shin422のブログ

民族派右翼による「便所の落書き」擬きの極私的備忘録

ヤンキーの倫理学

 『最近の自然哲学』や『科学概論』または『数理哲学研究』に見られる通り、田辺元は、その哲学研究の営みを科学哲学研究から始めた。科学哲学といっても、それをどう捉えるかに関して、今日では大凡二つの考え方に大別されるわけで、一つは、論理的経験主義を表明していたハンス・ライヘンバッハ『科学哲学の形成』(みすず書房)に代表される立場、すなわち「科学的に哲学する」という「方法論としての科学哲学」という意味である。

 

 論理実証主義者の集団「ウィーン学団Wiener Kreis」のメンバーがライヘンバッハと同様の科学哲学観を持っていたかというと、必ずしもそうではない。ライヘンバッハの場合、個別の科学のもたらす結果を分析・批判することによって哲学の諸問題を解決していこうとする科学的哲学を目指したのに対して、「ウイーン学団」の主流の依って立つ前提は、哲学は科学ではなく世界について有意味な言明は経験科学の言明のみであり、哲学は世界について何も語らないということ、そして哲学本来の役割は科学の概念と文の論理的分析に尽きるということであった。彼らに共通していたのは、形而上学の批判と文学的修辞でごまかす類の思想傾向に対する露骨な嫌悪である(特に、ハイデガー的な文章への軽蔑)。

 

 もう一つは、自然科学や社会科学といった科学的営為を対象にし、科学理論の意味や観察と理論との関係や法則と実在との関係などについての哲学的分析、あるいは時間や空間の存在論的位置づけや進化や自然選択の意味などの個別の哲学的問題を分析の対象にする哲学の総称としての科学哲学という意味である。つまり、考察対象を科学の営みに限定しつつ、科学理論一般の持つ存在性格をメタレヴェルに立って考察する哲学的な営み、もしくは科学理論の対象になる事柄そのものに潜む哲学的な問題を個別に抽出し、それに対して哲学的な分析を試みる営みを指す。現在では、科学哲学といえば圧倒的に後者の意味で用いられている。

 

 では、田辺元の科学哲学は如何なる性格を持っているか。田辺は、科学哲学を単に科学を対象にする哲学といった哲学の一部門とは考えず、さりとて「科学的に哲学する」というライヘンバッハ的な意味で考えるのでもなく、科学を媒介にした哲学、「科学の自覚としての哲学」を模索した。これはちょうど、メタフィジックスがフィジックスとの緊張関係の中で初めて成立するように、古代からの哲学の根本問題そのものを扱う「正統派」の哲学という意気込みだったのではないかと思われる。その意味では、後者の見解にやや近いと言えるかもしれない。後に社会哲学へと関心を移したかのように見えるが、しかし晩年の『数理の歴史主義展開』にみられるように、主題が社会哲学になったとしても、「田辺哲学」を貫く根本は若き頃の科学哲学研究に支えられていたとも言える。科学哲学研究から出発したその延長で、自ずからカントの批判哲学の研究に向かい、カントの本来の意図がそうであったように、科学批判を通じた形而上学の可能性に関心が拡大した。そこから、ドイツ観念論の再検討へと至り、フィヒテシェリングそしてヘーゲルについての研究へとさらに広がっていった。

 

 この哲学的進展の内的動機と時代の直面する社会的現実の課題への関心という外的動機の両面から、遂には歴史的社会的存在の問題を媒介にしたマルクス主義との対決や、徐々に台頭し始めてきた国家主義民族主義との対決のために、「種の論理」として一括される種々の論文で表明された社会存在論に取り組むことになった。この「社会存在論」は、古代の「自然存在論」や近代の「人格存在論」に対する第三の段階と位置づけられた「基体即主体」とする存在論であって、前二者の弁証法的総合であった。国際政治学者で著名な高坂正尭の父でカント研究や歴史哲学研究で知られる「京都学派第二世代」を代表する哲学者高坂正顕の回想によると、田辺元マルクスの革命的実践の意図を認め、それに同情的であったとのことである。

 

