shin422のブログ

民族派右翼による「便所の落書き」擬きの極私的備忘録

祝!「大阪都構想」否決

大阪都構想」という名の政令指定都市大阪の解体構想が住民投票の結果、反対多数で否決されたみたいだね。大阪市民ではないけど、とりあえず、ばんざーい!

 

かつて大大阪と言われた日本経済の本来の中心地である大阪が胡散臭い連中にジャックされ、めちゃくちゃにされていくのは耐え難い。米大統領選挙もわからないが「大阪都構想」もどうなるや冷や冷やものだったところで、この朗報。いやぁ最高ですなぁ。

安倍政権の功罪-内政・教育行政編

 安倍政権の内政面の功罪について考えると、どうしても功よりも罪の方が大きいと言わざるを得ない。いや、功の側面を見つけようとしても見出すことが難しい。その意味で、外交面とは逆の評価で完全に落第点がつくだろう。その最大の問題は、デフレ脱却の方向を決定づけることができなったことだが、それは経済政策編で簡単に触れたので、ここではそれ以外の内政面の失策、とりわけ行政機構との関係や教育行政に注目したい。

 

 それは、橋本龍太郎政権下での「行政改革」ほどの大規模かつ破壊的なものではなかったとはいえ、その方向性を加速したと言える「構造改革」路線の追求に関わる。先帝御譲位にまつわる不敬な言動、大嘗祭に関わる伝統破壊、行政機構の改悪、教育行政の改悪、自主憲法制定の不実行などなど語り尽くせぬほどの暴挙をやってのけた政権であり、明らかに、保守とは名ばかりの左翼政権と見紛うばかりの実態であった。

 

 新帝践祚前に御名御璽なく行われた元号前倒し発表は、時が天皇の御代であることを象徴的に表す元号の意義を蔑ろにする許しがたい蛮行であった。また新元号の典拠に関しても、古来の慣例に沿って四書五経などの漢籍に求めることをせず独自色を出そうとしたことも非難に値する。古来、皇太后という名称があるにも関わらず、上皇后皇嗣殿下といった造語を作ったことも罪深い。何より、大嘗祭のための大嘗宮設営に際して、伝統的な茅葺き屋根をやめて板葺き屋根に改め、さらに一部をプレハブ方式にしたことは、思い返す度に腸煮えくり返る思いがする。これはひとえに、たとえ我が身を捧げてさえも上御一人をお守りするとの宰相のあるべき姿勢に対する志が欠如しているために起こった。皇尊への崇敬と伝統についての心構えに欠ける愚行は、未来永劫語り継がれることになろう。

 

 橋本龍太郎政権時に断行された「行政改革」という名の改悪事例をなぞるように、安倍政権下での内閣人事局設置による官僚統制は、もちろん十全に機能すれば内閣による行政各部に対する民主的統制の確保として評価されるはずであるが(官僚機構が内閣の統制に服さず、民主的コントロールなくして各省庁が独自に暴走してしまう危険は、内閣が陸軍省海軍省などに対して統制がかけられなかった戦前日本の統治機構の欠陥を思い返せば理解されよう)、実際は内閣総理大臣やその周囲の者の個別の利害を忖度する官僚を量産し、ただでさえ大した力を持たなかった官僚をさらに弱体化させてしまったことは、長い目から見ると日本国の将来に禍根を残すことになろう。

 

 挙げ句の果てが、財務省理財局による公文書改竄問題である。官僚が不都合な公文書を見せまいとして隠蔽に走ることはこれまでもあったが、公文書の改竄となると前代未聞の不祥事である。この件に関して、改竄を指示された近畿財務局勤務の担当者が自責の念にかられて自ら命を断つ痛ましい事件まであった。本来ならば、少なくとも財務大臣が更迭されても仕方のない事案であるにも関わらず、誰もろくな責任を負わずやり過ごされたことは、我が国の公文書管理の在り方と公文書に対する国民の信頼を毀損する由々しき事態である。もちろん、安倍首相が改竄を指示したとまでは到底考えにくいわけだが、内閣総理大臣として何らかの責めを負うべき事案であることに変わりない。

 

 その他にも、加計学園獣医学部創設に絡む問題も不可解な点が多かった。競合していた京都産業大学の申請書類に比べて加計学園が提出した申請書類の分量を見せられた時は衝撃であった。申請書類の分量の多さが直ちにその質を保証するものではないにせよ、あまりの差にその質すら疑われても仕方のないほどの分量だっただけに、この事案が政治イシューではないかと勘繰りたくなる象徴的な絵図だったことは確かだ。推測の域を出ないが、おそらく安倍首相が直接加計学園を選ぶように指示したことはないのだろう。ただ、安倍首相と加計理事長との懇意な仲は官邸の官僚ならば承知していたことであり、元々「忖度」に長けた官僚のことだから、黙示的に事が安倍首相の覚えめでたい方向に進められたのではないか。

 

 もっとも、こうした忖度は、官邸のみならず会社や学校など組織につきものである。なぜ、単なる新聞記者でしかなかった渡邊恒雄が正力家を差し置いて読売新聞グループの首領として長年君臨し続けられたのか。読売新聞グループ本社会長の地位こそ譲ったが、こだわりの「主筆」の地位だけは記者上がりとしての矜持のためか最後まで手離さずにいる90代の老人が、今もなお読売新聞グループ内の最高実力者であり続けているのは、周りの「忖度」あってこそである。蓮實重彦東京大学教養学部長から副学長に就いている時期に断行された駒場寮廃寮騒動における反対派学生に対する強権的な鎮圧行為に対して、普段は左翼的な言動をして息巻いていた駒場の教員はだんまりを決め込むか、率先して学生の鎮圧にあたっていた教員も、ボスである蓮實に「忖度」していたのだろう。

 

 安倍政権になって一段とその流れが加速されたとはいっても、元々官僚とは「忖度」するものであり、政治家の圧力に屈せずひたすら国益のために全身全霊を捧げた官僚という描像は所詮虚像でしかないような気もする。中にはそういう官僚もいたのかも知れないが、大抵は多かれ少なかれ「忖度官僚」だったのではあるまいか。これは日本の官僚機構にのみ見られることではない。城山三郎官僚たちの夏』を真に受けてはいけないのだ。評論家の佐高信がことあるごとに持ち上げる元通産事務次官の佐橋滋は、『官僚たちの夏』のモデルの一人で、佐高は師である(もっとも、制度上の師弟関係ではない)久野収と佐橋滋の対談まで企画したほど入れあげようだったが、果たして佐橋滋がそれほど誉めそやかされるほどの人物であるかは大いに疑問だ。例えば、本田宗一郎から言わせれば、ろくでもない官僚だったという評価になりそうである。

 

 教育行政に関する改悪も酷い有り様だった。大学入試における英語の試験のあり方をめぐる騒動は、萩生田光一文部科学大臣による「身の丈」発言もあり、大きく取り上げられたが、可能な限り公平性の確保を旨としなければならない文科相自身がフェアであることを放棄した暴言であった。共通試験における民間テスト導入の件に関しても、受験の公平性や公正性の確保を犠牲にして、特定の民間業者に利益誘導しようとする一種のレントシーキング活動であることは明白だった。民間業者によるテストを導入したとしても、英語の力は伸びるどころか逆にますます衰えてしまうことだろう。下村博文といい萩生田光一といい、安倍首相に近い関係にある文科相経験者は、残念のことに我が国の文部科学行政によからぬ影響を与えた「教育破壊者」というより他なかった。

 

 確かに、これまでの英語教育の有り様は、長く学校教育で英語の授業が行われているにも関わらず、ろくに英語が使えない者を大量に産み出したことから、とりあえず失敗だったと思われるが、この失敗が、英語の民間テスト導入や公教育での英語学習の早期化またはオーラル・コミュニケーションの重視などによって改善するわけはない。日本の英語教育は読み書き能力の向上に偏向しているので、読み書きの能力に長けている者が多いが、話す聞くの能力が不足していると一般に思われている。しかし、それは俗説でしかなく、実際は読み書きの能力に長けていることはない。読み書きの能力も不足しているのが実態ではあるまいか。

 

 そもそも、コンポジションの能力があるのに話せないということがあるのだろうか。コンポジションの能力が怪しいからこそ、話す能力も怪しいと考えるのが自然である。日本人の英語能力は概して低く、これは大学の教師や大企業のサラリーマンそして官僚に至るまで等しく当てはまる。国際的な学会でもいいし、経済人が集まる国際カンファレンスでもいいが、日本人のプレゼンテーションの際の発表と質疑応答の場面では、思わずこちらまで赤面してしまうような酷い英語が披露されているし、日本人研究者がFacebookなどのSNS上で時折英語で綴った短文ですら、間違いや表現のぎこちなさが目立つ。ご本人は受験英語で鍛えた自信があるのかもしれないから、きっと正しいと思い込んでいるのだろうが、英語に慣れた者からすると、失笑モノという表現が相当ある。いわば「受験英語」丸出しと一目でわかる表現で、この感覚は普段から英語に浸っていないとわからない感覚だろう。

 

 外国語教育もさることながら、国語教育も改悪されようとしている。その一例が、「論理国語」なる珍妙な授業の導入である。そもそも、この「論理国語」という表現そのものが売国的な表現であり、まるで我が国語が非論理的な言語であるかのような含意を持つ。これも、左翼教育の成れの果てなのかもしれない。しかし、ある一定の領域において持続的に用いられている言語体系で論理的でない言語が存在するのだろうか。もちろん、人工言語のような論理的に精緻化された体系ではない。だからといって「非論理的」であるということはない。言語を理解するということは、当の言語が使用されている一定の文化的・社会的背景を前提にしたコンテクストにおいて理解することであって、それは時には一見非言語的とも言える行為とも合わさった全体的な相互活動の反復から血肉化していく。

 

 言語は単なるビジネス・コミュニケーションのためのスキルではなく、その人の人格を形成する核心部分にまで深く刻み込まれる実存に関わるものである。「言語の海」に浸りきって実存している我々人間の本質を何ら理解していなからこそ、平気で「論理国語」なるアホの極みのような表現が出てくる。国語の崩壊は、日本人の実存・生き方そのものの崩壊につながるといっても過言ではない。なぜ、チベット人チベット語ではなく北京語による教育の強制を行う中共に対して焼身自殺してまで抗議の声をあげるのか。それは、チベット語チベット人の人格の核心をなすものであるからだ。

 

 契約書やら公文書の読み書き能力なんぞ、職業に従事して一週間もあれば自ずと身につく程度の薄っぺらいものでしかない。国語の表現の豊かさやその国語による思考の機微を捉えるのに、いくら契約書や公文書の読み書き能力を身につけても、ロクな総合的な判断能力は身につかない。何より、当人の生を豊かなものにはしないだろう。国語はしかも現代文だけに限らず、古文も漢文も全て国語を形成している。小林秀雄「実朝」の末尾にある「わが国語の美しい持続」と「巨大な伝統の美しさ」にただ只管に平伏す態度なくして、我が国の国語教育などあり得ない相談なのである。

 

 国立大学法人の改革といえば聞こえはいいが、「改革」と名のつくものがことごとく失敗している通り、おそらくロクなものにならないことが予想できる。だから先ずは、「余計なことはするな!」の一語が投げかけられるだろう。かつてG型大学とL型大学への区分けが提案されたことがあったが、安倍政権下での大学「改革」はこのラインと類似した構想の下に提案されたものかもしれない。様々な小賢しい細工によって機能不全に陥っている大学の根本問題は放置されたままで、より事態を悪化させるだけのことしかしていない。「教育再生実行会議」が提案した国立大学における人文社会系学部の廃止・転換で解決する問題ではないのである。

 

 大学の運営費交付金が削減され、教員の非正規雇用が拡大し、基礎科学研究に費やされる予算が削減され、目先の応用研究ばかりが注目される。こうした事態に陥った大学に魅力はない。優秀な学生ほど大学院進学を回避し、売れ残った者がモラトリアムとして大学院に進学するから、全体のレベル低下は免れない。そういう惨憺たる状況だから、実力のない「高学歴ワーキング・プア」や「ホームレス博士」があぶれ出す。

 

 一方、大学全盛期に就職にありつけた高齢の研究者はロクに研究せず何一つ業績らしいものを残せないのに悠々自適の生活を謳歌している。研究はそっちのけで、政治活動にかまける左翼教員が大学の組織に寄生しながら無責任な戯言を吐き続けている。こういう体たらくなものだから、人文社会系学問に対する疑念が増幅され、この点を突かれて「人文系学問不要論」が俄かに主張されるようになるのだ。要は、自分たちで自分たちの首を絞めているわけである。こういう歪な構造は、我が国の科学技術や学問研究を間違いなく破壊することになるだろう。

 

 大学は企業の論理とは別の論理で動くという誰もが理解していた常識まで否定され、大学が企業なかでも多国籍企業の利益に資する機関に包摂されていく。これも「偏差値教育」の究極形なのかもしれない。破壊すべきは、大学受験システムとこれに奉仕する「偏差値教育」であって、教育そのものではないのだ。期待しても仕方がないが、萩生田文科相が残された時間で着手すべきは、大学受験の廃止である。試みに、思い切って東大入試や京大入試などを撤廃してみたらどうだろうか。「偏差値」が唯一の物差しとされ、その「偏差値」による輪切りにされた受験ヒエラルキーが、目先の経済的利害に基づく制度改変へと至りつくのは、ほとんど自明の理と言える。だから、目先の経済的利害に基づいて教育改悪を批判する者が、「偏差値教育」に基づく受験システムそのものに対して批判の目を向けないのは矛盾していると言うべきなのである。「点取り競争」が「金儲け競争」に転嫁しただけのことであるからだ。

 

