shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

量子ファイナンスの道標

イスラム金融国際教育センター教授で、シンガポール国立大学の執行委員も務めるベラル・エサン・バーキーは、米国のカリフォルニア工科大学コーネル大学理論物理学を専攻し、主に場の量子論を研究した後、ファイナスや経済に興味を持ち、そこに量子力学の数学を応用できないか研究を続けている。一見しただけでは、「トンでも」の類ではないかとの疑念を抱く人がいても不思議ではないが、細木数子六星占術とどう区別してよいのかわからない精神分析のような似非科学というわけでもない。

 

量子ファイナンスに関する2冊の著書、『量子ファイナンス』(Quantum Finance)、『量子ファイナンスにおける利子率とクーポン債』(Interest Rates and Coupon Bonds in Quantum Finance)が Cambridge University Pressから既に出版され、この方面では著名な研究者である。以前、「オススメ4冊」の中で紹介した、3冊目の『経済学とファイナンス理論のための場の量子論』(Quantum Field Theory for Economics and Finance)も同じく Cambridge University Pressから出版された。場の量子論の数学的ツールを経済学やファイナンス理論に応用する方法を紹介するとともに、金融商品を設計するための幅広い数学的手法を提供している。

 

ラグランジアンハミルトニアン、状態空間、作用素ファインマン経路積分の考えは場の量子論の数学的基盤であることが既に実証され、経験的証拠によって検証されている。これを一見無関係な資産価格と利子率に関する包括的な数学的理論を定式化するために、ヘッジファンド業界の一部に採用されつつある。数値計算アルゴリズムとシミュレーションは、資産価格モデルと非線形的利子率の研究に適用され、オプション、クーポン債、ハイリスク債、ミクロ的行動関数など様々なトピックに量子力学的定式化が可能であることが示されている。

 

本書では、場の量子論を様々な経済・金融問題に応用している。ただ、高エネルギー物理学に関係づけられた計算とは全く異にしていることが興味をそそられる点の一つ。場の量子論は高エネルギー物理学への適用のために作られたのであって、オプション・プライシングのために作られたのではない。したがって、各ステップで場の量子論の数学的ツールの理解を修正し、適応させる必要がある。そこが、本書のキモの部分であろう。

 

そこで本書は、場の量子論と経済学やファイナンス理論の諸概念を結びつけることに注力するわけだが、事実、本書の約半分は、経済学とファイナンス理論のモデル研究に割かれ、これらの知識領域間の密接な数学的繋がりが示され、経済学やファイナンス理論への応用の多くを、実証的に検証できるモデルに基づかしめようと努力されている。注目すべき点は、これらのモデルが、ある程度正確であることを実証的検証がなされる準備が整いつつあることである。

 

場の量子論は、科学史上最も正確で重要な科学理論の一つであり、例えば、相対論的量子場は、粒子と相互作用についての標準モデルの理論的背景にある。相対論的・非相対論的量子場は、超弦理論、高エネルギー物理学、固体物理学から物性物理、量子光学、原子核物理、宇宙物理など、理論物理学の無数の分野で広く利用されている。

 

量子力学と場の量子論の形式から生まれた数学は、他の数学の分野とは若干異色で、量子力学の数学と呼ばれ、線形代数関数解析作用素代数、無限次元線形ベクトル空間、確率論、リー群、幾何学トポロジーなどのごたまぜといった様相である。量子力学と場の量子論の数学的基盤の一つに、ファインマン経路積分がある。一般的な関数積分とは異なり、ファインマン経路積分は、経路積分が基底の無限次元の線形ベクトル空間から構築されるという別の重要な特徴を持つ関数積分であり、演算子は、理論物理学の中心演算子であるハミルトニアンを含む、このベクトル空間で定義される。

 

ニュートンによって行われた微積分の最初の応用は、粒子の動力学の研究であり、微積分学はその後、定量モデリングの普遍的言語になった。量子力学の数学は本質的に不確定な量子現象の研究から生まれたが、その数学的構造はその起源に結びついていない。裏返して言えば、それゆえに、場の量子論の数学が量子系だけにとどまらず、自然科学や社会科学にまたがる幅広い分野に応用できることを示していると考える者を生んだとさえ言える。量子力学の数学は、やがて微積分学に取って代わり、定量モデリングと数学的思考の普遍的な枠組みになると考える者もいる。

 

事実、量子物理学以外の量子力学の数学の重要な応用は異なる分野で行われ、多くの画期的な結果をもたらしてきた。つまり、量子力学の数学は量子系のみに限定されることなく、多くの古典的問題にも適用されてきた。有名な例としては、ノーベル物理学賞を受賞したケネス・ウィルソンによる古典的相転移の解法とか、フィールズ賞を授与されたエドワード・ウィッテンによる結び目の3次元における完全分類がある。

 

量子ファイナンスの形式も、この精神の下で展開され、量子力学の数学のファイナンスへの応用に基づいている。2次元量子場は、バーキーによって利子率とクーポン債の分析に適用されている。経済学への応用は、これまたバーキーによって行われ、2次元量子場を利用して先物資産価格のモデル化がなされた。こうした、量子力学の数学をファイナンス理論と経済学の両方に応用する基盤は、利子率と先物資産価格の挙動をモデル化するためのファインマン経路積分の採用である。

 

物理学から経済学やファイナンスへのアイデアの応用は、量子ファイナンスが属するエコノ・フィジックスと呼ばれる新しい分野の創造に繋がった。要は、量子ファイナンスとは、ファイナンスにおける問題を解決するため量子物理学者と経済学者によって発展した理論と方法を応用する学際的研究領域である。

 

古典物理学から量子物理学へと発展したように、計算方法も古典的なものから量子的なものへ発展してきた。量子コンピュータは、量子力学のシミュレーションにおいて、他のいくつかのアルゴリズム、例えば因数分解のためのショアのアルゴリズムや量子探索問題を解くためのグローバーアルゴリズムのように、古典的なコンピューターより優れた結果をもたらしてきた。これらはコンピュテーショナル・ファイナンスの問題を解くための研究を魅力的な領域としている。多くのコンピュテーショナル・ファイナンスの問題は、計算における複雑性の程度が高く、古典的なコンピューターでは解へ収束するのが遅い。特に、オプション・プライシングにおいては、急速に変化する市場に対応するための結果として新たな複雑性が生じている。例えば、不正確に価格付けられた株式オプションから利益を得るためには、ほとんど連続的に変化する市場において次の変化が訪れる前に計算を終わらせなくてはならない。ファイナンス業界はオプション・プライシングにおいて表れるパフォーマンスの問題を克服する方法を常に探しており、このため、ファイナンスに他の計算方法をあてはめる研究が進められている(「やれ、MACDがどうの、移動平均線がどうちゃら、ボリンジャーバンドが云々」と出鱈目な「テクニカル分析」で得意げになっている、そこらのサルみたいな「個人投資家」とは訳が違うのだ)。

 

多くの量子オプション・プライシングの研究は典型的にはシュレーディンガー方程式のような連続方程式の観点から、古典的なブラック=ショールズ=マートンの確率偏微分方程式量子化に焦点を当ててきた。ヘイブンはチェンと他の研究者の研究に基づき、シュレーディンガー方程式の観点から市場を考察している。ヘイブンの業績の主要な成果は、ブラック=ショールズ=マートンの方程式は、実は市場が効率的であると仮定した時のシュレーディンガー方程式の特殊ケースであることを示したことである。ヘイブンが導いたシュレーディンガーに基いた方程式は、パラメーターħh複素共役と混同するべからず!)を持ち、このパラメーターは無限には速くない価格の変化、無限には速くない情報の伝播、投資家間の富の分布を含む様々な要因の結果として市場に現れる裁定量を表現している。ヘイブンはこの値を適切に設定することにより、実際には市場は効率的でないことから、より正確なオプション価格が導けると主張していた。

 

バーキーは、経路積分をいくつかのエキゾチック・オプションに適用し、解析的な結果を得て、それら結果とブラック=ショール=マートンの方程式の結果を比較すると、両者はとても類似していることが分かってきた。ピオトロスキは、オプションの原資産となる株式の挙動に関するブラック=ショールズ=マートンの仮定を変えることで異なるアプローチを取っている。株式がウィーナー過程に従うという仮定の代わりに、ピオトロスキは、株式がオルンシュタイン=ウーレンベック過程に従うと仮定した。この新しい仮定の下で、ヨーロピアン・コールオプションの公式のみならず、量子ファイナンスモデルを導き出した。

 

ハル=ホワイト・モデルのような他のモデルにおいても、利子率デリバティブなどの古典的な設定に対して同じアプローチが用いられている。クレンニコフはヘイブンや他の研究者の業績に基づき、更にブラック=ショールズ=マートン方程式によって作られる市場効率性の仮定は不適切だろうという考えを支持している。この考えを補強する為に、クレンニコフはファイナンスへの量子論の適用に対する批判を克服するための方法として、量子力学の確率における文脈依存性の枠組をもとにしている。アッカーディとブーカスは、ブラック=ショールズ=マートン方程式を量子化し、原資産の株式がブラウン運動ポアソン過程の両方を持つ場合を考慮している。

 

チェンは、量子二項オプション・プライシング・モデル(または量子二項モデルと省略)されるものを提示している。比喩的に述べれば、チェンの量子二項オプション・プライシング・モデルとは、ブラック=ショールズ=マートンのモデルに対するコックス=ロス=ルービンシュタインの二項価格評価モデルのように、既存の量子ファイナンスモデルの結果を変えないまま離散化・単純化したものである。これらの単純化は関連理論を解析しやすくするだけでなく、コンピューターへの実装を容易にする。

 

加えて、心理学、社会科学、意思決定論などへの応用は、社会現象の定量的研究における量子力学の数学の有用性が高まっていることを示している。多くの大学、研究所が量子力学の数学の応用に関する講座を開設し、そこでの研究者は新しい予想外の応用を発見し続けている。非物理学的領域、特に社会経済科学および認知科学における量子構造の同定に関する研究など、量子力学の数学的定式化をミクロの世界以外で用いることが俄かに関心の的とされてきているのだ。

 

前世紀から、21世紀は量子力学的知が全世界を席巻するだろうと予想され、その実、量子情報理論の分野は、各国の覇権をめぐる水面下の戦争にまで発展していると言っても過言ではない。相変わらず日本政府を始めとして、日本人は、右も左も関係なく、ごく一部の例外を除いて、事態がとんでもない状況に及んでいることに気がついている様子がない。中共中央は、サイエンスとファイナンスという二本柱を押さえることで、米国にとって代わって世界の覇権を握るべく、虎視眈々と長期的展望の下、計画を立案、実行に移してきたのだ。数年前、この分野の世界的権威の一人であるアントン・ザイリンガーがノーベル物理学賞を受賞した際に気が付くかと思ったが、どうやら、わが祖国の永田町の盆暗政治屋は事の重大性に気が付かず、しょうもない政争に明け暮れている。売国奴ここに極まれりといったところか(もちろん、ごく僅かながら、この方面に優れた日本の研究者は存在する!)。

 

この分野はまた、リアル・ポリティクスの次元を離れて原理的な次元においても、従来の狭義の量子力学の哲学だけでなく、もっと言えば、形而上学の次元にまで刺激を与え続けている。とりわけ、ライプニッツの哲学は、この量子情報科学の先駆とも言ってもよい思考の枠組みとアイディアを持っていたことが、この方面の一流の学者から注目され始めている。

 

ライプニッツの哲学的著作『モナドジー』を、現代量子物理学におけるいくつかの概念に関係づける議論がその一つ。特に、モナドの性質と素粒子の粒子波動二元論との関連が認められ、物質世界の展開の理由として、隠された顕在化されていない実在に関して思考の類似性を指摘する論文がチラホラ見られるようになっている。「非局所性」という現象は、ライプニッツの著作『モナドジー』で表現された概念との類似点が指摘されている。

 

更に、モナドジーと宇宙のホログラフィック的性質に関する現代の概念との関係についても分析が行われている。信じられないほど洞察力に溢れた先見の明あるライプニッツモナドジーを科学の歴史と哲学の貴重なリソースとし、現代の量子物理学の観点から古典的な哲学的著作の解釈を研究方法として採用した研究にもインスピレーションを与え続けてもいる。20世紀の段階で、例えば、ノーバート・ウィーナーは、ライプニッツを「場の理論の先駆者」とし、「ライプニッツの充足理由律は、量子力学の数学的方法の直接の祖先である」と称賛を惜しまない。クーパーマンによれば、「量子重力論の探求において、ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツの哲学は現代的復活を遂げた」と。

