shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

豊饒の海・虚無の海

たいていの物事は、それに長く付き合っているうちに慣れていくものであるが、世の中どうにも慣れようもないものが結構ある。米国在留邦人の悩みの種の一つである米国の食文化が、その好例かもしれない。米国といっても、ニューヨークはまだましな方で、一応世界中の料理を食することもできないわけではない。米だって、一応食べられるレベルのものは日系スーパーもあるので、賄うことはできる。おにぎりだって、「おむすび権米衛」に行けば、そこそこうまいものにありつける。

 

他人様の食文化にあれこれケチをつけるのは端ない振る舞いだ、と理解しているつもりでも、限度を超えた不味さだと、つい愚痴が零れてしまうのも人間の悲しい性。日本の中では、決して食文化が発達しているとは言い難い東京で生まれ育った身なので、「日本料理とは云々」と講釈垂れる資格はないのだろうが、いくらなんでも米国料理は単調に過ぎる。元来、出汁をとるということをしなかった関東の料理は、概して醤油や塩一辺倒な味つけが多く、決して高いレベルとは思わないが、米国料理はその比ではない。だから、米国大統領を迎える宮中晩餐会で出される料理の味つけがどうなっているのだろうか、と要らぬ詮索をしてしまう。というのも、宮中では、原則京風の味つけだからだ。

 

清涼飲料水となると、酷いと言うレベルを超えている酷さである。ルート・ビアだの、ドクター・ペッパーだの、チェリー・コークだの、どれも薬品っぽい味で、とても飲めたものではない。少なくとも、日本では間違いなく売れないだろう。以前、ロサンゼルス国際空港の到着ロビーの真ん前に控えるセブンイレブンで売られていたファンタ・ストロベリーを口にした途端、吐きそうになり、そのまま捨ててしまったことを思い出す。スポーツドリンクにしても、いかにも人口着色料を使いまくりましたと言わんばかりの奇妙な色のものが多く、日本の清涼飲料水がいかに美味しいか、改めて気づかされる。同僚などは、「そのうちに慣れるよ」と言うものの、長く生活しても慣れない。不味いものは、何年経過しようと不味い。ニューヨーク在住20年を超える日系コミュニティの中のある日本人も、「まだ慣れないどころか、死ぬまで慣れそうもない」と。

 

日本の書籍を買うことにも若干の不便がある。そういうと、「紀伊国屋書店があるではないか」との声が聞こえてきそうだが、確かに僕も、BOOKS KINOKUNIYAは頻繁に利用する。特に、日本語の書籍が恋しくなった場合、店に入るや、一目散に地下階の日本語書籍コーナーに駆け込む。しかも、海外の日系書店にしては、品揃えも比較的ましだ。同じ紀伊国屋書店でも、ロサンゼルスやその横のサンタモニカの店舗は、町の本屋さんというレベルのショボさなので、それと比べればましだということ。ロサンゼルスのダウンタウンとサンタモニカの間は、ほとんど地上を走っている地下鉄一本で繋がっているが(ちょうど、安倍晋三が留学していたという南カリフォルニア大学が沿線にある)。しかし、何といっても値段が日本で購入するよりも1.5倍から2倍近くかかる。そうすると次は、「値段に拘るのならば、アマゾン・グローバルを利用すればよいではないか」との声が聞こえてきそうだが、それはそれで問題があるわけで、僕のような書店巡りをしながら色々の本を手に取って物色しながら、これぞという本を数冊買いこむことが習慣になっている者にとって、単にネットで購入が可能であるのだから構わないではないかと言われても、「そうですか」とはならない。たまたま手にした本の内容が面白そうだからといって、当初のお目当ての本ではなく、その本の購入に意を変えたという経験をした者ならば理解されよう。逆に、お目当ての本であったが、実際に手にとって読んでみると大した内容ではなかったので、立ち読みで済ませてしまうという経験もあるだろう。書店とは、ネットと違って、必ずしも当初の目当ての本ではなかった本との偶然の遭遇の場でもある。

 

残念ながら今は、そのBOOKS KINOKUNIYAもCOVID-19の感染拡大防止のために臨時休業している有様。アマゾンで面白そうな日本の書籍を漁っていると、今年になって続け様に、熊野純彦が2冊の著作を出しているではないか。1冊は『三島由紀夫』(清水書院)で、もう1冊が『源氏物語-反復と模倣』(作品社)である。『三島由紀夫』の方は、清水書院の「人と思想シリーズ」の一冊として出されたものだから、ほぼ新書程度の分量である。後者の『源氏物語-反復と模倣』については手にしていないが、収録されている論考の一つは、かつて日本思想史関係の学術雑誌で目にした熊野の論文のタイトルと同じなので、それを再録したごく短い小品といったところだろうと思われる。

