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民族派右翼による「便所の落書き」擬きの極私的備忘録

安倍政権の功罪-経済政策編

 安倍政権の内政面での功罪は様々挙げられるが、いわゆるアベノミクスに対する検証がメインとして取り上げられるに違いない。その他にも、いわゆる「森友・加計問題」や「桜をみる会」をめぐる問題などの政治スキャンダルや、内閣人事局創設とともに強化された官邸主導型政治統制に関する問題、水道法や種子法の改訂の問題なども議論されることだろう。ここでは、アベノミクスの評価についてごくごく簡単に触れてみることにしたい。

 

 アベノミクスの「三本の矢」とは、①大胆な金融緩和、②機動的な財政政策、③民間投資を喚起する成長戦略により構成され、経済学的には各々別の理論に立脚する経済政策の寄せ集めからなる。90年代後半からの長期にわたるデフレの進行によって日本経済の成長は停滞し、それが様々な社会問題を生じさせている。生活困窮者も恒常的に生まれ、家計消費も落ち込み、それが更なるデフレ化をもたらすという負のスパイラルに突入していった。これを放置しておくなら、なおいっそう日本社会全体が貧困化していき、少ないパイを貧乏人たちで奪い合うという悍ましい状態に陥っていくことは必然であある。

 

 これほどまでにデフレは深刻な問題であるし、そのデフレを放置し続けた国は恥ずかしながら日本以外に存在しなかった。中には、人口減少を原因にあげている者もいるが、人口減少局面でもデフレに陥らず経済成長している国は存在するので、日本のデフレ長期化の要因を人口減少に求める理屈は無理筋である。経済成長と人口減少とは、必ずしも強い相関があるわけではない。再度言うように、人口減少・高齢化社会であり、かつデフレが長期化している国は日本以外にないのである。日本のデフレ長期化は、明らかに人為的な政策の結果としての現象という側面が強い。それもそのはず、デフレを加速するような財政・金融政策を一貫してとり続けてきたからである。アベノミクスの当初掲げた目標は、このデフレからの脱却であった。

 

 しかし一方で、デフレは必ずしも悪くはないなどと非常識な主張をする朝日新聞のようなメディアも登場し、日本の窮乏化促進策を率先して務めていた。外交・安保政策でもそうだが、経済政策にしても特定の方向に誘導しようとしていることが露骨だ。その目的は、日本経済を破壊し日本の国力を削ぐことで某国の利益に資することであるのではないかとの疑念すら持たれるほどである。さすが「人民日報日本総局」と呼ばれるだけのことはある。事実、一貫して中共を礼賛し続け、プロレタリア文化大革命ポル・ポト率いるクメール・ルージュを称賛してきた「栄光の歴史」ある新聞社だ。

 

 朝日新聞に入社した新人社員に対して無料で送付される数冊にものぼる分厚い『朝日新聞社史』やら『歴史の瞬間とジャーナリストたち-朝日新聞に見る20世紀』には、開き直りともとれる記述がちらほら散見されるようだ。新人記者に対する研修では、「サンゴ事件」について触れて記者倫理を語るのはいいが、こうした文革礼賛のオンパレードだった紙面については触れたがらない。それどころか、旧ソ連と密接な関係を持っていた秦正流を今もジャーナリストの鏡であるかのようにありがたがって恥としない。そう皮肉を述べる朝日新聞社に勤務する友人もいる。

 

