shin422のブログ

民族派右翼による「便所の落書き」擬きの極私的備忘録

Winter in NewYork

 Autumn in NewYorkならぬWinter in NewYork。再びニューヨークに配転となってから一月余り。2年ぶりに移り住んで驚いたことは、家賃の更なる高騰ぶりである。高級なレジデンスなどは一部供給過剰気味で、専ら投資用として購入した買い手が多いものだから人が住まない空室がチラホラ目立ち始めており、価格も下落傾向に向かう兆候を見せてきているが、ただニューヨークの賃貸不動産の空室率は2%を切るほどだから、当然に貸主の天下となる。ニューヨーク在住者の多数は、持ち家を持たない借家人である。手元に細かなデータを持ちあわせているわけではないが、ニューヨークのマンハッタン地区ともなると、賃貸アパートの平均はおそらく3000ドルを上回っているだろうから、米国人の平均所得を考えれば、いかにニューヨーク市街地が一段と住みにくい環境になってきているかがわかる(とはいっても、サンフランシスコほどの著しい落差はない)。そりゃホームレスが10万人ほどいるわけだ。一夜を過ごすための収容施設には、ニューヨークの糞寒い冬を乗り越えるために最低でも5万人ほどが押し掛けるという有り様らしい。それにしても、一つの都市でホームレスの人々が数万人もいるという社会はどこか制度的に狂っているというほかないが、いずれ東京もこうした姿に変わっていくのだろうかと一抹の不安がよぎり、ますます憂国の情にかられる。

 

 日系の大企業のサラリーマンといっても役員待遇でない者の給与所得なら、ニューヨークのマンハッタン地区に居を構えるとなると、かなりの部分が家賃に消えていき生活するのがやっとという状態になるだろうし、ましてや平均年収程度の所得しかない者なら家賃すら払えない状況となる。ニューヨークやサンフランシスコなどでは、年収1000万を多少超える程度の所得と言えども「低所得者」として分類される。それほどに日本の大企業サラリーマンの給与は少ない。中小企業ともなるとなおさらだろう。だからといって、全ての労働者が無能ということなどあり得ず、能力や働きに応じた正当な報酬が支払われず報われない人々がいるということである。中央省庁の課長級以上のポストに就いている官僚でさえ極めて安い給与に甘んじている(外務省の場合、在外公館に赴任すると手当などでそこそこ潤っているようだけれど)。大学の研究者でも、教授職で平均1000万円前後と低い水準にとどまっているという。一部の私立大学だと1300万円ほど支給されると聞くが、この程度なら日系大企業のサラリーマンが普通にもらっている金額だし、有名外資系企業ともなると入社一年目の新人からもらえる金額だ。いわゆる「四大法律事務所」に含まれる日系大手法律事務所ならば一年目のアソシエイツでも得られる金額だろう。米国だと、ハーバードやコロンビアあるいはプリンストンといった有名大学の教授なら平均20万ドル程度(一部の著名な教授なら、更に高額のサラリーをもらっているが)で、決して割のいい仕事とまでは言えないものの、それでも日本の大学の教員の給与所得よりは上だ。もっとも、米国の大学教授の給与が高いだけであって、世界的に見れば日本の大学教授の給与が特別低いというわけではなさそうだ。いずれにせよアカデミズムのポストは、金銭面を考慮すると、さほど魅力ある職とは言い難い。

 

 目立たない問題は、大学の事務職員の待遇である。国立大学法人はまだましだろうが、公立大学法人の中には大学の果たす役割を営利企業のそれと勘違いしている学長が外部から招聘され、その者によるトップダウンの経営方針に振り回され、サービス残業などの長時間労働を余儀なくさせられるなどブラック企業化している大学が多いと聞く。私立大学ともなると、酷いところでは事務職員の半数以上を派遣社員でまかなっている大学もある。ところが、「格差問題」を告発する大学教員が当の大学において派遣職員や非常勤講師らの待遇改善のために努力しているという話などつゆだに耳にしない。

 