 

他の著者も、ライプニッツモナドジーと現代の量子物理学の明らかな概念的類似性について語っている。ジェーン・マクドネルは、ライプニッツが執筆した『モナドジー』に基づき、特に可能世界に関する純粋に哲学的なテーゼを検討し、現代物理学と数学の理論として登場した量子力学の歴史との類似点を描いて、現実性と可能性の関係の問題を探求している。ベルは、『モナドジー』に見られるライプニッツの空間と時間の概念を、量子力学における非局所性のアイデア形而上学的基礎として解釈している。日本でも、内井惣七ライプニッツの情報物理学-実体と現象をコードでつなぐ』(中央公論社)が斬新な「モナドジーの情報論的解釈」を提示している。坂部恵『ヨーロッパ精神史入門-カロリング・ルネサンスの残光』(岩波書店)にあるように、「ライプニッツは千年単位の天才」というのも宜なるかな

 

閑話休題量子力学の数学は、バーキー『経路積分ハミルトニアン』で議論されている。量子力学の研究とは対照的に、本書は場の量子論の数学の手引きでもある。場の量子論量子力学の違いは、無限に多くの変数、または無限に多くの自由度の結合である。本書の主な目的は、場の量子論の数理をファイナンス理論や経済学の研究者・実務家に紹介することであり、選択されたトピックは、ファイナンス理論と経済学の更なる研究を促進することができる場の量子論の数学的ツールを与えることを目的としている。

 

量子場は量子不確定性を持ち、古典的確率場は古典的ランダム性を持つ。これらの微妙な違いは、量子力学における測定理論の主題である。量子場の経済学とファイナンスへの応用は、すべて確率場の応用である。しかし、確率場と量子場の数学は同一であるため、量子場を量子物理学以外の領域に応用するすべての用途に「量子場」という総称が用いられるというわけである。

 

本書は、すべての導出が第一原理から行われ、しかも包括的な記述がなされているので、本書以外の著書をあれこれ参照する必要まではないが、但し、線形代数微積分学、確率論の実用的な知識を前提としているので、ベーシックな数学の知識がないと皆目理解できないかもしれない。しかし、丁寧な叙述で、しかも簡単な例から始めて、章を追うごとに、より高度なトピックを分析するための基礎を築いていく仕掛けになっているので、ある程度の数学的素養と相応の数学の知識があり、根気強く研究書を読む訓練を積んだ者であるならば、おそらく理解に届くのではないか(更に、これを実務で使いこなそうとなれば、そこから先は一定程度のセンスが要求される)。

 

量子力学の数学の、経済学とファイナンス理論への応用をより詳しく説明するために、経済学とファイナンス理論の章が量子場の章と織り交ぜられて編まれているのも本書の特徴の一つ。このように、読者は、場の量子論の考え方をその応用と直接結びつけることができ、特に、これらの考え方が経済学やファイナンス理論にどのように引き継がれているのかを知ることができる。本書の約半分が場の量子論そのものに充てられ、残りの章は、経済学やファイナンス理論への様々な応用に焦点が当てられているのも、そのためだ。

 

場の量子論は、素粒子物理学の領域全体がその経験的成功の証であるため、その有用性と妥当性について今更経験的証拠を必要としない。したがって、場の量子論に関する章では、様々な数学的アイデアとその導出に焦点が当てられており、実際、アスタリスクでマークされている経済学とファイナンスの章をすっ飛ばすと、本書は場の量子論の手引書としても読めるようになっている。

 

定理や補題などで埋め尽くされた、非常に一般性の高い結果を導く数学の研究書とは若干異なり、量子力学や場の量子論の教科書のページをめくるだけで、量子物理学にはあまり定理がないことがわかる。代わりにあるのは、主要なモデルと重要例であり、これらのモデルの「物理学」を解釈し、説明し、導き出す際に数学的分析が登場する。場の量子論は、スカラー場、ベクトル場、スピノル場などの多くの例示的なモデルを分析することによって説明され精緻化されていく。これらの量子場のそれぞれは、特定のラグランジアンハミルトニアンによって記述され、繰り込み群の構造などに触れたより高度な章は、読者が基礎となるアイデアをよりよく理解した後にようやく持ち出される。

 

経済学とファイナンス理論に関する章の方法論は、場の量子論に関する章とはかなり趣を異にしている点に注意する必要があろう。量子力学の数学を量子物理学以外の経験的分野(経済やファイナンスを含む)に適用することの正当化のためには、経験的証拠によって裏付けがなされねばならない。量子力学の数学と古典系を概念的に結びつける論文は多く執筆されているが、不満な点は、反論しがたい経験的証拠があまり提示されているとまで言えないものが多い点である。この応用はまだ完全ではなく、興味深い数学的比喩としてのみ成り立っており、比喩が具体的な数理モデルとなるためには、経験的証拠が不可欠であると思われる論考がほとんだということだ。

 

このため、本書で扱われている経済とファイナンスのトピックは、市場データからの経験的な裏付けがあるものが選択されている。更に、これらの量子力学の数学的モデルがどのように市場に適応され、その後どうテストされるかについて詳細な分析が行われる。経済学とファイナンス理論に関する章では、経路積分ハミルトニアンに基づいて具体的な理論モデルが分析される。非線形利子率に関する序章では、その形式に焦点を当てている。その理由は、ロンドン銀行間取引金利(LIBOR)によって実現される非線形利子率の量子ファイナンスモデルが、市場データを使用して調整され、徹底的にテストされているためである。この点を扱っている2つの章では、数値計算アルゴリズムとシミュレーションを使用して非線形利子率を研究している。ここでは、非線形利子率の重要な特徴、つまり、ほとんどの場合、解を得るために数値解析的手法が必要である点を説明されている。

 

量子場の非線形性は、自己相互作用または他の場との結合によって生じ、有限の結果を得るためには繰り込みの手順が必要である。自己相互作用する非線形スカラー場の正準的なケースを詳細に研究し、繰り込みで生じる問題を分析している。場の量子論の定式化は、場の量子論の最も深い概念の一つである、繰り込み繰り込み可能性、繰り込み群の概念でクライマックスに達する。実際、ディディエ・ソネットは、繰り込み群のアイディアが、市場のメルトダウンを理解し予測するための数学的枠組みを提供できることを長年主張している。

 

読みようによっては眩惑されてしまいかねないトピックの連続ではあり、今のところ、半信半疑にならざるを得ないが、場の量子論の一部であるモデルの多様性と複雑さを読者に味わわせてくれることは確か。ここまでやるなら、ヤン・ミルズ・ゲージ場の研究と時空超対称性の研究があっても不思議ではないけれど、それが欠落しているのは、これらのトピックは前提知識が更に必要となるので、おそらく本書でカバーすることは到底できなかったのかもしれない。

 

いずれにせよ、こういう「何でもあり」のアナーキーな書に惹かれてしまうのは、昔から変わらないのはなぜなのだろうか…。

マルクスと新古典派、あるいは資本主義の反脆弱性

残念なことと言うべきか、現在もなお世界には不相当な不平等が残っており、それどころか、ピケティやスブラマニアンの説明が正しいとするならば、むしろ不平等は拡大しており、そのためか、勢いマルクス主義の思想的魅力に惹きつけられてしまう者が一定数存在することは理解できないわけではない(と言っても、とりわけピケティの主張には俄かに同意しがたい点があるのだが、それはここでの主題ではない)。

 

ところで、乱暴に言い切ってしまうならば、古典派の伝統とは、完全競争、限界収益生産物が支払われる要因を伴う生産物の枯渇、その結果として利益がゼロになることを前提とする考えに立脚しており、これは裏返してみれば、競争均衡が達成され、外部性がない場合には効率的であることを含意している。

 

一方、失業の存在は、マルクスの資本主義批判にとっても決定的に重要であった。大恐慌は、失業の問題を資本主義市場が直面する一連の問題の中心に据えたので、これが多くの経済学者の関心事であったことは驚くべきことではない。

 

ケインズは、需要に問題があり、古典的パラダイムの外側にあるものを考えなければならないという反応を示した。企業はより多くの生産に関心がなかったため、大量の失業が発生した。企業は売れるものだけを生産しており、もし人々が溝を掘ったり、政府の投資プログラムを運営したりすることで需要を増やすことができれば生産量が増加し、同時に雇用が引き上げられる。

 

したがって、おそらく最もよく考えられた一般均衡アプローチは、財市場を通じて労働市場問題にアプローチするというものだった。Y(所得)=C(消費)+I(投資)との国民所得の等式は、Y−C=Sであるため、S(貯蓄)=Iに還元される。S=Iの関係は、常に「右から左へ」読まなければならないもの、そして「投資が支配する貯蓄」を念頭に置いておく必要があるものとして言及された。需要は生産物がどうあるべきかを決定し、したがって需要(投資)が生産物(貯蓄)を決定し支配した。語られていないのは、需要が市場のショートサイドにあったためにこれが起こったという点である。

 

古典派の世界では、不均衡は価格変動によって解消される。失業があれば賃金は下がり、より多くの人が雇用されるはずである。需要が生産を抑制するケインズ主義の世界では、賃金の低下が企業を動かして生産を増やす可能性は低いが、企業は生産を増やしたいが、これ以上売れないため、労働力は更に圧迫される。

 

大恐慌が始まると、ケインズ主義の処方箋は、需要を増やし、その結果、売上を増やし、雇用を増やすことで、低売上の制約を押し上げたため機能した。かつては不評だったこれらの政策が、現在再び脚光を浴びているのもそのためである。インドでも、例えば、マハトマ・ガンジーの全国農村雇用保証制度(MGNREGS)は、導入時には当時の野党から厳しく批判されたが、継続された。

 

古典派的環境では、情報は何の役割も果たさなかった。すべてが常識であると想定されていたからである。1948年の『個人主義と経済秩序』で、市場を情報処理システムとして捉え、不完全情報や非対称情報について語ったのはフリードリヒ・ハイエクである。1970年代には、そのような状況で何が起こるかについてのより徹底的な研究が行われ、2001年にアルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行賞(通称、「ノーベル経済学賞」)を受賞したアカロフスティグリッツ、スペンスの研究は、市場において一般的に情報伝達が期待されているほど上手く行かず、それゆえに市場自体の機能に問題が生じていることを示している。アカロフによる古典的なレモン市場の問題は、そうした状況を説明している。

 

中古車市場では、買い手と売り手が足りなければ、当然ながら不均衡が生じる。そうでない場合は、買い手が中古車に100万円を支払い、売り手が85万円で車を手放すことを望んでいると仮定する。それだけなら、価格は100万円から85万円の間のどこかに落ち着くだろう。しかし、中古車の状態は売り手だけが知っており、買い手はこの情報にアクセスできない。購入者は整備士に車を見てもらい、検証してもらうことができるが、我々は話を先取りしている。買い手が中古車の25%が不良品であり、買い手が何も支払う意思がないと信じている場合、買い手は各購入予定者を75%の確率で支払う価値があると評価し、75万円のみを支払うことを厭わず、その価格が85万円の閾値を下回っている場合、取引は行われない。市場は、信憑性のある機関などに裏打ちされた保証などがない限り、情報を伝達することができない。アカロフのレモン市場の問題の単純なケースである。この分野での業績で最初に認められた3人のうち、アカロフスティグリッツは、各々インドやケニアといった発展途上国の問題を研究していた際、非対称情報の問題に気づいたのだ。

 

ジョン・フォン=ノイマンオスカー・モルゲンシュテルンジョン・ナッシュの研究が、この発展の路線を導いたと言えよう。意思決定者が競争的な役割を担っている可能性があるという考えは、特に不完全競争下の市場の扱いにおいて現れた。不確実性の下での意思決定は、フォン=ノイマンとモルゲンシュテルンの著書やその他の論考から始まり、主にケネス・アローから分析されてきた。その結果、戦略的行動の概念は、様々な種類の情報制約と不確実性の性質の下で導入された。言い換えれば、意思決定は競合者が何をするかを考えてのみ行われ、それぞれがどのような情報を入手しているかを追跡することが重要だった。これは、完全競争の概念から大きく乖離している。

 

