shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

廣松渉と毛沢東とプラグマティズム

平成8(1996)年から翌年にかけて、岩波書店から刊行された『廣松渉著作集』は、計16巻から成る。大部の著作集ゆえ、出版に要する経費は多額になる。そこで、本来なら廣松渉東京大学退官後に着任する予定であった河合教育研究所から出版助成を受けることにより、漸く出版に漕ぎ着けたとのこと(廣松は、東京大学退官直後に逝去)。とはいえ、この著作集はあくまでも「著作集」であって、「全集」ではない。したがって、廣松渉の著作物や対談録の全てを網羅したものではなく、やむなく漏れてしまったものが大量にある。仮に、全てを網羅していたとするならば、分量は1.5倍ほどに膨れ上がっていたに相違ない。

 

その多作ぶりから、大森荘蔵は「週刊廣松」と呼んでいたそうだが、著作集のパンフレットにおいて、「西田幾多郎以来の、西田を超える日本の哲学者」という大森荘蔵の賛辞を目にすると、大学紛争時に名古屋大学助教授の職を辞して在野の研究者になった廣松渉を、東大駒場科学史科学哲学教室に招聘し、後に自身の後任教授に据えた大森の廣松に対する評価は並々ならぬものがあったものと思われる。全く毛色の違う哲学を持つ両者であるが、哲学に対する姿勢に関しては互いに共通するものがあったものと想像される。

 

未収録の論文や著作を思い付くだけ列挙するならば、情況出版から刊行された『廣松渉コレクション』所収の諸論文や対談録の大半がそうだし、吉田宏晢との対談共著『仏教と事的世界観』も未収録だ。第九巻に収録されている『唯物史観の原像』(三一書房)を除く、『哲学入門一歩前』(講談社)、『今こそマルクスを読み返す』(講談社)、『新哲学入門』(岩波書店)といった新書類や、『東欧激変と社会主義』(実践社)といった特定党派の集会で行った講演録も収録されていない。同じ講演録といっても、『マルクス主義の理路』(勁草書房)については、『マルクス主義の地平』(勁草書房)と並んで「著作集」第十巻に収録されている。山本信と足立和浩との鼎談は収録されているが、数多の対談や鼎談の類は残念ながら収録されていない。

 

僕としては、単なる「マルクス主義哲学者」の範疇に収まらなかった廣松哲学のある種の際立った特徴を示すものとして、雑誌『現代思想』誌上でのマイケル・サントンとの対談「西田哲学と東西の哲理」を是非とも収録してもらいたかった。この対談は、廣松の別の側面が如実に現れているからだ。「近代の超克」に関する著論文を収録している第十四巻あたりに掲載しても良かったのではあるまいか。ちょうど、朝日新聞紙上に掲載され物議を醸した「東北アジアが歴史の主役に-日中を軸に『東亜』の新体制を」を収録しているので、その意図を説明するためにも、サントンとの対談が持つ意義は大きい。

 

編集委員会がどういう意図を持っていたのか詳細に知る由はないが、小林昌人による解題がある程度参考になるだろう。ちなみに、この小林昌人という人は、アカデミックポストには就いていないが、廣松渉の薫陶を受け、主としてヘーゲル左派についての研究論文を著している在野の研究者で、岩波文庫から出された、廣松渉編訳『ドイツ・イデオロギー新編輯版』の補訳を担っている(この廣松渉版が出る前は、既に絶版になっていた古在由重訳のアドラツキー版であった。なお、古在は僕の遠縁にあたるので、心中複雑なところでもある。廣松に言わせると、アドラツキー版は「ほとんど偽書」の類とのこと)。ヘーゲル左派の研究者であるので、全巻の解題を担当するだけでなく、『マルクス主義の成立過程』(至誠堂)と『青年マルクス論』(平凡社)が収録されている著作集第八巻の解説文も執筆している。

 

その他、著作集に収録されている論文、例えば『事的世界観への前哨』(勁草書房)所収の論文などが、いわばブツ切りの状態で著作集のテーマごとに再編集されていることも特徴であるが、相互の連続性は希薄なので、ギリギリ許される範囲の再編集にとどまっている。

 

