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『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

真理についてのquid factiとquid juris-「哲学のヤンキー的段階」理解のための予備的考察①

廣松渉は、広く実践哲学・価値哲学・社会哲学・歴史哲学・文化哲学をも論域に収めた哲学体系を打ち立てることにより、「近代的世界観」の地平を超克し、新たな世界観の定礎を目論んだ哲学者であった。この目論見は、哲学の理論的な動機からというより、「資本主義時代に照応するイデオロギー」たる「近代的世界観」の超克は、「現体制の批判者たり、革命的変革の志向者」(廣松渉『新哲学入門』(岩波書店)の最後の一文)としての実践的理由に急かされてのことであったように思われる。『廣松渉著作集(全16巻)』(岩波書店)の巻頭を飾る第1巻に収録されている若き日の代表作『世界の共同主観的存在構造』の冒頭の文章だけでなく、ことあるごとに、廣松はこの点を強調している。『廣松渉コレクション(第5巻)-哲学体系の新視軸』(情況出版)所収の「私にとって哲学とは-既成的世界観への体系的批判」で、以下のように、廣松は述べている。

私にとって“哲学”、それは「近代的世界観」という現体制に照応するイデオロギーの地平に対する“体系的批判”でなければならないと考える次第です。体制内的思想の準位に堕した“既成マルクス主義”の批判をも試みつつ、より広くは「物的世界像」に対する「事的世界観」の体系的論述を私なりに志向してきました。

 

理論的哲学の課題に関して、世界の被媒介的存在構造の究明を第一義と位置づける廣松の思考の根幹は、第1巻「認識的世界の存在構造」、第2巻「実践的世界の存在構造」、第3巻「文化的世界の存在構造」の三部構成として構想された主著『存在と意味-事的世界観の定礎-』という題にも反映されている通り、「近代的世界観」を支える「物的世界像」を批判し、「事的世界観」にとって代わられるべきとの意図を背景にした議論になっている(第3巻は、廣松の若すぎた死によって日の目を見なかったことは、我が国の哲学・思想にとって残念なことである)。『著作集』15巻に収録されている『存在と意味-事的世界観の定礎-(第1巻)』には、次のような記述が見られる。

管見によれば、人類文明はかなりの以前から世界観的次元でのパラダイムの推転局面-十七世紀におけるいわゆる近代的世界観への転換期に次ぐ新たな現代的世界観への転換期-を即自的に径行しつつある。茲に胚胎している新しい世界観的パラダイムを対自化し可及的に定式化すること、これが哲学の今日的一大課題であり、この課題に対して著者なりに応える拙い構案が謂うところの「事的世界観」である。

 

世界の認識論的=存在論的「真実態」を対自化することを目指す廣松は、近代的思考の特徴の一つである「主観-客観」の二元論的図式を批判するため、その前提となる「認識対象-心的内容-認識作用」の三項図式を批判することから始める。この図式においては、対象的事物から認識主体へのと刺激が到来し、当該刺激が知覚心象という形で結像するという仕組みで知覚が成立するという考え方が基底にある。先方に対象が存在し、こちら側の知覚機構内部に写像が形成されるという形で理解される知覚観・意識観を、写真機の構造に例えて「カメラモデルの知覚観」と命名した上で、この図式が成立し得ないことを廣松は論じる。代わって、主観的契機における「能知的誰某-能識的或者」と、客観的契機における「質料的所与-形相的所識」という主客両側の二肢的二重性として把捉される「四肢的構造連関」に基礎を措く「共同主観的」認識構造の定礎を試みる(初期の『世界の共同主観的存在構造』と後期の『存在と意味』とでは、用語が若干異なっている)。

 

この共同主観性論に加え、その斬新なマルクス主義哲学に関する解釈により再定式化された「物象化」概念を活かした「物象化論」及び「物象化理論」の射程を極限にまで拡大させることによって、「実体主義」から「関係の第一次性」に視座を据えた「関係主義」への転換を図る。「近代的世界観」が概ね「実体主義」として特徴づけられる「物的世界像」に彩られるものであるならば、廣松渉が新たな「パラダイム」として措定する「事的世界観」は、「関係の第一次性」の認識による「関係主義」に基礎を置くものでなければならない。かくして、廣松渉独自の哲学体系として定礎される「事的世界観」を構成する「太い幹」を三つにまとめるとするならば、①共同主観性、②関係の第一次性、③物象化というこの3つになるだろう。

