shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

ミネアポリス事件?

 先週、ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性が警官による拘束下で死亡した事件(全米の報道はかなり偏向していて、事件の真相を調査することなく、あたかも人種差別による「殺人」であると宣伝されているが、実際はそう断定するに足る根拠が今のところ希薄ではないかと僕には思われる。この種の過剰な取締り行為は何も黒人に対してだけでなく、白人に対しても行われているからだ。だから先ずは、解雇されたこの警官たちの行為、日本でなら差し当たり特別公務員暴行陵虐致死が疑われる行為がどういう状況においてなされたのか、その背景となる動機にまで踏み込んだ検討が求められるはずなのに、初めから何の検証もなく決めつけてかかる報道をしているのは問題である)に端を発した抗議活動が全米各地で激化し、当初の平和的な抗議活動も様変わりして暴徒と化す動きが目立ってきている。とうとうニューヨークでも東部標準時6月1日午後11時から6月2日午前5時までessential workerを除く者のcitywide curfewを告げるEmergency Alertが伝達された。思わず、ロバート・デニーロトニー賞授賞式に出てくるや発したI'm going to say one thing,"Fuck Trump!"という言葉が脳裏をよぎった。

 

 ニューヨークでも一部の暴徒による店舗の破壊や略奪が起こっている(僕の住んでいるところの間近でも放火騒ぎがあり、ブランド品を扱う店舗のショウウインドウが破壊されていた)。アッパー・マンハッタンにあるハーレムやブルックリン区でもデモが行われているが、ここでは概ね平和的なプロテストの意思表示にとどまっている。とはいえ、暴徒化する者がこれ以上増えるようなら、早々に軍の治安出動という事態にまで至りつくだろう。軍が、直接暴徒化した群衆に対してであれ、自国民に対する直接的武力行使を伴う鎮圧行動に乗り出すようなことになれば、かえって取り返しのつかない事態を招く恐れがあるだけでなく、対中関係において米国の主張の国際的な説得力が低下することで、延いては香港情勢にも間接的な影響が及ぶことにもなる。おそらく北京政府は、今回の米国での暴動を利用して香港市民に対する武力弾圧を正当化することになるだろう。

 

 香港でも大規模な抗議活動が今も展開され、あちこちで「分断」による惨劇が反復される中、緊急事態宣言が解けた日本は世界情勢などどこ吹く風、相も変わらず能天気な極楽とんぼを決め込んでいるようだが、僕の見るところ、日本のおかれた状況も相当危機的な状況であるのにもかかわらず、多くの者は日本社会の中だけで完結しているという故のない錯覚のために事態の深刻さに気がつきもしない。相変わらず空虚な理想主義を唱えているだけに終始している(今日の香港の姿は明日の日本の姿かもしれないのに。シナは着々と覇権を拡張し、日本を含む東アジア一帯を中華勢力圏に組むこむ国家戦略を簡単には放棄しはしない。この点、さすが台湾の蔡英文総統は状況を冷静に分析し将来ありうる可能性を常に考えているから切迫した危機感を持っている。どうやら我が母国の盆暗総理とは出来が違うようだ)。

 

 強硬的な鎮圧体制が敷かれているものの、この混乱を奇貨として米国社会の破壊そのものを画策する極左暴力集団によるキナ臭い動きも見え始めてきたと伝えられている。確かに昼間の平穏なデモが夜になると、どこから沸いて出てきたのか知らないが、いずれにせよ明らかに昼間の面子と異なる奇妙な連中が暴れだす。案の定、こうした過激な破壊活動を正当な抗議の声と評価する住民は徐々に少なくなってきているし、逆に白人至上主義者の声に耳を傾け始める者もチラホラ出始めてることだろう。「分断」の溝はますます広く深くなる一方だ。ワシントンD.Cのホワイトハウス周辺での暴動は、シークレットサービスの50人もが負傷するといった状況(僕の知人はワシントンD.Cの周辺に位置する国防総省ペンタゴン)があるアーリントンに住んでいるのだが、アーリントン自体は住民のかなりの割合が外国籍の住人であるので大丈夫かなと思っていたところ、今のところは平穏を保っている状況であると言う)。