不完全競争や情報の非対称性だけでなく、意思決定者が自分に期待される課題を遂行する動機も検討する必要があった。インセンティブの役割と、タスクがインセンティブと両立するかどうかに焦点が当てられていた。その結果、制度そのものがどのように機能すべきかが研究された。レオニード・ハーウィッツが提唱し、エリック・マスキンとロジャー・マイヤーソンが発展させたメカニズムデザイン理論は、理論研究の新たなフロンティアとなったわけである。この一連の研究は、2007年にメカニズムデザイン理論の基礎を築いたとして、そのうちの3人がアルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行賞(通称、「ノーベル経済学賞」)を受賞した。

 

研究された問題の複雑さを増すことの難しさは、いくつかの特別な条件下で多くの結果が得られ、それによって適用性が低下することである。この側面、つまり、いくつかの前提条件を満たす必要があることは、しばしば見落とされる。いずれにせよ、上記の発展のいくつかは、契約理論の発展にまとめられた。そのような「契約」の中心に次の問題が生じる。すなわち、エージェントは、エージェントに利益をもたらすが、行為を引き受けるためのエージェントのための支払機構を解決しなければならないプリンシパルと呼ばれる別の存在を作る行為を引き受けるかもしれない。そしてもちろん、プリンシパルとエージェントが入手できる情報は、エージェントの努力と結果との関係と同様に重要であり、更に、この関係は不確実である可能性がある。

 

プリンシパル・エージェントの枠組みは、雇用主であるプリンシパルと従業員であるエージェントの関係を想定していた。プリンシパルは、提供された料金でエージェントを雇うことによって、雇用主が利益を最大化できるように、エージェントに契約を提供する。更に、エージェントの努力は一般的にプリンシパルには観察できないのだが、理想的には、プリンシパルはエージェントが誠実かつ懸命働くことを望んでいる。

 

プリンシパルはこれをどのように保証するか。エージェントが契約を受け入れることを可能にするためには、提供される賃金はエージェントが外で得ることができるもの(参加制約)より少なくはならず、更に受け入れられた契約はエージェントのための満足のより大きいレベルを持っているという意味で、より多くの努力をするエージェントのためにより魅力的でなければばらない。ただ、プリンシパルは、両方の制約に拘束力がないような契約を提供することは決してない。

 

こうした、新たな問題をマルクスは既に考えていたのだろうか。ケインズサミュエルソンは、マルクスの経済学について様々な批判的な言及をしていた。実際ケインズは、『資本論』について、「科学的に誤りがあるだけでなく、現実世界にも適用できない時代遅れの教科書」と呼んでいた。サミュエルソンマルクスのことを「マイナーなポスト・リカード」と呼び、後にこれは冗談だと述べた。サミュエルソンは、リカードを過大評価されていると考えていたのである。

 

対して、森嶋通夫は、計量経済学会におけるいわゆる「ワルラス講演」において、マルクスのことを「傑出した経済学者」と評し、次のように述べている。

 

しかし、上に挙げた経済学者の中で、マルクスが独特であることも事実です。事実、マルクスの経済学は、ある経済変数の変化がいくつかの経済変数に及ぼす影響を分析するのに弱いという短所を抱える一方、その長所はというと、資本主義社会の経済発展の社会経済的説明を提供することにあるというランゲの主張に同意する人もいるかもしれません。マルクス数理経済学者とは見なさず、否、数理経済学に反対していたと人物と考える経済学者は、今もなお、多くいるかもしれません。

 

しかし森嶋通夫は、マルクス数理経済学に反対していたのではなく、常に自分の数学的欠陥に気づいていて、それを補おうとしていたと主張する。例えば、1858年1月のエンゲルス宛書簡の中で、マルクスは次のように述べていたというのである。

 

私は、経済の原理を解く際、誤算によって非常に厄介なほど妨げられては絶望し、代数学を修得するという課題を再び自分に課しました。代数学は私にとって常に難しい。しかし、この代数学の修得する回り道をすることによって、自分自身を再び訓練しています。

 

その5年後、マルクス微分積分学を熱心に研究し、エンゲルスに、これらの道具も研究すべきだと勧めていた。しかし残念ながら、非負行列とその性質に関する結果は、マルクスには知られていなかった。森嶋は、マルクスワルラスを比較して、マルクスには理解できなかった数学的複雑性に取り組むアプローチを採用したが、その際、マルクスについて次のように述べている。

 

一方、マルクスは数学の教育を受けていないため、当時の数学を経済問題に上手く適用することができませんでした。たとえそれができたとしても、上で述べたように、マルクスはそのような仕事に身を捧げたくなかったでしょう。マルクスはあまりにも野心的で独創的すぎました。その代わりに、経済学の問題を精密に定式化することによって、経済学の中に新しい数学的問題を発見したのです。これらの問題は、その後、数学者によって独自に再発見され、数学の重要な科目に発展しました。

 

ここで触れられている「新しい数学的問題」とは、おそらく、非負行列に関するペロンとフロベニウスの定理であり、より基本的には、分離超平面定理から導き出されることが示されている可能性がある。仮に森嶋のマルクス評価が妥当であるとするならば、この定理の存在を知らずに同様な問題を予見できたことは、マルクスの卓見と言ってもいいのかもしれない。

 

マルクスの中心的な焦点は、資本主義経済の再生産と拡大の力だった。現在の主流派の経済学に慣れ親しんでいる我々からすれば、効率性や生産性の面での答えを期待するだろう。しかし、マルクスは独特な答えを出した。マルクスが資本が再生産し拡大する力の所在を、資本家が労働者を搾取するという事実に示したので、我々からすると奇妙に感じられるわけだが、この結論に辿り着くために、労働価値説が中心的な役割を果たした。森嶋通夫は、資本家が労働者を搾取する力を、ホーキンス・サイモン条件と呼ぶものと同一視しているように見受けられる。俄かには信じがたいことだが、森嶋通夫は、その答えは「先駆的」であると述べていた。贔屓の引き倒しという感なきにしもあらずだが…。

 

より一般的な生産構造を考えると、議論はいくつかの場所で破綻する可能性がある。マルクスは、古典的な労働価値説を用いて、各商品の単位を生産するのに直接的または間接的に必要な労働時間を計算した。次に、それ自身を再生産するのに必要な労働量、あるいはそれと同等に、閉鎖系と消費の商品群の価値(マルクスは、いつでも知ることができると仮定した)、つまり、「労働力を生産し、発展させ、維持し、永続させる」ために必要な必需品の塊に含まれる労働の総量を計算した。この労働量をT*で表す。各労働者は最低生活水準でのみ賃金が支払われるという仮定の下で(マルクスの基本的前提である)、労働者は一日にT時間働くことによって、T*時間の労働を含む大量の必需品を受け取る。もしT>T*なら、資本家は労働者に労働力の再生産に必要な以上の労働をさせ、労働者は過重労働、低賃金、それゆえ資本家に搾取される。そこでマルクスは、労働者Tの労働総供給量を、労働時間で測定した有償部分T*と無給部分T-T*に分け、搾取率eを(T-T*)/T*と定義した。この定義を用いて、マルクスは、利潤均衡率と均衡成長率が正であるのは、搾取率eが正である時だけであるという定理を確立した(「マルクスの基本定理」と後に命名されたもの)。

 

この議論全体が、第一に、価値の計算(労働価値説に依拠する)、第二に、賃金は自己充足的であり、第三に、賃金が何であるかについて誰もが合意していること、に決定的に依存していることに注意するべきである。

 

森嶋通夫は、商品の価値が一意に決定されないという曖昧なケースや、一部の商品がマイナスの値をとるという無意味なケースを避けるためには、いくつかの厳密な仮定が満たされなければならないと指摘している。しかし、共同生産と技術選択が認められ、複数の主要な要因を持つとなれば、我々は労働価値説を捨て去らねばならず、したがって、価値の概念が搾取の定義に不可欠であるならば、「マルクスの基本定理」は、フォン=ノイマン方式で扱われる耐久資本財の一般的な場合には適用できないことになるだろう。

 

資本家が労働者から利益を搾取するという議論は、多くの人にアピールするものだ。明らかに、不平等の拡大は、このバージョンの物語で簡単な説明を見つけることができる。労働者の搾取に加えて、資本主義経済は長続きしないことも暗示されていた。そして、そのような予言の魅力に拍車をかけるように、資本主義社会は何度も揺らいできた。「資本主義の矛盾」と呼ばれる、このような仮説を支持する議論は、次のような線に沿って進むだろう。成長経路に沿って、収益性が上昇する一方で、雇用への圧力がそれを可能な限り押し上げ、したがって、雇用利益率が下がり始めるのは避けられない。その結果、成長率が低下し、雇用が低下する。雇用率と就業者比率という2つが追いかけ合っている。このような話は、グッドウィンによって、マルクスの資本主義に対する矛盾仮説を支持する形で構築された。モデルが極端な仮定に困難を極めていることを示すことは容易である。結果は、特定のフィードバック項がゼロであることに決定的に依存し、更にグッドウィン・サイクルが破綻する可能性がある。実際、変数を定義域内に保持する方法がないため、サイクル自体が意味を失う可能性だってある。

 

したがって、マルクスの経済学は、極めて特殊な条件の下でしか成り立たない。サミュエルソンは、次のように述べている。

 

カール・マルクスは、定常状態と均衡のとれた成長均衡の経済の先駆者の中で名誉ある地位を占めるに値する。この独創的な貢献に妥当な評価は、マルクスの前任者、同時代人、後継者の主流派経済学に反するものではない。マルクス数理経済学者というよりは「単なる」偉大な経済学者であったという見方で終わっても、彼の分析能力がこのように認識されたからといって、政治経済学という科学の独創的で創造的な形成者としての彼に対する評価が損なわれることはない。

 

マルクス経済学の重要性を否定する一つの方法は、マルクス経済学は現実世界を理解するための政策の枠組みを組み立てる上で十分に頑健ではなく、明らかにほとんど役に立たないと言うことである。但し、否定するにも注意が必要であろう。というのも、マルクスもまた、古典派の枠組みからの逸脱を論じていたということである。その意味で、森嶋通夫が『思想としての近代経済学』(岩波書店)で述べていた通り、マルクスもまた「近代経済学者」の一人であると考えることもできなくはない。

 

マルクスが「自分はマルクス主義者ではない」と言ったことは注目に値する。近代経済学の理論の面でも、マルクスは確かに彼の追随者とは異なっていた。資本主義の下では、賃金はそれ自体を再生産するのに十分であるという考え、または労働に最低賃金が支払われると仮定するという考えは、マルクスよりもずっと前からあった。古典的パラダイムである限界生産物の価値を支払う代わりに、労働参加を維持するのに辛うじて十分な賃金を支払うことは、近代的であった。

 

プリンシパルは、参加制約とインセンティブ制約という2つの主要な制約を満たす契約を提供することで利益を最大化するという考え方である。明らかに、マルクスは、20世紀後半で登場した考え、つまり資本家をプリンシパルとして扱い、労働者をエージェントとして扱い、彼らがただ参加することを保証された、いわゆる「参加制約」の議論を先取りしていた。

 

更に、雇用者と被雇用者の関係に権力の概念を導入した点も重要である。古典派の伝統が市場に関するものであったことを考えると、マルクスが、参加者や意思決定者が市場価格に受動的に反応していない状況を描写していることは明らかに読み取れる。マルクスが、価格が価値によって決定されると考えていたことを考えると、彼らが貢献した金額よりも少ない賃金を支払うことによって仕事を引き出す力は、権力の行使というほかないだろう。マルクスは、リベラルな資本主義経済でさえ、成長し技術の変化を経験している間は、永久に「労働力の予備軍」、あるいは失業者を抱えることになり、これが雇用主が労働者階級に対して抱く真の脅威であると主張した。これは、あらゆる契約におけるインセンティブ制約である。契約を受け入れないことは、いわゆる貧乏な労働予備軍の隊列に加わることを意味し、それは確かにより悪い状況をもたらすだろう。したがって、マルクスが念頭に置いていたのは、契約の問題である(マルクスは、資本主義の環境下における失業問題を解決することには本質的な興味はなかった。あくまで搾取の理論を打ち立てるために、失業か労働予備軍が必要だった)。

 

この二つの側面、すなわち、最低賃金の支払いと、労働者に最低賃金の受け入れを強制し、資本家が剰余価値を搾取することを可能にした失業(予備軍)が存在するという事実は、マルクスの図式において根本的に重要であり、マルクス経済学の魅力に大きく貢献した。決定的な問題は、マルクスの理論の他のすべての側面をまとめた首尾一貫した物語が、マルクスによっても、マルクスの信奉者によっても構築できないという点である。

