shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

和辻倫理学と"airheadness"

小堀桂一郎和辻哲郎と昭和の悲劇-伝統精神の破壊に立ちはだかった知の巨人』(PHP)は、戦前・戦後を通じて時局に便乗して変節することなく、日本の文化・伝統を固守しようと奮闘した知識人の一人として和辻哲郎を取り上げる一方、対照的に、折口信夫鈴木大拙などを、まるで「マッカーサー草案」の内容を事前に聞きつけ、それにあわせるかのごとく自説を変更した宮澤俊義のような変節漢であると言わんばかりに描き出している。しかし、折口信夫に対する批判は、明らかに失当である。

 

肯定するにせよ、否定するにせよ、和辻倫理学の内容に踏み込んだ検討がなされているかのような題の書物であるが、実際には、和辻倫理学についての哲学的分析や思想史的検討は一切なされておらず、和辻哲郎が戦前戦後を通じて変節せずに一貫して日本の文化伝統の良さを守り続けた節操ある者だったという評価を、他の識者と比較して述べ立ているだけであるので、およそ哲学研究ではないことはもちろんのこと、思想史研究としても得られるところは少ないように思われる。

 

もちろん、他の変節漢と比べて和辻が筋を通したとするならば、そうした評価をする著作があっても不思議ではないだろう。ルース・ベネディクト菊と刀』の出鱈目を糾弾する和辻を評価する視点は共有できるものの、だからと言って、直ちに思想の研究として見るならば、やはり評価することはできそうもない。PHP新書として出された著作なので、著者も研究書として世に出す心算は元よりなかったのだろうが、いずれにせよ、本書の言わんとすることは、その硬質な文体にもかかわらず、さして重要な内容とは言い難い(同じPHP新書として出た『靖国神社と日本人』はまともな本であっただけに、本書はそれに比べると、どうしても見劣りすることが否めない)。

 

小堀桂一郎の若い頃の研究、例えば『若き日の森鴎外』(東京大学出版会)は、谷沢永一『雉も鳴かずば』(五月書房)の冒頭の章に書かれた適切な批判を是としてもなお、優れた比較文学の研究書であると認めるに吝かではない。また、国書刊行会から出版された『東京裁判却下未提出弁護側資料』全八巻や、特に重要な資料を一冊にまとめた上で解説を加えた『東京裁判 日本の弁明-「却下未提出弁護側資料」抜粋』(講談社)を労して編集した仕事は評価できる。この書は、米国の連邦上院の軍事外交合同委員会におけるダグラス・マッカーサーの証言も掲載されており、非常にためになるものである。

 

しかし本書は、和辻哲郎のテクストを仔細に読み込み、その思考について検討していくというようなものでもなければ、その歴史を単に追った評伝にもなっていない。ひたすら日本文化の伝統の守護者として描かれているだけで、和辻をいわば「ダシ」にして自説を延々開陳しているだけに終わっている。

 

変節であるかどうかはともかく、そもそも和辻哲郎が筋を通していたかは再検討する必要があって、実際、和辻が節操を曲げなかったと言えるのかについては、やや疑わしい点が残る。子安宣邦の指摘が正しいとするならば、和辻哲郎はその主著である『倫理学』(岩波書店)を戦後に改版する際、自身に都合の悪い文言のいくつかをこっそりとすり替えているからである。

 

更には、和辻哲郎の日本の文化・伝統についての造詣は、その全ての点において必ずしも正解な理解に基づいていたとまでは言えない面もあり、一知半解のまま観念的に捏造された描像に仕立て上げられている側面も多々ある。この点について、和辻哲郎東京帝国大学時代の同窓で、おそらく和辻よりも博識であったカトリック司祭岩下壮一による和辻批判がある。

 

そうした問題も抱えていた和辻哲郎であるが、その主著『倫理学』が畢生の大作であり、近代日本の哲学的思惟を代表する著作の一つであることに異論を挟む者は、ほとんどいないものと思われる。和辻哲郎は、近代日本における倫理学の一つの系譜の起点ともなった、我が国を代表する倫理学者であることに変わりない。そして、熊野純彦が『和辻哲郎文人哲学者の軌跡』(岩波書店)で描いているように、和辻の思考はあくまで日常の生活の襞に入りながら、そこから倫理を昇華させて行き、これまでの規範倫理やメタ倫理では触れられなかった一側面に光を当てる貴重な試みであることは確かである。

 