 しかし同時に、マルクス弁証法には批判的で、特にそのエンゲルスの「自然弁証法」に対しては、多くの哲学者の例に漏れず、あからさまな嫌悪を抱いていたという。スターリン時代のソ連の「公認学説」であったマルクスレーニン主義の哲学(ソ連科学アカデミー哲学研究所が編集した『マルクスレーニン主義哲学の基礎』に代表される)は、実在や思考をも貫く原理としての弁証法唯物論を元に、それを歴史に適用したものが史的唯物論であり、自然に適用したものが自然弁証法であるという位置づけをするが、もちろんこうした哲学体系をマルクスが抱いていたかは大いに怪しい。むしろマルクス自身の思考とは似ても似つかぬ代物と化していると言ってもよいだろう。

 

 こうした誤解はレーニン自身にも見られたわけで、そのレーニンの理解は、僕の見立てではカウツキーに遡ることができる。革命路線や現状分析に関してカウツキーと対立し『プロレタリア革命と背教者カウツキー』を著す程のレーニンであったが、ことマルクスの哲学についての理解はカウツキーと共通していたようである。その影響は、レーニン『哲学ノート』とエンゲルス『反デューリング論』からの引用に頼り、マルクスのテクストから直接引用することがほとんどない毛沢東『矛盾論』にも及んでいる。この弁証法唯物論哲学としてのマルクスレーニン主義に対しては、教条主義マルクス主義墨守する戸坂潤を除いて、田辺元和辻哲郎三木清が早くから異論を表明していたし、戦後では廣松渉マルクス主義の地平』(勁草書房)が最も先鋭的な批判を展開していた。日本以外でも、西欧マルクス主義アルチュセール構造主義マルクス主義やヘーゲリアン・マルクス主義者としてのフレドリック・ジェイムソンもこの立場を採るものではない(ソ連が崩壊してすでに30年近くになる今日、弁証法唯物論哲学を奉じているのは、日本共産党系の哲学者くらいではないだろうか)。

 

 田辺元マルクス主義との対決は、雑誌『哲学研究』に6回に亘って掲載された「弁証法の論理」という論文から始まった。その後の『ヘーゲル哲学と弁証法』の序文には以下のような記述がある。

「之(「弁証法の論理」のこと)を書いた直接の動機というべきものは、当時急速に大学の学生間に勢力を有し来った唯物弁証法が、一部無批判なる人々には宛も魔術の棒の如く万能の論理と信ぜられ、これさえあらば一切の学問認識は直ちに獲得せらるる如くに考えられ、現に数学の如きも正負反対の数の結合を取扱うものたるを以て弁証法に由り処理せらるると語る人あることを伝聞して、論理に携わる教師の一人として黙すべきにあらざるを痛感したことにある。・・・私の弁証法ヘーゲル哲学とに関する研究は、直接には弁証法唯物論に対する関係に動機づけられたものである。現在までの私の思索の結果は、唯物史観を半面の真理として認めつつ、而もその説く実践の概念を否定し、無産階級独裁の為の闘争行為を直接に実践の必然的内容とする如き主張に反対して、歴史を支配する見えざる全体に対する目的論的道徳的実践を強調する絶対観念論に外ならない。私はこれが階級的に制約せられつつ階級を超え、存在に規定せられながら却って之を媒介として精神内容を実現せんとする思想の本質に相当するものであると信ずる。思想の存在に由る規定の一面のみを認めて、それに対する自由形成の他面を無視するならば、弁証法唯物論を主張する思想家自身が自家撞着に陥ることを免れない。思想は存在に限定せられると共に限定せられず、却って之を限定するが故に弁証法的なのである。私は正しき弁証法の理解が観念弁証法と共に唯物弁証法をも併せ斥けて、両者を超ゆる絶対弁証法に至るのでなければならぬことを確信するものである」。

 田辺元が『カントの目的論』における立場から弁証法的立場を称揚するに至った要因は、マルクス主義との対決であったことは明らかであろう。では、ヘーゲルの観念弁証法でもなければマルクスの唯物弁証法でもない「第三の途」としての「絶対弁証法」とはいかなるものであるのか。それを示しているのは、『ヘーゲル哲学と弁証法』に続いて書かれた『哲学通論』である。弁証法Dialektikという言葉は「弁論術」の意味であって、対話を意味するDialogと語源を同じくする。プラトンはデアレクティケを真理に達しイデアを見る方法と解したのに対して、アリストテレスはデアレクティケをソフィストにおける弁論だから真理に到達する方法ではなく、単なる蓋然的な意見に過ぎないものをもっともらしく理由づける方法にとどまるものと考えた。このように、古代ギリシアから弁証法=ディアレクティケは二重の意味を併せ持ってきた。

