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『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

憲法制定権力と一般意志

1789年の「人および市民の諸権利の宣言(いわゆる「フランス人権宣言」)」16条に明記されている「権利保障」と「権力分立」の概念は、近代立憲主義の下での憲法を支える主要な構成原理である。この「フランス人権宣言」は、英国の1215年の「マグナ・カルタ(大憲章)」と身分制議会に象徴される中世立憲主義の伝統と、連続していると同時に断絶している。英国の「市民革命」期には、この「マグナ・カルタ」が議会の反王権闘争のシンボル的機能を持ち、名誉革命の成果として定められた1689年の「権利章典」では、「人一般」ではなく「聖俗の貴族および庶民」が「彼らの古来の権利と自由」を持つという構成が採られており、我々が学校教育で教わる内容から来る「権利章典」のイメージとは大きく隔たっている。教科書からもたらされるイメージは、今日のリベラル・デモクラシーの「起源」の一つとしての「権利章典」という色に染め上げられたイメージでしかないようである。

 

名誉革命」の成果を弁護する目的で書かれたジョン・ロックの『統治二論』または『国政二論』と訳されているTwo Treatises of Governmentは、この「名誉革命」の意義をロック独自の、しかも、やや強引な解釈を加えることによって、「古来の身分的自由」ではなく「自然状態」の想定を前提とする「諸個人」から出発した体系と位置づけた。ここに、中世立憲主義との切断を見ることができる。テキストを、「敢えて」読み替えることによって、将来世界へ多大な影響を及ぼすことがありうるということを示す例の一つかもしれない。

 

ホッブズの『リヴァイアサン』は、第二部「コモンウェルスについて」の前に、第一部「人間について」を置き、更にその第一部における人間の考察を、第一章「感覚について」から始めている。「社会」を与件とするのではなく、感覚で捉えることの可能な人間諸個人を出発点として社会を考えたのであるが、ホッブズの体系は、諸個人の生存を第一義において国家=リヴァイアサンと諸個人との二極構造を前面に出す体系である。

 

対して、ロックの体系では、諸個人を最優先にするために諸個人の生命・自由・財産を包括するpropertyの保全のために、「自然状態」で手にしていた「自然権」を一部放棄して、「市民社会」ないしは「政治社会」に移行して「政治権力」を創設し、信託(trust)を受けた公権力が寄託者に対して政治責任を負うという近代統治原理の骨格をなす考えが打ち出された。すなわち、「諸個人のproperty保全を目的とする諸個人の同意による統治権力の設定」というロックの説明は、一方で信託目的に適合するよう権力を規制する身分制的分権とは異なる「権力分立」原理と、他方で信託目的違反の場合の最終的責任追及手段としての抵抗権論に結びついていく。実態としては中世立憲主義への復古の形式をとった「革命」を、「敢えて」読み替えによることによって「伝統」との切断を図ったというわけである。

 

英国の事情と違って、フランスでは、初めから「身分的自由」ではない「人」一般の権利としての「人権」が宣言され、身分制三部会ではなく、一院制の「国民議会」が設立される。中世立憲主義において「国王といえども、神と法の下にある」と説かれたのは、王権への権力集中が一元化せず、ローマ教皇を頂点とする位階秩序や封建諸侯あるいは自治都市などが存在し、各々の内部での分散的権力行使が重畳的になっていたことから、結果的に王権の権力行使が実態として制限されていたことの裏返しの表現である。絶対王政とは、まさにそのような分権的重畳的権力を王権に一元化するための模索であったが、結局は多元的身分制秩序が社会編成原理として機能していたがゆえに、権力の集中化が阻まれていた。

 

対して、近代市民革命とりわけフランスの「大革命」は、領有制土地所有と身分制的社会編成原理をともに解体することによって、社会経済と政治の双方の面における大改造をもたらした。そうすることによって、一方では諸個人が「解放」されるとともに、他方で権力の一元化を阻む機構の解体によって、「国民」単位で成立する領域国家の中央集権化が実現した。つまり、自由な諸個人とそれに対質する国家の二極構造が志向されたのが、「フランス革命」であった。それゆえ、この「大革命」では、国家と諸個人の間に介在する「中間団体」は、一方で諸個人の解放を阻むものとして、他方では権力の一元化を阻むものとして、徹底的に敵視されたのである。