 若い記者その他編集局以外にいる社員も含め、こうした自社の論調に嫌気がさしている者が結構いるらしいのだが、異論を差し挟むと目をつけられて左遷されてしまうので、特に出世欲が強く、編集局内でも力のある東京本社の政治部や経済部を志望する者は気に入られる方向の記事を量産するようになる。最近でこそ例外もあるようだが、朝日新聞社の社長は政治部もしくは経済部から出るという不文律が支配していた。朝日新聞社内の権力闘争は、社主である村山・上野両家と経営陣との抗争や親中派と親ソ派との抗争のみならず、政治部と経済部との抗争も激しかった。特に政治部は、かつて「栄光の座」と呼ばれるほどの出世コースであったので、朝日新聞東京本社政治部所属の記者というだけで威張り散らかし、社内のみならず同業他社を含め周囲の顰蹙を買う者で溢れていたという。東京本社1階常駐のハイヤーで乗りつけ、そこのけそこのけ「天下の朝日」で御在!というノリだったのだろう。

 

 閑話休題アベノミクスによる効果はデータでも明らかな通り、一定の成功を収めている。日経平均株価旧民主党政権時よりも約3倍になり、超円高も円安方向に是正された。有効求人倍率は約2倍になり、雇用も約250万人も増えた。女性の就業者も約200万人増え、企業の経常利益も約1.6倍に、国や地方の租税収入も約1.3倍も増加した。公的年金運用益も約60兆円増加し、企業年金運用益も約30兆円増えた。外国人旅行者も約3倍に拡大し、外国人旅行者の消費額は約4倍になった。農林水産物の輸出額も約2倍になった。もちろん、雇用が増えたといっても、パートや派遣等の非正規雇用も増えているので、手放しで褒められるものではないが、それでも失業が続くよりは遥かにマシである。

 

 アベノミクスの「三本の矢」が当初の通り、まともに実行されていたならば、今頃違った状況になっていたかもしれないが、まともに実行されたのは①大胆な金融緩和だけで、②の機動的な財政政策も、③民間投資を喚起する成長戦略も大して実行されず、のみならず、それとは真逆の方針が途中から入り込んで①で得られた果実を吹っ飛ばしてしまったかのような状況になっている。なお①に関連して、大量の国債日本銀行が引き受けることを、やれ「禁じ手」だの、やれ「財政ファイナンス」だの、やれ「戦時経済」だのと批判する向きもあるが、こうした批判は財政法4条の趣旨からしてイレギュラーだという見解としてならばありうる批判であっても、決定的な批判になり得ていないばかりか、金融にしても国債償還のメカニズムにも疎い者による難癖の類に過ぎない。賛否はあろうが、「禁じ手」というほどのものではない。

 

 地方経済は疲弊したままの一方で、東京一極集中が増々加速していくという弊害が放置されたままとなっている。労働者の実質賃金も下がり、当初のアベノミクスの恩恵にあずかれない労働者層の根本問題が未解決のままであった(少子化の流れも歯止めがかからず。実質賃金の低下や東京一極集中が継続する限り、少子化の流れに歯止めがかけられることはない。長い目で見て、東京こそ解体されるべき。もっとも、これは経済政策というより文化的事象に関わる僕の思想信条の問題)。アベノミクス初年度のGDP増加率を見ると、アベノミクスの効果としての経済成長が確認されるものの、物価上昇率と実質賃金の増加率の上昇には時間差があるので、単年度の成長ではその果実にありつけることは期待できない。

 

 日本経済が本格的な成長路線に突き進んでいれば、やがて労働者の実質賃金も上昇することになるが、残念ながら、成長の萌芽が見えようとしていた矢先、それを妨害する介入が起こり、成長戦略全体が頓挫することになった。その一因は、やはり消費税の増税にある。この消費税の増税旧民主党野田佳彦政権と自民党安倍総裁との間で取り交わされた合意事項であったので、政権交代時においても既定路線であった。財務省財務省の腰巾着のメディアや与野党の議員などからの増税を求める声に押されて、安倍政権が踏み切ったものである。

 

 予想通り、次年度に消費税を5%から8%にまで引き上げた結果、家計消費が大幅に落ち込んでしまった。日本経済における実質GDP成長率と家計消費の伸び率は強い相関があることが統計的に確認されており、この家計消費の落ち込みにより実質GDP成長率が著しく低下したことも確かめることができる。以後、アベノミクス初年度の成長率の伸びが頓挫し、同時に②機動的な財政政策もうやむやにされるどころか、真逆の緊縮策を講じるようになったこともあって、アベノミクスの果実は雲散霧消してしまった。