 但し、安倍政権下での教育改悪は安倍政権に特有の問題ではなく、とりわけ90年代から始まった動向の一環である。さらに、世界を見ても程度の差こそあれ、実用重視の価値観の教育への浸透は見られる。これは、企業の多国籍化の動向と軌を一にしている。日本社会における企業の多国籍化が本格化するのは、90年代半ばである。これに合わせて、経済団体が教育の介入に着手し始める。90年代後半、国公立大学の民営化が提起され、結局は独立行政法人化という仕方で落ち着いた。

 

 この独法化を当初歓迎したのは、何と東京大学の盆暗教授たちであった。これから一層東大に集中的資金投下がなされるだろうとの浅ましい期待に基づいて、単純に喜んだのだろう。実は自らの首を絞める罠であることに気がつきもしなかったのである。やっと目覚めても、時すでに遅し。何でもかんでも安倍の責任だと喚くだけで前後の文脈を考えない左翼は、安倍政権下での教育改悪が多国籍資本の動向による一連の「改革」の流れの一つとして捉えきれていなかったのである。

「過激であること」の自己目的化

 先月の(日本時間)28日午後5時に内閣総理大臣の職を辞する旨の表明した安倍首相の後継争いは、漸く菅義偉官房長官に落ち着きそうな勢いである。細田派、麻生派竹下派が支持表明し、先だって支持する旨を明かしていた二階派と合わせると自民党所属議員の圧倒的多数が菅を支持しているので、菅新総裁の誕生はほぼ確定的となった。良い悪いは別として(菅官房長官に対する一抹の危惧は、やはり日本維新の会との微妙な関係だろうか)、安定的な権力継承としては順当な判断といったところだろう(他方、立憲民主党と国民民主党からの合流者よりなる新党の話題が全くといっていいほど注目されていないようだが、起死回生として思い切って新党名を「共に民主党」にでもすれば、瞬間的に話題をかっさらうことができそうである。まあ、その後どうなるかは別だけど)

 

 ただ気になるのは、マスメディアの偏向ぶりの方である。なぜだか石破茂を推しているのがありありで(自民党内の反主流派という理由も手伝っているのだろうが、対中対韓姿勢が安倍内閣と違っている点に過剰な期待を抱いているのかもしれない。しかし数年前には同じ人物を「タカ派」だとして否定的に報道していたのは、当のメディアである。そもそも、自由民主党金丸信と旧日本社会党の田辺誠と朝鮮労働党のキム・イルソンとの間で交わされた「三党合意」によって、北朝鮮に対する「戦後45年の償い」なる売国的な内容を約束し、その後の日朝平壌宣言に至る足枷となった「金丸訪朝団」の一員として訪朝した際の評判を耳にするならば、この人物に自衛隊の最高指揮官を任すことができるのだろうかという疑問を持たないわけにはいかない)、世論調査結果なるものまで持ち出しての持ち上げようである。

 

 しかし、自由民主党総裁の選出に際して、「世論」の人気を根拠に出すというのは奇妙である。世論調査の対象が自民党員に限定されているのならともかく、非党員は自民党の総裁選出過程に何ら関与しない。普段から、公明党日本共産党の代表選出にも「世論」を持ち出して報道しているのだろうか。もちろん、そんなことはしていない。そもそも両党は、「民主的」に代表を選出するプロセスすら講じられているとは言い難い。それに関して、マスメディアは何ら否定的な論評をしていないはず。

 

 結局、「郵便ポストが赤いのも、母ちゃんのでべそも皆、安倍晋三のせいである」というかの如き信条を持つ者の難癖の一つとも言え、マスメディアの報道もその一つではないのか。その責めが安倍首相に帰されるべきか否かは別として、安倍政権下において確実に「世論」が両極端に分かれ、方や安倍晋三のやることなすこと気に入らず、安倍を支持する者が存在すること自体が許せないという側がある。方や、安倍首相のやることなすことほとんど全てを礼賛するばかりで、何らの批判的視点をも欠如させた「安倍ポチ」みたいな側がある。両者が、互いに憎悪の感情を剥き出しにして罵り合う光景がネット上でよくみられるようになった。特に、大学という制度の下で安定したポジションに就いていることを奇貨として、罵詈雑言を弄して憎悪の感情を安倍晋三やその支持者にぶつける左翼教員の言動が目立った。

 

 日本共産党は「民主集中制」を採る党中央の指導部による一元的支配が貫徹されているので、異なる路線が表に出る形で戦わされ、党員票ないしは国会議員票による決選投票による党首選出過程などとは無縁であり、形ばかりの中央委員会総会によって日本共産党中央委員会幹部会委員長が選出されるということになっている。もちろん、表向き「派閥」は存在しない。対立候補が立候補して口角泡を飛ばした委員長選挙など当然存在しない。それどころか、党中央に異論を挟む者は「分派活動」のレッテルを貼られ、査問にかけられた挙句、除名処分を喰らう。

 

 この繰り返しで、かつて長きにわたって日本共産党に君臨し続けた宮本顕治は「宮本独裁体制」を築いた。そういう閉鎖的組織であるから、おそらく自民党総裁選挙の選出プロセスに関して日本共産党は何らコメントを出していないものと思われる。そりゃそうである。日本共産党こそ「密室的」であることに自覚的だから、ブーメランとなって撥ねかえってくるコメントはしないようにしているわけだ。同じ人間が何年何十年にわたって党委員長や党中央委員会幹部会議長を務めている異常性をマスメディアが批判的に指摘することはない。

 

 公明党も、支持母体である宗教法人創価学会の意向を無視できない。両者は別物の組織ということになっているが、誰もそんなことを本気にしていない。事実上、創価学会の承認があって公明党の代表に指名されて選出されるわけだから、直接的な指揮命令関係にないとはいえ、実質的に創価学会の最高指導者である池田大作名誉会長の指示には逆らえない。もっとも、かく解されるからといって、公明党の存在が日本国憲法20条1項後段、同3項に規定する政教分離規定に抵触すると言っているわけではない。

 

 今もなお、公明党の存在の違憲性を主張する者もいるが、憲法20条1項後段及び同3項(財政的に側面からは89条もそうだけど、ここでは89条は直接問題にはならないので無視しておく。とはいえ、政党助成金の関係で問われうるとも言えるかも知れないが)に規定するいわゆる政教分離規定とは、公権力と宗教活動を制度的に分離し、公権力が特定の宗教を援助・助長したり、逆に圧迫・干渉となる行為をすることを禁止することで、憲法20条1項前段及び同2項の信教の自由を間接的に保障するための制度的保障を定めたものであって、宗教団体が政治活動を行うことまでを禁じる規定ではない。そのため、たとえ公明党が宗教法人創価学会の事実上の指揮命令に服していたとしても、そのことを以って、直ちに憲法に抵触するとは言えない。ここで問われることは、日本共産党と同じく「党内民主主義」の機能が生きているか否かということである。

 

 自由民主党の規約によると、総裁選挙が行われる際の方法として通常の方法と緊急時の方法があり、今回のケースでは、いずれの方法を採るかの判断を総裁から一任された幹事長が後者を選択する判断を下したということであって、「密室的」だの「派閥談合」だのという批判は、少なくとも非自民党員から言われる筋合いはない。自民党のことは自民党員から付託を受けた党の執行部が決定する事項であって、部外者がどうこう言うものではないし、「世論」なるもので決めるものではない。

 

 もちろん、党の内部で、末端の党員からの声をどう反映させるかという問題は残るが、あくまで一つの政党内部の事項である。「世論」の調査結果と党員の意見を調査した結果が同じであるとも限らない。むしろ同じと解する方が無理がある。自民党は他の政党よりも遥かに党員の思想や政策論について幅が広いものの、基本は自由と民主の理念を中核に据えつつ、我が国の国政のあり方に関して保守の立場に立脚した自主憲法制定を党是とする政党であるから、全国の有権者全体の持つ思想や政策論の幅よりは自ずと狭い。そうすると、「世論」の意向と党員の意向とは乖離するのが自然である。

 

 各党員の投票を用意することになれば、全国数百万の党員各自に投票用紙を送付しなければならないし、その際有権利者であるかいなかのチェックも必要となる。更に、総裁選立候補者の全国各地への街頭宣伝活動も余儀なくされる。自民党員のかなりの割合は、職能別組織が別個に設立した政治組織の構成員であったりする。例えば、日本医師会とは別の政治組織として設立された日本医師連盟や、日本歯科医師会とは別の政治組織である日本歯科医師連盟などである(自民党の比例枠には、必ずこうした職能団体と密接に関連する政治組織である圧力団体から人選された者が名簿に搭載される)。党員票と議員票の半々で総裁を選出するとなれば、事務手続きもかならの時間を要する。総裁選の方式につき、党規約にしたがって執行部の裁量の範囲内で権限を行使しているに過ぎない以上、メディアによる過度な批判は、政党の自律性の観点からも、逆に不当な非難となりかねない。

 

 閑話休題アナキズムを信奉する人類学者で、複数の問題提起の書を著すことで注目を集めたLSE教授のデービッド・グレーバーがイタリアのヴェネチアで亡くなったという。思想信条は全く異なるし、彼自身も自らの思想信条とは些か矛盾した生き方をしていたし、時には(意図的にであれ)貧乏人のルサンチマンを焚き付け憎悪を煽るかのような記述は問題含みであるが、「シャンパ社会主義者」や「キャビア左翼」の面々とは自ずと異なる節操を持ち合わせていたように思われる。加えて、少なくとも独立して考えようと努めていた姿勢も好感が持たれる。いずれにせよ、50代での死は早過ぎるというもの。現段階では死因は不明とのことであるが、先ずはお悔やみ申し上げるより他ない。これまでも色々と話題となる著作を出し、邦訳されているものも多い。来年にも、新たな著作が出版される予定と聞く。精力的に活躍していた人物だけに、どういう原因で亡くなったのかが気になるところである。

 

 とはいえ、僕はグレーバーの思想信条とは真逆の立場であるし、その著作に関しても面白いと思うことはあっても、その見解や論筋に関して納得できるものは少なく、むしろその論理の粗や誤魔化しが目立ったと言ってもよい。学術書というよりもアジテーションのビラを目にしてゲラゲラ笑う愉しみを得たと言うべきかもしれない(ある種の知的エンターテーメントの書として読めば、娯楽としての面白さがつかめるはず)。彼は研究者というより活動家であった。この点は、日本の大学に大量に棲息している自称「研究者」の左翼活動家と似た存在と言えるかもしれない。

 

 但し、グレーバーの場合、もうちょいレベルの高い活動家だったし、時には所属する大学との衝突をも厭わない姿勢であった点については日本の左翼教員と異なる。日本の場合、どれほどアホなことを好き勝手語ろうとその地位が脅かされることが原則ないポジションに安住して、上っ面だけの主張をするばかりで責任もリスクも背負うこともしない左翼教員が目立つが、彼ら彼女らが足許の大学組織の矛盾に対してプロテストしたという例は皆無に近い。こうした欺瞞・偽善はグレーバーにはあまり見られなかった。それはともかく、ある程度勉強した者が「腕試し」として、グレーバーの立論の前提に潜む致命的な欠陥や論理の粗あるいは知的詐術を指摘していく「間違い探し」として活用する仕方もある。

 

 グレーバーはニューヨークのアクティビスト界隈では「超」がつく有名人だが、ことウォール街でもその名は知られている。もちろん良い意味で知られているというのではなく、むしろ悪名といった方がいいかもしれない。「ウォール街を占拠せよ」運動(Occupy Wall Street Movement)でことのほか知られる。もっとも、「ウォール街を占拠せよ」運動に対して、ウォール街が驚愕し恐怖したということではない。変な奴がアジテーターとして目立っているなという程度のものであった。そもそも、これまでウォール街に拠点を置いていた大手金融機関は実質的な拠点を別の場所に移しているところもあるし、ヘッドクォーターたちは毎日ウォール街に通うわけではなくて、コネチカット州グリニッジの丘陵地帯に構えた邸宅でのんびり過ごしながら、月に数日ウォール街まで足を運ぶ程度であるのが実情だからである。

 

 また「99%」と書かれたプラカードは、上位1%の者が米国の富を「独占」し、その富にモノを言わせて米国政治をも動かしている現状に対する異議申し立てという象徴的意味で使われているが、スティグリッツもが強調する1%対99%という対立構図は、もちろん実態を反映しているとは言えない。米国に住む者の年間個人所得上位1%内に入るのは130万ドル(約1億4000万円)以上の者となるが、別にこの層がホワイトハウス連邦議会に影響力を行使しているわけではない。この程度なら僕や僕の周囲の者も該当者になってしまうわけで、実際に力を持つのはトップ0.1%ないしは0.01%以上のキャピタルゲインだけで年間数億ドル以上の個人所得を持つ者であって、この層の政治献金の金額は桁違いに高い。政治献金の額に規制が設けられないのが不思議だが、逆にそうした規制は合衆国憲法に反するという司法の判断があるので、野放し状態のままである。

 

 ここ数年間にもわたる政局の混乱は、米国政治のエスタブリシュメントに対する疑念が米国住人の相当な範囲に蔓延している状況が起因している。皮肉にもその先鞭をつけたのは民主党クリントン政権による政策によって、いわゆる「格差」拡大に拍車がかけられたからである(前回の大統領選挙においても、ヒラリー・クリントンの方が圧倒的に富裕層から政治献金を受け取っていた。生活に困窮した学生で熱狂的にバーニー・サンダースを支持していた者は、ヒラリー・クリントンだけは御免蒙りたいとして、サンダースが民主党統一候補に指名されないとなるや、逆にドナルド・トランプに投票したという者もいたくらいだ。今回の大統領選挙でも、サンダース支持者がバイデンに投票するかは疑わしい。もちろん、二の舞を演じたくない者もいるだろうから、ヒラリー・クリントンの時のようにはならないだろうが)。

