shin422のブログ

民族派右翼による「便所の落書き」擬きの極私的備忘録

亡国への道

 春の陽気に恵まれたイースターサンデーを迎えたニューヨーク。ここ数日横ばい状態だった新たな死者数が再び増加して1日あたり約800人の死者が出ており、今にも1万人に達する勢いである。例年だと、5番街ではセントパトリック大聖堂前が歩行者天国となり、イースターを祝う盛大なパレードが催されるはずのニューヨークだが、今年はCOVID-19のために全く様相が違っている。「ウイルスとの戦い」という困難な状況下で、命懸けで職務に従事する医療従事者の献身を讃えるニューヨーク市民の定期的な歓声が鳴り響く瞬間がちょっとした癒しにもなっている。

 

 もっとも、この「ウイルスとの戦い」という表現は、よほど注意して用いなければならないだろう。かつてスーザン・ソンタグが指摘していたように、「ウイルスとの戦い」という表現がともすれば「感染者の敵視」へと転化してしまいかねないからだ。感染者は「敵」ではない。あくまで「犠牲者」であるというのが原則であって、ごく一部の者が「加害者」と言われても仕方のない振る舞いを見せているに過ぎないのだから。とはいえ、スーザン・ソンタグが優れた知性であるというわけではない。いかにも「清貧」を気取り、左翼知識人であるかのようなポーズをとりながら、実際は金に汚い強欲女である偽善者の典型であり(左翼によくいるタイプ)、「シャンパ社会主義者」ないしは「キャビア左翼」そのものであった姿は、正しく我が国にも数多く生息する自称「インテリ」の姿と重なる。

 

 公衆衛生上の危機であると同時に経済的な危機という、その一方の対策が他方の悪化を招きかねない極めて困難な課題に人類は直面している。舵取りを少しでも誤れば、世界恐慌と最悪の場合それを着火点とした紛争の拡大に至りつくやも知れぬという緊張感を持続させるのは、日々この困難な状況で医療現場で懸命に仕事に従事する者や経済活動の最前線にいる者あるいは国際金融の主戦場に立っている者などを除くと想像し難いことなのかもしれないが、実態は相当切迫しており世界全体の医療崩壊世界恐慌が起きても不思議ではない状況であることを先ずは認識してもらいたい。最悪のケースとして2008年のリーマン・ショックどころではない大恐慌に用心しておかねば、世界中で多くの人々が路頭に迷い、ともすれば大量の餓死者すら出ることだろう。GDP対前年比-5%どころで済むような話ではない。金融システムの機能不全からきたリーマン・ショックとは全く事情が違い、生産活動そのものが麻痺して実体経済を直撃しているわけで、サプライチェーンに大ダメージが加えられてもいる。下手をすれば、世界的な食糧難の発生の可能性すら危惧されるのだ。

 

 経済情勢に疎い市井の人々でも薄々気がつきはじめているようだが、よほど頭が悪いのか想像力の貧困のせいなのか、極東の一角にある島国に生息するごく一部の自称「インテリ」どもの鈍感さはどうしようもない。「ジャーナリスト」や「評論家」を名乗る連中、そして学校の教師といった一群の連中は往々にして高みの見物とばかりに偉そうな講釈を垂れ流すだけで自らはリスクを取ることもせず、またリスクを取ろうとする覚悟すらない。ナシーム・タレブ流の表現で言う「身銭を切らない連中」の主張はたいていが戯言や世迷言の類いと思っておけばよい。なぜなら、連中こそが「身銭を切らず」に「ツケを他人に押しつける」ような人種だからだ。「身銭を切らない」連中がいかにうわべだけ御立派な御託宣を垂れようが信用してはならないということを、我々は経験からも我々の先祖から受け継いできた知恵からも学んでいるはずである。

 