この著作集の各巻の末尾には解説と解題が備わっていて、どれも長過ぎず短過ぎずの丁度良い塩梅の分量で、要旨を取りこぼさずに簡潔に書かれた読みやすいものばかりである。読者への配慮を怠らない丁寧な仕事ぶりというべきだろう。解説の大半は、「廣松シューレ」の面々か、もしくはそれに近い人によるものだから、『情況』などで見慣れた文章だとの印象を持つ人も多かろうが、変わり種としては、あまり廣松哲学について直接言及することのなかった坂部恵の寄せた第十五巻の解説が目新しく映る(これは、『存在と意味―事的世界観の定礎(第一巻)』を収めた巻であるので、坂部の解説文も、専ら『存在と意味』の解説に限定されている)。

 

廣松渉の葬儀・告別式における葬儀委員長は、坂部恵が務めた。この坂部による『ヨーロッパ精神史入門―カロリング・ルネサンスの残光』(岩波書店)は、掛け値なしの名著である。黒田亘とともに、坂部恵も、その業績の偉大さと対照的に、一般的な知名度が低く、過小評価されている学者の一人であろう。寡作だったことも影響しているのかもしれないが、黒田亘にしても、僅か3冊の単著しかない。だが、『経験と言語』(東京大学出版会)、『知識と行為』(東京大学出版会)、『行為と規範』(勁草書房)のいずれもが傑作で、特に『経験と言語』は、「日常言語で哲学するとは、こういうことなのか」というお手本のような著作であり、田中美知太郎『ロゴスとイデア』(岩波書店)と並んで、何度も読み直す書物。せめて大森荘蔵くらいに知名度があれば、と悔やまれてならない。

 

惜しむらくは、何度も強調していることであるが、事項索引がないことである。『プラトン全集』(岩波書店)の事項索引の充実を真似ろとまでは言わないが、やはり学術的な著作集であるからには事項索引は必須であり、事項索引なき学術書欠陥商品である。岩波書店は、多数の学術書を手掛けてきたにもかかわらず、編集における「手抜き工事」をしがちである。哲学の古典を文庫本として出版する際も、そのほとんどに事項索引が付されていない。だから、同じ岩波書店から出版された一ノ瀬正樹『確率と曖昧性の哲学』に詳細な事項索引が付されているところを見ると、おそらく著者である一ノ瀬正樹が、編集者に相当強く事項索引を付すように求めたのではないかと推察される。書誌学者天野敬太郎が、仮に現在の岩波書店の「手抜き」を見たら、おそらく怒りのあまり脳卒中で倒れるのではないだろうか。

 

廣松は、一度も国外に出たことがなかったないという。もっとも、単なる出不精なだけだったかもしれないが、真相はわからない。ただ、欧米を「毛唐」と呼んでいたぐらいの、潜在的には「右翼的心情」の持ち主だったと勘繰っている人なので、廣松が戦前の京都学派にひとかたならぬ関心を寄せたのも、単に廣松が「近代の超克」を主張していたことだけに帰されるものではないものと思われる。1980年代にフランス現代思想が盛んに紹介された折も、もちろん文献は読んでいたであろうが、積極的に言及することまではしなかった。構造変動論に関する論文で、ポスト構造主義の一つとして若干ドゥルーズに言及している箇所があるが、さらりと触れるだけにとどまっていた(この点について言及する文章は驚くほど少なく、松井賢太郎あたりが本格的な論考をものしてくれたら面白いのだが)。

 

廣松は、英米系の言語分析哲学英米の哲学者がというわけでは必ずしもない。例えば、あれほどマッハに入れ込んでいた廣松が、結局言及するにまでには至らなかったヒュームを評価していないわけがない)については批判的であったと思われるが、この点についてはほとんど言及がない。同僚にこの方面の学者が多かったこともあって遠慮していたのかどうか知る由もない。大森荘蔵と石黒ひでとの鼎談においても、大森にチクリと嫌味を弄するのみで直接批判することは避けている。

 

いわゆる「正統派」の解釈は、マルクスのテクストというよりもむしろ、エンゲルスの主張、しかもそのエンゲルスの主張を更に体系的に精緻化したカウツキーと、その影響を露骨に受けたレーニンの解釈に基づいている。そして、この系譜に連なる解釈は、マルクスのテクストを子細に検討するならば無理のある解釈であると言わざるを得ず、ことマルクス解釈の点では、廣松に分があると思われる。このマルクス解釈は、むしろ和辻哲郎によるマルクス解釈に近い。和辻哲郎マルクス批判は、直接的にマルクスそのものへの批判の形をとるというより、マルクス主義哲学者たちのマルクス解釈に向けられたものである。和辻は、マルクス唯物論として理解すべきではなく、むしろ「現実主義」との表現でもって理解する方が相応しいというのである。