但し、それゆえにかえって、和辻倫理学は、ontischな記述がontologischな分析と地続きになっており、それゆえ究極的には「現状全面肯定の倫理学」と見間違えてしまいそうになる点である。そうした欠点があるとしてもなお、その魅力が色褪せてはいない。

 

倫理学』は、「人間存在の歴史的風土的構造を明らかにし、国民的存在の世界史における意義と、その当為とを考察したもの」と和辻は言う。この「人間存在の歴史的風土的構造」については、下巻の第四章第二節「人間存在の風土性」の箇所が、次のように記している。

数へ切れぬ世代の人々が、この国土によつて養はれ、この国土の開発と組織のために働らき、さうしてこの国土の土のなかへ帰つていつた。だからそこには祖先の墓があり、祖先以来耕し続けてきた田畑があり、祖先以来漸次発達してきた灌漑組織がある。それは文字通りに「父祖の国」「祖国」である。人々はそこに深い連帯感を抱かざるを得ない。

和辻にとって、「人間」とは、時間的・空間的な構造を持つ人倫的組織を形成する存在である。逆に言えば、時間も空間もそういう人倫的組織の刻印がされたものであって、その固有の歴史性や風土性を無視した時間や空間は抽象の結果でしかない。その歴史性について、和辻は次のように言う。

歴史とは、国家を形成する統一的な人間共同体が、超国家的場面において自己の統一を自覚するとともに、この統一的な共同存在の独特な個性を規定してゐる過去的内容のうちの主要なるものを、共同の知識として何人も参与し得る客観的公共的な形に表現したものである。

そして、風土性については、

国土の成立は一様に広がつてゐる土地の或る一部分に一定の固有な位置、固有な性格、固有な意義を与へるのである。それによつてこの土地は、他の土地と勝手に取りかへることのできぬもの、この位置、この形態において一定の人間存在と不可分の連関を有するもの、従つてこの人間存在に属せざる人間をそこから排除するもの、として公共的に承認される。このやうな土地の限定が人間のうちに醸し出す構造こそ、風土性の問題にほかならないのである。

と述べる。和辻哲郎は、我々人間の日常的生の表現と了解の仕方を媒介として「和辻倫理学」と呼ばれる独特の体系的な倫理学を打ち立てた。

 

和辻にとって、この「生」とは、根源的に「間柄」において存在することを意味し、この「間柄」とは、自己・他者・世間の多義性を持つ「人間」の根本理法とされた。生の根源的な実践的行為連関は、表現と了解において順次発展していく運動である。和辻倫理学の試みは、こうした人間存在の根本構造でありながら、それゆえにむしろ対自化されることのなかったこの過程を主題化した。

 

先ず、「存在」という漢字表現が元来どのような意味を持っていたのかを明らかにするために、「存」と「在」の個々の意義を抽出することから始め、「存」という語の本来の意義が主体的自己把持、忘失に対する把持すなわち生存であり、「在」が主体がある場所に位置していることを指すということが確認される。そこから、「存在」とは、「間柄」としての主体の自己把持、すなわち人間存在の本義たることが立論される(こうした和辻の方法を戸坂潤は『日本イデオロギー論』(岩波書店)所収の論文で痛烈に批判したが、果たしてその批判が正鵠を射た批判であるかは怪しい面もある)。

 

この主体の位置する「場」とは、家族でもあれば、村などの世間であることもあり、このような場所の階層的関係が、人間存在の根本理法が実現されている諸段階に対応すると考えるのが、和辻倫理学の特徴の一つである。この場所の階層的関係が、二人結合としての「夫婦」にはじまり、三人結合としての「親子」、そして順次その公共性の度合いが高まるという構成をとるので、家族、親族、地縁共同体、経済組織、文化共同体、国家といった人倫的組織の階層において全体が捉えられることになる。

 

和辻において「家族」は、二人共同としての「夫婦」、三人共同としての「親子」、同胞共同としての「兄弟姉妹」から構成される。「家」とは、屋根と壁により外部と画された内部空間であって、この内部空間は人々に休息をもたらす場でもある。また、竃をめぐる広い空間と睡眠のための狭い空間に仕切られた生活は、食物を調理してそれをともに食うことにおいて、生命と家政そして財の再生産を共同する場としての人倫的組織の最も基礎的単位を形成する。この意味で、生命と財の再生産を共同する場としての「家」こそ、根本的なものである。

 

この発想に、異性愛を当然の前提として、一夫一婦制を基礎とした近代的家族像と、封建的家族像とが結合した「家族主義」の臭いを嗅ぎ取ることは容易い。この論理は、家族共同体から国家共同体への連続性が見られる和辻倫理学に一貫している論理である。