 

三島由紀夫』は、三島の人生の経過に合わせて代表的な作品を追っていく批評的評伝という性格を持つ。『和辻哲郎文人哲学者の軌跡』(岩波新書)や『戦後思想の一断面-哲学者廣松渉の軌跡』(ナカニシヤ出版)のような、決して著者自身の見解を押しつけがましく挿入することなく、丹念にその人のテクストからその人の思想を徐々に浮かび上がらせていく手法を採っている良質な著作である。

 

前作の『本居宣長』にしても、「内篇」と「外篇」に分け、宣長その人に語らせていくところと並べて、宣長研究の歴史や宣長に言及してきた者の言説を網羅的に扱って論じていた。イデオロギー的裁断が透けて見えてしまう宣長研究に陥ることもないので、安心して読むことができるだろう。分量は相当な量に上るが、比較的大きめのフォントで印刷されており、思ったよりも早く読めてしまえる。ちなみに「外篇」では、僕の好きな蓮田善明にまで言及するほどの力の入れよう。蓮田善明に関しては、この『三島由紀夫』でも言及されている。日本浪漫派との結びつきの点で、とかく保田與重郎との関係が注目されがちだが、実際は、三島由紀夫保田與重郎との関係は、一般に思われているより希薄で、同じ日本浪漫派に位置づけられる蓮田善明との雑誌『文藝文化』を通した関係の方が強く、熊野はこの点についても適切に触れている。

 

三島由紀夫の人生のエピソードや、三島由紀夫研究文献を手広くおさえ、かつ代表的な小説に関しても、必要な分量を割いている。不満が残るとすれば、『近代能楽集』に代表される戯曲についてあまり触れていないことだろう(三島の戯曲「喜びの琴」をめぐる文学座の分裂騒動の記述があるのに)。もっとも、熊野はこの点を承知していているし、本書の分量で、そこまで求めるのは欲張りすぎというものだろう。

 

マルクス資本論の思考』(せりか書房)の時もそうだった。熊野自身の自説を前面に押し出すのではなく、対象に寄り添い対象に語らせるというやり方は、簡単なようでいて、実は難しい。相当の分量の関連文献を読みこなしたという自負がないことには真似できない芸当だからだ。こうしたやり方は、小林秀雄本居宣長』(新潮社)が既にしており、これは小林の並々ならぬ自信の現れでもあった。

 

それにしても興味深いのは、熊野純彦は(制度上は違うが)廣松渉の薫陶を受けた哲学者・倫理学者であるものの、師の廣松と違って、小説や古典文学に親しんでいる好対照な様である。あくまで想像の域を出ないが、廣松渉は文学にほとんど関心がなかったに違いない。もちろん、廣松の論文の中に、小説からの引用が挿入されることは稀にあった(不確かな記憶だが、『マルクス主義の地平』(勁草書房)の中の、疎外の概念を扱った箇所において、『ラモーの甥』に触れていたかと思う)。しかし、その引用は、当の論文の主題に完全に沿う内容のものが選ばれたというだけで、レトリックとしてさえも、廣松は、古典文学や近代小説から引用することはほとんどなかった。マルクスが詩人に憧れ、また弟子の熊野も、同じく文学に慣れ親しんでいることと対照的である。

 

文体にしても、過度なまでに漢語表現を用いる廣松に対して、逆に過度なまでに仮名表現を用いる熊野の姿は、あたかも意図的に師の影響圏から抜け出ようとしているかのように見える。現に、熊野の若い頃に書いた論文を読むと、今のような仮名表記の多用は見られない。リゴリスティックな廣松のような文体でこそなかったが、しかし、簡潔で読みやすい文体で書かれていた。ひょっとすると、和辻哲郎のように、「日本語で哲学すること」に相当意識的になっているのかもしれないし、極論すれば、「やまとことば」で哲学することを究極の理想として描いているのかもしれないとすら思われるふしがある。

 