 理科系ではともかく文科系においては、昔から大学院を目指そうと思う優秀な学生はごくわずかで、日本の大学の大学院には見向きもしない。したがって特に文科系の大学院は、端から労働市場からは相手にされない者の、とりあえず体面だけを保っておくだけの「駆け込み寺」のような場と化しているところが多く、その傾向は東京大学でも京都大学でも変わりない。そこで、東大や京大の法学部は優秀な学生を繋ぎ止めるために、大学院の課程をすっ飛ばした学士助手ないしは学卒助手の制度を設けてきた。しかし、それすら魅力ある進路と考える学生は少なくなっているのが東京大学法学部の現実だ。だからこそ、文科系に属する優秀な学生は最初から研究職を志望せず、官僚や日系の大企業を目指す者が多かった。ところが、その中央省庁も日系大企業も魅力を失いつつあり、外資系企業を志望する傾向に傾く。例えば、東京大学法学部の卒業生の進路の変遷がそのことを物語っている。法曹三者にも魅力を感じなくなった者は、東大法学部に在籍している手前、とりあえずは国家公務員試験や司法試験に合格したという「実績」を残しておくだけに止め、外資系を選択する者が増えてきたのには相応の理由があるわけだ。

 

 旧大蔵省が強大な権限を行使できた時期では、東大法学部在学中の三年ないし四年時に旧司法試験に合格しておいて、事実上の年齢制限が課せられている国家公務員試験Ⅰ種を四年時に合格して入省という者が結構多かったし、中には旧司法試験、国家公務員試験Ⅰ種法律職、外務Ⅰ種に一番で合格し、かつ東大法学部を首席で卒業するといった「三冠王」「四冠王」の受験巧者もいた。旧外務Ⅰ種試験は受験年齢の下限が低かったために、法学部を三年で中退して外務省に入省する者が目立った。いち早く社会人になりたかったからそうしたわけではない。若ければ若いほど「優秀」だと誉めそやかす周囲の目を意識して、エリートと見られたいというさもしい願望ゆえのことである。こうして、学士号すら持たない外務官僚が誕生した。

 

 官僚の魅力が低下するに連れ、そうした者がほとんどいなくなっていった。学士助手にしても在学中に旧司法試験を合格しておくのが当たり前であった昔と違って、それすら受からない者ですら助手に採用されることが多くなっていった。我妻栄や団藤重光といった重鎮中の重鎮の法学者が活躍していた頃は、たとえ大学に残って研究する道を選択しようとも、一応は戦前なら高等文官試験を戦後なら旧司法試験を最上位で合格しておかないことには恥であるという風潮が支配的であったが、その頃と比べると隔世の感がある。我妻栄も団藤重光も東大法学部を首席で卒業しているし、高等文官試験にしても、我妻栄は惜しくも首席合格は逃したようだが最上位で合格しているようだし、団藤重光に至っては首席合格を果たしている。元首相の若槻礼次郎が叩き出した記録には及ばないだろうが、団藤の弟子筋にあたる藤木英雄も、こと試験においても優れていたことで知られている。「民法の神様」と呼ばれたあの我妻栄ですら、晩年になってもなお旧制中学時の成績を記憶していたというほど点数に執着していたのである。こうした実態は、今の東京大学法学部の体質に残っている。なぜそうなのか。簡単なことである。他人より高い点数を取ることが己の「優秀さ」を計る物差しであると信じ、他人から己が如何に「優秀な」存在であるかを承認してもらうことばかり気にする人間が多く集っている場所が東京大学という「勘違い野郎」の巣窟の実態であることに何ら変わるところがないからである。福田恆存が指摘していた通り、我が国の近代化の過程で整備されていった教育システムの失敗を如実に反映しているのが、東京大学というわけである。結論から言えば、こうした点取競争は総じて下らなく、益よりも害の方が大きいので、資格試験ではやむを得ないとしても、少なくとも現行の大学受験に関しては全廃が望ましい。なお晩年の団藤は、こうした日本の受験システムに対して「ベルトコンベア」だと批判的であった。団藤の言い方は僕に言わせればまだ穏健な方だ。日本の受験システムは「ブロイラー養成システム」と言うべきであり、東京大学は典型的な「ブロイラーの集まり」なのである。

 