 

もちろん、こうした「家族主義」は自明なことではなく、伝統的なものとして捉えられがちな家族共同体の描像は、実際は伝統的なそれと乖離した、明治後期から大正期に形成されてきた小ブルジョアのモデル・ファミリーを投影したものでしかない可能性もあろう。その意味では、先述の小堀桂一郎が『和辻哲郎と昭和の悲劇』において批判していた「大正教養主義」に典型的に現れる「大正的なもの」を、和辻哲郎自身が体現していないとも限らない。

 

この「大正的なもの」とは、『近代日本の批評Ⅲ-明治・大正篇』(講談社)所収の蓮實重彦の論文「『大正的』言説と批評」で述べられているように、言葉や概念に対する分析・記述を欠いた抽象的イメージが納得の風土の只中で流通するだけで人々がわかったつもりになっている状況を指して抽出された概念である。蓮實重彦に言わせると、生田長江に典型的に見られるこの「大正的なもの」から辛うじて逃れているごく少数の者として、柳田國男折口信夫の2人を取り上げていたはず。この蓮實の言に従うならば、むしろ和辻哲郎こそが「大正的なもの」の圏域に収まっていることになるはずだが、そうなると、ともに「大正教養主義」に否定的なはずの小堀と蓮實は、真逆の評価を下すことになろうか。

 

生命と財の再生産を共同する場としての「家」こそが根本的なものであると考え、「家族共同体」と、その同心円的延長の果てとしての「国家共同体」という連続性の相で把握する和辻倫理学に対して、その範型に収まりがつきにくい存在を対置することで、それがどのような変容を被るか、あるいは些かも影響を受けることがないのかを考えることを通じて、新しい社会存在論ないしは倫理が展望できるかもしれない。そう、素人ながら思うわけだが、どうだろうか。和辻が我が国の文化・伝統に精通しているのなら、『倫理学』の想定する家族共同体が一面的に過ぎることぐらいは承知していたはず。

 

例えば、我が国には、外国に比べて豊富な男色文化の歴史があるわけだし、それを記録した文書も数多く残っている。特に、武士道華やかなりし戦国の世では、男色が武士の中では当然の慣わしでもあったとされる。織田信長森蘭丸武田信玄高坂弾正の関係は恋文まで残されているほどである。最近でも、伊達政宗が、他の男に浮気したとして拗ねてしまった者に宛てた弁明の書も見つかったくらいである。江戸期の文治政治になった頃にも若衆宿があって、吉原の女郎よりも高い銭を出さねならないほど人気で、あまりの混乱ぶりに困り果てた幕府は、若衆宿を禁止してしまったというのだから驚きだ。旗本奴や町奴など不良の集まりである愚連隊は、男子が化粧をして奇抜な衣装を身にまといながら暴れ回わり、夜は夜で互いの肉体を貪り合う関係が見られ、風紀紊乱を諌めたい幕府を悩ました。山本常朝『葉隠』にも、荒々しい若武者へのほとんど同性愛的とも言える視線を感じることができるだろう。

 

寛永年間に著されたとされる『田夫物語』には、想いを潜める男との逢瀬を神仏に祈り、願いが成就しなかったとなると、自らの腕を切ったり、足の腿を突き破る者まで現れたとの記載がある。「何も、そこまですることはねぇだろう」というのが、軽重浮薄な者としての率直な感想なのだが、男が男を取り合ういざこざが絶えなかったという時代だったことを考えると、別に驚くようなことではないのかもしれない。

 

この『田夫物語』は、男が「男色派」と「女色派」に分かれて喧嘩を始めたので、中立を自称する著者が間に入って双方の言い分を聞くという体裁をとっている。それぞれの言い分が面白いのだが、中でも興味をひくのは、「男色派」を「華奢で風流な伊達者」とし、女色派を「田夫者」として表現していることである。だから著者は、どうやら「隠れ男色派」なのかと思いきや、さにあらず。男性同士の性交または性交類似行為の経験はなかったらしい。おそらく、行動するにまでは至らなかったが、精神的に男色に憧れているというだけだったのだろう。

 