 熊野の著書は、高橋和巳との対比について触れた冒頭をおいておくと、初めと終わりに、三島自決の「十一月二十五日」のテーマを据えている。三島由紀夫陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面部総監室にて割腹自決を遂げた11月25日という日は、大蔵省退官後、職業作家としてのデビュー作『仮面の告白』が起筆された日であり、『豊饒の海』四部作の最終をかざる『天人五衰』の脱稿日でもある。そして、四十九日経った1月14日は、三島の誕生日である。計算高い三島のことだから、決行日はこの日以外には考えられなかったのだろう。

 

「創造と破壊」・「瞬間の超脱」にこだわる三島由紀夫の最期に遺した小説『豊饒の海』四部作は、我が国の古典『浜松中納言物語』に典拠した「夢と転生の物語」として物語られる。第三部の『暁の寺』は、仏教の唯識論の解説めいた箇所が延々と並べ立てられ、第一部の『春の雪』や第二部の『奔馬』と比べて、小説としては大して面白くもないこともあって悪評高い小説であり、批評でまともに取り扱われた例は少ない。しかしこの作品は、三島自決の鍵を握る謎を解明する上で必要欠くべからざる作品であり、もちろん熊野はこの作品の重要性を見落とさない。

 

三島由紀夫は、「七生報國」の鉢巻をして、総監室ベランダから階下にいる自衛隊員にクーデター決起を呼び掛けるも、それが果たし得ぬことと悟るや、古来の作法に則り、日本刀・関孫六で以って切腹し、最終的に古賀浩靖の介錯によって首が斬り落とされた。七度生まれ変わっても朝敵を討ち御國に報いんとする「七生報國」をうたい、檄文においても、三島は盛んに「魂」なる語を頻繁に用いている。しかし三島は、おそらく「魂」なるものの実在を否定していたに違いない。それは、『暁の寺』と『天人五衰』を読むことで明らかとなる。特に、『天人五衰』で登場する安永透という、生まれ変わりと思われた少年は「偽者」ではなかったか!

 

三島が『暁の寺』で論じているように、仏教を他の宗教と分ける特色の一つに、「諸法無我」という概念がある。仏教は、生命の中心実体となるアートマンを否定し、「無我」説を称える。よって、アートマンといった、「来世」へ存続する実体として考えられる「霊魂」なるものも否定される。三島は、『ミリンダ王の問い-インドとギリシアの対決-』を引用し、仏教における「無我」説の論証を説明している。

 

そうすると、この「無我」説と、「輪廻転生」の思想の整合性が問われることになる。このために持ち出されるのが、中観派と並んで、その教説が難解なことで知られる唯識派の教説である。『豊饒の海』第一部にあたる『春の雪』に登場する綾倉聡子が出家した月修寺は法相宗の寺院であり、この法相宗とは、唯識派仏教を研究する場でもある。日本では、奈良の興福寺薬師寺が有名である。

 

仏教哲学としての唯識論は、インドの無著や世親によって大成され、やがてその教説が玄奘三蔵によってインドからシナへと伝わり、法相宗が創立された。世親の『唯識三十頌』によると、「縁起」に関する「頼耶(ラヤ)縁起説」を基礎の中核をなすものが「阿頼耶(アーラヤ)識」である。この「阿頼耶(アーラヤ)」の原義は、一切の活動の結果である種子を蔵めることであるという。我々は、眼・耳・鼻・舌・身・意の六識の奥に第七識としての「末那識」という自我の意識を持っているが、「阿頼耶識」とは更にその奥に潜むものである。

 

しかし、注意しなければならないことは、このレベルになると、識の各私性はなく、相続転起して絶えることのない「有情」の総報の果体であるという点である。無著『摂大乗論』は、時間に関する縁起説を展開し、「阿頼耶識」と「染汚法」の同時更互因果を説明する。つまり唯識論は、ある刹那だけ諸法が存在し刹那を過ぎれば滅して無くなるという刹那滅の考えをとる。因果同時とは、「阿頼耶識」と「染汚法」が現在の刹那に同時存在していて、それが互いに因となり果となる関係をいう。この刹那を過ぎれば双方共に無に帰するが、次の刹那には再び「阿頼耶識」と「染汚」とが新たに生じ、それが更互に因となり果となって存在者が刹那毎に滅することによって時間が成立すると説くのである。

 