 

廣松渉は、特に1845年以降のマルクスエンゲルスこそが、この「近代的世界観」を超克する地平を切り開いたと評価する。マルクスエンゲルスは、その「近代的世界観」を超克する地平を開いたと言えるほどの体系的哲学のテキストを残しはしなかったので、この見解はやや我田引水、牽強付会な感もしないでもないが、何故そう考えるのかが明確に表明されたテキストに、『著作集』第10巻に収録されている『マルクス主義の地平』を挙げることができるだろう。この書は、ロシア・マルクス主義に代表される「客観主義的」解釈及び西欧マルクス主義に代表される「主観主義的」解釈のいずれをも退ける廣松のマルクス解釈の本領が発揮されている。

 

マルクスエンゲルスは、自然と人間を乖離させて考えるフォイエルバッハに対し、『ドイツ・イデオロギー』で、次のように批判している。

フォイエルバッハは、彼をとりまいている感性的世界は決して永遠の昔から直接無媒介的に存在している恒常的に自己同一的な事物なのではなく、産業と社会状態の生産物であるということを理解しない。

フォイエルバッハの哲学には、物理学者や化学者の眼にしか開示されない客観的存在としての自然、あるいは人間とは無関係に永遠の昔から存在している自然という描像が根底にあるが、そういう自然なるものは、人間から切り離して悟性的に抽象化されたフィクションに過ぎない。現実の感性的自然は産業と社会状態の生産物であり、しかも、それが歴史的な生産物であるという意味で、諸世代の全系列の活動の成果である。感性的な労働と創造、この生産こそが現に存在している全感性界の基礎である。自然と言えども、決して生の自然ではない。里山や森林云々と言えども、それは耕作や栽培を通じて「文化」化された人工の所産である。住居、調度、衣服、食品、われわれをとりまく物的世界は、人間の抱く観念の物象化された定在である。人間の歴史に先行するこの自然なるものは、フォイエルバッハが現に生活している自然ではない。

 

対して、マルクスエンゲルスは、「人間から切り離して形而上学的に改作された自然」を原理とする「客観主義」も、「自然から切り離して形而上学的に改作した精神」を原理とする「主観主義」も批判した上で、両者を止揚統一しようとした。人間は、歴史的に送られてくる世界geschichtlich-geschickt-werdende Weltに対して、その関わり方をすら共同主観的・社会的に「存在によって決定」されており、用在的な歴史的世界に被投的に内・存在しつつ対象的活動を営むという「歴史・内・存在」と言うべき存在である。この「歴史・内・存在」の根本的な構えの地平に展らかれる世界は、科学主義的な物在、つまり「人間から切り離して形而上学的に改作された自然」ではなく、歴史的自然=自然的歴史である。人々が、そこにおいて、本源的に共同主観的な在り方で自然を歴史化していく対象的な営みは、歴史的存在被拘束性においてある。このように、廣松はマルクスエンゲルスにおける自然観を捉える。『マルクス主義の地平』において、廣松は以下のように論じる。

マルクス主義唯物論においては、われわれの意識と存在は、いわば函数的連関の項としての構造的契機であって、文字通り弁証法的な動力学において把捉される。そのご登場したいくつかの哲学思想が、フェノメナルな問題場面から出発しつつも、マッハ主義その他において現にみられる通り、フェノメノンの被媒介性を説く段になると、所詮は近世的な主客図式Subject-Objekt-Schemaないし、身心図式Leib-Seele-Schemaを復元してしまうのに対して、マルクス主義唯物論は、人間の在り方を対象的活動として、しかも歴史的・社会的に共同主観化された“被投的な”対象的活動としてとらえ返し、この対象的活動の動力学に即し、そのObjektion-Objektivationに即してフェノメノンの被媒介性を定礎する。その際、「自然のプリオリテートは残るが」、有史以前の歴史化されざる自然というがごときものは「君の頭蓋骨は、かつてたしかに存在はしたが、もはやどこにも存在せぬ」のと同様、もはやどこにも存在せず、即自的な自然Natur an sichとわれわれにとっての自然Natur für sichとの区別だては「人間と自然とを区々別々のものとして考察する限りにおいてしか意味をなさぬ」ことが向自化されている。向自的な自然Natur für sichの被媒介性の解明を志向するに当って、旧来の諸哲学、わけても「近世哲学」は、認識論的に截断した媒介項と被媒介項とを存在的な截断と二重写しにしてしまい、即自的な自然そのもの(科学はこれを究明するものと私念される)を要請するが、マルクス主義唯物論の哲学的世界了解の次元でいえば、如上の悟性的抽象的な截断を固定化しない限りで、天体界のごときも、その実、歴史的・社会的・共同主観的に展らけるNatur für unsである。