 

 前回の大統領選挙において、民主党予備選での旋風を巻き起こしたバーニー・サンダースにしても、共和党ドナルド・トランプにしても、いずれもがアウトサイダー同士で、アンチ・エスタブリッシュメントに共感する者たちの支持を受けた。サンダースは民主党の予備選直前まで民主党員ですらなかったバリバリの社会主義者だし、トランプにしても民主党共和党を行ったり来たりで、これまた直前に共和党員になったにだけの人物。しかも、政治献金の総額だけでみると、共和党よりも民主党の方に献金していた(よく言えば融通無碍、悪く言えば無節操ということになろうが、トランプが根っからの不動産屋と考えれば納得がいくというもの。もっとも、米国における不動産業界の社会的ステータスは日本のそれとは違って比較的高い。ただトランプの場合、むしろスケールの大きい「日本の不動産屋」と見た方がいいだろう)。

 

 グレーバーは、こうした米国社会に潜在的に渦巻いていたアンチ・エスタブリッシュメントの感情を捉え、これを利用する形で「ウォール街を占拠せよ」運動を仕掛けた。アンチ・エスタブリッシュメントがよく用いる言葉に”rigged”がある。我々の社会はごく一握りの者たちによって「仕組まれている」というのである。実際、サンダースもトランプも頻繁に米国社会に関してriggedと形容している。トランプは大統領選挙の際に"The United States is rigged!"と言っていたし、サンダースも同じく"Top 0.1% of Americans controll our country. This is rigged system!"と吹聴していた。右も左も一様に我々の社会は何らかの存在によって「仕組まれて」いると騒ぎ、その主張が極端にまで誇張されていく。その成れの果てが右ではQアノンに左ではアンティファである。いずれも「危ない連中」であることに変わりない。

 

 両極端に分裂する現象は、日本だけでなく韓国も米国も同じだ。いや、日本よりも韓国や米国の方が遥かに深刻かもしれない。それは米韓の左翼は、自分たちのイデオロギーに合う自国の歴史の改竄作業さえ厭わないからだ。ムン・ジェイン政権は、1948年の大韓民国建国という事実を認めず、1919年の三・一独立運動と上海に置かれたとされる大韓民国臨時政府と称する団体を以て大韓民国建国とするという荒唐無稽な話を歴史的事実としている。もちろん、この臨時政府なるものは実体がなく、しかも途中で一旦事実上の消滅状態になっていたし、何よりも国際的な承認などされていないわけで、それが日本と戦って勝利して独立を勝ち取ったというあまりに馬鹿馬鹿しいファンタジーを主張しはじめている。歴史修正どころか歴史改竄であろう。米国でも、アフリカから連れてこられた黒人奴隷が北米大陸に上陸したとされる1619年を米国建国の年に改めようという運動が徐々に起こりつつある。カリフォルニア州の公立学校でもこの運動に着目する動きがあるほどだ。左翼による歴史改竄の動きは、しばらく収まる気配がない。

 

 逃亡を図った黒人被疑者に対する警官の発砲事件により再燃した抗議活動は、こと昼間の運動については概ね平和的な抗議活動の範囲にとどまっているものの、主として夜間になると、まるでメンバーがごっそり入れ替わったように暴力的破壊活動その他傷害、強盗、強姦等の犯罪があちこちで発生する暴動と化する。この中にアンティファが入り込んでいることは知られているが、どうやらQアノンの右からの参入も見られるというのである(どこまでが正確な報道なのかはわからないが)。

 

 またBlack lives matter(BLM)運動にしても、一見正論に見えるものの(欧米社会では特に根強い人種差別が存在するという事実は否定できない。もちろん、欧米社会のみならず豪州でも然り。いや、あらゆる国や地域で多かれ少なかれ人種差別は存在する。日本もその例外ではない。在日コリアンに対する差別も残っているし、被差別部落に対する差別は概ね解消されつつあるものの、今もなお一部で陰湿な形で残存してもいる。韓国だって地域間での差別は酷いと聞く。特に済州島出身者に対する差別はあからさまで、それは在日コリアンの間でさえ見られる現象であったという)、その実態はというと運動に参加する黒人の中で露骨なアジア人蔑視の言動も散見され、理不尽な暴力を受けたアジア人も相当な数いる。"All lives matter"とのプラカードを掲げた者に対して集団リンチがなされる事件も発生した。

 

 そうした「不都合な」ことが覆い隠された形で報道されているアンフェアなメディアの態度に疑念が持たれ始めている。ポリティカル・コレクトネスの観点から大ぴらに口にできないけれど内心ではおかしいと思い始める者が「隠れトランプ支持者」となっていくメカニズムが働く。その影響かはわからないが、圧倒的な強さを誇ったケネディ一族がマサチューセッツ州における民主党上院予備選で初の落選となった。「正義」を振りかざす者の極端で独善的な言動そのものが、社会全体に憎悪の感情を増幅させ、修復困難なほどにまで社会の混乱を招くのだ。

 

 四六時中、Twitterで自身の批判者に対して罵詈雑言を吐く大統領もたいがいだが、メディアも相当偏っていて、根拠定かならぬことまで報道する始末。相互に罵りあっている。気になるのは、警察官組合や退役軍人の会もトランプ支持を言い始めた。暴動が酷くなるに連れ、「法と秩序」を強調するトランプに対する支持が増えてきている。メディアはバイデン有利を吹聴するものの、実際はわからない。前回のように得票数では負けても、混戦州を制覇することでトランプ勝利となる可能性も残っている。バイデンがなろうと、エリザベス・ウォーレンが財務長官に、コンドリーザ・ライス国務長官にでもならない限り、これまでの米国の基本政策を大転換するとは思われないが(実際にそうなると、最悪の結果になるだろう)、仮にバイデン大統領誕生となれば、一時的にはダウ平均株価は暴落するだろう(前回も、なにやるかわからなかったトランプ勝利の報が流れるやドル円が一時的に暴落して後、すぐさまV字回復した)。

安倍政権の功罪-経済政策編

 安倍政権の内政面での功罪は様々挙げられるが、いわゆるアベノミクスに対する検証がメインとして取り上げられるに違いない。その他にも、いわゆる「森友・加計問題」や「桜をみる会」をめぐる問題などの政治スキャンダルや、内閣人事局創設とともに強化された官邸主導型政治統制に関する問題、水道法や種子法の改訂の問題なども議論されることだろう。ここでは、アベノミクスの評価についてごくごく簡単に触れてみることにしたい。

 

 アベノミクスの「三本の矢」とは、①大胆な金融緩和、②機動的な財政政策、③民間投資を喚起する成長戦略により構成され、経済学的には各々別の理論に立脚する経済政策の寄せ集めからなる。90年代後半からの長期にわたるデフレの進行によって日本経済の成長は停滞し、それが様々な社会問題を生じさせている。生活困窮者も恒常的に生まれ、家計消費も落ち込み、それが更なるデフレ化をもたらすという負のスパイラルに突入していった。これを放置しておくなら、なおいっそう日本社会全体が貧困化していき、少ないパイを貧乏人たちで奪い合うという悍ましい状態に陥っていくことは必然であある。

 

 これほどまでにデフレは深刻な問題であるし、そのデフレを放置し続けた国は恥ずかしながら日本以外に存在しなかった。中には、人口減少を原因にあげている者もいるが、人口減少局面でもデフレに陥らず経済成長している国は存在するので、日本のデフレ長期化の要因を人口減少に求める理屈は無理筋である。経済成長と人口減少とは、必ずしも強い相関があるわけではない。再度言うように、人口減少・高齢化社会であり、かつデフレが長期化している国は日本以外にないのである。日本のデフレ長期化は、明らかに人為的な政策の結果としての現象という側面が強い。それもそのはず、デフレを加速するような財政・金融政策を一貫してとり続けてきたからである。アベノミクスの当初掲げた目標は、このデフレからの脱却であった。

 

 しかし一方で、デフレは必ずしも悪くはないなどと非常識な主張をする朝日新聞のようなメディアも登場し、日本の窮乏化促進策を率先して務めていた。外交・安保政策でもそうだが、経済政策にしても特定の方向に誘導しようとしていることが露骨だ。その目的は、日本経済を破壊し日本の国力を削ぐことで某国の利益に資することであるのではないかとの疑念すら持たれるほどである。さすが「人民日報日本総局」と呼ばれるだけのことはある。事実、一貫して中共を礼賛し続け、プロレタリア文化大革命ポル・ポト率いるクメール・ルージュを称賛してきた「栄光の歴史」ある新聞社だ。

 

 朝日新聞に入社した新人社員に対して無料で送付される数冊にものぼる分厚い『朝日新聞社史』やら『歴史の瞬間とジャーナリストたち-朝日新聞に見る20世紀』には、開き直りともとれる記述がちらほら散見されるようだ。新人記者に対する研修では、「サンゴ事件」について触れて記者倫理を語るのはいいが、こうした文革礼賛のオンパレードだった紙面については触れたがらない。それどころか、旧ソ連と密接な関係を持っていた秦正流を今もジャーナリストの鏡であるかのようにありがたがって恥としない。そう皮肉を述べる朝日新聞社に勤務する友人もいる。

 

 若い記者その他編集局以外にいる社員も含め、こうした自社の論調に嫌気がさしている者が結構いるらしいのだが、異論を差し挟むと目をつけられて左遷されてしまうので、特に出世欲が強く、編集局内でも力のある東京本社の政治部や経済部を志望する者は気に入られる方向の記事を量産するようになる。最近でこそ例外もあるようだが、朝日新聞社の社長は政治部もしくは経済部から出るという不文律が支配していた。朝日新聞社内の権力闘争は、社主である村山・上野両家と経営陣との抗争や親中派と親ソ派との抗争のみならず、政治部と経済部との抗争も激しかった。特に政治部は、かつて「栄光の座」と呼ばれるほどの出世コースであったので、朝日新聞東京本社政治部所属の記者というだけで威張り散らかし、社内のみならず同業他社を含め周囲の顰蹙を買う者で溢れていたという。東京本社1階常駐のハイヤーで乗りつけ、そこのけそこのけ「天下の朝日」で御在!というノリだったのだろう。

 

 閑話休題アベノミクスによる効果はデータでも明らかな通り、一定の成功を収めている。日経平均株価旧民主党政権時よりも約3倍になり、超円高も円安方向に是正された。有効求人倍率は約2倍になり、雇用も約250万人も増えた。女性の就業者も約200万人増え、企業の経常利益も約1.6倍に、国や地方の租税収入も約1.3倍も増加した。公的年金運用益も約60兆円増加し、企業年金運用益も約30兆円増えた。外国人旅行者も約3倍に拡大し、外国人旅行者の消費額は約4倍になった。農林水産物の輸出額も約2倍になった。もちろん、雇用が増えたといっても、パートや派遣等の非正規雇用も増えているので、手放しで褒められるものではないが、それでも失業が続くよりは遥かにマシである。

 

 アベノミクスの「三本の矢」が当初の通り、まともに実行されていたならば、今頃違った状況になっていたかもしれないが、まともに実行されたのは①大胆な金融緩和だけで、②の機動的な財政政策も、③民間投資を喚起する成長戦略も大して実行されず、のみならず、それとは真逆の方針が途中から入り込んで①で得られた果実を吹っ飛ばしてしまったかのような状況になっている。なお①に関連して、大量の国債日本銀行が引き受けることを、やれ「禁じ手」だの、やれ「財政ファイナンス」だの、やれ「戦時経済」だのと批判する向きもあるが、こうした批判は財政法4条の趣旨からしてイレギュラーだという見解としてならばありうる批判であっても、決定的な批判になり得ていないばかりか、金融にしても国債償還のメカニズムにも疎い者による難癖の類に過ぎない。賛否はあろうが、「禁じ手」というほどのものではない。

 

 地方経済は疲弊したままの一方で、東京一極集中が増々加速していくという弊害が放置されたままとなっている。労働者の実質賃金も下がり、当初のアベノミクスの恩恵にあずかれない労働者層の根本問題が未解決のままであった(少子化の流れも歯止めがかからず。実質賃金の低下や東京一極集中が継続する限り、少子化の流れに歯止めがかけられることはない。長い目で見て、東京こそ解体されるべき。もっとも、これは経済政策というより文化的事象に関わる僕の思想信条の問題)。アベノミクス初年度のGDP増加率を見ると、アベノミクスの効果としての経済成長が確認されるものの、物価上昇率と実質賃金の増加率の上昇には時間差があるので、単年度の成長ではその果実にありつけることは期待できない。

 

 日本経済が本格的な成長路線に突き進んでいれば、やがて労働者の実質賃金も上昇することになるが、残念ながら、成長の萌芽が見えようとしていた矢先、それを妨害する介入が起こり、成長戦略全体が頓挫することになった。その一因は、やはり消費税の増税にある。この消費税の増税旧民主党野田佳彦政権と自民党安倍総裁との間で取り交わされた合意事項であったので、政権交代時においても既定路線であった。財務省財務省の腰巾着のメディアや与野党の議員などからの増税を求める声に押されて、安倍政権が踏み切ったものである。

 

 予想通り、次年度に消費税を5%から8%にまで引き上げた結果、家計消費が大幅に落ち込んでしまった。日本経済における実質GDP成長率と家計消費の伸び率は強い相関があることが統計的に確認されており、この家計消費の落ち込みにより実質GDP成長率が著しく低下したことも確かめることができる。以後、アベノミクス初年度の成長率の伸びが頓挫し、同時に②機動的な財政政策もうやむやにされるどころか、真逆の緊縮策を講じるようになったこともあって、アベノミクスの果実は雲散霧消してしまった。