 外資系企業での競争は熾烈であり、実績を残せなければ容易に解雇されるリスクはあるし、そうなったとしても労働者の権利が手厚く保障されているわけではないから、経営者側の判断を受け入れる他ないほど立場が不安定である。しかし、その競争の過程で培ったスキルを活かして第二、第三の職場で活躍するチャンスは与えられているし、中には思いきって独立起業する者もいる。もちろん、日本では誤ったイメージが流通し、あたかも起業=成功という安易な考えを持つ日本の若者もいて、彼ら彼女らはベンチャー企業の米国での倒産実態をよく理解していない面もある。それでもある程度大学大学院で学んできた者で自分にある程度自信を持っている者ならば、外資系企業に進むことは良い選択であると言っておきたい。給与は日系企業とは比較にならない額を支給してくれる企業も多く、年収数千万円もざらにいるし、億を超える者だって珍しくはない。

 

 優秀な高校生ならば、日本の大学ではなく欧米の有名大学に直に進学することを勧めたい。米国のアイビーリーグの大学は確かにバカ高い授業料だが、奨学金制度が充実しているし、保護者が低所得であればその額に応じて授業料が減免される制度も存在する。制度を上手く利用しさえすれば日本の大学に進学するよりも安上がりで、かつ得られるものは比較にならないわけだから、東京大学京都大学などの国内有名大学に進学するのではなく、欧米の有名大学への進学を考えた方がよほど為になる。受験はもちろんあるけれど、単純に偏差値によって輪切りにされている受験システムではないし、物知りクイズ擬きの下らない試験でもない。日本では、とかくチヤホヤされるあまり勘違い学生が大量に生息する東京大学京都大学知名度は、諸外国において無に等しい。単に日本国内の大学の中では相対的にマシというに過ぎない。確かに、東大や京大の理科系に所属する一部の研究者個人については世界的な名声を得ている者もいる。しかし、それは個別に偶々優れた研究者が(特に理学部に)いたということであり、大学の名前などとは無関係である。日本国内では、あの手この手で受験勉強に殊更意味があることを説く書物が見受けられるが、その大半は受験産業と利害関係のある者か、さもなくば受験における成功体験が己のアイデンティティーを形成している者(要するに試験で他人より高得点を得ること以外に何の取り柄もない者)によるものと思っておけばよい。受験勉強が100%無意味だとまでは言わないが、ほとんど無意味であることは、どのような屁理屈を弄して弁じ立てて擁護したところではっきりしている。各予備校が作成した模擬試験の結果として算出された偏差値によって単純に序列化されたり輪切りにされている日本の大学受験システムは途方もない資源の無駄遣いあり、それのみならず人間を蓄群化してしまう有害無益の制度でもある。現行受験システムを全廃することによって、ほとんど無意味な大学入試問題に解答するための勉強などしなくて済む学生を生む。また試験の成功が己の「優秀さ」の証と勘違いする鼻持ちならない人間が出ないようにすることや、逆に不必要な自己卑下に陥る子どもを救うことにも繋がる。あまりにも無意味で下らないことにリソースを傾注しすぎているというわけである。今のような大学入試制度の下での受験勉強は無意味な徒労を多くの受験生に強いるだけであり、我が国の将来のためにも、さらには人類の知の発展のためにも全廃されるべきである。進学塾も受験予備校も当然不要である。

 

 日本では年収1000万円超というのですら5%もいないという極めて平板化された資本主義国家で、一時は「世界で最も成功した社会主義国家」とさえ皮肉を込めた表現がなされたこともあったが、それは日本経済全体が右肩上がりの成長力があったればこそであって、このまま地盤沈下が続くようなら、その平等性は「底辺への競争」と化し、ごく一握りの者以外の「一億総貧乏」国家へとまっしぐらだ。僕の借りているアパートメントでも月に4500ドルほどで、幸い会社からの家賃補助(というより、会社により借り上げがなされ、一部が給与から天引きされる仕組みになっているので、事実上の家賃補助ということになる)のおかげもあって、さほどの負担にはなってはいないが、平均的な収入の人なら相当な高負担であり、東京都港区の家賃相場が高いといっても、まだ大都市中心部にしては安い方で、それゆえに海外の投資家にとって東京中心部の不動産はまだお買い得感があるというのが実際のところではあるまいか。一連の香港のデモは、直接的にはいよいよ左翼全体主義の本性を剥き出しにしてきた中共による香港市民に対する統制強化の動きに対する政治的反発ではあるが、その背景には、香港経済の相対的低下と大陸から流入してきた者との間の経済格差や大陸からの投機マネーの流入による不動産価格の高騰で、ただでさえ家賃が高い香港が更に価格が高騰して元からいた住民にとって住みにくい街に変貌しつつあることへの鬱積した不満がある。

