shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

常識と保守

「常識」とは何かと問う時、そこに現れた文字だけを頼りにして意味を探ると、「常人でも持っているような知識」となりそうであるが、これだと、"common sense"ではなく"common knowledge"になってしまう。そうすると、"sense"には「知識」という意味はないのではという疑問が生じてしまう。"sense"とは知識ではなく、物事を識別する能力の方を指すのではないかと。だとすれば、「常識」とは、「常人でも持っている、物事を識別する能力」という意味であって、「知識」であることを含意するような理解は誤りであるということになりそうである。

 

哲学・思想史を顧みると、この「常識」という概念の由来はアリストテレス『霊魂論』第二巻・第六章にあるkoinê aisthêsisにあるという通説を踏まえるならば、目や耳あるいは鼻などの五官は、それぞれ個別の感覚として分析的に捉えることは可能ではあるものの、人間の身体全体の中では統一されている。個別的で異質な感覚からの情報をまとめて一つのものとして平衡をとりながら調整することで知覚する能力を、アリストテレスはkoinê aisthêsisと呼んだ。

 

そのkoinê aisthêsisに語源を持つ”common sense”とは、したがって、この平衡のとれた調整機能としての意味合いを持つものとして、とりわけ近世以降の英国において理解されてきた。この"common sense"に欠けることは、人格の統一すら危ぶまれるようになるという意味で、人間をして人間たらしめる重要な要素に欠けることであると考えられるようになった。

 

特に、17世紀から18世紀あたりの英国の思想史を紐解くならば、この「常識」が極めて重要な要素として意味を持ち始めたことが理解できる。というのも、スコットランドでは、この「常識」とはかけ離れた極端な主観主義や観念論が幅を利かすようになったからである。

 

ロックは、「熱さ」や「冷たさ」あるいは「甘さ」や「辛さ」といった「第二性質」を単なる観念や印象に分類し、バークレーは、それをさらに進めて、外延や形態などの「第一性質」までをも観念か精神のもたらすものとしてみなすに至った。ヒュームは、さらにバークレーの「精神」まで否定したので、この世にあるものは観念と印象だけという、極めて奇妙でかつ不自然なことになってしまったと受け取られた。サミュエル・ジョンソンは、バークレーと会った帰り際に、次のような嫌味を残したと伝えられている。

バークレー僧正、帰らないでください。あなたが私の目の前からいなくなることは、ご自身の説によれば、あなたご自身が消滅してしまうことになりましょう。私は、あなたにこの世から消えてもらいたくないのです。

こうした観念論の隆盛に対して最も強い反動が見られたのが、ヒュームの出身地でもあるスコットランドであった。いわゆる「スコットランド常識学派」の誕生である。18世紀の「スコットランド常識学派」の中心人物であるトマス・リードに言わせると、ヒュームの観念論は、最終的には帰謬法(背理法)になるというのである。帰謬法すなわちreductio ad absurdumとは、アリストテレス論理学に由来するものであるが、ある命題を真であると仮定して推論していくと矛盾した結論に至らざるをえないことを示すことによって初めに仮定された命題が偽であることを論証する方法である(仮定された命題が真であることを証明する方法ではない)。

 

ヒュームに対する常識学派からの反論は、ヒュームの説を推し進めていくと、この宇宙の中には観念と印象だけしかなくなり、実体を備えたものは何もなくなってしまう。人間の場合も、頭の中に浮かぶ観念や印象はあっても、その人の頭もなければ肉体も実在しないことになる。これは馬鹿げた話なので、観念論の結論自体が観念論の出発点が間違っていることを証明しているのであると。この反論が成功しているか否かは疑問符がつくので、いずれが正しいかをこの場で結論づけるわけにはいかない。

 

19世紀になると、Anglo-HegelianないしNeo-Hegelianと呼ばれる、妙なことを言い出す連中が出てきたが、中でもオックスフォードのフランシス・ブラッドレイの『現象と実在Appearance and Reality』がその代表である。これに対し、ムーアが「観念論論駁」において、「外界の存在」を否定する議論が論理矛盾に陥らざるを得ないことを示すことを通じて、「常識」を擁護する主張を展開した(僕は、ムーアの「観念論論駁」は読んだことがあるが、ブラッドレイの著作は読んだことがない)。面白いことに、「常識」への懐疑論も、「常識」の擁護論も、英国においては保守主義の弁証に帰結したというのが興味深い。

 

ヒュームの懐疑論は、「方法としての懐疑」を通じて、寧ろ「常識」の土壌である「伝統」を擁護する立論としても読めるし、「常識」の擁護をしたムーアも、これまで直接的な保守主義的言説を残しているわけではないにせよ、やはり基本は、英国の伝統的な保守主義を下支えする機能を果たしている。ウィトゲンシュタインの後期に見られる哲学も、もちろん政治的な保守思想を喧伝するものではないにせよ、保守主義の社会理論の哲学的根拠を提供するものとして読む者がいてもおかしくはない。

 