 

 「国土強靭化」のための公共投資は掛け声だけに終わり、「コンクリートから人へ」というアホなスローガンを掲げて公共事業を大幅に削減し必要なインフラ整備すらままならなくなった旧民主党政権時よりも削られる羽目に。「科学技術立国」をぶち上げながら科学技術研究に振り分けられるべき予算も縮小した(この点は、中共の指導部に見習って欲しい者である。連中は長期的な戦略を立てて科学技術政策を講じている。習近平は間抜けだろうが、李克強王岐山あるいは先代の胡錦涛や朱鎔基といったキレ者がいるのである)。途中から旧民主党政権と同様の経済政策に切り替わってしまったのである。

 

 デフレの長期化による日本経済沈滞の中で、これまで家計消費を下支えしてきた「中間層」の没落が顕著になっている。安倍政権以前から問題であったこの「中間層」の没落を食い止めようと、旧民主党政権では分厚い「中間層」の存在の重要性が強調されたものの、スローガンだけにとどまり、やっている政策は真逆の政策。散々叩かれた「子ども手当」や「高校無償化」自体は別に間違った政策とは思わないけど、公共事業の大幅削減などデフレ下では望ましくない政策を加速させていき、かつ緊縮財政で事態はますます悪化の一途を辿った。それは経済統計からもはっきり表れていた。失業率の高さや倒産件数の多さがそのことを示している。アベノミクスはこうした最悪の経済状況に貶めた旧民主党政権時の経済政策を抜本的に改めるべく登場したのに、規制改革会議など旧民主党政権時でも重宝されていた人物を同じく重宝するなど、おかしな面が目立った。

 

 祖父岸信介元首相を尊敬していたというけど、この点における岸信介への尊敬が足りなかったというべきだろうか。日本の高度成長の礎を築き、社会保障制度を整備できたのは、満洲国の運営にたずさわった岸の手腕あってのことである。岸信介は、戦前・戦後を通して破格のスケールを持った大政治家であって、その再評価の時期は近い将来必ず訪れるものと確信している。僕個人としては、やはり「満洲は私の作品」と豪語した当の満洲国時代の岸の暗躍に俄然興味が尽きない。もし今も満洲国が存続・繁栄してばと想像すると、先の大戦満洲権益を失ったことが悔やまれてならない。支那事変の早期収拾が叶わなかったことが惜しまれる。

 

 岸信介研究も徐々に出てきているが、先ずは原彬久編『岸信介証言録』(中公文庫)や『岸信介の回想』(文藝春秋)を読んだ上で、太田尚樹『満州岸信介-巨魁を生んだ幻の帝国』(角川学芸出版)と『満洲裏史-甘粕正彦岸信介が背負ったもの』(講談社文庫)を読むと、その「巨悪」ぶりと「偉大さ」を感じることができる。その延長で、岸が師事した北一輝の『日本改造法案大綱』と美濃部達吉憲法講話』を読むと猶の事よし(北一輝の凄さは、『国体論及び純正社会主義』の方に現れているのだけれど、なにせ分厚い)。孫は遂に、偉大な祖父を超えることはできなかったのである(といっても、僕自身としては、戦前日本の対中政策は完全に失策だったという評価であり、その失策は支那事変からでも満洲事変からでもなく、対華二十一箇条要求からだという判断である。大陸の共産化に結果的に「寄与」してしまったことは、世界史的に見て我が国の汚点であった)。

 

 当初、「経済成長なくして財政健全化はない」と豪語していたにも関わらず、この頃から財政健全化を至上視するブレーンの意向が強く反映されていくようになる。またメディアの方でも、財政破綻論やハイパー・インフレーション論といった、貨幣論をまともに勉強した者なら口に出さないような出鱈目な主張が喧伝されていくのもこの時期である。

 

 なお、昨年の消費税10%への引き上げによってさらにGDPが落ち込んでしまったところにコロナ・ショックが襲い、日本経済は大打撃を受けている。コロナ・ショックの責任を安倍政権の施策に帰するのは無理な話だが、問題はコロナ・ショック以前から経済は急激に冷え込んでいたということである。昨年10月の消費税再引き上げにより、家計消費は大幅に落ち込んでいたのである。

 

 「経済成長はいらない」だのといった世迷言を吐いている者たちは、経済成長せずに日本経済全体のパイが縮小均衡していくことで、日本社会全体がどんな地獄と化するか、それをまざまざと実感することになるだろう。もちろん、既に小金を貯め込んで悠々自適な生活を営めている者や(特に、大学教員にこの手合いが多い)、貧困層が増えてくれることによって自分たちがそこに寄生して儲ける食い扶持を確保しようとする貧困ビジネスの主宰者たち(特に、貧困問題や福祉をネタに活動しているNPO法人の社会運動標榜ゴロに多い)にとっては、デフレこそが望ましいわけだから、確信犯的に日本経済の弱体化を企図して言論活動しているのだろうけど。

 

 さらに①だけやって、②が機能しなければ効果的に資金が流れず、余剰資金が金融市場にのみ向かうとなれば当初の目的であった相乗効果は期待できない。加えて③にしても、セイ法則が妥当する状況じゃあるまいし、サプライサイド派の意見に押されてちぐはぐな政策になったことも問題である。労働分配率低下の傾向に対して策を講じることをせず、サプライサイドに偏った政策がいつの間にか忍び寄り、方向性がわからなくなっていった。本来は需給ギャップを埋める総需要喚起を意図されたアベノミクスが、サプライサイド政策とトリクルダウン論といった従来の誤った政策へと変質させらてしまったところを見ると、安倍首相自身もアベノミクスの中身をよくわかっていなかったのではないか。

 

 中には、IRを成長の起爆剤にと馬鹿げた政策をぶち上げるようなことまでやってのける始末(個人的にはカジノ大好きなのだけど)。①と②によって経済成長が軌道に乗るよう仕向けつつ、事後に③を実行に移すという時間差をつけた方策がなされるものと期待していたが、残念ながらそうはならなかった。機能的なポリシーミックスが行われなかった。アベノミクスが途中で腰折れになった所以である。

 

 デフレ脱却を掲げてアベノミクスを提起した当初はよかったが、結局、整合性のとれた政策パッケージが実行されず、一部はちぐはぐに、一部は不十分なままに終わったために、「デフレ脱却」とは程遠い有様と化してしまった。そこに、再び「構造改革」論が再び芽を吹こうとしている。これが再び実行に移されようものなら、日本経済はおそらく沈滞していくことになるに違いない。そこで国有財産を民間に叩き売れと主張し、自らの関係する会社に利益をもたらそうというさもしい「政商」が再び暗躍することにもなるだろう。レントシーキングで利益を国民の財産を掠め取ろうという算段である。

 

 90年代後半からデフレ化の流れは、ちょうど同じく90年代に明確な形で登場した「構造改革」論(その萌芽は、80年代の中曽根康弘政権にまで遡ることができる。中曽根政権時は、日本はデフレ状況ではなく、むしろその逆であったから、まだしも成り立つ議論だったが)と軌を一にしているという歴史を顧みるならば通常の者なら犯さないような誤った選択を、「改革バカ」の口車に乗せられた国民は再び支持しだすかもしれない。自分で自分の首を絞めているようなものであることに気がつきもしない。「改革」によって利益誘導して個人的利益のみを追求する「政商」が跋扈するのも時間の問題かもしれない。

安倍政権の功罪-外交編

 いつも通りの時間に目を覚まし、いつも通りニュースのヘッドラインに目を通すや、いきなり「日本の安倍晋三首相が辞意表明」とのテロップが目に入ってきた時は、一瞬我が目を疑うほどの衝撃だった。数日前の「吐血報道」といい、二度の慶應義塾大学病院への通院報道といい、日本国内のみならずホワイトハウスウォール・ストリートでも健康不安説が囁かれていたものの、多くは辞任することはないだろうと高をくくっていた。それゆえ勢い、衝撃の度合も大きい。

 

 CNNでも急遽東京の総理官邸での記者会見のライブ中継に切り替わったようだし(僕は寝ていたのでライブ中継は視れず、後で確認するほかなかったが)、米国だけでなく英国のBBCなど世界中でライブ配信された模様。早速、各国の首脳も声明を出すなど、安倍晋三首相の辞意表明のニュースは瞬く間に全世界を駆けめぐった。日本の首相の辞意表明のニュースが世界の大ニュースとして速報された例は、極めて珍しいのではないか。それほどまでに、安倍首相の国際社会における存在感は、最近30年にわたる歴代首相の中でも際立っていたということが伺われる。

 

 持病の潰瘍性大腸炎の悪化による自民党総裁任期半ばでの突然の辞任となったことは気の毒だし、安倍首相自身もさぞや無念だったに違いない。その無念は、総理記者会見での表情や言葉の節々にも現れていた。内閣総理大臣という重責を担う立場にあって、長年孤独の中で重圧に耐えてきたことに対しては、まずは「約7年8ヶ月の長い間、お疲れさまでした。とにもかくにも、病状が多少なりとも快復の方向に向かうよう御自愛下さい」という言葉をおくりたい。

 

 中には、病身の者に鞭打つかのような品性下劣な言葉を投げつける者もいたり、性根が腐っているのではないかと疑いたくなるような言葉を弄する野党議員もいる。政治的立場が異なることで、普段は丁々発止やり合う中で時に強い言葉で批判することは寧ろ健全な態度と言えるだろうが、潰瘍性大腸炎という難病に苦しみながらもなんとかそれに耐え続けていたところ、もはや限界に達して志半ばで倒れた者に対して、その病気を論ったり揶揄したりする言動はとるべきではない。

 

 この点、日本共産党市田忠義参院議員の見識はまともだった。僕は民族派の立場だから、当然に日本共産党共産主義者を始めとする左翼に対する敵対者であるが、今回の市田議員の言葉は節操あるまともな発言だし、同期ということもあって安倍首相と個人的には良好な仲と言われる志位和夫議員も然り。その他にも僕の知る所では、国民民主党山尾志桜里議員や玉木雄一郎議員の発言も極めてまっとう。もちろん、かく解するからと言って、安倍政権の政策が正しかったというわけではない。それとこれとは別の話である。

 

 この歴代最長政権については功罪両面あり、僕も安倍首相を散々批判してきた。特に、皇室に対する不敬ともいうべき振舞いや我が国の伝統に対する無理解に激高して、強い言葉で非難さえしてきた。加えて、財政金融政策その他の経済政策などの諸政策や内政上の諸問題(特に、財務省の公文書改竄問題は由々しき事態であって、安倍首相自身が改竄に関与したとは思われないけれども、国民に対する十分な説明がなされなかったことは批判されるべきだろう)について誤りは多々ある。これからその功罪が検証されていくことになろうが(特に、内政面では看過できない問題を抱える)、ここでは外交・安保政策に絞って、安倍政権の功罪を見ていきたい。

 

 端から結論めいたことから入るが、安倍政権の外交・安保政策は一部に問題はあるものの、概ね「合格点」がつくように思われる。安倍首相辞意表明の報に接した各国首脳たちの安倍首相への賛辞と慰労の声明がそれを物語ってもいる。特に、旧民主党政権時に壊滅的に悪化した米中二大国との関係を、困難な政治状況の中でありながら改善の方向に差し向けた功績は大なるものがある。G7やG20などの国際舞台における日本の首相の存在感が希薄どころか、ほとんど「蚊帳の外」状態の無残な姿を晒した旧民主党政権時を想起すれば尚更、安倍外交が国際舞台での日本のプレゼンスを高めるのに貢献したかが際立つ(旧民主党政権時に外交面でまともだったのは、玄葉光一郎元外相くらいだったのではないだろうか)。

 

 日米関係の再構築については、もちろん通商面での問題はあるが(この点については別稿)、概ね良好な結果をもたらした。対中政策についても、戦略的互恵関係の構築に努めつつも、同時に中共の覇権膨張の動きを牽制するため、「自由で開かれたインド太平洋戦略」を掲げて米国や豪州やインドを巻き込んだ価値観外交を打ち出すことによって楔を打ち込むことも忘れなかった。米国オバマ政権の対中政策の大失敗によって南シナ海での人民解放軍の暴挙を許す結果となる中で、これ以上の横暴を容認できないとして米軍のプレゼンスの重要性を米国自身に認識させた功績も忘れてはならない。

 

 現在の日本の国力からすれば、残念ながら全面的に対中強硬策を日本単独で行うことなど不可能だけれど、親中一辺倒に陥らず(もちろん不満はあるが)、表向き「友好関係」を装いつつ、裏では対中牽制を米国に働きかけるという難しい外交にも取り組んだ(前国家安全保障局長である谷内正太郎の寄与も大きいかと思われるが)。その一方で、台湾との良好な関係を維持・発展させたことも、目立たないが評価されてしかるべきだろう。習近平国賓訪日実現に前のめりになるあまり、防疫体制が不十分なものにとどまり新型肺炎罹患者を増やしてしまったし、親中派主導の日中接近という愚策に乗りかねなかった危うさがあったが、いずれにせよ、対米・対中・対台関係の微妙な舵取りが求められる中、何とか無事に捌いてきた安倍対中・対台外交は、ギリギリ合格点がつくだろう。

 

 アラブ諸国やイランとの良好な関係を維持しつつ、同時にイスラエルとの関係をも強化した功績も、あまり注目されていないが重要な功績ではないかと思われる。イスラエルとの関係強化は単に経済面だけでなく、我が国の安全保障政策においても多大なメリットがある。とりわけ、情報セキュリティ分野に関するイスラエルの科学技術力は世界でも指折りで、イスラエルは日本の防衛体制や諜報活動の充実にとっても今後欠くことのできないパートナーでもある。従来の日本外交はアラブ諸国やイランに偏りすぎのきらいがあったが、情報科学や軍事技術の先進国イスラエルとの安全保障面での関係強化は、特に対中・対北防衛にとっても資することは間違いなさそうである。