 

 「国土強靭化」のための公共投資は掛け声だけに終わり、「コンクリートから人へ」というアホなスローガンを掲げて公共事業を大幅に削減し必要なインフラ整備すらままならなくなった旧民主党政権時よりも削られる羽目に。「科学技術立国」をぶち上げながら科学技術研究に振り分けられるべき予算も縮小した(この点は、中共の指導部に見習って欲しい者である。連中は長期的な戦略を立てて科学技術政策を講じている。習近平は間抜けだろうが、李克強王岐山あるいは先代の胡錦涛や朱鎔基といったキレ者がいるのである)。途中から旧民主党政権と同様の経済政策に切り替わってしまったのである。

 

 デフレの長期化による日本経済沈滞の中で、これまで家計消費を下支えしてきた「中間層」の没落が顕著になっている。安倍政権以前から問題であったこの「中間層」の没落を食い止めようと、旧民主党政権では分厚い「中間層」の存在の重要性が強調されたものの、スローガンだけにとどまり、やっている政策は真逆の政策。散々叩かれた「子ども手当」や「高校無償化」自体は別に間違った政策とは思わないけど、公共事業の大幅削減などデフレ下では望ましくない政策を加速させていき、かつ緊縮財政で事態はますます悪化の一途を辿った。それは経済統計からもはっきり表れていた。失業率の高さや倒産件数の多さがそのことを示している。アベノミクスはこうした最悪の経済状況に貶めた旧民主党政権時の経済政策を抜本的に改めるべく登場したのに、規制改革会議など旧民主党政権時でも重宝されていた人物を同じく重宝するなど、おかしな面が目立った。

 

 祖父岸信介元首相を尊敬していたというけど、この点における岸信介への尊敬が足りなかったというべきだろうか。日本の高度成長の礎を築き、社会保障制度を整備できたのは、満洲国の運営にたずさわった岸の手腕あってのことである。岸信介は、戦前・戦後を通して破格のスケールを持った大政治家であって、その再評価の時期は近い将来必ず訪れるものと確信している。僕個人としては、やはり「満洲は私の作品」と豪語した当の満洲国時代の岸の暗躍に俄然興味が尽きない。もし今も満洲国が存続・繁栄してばと想像すると、先の大戦満洲権益を失ったことが悔やまれてならない。支那事変の早期収拾が叶わなかったことが惜しまれる。

 

 岸信介研究も徐々に出てきているが、先ずは原彬久編『岸信介証言録』(中公文庫)や『岸信介の回想』(文藝春秋)を読んだ上で、太田尚樹『満州岸信介-巨魁を生んだ幻の帝国』(角川学芸出版)と『満洲裏史-甘粕正彦岸信介が背負ったもの』(講談社文庫)を読むと、その「巨悪」ぶりと「偉大さ」を感じることができる。その延長で、岸が師事した北一輝の『日本改造法案大綱』と美濃部達吉憲法講話』を読むと猶の事よし(北一輝の凄さは、『国体論及び純正社会主義』の方に現れているのだけれど、なにせ分厚い)。孫は遂に、偉大な祖父を超えることはできなかったのである(といっても、僕自身としては、戦前日本の対中政策は完全に失策だったという評価であり、その失策は支那事変からでも満洲事変からでもなく、対華二十一箇条要求からだという判断である。大陸の共産化に結果的に「寄与」してしまったことは、世界史的に見て我が国の汚点であった)。

 

 当初、「経済成長なくして財政健全化はない」と豪語していたにも関わらず、この頃から財政健全化を至上視するブレーンの意向が強く反映されていくようになる。またメディアの方でも、財政破綻論やハイパー・インフレーション論といった、貨幣論をまともに勉強した者なら口に出さないような出鱈目な主張が喧伝されていくのもこの時期である。

