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『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

現代のマルコポーロ

ライプニッツは『クラークとの往復書簡』において、空間・時間の存在に関して絶対説を採るニュートン(その代弁者サミュエル・クラーク)に対し、関係説の立場を擁護した。この関係説によると、時間は同時に存在しない諸点の順序であり、一方の他方の比率である。

 

空間は、同時に存在し相互作用によって接続されている諸点の順序である。空間は、全ての点とそれらの関係の集合に過ぎない。位置とは、異なる既存の点に対して異なる瞬間に同じ点が存在するという関係であり、いくつかの特定の点との共存関係は完全に一致する。ある点から別の点への関係を変更すると、点はその位置を変更する。

 

運動とは、時間経過に伴う位置の変化である。空間と時間についての同様の定義は、ライプニッツの数学の哲学に関する論文「数学の形而上学的原理」で与えられており、そこでは、時間と空間の大きさとしての持続時間と延長の概念が追加されている。

 

米国の科学哲学者ジョン・アーマンは、その著書World enough and space-time, MIT Press.において、次のように指摘している。

1680年代から、ライプニッツが、特に空間と時間、そして十分に根拠づけられた現象について言及している箇所がある。しかし、その箇所は、観念論のパズルを複雑にしているように見えるだけである。このパズルは、ライプニッツモナド、十分に根拠づけられた現象、そして「観念」・「中立」・「想像」と様々にラベル付けされたものからなる第三の領域からなる三分法を利用し始める1690年代には、以前のような文言が姿を消し、それによって、このパズルは氷解した。ライプニッツの後の著作では、空間と時間は、この第三の領域に限定されている。

アーマンの解釈によれば、ライプニッツの空間と時間の概念は、形而上学的レベルにも現象的レベルの観察と測定にも対応していないが、ライプニッツが観念と呼んでいる中間レベルの知識に対応しており、それを理論レベルと呼んでいる。存在論において、ライプニッツは「モナドジー」を提示したわけだが、このモナドは、この理論レベルにおける幾何学的点に対応すると同時に、実体的形相を持つ物体の形而上学的統一でもある。

 

バリエーションは多岐に及ぶものの、ライプニッツの関係説の路線を継承する現代の著名な理論物理学者は数多く存在する。カルロ・ロヴェッリやジュリアン・バーバーは、その代表であろう。ロヴェッリやバーバーの路線は広く知れ渡っている(といっても、ロヴェッリとバーバーでは、時間と変化の関係について根本から違った見方をしているように思われるが)。彼らの著作は漸く、その一般向け著作のいくつが日本語に訳されているが(但し、訳文を一瞥すると、非常にまずい訳である。特に、バーバーのThe End of Timeの日本語訳はかなりヤバい。バーバーの書く英文はかなり平易な表現が用いられているので、原書で読んだ方がよいだろう)、やや立ち入って知りたければ、本人の論文を読むに越したことはないが、より理解する助けにぬるのが、ロヴェッリの場合だと、哲学者バス・ファン=フラーセンによる“Rovelli's World”という論文である(一部に、テンソル解析の知識が必要な箇所があるが、テンソル解析すら知らずして一般相対論を理解することなど不可能だから、その時点で、時空の存在論について云々すること自体が論外。多くの教科書があるのだから、それを読む作業を惜しまないこと)。

 

同じ広義の関係説に位置付けられると言っても、ロヴェッリやバーバーとは一線を画した異なる路線を追求する者も存在する。中でも、ロバート・フィンケルシュタイン、ラファエル・ソーキンの影響を深く受けているフォッティーニ・マルコポーロ女史の議論が、僕のような物理学にも哲学にも不案内な素人から見ても、物理学的な観点、哲学的な観点双方から極めて興味深い主張を展開している。

 

ユダヤ系物理学者の傾向なのだろうか、(名前からして、明らかにそうであろう)フィンケルシュタインという人もその例に漏れず、極めて抽象的な思考をする物理学者として著名である(ユダヤ系ではないが、極度に抽象的な思考をする物理学者が、カトリックの信徒で神学に関する論文やら、ジェレミー・バターフィールドなどの科学哲学者との共著論文やら、数多の論文を書いている英国のクリストファー・アイシャムである。確か、アイシャムの著作は量子力学の教科書の邦訳があったかと思う。といっても、並みの教科書のような「使用手引書」ではなく、基礎的な概念についての哲学的問題意識に貫かれた教科書)。