 

 この辺の領域に関して、いかにイスラエルが進んでいるかは、外交・安全保障政策とほぼ無関係であるはずの哲学研究の分野にも反映されている。イスラエルの哲学界は数学・論理学・計算機科学・物理学と結びついた哲学研究が盛んで、少なくとも僕自身が読み親しんだ者を挙げるなら、邦訳もある名著『空間の概念』(講談社)や『量子力学の哲学』(紀伊國屋書店)で知られるマックス・ヤンマー、統計的因果推論やベイジアン・ネットワークの進展に寄与したジューディア・パール、量子論や確率論の哲学で高度に抽象的な思考を残したイタワール・ピトウスキー、数理論理学者で暗号理論でも有名なマイケル・ラビンといった面々だ。残念ながら、我が国にはこのレベルの哲学の研究者は皆無だ。

 

 ところが、日本のマスメディアは、この安倍・ネタニヤフ会談の意義に触れない。せいぜいハンで押したように、「パレスチナ問題」を強調して否定的に報道するくらいで、国家安全保障戦略上の意義について触れた論評は僕の知る所では皆無だった。この重要性を理解しているのは、イスラエル人かも知れない。「パレスチナ問題」が深刻でないとは言わない。ただ、多くの日本人のイメージする姿とは異なり、「パレスチナ問題」はほとんどアラブ世界での「建前」と化しており、その実態はアラブ世界での巨大な利権の巣窟となっているように思われる。「アラブの大義」と言うけれど、実は本気にしている者は意外と少ないと耳打ちしてくるUAEを母国とする知り合いもいる。

 

 他方、狂信的なシオニストとこれまた狂信的な反シオニズムが角突き合わせ、過激派ハマスの指導者やイランのアフマディネジャド前大統領などは、「イスラエルを地上から抹殺する」と公言して憚らない。トランプ大統領とやり合い、一部左派メディアからヒロインのように扱われもした米国の民主党にいるイルハン・オマル議員も、「イスラエルを消滅させろ」とジェノサイド容認発言をしているが、なぜか彼女をメディアは非難しない。都合の悪いことは隠蔽する左派メディアにありがちなことだが、こういう者がいる限り、イスラエルは頑なに強権的な姿勢をとり続ける。世界から同情されながら滅ぼされていくよりも、世界を敵に回してでも自国の生存を守り抜くというのが、かつてジェノサイドを経験したイスラエルの者の本音だろう。

 

 一方で、イランとの関係が他国よりも良好な関係のままにとどめられているのも、安倍外交の功績だ。旧民主党政権の時は、対イラン外交に前のめりになり過ぎになるなど、極めて危なっかしい外交を展開していた。その危なさは、ちょうど現在の韓国のムン・ジェイン政権の対北政策が国際社会の方針から孤立している姿と重なる。それでいて、対イラン外交での成果はなかった。対して安倍外交では、ロウハニ大統領の訪日があり、更にはイラン訪問時に最高指導者ハーメネイ師との会見も実現するなど、主要先進国の首脳の中でも目立つ活躍をした。もっとも、中東問題は日本の介入によって即座に解決できるような単純なものではない。米国とイランとの仲介役を買って出たはいいが、(当初から予見できた通り)成功しなかった。しかし、成功しなかったとはいえ、安倍首相が予め米国への根回しをしつつイランに対して積極的に働きかけを行ったことは一定の評価がされるべきだろう。

 

 米国とイランの緊張が高まった折に、米国からの有志連合参加の要請に関しても、米国との関係の維持を図るために有志連合とは別の形をとりつつ自衛隊を派遣し、同時にそれが対イラン敵対行動ではない旨をイラン政府に断りその理解を取りつけるなど周到な根回しも怠らず、上手く乗りこなした。この点は隣国のムン・ジェイン政権の対イラン外交の稚拙と比べればはっきりする。

 

 対露外交に関しては、プーチン大統領との個人的信頼関係を築くまでにはなったものの、長年の懸案だった領土問題の解決に至らなかった。とはいえ、対露領土交渉はこれまでも上手く行った例などなく、安倍外交の失敗とまでは言えないだろう(現状では誰が首相であろうと解決できるわけではない)。戦後日本の対露外交の出発点はあくまで昭和31(1956)年の日ソ共同宣言であり、これを基礎に領土交渉にあたるというのが我が国の基本方針である。その方針に変わりないことの言質をロシア政府から何度も取りつけている安倍外交の努力を過小評価するべきではない。

 

 中には、四島一括返還の主張を取り下げたことを糾弾する向きもあるが(民族派の多数意見もそうだが、対露外交担当者からすればこの主張は採れないとするのは無理のないことだと僕個人は思っている)、戦後の日本はサンフランシスコ講和において全千島列島の放棄を宣言した上、対ソ関係においても、平和条約締結後に歯舞諸島色丹島の「二島」を引き渡すと明記する日ソ共同宣言を出発点とするという基本方針を採っている以上、残念ながら「四島一括返還論」は無理筋の理屈に映ってしまう。それこそ、国家間合意を事実上反故にするような主張を繰り返す韓国政府と似たようなレベルに陥ってしまうのである。橋本・エリティン会談から森・プーチン会談を経て進展した領土問題交渉は、一度小泉純一郎政権時に頓挫してしまい、旧民主党政権時においてもほとんど進展を見せなかったところ、再び対露外交の中心として位置づけ、これを何とか進展させようと本気になって取り組んだのは第二次安倍政権だった。ロシアとの平和条約締結と領土問題解決による日露友好関係の強化は、対中牽制のための一つの布石でもある。これは第二次安倍政権の悲願の一つだっただけに、志半ばで倒れることになったのは痛恨の一事であるに違いない。

 

 対韓関係は安倍政権下で悪化したと一部のメディアは騒ぎ立てている。ほぼ全ての国々との比較的良好な関係を構築することに成功した安倍外交の中で、ほとんど唯一といってよい悪化した日韓関係の責任を安倍首相に帰する言説が、韓国内はもとより日本国内のごく一部の左派メディアからなされているが、これは極めて不当な評価であろう。外交とは常に相手が存在する。その相手の出方を無視して、両国の関係悪化の責任を安倍外交に帰するのはフェアな見方とは言えない。そもそも、第二次安倍政権の直前の野田佳彦政権下の日韓関係を振り返ってみれば、こうしたメディアの主張が大嘘であることがわかろう。野田政権時には、イ・ミョンバク大統領による竹島上陸が起こり、更には天皇陛下に対する許しがたい侮辱発言まであり、首相の親書が突き返されるという暴挙までなされ、駐韓日本大使の一時帰国まで起こり、日本国内における嫌韓感情に火がつくなど酷い状況であったことをよもや忘れたわけではあるまい。

 

 むしろ安倍外交は当初、冷え切った日韓関係を改善しようと努力してきた。「慰安婦問題」を蒸し返し、国際的に「告げ口外交」を繰り返すパク・クネ政権を相手に、これ以上我が国の将来世代に対する韓国からの「歴史問題」を口実にしたユスリ・タカリに終止符を打とうと、韓国側からの無理筋の主張を飲んでまで「慰安婦合意」にこぎつけた。日米韓の対北連携を崩したくないという意図は理解できるものの、安易な妥協をしてしまった安倍政権の対韓外交は、この点で失敗だったと考えるが(国家間の合意を「国民情緒」で反故にしてしまうような国を安易に信用してはならない好例だ)、予想通り、韓国は国家間合意を反故にして何度も対日要求をしかけてきている。しかし、ケンカを売り続けているのは、日本の側ではなく韓国の側であることは明白。

 

 親北左派のムン・ジェイン政権の行動を見てもわかるように、我が国から日韓関係を悪化させようと先に仕掛けたことはなく、専ら韓国からの無理難題の要求が日韓関係悪化の原因である。航空自衛隊の哨戒機に対する火器管制レーダー照射事件や2010年代の初めから俄かに騒ぎ始めた旭日旗に対する難癖、日韓請求権協定の無視、その他諸々の反日政策によって日韓関係は拗れることとなった。数年にわたる日本側からの問い合わせを無視し続けた末に生じた日本の輸出管理体制の見直しに伴うホワイト国除外についても、日本側に非があるとこれまた無茶な理屈を弄してきた。それゆえ、日韓関係悪化の責任が安倍外交にあるとする言説の無茶ぶりは、昨今の日韓関係史を紐解けば容易に明らかになるだろう。対韓外交の基本は「戦略的無視」の方針を採りつつ、最終的には対韓経済制裁に踏み切るスタンスでのぞむべきだったのに、韓国側の改善努力に一抹の期待を寄せてしまったことが、安倍外交のほとんど唯一の失敗と言える点かもしれない。

 

 これまでも北朝鮮による拉致の被害者家族に寄り添いながら拉致被害者救出に取り組んできた安倍政権ではあるが、残念ながら在任中に解決を見ることはなかった。北朝鮮が対外的挑発行動を繰り返し、核やミサイルの開発によって国際社会から孤立した状況下では拉致問題の解決のための交渉は難しい。しかも、既に拉致問題は解決済であると主張し、それどころか我が国への攻撃をも示唆する北朝鮮に対して、軍事オプションが採れない我が国の選択の幅は自ずと狭くなる。これまで拉致の存在すら認めず、事実が明らかになった後でさえ北朝鮮の立場を擁護する主張を繰り返す国内の左翼からの難癖に近い非難を抑えて、拉致問題解決を核・ミサイル開発の阻止とともに重大案件として取り組んできた努力は多としないわけにはいかない(旧民主党政権では、拉致を担った犯罪者の助命嘆願をした愚かな議員まで存在し、ましてやその者が首相にまでなるくらいだったから、左翼による拉致問題解決のための努力に対する妨害工作は相当なものだっただろうことが想像される)。

 

 安倍外交には一部失敗もあることを認めないわけにはいかないが、大部分に関しては誤りはなく、日本外交のプレゼンスを高めたと評価できそうである。特に直近の旧民主党政権の外交能力の酷さが際立つがゆえに、安倍外交の功績が光って見えてしまうのである。

核拡散の効用

 複数の核保有国に囲まれ、しかも当該国家と紛争の火種を抱えている現在の日本が置かれた安全保障環境は、どう見ても「危機的」と呼べる状況であるにも関わらず、「唯一の被爆国」というフレーズとともに多分に情緒的な「核アレルギー」を示す国民の性格や米国の対日戦略もあって、冷静な核武装論が議論されないという事態が続いている。もっとも、核兵器の恐ろしさを身をもって経験した被爆者の方々が、核兵器に対して拒絶反応を示すのは無理もないことであるし、核廃絶を求めるその真摯な思いを「情緒的な核アレルギー」だと形容するわけではない。ここでいう「核アレルギー」とは、直接の被害者である被爆者の方々の立場とは異なる者が、とりわけ国家安全保障全体を俯瞰しつつ我が国の生存と繁栄を維持するためにいかなる防衛戦略を講じなければならないかを考える際には、それと一定の距離をおいた上で安全保障環境を客観的に見つめなければならないにも関わらず、核兵器に関しても核状況に関しても考えようとしない態度をとってきたという意味である。被爆者の方々の切実な思いを揶揄する意図は微塵もない。

 

 これを安全保障論上の「七不思議」と見る専門家もいるくらいだ。もちろん、現実に核武装に踏み切るか否かは、国民のコンセンサスを要する困難な課題だろうし、何よりも「唯一の被爆国」として対外アピールしてきた日本の国際的立場や、いざNPT体制から抜けるとなると、それに伴うエネルギー資源確保上の代償その他の政治経済的リスクがある。とりあえず技術的問題を無視するとしても、相当ハードルの高い選択となるだろう。日本の核武装の是非を考える前に、そもそも核兵器の拡散が世界に何をもたらすか、あるいは、核の寡占より拡散の方がより危険であるとする一般に流通している考えは果たして正しいと言えるのかどうかについて再検討してみる必要がある。

 

 これまでのところ核兵器は、主要な核保有国が核を兵器に加えても核を寡占するごく一部の国々の核兵器増産という「垂直方向」にのみ増殖したため、この増殖は核戦略論の分野では「拡散なき拡散」と言う表現が用いられてきた。新たな核保有国が増加する「水平方向」の拡散のペースはあまり変化がない。それでも核兵器は拡散し、新しいメンバーが時々クラブに加入してきた。核時代の最初の35年間で、インドとイスラエルを含め会員数は7国に増えた。そこにパキスタン北朝鮮も加わった。今、イランがこのクラブに「仲間入り」しようとしており、中東情勢の不安定化の一因ともなっている。南アフリカが一時的に「仲間入り」したが、世界中の反発と説得により離脱したという珍しい例もある。しかし、将来的には世界には15ほどの核保有国が住むようになるだろうから、したがって、核兵器のさらなる拡散が世界に何をもたらすかは、一層切実な問題となってくる。

 

 多くの人は、核兵器が拡散するにつれて世界はより危険なものになると信じているようだ。確かに、核兵器が怒りの中で発射されるか、偶発的に爆発する可能性は未知である。核保有国の数が増えると、これらの可能性が高まると考えるのも無理はない。それゆえ、「より多くなること」自体が悪いと考えるのである。一方で多くの人は、核兵器が使用される可能性は新しい核保有国の性格や政治的・行政的能力によって異なるとも考えている。広く考えられているように、比較的まともな国家の核の供給が制限されている場合、それとは異なる核保有国の数が多いほど核戦争の可能性が高くなる。 新しい危険が顕在化する可能性と、それらの緩和の可能性が何であるかを知るために、より確実な予測方法があれば良いわけだが、残念ながら人間は万能ではないので、常に不確実性下での意思決定を余儀なくされる。とはいえ、闇雲にかつ場当たり的にやり過ごしているわけでもない。国際政治システムの構造から期待を推測することによって、あるいは過去の事象やパターンからの期待を推測することによって、不確実性を縮減させようと努めていることも確かだからである。 