 

マルクス主義に基づく経済はなぜ衰退・崩壊したのか。繫栄したのは、経済を運営する共産党だけだった。しかし共産党は、最低賃金で生活していた庶民を犠牲にし、失業者の予備軍は存在しないと報告されていたが、共産党の支持から外れることは貧困化よりも遥かに悪い運命をもたらすため、避けるべきことであった。つまり、両方のタイプの制約の要素が働いていたのである。

 

問題は、経済圏内の情報の流れの重要性の高まりと、関係する主体のインセンティブの軽視にある。資本家を排除し、生産手段の所有者として国家に置き換えることは、第一に、不正確な一連のインセンティブを生み出した。国家は、本来あるべき利益と効率性にはあまり関心がなく、自らの支配を維持することに関心があった。ラジオやテレビを通じて、そして後にはソーシャルメディアを通じて、情報の流れが、生活賃金(マルクスが多かれ少なかれ不変の賃金として受け入れていたもの)に大きな変化をもたらし、剰余価値の抽出がますます困難になり、より正確には、遥かに大きなコストで達成できるようになったことである。これは、マルクス主義者が用いる議論、すなわち、資本主義は内部矛盾のために崩壊する運命にあったという議論と同質のものである。

 

実施された政策はことごとく失敗し、これを隠蔽するために、あるいは国民に本当の状況を知られないようにするために、抑圧的な措置が取られた。そのような歩みは今日の社会主義諸国で続いている。人々の幻滅が広がるのは必然である。このような幻滅を抑えるためには、より抑圧的な措置が必要になり、その結果、このシステムは維持できなくなる。加えて、この制度は、主に抑圧的な措置のために、決して回復することはない。

 

マルクス主義経済が消滅しつつあるとはいえ、資本主義経済が繁栄していることを意味するものではない。資本主義経済も困難を抱えている。但し、資本主義経済はクラッシュすることはあろうが、しばらくすると復活する。恐らく、資本主義体制下での抑圧の規模が、マルクス主義体制下で採用された抑圧の規模に決して匹敵しなかったからか、それはわからない。マルクスの図式では、共産主義は資本主義を打ち負かした後の最終段階であった。しかし、物事はそのようには上手く行かなかった。共産主義体制は時間の経過とともに市場資本主義に取って代わられ、更に多くのセーフティネットが整備された。これらのネットが本来の役目を果たさず、システム全体が破壊されるとしても、マルクス主義経済とは異なり、以前の体制の修正に過ぎない程度の変化で再浮上するだろう思えるところが、資本主義経済の反脆弱性と言えるのかもしれない。

議院内閣制について

カール・シュミットの思想は、民主制の危機および議会制の危機に乗じて形成されてきた。西欧各国における国民国家形成の原動力の一つとなったリベラル・デモクラシーは、市民社会の成立とともに確立されていった法治国家体制の政治理論として機能した。市民社会の「自律性」を標榜し、国家権力による市民社会に対する干渉を極力排斥したリベラル・デモクラシーの政治理論への批判者としてシュミットが登場したことも、耳にタコができるほど聞かされてきた。Democracy in Crisisである。

1932年の『現代議会主義の精神史的位置』と1931年の『憲法の番人』において、シュミットのリベラル・デモクラシーに対する正面切っての批判が展開されている。シュミットによれば、議会制はリベラリズムの産物であり、デモクラシーからの必然的帰結ではない。議会制の理解においてデモクラシーを持ち出す必要はないのであって、デモクラシーの本質を規定するものは「同一性」の観念、すなわち「治者と被治者の同一性(自同性)」である。

議会の議員は国民から選出され、立法権限を受託された者であり、議会を通じて行われる決定が国民自身の決定と等置される。技術的理由から国民の代表者としての議会におけるその受託者が決定権限を行使することを正当化する理屈は、唯一の者が国民の名において決定権限を行使することを正当化する理屈にもなりうる。そのことを示すことによって、反議会主義はデモクラシーと矛盾するものではない。そう言うのである。

真のデモクラシーは、等しいものが等しく取り扱われるばかりではなく、その必然的結果として、等しくないものは等しく取り扱われないことによって成立する。従って、デモクラシーには同質性が必要なのであり、異質なものの排除をその内在的論理として包含している。場合によっては、その異質な者が絶滅されるべき「敵」として排除されることすらある。

デモクラシーの原理とリベラリズムの原理は究極において相対立する契機を内包すると考えるシュミットの思考と同様の思考を見せるのは、我が国の憲法学者清宮四郎である(現在存命の憲法学者の超大物の名をあげるとすれば、たいていの者はおそらく樋口陽一佐藤幸治を思い浮かべるに違いないが、その樋口の師が清宮四郎である)。対して、リベラリズムとデモクラシーとは調和すると考えるのが芦部信喜。デモクラシーの本質に関する理解において、僕は清宮の見解に同意し、芦部のような折衷案を採らない。

 

内閣の解散権の性格と絡む議院内閣制の本質に関する芦部信喜の見解は、「責任本質説」である。この通説 に対して、権力作用の分立性を重視する佐藤幸治は、「均衡本質説」を主張する。佐藤幸治の主張する均衡本質説の背景にある思想は、もちろん権力分立作用の重要性を強調する考えに基づくわけだが、その究極的な理由は、デモクラシーの原理とリベラリズムの原理との相克にあるのではないかと思われる。デモクラシーの原理の抑制の仕組みとして組み込まれたリベラリズムの原理から要請される権力分立作用を重視する視点から、解散権の性格が捉え返されるわけだ。他方、芦部信喜の主張する責任本質説は、内閣は議会の信任に基づいて成立し、議会に対して連帯して責任を負う点こそが議院内閣制の本質である点を強調する。

 

ところが日本国憲法は、議院内閣制を採用しながら、国家権力の一定程度の分立作用(三権分立)を組み込んだ建付けになっているので、「厳格な三権分立」とは異なる「緩やかな三権分立」となっており、強いて言うならば、内閣制と大統領制の部分的なつまみ食いのような格好になっている。

デモクラシーとリベラリズムが究極的には相矛盾する契機を内包すると考えるのか、必ずしもそう考えるわけではない立場であるかを問わず、権力分立原理はデモクラシーから帰結する原理ではなく、むしろデモクラシーの暴走を抑制する原理として制度的に取り込まれている点が近代立憲主義の要諦であるという考えは共通している。

モンテスキューが国家権力の作用として立法権・執行権・司法権の三つを区別したことぐらいは誰でも知っていることだが、このうちの立法権と執行権(ここでは行政権と考えてもいいことにしておく)の二つの権力作用の関係に基づいて政体を分類する議論が論じられることは極端に少ない。大統領型政治と内閣型政治の二分類である。

もっとも、この分類は立法権と執行権の関係に基づく政体の分類であるので、大統領の存在があるからだとか内閣があるからだとかいう点だけで大統領型政治形態と内閣型政治形態になるというわけでは必ずしもない。立法権を有する国家機関は立法部すなわち議会であり、執行権については執行権を有する執行部として大統領と内閣がある。この執行部は通常は行政部と同義に用いられることが多く、行政部の長である大統領あるいは行政部である内閣に執行権が帰属すると考えられている。

アメリカ合衆国憲法第2条1項には、「行政権はアメリカ合衆国大統領に付与される」と規定されており、日本国憲法第65条で「行政権は内閣に属する」と規定されている。立法権と執行権の関係は、先ずは執行権の帰属が確定され、その次に執行権が帰属する機関と立法部との関係が問われることになるという構成をとっている(もっとも、執行権の帰属を明文において規定していない英国のような例外もあるが)。

執行権と立法権の関係は、基本的にはこの二つの権力作用が独立的であるか否かということ、すなわち、権力分立の理論に基づいて議論される。権力分立論を徹底化させた形態が大統領制であり、権力分立が厳格でなく執行部と立法部が密接な融合関係にあるかもしくは執行部が立法部の信任に立脚している形態が内閣制であり、我が国の現行憲法は後者のそれも「議院内閣制」を採用している。

米国では、執行権は大統領に帰属し、議会(Congress)に対立する関係にあるから大統領型政治に分類され、英国の内閣は立法部の「執行委員会」であるから内閣型政治である。大統領と内閣をともに有するフランスでは、執行権は大臣会議議長(首相)に帰属し、首相は議会(Parlement)の信任に基づいてこれを行使するので、内閣型政治と考えられる。

つまり、名称として大統領あるいは内閣という存在があろうと、それとは直接に関わらず、権力分立論の援用によって大統領型政治か内閣型政治とに分類されるのであって、立法権と執行権が互いにどの程度独立的であるのかの程度に応じて、大統領型政治か内閣型政治か、はたまたその中間的な形態なのかに分かれる。

Presidential Governmentの典型は米国と言われる。しかし、これでも純粋な大統領型政治ではない。執行権は大統領に帰属し、大統領の任期は4年で、間接選挙で国民により選出されることは誰でも知っている。この権限は強大で、任期中は、死亡するか弾劾されるかしない限り失職することはなく、国家元首であるとともに執行部の長でもある。フランスの大統領と首相とを一緒にしたようなポストであるから、むしろ「総統」という呼称が相応しいかもしれない。軍の統帥権を持ち、行政権を統轄し、高級官僚の任免権をも独占する。権力分立が徹底しているとは言いながら、司法長官の任命権をも有する。

フランクリン・ルーズベルトは、ニューディール政策について連邦最高裁での違憲判決を出させないために連邦最高裁の判事を入れ替えてしまったエピソードがよく知られている。大統領は、憲法と法律に規定する権力の行使にあたり、長官(Secretary)という一つの国家機関を介することになっているが、長官は立法部に対して責任を負わず大統領に対してのみ責任を負うことになっているので、大統領は自由に長官を任免できるといっても、議会に議席を有する者を任命することはできない。Cabinetという言葉が慣用されてはいるが、これは大統領と各行政部門の長官との会合を意味するに過ぎず、執行権が帰属する本来の内閣(Cabinet)とは異なる。

こうした大統領型政治の根本的欠陥は、よく言われているように、立法部と執行部との間の過度な独立性に向けられる。両者の間の溝が調整不可能な程のデッドロックに陥った場合の対処をどう図るかという問題である。打開策として常設委員会(Standing Committee)が設けられているとはいえ、かえって非効率を招いてしまう。更に、議会に対する法律案の発議権が認められていないので、せいぜい「教書」の形で願い出るほかなくなる。立法部と執行部が徹底的な牽制関係にあるという建付けのため、執行部は立法部に対して責任を負わないばかりか、大統領は任期中において国民に対してすら責任を負わないのである。行政各部を所掌する長官は大統領に対してのみ責任を負うので、ある意味で「究極の無責任体系」としての大統領型政治が出現するわけである。

日本では時折、大統領型政治を望む声が聞こえるが、地方自治体の行政ならばともかく、こと国政においては、議院内閣制の弊害よりも大統領制の弊害の方が遥かに大きい。また、我が国憲法の第一章との兼ね合いからも(天皇国家元首と解するかどうか学説上争いがあるが、そもそも共和政体とは言い難い)、議院内閣制の方が優れているし、また危険度も小さい。

反地球市民的人間の遊撃

自分自身のことを「日本人」であると自覚することは度々あれど、「地球市民」と思ったことなど一度たりともなかったし、なりたいと思ったこともない。加えて、「地球市民」なる人種に生まれてこの方一度として出会ったためしなどないし、おそらくこれからもないのだろうが、そう思う理由の一つは、おそらく「地球市民」という言葉の持つ胡散臭さないしはアホっぽさにあるのではないか。

 

もちろん、公共哲学的主題として真面目に検討されてしかるべき問題がそこに含まれていることを認めるに吝かではないが、そうであるにしても、どうしても馴染めない理由を更に探ってみると、究極的には、特に近代以降の社会思想において中心的主題の一つとして陰に陽に繰り返し問われ続けてきた「公共性」・「公共世界」を言祝ぐかのような言説に対して違和感を抱いてきたからではないか。例えば、ユルゲン・ハーバーマス丸山眞男といった哲学者や思想史家の著作に理屈以前に肌が合わないと感じるのも似たようなものかもしれない。

 

