム諸国が一致団結して対イスラエル包囲網が作られるよりも、イランとイラクが殺し合いをしてくれた方が好都合という事情もあったのだろう。イスラエルからすれば合理的な選択だったのだろうが、果たして米国にとって合理性のある選択であったのかと言われれば些か怪しい。ところが、イランとイラクとシリアに対する戦争遂行計画は、1998年の段階でクリントン政権下で画策されていたことは、ネオコンの論客であるポール・ウォルフォヴィッツの書いたClean Breakとして知られるレポートから明らかになっているのだ(事実、ヒラリー・クリントンイラク戦争に賛成している点を無視してはならない。イラク戦争は、ブッシュの個人的思想から起きたものではないという何よりの証拠だ)。

 

「合理性の教会」とまで言われたランド研究所の所員の目論見が上手く行かなくなっている兆候としても理解できるこのエピソードは、実のところ日本にとって対岸の火事というわけには行かない影響を及ぼしている。日本の防衛構想の中核にまで位置づけられるミサイル防衛システムは、主としてシナや北朝鮮からのミサイル攻撃を想定して立案されている。

 

しかし現実的には、隣国のシナが保有する数千基とも言われる核弾頭から防衛することは到底困難である。シナの核兵器システムは、液体燃料を使用する旧式の単弾頭の核ミサイルから、固体燃料を使用する高精度の多弾頭核ミサイルに移行しており、このMIRVと呼ばれる複数個別誘導弾頭は、一基の弾道ミサイルに10個以上の核弾頭を載せることができ、各々の核弾頭は飛行中に分離して別の軌道に乗り複数のターゲットを同時に破壊する能力を持つ。この核兵器システムは、米国から盗んだ核弾頭設計技術に基づいており、例えばMXピース・キーパー(多弾頭ICBMの核弾頭)やトライデントD-5(多弾頭SLBM)がその一例である。シナは既に、米国の核抑止力に匹敵する核兵器システムを保有する国家になってしまった。ヘンリー・キッシンジャーをはじめとする親シナ派の対シナ宥和政策によってシナは米国の安全保障を脅かす存在と化してしまった。「身から出た錆」というわけだ。

 

米国は、北朝鮮の核開発を事実上放置する一方で、日本に対してミサイル防衛システムの購入を迫り、媚米派の小泉純一郎内閣が2003年12月にこのミサイル防衛システムの購入を閣議決定して、最低1兆円をかけて整備にとりかかった。2006年から海上自衛隊イージス艦に搭載するSM3(大気圏外での核弾頭迎撃)と地上に配備するPAC3(地上付近での核弾頭迎撃)という二種類の迎撃ミサイルの配備を始めた。しかし今では、この迎撃ミサイルシステムは時代遅れと化し、それを見越して新たなミサイル防衛システムを日本に購入せよと迫るだろう。シナは既に、ミサイル防衛システムを無効化させる対抗兵器を開発しているからである。ミサイル防衛システムが機能するための軍事衛星を破壊するレーザー兵器はその一例である。

 

さらに、米軍と自衛隊が使用するレーダー施設やイージス艦あるいはPAC3高射群などの上空でミサイルを故意に空中爆発させることで電磁波を撹乱し、ミサイル防衛システムのレーダーやセンサーそして通信機能を麻痺させることまでできる兵器を開発している。問題は、北朝鮮がこの電磁波撹乱行為の兵器を開発中であるということである。果たして、旧いミサイル防衛システムに拘って、他の有効な兵器の開発に移行する気が起こらないのか。ある種の成功体験の「神話」が、後の判断を誤らせる結果になるのではないか。再び、同じ過ちを繰り返そうとしているとしか思えないのが、我が国の実態なのである。