 

この廣松の言は、若干言葉を変えながら、様々なテキストで繰り返し説かれている。廣松の重要な著作として、おそらく5本の指に入るであろう『物象化論の構図』(『著作集』第13巻に収録)には、次のように表現されている。

歴史においてはどの段階にあっても、或る物質的な成果、生産諸力の一総体、歴史的に創造された対自然ならびに個人相互間の一関係が見い出される。これは、各世代に先行世代から伝授されるものであるが、このものはなるほど一面では新しい世代によって変様されるとはいえ、他面では当の世代に対してそれ固有の生活諸条件を指定し、この世代に一定の発展、或る特殊な性格を賦与しもするということ、こうして人間が環況を作るのと同様、環況が人間を作るわけである」ということ、人間存在の斯くの如き「歴史的」な在り方に視座を据えて、マルクスエンゲルスは世界を捉え返す。この“歴史・内・存在”ともいうべき在り方にあっては、自然的与件に対する人間の関係は、第一次的には、対象認識というテオレーティッシュな関係ではなく、物質的生活の関心に根差したプラグマティッシュ・プラクティッシュな関与である、そこではまた、汝をはじめ他者との関係は、第一次的には他我としての認知といったスタティックなAnerkennungではなく、物質的生活の場での分業的協働という役割的に編制されたぺルソナ的な関係である。-この対自然的かつ間個人的な関係行為は、即自的には動物においてすら存立しうるにしても、「動物にとっては他のものと関わる彼の関係は関係として存在しない」「動物は対自的には何ものとも“関係”せず、そもそも関係しない」のであって、当の対自然的・間主体的な関係が対自的に存在するのは人間においてのみである。-唯物史観が、上部構造としていわゆる精神文化的次元を視野に配しつつも、さしあたり、物質的な生産と交通の場面に基礎的視座を構えるというのは、人間の対自然的かつ間主体的な関係の基底を如上の視角で観ずることの謂いにほかならない。マルクスエンゲルスは、この視座に構えを執ることによって、先行哲学において初めから抽象態で論件とされていた対自然的関係ならびに間人間的関係を現実的・具体的な相で見据え、人間と自然とを二元的に截断することなく、まさしく動態的な編制の構造に即して捉え返す次第なのである。

 

なお、廣松がマルクスから取り出し、廣松哲学の枢要を占める概念にまで祭り上げられた「物象化」概念の使用の仕方には、若干注意を要することを付言しておくべきだろう。というのも、マルクスが『資本論』で僅かにしか用いていなかった「物象化Versachlichung」に対して、廣松は、あまりに多くの意味を含ませて論じているからである。この「物象化Versachlichung」とは、「物化Verdinglichung」や「物神崇拝Fetischismus」あるいは「物神的性格Fetischcharakter」と密接な関連があるわけだが、廣松のマルクス主義解釈にとっては、後期マルクスと前期マルクスを分かつ一つのメルクマールになっていることから、廣松固有の哲学体系にとっても、「物象化」概念は決定的重要性を担っているはずである。廣松は、『ドイツ・イデオロギー』編輯問題を巡る議論の中で、マルクスが1845年において、それまでのヘーゲル左派の影響下で形成された疎外論の立場を脱却して物象化論の立場を鮮明に打ち立て、既存の世界観とは異なる世界観を宣揚したという意味において、ここに決定的な思想的切断線を入れている。この点は、同じく1845年において認識論的切断を見るルイ・アルチュセールと共通していた。