 

抽象的な認識論的主観から出発する傾向にある近代哲学の一部の系譜に対して、マルクスが『ドイツ・イデオロギー』において、「生きた現実的諸個人」を対置させたこと、自然を「生きた現実的諸個人」の関係の織り成す生産諸活動との関係から捉えられた「歴史化された自然」として把握していたことを評価する和辻哲郎に対して、戸坂潤は、「正統派」の解釈をぶつけて和辻を批判する。しかしながら、熊野純彦も指摘するように、ことマルクス解釈に関しては、あくまで「正統派」の解釈に固執する戸坂よりも、和辻の方こそマルクスのテクストを子細に読み込んでいたということになる。なお戸坂潤は、マルクス主義者になる前は、ヘルムホルツやコーエンに依拠した新カント派的色彩の濃い『空間論』を執筆しており、こちらの方がマルクス主義に転向した後に書かれたものより面白い。時代の限界があるとはいえ、あの当時の哲学者で相対性理論を租借できていたのは、田辺元などの例外があるとはいえ、ほとんどいないので、貴重である。

 

現在の日本の哲学者は、特殊相対論にはどうにか追い付いていけても、一般相対論ともなると全く歯が立たないという者が圧倒的だろう。廣松渉には、『相対性理論の哲学』(勁草書房)という著書があるが(著作集第三巻に収録されている)、ほとんど特殊相対性理論に関わる内容に収まっており、一般相対性理論については詳しく論じられていない。欧米の哲学者の中には、一般相対性理論のみならず量子重力理論の込み入った内容についてまで縦横無尽に論じる者がいるところを見ると、我が国の哲学研究のレベルは、残念ながら低い水準にあること否めない。空間や時間を主題として本格的に論じようとする者が、それを直接使用するかどうかはともかく、一般相対性理論についてさえ不案内というのでは全く話にならない。もちろん、数学的・物理学的な空間論や時間論ばかりが全てではないことは理解できるが、余程の才能がなくてはモノにならない代物になってしまうだろう。現代の数学や物理学が遥かに高度なレベルで議論しているのに、それを度外視して空間論も時間論もあったものではないし、自然を哲学することなど夢のまた夢である。

 

確かに、一般相対性理論の理解には相当な数学についてのテクニカルな知識が必要であり(複雑で抽象的な概念を扱うならば、避けて通れないはず)、とりわけ日本の出版状況を一瞥するに、特殊相対論や一般相対論に関する著作は嫌というほど出版されてはいるものの、両者の橋渡しをするような著作が皆無に近いので、層が薄くなるのも無理ないことではある。しかし、英語の教科書ならば、充実した本があるわけだ。例えば、ジョン・ウィーラーとチャールズ・マイスナーとキップ・ソーンによる大著Gravitation(なお、数年前、『重力理論』(丸善)として邦訳されたようだが、翻訳の出来は評判芳しからず。難解な言い回しは皆無だから、原著を直接読む方が良いのではないかと思われる)は、この橋渡しにちょうどいい教科書になっている。何せ、電話帳より分厚い本なので、僕も全て読み通してはいないが、必要なところは適宜参照できる事典代わりに利用している。

 

閑話休題中華人民共和国では廣松の著作が翻訳され、南京大学には、廣松哲学研究室が設けられているらしい。戦後日本を代表する哲学者の一人たる廣松渉が紹介され、一定の影響力を持つことは良いことではある。ただ、曲がりなりにもマルクス=レーニン主義毛沢東思想を奉じる中華人民共和国において、廣松渉がどのように読まれているのかと考えると、かなり奇妙な読まれ方をしているのではないかとの疑念も生じる。廣松哲学と一定の距離をとりつつも、「弟子」として廣松哲学を十分に理解している野家啓一熊野純彦らが、廣松哲学をめぐるシンポジウムの席上などにおいて廣松哲学の構造・特質・意義を説明しているので、よもや酷い誤解まではないと思われるが、いずれにせよ廣松哲学は、旧ソ連公認のマルクス=レーニン主義哲学とはほとんど重ならないし、このマルクス=レーニン主義哲学を下敷きに論じた、『矛盾論』に代表される毛沢東思想に慣れ親しんだ者らからすれば、一見しただけでは、廣松哲学がマルクス主義者によりなる哲学には映じないのではないかとの思いに駆られる。マルクス主義というより、エミール・ラスクやエルンスト・カッシーラーといった新カント派の影響の色濃く反映した哲学と捉える者が多いだろうことは、想像に難くない。特に、『世界の共同主観的存在構造』にある判断論を読めば、そう感じる者が多いに違いない。