丸山眞男『(増補版)現代政治の思想と行動』(未来社)の追記と補注において、「無法者(アウトロー)」の類型として8つの特徴が挙げられている。この類型に当てはまる存在こそが、市民社会の敵たる「無法者」らしいのである。この「無法者」どもは、市民的公共性の担い手足りえない、「日本版ファシズム」の温床にもなりうる「野蛮ベティーズ」とでも言いたいのだろうか。精神科医斎藤環が侮蔑の眼差しを向ける「ヤンキー」も、程度の差こそあれ、この類型に属する者たちかもしれない。

丸山が「無法者」の類型の特徴として挙げた8つの要素とは、
(1)一定の職業に持続的に従事する意思と能力の欠如(市民生活のルーティンに堪える力の著しい不足)。
(2)「もの(Sache)」への没入よりも人的関係への関心。ゆえに専門家の適性の欠如。せいぜいハロルド・ラズウェルの言う「暴力のエキスパート」。
(3)不断に非日常的な冒険、破天荒の「仕事」を追い求める傾向。
(4)「仕事」の目的や意味よりも、その過程で惹起される紛争や波瀾それ自体に興奮と興味を感じる。
(5)私生活と公生活の区別がない。とくに公的な責任意識が欠け、その代わりに特定の人的義務感(仁義)が異常に発達している。
(6)規則的な労働により定期的な収入をうることへの無関心または軽蔑。その反面、生計を献金、たかり、ピンはねなど経済外的ルートからの不定期の収入もしくは麻薬密輸などの正常ではない経済取引によって維持する習慣。
(7)非常もしくは異常事態における思考様式やモラルがものごとを判断する日常的な規準になっている。ここから善悪正邪の瞬間的断定や「止めを刺す」表現法が好まれる。
(8)性生活の放縦。

丸山眞男のいう「無法者」とは、彼が理想とする「市民社会」の成員の類型とは真逆の類型にして、「公共性」の担い手足りえない存在である。ここから逆照射して、そもそも「公共性とは如何にして可能となるのか?」という問いを捉え直してみる試みがあってもおかしくはないはずなのに、なぜかそうした思想史研究が見られない点が、これまでの「公共性」論に対する不満なところである。「公共哲学」にしても、「反−公共」と見られがちなこれら「無法者」の視点から「公共性」を再定礎する試みがあってもよいはず。

丸山と同様、「進歩的文化人」と自ら称していた哲学者久野収の対話形式の論考「市民主義の成立-一つの対話」にも、職業を持った者の、パートタイマー的アンガージュマンを心がける自立的市民の連帯こそが、市民的公共性の土台を形作ると述べている通り、丸山の言う「無法者」は、久野の言う「市民」には含まれないと考えられるだろう。

市民的公共性」の担い手たる自立的市民は、公共的規範の内面化と同時にリゴリスティックな二分論における一方の私的領域との分離を前提にしているところも、「無法者」ないしは「ヤンキー」とは別種の存在類型であり、そうであるからこそ、時には畏怖の対象に、時には侮蔑の眼差しを向ける対象に彼ら彼女らを位置づけ排除する。

 

西洋近代の倫理学において大きな潮流を形作っている義務論は言うに及ばず、功利主義も広くは私的価値と公共的価値をどう接続させるかという問題意識の上に立脚している点からみて、極めて近代的というべき倫理学の姿である。

 

他方で、ごくわずかに、この「無法者」や「ヤンキー」あるいは広く「世間から、厄介者ないしどうでもいい存在としてぞんざいにあつかわれているアワやアブクのような存在」、を社会学的分析でもなく、政治的包摂のための言説でもなく、哲学的ないし思想的に肯定的な眼差しをもって描こうする(あるいは、描こうと意図しているかに見受けられる)言説が存在する。折口信夫『古代研究』所収の「ごろつきの話」で肯定される「美的な乱暴」としての「ごろつき」や「かぶきもの」、千葉雅也『意味がない無意味』所収の「あなたにギャル男を愛していないとは言わせない――クール・ジャパノロジーと倒錯の強い定義」における「ギャル男」も、「公共性」を言祝ぐ言説で称揚される「市民」の類型には収まりようのない「厄介者」であろう。

 

それを意図したのかどうかはわからないが、この『意味がない無意味』所収のいくつかの文章は、「善良な市民」ならば眉を顰めかねないような、ある意味でかぶき者を称揚しているかに読める婆娑羅な「乱交的存在論」は、「好きなことさせろや!」とぶつ「反-公共」の哲学宣言でもあるのだ。

 

「善良な市民」が顔を背け、軽蔑の眼差しを向け、そして最終的には視界から排除するそれら存在の肯定が「公共性」論への対抗言論にまで展開するのは、ほとんど必然的であろう。規格化された行為の範疇に収まらないある種の過剰性が、距離や方向感覚を失って散乱する「暴力性」の持つ「性的」側面を肯定的に捉えたものでもある思って読むと、また違った意味をまとった言説としてその魅力を放つのではないか(折口信夫なら「ごろつき」や「かぶき者」に、千葉雅也なら「ギャル男」や場合によっては「ヤンキー」に、それぞれ欲情しているのだ。こうした言説の持つ清々しさは、例えばヤンキーへの侮蔑と恐怖に支えられた斎藤環の言説の持つ陰湿さと対照的ではないか。しかし、「善良な市民」の神経を逆撫でしてしまうという副反応がついてまわるだろうけど、そんな副反応は無視すればよい)。

 

そしてそれは、近代以降における社会思想を支える「公共性」を再考させる「反地球市民的人間の遊撃」として、「哲学のヤンキー的段階」へと展開させる言説を組織するはずである。

現象学と芸術作品

20世紀の哲学の幾つかの潮流に見られた特質の一つとして、哲学と芸術作品との接近が挙げられる。もちろん、それ以前の哲学にも芸術を論じるものは存在したが、それらは得てして自らの哲学的見解を通した芸術作品に対する美学的分析という域を出るものではなかった。20世紀の哲学の幾つかの潮流と芸術作品との接近とは、そういう以前に見られた現象とは異質な性格を持っている。

 

哲学者が論じるべき対象としての芸術作品を眼前に定立して、これを分析のふるいにかけて「料理する」というものとは違って、芸術作品の生成や芸術家の創作体験に存在者の存在の開示のされ方として接近していった。その典型が、フッサール現象学の圏域で思考を始めたマルティン・ハイデガーであったり、モーリス・メルロ=ポンティであったりするだろう。

 

もっとも、20世紀の哲学における一部の潮流に見られることであって、それとは逆に、芸術とは無縁の哲学の方が寧ろ主流を占めていたとさえ言えるだろう。分析哲学系の潮流もそうだし(分析哲学の思考フレームを用いた分析美学というジャンルがあるけれど)、それと密接な関係を持つ科学哲学や論理学も、基本的には芸術とは無縁である。

 

イスラエルの哲学の主流は、この方向性の極端な形態と言えるのかもしれない。イスラエル哲学界は、数学・論理学・計算機科学・物理学と結びついた哲学研究が盛んで、古くは名著『空間の概念』や『量子力学の哲学』で知られるマックス・ヤンマーが有名だし、統計的因果推論やベイジアン・ネットワークの進展に寄与したジューディア・パール、確率論・量子論の哲学で知られ、数年前亡くなったイタマール・ピトウスキー、幾何学的安定性理論に貢献したエウド・フルジョウスキー、数理論理学者で暗号理論でも著名なマイケル・ラビンといった面々が聳えている。

 

ロベルト・ムジール『特性のない男』は、哲学者が好んで引用する20世紀を代表する小説の一つであるが、なるほど確かに、この小説の中には哲学者を惹きつけるであろう幾つかの概念が所々に登場する。とりわけ、第一部第四章に登場する「可能感覚」や「意識的ユートピア主義」といった奇異な概念は、当時勃興しつつあった現象学運動で現れた幾つかの概念との類縁性を持つ。この「可能感覚」という概念は、「現実感覚」と対になる概念で、これを「たいていの人がもっているあの現実的可能性に対する感覚」とは違って、「可能的現実性に対する感覚」や「存在するものを存在しないものよりも重視したりはしない能力」と位置づけている。

 

可能的体験や可能的真理は、現実的体験や現実的真理から現実に存在するという値を引き去ったというだけものではなく、少なくともその信奉者たちの意見によれば、なにかきわめて神的なもの、一つの炎、一つの飛翔、現実を恐れることなく、むしろ現実を課題として、虚構として扱う構築の意志と意識的ユートピア主義を含んでいるものなのだ。

 

ムジールは、「可能的なもの」を「神のまだ目覚めぬさまざまなもくろみ」とか「いまだ生まれざる現実」とか言い換えているので、彼の目もまた物になる前の物の姿に向けられ、我々が「現実」と呼んでいるものの「他でもありうる可能性」を考えていたことが伺われる。

 

この文脈において、先の「意識的ユートピア主義」という概念の持つ意味が明らかになっていく。ダニエル・デネット『解明される意識』は、次のように評価している。

 

解釈を剥ぎ取り、厳密な観察に対する意識の基本的事実を露呈しようとする他の試み、例えば芸術における印象主義の運動とかヴントやティッチェナーらの内観主義的心理学と同様に、現象学は誰もが同意しうるような単一的に確定した方法を発見することができなかった。

 

と言い、現象学の失敗を宣告する。僕も、現象学存在論に対しては極めて否定的な立場なので(フッサールについて肯定的に評価できるのは『論理学研究』第1巻までであり、後の見解に関しては是々非々といったところであるが、『デカルト省察』や『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』といった後期思想に関しては、多くの現象学研究者とは逆に、低い評価)、デネット現象学に対する評価に一定の共感を覚える者であるが、さすがに現象学と内観主義と印象主義とを一括して批判しさる点には同意できない。そもそも、現象学でいうところの意識経験と、「心の哲学」における心的内容が同一であるかが自明ではないのに、こうした断定は乱暴に過ぎよう。

 

現象学的アプローチでは、意識経験のうちの還元不可能な性質から出発する。出発点としての「生きられた経験」は、同時に還帰すべき原点でもある。これは一般的意味での心的内容とは異なる。人間的経験の生き生きした性質を反省によって再発見することが根本モチーフとなっており、フッサールの格言「事象そのものへZu den Sachen selbst」は、三人称的対象化による世界への対向以前の直接に感受されるままの経験された世界(生きられた世界)への「還帰」としての意味を持つ。フッサールデカルト省察』では、

 

超越論的エポケーという現象学の基礎的方法は、われわれを超越論的な存在への基盤(すなわち純粋自我がその意識体験の存在へ)立ち帰させる限りにおいて、超越論的-現象学的還元と呼ばれる。

 

と述べているし、メルロ=ポンティ『知覚の現象学』においても「還帰」という表現を用いて説明している。

 

事象そのものへ還帰することは、知識に先立つ世界、知識がいつもそれについて語っている世界へ還帰することであり、その生の世界に対して科学的図式は抽象的で派生的な記号言語に過ぎないのである。例えば地理学は、われわれがあらかじめ知っていた田園地帯の森の草原や川への関係なしにはありえなかったであろう。

 

フッサールは、この「現実」の存在を暗黙のうちに無条件に措く我々の日常の構えを「自然的態度」と呼び、この「自然的態度」を一度判断停止(エポケー)して現実の事物をこのように現出させている意識の志向性に立ち返って事物をその生まれ出る状態で捉えようとした。このための方法が、「現象学的還元」と呼ばれる能作である。この能作によって、「自然的態度」での経験が新たに見直されてくる。

 

とはいえ、この能作は、別の新たな世界を考察するものではなく、あくまで通常の経験ある種の二次的経験として捉え返す作業である。反省の対象に対する信憑を一時的に留保し、現実に存在するとされているものの存在措定を、及びそれを可能にする判断のための枠組みを、「括弧に入れる」。こうした判断の停止(エポケー)は、だからといって、思考そのものを停止することを意味するわけではもちろんない。日常的な判断に向けられていた思考をそれ自身の発生源へと振り向けるという自己誘発的能動的能作である。

 

フッサールは、同時期に詩人ホーフマンスタールの講演「詩人と現代」を聴講した時、ホーフマンスタールの説く反自然主義的純粋芸術と現象学的還元による本質直観との類縁性に感心したという。フェルディナンド・フェルナンによって著され、木田元によって訳された『現象学表現主義』がこの辺の事情を教えてくれる。

 