 こうした連中にみられる鈍感さは、たとえその連中の表面的な政治的主張が一見反対に思える者であれ、今の安倍晋三政権中枢の人間と同じ類の鈍感さと共通している。すなわち、総じて広義の安全保障に疎いという点である。こうした現象は、日々安全保障を真剣に考えてこず、己の妄想と都合よく拵えられた観念をいじくりまわして出来上がった「お花畑」のイメージを現実の世界と勘違いしてきた戦後日本の成れの果ての姿とも言える。「知性」とは程遠い存在が「知性」を自称しているという悲喜劇が、今の日本で繰り広げられているのである。今月7日、安倍晋三首相がいわゆる新型コロナ特措法に基づく「緊急事態宣言」を出し、その対象と指定された7つの都府県において翌日施行されたが、米国メディアは軒並み日本の対応が遅きに失することを指弾する声で溢れていた。何かにつけて日本叩きが大好きなニューヨーク・タイムズならいつものことかということになるが、ワシントン・ポストにしろUSAトゥデイにしろウォール・ストリート・ジャーナルにしろ、少なくとも1ヵ月以上の遅れを指摘していた。海外メディアに一々言われるまでもなく、日本国民の大多数も同様に考えていたはずだ。

 

 緊急事態宣言を出すのは当然だが、同時に致命的な誤りを犯してしまった。緊急事態宣言を出し不要不急の外出や営業の自粛を呼び掛けるのはやむを得ないことだとしても、休業に伴う損失の実質的な「補償」がなされないのは極めて問題であることは方々から指摘されている通り、道理に合わないどころか公衆衛生上も経済的にも事態の更なる悪化をもたらす恐れがある。残念ながら、感染拡大による医療崩壊を回避するために経済活動を収縮せざるを得ない反面、同時に経済活動縮小に伴う経済全体への打撃と困窮者の発生も出来る限り最小化しなければならないという相反する要求に応える最適解を誰もが提示できていない。政権担当者にとって極めて難しい課題に直面しているので、政権にただ文句をひたすら並べ立てたところで無意味なことくらいは理解できる。元から「安倍晋三憎し」という一念で安倍晋三のすることは何でもかんでも気にくわないとして揚げ足をとることしか考えない左翼がいつものように支離滅裂な批判をしているというだけのことであれば、政権中枢の者はそんな批判に耳を傾ける必要はないのだろうが、事は非常に深刻で、そういった特定政治党派の偏向した意見に荷担するわけではない大多数の国民が明らかに政府の方針の緊張感の無さと無為無策ぶりに対して怒りを覚え始めていることにどこまで政権が自覚的であるかが問われている。さすがに一連の政策を見るにつけ、あまりの酷さに怒り心頭のあまり、自衛隊青年将校民族派有志が決起してもおかしくはないと思えるほどだ。

 

 休業自粛を強く要請するのであれば、名称は何であれ、またその対象を各営業主体にするか個人にするかはともかく、損失の実質的補償とセットでなされるのが当然であって、そうしなければ実効性に乏しい中途半端な制約となり、感染拡大の抑止もかなわず、経済活動も収縮したまま企業の連鎖倒産を招き大量の失業者が量産されるだけでなく、事態が収束した後の「反転攻勢」時に必要となる供給能力そのものが毀損されてしまう。各営業主体に対して営業の自由の制約を伴う休業要請は、外形上強制でない形態をとろうとも、また特措法にある要請ないし指示に従わない者を「公表」することが直ちに「処分性」ありとする解釈を仮に採れないとしても、従わない者に対する事実上の不利益の発生が予定されているのだから、制約が「公共の福祉」を理由として許容されるのであれ、当該制約に伴う財産権上の損失に対する「正当な補償」が要求されて然るべきであろう。「正当な補償」がなされないままでの実質的な営業の自由の制約は、重要な権利利益の著しい侵害になりかねない。中途半端な「自粛」で済ますことは政府の責任放棄であって、休業にともなう損害を一部の者だけに負わせるアンフェアな事態をうむ。最近のパチンコ店だけを狙い撃ちした日本社会の世論は、マスメディアによる煽動に踊らされる形で過激化しているが、ほとんど「イジメ」とも言うべき有り様に異議を表明する声は極端に少ない。高性能の空気清浄器を完備し、換気に神経を使い、頻繁に消毒に努めるパチンコホールが、他の娯楽施設や飲食店と比較して感染リスクが大きいと判断するに足る科学的根拠が示されているとは言えないが、少なくとも不特定多数の者が参集し、しかも滞在時間も長くなる傾向にあるパチンコホールの営業休止は、感染リスクを低めるに資することは確かだろうし、本来は営業を一時的に休止することが望ましいし、強い表現をすれば、感染拡大防止のために休業すべきだろう。