 

 貸主の天下であるニューヨークの家賃は異常に高い割には設備がよくない。僕の場合、乾燥機付洗濯機が備え付けられているからよいものの、大抵のところは必ずしも新しい洗濯機が備え付けられているわけではなく、あったとしてもオンボロ。だから金を払って洗濯しなければならないはずだが、毎日だとこれがバカにならない値段になる。食事の方はそこそこ美味しい料理を出すレストランがあるので、チップの面倒臭さを我慢すれば色んな世界の料理が楽しめるが、それもこれも金次第。自炊するにも若干割高だが日系スーパーもそこそこあるし、比較的メジャーな日本食の食材ならば日系スーパーでなくても手に入る。僕が前からよく利用していたフェアウェイではそういった食材も置かれている。米も日本で食べるものほど美味いとは言えなくても十分食べられるし、普通に美味しい米自体を味わいたいと思えば、僕はよく「おむすび権米衛」を利用している。西海岸の代表的都市ロサンゼルスでは、確かにリトル・トーキョーがあるものの、ラーメン屋や定食屋メインで、レベルの高い日本料理を提供する店があまりないのと違い、さすがニューヨークだけあってロサンゼルスよりは遥かに食事はまともなものにありつける。地下鉄やバスなど公共交通機関に関してもロサンゼルスより遥かにニューヨークが充実している。ロサンゼルスでは地下鉄やバスもtapカード1枚あれば安い料金で結構遠くまで行くことができるが、地下鉄やその他鉄道は充実しているとは言えず、ターミナルのユニオン・ステーションですらかなりショボい(ニューヨークもメトロカードがある)。ロサンゼルスは基本的に車社会なので朝夕のハイウェイの混み方は尋常ではなく、首都高と肩を並べるか、それ以上かも知れない。地下鉄やバスの利用者も一見して低所得層とわかる黒人やヒスパニック系住人が目立つ。車内に自転車ごと乗り込んでくる者はいるわ、物乞いで車内をうろつき回る浮浪者はいるわ、改札を乗り越えてタダ乗りする悪ガキどもはいるわで、そのくせ駅構内は薄暗く駅員も少ない。だから、治安を気にする人が乗りたがらないきのもわからないではない。補修工事で不通になることも度々あり、使い勝手が悪い。代替バスがあるが、案内が不親切極まりない。しかも、駄々混み。もちろん、流しのタクシーがつかまることなどなく、タクシーは空港や大きなホテル以外にはいない。よってウーバーを利用することになるも、どこの誰だかわからない者だから、タクシーとは違ってチップ不要だけど、一々評判を頼りに選ぶほかない。ニューヨークでは多少事情が違ってはいるが、最近はウーバーの進出が激しい。地下鉄はロサンゼルスよりかは便利だが、ロサンゼルス地下鉄と同様に急に運休になることもあるし、中には途中で行先変更やら急にエクスプレスに変わったりもするので、日本からすればめちゃくちゃ。マンハッタン地区だけ回りたければシティバイクを利用すると便利かもしんない。僕は住居も職場もマンハッタン地区にあるので、チャリさえあれば不便しない。

 