 

 カントにおいて「超越論的弁証論transzendentale-Dialektik」が「仮象の論理Logik des Scheins」とされたのは、カントがアリストテレス的な意味で弁証法を用いていたことを裏づけていると解釈することもできよう。対してヘーゲルにおいては、正反互いに否定しあうことによって合において互いに一面的な正と反とを総合する高次の具体的真理、具体的全体に到達する哲学の方法と解された。ヘーゲルの観念弁証法においては、存在ないし自然は思惟ないしは精神が「自己疎外Selbst-Entfremdung」あるいは「外化Entaeusserung」を行った結果にほかならず、物質を精神から展開させるないしは「概念Begriff」から展開させるという観念弁証法に堕してしまっているという点が、マルクスからの批判の一つであった。

 

 田辺はこの点に関して、マルクスの批判を正当なものであると考える。というのも、世界のすべての存在を精神あるいは概念から発出させるヘーゲルの観念弁証法は観念論的な「発出論Emanations-Lehre」であって、弁証法をして弁証法たらしめるる正反の対立、具体的には精神と物質の対立の面を抹殺させるに至るからである。そこで田辺は、マルクスの「意識が存在を規定するのではなく、その社会的存在が意識を規定する」というテーゼを肯定した。また、マルクスの『フォイエルバッハに関するテーゼ』の最後にある章句「哲学者たちは、様々に世界を解釈してきた。しかし世界を変革することこそ何より大切なことである」を、ことヘーゲル哲学に対する文句としては妥当すると考えるのである。

 

 ヘーゲルにおいてはすべての矛盾対立は観念論的に解決され、その意味で「和解の哲学」ともいうべき構造を有している。すべての矛盾対立が観念論的に解決・解消されるがゆえに、そこに「実践」が介入する余地などない。しかし、現実の矛盾対立が現実的である限り、それは単に観念的に解決されるわけはなく「実践」の契機が不可欠になるのは当然であると考えるほど田辺はマルクスに好意的だった。しかし、マルクスの唯物弁証法ヘーゲルの観念弁証法に対して持っていた批判力の一方のみが強調されることによってヘーゲル哲学が陥ったのと同様の自己否定の結果を招くと田辺は論じるのである。マルクスの唯物弁証法ヘーゲルの観念弁証法に対して物質すなわち存在を力説するあまり、観念的なものは物質的なものの人間の頭脳への置換転移されたものに過ぎないという主張にまで及び、そうすると18世紀の機械的唯物論と大差のない杜撰な主張に至りかねないというわけである。これでは、ヘーゲルが観念論的形而上学であるのと同様に、マルクス唯物論形而上学に化してしまう。その危険性はエンゲルスにおいて度合いが激しいものとなる。存在が意識を規定することを強調しすぎると、弁証法でもなんでもない因果論的な主張となってしまう。そう田辺は主張する。

 

 先述の通り、マルクスレーニン主義よりもむしろ「エンゲルスレーニン主義」ともいうべき旧ソ連「公認」の弁証法唯物論哲学は、弁証法とは名ばかりの機械論的唯物論と化してしまった。そして政治的には形の上ではソ連共産党と袂を分かった格好になっているとはいっても(そのわりには共産党機関紙『赤旗』のモスクワ支局が最後まで存続し続けたのはなぜなのか疑問なのだが。確か、ラングーン事件後に朝鮮労働党との関係悪化によって平壌支局はなくなったはずで、それと比較すると、本当に日本共産党ソ連共産党との関係を切っていたのかどうか怪しい)、その根本となる哲学・思想に関しては何ら変わらぬ「科学的社会主義」を標榜する日本共産党の雑誌『経済』などに書かれている哲学者や経済学者などの論文や対談を読めば明らかだが、ほとんどが「タダモノ」論であって、例えば党員哲学者であった岩崎允胤や平野喜一郎の分析哲学全体に対する批判も論理実証主義と同一視したあげく「観念論」とのレッテル貼りするだけだし、廣松渉に対しては「主観的観念論」であると大して読みもしないで攻撃するなど何ら哲学的・論理的な批判になりおおせていなかった。

 

