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民族派右翼による「便所の落書き」擬きの極私的備忘録

君側の奸

 狩野直喜『御進講録』(みすず書房)所収の「尚書尭典首節講義」は、当時京都帝国大学教授であった狩野直喜が、「御講書始の儀」において昭和天皇の御前で行った御進講録の一部である。聖上からの御下問の内容までは収録されていないが、聞くところ、英明であられた帝の鋭い御下問に対し、碩学でなる狩野もたじたじだったというのだから、御専門の生物学のみならず和漢洋の知にも明るい昭和天皇の博識に改めて驚嘆せずにはいられない。古来、有徳の君が身につけておられた徳とともに、それを裏づける識見をも兼ね備えられておられた英君の御存在により、我が日本国及び日本国民は、危機の時代にありながらその生存と繁栄を維持してきたとも言えよう。正に、上御一人は現御神であらせられることを証するかのようである。

 

 日本における儒学受容は、とりわけ朱子学、中でも林派の奉じる朱子学が幕府正学の座を射止めたのと相即して、四書五経、中でも特に四書が重んじらてきた傾向にある。四書中心といっても、講書としては『孟子』は革命を肯定すると読まれたためか、敬遠されてきたとも言われる。もちろん一切触れられなかったというわけでもなく、幕府御用学者林羅山が、豊臣から徳川への政権移行を正当化する文脈において孟子易姓革命の思想を使用したことはある。ここで言う御用学者というのは、本来の意味での幕府御用の学者と言う意味であって、「政府の御用学者」だとか「共産党の御用学者」というような今日の意味で言う「御用学者」という意味ではない。今日の大学に巣食う数多の似非学者とは、その学識といいその影響力といい雲泥の差があるのだ。

 

 朱子学は、その静寂主義的側面や現状肯定の思想から、今日では徳川政権下の停滞した社会を象徴する学問と見做されがちだが、実際のところは違う。確かに、林羅山の思想は「上下定分の理」に現れている通り、徳川幕藩体制の屋台骨を支える身分制度をあたかもアプリオリな秩序であるかのように捉え、そこに甘んじることを人倫道徳の基本に据えている。「三徳抄」は、以下のように述べている。

若シ生レツカヌ富貴ヲネガヒ、生レツカヌ寿命ヲネガヒナンドスルハ、ネガフベキ理ニアラズ。ナラヌネガヒヲクワダテ、カナハヌノゾミヲナスハ、悪人愚人ノワザナルユエニ、アラヌ事ヲモイカケテ僻事ヲシ罪ヲツクリテ、ソノハテハ身ヲホロボスナリ。是ネガフマジキ道理ナル故ナリ。

 しかし、朱子学の説く「修身斉家治国平天下」の思想が、私事と公事の二分法をもたらし、武士階級の責任意識を強くさせたことは事実だし、それが特に後期水戸学に結実するや、体制維持の思想から体制変革の思想に転化し、明治維新とその後の近代化に貢献したことを見ないといけない。また、その「大義名分論」が律令制度の下での幕藩体制の構造を維持させつつも、後の「尊王攘夷論」に結びついて「維新」の思想を準備した点も見なければならないだろう。そして何より、朱子学の合理主義の思想が「物に在る理」を究明する自然科学的思考を受容させる準備をした点に注目するべきだろう。

 

 貝原益軒本草学や宮崎安貞の農学の確立、そして山片蟠桃佐久間象山の洋学受容をもたらしたのは、朱子学の合理主義であったと言っても過言ではない。朱子学とは、宇宙生成論・人間本性論・人倫道徳論・社会秩序論まで包含した一大形而上学体系であり、西洋にこれに匹敵する思想を求めるとすれば、カトリシズムくらいしかないのではないか。明治近代の礎を築いた佐久間象山は、元々は昌平坂学問所学頭佐藤一斎の下で朱子学を中心に学び、山田方谷と並んで二大弟子と称された学者であったが、同時に西洋語と洋学を江川太郎左衛門の下で学び、自然科学や軍事関係の原書から西洋学問の知識を貪欲に吸収していったと言われる。佐久間象山の下には勝海舟吉田松陰坂本龍馬小林虎三郎山本覚馬橋本左内、河合継之助、津田真道西村茂樹加藤弘之といった錚々たる面々が集った。

宇宙の実理は二つなし。斯の理の在る所は異ること能はず。近年西洋発明する所許多の学術は要するに実理にして、ただ以て吾が聖学を資くるに足る。

 閑話休題。ここで四書ではなく五経の中の『書経』を狩野が選択したのは、シナの歴代皇帝への「講書の制」における慣例に倣い、帝王の学として相応しいと判断したことや、狩野自身が清朝考証学に好意的で朱子学を敬遠していたためであろう。もっとも、「寛政異学の禁」のイメージに影響されて、朱子学が我が国においてシナや朝鮮のように支配体制のイデオロギーとして機能していたとの見解は、現在の日本政治思想史研究の到達点から見ると、かなり怪しい見解ということになっている。

 