 

憲法学の権威で、フランス憲法史にも精通する樋口陽一は、『憲法(第三版)』(創文社)において、次のように述べている。

一方で個人=自由、他方で国家=権力という二極構造図式がこうして成立するが、それはとりもなおさず、近代憲法学の二つの大きな主題である「人権」と「主権」とのあいだの、密接な相互連関と緊張関係が成立するということでもある。すなわち、第一に、身分制原理を否定する国民主権によってはじめて、個人が解放され、人一般の権利としての人権を語るための論理的前提がもたらされた、という相互連関である。第二に、それまで諸個人の解放を妨げていたと同時に保護の楯の役目をもしていた身分制が否定されることによって、いわば裸の個人が集権的な国家と向き合わなければならなくなったことから生ずる、主権と人権のあいだの緊張関係である。

さらに続けて、

一七八九年の『人および市民の諸権利の宣言』は、その一六条の定式化にのっとっていえば、権利保障と権力分立という二つの場面それ自体で、個人対国家の二極構造を、絶対王制下よりもはるかに強くおしすすめた。人一般の権利という観念、および、権力分立機構の中心におかれた議会の国民代表性は、両方あいまって、身分制的諸特権と身分代表の観念にとどめを刺し、近代国民国家の構造を定礎させたからである。このような基礎のうえに成立する近代国民国家の主権性(国家の主権と、国家における国民の主権の二要素をあわせて)は、権力の正統性根拠を君主から国民に転換したということと同時に、-むしろ、それ以前に-、集権的国家と諸個人の二極構造のかたちで個人を析出した-近代憲法の想定する個人対国家の二極構造が権力への制約のとりでを弱めた、とする見地からすると、個人を析出してしまった-、という点で、最も深い意味を持っている。

樋口陽一は、近代国家の二つのモデルとして、「ルソー=ジャコバン型」ないし「ルソー=一般意志モデル」と、「トクヴィル多元主義モデル」を提示している。前者は1789年の「人および市民の諸権利の宣言」に「結社の自由」が明記されていないことに象徴されているように(日本国憲法では、第21条に結社の自由が明記されている)、「中間団体」=結社を諸個人への抑圧機能を持つ集団と捉え、これを原理的に否定する、国家と諸個人だけからなる社会モデルであり、その徹底形態が「ジャコバン主義」である。国民主権という正統性根拠と結びついた国家権力だけを正統なものとみなす考えである。ドイツの公法学カール・シュミットは『憲法理論』において、「フランス革命の偉大さ」と評価する。諸個人と集権的国家の二極構造が、多元的社会編成秩序によって阻まれていた当時のドイツでは実現しづらかったこともあって、政治的統一体としての主権国家のモデルをフランスに見たのである。

 

それに対して後者は、合衆国の伝統に見られるように、国家と諸個人の間に介在する「中間団体」の果たす肯定的役割を重視する。マディソン『ザ・フェデラリスト』は、経済生活における5つの基本的カテゴリーを列挙し、様々な利害対立を調整することこそが近代立法の主目的であると位置づけ、様々な社会的諸権力が各々の意見を背景として法が形成されるという立法過程での諸活動に見られるせめぎあいを承認し、法形成過程における各種団体やコミュニティタウンの自治を強調することで、結社の積極的役割を評価する。フランス人の外交官として合衆国を観察したトクヴィルの『アメリカン・デモクラシー』では、米国社会への辛辣な言辞が目立つ格好になっているものの、この「中間団体」の積極的役割が肯定されている。トクヴィルは、司法権の役割の重視、連邦制と分権の重要性、「中間団体」への積極的評価を表明していた。

 

樋口陽一は、近代的な「強い個人」の析出が日本社会において求められると考え、「ルソー=一般意志モデル」の方を評価する。この観点から、例えば、「八幡製鉄事件」最高裁判決への批判的論評に繋がるのである。会社法や労働法上の論点などが目白押しの事件だが、憲法上の論点となったのは、「法人の人権享有主体性」の問題であった。旧「八幡製鐡株式会社」(現「日本製鐵株式会社」)の取締役が、自由民主党に対して政治資金のための寄付に際して、その金員を会社財産から拠出した行為の是非が問われた事件である。定款所定の目的の範囲外の行為をしたとして、株主の一人が取締役に当該寄付金相当額の金銭を会社へ返納するよう要求した訴訟において、最高裁は、判決主文を導くための理由の中で、法人も権利の性質に応じて人権の享有主体たりえ、民間企業には当然に政治活動の自由があると判示した。日本国憲法の人権論の中でも、この両者の緊張関係は、先の「法人の人権享有主体性」をめぐる議論や、いわゆる「部分社会の法理」をめぐる議論において問題となり、更に統治機構論では、「代表」制論のところで、最も鮮明な形で現れる。