 

フィンケルシュタインによると、世界は量子過程のネットワークによって表され、チェッカーボード・トポロジーで構造を形成する唯一の基本的な接続要素としてテトラッドから構築されている。ここでは、チェッカーボードは、時空多様体の基礎となる構造を構成し、この離散構造は、素粒子の変位と相互作用が起こる「アリーナ」と見なすことができる。チェッカーボードで個別のステップを進めると、新たなテトラッドが現れ、ネットワーク内での伝播が発生する。フィンケルシュタインが展開した、こうしたモナドの概念から始まる過程の存在論は、空間と時間の構造についてのライプニッツの考えを想起させるだろう。それゆえ、フィンケルスタインの議論は、空間と時間の存在を前提とはしていない。

 

離散的な事象集合の要素間の因果関係を考慮したスピンネットワークのいくつかのバリエーションを扱うソーキンとマルコポーロは、連続的空間の根底には離散的実在があるという仮説を立てる。この「実在」とは、因果集合のことである。ソーキンによると、それはリーマンの離散的な多様体概念にその沿革を持つ。この場合、そのメトリック関係の原理は、多様体自体の概念に既に含まれている。ソーキンがインターネット上に公開している論文 “Causal sets: Discrete Gravity”によると、

因果集合は、時空の深層構造であることを意味する。時空は十分に小さなスケールでは存在しなくなり、それは連続体が粗視化された巨視的な近似にすぎず、順序付けられた離散構造に取って代わられる。

因果集合を仮定するソーキンの議論は、自然のすべての知識が実験データを観察する一連の操作に還元されるという、科学の操作主義的見解に対する反応でもあったようだ。ソーキンは、因果集合は実在の基盤であり、我々の部分的な実験とは無関係に存在し、因果集合の要素は実在であり、長さと時間の概念はいくつかの基本的な実体間の関係から生じるという存在論的見解を主張した。

 

リーマンによって提案された空間の離散構造は、4次元の平坦な時空の幾何学が基礎となる点集合と点間の順序関係からのみ構成できる。実は、科学哲学者ハンス・ライヘンバッハが既に、この点についてAxiomatization of the theory of relativityにおいて指摘していたのが興味深い。ライヘンバッハの科学哲学観や頻度説に立つ確率解釈や、有名な「共通原因原理Principle of Common Cause」などについては留保抜きで賛同するわけには行かないが、総じてみた場合、やはりライヘンバッハという人は偉大な哲学者だったというべきだろう。

 

フィンケルシュタインが提示した因果集合のモデルは、その数学的構造として、因果集合は局所的有限順序集合、つまりは、以下の3つの特性を持つ2値先行関係<を持つ集合C<である。

①推移性:(∀x、y、z∈C<)(x < y <z⇒x<z)、

②非反射性(∀x∈C)(x≮x)、

③局所的有限性:(∀x、z∈C<)(card {y∈C<| x <y <z} <∞ )

である。離散因果集合を連続時空と比較するために、ソーキンは、

(i)離散内の点間の因果関係が連続で保持され、

(ii)埋め込まれた点が均一に分散されるように埋め込みを導入する。

これらの条件が満たされる場合、それぞれが1点に対応するように連続多様体を分解する。このようにして、リーマンの基準が満たされるという方向である。

 

マルコポーロは、プランク・スケールでの基礎となる実在は離散的であり、因果関係を備えたスピンネットワークによって説明できるという仮説を立てる。これは、ループ量子重力の意味での一般相対性理論正準量子化に適している。

 

ループ量子重力は、スピンネットワークと呼ばれる基本的な状態の観点から空間の量子幾何学の正確な微視的記述を提供している。動力学は、スピンネットワークに沿った局所的な運動の振幅に関して定義された経路積分で表される。マルコポーロによると、この構造は、プランク・スケールでは幾何学が離散的であることを示唆している。それに加えて、理論は背景独立的であり、既存の時空は存在しない。