 東西海岸を代表する都市ではあるが、両者は全く性格が異なる都市であって、いずれが好みかは分かれるところだろうが、ロサンゼルスは開放的な雰囲気が漂っている反面、変な犯罪も目立つし、何よりロサンゼルスのダウンタウンよりさほど離れていないサンタモニカやウェストハリウッドでは、通りすがりの人からマリファナのにおいがプンプンしてくることなど珍しいことではない。ニューヨークも地域によっては深夜出歩かない方がよい治安の悪い場所やスラム街っぽい所は確かに存在するものの、ロサンゼルスのようにダウンタウンの真横の一筋入ったところから急にスラム街になるようなことはない。ちょっとしたヘンテコなサンバカーニバルやゲイのパレードが土日なると路上で開催されていることも頻繁で、その場に飛び込むと昼間からマリファナパーティーでもしているのかと目を疑うような光景が繰り広げられている。ともかく、ビバリーヒルズ近くのウェストハリウッドではゲイがやたらと多く、日本人からすればかなりどぎつい身なりで闊歩している者もチラホラ。中には露骨に誘いをかけてくる者もいるので、誘いに乗るのは結構だが、衛生面には用心しておいた方がいい。とにかく誘いをかけてくるほどの者は誰彼無しにやりまくっているので、どんな病気を持っているかわからない。彼らから見れば、日本人をはじめとする東洋人は実年齢より若く見られるようだから、十代の男の子が大好きという連中から執拗に誘われることもまま見られる。逆に、そうした連中を相手にしたい日本人のゲイがウェストハリウッドをさ迷う光景もある。なにせ、黒人の性器は日本人のそれより一般に遥かに大きい。その大きな性器でアナルに挿入された時の快感に病みつきになって、黒人としかやれないという極端な日本人のゲイもいるのだから。

 

 今月発表された日銀短観は、10月からの消費税増税の影響で景気が悪化していることを示唆している。目に見える形で一般の国民に実感され始めるのは来年の五輪終了直後だろうと思われるが、おそらく前回の増税時よりも更に不況感が増し、それが一層の消費不況を加速させもするだろう。2020年代の日本経済は、特に地方の経済停滞が深刻さを増す中で、折からの「異次元の金融緩和」策によって収益が悪化している地方銀行の経営基盤が持ちこたえらなくなり、今ある100行程度の地銀は4分の1程度に大再編されていくであろうことが予測され、現在でもそれを先取りする動きが方々で見られる。日本経済は「失われた20年」どころか、30年、40年という道を歩み、ともすれば主要先進国の座から転がり落ちる顛末を迎えるかもしれない。有効な財政・金融政策を講じれずデフレの長期化を放置し、財務省主導の「健全財政」至上主義から抜け出せず、かといって生産性の向上を図るための施策も何一つ打てない。

 

 我が国の国力の要である科学技術研究への資金投入を抑える一方で、「クールジャパン」政策などといったほとんど意味のない事業への出資をしるという間抜けな政策に邁進している。日本という国そのものが徐々に解体され始めているわけだ。やはり、どう見ても安倍晋三内閣は「保守」の装いだけして、その実、日本の国力を弱体化させようと目論む左翼であることは明白だ。折からの日本社会の少子高齢化の流れは止まるところを知らず、生産人口だけでなく遂に総人口の減少によって日本経済の先行きに暗雲が立ち込めているとの危惧が、社会全体の概ねのコンセンサスとなって久しい。といっても、少子化が直ちに経済成長率の低下に結びつくかと言うと、必ずしもそうとばかりは言えないデータも存在するわけだから、この問題を先進国の宿痾と一概に片づけて済ませるわけにはいかない。

 

 少子化の原因は色々あるだろうが、巷間言われる女性の「社会進出」を要因にする主張は、女性が結婚後に専業主婦であることを嫌い職業生活を続けることで子を産み育て家事に専念することをしなくなったために、先進国に見られる少子化傾向に一層の拍車がかかったことが原因であると解する主張である。そして、そのことが同時に「父性の喪失」とともに語られることが多い。確かに、そういう側面がゼロであるとは言わないが、そうした主張は、現在の日本社会が抱える構造的特質を顧みない暴論になりかねない。フェミニズム(もちろん一口にフェミニズムといっても様々なバリエーションに富んでいるわけだが)という特定のイデオロギーを振りかざした専業主婦否定論の極端な主張に対する反発のあまり、過剰に専業主婦を本来の家族形態ととらえる主張に基づく擁護論も、そもそも事実誤認である上に問題の本質を捉え損ねている。劣化した左翼と同様に劣化した保守派という戯画的な対立構図は、この場面においても等しく見られる図式である。

 