この物語の最後には、「女色派」がついに伝家の宝刀を抜く。曰く、我が国は、伊邪那岐伊邪那美天の浮橋で交わった以後、男女間の恋愛が連綿と続いてきたのであり、この男女間の恋仲から発展してきた男女関係のあり方や異性・同性との違いに対する考え方が、子孫を持ち家を保ち夫婦のありようをなした人間の基本的な姿を築き支えてきたと言うのである。こうした人間の存在形態の変遷において、なおそこに一貫性を認めることのできるのは、「女色派」の方である。それに比べて、「男色派」は子孫を残せず、また家を保つこともままならぬではないか。大雑把に略すと、そういう反論である。

 

この反論を滑稽であるとして一笑に付しておしまいにするのが、おそらく現代人であろうと想像するが、そう馬鹿にはできない主張である。というのも、人類の政治的・経済的・社会的諸制度やそれに関連する諸々の思想は、ことごとく前世代から次世代への「継承」という時間的連続性を陰に陽に前提することで成り立っている。すなわち、「繁殖」を大前提としたものである。とすれば、「女色派」の言い分に理がありそうに思えてしまう。

 

日本社会において長く見られた男色文化を和辻倫理学の中に位置づけるとすれば、ともすれば、それが和辻倫理学体系を自壊させるだけの「トロイの木馬」となるのかどうか、それはわからない。はっきりしていることは、和辻倫理学における人倫としての共同体の思考が想定している存在は、共同体的規範の関係性に難なく収まる者であって、少なくとも、そこから否応でも逸脱してしまう者の存在に視線が向いていないということである。しかし逆に、この「逸脱」の側面に注視した社会存在論ないしは倫理学を構想するとすればどうだろうか。

 

千葉雅也『動きすぎてはいけない-ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)は、ドゥルーズの思考に含まれるベルグソン的契機とヒューム的契機を取り出し、両者を下手に融合・和解させるのではなく、敢えて対立点を際立たせた上で、後者の持つ思想的可能性を押し広げた社会存在論ないしは倫理学として読むことも許されるだろう。

 

そうすれば、その後に書かれた『意味のない無意味』(河出書房新社)所収のいくつかの論文を、前著で示された思考の方向性をさらに過激に追求した思考の足跡として捉えることができそうである。その極北として、本書所収の論文「あなたにギャル男を愛していないとは言わせない-倒錯の強い定義」が挙げられるだろう。和辻哲郎倫理学、あるいは和辻と一見無関係に見えるものの、通底する親和性を一面で持つ廣松渉の哲学からは一顧だにされなかったであろう「ギャル男」やその極限形態とも言える「センターGUY」といった存在に肯定的な眼差しを向けたその思考は、それが表象文化論的批評として書かれたものであっても、一つ倫理の構想として読まれる余地がある。

 

共同体規範からして、あまり好ましいものではない、もしくは注目されるに値する存在ではない「どうでもいい存在」として泡やあぶくのように浮遊する彼らの、ともすれば欲望に任せて軽々と規範を逸脱しかねない危なっかしさを肯定する筆致の先に肯定されるのは、"airheadness"=「頭空っぽ性」である。この概念は、「ギャル男」の先鋭的な形態であった「センターGUY」の「頭空っぽ性」と、盛っ髪に現れたエアー感の美学的ないしは表象文化論的な位置づけとして提起された概念だが、同時に社会的に意味づけられた行為の是非弁別とは別の次元での過剰性の表現であり、身体的なレベルにおける、ほとんどナンセンスなまでの自己享楽を肯定する概念として読むこともできなくはない。

 

さらに、極端に解釈すれば、規格化された行為の範疇に収まらないある種の過剰性が、距離や方向感覚を失って散乱するある種の「暴力性」を肯定的に捉えたものでもある。虚実の狭間をどうでもよくたむろしているギャル男のギザギザでスカスカの「盛り」を、関係へのアタッチメント・デタッチメント双方を遊動する「社交性」は、和辻が見つめる共同体的紐帯とは別種のものである。

 

「記号的乱交semiotic promiscruity」であるコラージュとしての「センターGUY」の身体と、「勃起した性器」であると同時に、それを否認的に排除しつつ欲望の理由づけすら遮断するイメージで捉えられたギザギザでスカスカの「盛り」は、「繁殖」とは異質な「絶滅」を経ているかのような「頭空っぽ性airheadness」に即して構想される多孔化された共同性のアレゴリーであると言う。ここに定位して思弁される倫理学があるとするならば、和辻倫理学との間に対決線が引かれることは必至であろう。その意味でも、今のところ「主著」にあたる『動きすぎてはいけない-ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』よりも思想的可能性を押し拡げてくれるものに違いないし、少なくとも僕は、こちらの方が圧倒的なお気に入りなのである。