 

「物象化論」と「物象化理論」とは若干異なり、後者はマルクスの「物象化論」にとどまらず、拡張された一般理論として定立された内容を指す。その関係は、『物象化論の構図』のⅡ「物象化論の構制と射程」と跋文「物象化理論の拡張」を比べてみれば理解されるだろう。同書で廣松は、次のように述べている。

「物象化論の構制」ということは、著者にとって、マルクスの後期思想を理解するうえでの重大な鍵鑰を成すものであり、また、著者自身の構想する社会哲学・歴史哲学・文化哲学の方法論的を成すものである。

 

廣松によると、「物象化」とは、「人と人との社会的関係が、“物と物との関係”ないし“物の具えている性質”ないしは“自立的な物象”の相で現象する事態」である。また、廣松哲学のテーゼの一つ「疎外論から物象化論へ」というテーゼは、「マルクスの物象化論」として以下のように説明されている。『マルクス主義の地平』は、以下のように記している。

マルクスのいう抽象的人間労働は「労働」から諸々の具体的特殊的規定を捨象した「残りかす」ではありえない。抽象的人間労働とは、実は、或る社会的関係-後にふれる通り、それは労働価値説の根本的大前提をなすかの労働配分にかかわるのだが-の物象化的表現なのである。従ってまた、人間労働の物化・凝結・対象化という言い方も、ヘーゲル学派的な意味での「人間の類的本質力としての労働の外化」「疎外」ではなく、社会関係が倒錯視的に物神化された世界了解に即しての、便宜的な言い方にすぎない。『資本論』における物象化論は-これについては立返って論ずべき数々の論点を残しているが、さしあたり本章で着目したコンテクストでいえば-ヘーゲル学派的な、従ってまた、初期マルクス的な疎外論の発想とは異質の地平に立っている。

 

廣松哲学の主眼である「事的世界観」の定礎につき、『廣松渉著作集』第3巻に収録されている『事的世界観への前哨-物象化論の認識論的=存在論的位相』の序文は、以下の通り述べる(但し、この書は、まとまった形で『著作集』に収録されてはおらず、各章がバラバラにされて収録されている。おそらく編集委員会は、限られた予算と制約の中で、どう本書を収めるかに相当苦心したのではないかと想像される)。

著者が先学の正負の遺産に定位して摸索を続けてきたのは「事的世界観」とでも呼びうる観方に照応する新しい世界了解の構図と枠組である。それは、認識論的な射影においては従前の「主観-客観」図式に代えて四肢的構造の範式となって現われ、存在論的な射影においては、対象界における「実体の第一次性」の了解に代えて「関係の第一次性」の対自化となって現われる。

 

廣松渉の認識論の要諦をなす共同主観性論を基礎づける認識における四肢的構造連関とは、対象的側面に定位すれば、主語的指示対象たる与件を述語的表明対象たる「別のあるものetwas Anderes」、「以上のあるものetwas Mehr」として覚識し、主体的側面に定位すれば、自己分裂的自己統一おいてある限りでの主体(単なる私以上のあるもの)に「対して」展かれる認識のあり方である。単刀直入に言うならば、単なる私ではない何者かとしての私に対して、現象がそれ以上・それ以外のものとして覚識されるという在り方を意味する。『世界の共同主観的存在構造』(『廣松渉著作集』(岩波書店)第1巻に収録)には、以下のように説明されている。

フェノメナルな世界は“所与がそれ以上の或るものとして「誰」かとしての或る者に対してある(Gegebenes als etwas Mehr gilt einem als jemandem)というべき、四肢的な構造聯関において存立していること

このフェノメノンが「~に対してある」“主体”が、かれとして登場する「或る者jemand」が不特定多数として現れる場合の判断主観一般は、「所与-所識」構制のもとで成立する限り、既に間主観的=共同主観的に存立していると廣松は指摘する。

 