 もちろん、真に知的な左翼は元から少なかったといえばその通りなのであるが、それでもかつては一定数の知性ある者が存在し、それが社会の健全な言論形成に寄与してきた。ところが、大部分の左翼言論人は旧ソ連中共あるいは北鮮の露骨な代弁者となり下がり、そうした珍妙な言説が大半の国民の信頼を失わせてしまった。東西冷戦構造が論壇の状況に直に反映されていた結果、今日の日本社会では、左翼といえばもはや「バカ」の代名詞として認識されており、そのことに気がつきもしない道化師に過ぎない自称「知識人」がネット上で怪気炎を上げている始末。共産主義の幻想がはっきりし、左翼知識人の言説がことごとく誤りであったことを率直に受け入れることができない意固地な態度が歪な形となって残存することになり、今や左翼の専売特許と化した感のある環境保護運動、反原発運動あるいは人権擁護運動、変わり種としては「歴史問題」の追及が登場してきたが、いずれにせよ、これらを一種の隠れ蓑にして勢力拡大を目論み始めるも、そんなことは大半の国民にはとうからバレているので、これまた本人だけがそのことに気がつきもしない滑稽な光景がここでも見られる。それと相即して、単なる「反左翼」というだけで保守であると考えてきた者たちの化けの皮も徐々に剥がれ落ち始め、結局は保守と称する者も左翼の反知性主義が感染し、バカであることを恥ともしなくなっていく。日本の大学のレベルが劣化し始めた時期は、ちょうど全共闘世代以降の連中が大学のポストにありつけた時と概ね一致している。学生運動という名の「革命ごっこ」にうつつを抜かすばかりでろくすっぽ勉強してこなかった基礎学力や教養に欠ける連中がアカデミズムに寄生することによって、我が国の大学のレベルは見るも無惨な有り様と化した。とりわけ人文社会系の研究は壊滅的な状況となり、まともな研究者は数えるほどしか存在しない。それもそのはず、この頃から優秀な学生はアカデミズムに何ら魅力を感じずそっぽを向き、就職活動でさえ相手にされない落ちこぼれがモラトリアムとして腰掛けで大学院に進学せざるを得ないという状況が出現した。その成れの果てが、今日の人文社会系アカデミズムの実態である。そうした学問研究の資質を欠いた無能教員は、学問研究自身で勝負できないものだから、反体制を気取って悦に入りつつも、自らは何らのリスクを背負うことのない安楽椅子に鎮座し、一端のインテリと思い込む自惚れ鏡にポーズを決め込んでいる(もちろん優れた研究者は一部に存在する)。こうしたアホしかいないものだから、安倍晋三としても今日の左翼を御しやすい相手と思っているに違いない。少なくとも、安倍晋三並みの否、安倍晋三以下の知性しかないことが一般の国民のみならず当の安倍晋三にも知られてしまったのである。

 

 今日の日本社会の問題の多くは経済状況に起因しており、中でも1990年代から続く長期にわたるデフレの常態化が、その最も大きな要因である。社会問題の全てとは言わないが、そのほとんどは陰に陽に経済的問題によって規定されている。この点については、マルクス史的唯物論の持つ一つの側面の決定的な正しさを認めないわけには行かないだろう。すなわち、エンゲルス以降の自然弁証法やその上位概念たるロゴスとしての弁証法唯物論といった抽象化された原理は到底認められないが、こと人間社会における生産関係に力点を置きつつ社会分析の基礎とする史的唯物論は、ことに「物質的なもの」の範疇を広く捉える限り、概ねその正しさが見て取れるということである(マルクス主義に立脚するフレドリック・ジェイムソンは、自然弁証法は認めないが他方の史的唯物論の正しさを切り離す見解を述べていたかと思うが、そういうまともなマルクス主義者もいるということだ)。

 

 それはともかく、戦後、これほどまでにデフレが長期化した国は我が国以外に存在せず、この責任は日本銀行だけでなく、財務省や政府の経済財政諮問会議や規制改革会議の面々、それに日本経団連経済同友会をはじめとする財界の面々、さらにはこの連中に追従するだけしか能のないマスメディア全体にも及ぶ。不況に対する処方箋が何事にしても中途半端に終始し、あろうことか、デフレ脱却を叫びつつもデフレを結果的に促進させてしまう手法を講じるという間抜けぶりは、もはや世界の物笑いの種となっている。