 和辻と同じく田辺もマルクス主義とは対決したけれど、決してマルクス自身を否定することはなく、むしろ哲学者としても極めて優れた存在として高い評価を下していたのである。田辺の主張はさらに続く。マルクスが社会の基礎構造として考えていた生産力及び生産関係に関して生産力と一口に言おうと、自然力と技術の対立がありその技術や機械には既に観念的なものが先行するわけだし、生産関係にしても階級関係にしても自然的契機と人為的契機の対立が含まれているはずである。そのような対立が無視され、容易に物質的なものに帰着されてしまう。また、実践の優位も理論的に成立しなくなる。というのもマルクスの言うように、歴史の変革は生産力と生産関係の矛盾の必然的帰結であるというのならば、そこには真の実践が介入する余地がなくなってしまうからである。

 

 ヘーゲルマルクス弁証法的であるよりも形而上学的なものに陥ってしまうのは、あくまで互いに矛盾すべきものが、ぞの絶対に矛盾的であるべき性格を喪失してあたかも一から他が発出せしめられるかのように考え、それが形而上学的に実体化されてしまうことによる。しかし、真に弁証法的であろうとするならば、物質と精神とはどこまでも対立的・矛盾的でなければならず、ヘーゲルのように自然は精神の自己疎外であるとか、マルクスのように観念は物質の脳髄における反映であるとか一元的に考えることはできないはずである、と田辺は批判する。よって田辺からすれば、真の弁証法は絶対の矛盾の上に立つものであり、したがってどこまでもヘーゲル的なものとマルクス的なものの矛盾を自己の中に内包し止揚するものでなければならない。これが「絶対弁証法」であり、この絶対弁証法は絶対的な二元論を内包しそれを止揚したと言いうるものである必要がある。

 

 ところが、単に二元論的な矛盾を内包するというだけなら元より二元論でしかなく、弁証法である必要はない。弁証法であると言いうるためには、最終的に両者が止揚されなければならないはずである。しかし、それを止揚するものが何らかの存在であるならば物質的なものか精神的なもののいずれかになってしまい、結局は観念弁証法か唯物弁証法かに帰着してしまうことになる。だから絶対弁証法においては、精神や物質を止揚するのは「有」ではなく「絶対無」であるよりほかないことになる。矛盾対立するものを交互転換的に否定せしめるものは「絶対無」の実践的自覚である。精神は自己に対立する他者すなわち物質において自己を否定するものを見て、物質もまた精神において自己を否定する他者に対する。そのとき、精神が物質の必然たるを知り、己を無にして自己を否定し、物質の必然に即して実践したならば、精神は物質から離れた抽象的自己としては物質の中に死するとともに、却って物質を自己の内容として具体的な自己としてよみがえる。つまりは「死して生きる」のであり、逆に物質も盲目的必然ではなく、自覚された必然として必然即自由となる。要するに、絶対弁証法とは、一方であくまで精神的なものと物質的なものの矛盾を内包しつつ、他方でその両者を「絶対無」自覚的実践によって止揚するというものである。この「無」の自覚は、後に「愛」となって昇華させられるのであるが、ここに田辺の「種の論理」の挫折と転回を見て取ることができる。

 

 田辺の社会存在論では、個-種-類の系列において個が包摂されてしまう弁証法全体主義を避けることはできない。もちろん、個の契機を完全に全体に包摂するとまでは言っていない。田辺は個人主義を否定すると同時に全体主義をも否定していた。個人主義でも全体主義でもない社会存在論を構想することによって西欧の個人主義やドイツロマン主義の社会有機体論的全体主義をも乗り越える方向性を志向した。しかし、田辺が国家社会の構造を理性の自律に転じられねばならないとして思考した営為に見られる個人と国家と世界の多層関係はきれいな体系に収まる一方、その体系に収まらない要素については意図的に無視する。そこに抜け落ちている要素は、個の偶然性とそれに関連する悪の問題である。この個の偶然性が田辺の「種の論理」では閑却されてしまい、個の「自由の王国」は「必然の王国」に系列下される限りで存在するものでしかなかった。田辺の晩年の思索『マラルメ覚書』の主題はまさしく偶然性である。体系的哲学者による自己の同一性の必然性を志向した「種の論理」からの転回であった。

 