真理性ないし虚偽性は、「SはPである」または「SはPでない」という判断成態、つまりは「命題」の特徴であるところ、命題的事態が単なる個々人の心理的意識態以上の相として自存化されて認識される所以は、「所与-所識」成態における「所識」的契機が「表象記号-所識」と関連づけられており、かつそのこと故に間主観的=共同主観的に形成されて存立していることに負う。そして、認識の客観的真理性は間主観的=共同主観的に妥当とみなされることに還元される。すなわち<ヒト>一般を自らに内在化させた二重相として存立する個別的主観の判断における正当性は、その内在化された<ヒト>一般の承認が「判断主観一般」の承認として肯定されることによって得られる。『存在と意味-事的世界観の定礎-(第1巻)』(『著作集』第15巻に収録)は、こう指摘する。

判断の現実的当事者である個別的主観は、・・・間主観的に同調的・同型的な相に共同主観的な自己形成を遂げて(遂げさせられて)いる。・・・現実の認識主観たる能知は特個的な「能知的誰某」と普遍的な“同型的”な「能識的或者」との二肢的“成態”であり謂うなれば「ヒト」を“内在化”せしめている。

 

廣松は、判断的認識の真理性・虚偽性を、判断と客観的事象または客観的事態との一致・不一致によって区別する伝統的な真理論の枠組を踏襲し、個別的認識主観が肯定あるいは否定を問わず措定する判断は、客観的な事象や事態と合致する場合を真とし、合致しない場合を偽とみなす判断図式を承認する。しかしながら、この「客観的事象」ないしは「客観的事態」の意味を、別の事態に還元することにおいて承認するという組み換えを行うのである。端的に言うと、客観的真理性を間主観的=共同主観的妥当性判断の一致に還元するという組み換えである。つまり、伝統的な真理論の議論だと、認識の真理性は端的に客観的妥当性を指すと了解されており、意識対象と照合的に合致する意識内容が真なる認識と見なされるところ、廣松はその構図を受け入れたとしても、その受け入れは判断の形式のみの受容に徹している。すなわち廣松の表現では、「判断的成態」と対象となる事態・事象との照合的一致ないし不一致が、真理性・虚偽性の判別基準という考えを受け入れるけれど、実質的には、認識の客観的妥当性とは、意識対象と意識内容の照合的合致ではなく、対象となる事態・事象そのものが、間主観的=共同主観的に形成され、認識論的主観ないしは判断主観一般に妥当する命題的事態なのであるから、認識の客観的妥当性は、判断的成態の対象となる事態に即した共同主観的妥当性に還元されることになる。

さしあたり「事実問題quid facti」の次元で言えば、当の価値判断、遡っては当該の判断が、人々(当人の属する一定の時代の一定の共同世界)によって“公認”されるかどうか、人々との同調性が事実問題として成立しているかどうか、これによって真理性・虚偽性が決まるのである。・・・ここにおいて、判断的認識の真理性・虚偽性は、人々の共同主観性と相対的であり、従って、歴史的・社会的・文化的に相対的であることになる。

 

客観的真理性が間主観的=共同主観的一致に還元され、かつ間主観的=共同主観的妥当性判断が歴史的・社会的・文化的に相対的であるとするならば、廣松自身の理論的営為の真理性を保証するものは何かという疑問が生じるだろう。既存の「真理体系」が、歴史的・社会的・文化的に相対化された共同主観的妥当性判断の一致の所産とみなされるならば、これら体系に対する現在の我々の認識は、「事実問題」としての「真理体系」の認識として考えられる。つまり、ある時代・ある社会・ある文化において「真理」と見なされた体系は、歴史的・社会的・文化的な理由から共同主観的にその妥当性が承認されていたものであるという認識である。

 

しかしながら、これら「真理体系」の誤りを指摘し、あるべき立論を行う場合、少なくとも当事者からすれば、「権利上」の問題としてその真理性を主張しているはずである。そうでなければ、「真理」を探究する際の当為言明は端的に無意味と化すだろう。すなわち、廣松の認識「前」と「後」によって、言明の性質が「事実問題」としての真理に関する言明と、「権利問題quid juris」としての真理に関する当為言明に区別されているわけだ。そのことに関して廣松は自覚的であり、前者のような「事実問題」として「真理」性が承認されている「真理」を「通用的geltend」な真理とし、後者のような「権利問題」として「真理」性が主張されている「真理」を「妥当的gültig」な真理と区別する。