 

 但しこれはパチンコ店に限らず、最低限のライフラインを維持するために必要不可欠とまでは言えない業種に等しく当てはまることである。風俗業や飲食業あるいは他の娯楽産業もそうだし、大部分のサービス業にも当てはまる。さらには、学校や塾などを含めた教育産業も然り。当然、感染拡大防止のための医学や薬学関係の研究以外の大学の活動にも当てはまるだろう。パチンコ店バッシングを煽動するメディア自身も例外ではない。NHKがあればとりあえずは最低限の情報を得ることができるのだから、民放各局や各新聞社の報道が緊急時の生活維持に是非とも必要不可欠とまでは言えないからだ。パチンコホールでの感染拡大を過剰に心配してバッシングを煽動する前に、自分たちの報道局ないしは編集局の部屋に多数が集う環境を心配して自身が身をもって休業する決断を示せばよいではないか。

 

 パチンコ店は1日の売上金も多く、定期的に入れ替える必要のある新台の購入費用や義務づけられた喫煙所設置のための新たな出費も強いられ、店を稼働するための電気代などの諸費用もバカにならない。しかも、規制が強化されてスロットでは5号機から6号機への転換に伴う大規模な入れ替え作業に莫大な出費が強いられる。その上、土地を借り入れて経営しているところは、月に莫大な賃料が請求されもする。その他人件費や設備の維持管理費用などを含めた固定費は相当な金額に上る。ある種の職業差別もあって、金融機関からの融資もつきにくい現状なので、マルハンのような資本力を持つパチンコ店ならばともかく、家族経営で細々とやっているパチンコ店からすれば相当な日数にわたる休業が続けば、莫大な費用の損失が発生し、廃業につながりかねない状況に陥る。そうした事業者に対して、自らはさしたるリスクを背負わない者がよってたかって集団リンチを加えるのは、極めておぞましい光景である。自分は死ぬ覚悟もないくせに他人にのみ死ねと叫んでいる欺瞞に気がついていないこうした態度も、先述の自称「インテリ」と同様の「身銭を切らない」人種に見られる態度そのものなのだ。休業要請は、確かにやむを得ない。問題なのは、「補償なき休業要請」なのである。

 

 安倍政権は緊急時の財政出動に関して事業規模で108兆円を掲げているが、その中身はというと、いわゆる「真水」に相当する金額はわずかで、その証拠に新規国債発行も約17兆円程度しか計上されていない。この「事業規模」というのが曲者で、ここに官僚お得意のゴマカシとデタラメを見てとることもできる。明らかに緊急の用とは言い難い事業に対する予算もこの108兆円に含まれており、中には経済産業省の「Go to キャンペーン」のための約2兆円の予算もどさくさ紛れに含められている(そもそも「Go to キャンペーン」という名称からして、英語にすら不案内なアホな経産官僚の間抜けぶりがさらけ出されている。何が「Go to travel」だ!何が「Go to eat」だ!このアホなインチキ英語を用いていること自身が、何よりも政策のインチキぶりを暴露した格好になっているのだ)。国民経済の窮状に対応する対策として明らかにケチっていると思われても仕方のない内容であり、国民は政府に完全に舐められている。休業要請と引き換えの損失補償の給付も渋る政府のことであるから出される対策もある程度は予想がついたが、まさかここまでひどいデタラメ、ハッタリ、ゴマカシで満ち溢れた内容だとは思わなかった。このことは裏を返せば、今の政権中枢の者のかなりの部分が「日本国民と日本経済の屋台骨を守るという意思はない」という表明をしたと受けとることもできるだろう。でなければ、相当な無能な政権ということになる。諸外国のメディアの日本についての報道には著しい事実誤認と偏見に基づくものが多々見られるが、これではさすがに嘲笑されても仕方あるまい。

 