 この点、哲学体系の構築となることを放棄しているかに見える九鬼周蔵は、かつて田辺が全体化してしまった二元論を二元論のまま留めつつ思考した。相対立する要素の二元性を安易に弁証法的に止揚してしまうのではなく、個々の異質な要素を相対立する緊張関係において捉える。その典型が『「いき」の構造』である。この書は、「いき」という日本文化に見られる特質を様々な現象の分析から始め、「いき」を形づくる「立体的構造」の三つの契機を「媚態」・「意気地」・「諦め」として抽出する。『偶然性の問題』では、偶然性を「偶々然かあるの意で、存在が自己のうちに十分の根拠を有っていないこと」であり、「有と無の接触面に介在する極限的存在」と位置づける。九鬼は、偶然性が必然性の対概念であることから必然性の三様態に応じた偶然性の三様態を「定言的偶然」・「仮説的偶然」・「離接的偶然」とする。「定言的」・「仮説的」・「離接的」という表現では若干わかりにくいが、要するに九鬼自身も言い換えているように「論理的」・「経験的」・「形而上学的」と理解しておけばよい。一つ目が単なる現実としての一つの実存がこの偶然性を実践的内面化するときに、無数の個同士の「間柄」の自覚に至るというのである。

 

 ここで言う「間柄」とは、共同体の網の目に絡まれた役割連関により規定された関係としての和辻哲郎的「間柄」とは別異の概念である。そうした社会的役割連関からは一旦遊離した「他者との邂逅の刹那」に開示される偶然的事実性である。浮遊する端的な事実性としての個。この場面で問われる倫理とは、通常言われる倫理でも道徳でもない。はっきりしていることは、九鬼の偶然性論は抽象的な存在論でも形而上学でもないということである。もちろん、現在の規範倫理学やメタ倫理学とは一線を画しているが、それら倫理が成り立つ社会的基盤の更に手前の段階で問われる倫理である。だからこそ、ともすれば「反社会的」ともなりうる倫理の書と言える。

 

 一般に「市民生活」のルーティンに堪えることへの侮蔑を背景に、非日常的な「冒険」や「破天荒な行為」に興奮する傾向が強く、それゆえ行為の目的や意味よりも過程において惹起される波瀾それ自体に「祝祭」としての強い興味を覚え、公共的規範随順の責任意識が希薄である一方で特定の人的関係における「掟」への感覚が発達しているヤンキーの存在態様を考える時にも参考になるものと思われる。リベラルな言論人は、総じて彼ら彼女らのような存在を嫌悪し、時には露骨な蔑視感情をも吐露することがある。その典型的言説が『世界が土曜の夢なら-ヤンキーと精神分析』(角川書店)の著者である精神科医斎藤環である。斎藤は数々のヤンキーに関する評論においても、かつての「進歩的知識人」の代表的存在である丸山真男と同様、西欧近代の市民社会を一つのモデルと解して、そこから日本社会の「後進性」を裁断する姿勢が透けて見えてしまう。その「後進性」を表す人間類型として槍玉に挙げられたのがヤンキーという存在なのである。露骨には表明しないものの、そのいかがわしい「日本文化論」モドキの言説の裏に隠し持っている本音にあるものは、ヤンキーに対する強烈な蔑視感情であり、ヤンキーと二重写しとなった(斎藤が想像する)「日本社会」に対する嫌悪感である。

 

 斎藤自身は自らの内なるヤンキー性を認めることでこの種の批判をかわしているつもりなのかもしれないが、何の弁明にもなり得ていないばかりか、戯画化されたヤンキー像の提示と自らの政治信条に反するものに対する「ヤンキー」的とのレッテル貼りする言動から、むしろ居直りの態度に見えてしまう。斎藤にとってヤンキーとは、丸山真男と同じく「進歩的文化人」の陣営にいた大塚久雄のいう「近代的人間類型」から逸脱した「前近代的・半封建的残滓」といった程度に捉えているに違いない。私的領域-公共世界の二領域のリゴリスティックな分離を前提にする近代市民社会の成員として相応しくない類型の存在くらいにしか思っていないのである。しかし、そうした西欧近代のイメージは、往々にして西洋思想史の教科書によって捏造された虚像でしかない可能性は大いにある。近代社会を担う自律的個人などどこにもいやしない。西欧社会にもいない。これも思想史の教科書がつくりあげた虚構である。「ムラ社会」的論理は、何も日本だけでなくとも一定の条件を満たした場所ならば多かれ少なかれどこでも見られることである。

 