 

 本来なら、こうした政府の愚策を追及すべき野党が全うな政策批判を展開して政権を奪取してもよさそうなのに、野党や野党を支持する左翼は愚にもつかぬイデオロギー闘争に明け暮れるか、つまらぬ政界スキャンダルの追及にかまけてまともな政策論議を怠り、政党政治における議会の野党として役割を担いきれなくなっている。我が国の議会制の危機的状況は、政府与党が真に国民の政治意思を代表しているか疑わしい点と、野党が与党に対する健全な批判機能を果たし得ていない点に現れている。

 

 自然科学についてはもとより、経済学的知にすら疎い左翼は、その主戦場を「文化的」領域に後退させるだけの引きこもりに陥り、何ら現実的な力を持たない自慰的言説を捏ね回して満足するばかりで、遂に対抗言説を組織することができなくなっている。もはや、「歴史問題」という根拠不確かな口実を以って日本叩きに精出すごく一部の国々の片棒を担いで自国を誹謗中傷することくらいしかできない知的貧困に陥っているのである。当然、こうした左翼の知的貧困やそこに源を持つ偽善と欺瞞に愛想を尽かした大部分の国民からの信頼は、とうに失われている。日本経済の全体的パイが縮小するに連れ、経済的に困窮する層が増えてくるのは必然であって、しかも将来の不確実性が高まれば高まるほど、そういう層は自らの生活を維持するだけで精一杯で、家族を形成して子を産み育てる余裕すらなくなる。将来に対するある程度の見通しが立たない状況において、リスクを抱える選択をなるだけ回避しようとする若年層が増えてくるのも当然の帰結だ。

 

 政府主催の「桜を見る会」とその前日に行われた安倍晋三後援会主催の「前夜祭」をめぐる最近の政争を見るにつけ、本来議会がやるべき仕事がなおざりにされている感が国民の中に増えてきている。この体たらくぶりに憤る山本太郎が、この騒動のみに傾注するあまり日米間の貿易協定の不平等性を問題視せずに承認案の衆議院通過を容認した野党に対して「とんだ売国野郎」と罵倒する気持ちもわからぬではない。

 

 日米貿易協定の国会承認の是非は、「桜を見る会」等の問題よりも遥かに重要な案件である。野党は倒閣のチャンスとばかりに重要案件を犠牲にして、冷静に見ればとても退陣の理由にはなり得ないような些末な事に拘り、国民生活や日本経済にとって重要な事案の審議を放棄するという本末転倒なことをやっている。スキャンダル政治に愛想を尽かした国民は、「いいかげんにしろ!」と薄々思っているものの、マスメディアも煽るだけ煽っている。もちろん、この騒動の責任を全て野党に帰すことは不公平であって、十分な説明責任を果たず、文書の隠蔽工作に精出す安倍晋三にも相当な責任があることは言うまでもない。但し、「桜を見る会」は政府主催であるとはいえ、議院内閣制をとっている以上、内閣の構成員と議員としての地位は自ずと重なり、そうなると一定数の「推薦枠」が議員に宛がわれることが慣例化するのは、ある程度やむを得ない面もあるだろう。内閣総理大臣という行政府の長と国会議員という立場はもちろん異なるわけだが、同時に完全に両者を分離することは不可能であって、憲法も我が国の統治機構に関して議院内閣制を採用しているところを見れば、完全な分離を要求しているとまでは読み取れない。それゆえに、歴代の内閣は一定の枠内でそれぞれに縁のある者を招待することを半ば慣例として容認してきたわけだし、大騒ぎするメディアも関係者として呼ばれていたわけであるから、当然に承知していたことでもあろう。

 