 

ルソーの『社会契約論』は、ホッブズやロックとともに、「社会契約説」の思想家の系譜に位置づけられる割には、なぜか「自然法」や「自然権」についての言及がほとんどないという奇妙なテキストである。第一編において叙述されている、社会契約に至るまでの筋をまとめると、以下のようになるだろう。すなわち、自然的社会と言えるものは唯一「家族」であるが、その「家族」の結合さえも一種の合意によって維持されており、この合意は自由意志を前提とするものの、その自由とは、自己のみが自己保存の手段の判定者となり、自らの主人になるという人間の本性から出てくる。力それ自体は、道徳的意味を持つ権利や義務を生み出す源泉足りえず、正当な権力に対してしか服従義務は生じない。そこで、人間の間の正当な権威は、自然に発生するのではなく、力から生じるものでもなく、合意conventionのみによって生じる。合意といっても正当な合意とそうでないものが区別され、正当な合意であるためには、人間の本性とりわけ自由に基づく必要があり、それを損なうものであってはならない。ルソーは、自由に関して、それを「外的障害の不在」として定義したホッブズとも、また「神の自然法以外の外的強制を受け入れないこと」として定義したロックとも異なり、「自己が自己を支配すること」、すなわち「自己支配」としての自由の概念をルソーは提起した。

 

しかしながら、なぜ人間が自然状態を離れて国家を形成しなければならなくなったのかという問いへの解答は、実のところ、『社会契約論』には触れらていない。辛うじて論じられているところは、『社会契約論』でなく『人間不平等起源論』である。『人間不平等起源論』には、意志の自由とともに自己を発展させる能力、すなわち自己実現の能力が人間の特質として挙げられ、この能力ゆえに、社会状態への移行が必然となるという。しかし、その論証はほとんど成功していない。人間は自然状態から離脱し人為によって悪しき社会状態を作り上げてきたが、いまさら自然状態に回帰することなど不可能であって、人為によってこの悪しき社会状態をより良い社会状態を作り上げること。しかるべき社会契約によって、各構成員の身体と財産を共同の力のすべてをあげて守り保護するような結合の一形式を見出すこと。各人がすべての人々と結びつきながらも自己自身にしか服従せずに自由であること。自然状態の人為的拘束なき自由ではなく、契約後の人為的拘束の下での自由はありうる。しかし、この自由が同じ自由であるとの保証はない。この二つの自由を調停する概念が、「一般意志」である。

 

ルソーによると、我々は身体とすべての力を共同のものとして、「一般意志」の指導の下におく。そして、各構成員を全体の不可分の一部としてひとまとめのものとして受け取る。ルソーにおける社会契約とは、各個人の全面譲渡による共同体形成の契約と言える。つまり、各人の全面的な譲渡によって、誰に対しても平等ということにより、完全な人々の結合がもたらされ、その結果として一つの精神的で集合的な共同体が生まれ、各人はこの結合から生まれた共同体の全体に対して自らを全面譲渡する。各人は、この共同体全体と契約する。この共同体全体は、各人の構成員の特殊人格とは異なる公的人格を持つ。この公的人格は、受動的には「国家」、能動的には「主権者」と呼ばれる。のみならず、共同体の各構成員も主権に参加しその不可分の一部となるときは「市民citoyen」、国家の法に服従するものとしては「臣民sujets」と呼ばれる。

 