 丸山真男の論文「歴史意識の『古層』」(『忠誠と反逆』(ちくま学芸文庫)所収)において抽出された日本文化の執拗低音として流れる「古層」である「つぎつぎになりゆくいきほひ」を(斎藤がいうところのヤンキー性の徴表としての)「気合いとアゲアゲのノリ」を重ねていく噴飯モノの立論は味噌も糞も一緒にした類の暴論であるし、そもそも丸山の論文が本居宣長の『古事記伝』における「凡て世間のありさま、代々時々に、天下の閲かる大事より、民草の身々のうへの事にいたるまで、悉に此の神代の始めの趣きに依るものなり。・・・古へより今に至るまで、世の中の善悪き、移りもて来しさまなどを験むるに、みな神代の趣に違へることなし。今ゆくさき万代までも思ひはかりつべし」という文を引用しつつ、『古事記』・『日本書紀』から日本人の歴史意識、日本文化や日本社会の特質を論定する立論自体が、本居宣長のテクストを全体として読み込んでいない日本思想史研究上の「非常識」なことくらい多少宣長研究の蓄積を勉強すればわかるはずのことである。少なくとも、本居宣長のテクストに慣れ親しんできた僕からすれば、丸山の宣長解釈は総じて酷い。伊藤仁斎にしても荻生徂徠にしても、丸山の立論には、その時々のバイアスがかかりすぎているあまり首尾一貫性がない粗も目立つ。丸山は社会科学の領域の研究者にしては豊富な文学的レトリックを駆使する才能に恵まれた研究者であったけれど、その立論のロジックといえば、肝心要のところでレトリックによる誤魔化しも目立つ粗雑な主張をしていたことも、近年徐々に明らかになりつつある(この点をいち早く指摘したのは加藤尚武「堕ちた偶像・丸山真男」であり、丸山の漢籍の教養の怪しさを指摘したのは数学者の志村五郎の『鳥のように』(筑摩書房)だ)。

 

 ヤンキー(ここでいうヤンキーとは所謂「マイルド・ヤンキー」とされている者を除く、暴走族の構成員であったり「半グレ」集団の一員であったり、仁侠の世界に足を踏み入れようとしている者を想定している)は既存の社会規範には従わないか、もしくは従っている振りをしつつもその正当性を承認しているわけではない。もちろん、何らかの「共同体」の紐帯に繋ぎとめらていることに関しては一般市民と同様である。暴走族や「半グレ」やヤクザにも社会公共の規範ではない別種の「掟」が、その強弱の違いはあれど一種の自生的秩序として存在している。しかしその紐帯は、正当性の調達を不可避的前提とする公共的紐帯ではなく極めて私的な仲間意識からくるものであって、市民的公共性が成立する以前の、より「動物的」な要素から成り立つ紐帯である。その紐帯は、本質的にはいつでもどこでも切断可能であり、またいつでもどこでも結びつきを形成しうる何らの根拠なき浮遊した刹那的つながりである点を見落としてはならない。その関係は単なる一個の実存として偶然にもたらされた者同士の力が衝突する場である。ヤンキーは、この謂わば「力動の場」のみが真の場所であると見て、反対に公共空間という人為的・計画的に拵えられた「偽り」の空間の欺瞞を本能的に嗅ぎ取っているようにも見える。

 

 田辺元の「種の論理」で取り逃され、九鬼周蔵の偶然性の思考がその眼差しを向けたことにもつながる。散乱する剥き出しの欲望に忠実であれば、市民的公共性との衝突も不可避となろう。市民的公共性の次元では捉えられない端的な偶然的事実性に晒された次元での関係=倫理は、義務論に支えられたリベラリズムの倫理でもなければ功利主義的倫理でもなければ共同体の共通善を志向するコミュニタリアニズムの倫理でもない。あるいは自己所有権に基づくリバタリアニズムの倫理でももちろんない。偶然の邂逅によって生まれた刹那的紐帯=倫理は社会公共の規範に優越すると考える(といっても、公共的規範を真正面から否定するという仕方ではなく、時にはそれを利用し、時にはそれを掻い潜る対象として捉えるのだ)ヤンキーの「倫理」は、公共的規範を内面化してしまった「善良な市民」の「良識」を多分に逆撫でしてしまうであろう「反社会的な」倫理=関係である。しかし、いずれが正しいかを決する審級など実はありはしないということを薄々感じてはいてもそれを認めたくない自己防衛に走る「リベラル」は、徒にそうしたヤンキーを侮蔑する反応しか返せない醜態を曝け出してもいるのである。