 

 ホワイトハウス周辺での暴動に衝撃を受けたのか、(プロテスタント長老派の信者であるはずの)ドナルド・トランプ大統領は近くのアングリカン・チャーチであるはずの聖ヨハネ教会の前でこれみよがしに聖書を手にポーズをとって写真撮影するものの、デモ隊に向かっての催涙ガスを使用したことを批判する司教の「勝手に教会利用するんじゃねえ!」という抗議に遭う始末。カトリックプロテスタントの中間みたいな存在だから、そうした配慮もあるのかもしれないが、気になるのは、日本ではカトリックもアングリカンもプロテスタントもオーソドックスもごたまぜに理解している人がいて、神父と牧師の区別すらしない酷いキリスト教理解がまかり通っているので、少なくともこうした区別すらつかない者の主張は信用しない方がいい。再度確認するが、トランプの信仰はプロテスタントの中の長老派でカルヴァン主義の系譜に位置づけられるものである。それはそうと、リチャード・ニクソンに倣ってか、ローズガーデンで「法と秩序」の大統領だと演説をぶち、これまた反発を喰らっている。民主党も大統領選挙を意識して火に油を注ぐ行動をしている。今頃、前まで落ち目であった民主党のバイデンは小躍りしてこの事態を眺めていることだろう。

 

 しかし、僕の周りの米国人もそうだが、普段はトランプの悪口を言うことが日常的な挨拶代わりとしている者も、内心ではバイデンよりトランプの方がましだと思っているし(サンダースになる悪夢を回避できただけでも幸いということだろうが)、早期鎮圧が望ましいとすら本音をこぼす。そりゃそうだろう。多くの米国民はたとえトランプ嫌いであっても、今のような一部の極左暴力集団による破壊行為に対してなぜ手をこまねいているのだという苛立ちが出てきている。「反トランプ」一色の全米メディアは、今回のジョージ・フロイド氏の死が警官による行き過ぎた拘束によってもたらされたことが事実であるとしても、その理由が人種差別によるものであると断定しうる確たる根拠を示さないまま煽動行為を続けている。この状況に薄々気がつき始めている国民もかなり増えてきて、おおっぴらにトランプを擁護することはなくとも、トランプの行動に理解を示してきつつもある。

 

 そうなればなるほど、かつての米国のGood old daysを懐かしむも潜在的に増してくることになる。この点は欧州でも日本でも変わらない現象である。そして、その懐かしさに焦がれる人々の気持ちは十分に理解できるのである(かつて田中美知太郎が、戦前の日本人の方が明らかに戦後の日本人より上質な存在であったと述べていたが、こうした発言の意味するところと一部重なるような気もする)。トランプの言動は問題だらけであり、特に「お上品」な人々の神経を逆撫でしている。にもかかわらず、なぜトランプが一定の支持を得ているのか、そして表向きトランプを批判するものの内心は「隠れトランプファン」と言える者が相当数いるのかについて反省しないと、リベラルの単なる嘆き節にしかならない。これまでの政治やメディアの傾向に見られる欺瞞に辟易している者が増えてきていることは間違いない。そうした鬱積がコアなトランプ支持者または隠れトランプ支持者を生んでいることも見ないといけないのに、相も変わらず混乱を徒に煽動するばかりのメディアの姿勢は、日本の現状とそう多くは違わない。いやむしろ、現在の米国のメディア状況は、日本のそれよりも偏向しているのかもしれず、そうした偏向報道を鵜呑みにするか利用する者と、そうした現状に反発する者に更なる分断を持ち込もうとしている。その隙に入り込んでくるのは、人種差別反対というお題目に隠れて破壊活動に勤しむ極左暴力集団の存在である。

 

外出禁止令明けの陽光を浴びながら。