 使いふるされた財政破綻論のデタラメを信じている人間が、財務省茶坊主と化している朝日新聞などのマスメディアの人間を中心として存在するし、安倍晋三の御用聞きのような自称「評論家」や自称「ジャーナリスト」は、今もなお政府の一連の愚策に理解を示している。財政破綻論者の主張が仮に正しいのだとすれば、国債金利はとうの昔に暴騰しているし、とうの昔にデフォルトを起こしているはずだ。酷い例だと、ギリシャベネズエラを持ち出し、やれ「財政ファイナンス」だの「これ以上の財政赤字ハイパーインフレーションをもたらす」だのとナンセンスな戯言を吹聴する者すらいる。橋本龍太郎政権から露骨になってきたデフレ化によって日本経済がなお一層沈滞する一方で、この流れに拍車をかけるような緊縮財政をとってきた結果、日本国民は相対的に貧しくなっていく一方だ。経済のパイが縮小すれば、その分「食えなくなる」者が増えてくるのは当然のことである。餓死寸前の者に対して肥満を心配してダイエットの効用を説いているようなものだということに気づきもしない。

 

 普段は「弱者救済」やら「貧困問題の解決」やらを表向き主張している者でも「脱成長」だのと抜かしつつこうした主張を展開して憚らない者もいるが、当人はその主張がより事態を悪化させることになることに理解が及ばないらしい。あるいは、ご自分が関与する「貧困ビジネス」の食い扶持のために、貧困層が増えて欲しいと密かに願っている確信犯なのであろうか。それとも、日本社会を全体的に弱体化させることを目的に外国の手先となっている破壊工作員なのだろうか。この点でも、マルキシズムに立つ多くの論者とニュークラシシズムに立つ多くの論者は、ともに同じ論理に立脚していることに気づきもしないで支離滅裂な主張を繰り返しているわけだ。こうしたアホな連中が国策を誤らせてきた一因となっているのである。酷い者になると、「働かざる者、食うべからず」との暴言を吐いた与党議員がいるというのだから、もしそれが事実だとするなら、その者は既に狂っているわけだから国会議員としての職責を全うすることは期待できない以上、とっとと議員の職を辞すべきである。その者こそ「働かざる者、食うべからず」という言葉が最も当てはまる張本人である事実を有権者が突きつけてやるべきだろう(こうした議員に相応しい言葉は、まさしく「売国奴」である)。「国民を甘やかしてはいけない」と連呼する「評論家」の類いも、実は自身が最も「甘えた」存在であることに気づきもしない。

 

 再度言うが、不要不急の物理的接触を最小化するために自粛要請を出すのはやむを得ない。むしろ単なる自粛要請では感染拡大防止は期待できないので、仮に強制的に外出禁止を一時的に出したとしても事態を正確に認識して危機感を持つ国民の理解も得られるはずだ(もっとも、憲法上の疑念が生じうるケースが出てくるだろうが)。「金を出すから、とにかく家にいろ!」でいいわけである。「家にいろ!でも金は出さない」となると誰が率先して要請に従うというのか。その要請に応えることのできる者は安定した給料が支給される保証のある者や当面は生活を維持していけるだけの十分な資力のある者だけである。ともかく、強制処分が可能な不要不急の外出を控えることを求める時限法令を施行するなりして早期の収拾を図ることくらいのことをしない限り、手の打ちようのない事態に陥る危険性があるというくらいの「過剰な」警戒をしておくに越したことはない。

 

 東京オリンピックパラリンピック組織委員会の事務局長を務める元財務事務次官武藤敏郎が、緊急事態宣言が出され経済活動が数ヶ月ストップすると来年夏に開催が延期された大会の準備に間に合わなく恐れがあることを危惧していたが、このような中途半端な政策を講じているようでは来年夏の開催すら危うい。そもそも延期というなら、日本だけでなく世界中での収束が明らかになった段階となるわけだから、今後のアフリカや南米などでの拡散が予想される状態では、せめて2年の時間を要するに違いない。オリンピックやパラリンピックに向けて多大の準備をし、場合によっては自分の人生をそこに賭けていたかもしれぬ選手をはじめとする大会関係者、そして大会を楽しみにしていた多くの日本国民や世界中の五輪ファンのことを思えば、安易に中止などという言葉を吐くことはできないが、冷静に考えてみて、来年夏の開催は絶望的な状況であり、にもかかわらず無理やり断行に踏み切れば、世界から逆に総スカンの状態になること必定。また、そうした無理な計画のために感染拡大防止対策が更に中途半端なものになるのなら、五輪の更なる延期すなわち2年延期がかなわぬ限り、中止という選択をすべき時が早いうちにやってくるだろう。

 