 問題は、その程度が相当な程度を超えた過度な混同がなされているかどうかである。この過度な混同か否かを判断する一義的な規準は存在しないので、あくまで社会通念に基づく判断が要求されるわけだが、参加者が18000人のうち850人が安倍晋三後援会の関係者であるのは社会通念上さすがに相当な程度を超えた数であって、内閣総理大臣という地位と選挙区の有権者団から選出された衆議院議員の立場を過度に混同していると言われても仕方がない。必ずしも違法にはなるわけではないが、妥当性が疑われるケースであり、この点で安倍晋三は国民に対して、この人選が著しく不相当なものであったことを率直に認め、以後は襟を糺していく旨を宣言するなりすればよい。前日に行われた安倍晋三後援会主催の立食パーティーについて、野党はパーティー参加費が安すぎ、安倍晋三事務所からいくらかなりとも補填がなされているのではないかという疑惑を追及している。都内の一流ホテルで、ホテルオークラと並んで昔から様々な政治家のパーティー与野党の会合等でも盛んに利用されているニューオータニの立食パーティーの一人当たりの参加費が5000円であるのは不自然だというのである。ある野党議員の問い合わせにニューオータニ側は一人当たり最低11000円を要すると返答したとの報道がなされているが、仮に800人が参加したパーティーであっても、実際に800人分の食事を用意することなど考えにくい。立食パーティーに参加経験があればわかろうはずで、人数分の食事を用意する方が寧ろ稀である。ある程度少な目の人数分の食事を用意するように手配しつつ、当日に人数が増えても構わないように調整できるようにしておくのは十分あり得ることであり、昔から政治家のパーティー開催に手慣れているニューオータニからすれば、当然にどの政治家に対してもそうしているはず。ニューオータニに入っている高級寿司店である銀座久兵衛の寿司が振る舞われたかのような報道がなされたが、久兵衛の主人はそれを否定しているというし、出された食事は本格的な握り寿司ではなく簡単な巻き寿司程度だったとも伝えられている。仮に、それが事実だとするならば、確かに一般には安過ぎると思われる費用であっても、必ずしも安倍晋三事務所からの補填を確信させるような不相当な額とまでは言えない。

 

 米国ではどのニュースもウクライナ疑惑につき権力濫用と議会妨害の二件でトランプ大統領に対する弾劾裁判手続のニュースで持ちきりで、民主党が多数を占める下院本会議で弾劾案が可決される見込みだが、共和党が多数を占める上院の共和党上院院内総務は全力をあげて弾劾を阻止する旨を早々に表明。議会陪審の立場と共和党の議員としての立場のあからさまな混同が叩かれてはいるが、ほとんど政治闘争の色彩が全面に出るばかりで、訴追に足る明確な証拠が提示されているとは言い難い状況で、下院本会議で可決されても、上院で罷免される可能性は少ない。ニューヨークではトランプ大統領に抗議する市民集会が開かれるなど、若干物々しい状況ではあるが、米国経済は概ね好調で、ダウ平均でも最高値を更新したばかりだ。米国民の不満もさほど高まっているとは言えず、大統領の支持率も回復傾向にある。そのような中で、血眼になっている民主党や反トランプを鮮明にするメディアが騒ごうと、反トランプのうねりが俄に起こるとも思えない。経済の好調ぶりが結局は現政権の支持率の下支えになっているのだ。もっとも、下院本会議での可決の報が流れるや、一時的に相場が変動するだろうが、米国経済の底固さから結果的には大きく下振れすることもなさそうだ。

 

 してみると、我が国の政治状況はどうなるのか。日本経済は好調とは決して言えない。確かに日経平均は悪くはないが、米国経済の好調につられているだけのことで、足元は極めて脆弱なままだ。実質賃金は低下する中で消費増税で消費不況の入り口に足を突っ込み始めるも、そのことに薄々気がつき始めた国民はそろそろ声をあげても良さそうなのに、相当なお人好しというか我慢強いというのか、大規模な反政権の声は出てこない。声をあげているのは、従来の安倍嫌いの旧態依然とした左翼だけだ。この人々は、安倍のやることなら何でも気に入らないという人々だから、いくら声をあげようとも国民的な運動には広がらない。反安倍の論者がTwitter上に安倍の悪口を書いて、そのお友達がリツイートしあって互いに頷きあっている「集団オナニー」に満足しあい、その主張が先鋭化していく様に一般の国民がドン引きするといった現象が見られるばかりだ。

 

しかし、来年の五輪後に目に見える形で不況が襲ってくるやも知れず、その際もまだ安倍政権を支持し続けるのだろうか。後々の世に、この長期政権がどれほどおかしな政権であったが回顧されることがほとんど予想されるだろうに。