 

 平和を「世界の主要な国家間の戦争の不在」という消極的定義として捉えるなら、1945年以来、この世界は長期的な平和状態を享受してきたと一応言えそうである。以前は存在しなかった戦後のシステムで見つかった機能が、世界の最近の幸運を説明してくれている。戦後の世界で最も大きな変化は、多極構造から双極構造への移行と核兵器の導入である。双極性は、2つの非常に優れた効果を生み出した。それらは、多極構造と双極構造の世界を対比させることによってわかる。

 

 第一に、多極構造では、同盟国と敵対者の間に明確で固定された線を引くことを許すには力が多すぎ、離脱の影響を低く保つには数が少なすぎる。3つ以上の権限を持つ同盟の柔軟性は、友情と敵意の関係を流動的に保ち、力の現在と将来の関係に関する全員の推定を不確実にする。システムがかなり少数のシステムである限り、それらのいずれかのアクションは他の安全保障を脅かす可能性がある。何が起こっているのか誰もが確認できるようにするには数が多すぎる。何が起こっているのかを無関心の問題にするには数が少なすぎる。双極構造では、2つの大きな力は主に自分自身に軍事的に依存している。これは、戦略核レベルでは完全に当てはまり、戦術核レベルではだいたい当てはまり、通常兵器レベルでは部分的に当てはまる。

 

 1978年には、ソ連の軍事支出はワルシャワ条約機構の総支出の90%を超え、米国の支出はNATOの総支出の約60%であった。NATOは、米国から欧州の同盟国とカナダに提供される保証で構成されていたわけではない。加盟国の能力には大きな違いがあるため、以前の同盟システムで見られたようなほぼ同等の負担はもはや不可能である。米国と旧ソ連は「外的」手段ではなく「内的」手段によって互いにバランスを取り、同盟国の能力よりも自分たちの能力に依存している。内部的バランシングは、外部的バランシングよりも信頼性が高く正確である。国家は、対立する連合の強さと信頼性を誤判断するよりも、相対的な強さを誤判断する可能性が低い。双極構造では不確実性が減り、計算が簡単になる。

 

 第二に、多極構造のパワー・ポリティクスにおいて、誰が誰に対して危険であるか、脅威や問題への対処は不確実な問題である。危険が拡散し、責任が曖昧になり、重要な関心の定義が不明瞭になる。誰が誰に対して危険であるかは不明であることが多いため、不均衡な変化をすべて懸念事項として考慮し、必要なあらゆる努力をもってそれらに対応するインセンティブが弱まる。細かい変化に迅速に対応することは責任がぼやけているため、かつてはより難しい。諸勢力の相互依存、危険の拡散、対応の混乱は、多極構造における大国政治の特徴である。二極化した世界の大国政治において、誰が疑われることのない危険なのか、さらに、世界規模で行動する能力が2つしかないため、どこで何が発生したかということも、両方に懸念される可能性がある。

 

 変化は、2つの勢力のそれぞれに異なる影響を与える可能性がある。これは、世界全体または相互の国家の領域内のほとんどの変化が無関係であると考えられる可能性が高いことを意味する。諸勢力の自立、危険の明快さ、誰が彼らに立ち向かわなければならないかに関する確実性、これらは双極構造における大国政治の特徴である。責任が明確に固定されており、相対力が推定しやすいためである。そのため双極構造は、多極構造よりも平和的安定をもたらす傾向がある。米国と旧ソ連に匹敵する能力を開発した第三の国家がなかったので、この米ソニ極構造は40年以上続いた。

 

 諸国家は、アナーキーな状態の中で共存している。自助は無秩序な「秩序」における行動原則であり、国家が自立するための最も重要なことは、国家自身の安全を保障することである。したがって、平和の可能性を検討する際に最初に尋ねるべき問いは、国家が武力を行使する目的と、国家が採用する戦略と兵器についての問いである。国家が積極的に武力を行使せずに最も重要な目的を達成できれば、平和の可能性が高まる。概して、戦争のコストが上昇するにつれて、戦争の可能性は低くなると言われる。核兵器が平和の可能性にどのように影響するかは、国家の可能な戦略を検討することによって見ることができる。

 

 力は、攻撃、防御、抑止、強制のために有効に使用できる。攻撃については以下のように言えるだろう。第一次世界大戦前のドイツとフランスは、2人の敵対者がそれぞれその防御を怠っており、どちらも戦争の初めに大規模な攻撃を開始することを計画しているという典型的な事例を提供している。フランスは防御よりも攻撃を支持した。攻撃的な戦争をすることによってのみ、アルザス=ロレーヌを取り戻すことができたからだ。ドイツも防衛よりも攻撃を支持した。攻撃を最善の防御または可能な唯一の防御でさえあると信じていた。ロシアが戦闘に入る前に、ドイツは西側で自分の軍隊を集中させフランスを倒すことによってのみ、2つの戦線で戦うことを避けることができた。これはシュリーフェフェン計画の要求である。この計画は、専ら安全保障を目的として練られたものだった。治安がドイツの唯一の目標であったとしても、攻撃戦略はそれを得る方法であるように思われたのである。2つの国家の強さが等しくなく、弱い国が利得を享受している場合、その強い国はその優位性が失われる前に攻撃しようとするかもしれない。この論理に従って、核兵器を持つ国は、敵対国の初期の力を破壊したくなるかもしれない。これは予防戦争であり、弱体化した国がそれを妨害するほど強くなる前に立ちはだかろうとする戦争である。いわゆる「横取り」のロジックとは異なる。フォン・ノイマンバートランド・ラッセルが主張した対ソ核先制攻撃論がその典型である。

 

 力の均衡を別にして、ある国家が他の国家の攻撃力を攻撃して、これから行われると思われる攻撃を鈍らせる可能性もある。2つの国のそれぞれが第一撃で相手の攻撃力を排除または劇的に削減できる場合、どちらか一方が急に攻撃を仕掛けることを誘発する。力の相互脆弱性は、各勢力に最初に攻撃する強い動機を与えることにより、奇襲攻撃の相互恐怖につながる。軍事のロジック(「攻撃は最大の防御」とは、孫子の言う「勝つべからざるは守なり、勝つべきは攻なり」と若干意味を異にするが、よく言ったものである)が示唆し、また歴史が示すところ、最初に攻撃する者は決定的な優位を得るためにそうする。先制攻撃は、対戦相手の報復能力を排除するか、決定的に低下させるように設計されている。もちろん、軍事的ロジックだけでは攻撃の決定はなされない。

 

 むしろ政治的ロジックにより、例えば1973年10月にエジプトが行ったように、軍事的勝利の期待がなくても別の国家を攻撃する可能性もある。「抑止する」とは、文字通り誰かを怖がらせて何かをやめさせることを意味する。防御による鎮静化とは対照的に、抑止による鎮静化は、攻撃に対する予想される反応が結果として自分自身に深刻な被害を与えるために機能する。「欧州の強力な防衛はロシアの攻撃を抑止するだろう」という発言は、強力な防衛はロシアの攻撃を思いとどまらせるということである。抑止力とは、防御する能力ではなく懲罰を加える能力によって担保される。抑止戦略のメッセージとは、「あなたが攻撃した場合、私たちはあなたの利益を無化させる以上にあなたに懲罰を加える」というものだ。第二撃の核戦力は、その種の戦略に役立つ。対して、防衛戦略のメッセージとは「私たちは反撃することはできないが、あなたは私たちの防御を克服するのが非常に難しく、壁にぶちあたるだろう」というものだ。

 

 国家はまた、強制のために力を使用するかもしれない。ある国家は、他の国家に危害を加えて、特定の行動を取るのを阻止するのではなく、1つの行動を妨害すると脅迫する可能性がある。ナポレオン3世は、トルコ人パレスチナの聖地をローマ・カトリックで管理するという彼の要求に応じなかった場合、攻撃するとの脅迫をした。もちろんこれは恐喝であり、今日中共が時折各国高官に送り付けているニュークリア・ブラックメールも似たようなものだろう。ロバート・ジャービスが示したように、兵器と戦略はそれらを多かれ少なかれ安全にする方法で状態を変える。兵器が征服にあまり適していない場合、隣人はより安心する。防御的抑止力の理想によれば、兵器が征服をより困難にしたり、先制戦争や予防戦争を阻止したり、威圧的な脅威の信憑性を低下させたりするような場合には、戦争の可能性は低くなるはずである。問題は、核兵器はそれらの効果を持ってるかどうかである。

 

 戦争は抑止力のある脅威に直面して戦うことができるが、賭金が高く、国家が勝利に向かって近づくほど、その国家は報復を招き、自国の破壊を危険にさらす。国家は、小さな利益のために大きなリスクを負う可能性は低い。核保有国間の戦争は、敗者がますます大きな弾頭を使用するにつれてエスカレートする可能性がある。逆に、エスカレーションではなく、デエスカレーションが発生する可能性もある。大国が報復のリスクがあるために国家が小さな利益しか得られない場合、その国家は戦う動機がほとんどない。予想される戦争コストが小さい場合、国家はより慎重に行動し、戦争コストが高い場合、より慎重に行動する。1853年と1854年、英国とフランスは、ロシアとの戦争に参加すれば簡単に勝利できると期待していた。海外での威信と国内での政治的人気が得られただろうと。

 

 英仏の計画の曖昧さは、英仏の行動の不注意と一致した。クリミア戦争での誤りでは、英仏は乏しい情報に基づいて性急に行動し、脅威がもたらす行動変化を特定できなかった。対して、キューバ・ミサイル危機では、ケネディフルシチョフはどうだったか。核兵器の抑止配備が領土の征服よりも国家の安全に貢献する場合、抑止戦略を持つ国家は、従来の多層防御に依存する国家が必要とする領土の範囲を必要としない。抑止戦略により、国家は安全保障を強化するために戦う必要がなくなり、これにより戦争の主な原因が取り除かれる。抑止効果は能力と意志の両方に依存する。自分の領土を維持しようとする攻撃者の意志は、通常、他の誰かの領土を併合しようとする攻撃者の意志よりも強いと考えられている。

 

 敵対者の相対的な強さに関する確実性も、平和の見通しを改善する。19世紀後半以降、技術革新のスピードは相対的な強みをもたらすが、予測することの困難さも増した。ランド研究所のバーナード・ブロディが述べたように、「自分と同じように戦う必要のない武器は、新しい優れたタイプの登場によって役に立たなくなることはない」と。結果が予見されていれば、多くの戦争は回避されたかもしれない。ゲオルグジンメルは「闘争を防ぐための最も効果的な前提は、2つの側の相対的な強さの正確な知識は、実際の紛争からの戦いによってのみ得られることが非常に多い」と言う。

 

 誤算は戦争を引き起こす。一方は勝利を手頃な価格で期待し、他方は敗北を回避することを望む。多極構造と双極構造との違いは、前者の場合、国家はしばしば望み通りに識別され、狭く計算されている利点に基づいて行動する誘惑に駆られる。1914年、独仏両国も全面戦争を回避するために努力した。独仏は自らの力が均衡していると信じていたにもかかわらず、両国は勝利を望んだのだ。1941年、日本は米国を攻撃して、一部の望みはあるもののその可能性は小さい事態が起こった場合にのみ、勝利を期待することができた。1,2年間での早期終結に賭けたのだった。

 

 敗北の可能性が小さく、限られた損害しかもたらさないと予想される場合、国家は戦争のリスクをより取りに行く。そのような期待が与えられれば、指導者は狂気に振舞う必要はなく、勝利を追求するために人々に大胆で勇気があるように促すだけでよい。しかし、従来の戦争の結果を予測することは困難であることが判明している。結果についての不確実性は、従来の世界での戦争に対して決定的に機能しない。通常兵器で武装した国々は、敗北しても自らの苦難が制限的であることを知って戦争に行く。

 

 ところが、核戦争についての計算方法は決定的に異なる。核兵器武装した国々が戦争に参加するならば、その苦難が無制限であるかもしれないと知ってそうする。もちろん、そうでない場合もある。しかし、それは誰かが武力を行使することを促す類の不確実性ではない。従来の世界では、勝ち負けは不確実であった。核の世界では、生き残るか消滅するかは不明である。力が使用され、制限内に保たれない場合、大災害が発生する。この予測は、対立する勢力の詳細な見積もりを必要としないため、簡単に行うことができる。深刻な被害を受ける可能性のある都市の数は、敵が提供できる戦略弾頭の数と少なくとも同じである。数の変動は、広い範囲内ではほとんど意味しない。従来の世界では、脅威の脅威は少なく限定的であり、抑止力の脅威は薄くなる。逆に核兵器は、軍事的な誤算を困難にし、政治的に適切な予測を容易にする。

 

 ケネス・ウォルツによると、国家は7つの理由のうちの1つ以上のために核兵器を望む。第一に、大国は常に他の大国の兵器に対抗できる。第二に、国家は、他の大国が攻撃した場合、その大国の同盟国が報復しないことを恐れて核兵器を欲する。英国が核保有国になることを決めた理由は、米国が旧ソ連による攻撃に応じて報復することを期待できるかという疑問から生じた。旧ソ連が米国の諸都市に核攻撃を行うことができるようになると、西欧諸国は米国の「核の傘」が機能することをもはや保証しないことを心配し始めた。ドゴールの例を見ればわかる。