この書は、現象学運動の哲学的動機を知る上においても参考になるだろうし、これと併せて新田義弘『現象学』(講談社)や同『現象学とは何か-フッサールの後期思想を中心として』(講談社)を読めば、フッサール現象学についてのスタンダードな理解を掴み、そこから直にフッサール等の現象学研究のテクストに向かうための足掛かりを提供してくれることになるだろう。この二著は、現象学研究者の中でも定評のある研究書であり、入門書という域を超えているところもあるが、スタンダードな理解が整理されている分、入門書としても十分に機能するだろう。木田元現象学』(岩波書店)も、フッサールハイデガーサルトルメルロ=ポンティをコンパクトに解説した上に、当時の世相を反映してか、最後にわずかではあるが、チャン・デュク・タオ現象学弁証法唯物論』にも目配せしている良書ではある(斎藤慶典『思考の臨界-超越論的現象学の徹底』(勁草書房)も入門書とは言えないが、学説の整理もされているので、著者の思考の軌跡を辿りながら、現象学的思考を身に着けていくには格好の素材となっている)。

 

フランスにおける現象学の動向について知りたければ、ベルンハルト・ヴァルデンフェルスによる名著『フランスの現象学』が訳されているので、現象学研究の大家によって整理されたサルトルメルロ=ポンティやリクールやレヴィナスの営為が理解されるだろう。更に、雑誌「情況」で編まれた現象学特集が充実している。立松弘孝、新田義弘、渡邊二郎、田島節夫、木田元足立和浩といった面々の論考が読めるので、この存在は有難い。

 

1930年代中頃、ちょうどハイデガーナチス党員として就任していたフライブルグ大学総長を短期で辞任した直後に著した『芸術作品の起源』は、ドイツ観念論の美学や後の新カント派の美学思想を批判する形で芸術作品によって開示される存在論を展開している。

 

この靴の穿きふるされた内部の暗い穴から労働の歩みの厳しさがじっとのぞいている。この靴の頑丈な重さのうちには、荒涼とした風の吹きすさぶ畑のなかにどこまでも遠く延びた単調なあぜ道を歩むゆっくりとした足どりの粘りづよさがたくわえられている。革には土壌の湿り気と飽和が浸みこんでいる。踵の下には暮れかかる夕べの野道を行く淋しさが忍びこんでいる。この靴のうちには、大地の無言の呼び声と、熟れた穀物を贈ってくれる大地の静寂と、人気のない休耕時の寒々とした畑にみなぎる大地のゆえ知らぬ拒絶とが響いている。嘆きをもらすわけではないが、パンを確保しようとして心を砕く心労、またもや苦難を切り抜けることができたという言葉にならぬ喜び、出産が近づいた時のおののき、死に脅える戦慄が、この靴を通り抜けてゆく。この靴は大地に帰属し、農婦の世界のうちに保護されているのである。

 

芸術作品も一個の物であることに変わりがないし、我々の生活に有用な一つの道具であるという性格を持つが、物としての側面や道具としての側面からだけでは芸術作品の本質を捉え損ねるとハイデガーは言いたげである。のみならず、芸術作品のうちで、逆に物とは何か道具とは何かという意味が開示されていくのであるとまで言わんとしているかに見える。

 

ハイデガーが取り上げるファン・ゴッホによって描かれた一足の農婦の靴の絵に向ける視線に先は、ゴッホの絵に直接描かれた靴の存在だけではなく、その靴が属している農婦の世界を開示し、その世界から立ち現れては再び引きこもろうとする大地の存在である。ここに、『存在と時間』で記された「世界-内-存在In-der-Welt-Sein」との連続と断絶の両面を見ることは容易い。似たようなことをメルロ=ポンティも言い残している。『眼と精神』には、次のような記述がある。

 

ラスコーの洞窟に描かれている動物は、石灰岩の亀裂や隆起がそこにあるのと同じふうにそこにあるのではない。といって、それらの動物がどこかほかのところにいるというわけでもない。この動物たちは、それらが巧みに利用している岩の少し手前、あるいはその少し奥に、しかもその岩によって支えられながら、そのまわりに放散しており、目に見えないその繋索を引きちぎることはないのだ。

 

この、単なる物を視ることではない、物になっていく組成を、メルロ=ポイティは「想像的組成」と呼んだ。芸術は、身体とこの世界との関係としての存在の謎を増幅させて見せてくれるものである。メルロ=ポンティ『知覚の現象学』は、次のように述べられている。

 

意識とは、身体を媒介にした事物への存在である。ある運動が習得されるのは、身体がその運動を了解したとき、つまり、身体がそれを自分の<世界>へと合体したときである。そして自分の身体を動かすとは、その身体を通じて諸物をめざすこと、何の表象もともなわずにその身体に働きかけてくる諸物の促しに対して、身体をして応答させることである。したがって運動性とは、あらかじめわれわれに表象されてあった空間上の点へと身体を運んでゆく、意識の奴婢のようなものではない。われわれが自分の身体を或る対象に向かって運動させることができるためには、あらかじめその対象が身体にとって存在しているのでなければならない。したがって、われわれの身体が<即自>の領域に属さないものでなければならない。先行症患者の腕にとっては、もはや対象は存在しないのであり、このことゆえにこそその腕が動かせないのである。純粋な先行症の症例では、空間知覚は冒されておらず、それどころか、<なされるべき所作の知的観念>さえも曇らされていないように見えるが、にもかかわらず患者は三角形を模写できない。これらの症例によって、身体は自分の世界というものをもっていること、対象とか空間とかはわれわれの認識には現前してもわれわれの身体の方には現前しないこともありうること、こうしたことがよくわかるであろう。

 

ここでは、身体そのものが世界を持つことが指摘されており、身体とは、「いま」と「ここ」として、私を世界の中に位置づけることである。身体がある行動を了解するとき、すでに共同存在が開かれている。更に、後期になると、身体という「生地」でできた世界を織り込む二重の可視性や可感性を、メルロ=ポンティは<肉chair>と呼ぶようになる。

 

私の身体が世界と同じ肉でできているということ、そして、さらに私の身体のこの肉が世界によって分かちもたれており、世界はそれを反映し、世界がそれを蚕食し、それが世界を蚕食しているということ。

 

私と世界が内と外とに二重化し、物が(その内と外とに)二重化することによって実現される私の身体と物との交叉配列。世界が私の身体の二枚の花弁のあいだに挿入され、私の身体がそれぞれの物や世界の二枚の花弁のあいだに挿入されるということが可能なのも、こうした二つの二重化がおこなわれるからである。ハイデガーにおいても、メルロ=ポンティにおいても、芸術作品への接近は、存在論としての意味を持っていたのである。

物語的誤謬

ナシーム・ニコラス・タレブは、レバノン内戦時にフランスへ渡り、パリ大学において数理ファイナンスの研究にて博士号を、またペンシルバニア大学ウォートン・ビジネス・スクールでMBAを取得、ヘッジファンドクオンツ兼トレーダーになった人で、有り余るほどの大金を入手した30代で「半隠居」状態になった後、ニューヨーク市マンハッタン区グリニッジ・ヴィレッジにあるニューヨーク大学クーラント数理科学研究所で不確実性の科学を教え、世界あちこちのカフェで瞑想に耽りながら読書に勤しむ「フラヌール(遊び人)」を自称する「懐疑的経験主義者」である(どうやら現在は、大学の職も辞している模様)。

 

タレブは、Fooled by Ramdomness(『まぐれ-投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』(ダイヤモンド社)として邦訳されている)において、「作り物の歴史」を考える際にどうしても触れないわけにはいかない「似非思想家」の始祖としてヘーゲルを取り上げている。

 

その攻撃の口調は、まるで、ルートヴィヒ・ボルツマンが1905年1月21日にウィーン哲学協会で行った「ショーペンハウアーが、頭空っぽの、愚かで、無知な、人々の脳を根本的かつ永遠に腐らせるナンセンスな言葉を書き散らかしている似非哲学者であることの証明」と題する講演を想起させるほどだ。

 

この題は、ショーペンハウアー自身がヘーゲルを攻撃した時に使った言葉を引用したものであり、ボルツマンからすれば三流の哲学者であったショーペンハウアーに対する最大の嫌味でもあった。ボルツマンは、ショーペンハウアーがいかに「アプリオリ」という言葉を誤用しているか、いかに質量保存の法則などに無知か、いかにショーペンハウアーの「意志」の概念が自己矛盾したものであるかについて、これでもかというくらいコテンパンに叩いており、ショーペンハウアー嫌いが読むと痛快この上ない。ボルツマンともあろう超一流の学者が雑魚を相手にしなくてもいいのにと思わないではないが、この年はボルツマンの自殺の一年前。何か切迫した感情が襲っていたのかもしれない。

 

カール・ポパーがそのナンセンスをあげつらったヘーゲルのある一文を引用しながら、タレブは、ヘーゲルの言を「戯言」とした上で、ユーモアを交えつつ、この類の「似非思想家」に対して、These "thinkers" should be given an undergraduate-level class on statistical sampling theory prior to their release into the open world. と、要は、「世に出す前に学部レベルの統計的標本抽出法のクラスにぶちこんでおくべき」と言うほど辛辣だ。

 

僕自身はヘーゲルを必ずしも「似非思想家」とは思わないが、しかしタレブならずとも、多くの人が指摘するように、ヘーゲルには難解さを装った不必要な表現が乱れているため、ほとんどナンセンスな文章になっているケースがまま見られる。だからこそ、ことあるごとに、ヘーゲルの文章は槍玉にあげらてきた。ハンス・ライヘンバッハ『科学哲学の成立』の冒頭でも取り上げられていて、そこではヘーゲルの文章を引用した上で、いかにヘーゲルが無意味な戯言を述べているかを例証しながら、その哲学を批判していた。

 

タレブによるヘーゲルの歴史主義的言説に対する主張は手厳しい。すべての似非思想家の父ヘーゲルは、パリのセーヌ川左岸のカフェや、現実世界から隔離された大学の人文学部門の外では無意味な専門用語を書き散らかしている。なのに、人々はそれを「哲学」と呼び、納税者が収めた税金からその研究のための資金を頻繁に調達しているのだ、と辛辣だ。

 

世界的なベストセラーとなったThe Black Swan;The Impact of the Highly Improbableは『ブラック・スワン-不確実性とリスクの本質』(ダイヤモンド社)として邦訳されたが、邦訳は上下2冊本になっているので、1冊に収まっているペンギン・ブックスのペーパーバック版の方が断然お得だろう(しかも安い)。できれば原書で読んだ方がよいと思われる理由は、いくつも誤訳が目立つからだけでなく、タレブの随筆は、膨大な古典からの引用がちりばめられ(この人のおかげで、ボエティウス『哲学の慰め』に出会えた)、日本語ではそのニュアンスが伝わりにくい独特の毒舌で読む者を退屈させない文章だかである。

 

タレブは、『ブラック・スワン』において、低確率だが影響が大きい「ブラック・スワン」的事象が人間に持つ重要性を考えている。タレブは、歴史家の言う因果関係は主に多くの理由で無効であるが、特に「ブラック・スワン」的事象の予測不可能性は、その後の事象を繋ぎ合わせる「物語」が単に「聞き心地の良い響きの物語」でしかないことを示していると言う。

 

タレブは、ありそうもない事象を「ブラック・スワン」と呼ぶ。この「ブラック・スワン」には3つの属性がある。まず、①希少性、「外れ値」、つまり通常の範囲外の何かである。②人間の事象に及ぼす影響の点で「極端な影響」がある。③「外れ値」の状態にもかかわらず、人間の性質は、事後の事象についての説明をでっち上げ、あたかも「予測可能」なものであったかのように捏造する。タレブの見解では、そのような事象を予測しようとするのは、あまりにナイーブすぎるのだ。

 

タレブの「ランダム性」の概念は、不確実性つまり予測できないものの質である。「真」のランダム性と不十分な知識の違いは、実用的な認識論を目論むタレブのプロジェクトに接続される。知識が不十分であるということとランダム性と区別できないという考えは、歴史家によっても議論されてきた話題である。

 

注意すべきは、タレブはカオス理論と結びつけてはいないという点である。タレブにとって、カオス、決定論的な系からの予測不可能な結果は、実際には他の種類のランダム性と区別できない。特に、微小な効果がカオス系に大きな影響を与える可能性がある「バタフライ効果」は特に関係がない。

 

タレブは、「月並みの国」と「果ての国」と2つの基本的なモデルを識別する。「月並みの国」は、ベルカーブが適用される領域を指す。例えば、非常に背の高い人もいるが、それが平均を大きく変えるわけではない。だが「果ての国」は、例えば『ハリー・ポッター』の売り上げなど、単一のケースが総計に影響を与える可能性のある分野を指す。

 