 

ループ量子重力の主な問題の1つは、低エネルギー限界の問題である。低エネルギーでの基本的な組み合わせの動力学から、古典的な時空と一般相対性理論の動力学を出現させる必要がある。

 

マルコポーロは、時空の微視的構造のモデルと共通するいくつかの特徴を以下の通りに要約した。

プランクスケールに近いエネルギーでは、宇宙は離散的である。

②因果関係は存続する。宇宙は、ソーキンらによって提示された因果集合の規則によって記述される。

量子論は、このレベルでもまだ有効である。

④モデルは、背景独立的である必要がある。

 

Science and ultimate reality: quantum theory, cosmology and complexity,Cambridge.U.P.所収の論文“Planck-scale models of the universe”や、その他“Quantum causal histories”において、マルコポーロは、量子論的因果関係の歴史を構築するために、因果集合を次の形で導入する。

①因果集合。これは部分的に順序付けられた集合で、局所的に有限な集合{C、

②因果的過去:{r | r <p、r∈C<}≡P(p)、

③因果的未来:{q | p <q、q∈C<}≡F(p)

である。P(p)のすべての事象がaに関係している場合、集合aはpの過去である。また、F(p)のすべての事象がbに関係している場合、集合bはpの未来である。aがbの過去であり、bがaの未来である場合、2つの集合a y bは完全なペアである。

 

量子因果集合とは、基本系を表す因果集合の各事象にヒルベルト空間を付加したものである。量子因果歴史において、量子因果集合の進展は、完全なペアのヒルベルト空間間のユニタリーな作用素によって実装される。量子スピンネットワークは、局所的移動を繰り返す、あるスピンネットワークの別のスピンネットワークへの移動である。ヒルベルト空間と因果関係の演算子を使用した量子因果歴史では、基礎となる因果集合を厳密に保つ。存在論的に背景独立的な量子時空は、操作によって結合された開放系の集合で構成されており、ユニタリーな進展は完全なペアに対してのみ生じる。

 

ピンフォーム・モデルには、重要な特性がある。それは、背景独立的な量子重力モデルだということである。それは、空間的・時間的な幾何学を参照せずに、基礎となるプランクスケールの量子系から始まる。幾何学は、部分系とその関係を使用することによって定義されるというわけだ(量子幾何学と重力の両方が低エネルギーの連続限界として現れる)。空間的および時間的距離は、系内の観測者によって内部的に定義される。マルコポーロは、

理論は、その基本的な量と概念が特定の時空メトリックの存在を前提としない場合、それは背景独立的である。

であると言う。

 

物理的世界の理解における人間の知識の3つのレベルは、

(レベル①)距離、間隔、質量、事象、力など、我々の感覚と知覚によって与えられる物理量についての知識。

(レベル②)理論モデル。これは、測定値とそれらの間の数値関係によって与えられるメトリックの性質の一般化の理論モデル。

(レベル③)我々の意識によって与えられた物理的世界の存在論的特性を表す基本的な概念についての知識。

 

問題は、この3つのレベルの間を接続する必要があるということである。量子力学では、(レベル②)の微視的物理学の理論モデルは、対応則によって、(レベル①)の観測可能量に関連づけられている。(レベル③)を(レベル②)に接続する必要があることを受け入れる場合、当面の問いは、理論の構築を管理するルールの正当性について問うことである。例えば、量子力学相対性理論の統合は、それらが属する(レベル②)で行う必要があるが、基礎となる存在論的概念は、(レベル③)から取得する必要がある。

 

しかし、次の疑問を提起することができるだろう。(レベル①)では、原始的概念から派生した概念が見つかる。「新科学哲学」のハンソンらによって主張される観察の理論負荷性のテーゼを是とするならば、単純な観察が原始的であるかどうかを判断することはほとんど不可能である。なぜなら、それは我々がそれを定義するために使用した実験のタイプに依存するからである。

 