 

だが、この区別によって問題は解決するどころか、なお一層、問題は錯綜するだろう。というのも、この「妥当的gültig」な真理は、現時点より時間的に後の将来において事実性に支えられうることによって初めて、「妥当的gültig」な真理たりうるとの立論であり、「権利性」が将来の「事実性」により根拠づけられるとするなら、任意の時点における「真理」性の主張は、共同体の大多数の承認が得られる時期の到来いかんによって妥当性・不妥当性の区別がされてしまう。

妥当する真理”なるものは、われわれの見地では、それが現実に間主観的同調性を有つかどうかという“事実性”によって“権利づけ”られるのであって、認識(真なる認識)の“権利根拠”なるものは終局的には共同主観性以外のところに求められるべきもない。・・・真理をして真理として成立せしめる間主観的な共同世界は、現実的には歴史的・社会的・文化的に多層的である。・・・“妥当する真理”は“通用”しうる真理としての実を示し、“通用する真理”に成らなければならない。

 

認識の客観的妥当性ないし真理性は、判断的成態の対象となる事態に即した共同主観的妥当性・不妥当性に還元されるとはいっても、廣松は認識における「真理性」に関する言明の、単なる歴史的・社会的・文化的相対性を主張しているわけでも、認識論を事実学に解消しているわけでもない。事実、認識論的議論は、「権利問題」と「事実問題」を分かつことができることを前提とした、前者に関する問題の主題化であるとするというカント的了解を廣松は受け入れている。廣松がカントの影響を多分に受けてその哲学的営為を遂行してきたという事実だけからではなく、当の廣松の哲学観すなわち眼前に開かれる現相的世界がいかにして成立しているかという可能性の条件を問う、世界の被媒介的構造の認識論的究明という理論哲学に課せられた主題を論じてきた事実からも、一先ずそう指摘できそうである。廣松渉東京大学文学部卒業時に提出した論文「認識論的主観に関する一論攷」(『著作集』第16巻に収録)や大学院人文社会系研究科(廣松在籍時には、確か名称が異なっていたように思われるが)に提出した修士論文「カントの『先験的演繹論』」(世界書院)は、カントの問題意識に貫かれた論文であったし、廣松が学生時代に、夏季休暇中に何度もカントの三批判書を読み直す習慣を自らに課していたというエピソードからも、うかがえる。但し、前者と後者の分離は“一応”のものにとどまり、いかなる場面においても明確に区分できるかについて疑問なしとしないというのが、廣松の立場である。

 

では、当為的言明を含む、判断の正当化の可能性の条件をめぐる廣松の議論そのものを正当化する根拠をどこに求めればよいか。廣松の場合、認識の妥当性を保証する審級であるはずの認識論的主観(もちろん、この表現は、あくまで物象化された相において措定されたものであるとの前提である)は、経験的自我と身体を通しての自己分裂的自己統一としての二重性のもとに捉えられ、かつ当該主観すら歴史的・社会的・文化的に共同主観的同型化を経て形成されたものであるので、「真理性」の主張は、事実としての共同的な承認に支えられるわけだが、そう主張する廣松の判断の「真理性」を保証する審級がなければ、現状において、少なくとも廣松の主張を「妥当である」とする共同主観的一致は事実として存在するとは未だ言えないわけだから、何故かかる言明が正しいと言えるのかが不明となろう。

 

この点廣松は、自らの言説に、ある種の認識論的“階梯”を設ける。ある一定の階梯での主張と別の階梯での主張を弁証法止揚の概念を用いて、「学知的反省にとってfür uns」と「当事者意識にとってfür es」の区別を設け、この二層構造が螺旋を描いて上向していく論理を持っていくことで、この問いに応答しようとする。この区別は、例えば、

物象化と呼ばれる事態は、それ自体としては、とりたてて特異なことがらではない。それは日常的意識にとって物象的な存在に思えるものが学理的に反省してみれば、単なる客体的な存在ではなく、いわゆる主観の側の働きをも巻き込んだ関係態の「仮現相(quid pro quo=錯視されたもの)」である事態を指す。