日本のみならず、諸外国でも、「保守主義」ということで首尾一貫した思想的特徴が定義できるわけではないとする議論が一般的である。中には、「保守主義」でも、「社会学保守主義」、「審美的保守主義」、「性向的保守主義」、「方法的保守主義」と多元的に「保守主義」に接近しながら、「政治的保守主義」に共通する特徴を取り出そうとする試みもあるが、これと言って説得的な主張にはお目にかからない。寧ろ単純に、「常識」が、人間の社会が維持されていくため「安全装置」のように機能しているという厳然たる事実を直視することの方が重要である。

 

「常識」の効用は頗る大きいと言わねばならない。但し要注意なのは、この「常識」にどこまでの内包を読み取るかということである。もちろん、それ自体が「常識」に依拠する側面もあるので、厳格に解するならば、「論点先取」の構造になっていること否めない。この「常識」を敢えて懐疑にさらす営みも哲学ならば、同時に「常識」の効用の重要性を指摘する営みも哲学であると考えると、哲学の一部門である倫理学は、一見して前者の営みのように見えるものの、実は後者の営みであることもある。

 

いかなる国家形態も、功の側面と罪の側面を持っている。ネイション・ステイトも、その例外ではない。ネイション・ステイトにおけるネイション=国民とマスとしての大衆は同義ではないが、国民の政治参加の権利が強調されていくに連れ、「国民化」と「大衆化」の動きは、区別がつきがたく連動していった。mass mobilizationが日常化し、いざ戦争になると「総力戦」化せざるを得ないものだから、その結末は悲惨なものになる。

 

国民を戦争に駆り立てるmass mobilizationを、その政治運動に利用したのが左翼である。否、左翼とは、mass mobilizationの中で生まれ出てきた「鬼子」と言った方が正確かもしれない。前衛党を自称する政党が、影響力を及ぼしている労働組合の組合員を動員してデモをしている姿は、日本の都市に住む者なら見たことがあるだろう。殊更に「敵」を拵え、それへの憎悪を徒に掻き立て、声高に独り善がりの珍説・妄説を絶唱し、思想を一色に染め上げようとする態度には、「保守的精神」は見られない。中には、「保守」を自称しながら、在日コリアンに対する排外的な言動を繰り返している連中もいるが、これも「保守的精神」とは些かの共通性がない。

 

確かに、左翼は概して頭が悪い。しかし、その左翼を単に攻撃していれば保守であるかのような錯覚に憑りつかれている者たちは、その「頭の悪さ」が伝染して、同じようなことをしている「ミイラ取り」になってしまっていることを失念している。

 

「論客」として三流・四流の能無しが徒党を組んで保守「論壇」を荒らし回り、頭の悪い新興宗教の信者を動員した集会で奇声を上げて講演料稼ぎに精を出しながら、日本という国を蝕もうとしている姿は醜悪である。中韓には毅然とした対応をと息巻きながら(実際は、中韓に毅然とした対応をしているどころか、理不尽な目に遭っていても「事なかれ主義」で、何もしていない)、米国には毅然として屈従することを恥としない。

 

「保守」の質の劣化は、左派の質の劣化と歩調を合わせてきた。もはや「保守」の名に値しない夜郎自大な妄想狂の戯言が誌面に踊り出し、悪質なデマ雑誌まで氾濫する有様。伝統と乖離した、古典の教養すら皆無の斉東野人や米国の御殿女中のような連中が、悪質なデマゴーグと化している。

 

福田恆存は、『福田恆存評論集』(麗澤大学出版会)第五巻所収の「私の保守主義観」という短い文章で次のように述べている。

私の生き方ないし考へ方の根本は保守的であるが、自分を保守主義者とは考へない。革新派が改革主義を掲げるやうには、保守派は保守主義を奉じるべきではないと思ふからだ。

保守とは、首尾一貫したイデオロギーでもなければ、そのもとに結集した者の集まりでもない。したがって、「保守主義」ないし「保守主義者」という言葉は、文脈次第で他に適切な用語が見当たらない場合に「とりあえず」に宛がわれた符牒にすぎず、本来ならば、「保守主義」という用語は相応しくない。ただ、辛うじて言えることは、「保守的精神」ないしは「保守的態度」のみである。それが、イデオロギー的仮構と化した「保守主義」となるならば、それはもはや保守とは遠い隔たった場所にある。

 

制度的な圧迫や、知的力技を誇示することで相手の沈黙と屈服を強いる狡猾な言葉に対する抵抗の精神の働きにしか保守は宿らない。平衡感覚としての「常識」に還ることである。「常識の働きが貴いのは、刻々に新たに、微妙に動く対象に即してまるで行動するやうに考へてゐるところにある」(小林秀雄「常識」)。小林秀雄本居宣長』(新潮社)の一節にはこうある。

心が行為のうちに解消し難い時、心は心を見るやうに促される。心と行為との間のへだたりが、即ち意識と呼べるとさへ言へよう。宣長が「あはれ」を論ずる「本」と言ふ時、ひそかに考へてゐたのはその事だ。生活感情の流れに、身をまかせてゐれば、ある時は浅く、ある時は深く、おのづから意識される、さういふ生活感情の本性への見通しなのである。・・・この誠実な思想家は、言はば、自分の身丈に、しつくり合つた思想しか、決して語らなかつた。その思想は、知的に構成されてはゐるが、又、生活感情に染められた文体であしか表現できぬものでもあつた。この困難は、彼によく意識されてゐた。