 

 なお、昨年の消費税10%への引き上げによってさらにGDPが落ち込んでしまったところにコロナ・ショックが襲い、日本経済は大打撃を受けている。コロナ・ショックの責任を安倍政権の施策に帰するのは無理な話だが、問題はコロナ・ショック以前から経済は急激に冷え込んでいたということである。昨年10月の消費税再引き上げにより、家計消費は大幅に落ち込んでいたのである。

 

 「経済成長はいらない」だのといった世迷言を吐いている者たちは、経済成長せずに日本経済全体のパイが縮小均衡していくことで、日本社会全体がどんな地獄と化するか、それをまざまざと実感することになるだろう。もちろん、既に小金を貯め込んで悠々自適な生活を営めている者や(特に、大学教員にこの手合いが多い)、貧困層が増えてくれることによって自分たちがそこに寄生して儲ける食い扶持を確保しようとする貧困ビジネスの主宰者たち(特に、貧困問題や福祉をネタに活動しているNPO法人の社会運動標榜ゴロに多い)にとっては、デフレこそが望ましいわけだから、確信犯的に日本経済の弱体化を企図して言論活動しているのだろうけど。

 

 さらに①だけやって、②が機能しなければ効果的に資金が流れず、余剰資金が金融市場にのみ向かうとなれば当初の目的であった相乗効果は期待できない。加えて③にしても、セイ法則が妥当する状況じゃあるまいし、サプライサイド派の意見に押されてちぐはぐな政策になったことも問題である。労働分配率低下の傾向に対して策を講じることをせず、サプライサイドに偏った政策がいつの間にか忍び寄り、方向性がわからなくなっていった。本来は需給ギャップを埋める総需要喚起を意図されたアベノミクスが、サプライサイド政策とトリクルダウン論といった従来の誤った政策へと変質させらてしまったところを見ると、安倍首相自身もアベノミクスの中身をよくわかっていなかったのではないか。

 

 中には、IRを成長の起爆剤にと馬鹿げた政策をぶち上げるようなことまでやってのける始末(個人的にはカジノ大好きなのだけど)。①と②によって経済成長が軌道に乗るよう仕向けつつ、事後に③を実行に移すという時間差をつけた方策がなされるものと期待していたが、残念ながらそうはならなかった。機能的なポリシーミックスが行われなかった。アベノミクスが途中で腰折れになった所以である。

 

 デフレ脱却を掲げてアベノミクスを提起した当初はよかったが、結局、整合性のとれた政策パッケージが実行されず、一部はちぐはぐに、一部は不十分なままに終わったために、「デフレ脱却」とは程遠い有様と化してしまった。そこに、再び「構造改革」論が再び芽を吹こうとしている。これが再び実行に移されようものなら、日本経済はおそらく沈滞していくことになるに違いない。そこで国有財産を民間に叩き売れと主張し、自らの関係する会社に利益をもたらそうというさもしい「政商」が再び暗躍することにもなるだろう。レントシーキングで利益を国民の財産を掠め取ろうという算段である。

 

 90年代後半からデフレ化の流れは、ちょうど同じく90年代に明確な形で登場した「構造改革」論(その萌芽は、80年代の中曽根康弘政権にまで遡ることができる。中曽根政権時は、日本はデフレ状況ではなく、むしろその逆であったから、まだしも成り立つ議論だったが)と軌を一にしているという歴史を顧みるならば通常の者なら犯さないような誤った選択を、「改革バカ」の口車に乗せられた国民は再び支持しだすかもしれない。自分で自分の首を絞めているようなものであることに気がつきもしない。「改革」によって利益誘導して個人的利益のみを追求する「政商」が跋扈するのも時間の問題かもしれない。