 感染拡大で病床数の不足が叫ばれているが、昨年に地方の病床数が多すぎるとして約13万床の削減方針を打ち出したのは他でもない安倍晋三政権である。今後、小泉純一郎政権から旧民主党政権を含め第二次安倍晋三政権まで一貫して講じられてきた地域医療破壊政策のつけを国民は払わされることになるだろう。一般論として効率化の重要性は否定しないが、いざというときのための安全装置までをも目先の効率化のために削減したら、緊急時における対応が不可能になってしまう。広義の安全保障を考えない政策は愚策である所以である。目先の「オゼゼ」の勘定だけに捕らわれ、安全保障の観点を欠落させた一連のアホな政策によって、国民の生活の安寧が毀損されかかっている。国民一人一人の自助努力だけでは到底対処しがたい退引きならぬ事態が発生した時、国民の生命や財産などの重要な権利利益を守り抜くのが国家の果たすべき最大の役割であり、それが国家の権力行使を最終的に正当化する国民の承認の源泉でもある。政権の政策担当能力の劣化は官僚機構の劣化と関係し、更にはそうした政権を作り出す選挙権者の劣化をも意味している。事態の深刻化を想定し、最悪のケースに備えて早期に大胆な措置を講じて予防に努めることが危機管理において求められるのに、この政府はどういうわけか、すべてにおいて後手に回ってきた。昨年末に武漢新型コロナウイルス蔓延の兆候は既に知られていたものの、中共政府の情報隠蔽により実態を正しく把握できなかったことまでは理解しよう。しかも、中共政府が隠蔽に加えて責任転嫁と事態の漫然な放置により初期対応に失敗したために、世界全体の危機を招いたわけであるから、最大の責任者は中共政府にあることもはっきりしている。

 

 しかし、その後の対応において日本政府は致命的な過ちを犯してしまった。一つは、コロナウイルス感染の拡大が誰の目にも明らかになった1月においても、春節期のインバウンド需要目当てと春に国賓としての訪日が予定されていた習近平に配慮して中華人民共和国からの入国者や直近に中華人民共和国を経由した入国者に対する制限をかけなかったことである。さらに、世界中に拡大した後でも、我が国は諸外国からの入国者(帰国者含む)に対する検疫措置ないし一時的入国制限措置を講じることもなかった。確かに、今回の緩すぎる緊急事態宣言の内容ですら、「自由がどうのこうの」、「国家による管理がどうのこうの」と騒ぎ出す連中がいるわけだから、仮にあの時期に入国制限に踏み切っていたならば、ことあるごとに「日中友好」の綺麗事を叫んでいる連中は、なおのこと騒ぎ出していたに違いないだろう。少なくとも日本の左翼は、普段から中共政府の残忍極まる振る舞いは指摘せずに日本政府の批判ばかりする偏向した考えを持っているわけだから、当然に予想できたことではある。なにせ、米国の核兵器は汚い兵器だが、旧ソ連中共核兵器はきれいな兵器だと最近まで強弁していたのが日本の左翼である。そうした連中が騒ぎ出すことを承知の上で、政府としては早期に入国制限をかけ、国内感染者が少数でその行動過程から感染経路を容易に追跡可能であった段階で最大限の封じ込め対策を講じておけば、ここまでの状態にはならなかったはずである。

 

 もちろん、初期対応の遅れは何も日本政府ばかりに見られたことではなく、明らかに欧米諸国の方が初期段階では油断していた。その意味で、欧米諸国に日本政府の対応を批判する資格はない。但し、国内の感染拡大となって以後の対応において日本政府は再び過ちを犯してしまった。これが二つ目の過ちである。緊急事態であることを率直に認め、不要不急の外出制限をかけず漫然と放置し続けた。いざ緊急事態宣言を出して外出自粛や営業自粛を要請しても、休業補償すらしないといち早く表明したことで、生活困窮者を生み出し、営業継続困難な店舗や会社を量産させ、ひいては供給能力そのものの毀損すらもたらそうとしている。このままでは、医療崩壊と経済崩壊に至りついてしまうだろう。亡国の道をまっしぐらに爆進しているのだ。

 