では、空間と時間の概念は原始的概念か、それとも派生概念か。絶対説では、空間は粒子が移動するコンテナのようなものであり、時間は運動とは独立な実体である。したがって、空間と時間は原始的な概念であり、粒子がない場合にも考えることができる。対して関係説では、空間と時間はいくつかの基本的な対象の関係の集合で構成されている。この場合に、派生的に空間と時間の概念が導き出される。つまり、マルコポーロが説明するように、時空幾何学は派生概念である。これは、空間的および時間的距離が系内の観測者によって内部的に定義されるという関係性から来る結論である。

 

マルコポーロの言う時空の形式的構造の構築は、以下の手順で進行する。まず我々は、それらの間で作用し、関係のネットワークを生み出す一連の基本的な対象を考えることができる。(レベル②)で対象を物理的世界の要素と見なすと、対象はどこにも存在しない。具体的に言うと、単純なネットワークとして3次元の立方格子を利用する。ネットワークは、三角形、準周期的、またはランダム格子など、様々な構造で取見られる。ユークリッド幾何学との接続を確立するために簡便を期して、相互作用する点の無限集合を取るとしよう。すべての関係の集合は、次のように定義できる2次元の格子を形成する。

(1)2次元の正方格子の点を通過するのは、2つの異なる主直線のみである(直交直線)。

(2)直交していない2つの主直線は、すべての点が共通または分離している(平行直線)。

これらの2つの定理から、デカルト(離散)座標と、ヒルベルトの仮説を適用できるユークリッド空間を定義できる(但し、連続性の公理を除く)。

 

この2次元空間の構造は、3次元立方格子に簡単に一般化できる。空間の構造に関するこれらの仮定は(レベル②)で与えられているが、それは我々の感覚によって(レベル①)で説明されている物理的空間の特性に対応している。時空の物理的構造を、基本的な実体間の相互関係のネットワークに置き換えたのである。

 

この時空の性質を見ていくと、(レベル②)の物理的特性が物質的対象の形而上学的原理で解釈される存在論的レベル(レベル③)があると仮定する。因果集合モデルでは、ソーキンは、物理理論が3つの段階を経過することを前提としていた。特定の「物質」または物質のタイプが、特徴的な現象のグループに現れる第1段階である。そして、物質が現象に関連して明確に識別されるのが、第2段階である。この物質を特徴づける包括的な動力学が理解されるのが第3段階である。

 

ソーキンは、操作主義の存在論とは反対に、因果集合の要素は実在であると確信している。したがって、ソーキンのモデルには、現象、物理理論、実在の3つのレベルの知識がある。因果スピンフォーム・モデルと量子論的因果歴史のモデルでは、宇宙の波動関数が存在せず、因果集合のみがある。そして、ヒルベルト空間が因果集合の事象に関連づけられている。

 

これらの2つのモデルは、(レベル①)と(レベル②)に関しては、モデルと非常に似ているが、存在論の解釈が欠けている。時空の解釈に関する認識論的前提では、(レベル②)の理論モデルの存在論的背景として(レベル③)を仮定していた。時空の性質の関係理論では、実体の概念は、モナドや事象など基本的な独立した一意の対象に帰属する必要がある。そして、それらの相互作用は時空の構造をもたらす一連の関係を生じさせる。

 

では、これらの基本的な対象の性質についていくつかの仮説を立てることは可能だろうか?ソーキンの因果集合や、マルコポーロ量子論的因果歴史などは、時空の関係説に基づく理論の、(レベル③)の存在論的背景と見なすことができる。しかし、それでも全体像は完全には把握されない。というのも、因果関係の原理が、古典力学または特殊相対性理論または一般相対性理論に適用される場合、決定論的法則に従うことになっているからである。

 

特定の初期条件下での力学系が与えられると、同じ力が常に同じ効果を生み出す。因果関係の原理を量子効果で実装したい場合は、量子力学の仮定で要求されるように、生成の原因・効果に確率論の法則を導入する必要がある。(レベル③)に戻ると、物質的対象の存在論は、因果関係の原理だけでなく、確率論の法則によっても特徴づけられることになるからである。