のように用いられ、その論理は、弁証法的展開におけるan sich-für sich-für es-für unsの構制である。ところが同時に、この学知的反省の立脚点たるfür unsすらも相対化にさらされるところに、認識を可能ならしめる条件の歴史的相対化がなされていることが了解される。すなわち、

世界観の地平は歴史的・社会的に相対的であり、学問的な世界観といえども当代の「日常的生活体験」に根ざした「民衆的先入見」(マルクス)の大枠を端的に超出することは不可能であって、結局のところ“世人の日常的な世界了解の構図”を準拠枠frame of referenceにせざるをえない。

学知的反省の立場すなわちfür unsのWirといっても、歴史の中から抜け出ることは不可能であり、歴史的“パラダイム”の変遷の<外>に立脚点を持ちえず、その意味で歴史的相対化の力から自由ではない。「権利」として主張される「妥当的なgültig」真理は、歴史の過程において後の「通用的なgeltend」真理と承認される事実性を持ち得ると考える限りでの「真理性」であるので、逆に言うならば、自ら「妥当的なgültig」真理と呼称することは、歴史を俯瞰した上でこれが将来的に「通用的なgeltend」真理としての事実性を持ち得ることを予見している(少なくとも、予見できたかのように振る舞う)のでなければならないだろう。なぜならば、廣松からすれば「“妥当する真理”なるもの」は、現実に共同主観的同調性を有つかどうかという“事実性”によって“権利づけ”られるのだから。

 

歴史の中に拘束されるとしつつも、歴史の過程の上で、かくあるべき真理が将来的に「真理」として承認されうる事実性を持つことになるとの俯瞰的視点を同時に持たねば、この言明自身無意味と化す。だとするならば、認識の可能性の条件の歴史的相対性は、いかなる真理言明もアプリオリに無意味と化さしめるか、あるいは、あらゆるものを相対化する者の暗黙に前提されている特権的絶対性を、換言すれば、あらゆるものを歴史的相対化にさらし得る者の暗黙に確保された絶対的視点を含み持つと言えないだろうか。標準労働日を巡る問題を論じるマルクス資本論』第1部第3篇第8章では、

どちらも等しく商品交換の法則に保障された同等の権利と権利との数世紀にわたる闘争を決するのはGewalt(暴力)である。

と述べられている。なお、このGewaltを「暴力」ではなく「強力」という訳語を当てるのが日本共産党である。「マルクスレーニン主義」を「科学的社会主義」に、「プロレタリアート独裁」を「プロレタリアート執権」に、「暴力」を「強力」にという風に言葉を誤魔化し、マルクスエンゲルスレーニンのテキストの翻訳を一斉に差し替えることで、何をしたいというのだろうか。「ソフト路線」の甘い仮面を被って無知な大衆をオルグしようとでも言うのだろうか。しかし、こうした態度からイメージされることは、これまでのマルクスレーニン主義者が、自分たちの都合に合わせて「歴史改竄」を厭わなかったという事実である。一早くスターリン批判を展開してきたと言うが、これも歴史的事実に反するし、ソ連崩壊時に「諸手を挙げて歓迎する」と強がっていたものの、直前までは、ゴルバチョフの「新思考外交」を批判していた張本人が日本共産党だったはずだ。スターリンレーニンを切り離して、スターリンだけを断罪し、レーニンを美化して救おうとしているが、果たして、そのような無理筋な理屈をいつまで通し続けられるだろうか、見ものである。今後、レーニンの行いがますます暴露されるようなことにでもなれば、その時は、またどうにかごまかしを図るに違いない。世界で初めて国家規模の「強制収容所」を設けた人物こそ、その人である。宮本顕治チャウシェスクとの懇ろな関係も、いつの間にか消えた。

 

いずれにせよ、正しさと正しさが二律背反の状態に立ち至った時、対立するものの高いレベルの同一性においてVersöhnungもされなければ、Vermittlungもされず、事を決するのは究極的にはGewaltであるということは、「真理」主張の闘争においても等しく当てはまるというのが、geltendとgültigとの闘争として描写する廣松渉の結論なのではないだろうか。仮に、そうだとするならば、廣松哲学は、「革命の哲学」になりうるという主張は、同時に「保守の哲学」にもなりうるという主張をも含意するはずである。