 日銭で暮らしている人々からすれば、休業により日々の生活すら立ち居かなくなり、新型ウイルスによる死よりも先に経済的な死の方が脅威となるに違いない。そうした人々に対して無理やりにでも休業を事実上強制することは「死ね」というに等しい。最低限の社会生活を送れるだけの資力すら失った者が大量に現れることがいかなる悲劇を招き寄せてしまうかは、多少の想像を働かせれば明らかではないか。職を失い、住む家さえ奪われ、日々の食事にすらありつけなくなった困窮者の中には自暴自棄となって強盗するより他ないというところまで追い詰められてしまうだろう。資本主義社会は、確かに競争社会である。その弱肉強食の力学が機能して貧富の格差が生じることは仕方のない面もある。皆一律に結果の平等を実現することは不可能だし、不可能であるにも関わらず無理矢理にでもそうしようとすると、かつてのポル・ポト政権による最悪の大惨事を招くだろう。とはいえ、「機会の平等」もあくまで理念でしかなく、現実の世界に「機会の平等」が実現したためしなどない。せいぜい「宝くじ」や「ギャンブル」など局所的場面においてのみしか一律の「機会の平等」はありえない。それもあって、一定の是正措置が必要になるわけだし、そもそもセイフティネットが施されていないと、健全な競争の基盤となる社会環境すら毀損されてしまう。ましてや、自己の責任の及ぶ範囲を超える事由により理不尽にも所得が急減した者に対する緊急の手当を講じることは必要なことである。特に、誰しもが公平にリスクを分担しているならともかく、そうではなくてある特定の者にだけ過重なリスク負担を強いている構造が明らかな場合、その者に対する措置が求められることだろう。

 

 困窮者対策は、困窮者への単なる福祉政策という意味を持つだけでなく、社会防衛のための施策でもある。延いては、感染拡大防止にも資する施策ともなる。人命が第一ということならば、先ずは徹底した防疫体制の強化により事態の長期化を回避することを優先し、他方で経済的死活問題に対処するために政府による史上最大規模の財政出動を講じることで傷口がこれ以上広がらないようにする。最悪なのは、中途半端な緩やかな規制にとどまることで感染が更に拡大し、また経済的打撃が長期化してしまうことである。安倍政権の後手後手に回った施策は、この最悪のコースを選択したかのようだ。

 

 マスメディアやSNSを通じて、各界の著名人が外出や営業の自粛を呼び掛ける姿を目にすることが多くなったが、残念ながらその中には外出せざるを得ない人々や営業を休止してしまえば明日から生活が成り立たない境遇に置かれた多くの人々に対する想像力や配慮に欠けるものが少なからず見受けられる。当人は良かれと思って意見表明しており、その良心を疑うわけではないが、悲しいかな現実の世界が見えておらず、せいぜい自分の周囲の生活圏しか視界に入っていないので、非現実的なことしか言えない。その姿は、普段は「リベラル」なことばかり口にして、「格差社会」や「貧困問題」を取り上げながら「経済成長は要らない」だの「これからは贈与経済だ」だの世迷言を繰り出しながら、ド厚かましく消費生活を謳歌する姿をSNS上にアップして顰蹙を買った「思想家」と自称する一介の大学教員の姿と重なる。

 

 政府が休業に伴う損失を補償することが筋であるが、政府が大胆な国債発行による財政出動を渋るのならば、この際「背に腹はかえられぬ」とばかりに、今回の惨禍によっても給料がほぼ満額保証されている者たちからその一部を徴収して、困窮者や営業補償のための資金に回すなどある種の「シェアリング」を徹底するということも考えて良さそうだ。もちろん、私有財産制の核心部分に触れる内容となるから、実現は困難を極めるだろうが、あくまで業界ごとに「自主的」になされた体裁で、公務員や大企業の社員の給料の何割かを特別徴収するのも一つの可能性だろう。大学の常勤教職員の給料もほぼ満額支給されるはずだから、それらの給料の2割から3割程度カットして非常勤教職員の補償にあてたり、アルバイトの収入が途切れた学生の補償に回すなどの声が上がっても良さそうだ。同一価値労働・同一賃金の原則が徹底されず、最も搾取の度合いが著しいのが大学である。普段から「格差社会」を批判し「弱者救済」など上っ面の言葉だけ述べ、自らはそのための具体的行動を何一つしない偽善者が大学教員には多いが、事ここに至れば、こうしたセンセーたちもこぞって協力してくれるに違いない(?)。