 

 第三に、核保有国との同盟のない国は、その敵国の一部が核兵器を持っている場合、核兵器をより一層望む。中国やインドそしてパキスタンがその典型である。第四に、国家はその敵対者たちの現在または将来の従来の強さを恐れて生きているため、核兵器を必要とする可能性がある。これはイスラエルの事例を想起すればわかろう。第五に、一部の国家では核兵器が経済的に破滅的で軍事的に危険な従来の軍備競争を実行するよりも安価で安全な代替手段となる場合がある。核兵器は、手頃な価格で安全性と独立性の向上が期待できるからである。第六に、国々は攻撃目的で核兵器を必要とする場合がある。第七に、核保有国となることで国際的に優越的地位を得ることができると期待することである。

 

 核兵器を管理することの重要性すなわち信頼できる政府の下に留めておくことの重要性のために、核保有国の支配者はより権威主義的であり、かつてないほど秘密主義的になるかもしれない。さらに、いくつかの潜在的な核保有国は、政治的に安定していないため、武器とそれらの使用の決定を確実に管理できない。寛容ではあっても政治的不安定が恒常的な隣国が核武装している場合、それぞれが他方の攻撃を恐れることになる。核兵器の統制的管理が対立の内容となり、内部のクーデタの危険性により、恐怖はさらに悪化する。

 

 こうした状況下では、政府の権威と社会秩序を維持することは不可能となるかもしれない。そうした国家は、もはや外部の安全と内部秩序を維持することができるとは考えられていないので、国家の正当性とその公民的忠誠心は解消されるかもしれない。第一の恐怖は、国家が暴力的なものになることである。第二の恐怖は、コントロール能力の喪失に関わる。第一に、核兵器を所持することで、軍備競争を加速させるのではなく、減速させる可能性がもある。第二に、発展途上国核兵器を建設するには、長いリードタイムが必要である。人口政策と同様に、原子力および核兵器プログラムは、長期的にのみ成果をあげるかなりのコストを要するプログラムを策定・維持できる管理チームと技術チームを必要とする。政府が不安定になるほど、指導者の注目の幅は短くなる。政治的統制を維持することが最も困難な国家では、政府が核兵器プログラムを開始する可能性は最も低くなる。そのような国家は、軍は指導者の権力を維持したり、指導層を倒そうとする方向に働く。第三に、非常に不安定な国家が核開発を開始する可能性は低いが、そのようなプロジェクトは安定した時期に開始され、政治的混乱の期間を通じて継続し、核兵器の製造に成功する可能性がある。第四に、内戦の一方の側が相手の拠点で核弾頭を発射する可能性は依然として残っている。そのような行為は国家的な悲劇を生むだろう。

 

 核兵器は、2つ以上の国家が核兵器を所有していた世界では使用されていない。それでも、冷静に計算された先制攻撃でいずれかの国家が発射するか、パニックの瞬間に発射するか、または予防戦争を開始するためにそれらを使用するという恐怖が残っている。核兵器は、恐喝の方法として用いるか、秘密裏に発射するかが考えられる。核による恐喝の成功には2つの条件がある。

 

 第一に、核兵器保有している国が1つだけの場合、核兵器を使用する脅威の影響が大きかった。第二に、国家が従来の戦争で損失を被った場合、その核の恐喝が機能する可能性がある。1953年に、アイゼンハワーとダレスはロシアと中国を説得して、和解に達しなかった場合に朝鮮戦争を拡大し、核兵器を使用してそれを強化するだろうと考えた。1954年1月12日のダレスのスピーチは、大量報復を脅かすように見えた。その年の春に成功したディエンビエンフーの包囲は、そのような脅威の限界を示した。

 

 核兵器の秘密裏での発射についての懸念もあろう。例えば、過激なアラブ諸国やイランがイスラエルの都市を攻撃することである。しかし、国家の指導者が報復の可能性は低いと彼ら自身を説得したとしても、誰がリスクを冒すか。2つ以上の国が核兵器保有すると、核の脅威への対応は非核国家に対してさえ予測不可能になる。核兵器は恐喝のための貧弱な手段だが、それらは通常兵器で武装した敵に対して安くて決定的な攻撃力を提供するだろう。だが、核攻撃を行う国家は、適切な処罰を恐れなければならないだろう。非核保有国に対する核攻撃は、攻撃者が他の核保有国の反応を確信できないので侵略のコストを計り知れない高さに引き上げてしまう。

 

 核開発の2つの段階を区別する必要がある。第一に、国家は核開発の初期段階にあり、明らかに核兵器を作ることができないかもしれない。第二に、国家は核開発の進んだ段階にあり、核兵器を持っているかどうかは確かに知られていないかもしれない。現在のすべての核保有国は両方の段階を通過したが、1981年6月にイスラエルイラクの核施設を攻撃するまで、どの国家も予防攻撃を行わなかった。予防攻撃は、核開発の最初の段階で最も有望と思われる。国家は、攻撃した国が核攻撃を返すことを恐れることなく攻撃することができたからだ。

 

 イスラエルは、イラクを攻撃するにあたり、疑いの余地のない予防攻撃を行えることを示した。但し、イスラエルの行動とその結果は、有益な成果が得られる可能性が低いことを明確にしている。イスラエルの攻撃により、核兵器を生産するというアラブ人の決意が高まった。イスラエルの攻撃は、イラクの核の未来を予見するどころか、イラクがそれを追求することで他のいくつかのアラブ諸国の支持を得た。核開発の第二段階での予防攻撃は、第一段階での予防攻撃より有望ではない。より多くの国家が核兵器を取得し、より多くの国家が原子力発電プロジェクトを通じて核能力を獲得するにつれて、予防攻撃を行うことの困難さと危険性が高まっている。攻撃された国がまだいくつかの成果の弾頭を製造または入手していないことを確実に知ることはますます困難になってしまう。核爆弾は、広島に投下された場合のように、実験されていなくても機能する可能性がある。イスラエルは明らかに兵器を実験していないが、エジプトはイスラエルに弾頭が0個、10個、または20個あるかどうかを知ることができない。

 

 米国は、1980年代半ばに旧ソ連によって地上の基地のコンポーネントが攻撃され大部分が破壊される可能性があるため、常に戦略システムの脆弱性を懸念してきた。マクナマラ以前には、「反勢力」という用語には明確で正確な意味はなかった。A国は第一撃によってB国のミサイルと爆撃機を少数に削減でき、A国が消極的にBの報復を受け入れようとする場合、反撃能力があると言われた。この点で、戦略的対話はかつてそれがかつて持っていた明快さと正確さに欠けている。

 

 従来の世界でも核の世界でも、他のコンポーネントが何ができるかを考慮せずに、国家の軍事力のいくつかのコンポーネントを効果的に比較することはできない。米国と旧ソ連の双方に戦略的核兵器があり、それは他方のいくつかの戦略的核兵器を破壊することができる。米ソ両国とも、都市を攻撃するための計り知れない能力と軍事目標を攻撃するためのかなりの能力を維持できなくなるまで、相手側の戦略兵器を削減することはできない。新しい核保有国の少数の核爆弾は、米ソ両国の新たな追加配備よりも核戦争のより大きな危険を生み出すと主張する者もいる。こうした主張は、小さな力の先制が容易であると仮定している。これは、攻撃者となることが意図されている被害者の核弾頭の数が少なく、正確な数と場所がわかっており、攻撃される前に移動したり発砲したりしないことを知っている場合に限る。これらすべてを知ること、そして確実にそれらを知っていることを知ることは、非常に困難だ。

 

 1962年に、米国の戦略空軍司令部はキューバでの旧ソ連のミサイルに対する米軍の攻撃はそれらの90%を破壊するが100%を保証しないと言った。最良の場合、第一撃で国家のすべての兵器が破壊される。しかし最悪の場合、一部は存続できる。核兵器の存続に拡散と隠蔽が必要な場合、指揮統制の問題を解決するのが難しくならないのか。

 

 ゲームを完全にプレイしないとコストが高くなるため、「予防」と「横取り」は難しいゲームとなる。このような攻撃に核兵器を使用することに対する禁止は強力だが、絶対的なものとは言えない。B国が核兵器を取得する際にA国を模倣している場合、A国はB国に対する予防的または先制的攻撃を正当化することができるのか。バーナード・ブロディが言ったように、戦争はその費用に見合った政治目標を見つけなければならない。クラウゼヴィッツの中心的な信条は、核時代でも有効なのである。安全保障論における抑止理論に関する論文の多くは、抑止が依存する信頼性を達成する問題と、不確実な信頼性の抑止力に依存する危険性を強調している。

 

 この問題に対する以前の解決策の1つは、トマス・シェリングの「脅威をもたらす脅威」という概念にある。報復が不合理であっても、別の国家が報復を控えることを確実に知ることのできる国家は存在しない。他の国家の合理性に大きく賭けることはできないのだ。バーナード・ブロディは、政府が行うことが合理的または非合理的である可能性があることを尋ねるのではなく、恐怖の危険の存在下で政府はどのように行動するかを尋ねるのである。抑止力が失敗した後に国が抑止力の脅威を実行する理由を尋ねるのは、間違った問いである。問いは、攻撃者が攻撃された国が報復しないかもしれないと信じて攻撃する可能性を示唆している。従来の世界では、成功する可能性が高いと考えている国家は慎重に攻撃できる。一方、核兵器のある世界では、成功が保証されていると信じない限り、国は賢明に攻撃することはできない。攻撃者は、攻撃された者が報復する可能性があるとだけ信じていても阻止される。報復が発生した場合、すべてを失うリスクがあるため、抑止には確実ではなく反応の不確実性が必要である。核兵器のある世界では、考えられる報復行為の抑制に目を向けるべきではなく、挑戦者の明らかなリスクに目を向けるべきである。

 

 抑止の脅威が認められる場合に取得しなければならない条件は何か。まず、攻撃者は、抑止者が危機に瀕している利益を重要なものであると見なしていることを確認する必要がある。国家が誰の利益が重要であるかという問題に即座に同意するとは限らない。しかし核兵器は、答えをめぐって争うのではなく、事実についての合意を模索するように持っていく。第二に、抑止力がカバーすることを意図している地域では、政治的安定が広がらなければならない。政権への脅威が内部の派閥からのかなりの部分であるならば、外部の力は抑止力の脅威に直面してもそれらのうちの1つを支援する危険を冒すかもしれない。抑止力の信頼性を高めるには、利益が重要であると見なされることと、外部からの攻撃が脅威になることが必要である。

 

 これらの条件を前提として、攻撃者は報復する理由と報復の目標の両方を提供する。抑止力が信頼性を増すほど、対象となる利益が高く評価される。弱い国家は、強い国家よりも信頼性を確立するのが簡単である。それらは抑止力を拡大して他の人々をカバーしようとしているだけでなく、通常の攻撃に対する脆弱性も核の脅威に信用を与えている。通常戦争では、彼らは非常に速く失う可能性があるため、核攻撃を受けるリスクがある場合でも抑止力を放つとは簡単に信じられる。抑止力によって、絶対に脅かされている側が勝つ。貧しい国々による核兵器の使用は、生存が危機に瀕している場合にのみ起こる。

 

 いずれかの国家が最初に攻撃する「正当な理由」があるかもしれない状況を思い描くことは、ハーマン・カーンがシナリオを書き始めて以来、戦略的思考を悩ませてきた。抑止が困難であると信じている人々の間である程度の人気を得ているので、そのようなシナリオを検討する意味はあるだろう。アルバート・ウォルステッターは、旧ソ連が最初に攻撃するかもしれない状況を想像していた。旧ソ連の指導者たちは、没落していく共産党一党独裁政権を救うために必死の努力でそうすることを決定するかもしれないと考えたのである。絶望は、「周辺戦争での悲惨な敗北」、「重要な衛星国の喪失」、「反乱拡大の危険性」、または「我々自身による攻撃への恐怖」によって引き起こされるかもしれないとウォルステッターは主張した。

 

 新しい核保有国間での核兵器競争を予見する人々は、戦闘能力と戦争抑止能力を区別することをしない。必要な力は、武器の特性だけでなく戦略によっても異なる。軍拡競争は、不可能ではないにしても回避することが困難になる。ハロルド・ブラウンが国防長官であったときに言ったように、純粋な抑止力は「比較的控えめなものにすることができ、そのサイズはおそらく、完全ではないが実質的に敵の姿勢の変化に鈍感にする」ことができる。抑止力のある戦略では、先制攻撃能力が手の届く範囲にある場合にのみ軍拡競争は意味をなす。先制攻撃を阻止するのは簡単なので、抑止力を構築して維持することは非常に安価である。抑止力がある場合、問題はある国が別の国にあるかどうかではなく、許容できない損害を慎重に定義して、「許容できない損害」を他の国に与える能力があるかどうかである。その機能が保証されると、追加の戦略兵器は役に立たなくなる。抑止のバランスも本質的に安定している。フランスのジスカール・デスタンが言ったように、「世界の戦略的状況がどのように進展するかに関係なく、その抑止力の信頼性、つまり有効性」を維持するために必要なレベルにその安全を固定している」。

 