 

蓮實重彦は、この現象を「誤解に基づく」などと表現していたが、この蓮實の言は正鵠を射たものではないだろう。ただ、毛沢東思想と明らかに齟齬をきたす廣松哲学がどのような仕方で受容されているかは、もちろん気になる。それゆえ、「誤解に基づく」と言いたくなることもわからないではない。毛沢東の『矛盾論』と、廣松渉の『マルクス主義の地平』を見比べてみればいいだろう。廣松のマルクス解釈は、まさに毛沢東のような解釈をことごとく退けようとして書かれている。それもそのはず。『矛盾論』を読めば、マルクスよりも圧倒的にレーニンを参照していることに気づかされる。

 

廣松哲学が受容されているのは、もちろん中華人民共和国の急激な経済発展と無縁ではなさそうであるが、とはいえ、単に経済発展の途上にあることだけに帰されるのではなく、シナ大陸の辿ってきた歴史そのものにも依存しているのではないかというのが、僕の仮説だ。なるほど、中華人民共和国における哲学研究は、日本のそれに比べてまだ遅れている向きもあろうから、まずはアジアの「先進国」である日本の哲学が受容されるようになったのだと感想もあろう。しかし実情は、どうも違うのではないかというのが僕の感想だ。シナ人の学生は、今やアメリカやヨーロッパに留学し、どんどん欧米の哲学を吸収している。その勢いは日本人の留学生の比ではない。米国の大学院に留学しているシナ人は、政治学や経済学の分野は言うまでもなく、哲学の分野においても圧倒的に日本人留学生よりも優秀である。日本人留学生の中には、まともに英語を話せない者もいるのが実情だ。

 

細かい論証は避けるが、実のところ、廣松哲学とプラグマティズムは親和性がある。廣松が解明する世界の共同主観的存在構造は、何も認識の真理性の究極の所在を共同主観化された認識論的主観性に帰する議論ではない。むしろ、その不可能性を立論するものに他ならなかった。<通用性>と<妥当性>との違いは、何ら真理への階梯の違いを意味するものでもない。したがって廣松哲学自身も、その事的世界観の真理性を主張するものにはならず、強いて言えば、「真理」として流通している認識がいかにして可能となっているのかということを論じたものである。乱暴にいってしまえば、とどのつまりは<通用性>を保証するものは<ゲバルト>に他ならない。<通用性>と抗争を演じる<妥当性>は、真理とは無縁であって、あるのはただ<通用性>を転覆するに有用であるか否かということだ。

 

なるほど、廣松哲学批判として盛んに持ち出されるヘーゲル由来のフュア・ウンス、フュア・エスの区別を、廣松が自説の真理性を保証するための概念装置として使用しているとの批判もある。確かに、『弁証法の論理』を紐解けば、そう思われないではない節があるものの、廣松は明確に、フュア・ウンスといえども歴史の外に立つことはできないと言い、時代のウア・ドクサからは自由になれないことも断っている。むしろ真理とは切り離された社会動態論として、廣松哲学が現代シナに絶妙な仕方でマッチしているがゆえに受容されはじめているのではないかと思われるのである。プラグマティズムとしての廣松哲学という視点で捉え返すと、廣松哲学の別の相貌が姿を現すことになろうし、またそのことが、現代シナで受容されていることの理由が明らかにされると思うのだが、そのための補助線として、毛沢東による「延安文芸座談会での講話」(いわゆる「文芸講和」)の読み解きが不可欠であるように思われるのだが、一読した時の読みやすさに反して、このテキストは超難解なテキストであって、ちょっとやそっとで太刀打ちできる相手ではないのである。『人民内部の矛盾を正しく処理する問題について』以上の難解さと言っても過言ではないのだが、そのことを指摘する声が聞こえないのが不思議である。