仏教は自己なる実体を認めない。それゆえ、仏教哲学の帰結として「自我」は存在しないことが導かれる。存在しないにも関わらず、なぜ存在するかのように映ずるのか。その理由は、「阿頼耶識」と「末那識」との間の相互作用によって、「末那識」は「存在しないもの」を錯覚を起こして「存在するもの」だと思量してしまうからである。ここに自我執着心=我執の発生を見る。「阿頼耶識」から一切は生成され、またこれによって一切のものが認識される。「存在するのは識だけ」であるという究極の観念論が帰結するかに見える。但し、仏教哲学にあって、「観念論」であるのか「実在論」であるのかは、実はほとんど無意味である。「存在するのは知覚することである」という英国のバークリーの表現に似た「存在するのは識だけである」というこの表現を文字通り受けとられるほど、仏教は単純なことを述べているわけではない。「存在する」という表現は、あくまで説明のための「方便」に過ぎず、より正確を期せば、「存在するものでもあり、かつ、存在しないものでもある」と言うべきであろう。熱心な真宗門徒なら、誰でも諳んじることのできる親鸞正信偈』の一節にもある「有無の邪見」に陥ってはならないというわけだ。

 

もちろん、「阿頼耶識」といっても、実体として存在しているわけではない。『暁の寺』による記述によると、「世界が存在しなければならぬ、ということは、かくて、究極の道徳的要請であった」という。今なら、さしづめカナダの哲学者ジョン・レスリーが言いそうなことだが、それが「なぜ世界は存在する必要があるのか」という問いに対する「阿頼耶識」の側からの最終解答なのだと。迷界としての世界の実在が究極の道徳的要請であるならば、一切諸法を生ずる「阿頼耶識」こそが、その道徳的要請の源だというわけでる。「阿頼耶識」と迷界としての世界は、相互に依拠している。だとすれば、「阿頼耶識」がなければ世界は存在しないが、同時に世界が存在しなければ「阿頼耶識」は自ら主体となって輪廻転生をするべき場を持たず、悟達への道は永久に閉ざされることになるだろう。現在の一刹那だけが実在であり、一刹那の実在を保証する最終の根拠が「阿頼耶識」であるならば、同時に、世界の一切を顕現させている「阿頼耶識」は、時間の軸と空間の軸の交わる一点に存在する。デカルトの言う神による連続創造説と比較したくなる誘惑にかられもするところである。

 

ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』によると、「実体」とは「意志」そのものであり、「意志」は非時間的なものである。実在の唯一の形は「現在」であり、実在的なものに直接に遭遇するのは「現在」のみであって、また実在が全体として含まれているのは「現在」である。回帰的時間に宇宙の始まりも終わりもなく、更にエスカトロジーが入る余地もない(僕はショーペンハウアーが大嫌いだし、ニーチェにしても過大評価されていると思っている。ニーチェの「永劫回帰」の概念よりも、ボルツマンのエルゴード仮説の方が、よほど重要な問題を提起している)。『ミリンダ王の問い』において、ナーガセーナは、時間の回帰的な性質を説明するのに、種子と植物の循環や鶏と卵の循環を例に挙げている。「輪廻転生」とは、この回帰的なイメージで語られる時間概念と相関する。ニーチェの「永劫回帰Ewig Wiederkehren」の概念は、その「瞬間」の概念と結びつく。『ツァラトストラは、かく語りき』の「贈り与える徳」・「幻影と謎」・「正午」の各章において、この「瞬間」の概念について触れている。この「瞬間」には、「時間が停止する瞬間」と「自己を反復することを欲する瞬間」が存在している。そこから一気に飛躍して「時間のない瞬間」の観念を得る。

 

大乗経典の中の『法華経』には「一念三千」の概念が登場し、これは小宇宙と大宇宙とが同一の統一的原理に支配されており、単一で無二の存在を形作ることが意味されている。また『華厳経』には、「一即一切」・「一切即一」という言葉があって、これは単に空間的にのみではなく時間的にも妥当する。つまり、ここでいう「一」とは「瞬間」の意味である。道元正法眼蔵』の「有時」という章には、「時すでにこれ有なり、有はみな時なり」とある。 「時もし去来の相にあらずば、上山の時は有時の而今なり。時もし去来の相を保任せば、われに有時の而今ある、これ有時なり」と。

 

熊野は、三島の「瞬間」への視線に目をつける。もちろん、紙幅の関係上長々と論述することは避けてはいるが、間違いなくこの点の重要性を掴んでいる。こうした視点から三島に迫る論考が全くなかったとまでは言わないが、『豊饒の海』四部作を読み解くために『暁の寺』の重要性を指摘して、それを哲学的な議論にまで昇華させて論じる批評が少なかったために、この熊野純彦三島由紀夫』という批評的評伝は読む価値のある著作になっている。