タレブによると、大規模な経済的、政治的生活の多くは、「ブラック・スワン」が住む「果ての国」に属し、「月並みの国」に基づいてそれを予測またはモデル化しようとする試みは、危険な誤解を招くことになる。普通の生活の多くは「月並みの国」であるように見えるが、タレブは我々自身の人生の歴史を振り返れば、多くのことが「ブラック・スワン」によって決定されたことを示唆している。

 

タレブの見解によると、歴史は「物語のディスシプリン」の一つであり、世界を説明する物語を作成する、自然だが誤解を招く人間の傾向性の帰結である。因果関係の説明は、過去の事象の系列に有意義な物語や構造を課すため、懐疑的にならざるを得ない。タレブは、これを「物語的誤謬」と呼んでいる。

 

タレブの歴史的因果関係に対する批判は、4つである。第一に、「確証バイアス」と「隠れた証拠」の問題。第二に、タレブは一般的に、歴史的因果関係の説明は、単に「物語的誤謬」であることを主張している。第三に、歴史的原因を見つけようとすることは、「後方処理」の不可能性に関連すると主張する。第四に、タレブは因果関係における「事象」の概念を問題にしている。

 

タレブの「歴史」には、過去に対する個人の認識が含まれている。したがってタレブは、記憶の歪曲効果を示す心理学その他の研究を参照し、因果関係の物語が作成される要因と見ている。

 

もっとも、この点に関して、タレブは、記憶が必ずしも適切なカテゴリーではない学術史における説明や物語の構築と混同しているきらいがある。情報源からの分析、または実際に物語の構築は、記憶におけるその形成とは大きく異なる。それに、マルクスヘーゲルのような理論的仕事と実際の歴史家の仕事が地続きで捉えられている点も問題である。また、タレブが証言に反する証拠の問題として、コリングウッドが説明したことにどこまで精通しているかは明らかではない。

 

そういう問題点はあるものの、とりあえず歴史的因果関係についてのタレブの批判、すなわち、①確証バイアス、②予測と「物語の誤り」、③後方プロセス、④事象の問題を見ていこう。

 

①の「確証バイアス」とは、既存のアイデアを確認する証拠を求めたり、より大きな価値を与えたりする傾向である。この用語は認知心理学に由来する。「ブラック・スワン」の「無言の証拠」とも関連しており、これは他の証拠を無視しながら、それ自体を提示する証拠(特に成功の証拠)を見る誤りである。成功した人々が、彼ら彼女らの習慣や性質を説明することによって、彼ら彼女らの成功の秘密を示していると思われる本のジャンルによく見られる。ビジネスに参入するが失敗する人、少なくとも金持ちにはならない人は多くいるが、その人について伝記は書かれない。では、本の説明が真実であるかどうかをどのように知るのか?

 

同様にタレブは、歴史が勝者によって書かれている、または勝者について書かれていると主張しているので、我々は敗者について十分に知らされた場合、根拠がないと見なされるかもしれない彼ら彼女らの成功に因果関係の物語を帰属してしまう。

 

②についていうと、タレブの歴史的因果関係の研究の拒絶は、タレブの予測の拒絶と密接に関連している。タレブは、人間の現実の複雑な世界では予測は不可能であると主張し、予測は過去にうまくいかなかったことを知っているが、にもかかわらず、それを続けていると。タレブは、複数の物語が同じ事実に適合する可能性があるため、因果関係の物語は疑わしいと主張している。

 

この視点は、既にヘイドン・ホワイトによって指摘されており、タレブは客観的な「事実」が存在することに異議を唱えるのではなく、それらについての物語を「エンプロトメント」と考えているのである。注意すべきポイントは、この問題は、歴史や「物語のディスシプリン」に特有のものではないということである。科学では、同じデータの多くの可能な説明を考える際、1つを最良として選択する方法を議論するために「最良の説明への推論」の概念が使用されているはずだ。

 

③について言うと、タレブの因果関係に対する批判は、歴史家が「前方プロセス」と「後方プロセス」の区別を把握できず、後者を分析することは非常に困難であるということである。タレブが挙げる例によると、氷の立体を見れば、それがどのように溶けるかを予測することができるが、水たまりが見えたらからといって氷の立体がどのようなものであったかを調べることはほとんど不可能である。この点は、「物語的誤謬」に関連しているだろう。

 

コリングウッドは、過去は現在に理念的に存在し、つまり過去は現在の暗示的な想像上、だが任意の状態ではないと述べていた。すなわち、「過去は、現在の状況によって課せられた限界内で、批判的に再構築される可能性がある」と。

 

後方プロセスに関するタレブの批判は、現在を説明する複数の可能な過去があるという点である。つまり、現在では、理想的には暗示的な過去が複数存在する。しかし、前述のように、科学でも同等の問題が生じる。複数の説明は可能であるが、少なくとも1つがより可能性が高いと推測することは可能であると。

 

④は、何を以って歴史的「事象」として特定するのかという、因果関係における「事象」の概念を問題にしている。

 

「懐疑的経験主義者」を自認するタレブによる「ブラック・スワン」的事象に対する見方を、歴史理論や歴史哲学に接する際に、頭の片隅に置いておくだけでも、例えば、フランシス・フクヤマの『歴史の終焉』のような似非理論にやられないバリアにはなるものと思われる。タレブの随筆は、彼の学術論文とは全く趣の異なる、読むことの楽しみを思い出させてくれる読み物であることは確かである。

田辺元と個の偶然性-「哲学のヤンキー的段階」理解のための予備的考察④

田辺元という人は、哲学者にしては珍しく大変な秀才だったと言われる。確かに、著作を読む限り、同時代の哲学者だけでなく、現在に至る日本の哲学者の中でも、頭の出来はピカ一だったのではないだろうか。もっとも、頭の出来がいいからと言って、面白いものを書けるかと言えば、必ずしもそうではないだろうし、大きな業績を残せるとも限らない。

 

17世紀西欧のような特殊な時代は例外として、近代以降の学問の細分化・専門化の時代にあっては、頭の出来がいい者が進んで哲学を専攻することは稀なことだとの感がある。廣松渉も「今の時代、アホだから哲学をやるという風になってしまった」と言っている通り、優秀な者が率先して哲学を専攻しなくなって久しい。これもまた廣松の言だが、ドイツではヘルマン・コーエンやエミール・ラスクやエルンスト・カッシーラーのような新カント派の連中が秀才の集まりだったように、日本でも辛うじて旧制高校世代には秀才たちが哲学を選択するケースが見られた。これもまた廣松の言である。その代表とも言うべき存在の一人が田辺元ではないだろうか。

 

『最近の自然哲学』や『科学概論』そして『数理哲学研究』などで知られる田辺元は、その哲学研究の営みを科学哲学研究から始めた。第一高等学校理科出身ということから(この点は戸坂潤も同様。そのまま東京帝国大学に行った田辺と違い、戸坂は第一高等学校から京都帝国大学へ進んだ。戸坂の世代では、既に西田幾多郎の名が轟いていたので、「世界第一級の哲学」(戸坂自身の言)たる西田哲学に触れたかったのかも知れない。完全にマルクス主義者へと変貌する前の、新カント派の影響を色濃く受けていた『空間論』は、当時の水準としては極めて優れた論考だ)、元来、自然科学に関心があったので、科学哲学に関心が向かうのは寧ろ当然のなりゆきだったとも言える。

科学哲学といっても、それをどう捉えるかに関して、今日では大きく二つの考え方に分かれる。一つは、論理的経験主義を表明していたハンス・ライヘンバッハ『科学哲学の形成』(みすず書房)に見られる立場、すなわち「科学的に哲学する」という考えに基づき「方法論としての科学哲学」を追求する立場である。

論理実証主義者の集団「ウィーン学団Wiener Kreis」のメンバーが、ライヘンバッハと同様の科学哲学観を持っていたかというと、必ずしもそうではない。ライヘンバッハの場合、個別の科学の成果を分析・批判することによって哲学の諸問題を解決していこうとする科学的哲学を目指したのに対して、「ウイーン学団」の主流の依って立つ前提は、世界について有意味な言明は経験科学の言明のみであり、哲学は世界について何も語らないということ、そして哲学本来の役割は科学の概念と文の論理的分析に尽きるという立場であり、明らかに異なっている。彼らに共通していたのは、形而上学批判と、文学的修辞でごまかす類の哲学の一部に散見される傾向に対する露骨な嫌悪を示しているくらいなものである。

もう一つは、自然科学や社会科学といった科学的営為を対象にし、科学理論の意味や観察と理論との関係や、法則と実在との関係などについての哲学的分析、あるいは時間や空間の存在論的位置づけや、進化と自然選択の意味などといった個別の哲学的問題を分析の対象にする哲学の総称としての科学哲学という意味である。つまり、考察対象を科学の営みに限定しつつ、科学理論一般の持つ存在性格をメタレベルに立って考察する哲学的な営み、もしくは科学理論の対象になる事柄そのものに潜む哲学的な問題を個別に抽出し、それに対して哲学的な分析を試みる営みを指す。現在では、科学哲学といえば、圧倒的に後者の意味で用いられているようである。

では、田辺元の科学哲学はいかなる性格を持っているか。田辺は、科学哲学を単に科学を対象にする哲学といった、哲学の一部門とは考えず、さりとて「科学的に哲学する」というライヘンバッハ的な意味で考えるのでもなく、科学を媒介にした哲学、「科学の自覚としての哲学」を模索した。これはちょうど、メタフィジックスがフィジックスとの緊張関係の中で初めて成立するように、古代からの哲学の根本問題そのものを扱う「正統派」の哲学観だとの意気込みだったのではないか。その意味では、後者の見解にやや近いと言えるかもしれない。

後に、社会哲学へと関心を移したかのように見えるが、しかし晩年の『数理の歴史主義展開』にみられるように、主な関心事が社会哲学になったとしても、田辺哲学を貫く根本は、若き頃の科学哲学研究に支えられていたとも言える。科学哲学研究から出発したその延長で、自ずとカントの批判哲学の研究に向かい、カントの本来の意図がそうであったように、科学批判を通じた形而上学の可能性/不可能性に関心が拡大した。そこから、ドイツ観念論の再検討へと至り、フィヒテシェリングそしてヘーゲルについての研究へと更に広がっていった。

この哲学的進展の内的動機と、時代の直面する社会的現実の課題への関心という外的動機の両面から、遂には歴史的社会的存在の問題についてマルクス主義との対決を試み、徐々に台頭し始めてきた国家主義民族主義との対決のために、「種の論理」として一括される種々の論文で表明された社会存在論に取り組むことになった。この「社会存在論」は、古代の「自然存在論」や近代の「人格存在論」に対する第三の段階と位置づけられた、「基体即主体」とする存在論であって、前二者の弁証法的総合でもあった。

国際政治学高坂正尭の父で、カント研究や歴史哲学研究でも知られる、「京都学派第二世代」を代表する哲学者高坂正顕の回想によると、田辺元マルクスの革命的実践の意図を認め、それに同情的であったとの由。と同時に、マルクス弁証法には批判的で、特にそのエンゲルスの「自然弁証法」に対しては、多くの哲学者の例に漏れず、あからさまな嫌悪を抱いていたという。

スターリン時代のソ連の「公認学説」であったマルクスレーニン主義の哲学(ソ連科学アカデミー哲学研究所が編集した『マルクスレーニン主義哲学の基礎』に代表される)は、実在や思考をも貫く原理として「弁証法唯物論」を措定した上で、それを歴史に適用したものを「史的唯物論」とし、自然に適用したものを「自然弁証法」として位置づけしたわけだが、もちろん、こうした哲学体系をマルクスが抱いていたかは大いに怪しい。否、むしろそれどころか、マルクス自身の思考とは似ても似つかぬ代物。

こうした誤解は、エンゲルス自身に負う部分も多いが、やはりカウツキー『唯物史観』の影響が大きいものと思われる。革命路線や現状分析に関してカウツキーと対立し、『プロレタリア革命と背教者カウツキー』を著す程のレーニンであったが、ことマルクスの哲学についての理解は、カウツキー由来のままだったのではないか。その影響は、レーニン『哲学ノート』とエンゲルス『反デューリング論』からの引用に頼り、マルクスのテクストから直接引用することがほとんどない毛沢東『矛盾論』にも及んでいる。