ルソーにおいて最も基本的な権利は、確認したように、人が自らの行為を自らで決め、自己が自己を支配する自由、すなわち「自己支配」ないしは「自己統治」としての自由であった。ここから、政治社会を形成する社会契約や人為的合意においても毀損されてはならない基本的価値であることが帰結する。また、この自由に基づき、契約やその他合意が成立し、自然社会にはなかった規範と義務が発生する。契約の拘束力の根拠は、この「自己支配」ないし「自己統治」としての自由にある。それゆえ、自由の課す法のみが正当であり、そのような法に従うことこそが自由であるとの結論に至る。よって、このような自由の概念から、社会契約では共同の保存と、そのための「一般意志」への服従が合意される。結合された共同体の能動的側面が主権者として人格化され、その意志こそが「一般意志」として措定されるのである。

 

ところが、ここには重大な欠陥が潜んでいる。なぜならルソーは、社会の各構成員が不変の「一般意志」を持つとの根拠なき仮定をおいているからである。「一般意志」には法を定立する権限、すなわち立法権が帰属するとはいっても、具体的内容は全く付与されていない。ルソーも薄々認めている通り、「一般意志」に具体的内容を与え、かつそのことを各構成員に認識せしめるには、ある種の「宗教的権威」が要請されざるを得ない。見方によっては、現在の朝鮮民主主義人民共和国における「唯一思想体系」であるチュチェ思想に基づく、「首領」の領導により独裁体制を想起させもしよう。

 

日本国憲法はルソーの思想の影響を受けていると一般に解されているが、大部分は必ずしもルソーの思想の影響を大きく受けているとは言い難い。それどころか寧ろ、明白にルソーの思想と対立するところが多い。問題が顕在化するのは、その主権論においてである。「国民主権論争」で戦わされた一方の学説である杉原泰雄の特殊な学説、すなわち統治権者としての主権者概念を採るものでない限り、ルソーの諸説から日本国憲法を解するわけには到底いかないのである。

 

ここで、憲法制定権力とルソーの「一般意志」についての関係を軽く確認しておきたい。教科書的な事柄から確認しておくと、憲法制定権力は、英語でconstituent power、独語でVerfassunggebende Gewalt、仏語でpouvoir constituantといい、憲法を作る力もしくは法秩序を創造する権力という意味である。法秩序の諸原則を確定し、諸制度を確立する力であるから、芦部信喜の表現を借りれば、「政治と法の交叉点に位する」力であると言えるだろう。

 

カール・シュミットは『憲法論』において、この力を「国家の政治的実存の様式および形態に関する具体的な全体的決断をなす政治的意思である」と説明する。この憲法制定権力は法秩序そのものを創造する権力であるので、当然に一般の実定法規に服さない。だが、それが直ちに「生の実力」であることを是認することに結びつくわけではない、と芦部信喜はシュミットに異議を唱える。つまり、何ら規範的拘束を受けることなき「憲法秩序を自由に左右できる実力」としての憲法制定権力観に同意できないというのである。

 

憲法制定権力の理論は、人民主権論と分かちがたく結びついて展開されてきた。というより、憲法制定権力論を必要としたのは、近代啓蒙期に入り自然法思想が発達するのにともない、例えばルソーの国家論において、peuple(プープル=人民)が政治的単一体として、政治的存在の方法および形式に関する根本的決断を行う使命をもっているということが強調されたように、プープル主権論の確立期においてであった。しかし、ルソー自身は、憲法制定権力論を展開してはいない。のみならず、ルソーのプープル主権論は立法権と機能的に区別された憲法制定権力を認めていない。事実、ルソーの『社会契約論』で展開された民主主義的同一性原理からすれば、主権は立法権の中に吸収・解消されてしまっているからである。

 

憲法制定権力の観念を統一的に体系化したのがシエイエスである(『第三身分とは何か』。なお、芦部信喜憲法制定権力』(東京大学出版会)では、「第三階級」と訳されている)。

憲法は公権力の必要な交流およびその相互の独立を組織し、人間および市民の権利を宣言し拡張し確保することによって、公権力の制限・規制を目的とする。この公権力は、憲法によって組織され規制された権力として意思する権力(立法権)と行動する権力(執行権)に分かれる。これら権力の分立が不均衡や混乱の危険を惹起しないのは、すべての憲法がなによりもまず憲法制定権力を前提にしているからである。

②「憲法はいかなる部分においても憲法制定権力の作品である」。憲法によってつくられた権力、言い換えれば、「いかなる種類の委任された権力も、決して委任の条件を変えることはできない。いかなる方法においても通常の立法権憲法制定権力の行使に介入することはできない。立法権憲法制定権力を行使しないことは基本的な憲法原則である。