 ともかく、昌平黌における正統学問としては林派の朱子学が学ばれたが、同じ朱子学でも山崎闇斎らの系統も別にあったわけで、新井白石もこの流れに位置する朱子学者であった。おそらく、この時期の誰よりも西洋の学問に知悉していたのは白石だと言われるほどその学識は際立っていたが、そうした受容が可能だったのも、白石が朱子学者であったことと無縁ではない。また、そうした堅固な形而上学体系であった朱子学があったればこそ、それに対抗する伊藤仁斎の古学や荻生徂徠古文辞学が興り、はたまたそれが賀茂真淵本居宣長国学をもたらしもしたのである。そして仁斎の古学は、清朝に逆輸入されて考証学に多大な影響を与えたことをも想起しておこう。

 

 最近、儒学をさして知りもしないで、ただシナや朝鮮の歴史を貶めるだけの目的で、殊更に儒学全体を否定するかのような駄本が流通しているが、このような暴論は天に唾吐く行為なので、やめていただきたいものである。僕は、本居宣長国学に心酔する徒ゆえ、最終的には朱子学を含め儒学を批判する者ではあるが、もし宣長国学が古学・古文辞学から多くの影響を受けている事実を正視しない態度の者がいるとすれば、その者は知的不誠実と言われても仕方がない。

 

 ちなみに、新しい元号「令和」は、直接には我が国の『万葉集』を出典とするということにされている。これは、漢籍だけでなく広く国書をも含めた中から選ぶべしとの安倍内閣の方針に則り選ばれたものだ。その中身はともかくとして、古来の慣例を破る行為は厳に慎まれるべきことであり、単に漢籍に出典を求めるべきだった。理由は、古来の慣例であるというその一点からである。特段の理由がないにも関わらず、敢えて古来の慣例を破る行為は、天子の持つ元号制定権の伝統の破壊に荷担する不敬の極みである。

 

 思えば安倍晋三は、ことあるごとに不敬行為を働いている。新元号に関して漢籍に出典を求めてきた慣例を踏みにじる暴挙に出るだけでなく、勅定なき新帝践祚前での元号前倒し発表や、大嘗祭における大嘗宮の屋根の茅葺きをやめて低予算で済む板葺きに変更するといった伝統破壊を次々にやっている(元号については事後的に新帝の御名御璽をたまわったが)。

 

 安倍晋三が君側の奸であることに気がつかない自称保守の安倍支持派が存在することが理解できない。安倍晋三及び安倍晋三を支持する櫻井よしこを始めとする日本会議の面々の多くは、紛れもなく保守を擬装した左翼である(先日、BSフジのプライムニュースを見る機会があり、中華人民共和国の国家副主席で新帝の即位礼に参列予定の王岐山トクヴィルの愛読者である旨を紹介した時、櫻井は何とトクヴィルの存在を始めて知って読んだということを語っていて驚愕したものである。仮にも「保守」を自認する者が、トクヴィルをつい最近まで知らなかったというのは驚くべきことではないだろうか)。

 

 思い返せば、この面々は、先帝陛下の平和への切実な御心や戦没者追悼のための行幸そして災害の被災者や障害者やハンセン氏病患者など社会的に弱い立場に追い込まれた人々に対する眼差しや日本の本土の犠牲になってきた沖縄への大御心を蔑ろしてきた。この大罪は、何度強調してもしすぎることはないだろう。先帝が沖縄に対してどのようなお気持ちを持たれていたのかは、御自らが島津の血をもひく者であることを断った上で、沖縄の人々が日本に帰属して良かったと思えるような状態になっているかということを常に自問自答されておられる御言葉から拝察することができよう。

 

 陛下は制度的には立憲君主の身であられ、また現憲法下では一切の政治的権能をお持ちにならないが、その制限においてギリギリ許される範囲で、お気持ちを吐露されてこられた。宰相たる者は憲法上の制限を了解しつつ陛下の大御心を斟酌して、その大御心に適う方向で政事にあたるべきところ、そうした尊皇の心を安倍晋三は持ち合わせていないのであり、この点、石原慎太郎と同罪である。

 

 狩野直喜は、自らを「臣」と認めつつ次のように始める。

講書始めに、臣直喜浅学非才の身を以ちまして、漢書進講の大命を拝し、誠に恐懼感激に任へませぬ次第で御座ります。さて臣今日謹みて進講し奉りまするは、尚書尭典の起首の第一節、及び第二節で御座ります。尭典は漢土聖人の第一位に置かれて居りまする・・・。

延々とこの調子で書かれた御進講録は、何より帝王が学ぶべき天の思想、徳による統治、「天下」という考え、そして民意の尊重が順に説き起こされる。その中にある「儒学の政治原理」の一節はこうある。

世の中には、不正の行為と承知致しながら、之を犯し行ふものが御座りまするが、此れは論外と致しまして、これは君国の為めと相考へ、本人は其の行為を正しき事、少くとも道徳的には正しき事と、確信し行ひましたる事にても、第三者より見ますれば、甚だ正道をかけ離れまして、其の結果国家の大罪人となりまする例も、決して少くない事と考えます。

大正13年1月16日の御進講である。まだ昭和帝が摂政宮であられた頃である。その後の日本がどうなるかを知る者からすれば、結構不気味な言葉といえなくもない。君側の奸どもは、この言葉を戒めとして心得ろ!