この弁証法唯物論哲学としてのマルクスレーニン主義に対しては(「弁証法唯物論」という用語はプレハーノフに起源がある)、教条主義マルクス主義墨守する戸坂潤を除いて、田辺元和辻哲郎三木清は、早くから異論を表明していた。戦後では、初期マルクスから影響を受けた、和辻哲郎に教わった梅本克己や、極左暴力集団日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(いわゆる「革マル派」)の最高指導者であった黒田寛一らも旺盛な批判を展開していた。中でも、廣松渉マルクス主義の地平』(勁草書房)が先鋭的な批判を展開していた。

日本以外でも、西欧マルクス主義アルチュセール構造主義マルクス主義、ヘーゲリアン・マルクス主義者として米国の文学者フレデリック・ジェイムソンも、旧ソ連公認の哲学体系を支持してはいない。ソ連が崩壊して既に30年経過した今日、「弁証法唯物論哲学」を恭しく奉じているのは、日本共産党系の学者くらいではないだろうか。

田辺元マルクス主義との対決は、雑誌『哲学研究』に6回に亘って掲載された「弁証法の論理」という論文から始まった。その後の『ヘーゲル哲学と弁証法』の序文には、以下のような記述がある。

之(「弁証法の論理」のこと)を書いた直接の動機というべきものは、当時急速に大学の学生間に勢力を有し来った唯物弁証法が、一部無批判なる人々には宛も魔術の棒の如く万能の論理と信ぜられ、これさえあらば一切の学問認識は直ちに獲得せらるる如くに考えられ、現に数学の如きも正負反対の数の結合を取扱うものたるを以て弁証法に由り処理せらるると語る人あることを伝聞して、論理に携わる教師の一人として黙すべきにあらざるを痛感したことにある。・・・私の弁証法ヘーゲル哲学とに関する研究は、直接には弁証法唯物論に対する関係に動機づけられたものである。現在までの私の思索の結果は、唯物史観を半面の真理として認めつつ、而もその説く実践の概念を否定し、無産階級独裁の為の闘争行為を直接に実践の必然的内容とする如き主張に反対して、歴史を支配する見えざる全体に対する目的論的道徳的実践を強調する絶対観念論に外ならない。私はこれが階級的に制約せられつつ階級を超え、存在に規定せられながら却って之を媒介として精神内容を実現せんとする思想の本質に相当するものであると信ずる。思想の存在に由る規定の一面のみを認めて、それに対する自由形成の他面を無視するならば、弁証法唯物論を主張する思想家自身が自家撞着に陥ることを免れない。思想は存在に限定せられると共に限定せられず、却って之を限定するが故に弁証法的なのである。私は正しき弁証法の理解が観念弁証法と共に唯物弁証法をも併せ斥けて、両者を超ゆる絶対弁証法に至るのでなければならぬことを確信するものである。

田辺元が『カントの目的論』における立場から弁証法的立場に至った要因は、マルクス主義との対決であった。では、ヘーゲルの観念弁証法でもなければ、マルクスの唯物弁証法でもない、「第三の道」としての「絶対弁証法」とはいかなるものであるのか。それを示しているのが、『ヘーゲル哲学と弁証法』に続いて書かれた『哲学通論』である。

弁証法Dialektikという言葉は、元は「弁論術」の意味であって、対話を意味するDialogと語源を同じくする。プラトンは、デアレクティケを真理に達しイデアを見る方法と解したのに対して、アリストテレスは、デアレクティケをソフィストにおける弁論だから真理に到達する方法ではなく、単なる蓋然的な意見に過ぎないものをもっともらしく理由づける方法でしかないと考えた。古代ギリシアから、弁証法=ディアレクティケは、二重の意味を併せ持ってきたというわけである。カントにおいて「超越論的弁証論transzendentale-Dialektik」が「仮象の論理Logik des Scheins」とされたのは、カントがアリストテレス的な意味で弁証法を用いていたことを裏づけていると解釈することもできるだろう。

他方、ヘーゲルは、正反互いに否定しあうことによって、合において互いに一面的な正と反とを総合する高次の具体的真理、具体的全体に到達する哲学の方法と位置づけられた。ヘーゲルの観念弁証法においては、存在ないし自然は、思惟ないし精神が「自己疎外Selbst-Entfremdung」あるいは「外化Entaeusserung」を行った結果にほかならず、物質を精神から展開させる、もしくは「概念Begriff」から展開させるという観念弁証法に堕してしまっているという点が、マルクスによる批判であった。

田辺はこの点に関して、マルクスヘーゲル批判を正しいと考えた。というのも、世界のすべての存在を精神あるいは概念から発出させるヘーゲルの観念弁証法は、所詮は観念論的な「発出論Emanations-Lehre」の一種であって、弁証法をして弁証法たらしめるところの、正反の対立、具体的には精神と物質の対立の面を抹殺させることに至りつくからである。そこで田辺は、マルクスの「意識が存在を規定するのではなく、その社会的存在が意識を規定する」というテーゼを肯定する。

 

また、マルクスの『フォイエルバッハに関するテーゼ』の最後にある章句、「哲学者たちは、様々に世界を解釈してきた。しかし世界を変革することこそ何より大切なことである」を、ことヘーゲル哲学に対する文句としては妥当すると考えるのである。ヘーゲルにおいては、すべての矛盾対立は観念論的に解決され、その意味で「和解の哲学」ともいう構造を有している。すべての矛盾対立が観念論的に解決・解消されるがゆえに、そこに「実践」が介入する余地などない。しかし、矛盾対立が現実的である限り、それは単に観念的に解決されるわけはなく、「実践」の契機が不可欠になるのは当然である。そう考えるほど、田辺はマルクスに好意的だった。

しかし、マルクスの唯物弁証法ヘーゲルの観念弁証法に対して持っていた批判力の一方のみが強調されることによって、ヘーゲル哲学が陥ったのと同様の自己否定の結果を招く、と田辺は論じるのである。マルクスの唯物弁証法は、ヘーゲルの観念弁証法に対して物質すなわち存在を力説するあまり、観念的なものは物質的なものの人間の頭脳への置換転移されたものに過ぎないという主張にまで及びかねず、そうすると、これは18世紀の機械的唯物論と大差のない杜撰な主張に至るというわけである。ヘーゲルが「観念論的形而上学」であるならば、マルクスも「唯物論形而上学」である。その危険性は、エンゲルスにおいて度合いが激しいものとなる。存在が意識を規定することを強調しすぎると、弁証法でも何でもない機械的因果論的な主張と化してしまう。そう田辺は主張する。

マルクスレーニン主義よりも、むしろ「エンゲルスレーニン主義」ともいうべき旧ソ連「公認」の弁証法唯物論哲学は、弁証法とは名ばかりの機械論的唯物論と化してしまった。日本共産党は、表向きソ連共産党と袂を分かった格好になっていた。とはいえ、日本共産党の機関紙『赤旗』のモスクワ支局は、最後まで存続し続けた。朝鮮労働党とは、ラングーン事件後の関係悪化によって平壌支局はなくなったはず。それと比較すると、本当に日本共産党ソ連共産党との関係を切っていたのかどうか怪しい。それはともかく、その根本となる哲学・思想に関しては、何ら変わらぬ「科学的社会主義」を標榜するのが、日本共産党系の学者・言論人である。

日本共産党系の新日本出版社から出されている雑誌『経済』や、日本共産党中央委員会の機関誌『前衛』に書かれている哲学者や経済学者などの論文や対談を読めば明らかだが(かつては、この種の問題については『文化評論』誌上で行われており、蓮實重彦『表層批評宣言』では、自身が攻撃を受けた旨を蓮實独特の表現でからかっていたの)、ほとんどが「タダモノ」論であって、例えば、岩崎允胤や平野喜一郎による分析哲学批判も、それを論理実証主義と同一視した挙げ句、「観念論」とのレッテルを貼るだけに終わっていた(クワインなど読んでいなかったのだろう)。廣松渉には「主観的観念論である」と、大して読みもしないで攻撃するなど酷い内容で、まるでレーニン唯物論と経験批判論』のような批判内容であった。特に、マルクスエンゲルスにおける思考の差異を指摘する主張に対しては、血相を変えて攻撃する。『経済』や『前衛』における「エンゲルス特集」の論文や対談を読むといい。また、学者ではないが、新日本出版社から出されている不破哲三志位和夫の著書を読めば、彼らがいかにマルクス=レーニン主義を後生大事にしていたかがわかろう。

和辻哲郎と同じく、田辺元マルクス主義とは対決したけれど、決してマルクス自身の思考を否定することはなく、むしろ哲学者としても極めて優れた存在として高い評価を下していた。田辺の主張はさらに続く。マルクスが社会の基礎構造として考えていた生産力及び生産関係に関して生産力と一口に言おうと、自然力と技術の対立があり、その技術や機械には既に観念的なものが先行するわけだし、生産関係にしても階級関係にしても、自然的契機と人為的契機の対立が含まれているはずである。そのような対立が無視され、容易に物質的なものに帰着されてしまう。また、実践の優位も理論的に成立しなくなる。というのもマルクスの言うように、歴史の変革は生産力と生産関係の矛盾の必然的帰結であるというのならば、そこには真の実践が介入する余地がなくなってしまうからである。そう、田辺はマルクスを批判する。

ヘーゲルのみならず、マルクスですら、弁証法的であるよりも形而上学的なものに陥ってしまうのは、あくまで互いに矛盾すべきものが、その絶対に矛盾的であるべき性格を見失い、あたかも一から他が発出せしめられるかのように考えることからくる、形而上学的実体化の罠に嵌まってしまうからである。しかし、真に弁証法的であろうとするならば、物質と精神とはどこまでも対立的・矛盾的でなければならず、ヘーゲルのように、自然は精神の自己疎外であるとか、マルクスのように、観念は物質の脳髄における反映であると一元的に考えることはできないはずである、と田辺は批判する。

 

よって田辺からすれば、真の弁証法は絶対の矛盾の上に立つものであり、したがってどこまでもヘーゲル的なものとマルクス的なものの矛盾を自己の中に内包し止揚するものでなければならない。この立場が「絶対弁証法」であり、この絶対弁証法は、絶対的な二元論を内包し、それを止揚したと言いうるものである必要がある。

ところが、単に二元論的な矛盾を内包するというだけなら、元より二元論でしかなく、弁証法である必要はない。弁証法であると言いうるためには、最終的に両者が止揚されなければならないはずである。しかし、それを止揚するものが何らかの存在であるならば、物質的なものか精神的なもののいずれかになってしまい、結局は観念弁証法か唯物弁証法かに帰着してしまう。

 

だから、絶対弁証法においては、精神や物質を止揚するのは、「有」ではなく「絶対無」であるよりほかないことになる。矛盾対立するものを交互転換的に否定せしめるものは、「絶対無」の実践的自覚である。精神は自己に対立する他者、すなわち物質において自己を否定するものを見て、物質もまた精神において自己を否定する他者に対する。その時、精神が物質の必然たるを知り、己を無にして自己を否定し、物質の必然に即して実践したならば、精神は物質から離れた抽象的自己としては物質の中に死するとともに、却って物質を自己の内容として具体的な自己としてよみがえる。つまりは「死して生きる」のであり、逆に物質も盲目的必然ではなく、自覚された必然として必然即自由となる。

 

要するに、絶対弁証法とは、一方であくまで精神的なものと物質的なものの矛盾を内包しつつ、他方でその両者を「絶対無」自覚的実践によって止揚するというものである。この「無」の自覚は、後に「愛」となって昇華させられるのであるが、ここに田辺の「種の論理」の挫折と転回を見て取ることができる。

田辺の社会存在論では、「個-種-類」の系列において個が包摂されてしまう弁証法全体主義を避けることはできない。もちろん、個の契機を完全に全体に包摂するとまでは言っていない。田辺は、個人主義を否定すると同時に、全体主義をも否定していた。個人主義でも全体主義でもない社会存在論を構想することによって、西欧の個人主義やドイツロマン主義の社会有機体論的全体主義をも乗り越える方向性を志向していた。

しかし、田辺が国家社会の構造を理性の自律に転じられねばならないとして思考した営為に見られる個人と国家と世界の多層関係はきれいな体系に収まる一方、その体系に収まらない要素については意図的に無視されている。そこに抜け落ちている要素とは、個の偶然性とそれに関連する悪の問題である。この個の偶然性が田辺の「種の論理」では閑却されてしまい、個の「自由の王国」は「必然の王国」に系列下される限りで存在するものでしかなかった。

 

この辺は、『哲学のヤンキー的段階』での主要テーマとなるはずだ。