③かような憲法制定権力を持っているのは「国民=ナシオン」だけである。このナシオンの憲法制定権力は単一不可分であり、実質的にも手続的にも法的制限には服さない。

 

上記シエイエス憲法制定権力論の主張に対して、芦部は「憲法と通常の法律とを厳格に区別するアメリカ形式と、すべての国家意思の源泉をプープルに帰一せしめるルソーの実質をとって、これを新しい概念に組み立てたところに」この考えの特色を見る。もっとも、シエイエスとルソーとでは、以下の点で袂を分かつ。すなわち、シエイエス自然法の存在を認め、国家はプープルの合意によって基礎づけられるという社会契約説に賛同し、したがって憲法制定権力の主体もプープルでしかありえないという結論をとりつつも、ルソーと違って、代表制が必要であることを説く。この点で、シエイエスはプープルではなくナシオンに目を向けるようになる。つまり、憲法制定権力が通常の代表者たる立法機関と異なるreprésentants extraordinairesによって行使されなければならないという点において、ルソーのプープル主権論の本質を維持しているものの、代表制を認める点で決定的に違ってくる。シエイエスは「プープルの意思は法の性格を洗い去った赤裸々な力ではなくそれ自身が既に法」と説いているように、この点でも

主権者がみずから破ることのできない法律をみずからに課するということは政治体の性質に反する・・・。社会契約でさえプープルという団体を拘束するものではない。

とするルソーと酷似している。しかし、ルソーは、憲法制定権と憲法改正権とが同じ形式であると捉えている点で、シエイエスとは完全に異なる。プレローが言うところの、théorie du pouvoir spontané de révisionとthéorie du parallélisme des formesとの区別である。

 

では、なぜルソーにおいて、憲法制定権力と憲法改正権の区別がなされなかったのか?同義反復的表現になるが、ルソーの体系においては主権を持つプープルが全ての権力を保有するということになっている。そして立法権の創作物たる法律は、プープルの一般意志の表明として憲法とは別異に解されなかったのである。この点につき、ドイツの憲法学者ヘンケは、Die Verfassunggebende Gewalt des deutschen Volkesにおいて、「憲法制定権力と国家権力は、国民の全権すなわち国民主権の中に結合する。したがって、この二つを区別し対立的に認識することは不可能になる」と言っている。

 

他方、シュミットは、憲法制定権力を「みずからの政治的実存の様式および形態について具体的な全体的決断をなし、したがって政治的統一体の実存を全体として確定することができる実力または権威を持った政治的意思である」と規定する。かかる前提に立脚して、この決断の所産を憲法Verfassungとする一方で、この憲法の根拠に基づいて妥当し、それを前提とする個々の憲法規定の集合を憲法律Verfassungsgesetzとして区別する。憲法は、規範的正当性とか体系的完結性によって妥当するのではなく、すべての規範化の前に存在し、憲法を制定する者の実存する政治意思によって妥当するというのである。

 

しかも、シュミットにおいては、憲法制定権力の主体はプープルであることもナシオンであることも要しない。政治的実存の特定の様式は、正当化される必要もない。否、正当化することは不可能なのである。ここでジャック・デリダ『法の力』が主題化する「原-暴力」の問題系との邂逅を果たすとも言える。憲法改正権は、この憲法制定権力とは全く異なる概念として厳密に区別され、力そのものの脱人称化さえ果たされる。シュミットによって、あるいはシエイエスのように、プープルと結び付けられた憲法制定権力でも、ルソーのような主権者としてのプープルという考えが一切放棄されたと言えるだろう。

 

逆にルソーは、結局その主権者としての主体を憲法によって構成された権力の主体として措定して、そこからの逆照射によって当該上位概念である主権者を措定する仕掛けを施しているといえる。この逆照射のメカニズムを捉える機能概念として、単なる民意の集約としての「全体意志」とは区別された「一般意志」の概念が理解される。かくして、ルソーにいう「一般意志」とは、人民の「意志」が意識的であるか無意識的であるかに関係なく、何らかの民意の集約作業によって求められたり何らかの仕方で可視化されるといった類の実体概念でも何でもないことが明らかとなる。