 柔軟反応戦略の方針は、戦略的抑止力への依存を減らし戦争と戦争機会を増やした。新しい核保有国は、この問題を経験する可能性は低い。従来の防衛手段を設置する費用、および従来の戦争の困難と危険性は、ほとんどの新しい核保有国が大規模な戦闘力と抑止力を組み合わせようとすることを妨げている。但し、イスラエルの政策はこれらの傾向と矛盾しているように見える。1971年から1978年にかけて、イスラエルとエジプトの両方がGNPの20%から40%を国防に費やした。イスラエルの通常兵器への支出は、1978年以降減少したものの、依然として高いままである。見かけ上の矛盾は、実際には抑止力の論理を裏付けているとも言える。イスラエルヨルダン川西岸とガザ地区を持っている限り、イスラエルは自身のために戦う準備ができていなければならない。それらは決して明確にイスラエルの領土であるとの国際的合意ないしは承認はないので、抑止的な脅威は、暗黙的であれ明示的であれ、それらをカバーしない。さらに、アメリカの大規模な援助が継続する一方で、抑止政策を信頼できるものにするために十分に国境を縮小するような領土問題解決への経済的制約はイスラエルを駆り立てない。核兵器は2つの方法で軍備競争を減少させ、より少ない核保有国の軍事費を削減する可能性が高いということになる。パキスタン核兵器保有は、インドとの破滅的な通常の競争を実行することの代替手段である。

 

 国家安全保障を高めるために設計された攻撃的戦争という究極の形の軍拡競争も無意味になる。抑止戦略の成功は、国家が保持している領土の範囲に依存していない。核兵器の存在は戦争の可能性を低くする。複数の国が核兵器を所有している世界では、現に核兵器は使用されていない。我々は核の下での平和を享受しており、さらに多くを享受する可能性がある。核時代の夜明けに、バーナード・ブロディは「予測は事実よりも重要である」と言った。この予測、つまり、核兵器を持つ国の重要な利益を攻撃することは、攻撃者に計り知れない損失をもたらす可能性があるということだ。国家は、深刻な被害を受ける可能性とそれを制限するための物理的能力がないために抑止されている。抑止力は、核兵器によりある国家が別の国家を最初に打ち負かすことなく厳しく対処することを可能にする。トーマス・シェリングスの言葉による「勝利」とは、「敵を傷つけるための必須条件ではなくなった」。

 

 通常兵器だけで武装した国々は、軍が攻撃者が行うことができる損害を制限することができることを期待することができる。戦略核武装している国々の間で、大きな被害を回避する望みは主に攻撃者の条件に依存し、自分の努力にはほとんど依存しない。抑止力は、戦略核を使ってお互いに何ができるかにかかっている。ここから、間違った結論に飛びつくことができるだろう。すなわち、抑止戦略を実行しなければならない場合、大惨事が発生するだろうというものである。国々がお互いを全滅させることができるということは、抑止力がそうすることへの脅迫に依存することも、抑止が失敗した場合にそうすることもしないことを意味するはずだ。

 

 戦略核武装した国々は戦争をその究極の強度まで運ぶことができるので、平時と同じように戦時中の武力のコントロールが主な目的になる。抑止が失敗した場合、指導者は虐殺攻撃を開始するのではなく、武力をコントロールし、ダメージを制限するための最も強力なインセンティブを持つ。いくつかの理由から、抑止戦略は戦争戦略よりも少ない損害を約束する。

 

 第一に、抑止戦略は周囲に注意を喚起し、戦争の発生率を減らす。第二に、戦略的核兵器に直面して戦う戦争は注意深く制限されなければならない。なぜなら、核保有国は、その重要な利益が脅かされた場合に報復する可能性があるからだ。第三に、予想される処罰は、戦争の多くの不確実性のためにそれらの利益が割り引かれた後、戦争で敵の予想される利益に比例する必要があるだけである。第四に、抑止が失敗した場合、賢明に提供された少数の弾頭は、関係するすべての国の指導者に冷静さをもたらし、したがって急速な段階的縮小をもたらす可能性がある。抑止戦略は、抑止が失敗しても限定的な戦略核戦争との戦いを企図する戦略であるシュレジンジャー=ブラウンの「相殺」戦略よりも少ない損害を保証する。戦争戦略は、一部の人にとっては勝利を手に入れ、他の人にとっては敗北するための明確な場所を供しない。抑止戦略は、ある国が別の国の重要な利益を脅かす場で有効性を持つ。抑止戦略は、戦争が行われる可能性を低くする。それでも戦争が繰り広げられる場合、抑止戦略はそれらが高強度の戦争になる確率を下げる。

 

 もっとも核兵器の拡散は、何年にもわたって最も激しい戦争が可能であったグローバルレベルではなく、ローカルレベルで戦争をより激しくする恐れがある。国家的存在が脅かされる場合、より弱いレベルの力で防御することができないより弱い国々は、核兵器に訴えることによって自身を破壊するかもしれない。少数の核保有国はこの可能性を恐れて生きるだろう。しかし、これは、米国と旧ソ連が共有していた「恐怖」と違いはほとんどない。小規模な核保有国は、通常の攻撃だけでなく核攻撃にも非常に脆弱であるため絶望感を覚えるかもしれないが、絶望的な状況ではすべての当事者が回避するのに最も必死になるのは戦略核兵器の使用である。

 

 1979年12月に旧ソ連アフガニスタン侵攻した時、米国政府は必要に応じて中東での核兵器の使用を検討したことがある。シュレジンジャーが国防長官であった時にこのアイデアは復活した。ウィーラー将軍とジョージ・ブラウン統合参謀本部議長は、旧ソ連に対して「相対的な優位性」を持つ核戦争が話し合われた。1980年7月にカーター大統領によって署名された大統領指令59号は、抑止が失敗した場合に、長期化する限定核戦争を企図していた。そして、旧ソ連の軍事指導者の何人かは、戦争に勝つために核兵器を使用することを公に議論していた。

 

 米国と旧ソ連は、核兵器の使用を検討してきたが、計画することは行動を決定することとは異なる。通常、弱い国は強い国よりも恐怖に基づいて計算し、より慎重に動くとされる。恐怖と警戒がより不安を抱える国々に先制攻撃を開始させる誘因となるかもしれないという考えは、より少ない量の兵器しか持たぬ核保有国がいる地域の不安定性と核兵器がもたらす破壊の程度についての不安を増幅させた。しかし、このような心配は、むしろ従来の国家の行動を拡大するものではあっても、核保有国同士には当てはまらないどころか、核兵器は、核保有国間の戦争の激しさや頻度を減退させもする。エスカレーションを恐れて、核保有国は重要な利益をめぐって長くまたは激しく戦うことを望んでいないし、戦うことを望んでいない。核保有国間の戦争の激しさに対する懸念は、この文脈において、そして通常兵器がかつてないほど高価で破壊的なものになる世界に対してこそ向けられねばならないのである。

慕情-追憶の香港

 1955年に封切られた米国映画『慕情』は、第二次世界大戦後から朝鮮戦争の時期の英領香港を舞台に、英中混血の女医と米国人香港特派員との間の悲恋を描いたジェニファー・ジョーンズウィリアム・ホールデン主演の映画史に残る名作として知られる。原作の自伝的小説『慕情(Love is a Many-Sprendored Thing)』の著者はハン・ス―インで、彼女をジェニファー・ジョーンズが演じている。映画の設定では英中混血であるハン・スーインは、実際には白中混血の女医である。また、国民党軍将校の夫を共産党に殺された未亡人でもある。映画では、ハン・スーインと、シンガポールにいる妻と別居中の新聞記者マーク・エリオットとの間の恋を中心に描かれるが、悲恋に終わることになるこの恋が描かれる背景となる舞台は、周知の通り、第二次世界大戦後の国共内戦によって大陸の支配を固めつつあった中共の支配から逃れようと大量の人間が流入してきた混乱期にある香港だ。

 

 ハン・スーインがあるパーティでマーク・エリオットに出会った時期は、1949年3月である。中華人民共和国建国宣言が北京の天安門楼上で毛沢東によって読み上げられるのが10月1日なので、中共の大陸での勝利が決定的となっていた時期にあたる。マーク・エリオットは朝鮮戦争の従軍記者として1950年8月に死亡するので、二人の交際期間はわずか1年半ほどの短いものであった。ハン・スーインは勤務先の同僚たちから、祖国に帰って新たな国家建設に寄与しないのかという問いに対して、共産革命が人民に幸福をもたらすものであるとするならば、香港に共産党の支配を逃れてくる大量の流入者の存在を説明できないと、賢明にも当時蔓延していた共産主義に対する幻想に騙されず、香港に残る道を選択する。

 

 既にこの頃から、プロパガンダに長けた中共は、あの手この手と策を用いて、主に農民を騙すことに成功して支配地域を拡大していく一方、掌返して暴力的な弾圧に切り替え、中共の支配を確保するために少しでも異論を挟む者を粛正し始めていた。これは、世界のほとんど全ての共産党に例外なく見られる現象で、ロシアのボルシェビキによる革命政府が元からそうした体質であったわけだから、何も驚くにあたらない。

 

 ちなみに日本共産党は、ソ連社会主義は本来の社会主義共産主義の理念と無縁であり、あのような強圧的支配権力はスターリンにその原因があるという。しかしながら、レーニン自身は間違っていなかったと言いたげな見解を採っている。もちろん、それは事実に反しているわけで、共産党の独裁権力による暴政は、スターリン以前のレーニンの頃から見られたことである。ボルシェビキや以後の共産党政府によってどれほど残忍な行為が行われてきたか。スターリン一人にその責めを負わせることなど不可能であり、レーニントロツキーも残忍さにおいて、スターリンやベリヤのそれと変わるところなどなかったのである。毛沢東も、毛沢東主義を実践しようとしたクメール・ルージュポル・ポトも然り。世界中に散らばった毛沢東主義を掲げた共産ゲリラの無差別テロを見ればよい。南米ペルーのセンデロ・ルミノソなどその典型例だろう。日本共産党の雑誌『前衛』や『経済』に掲載される論文や共産党員の研究者の著作を見ても、スターリンの論文や著作には触れないが、レーニンに関しては『帝国主義』や『唯物論と経験批判論』などが盛んに引用されている(それに比して、『国家と革命』が引用されることは少ないように思われる。まあ露骨に階級対立の非和解性を強調するものだから、表向き議会制民主主義を尊重するという建前をとっている日本共産党からすれば、あまり深入りしたくはないのかもしれない)。

 

 中共は支配地域で権力を握ると、今度は国民を圧迫し始めた。自分たちの権力を維持する為に、反対する者たちの粛正に出た。その数は数千万人にも上る。この点は、ソ連においても同様であった。世界中のほとんど全ての共産党共産主義者は、一見耳触りのよい言葉で人を魅惑する。特に、お調子者の「知識人」は間抜けなことに、そうした誘惑に乗せられていった。要するに、中途半端な「知識人」だったのだ。そして例外なく、共産党共産主義者は、遂には隠していた牙を剥き出しにして、異論を挟む者を容赦なく惨殺し弾圧していった。激動の渦中に身を置く者が、世の中がどこへ向かおうとしているのかを判断することは難しい。しかし、あらゆる革命がその元となった事情よりも更に悲惨な事情をもたらすことを知っていた真の知識人も、少ないながらも存在した。

 

 マルクスは、共産主義こそが労働者にとって平和・平等・豊かさを保証する理想的な社会を実現すると思い、資本主義が駆動するメカニズムとその内部矛盾を剔抉し、資本主義の非永続性と崩壊プロセスにおける革命の必然性を示唆したが、理論的にも欠陥だらけの主張であるだけでなく、現実は共産党幹部による恐怖支配という最悪の結果をもたらした。本来の共産主義はそうではないと苦し紛れの弁明をする共産主義者が絶えないが、うまくいった事例を一例も挙げられない。ことごとく失敗しているのである。マルクス自身は共産主義社会の具体像を述べないまま亡くなったことも、その弁明がはびこっている理由にもなっている(強いて言えば、『ゴータ綱領批判』くらいかなあ)。

 

 まともな頭脳の持ち主ならば、考え方そのものに致命的な欠陥があるのではないかと疑うものだが、カルトの信者と同様、共産主義者はそれを直視できない。むしろ、意固地なまでに独善的正義を振りかざす。世俗を超越するものの価値の理念を一切持たないがゆえに、逆に「究極的価値」の所在を共産主義の理念に求め、しかもその解釈権を前衛党の幹部が独占するという構造を持つに至る。したがって、そこから逸脱する者は「反革命」として「悪」の烙印をおされて抹殺される。共産主義者による虐殺が比較を絶して残忍であり、かつ大量であったことが端的に物語っている。共産主義者同士の「内ゲバ」も、そういう性格を如実に反映している。日本共産党新左翼との憎悪を剥き出しにした対立もそうだし、新左翼内でも中核派革マル派との「内ゲバ」殺人も然り。こういう連中が権力を握れば、どういう悲惨な社会が到来するか。アホでもわかるだろう。共産主義者内の権力と権威の争奪戦に明け暮れるそうした連中の実態は、これまたおぞましく、他人に対しては「清貧」を説く癖に自分だけは豪奢な生活をしかも党費や組合費をネコババすることによって謳歌するというものだ。約千坪ある不破哲三の豪邸はあまりにも有名だけど(もちろん家政婦やお抱え運転手も完備)、その前も長年独裁体制を敷いてきた宮本顕治聖蹟桜ヶ丘にあった邸宅も、革マル派幹部のハワイのコンドミニアムと枚挙に暇がないほど。共産主義者など一皮剥けばこんなものであるのは、世界共通なのである。

 

 英領香港は1997年7月1日に中華人民共和国に「返還」された。アヘン戦争講和条約である1842年締結の南京条約に「中國将廣東省寶安縣的一個沿岸小島香港、割與英國」の規定が入り、香港島が英国に割譲された。さらに、第二次アヘン戦争講和条約である1860年締結の北京条約によって、香港島対岸の九龍半島南端の割譲をも決まった。その上、この領土を防衛するため勢力範囲の拡張に乗り出し、1898年には、九龍半島の深河以南地域と大嶼山などを含む后海湾と大鵬湾の両海域に関わる租借権を獲得し、英国の管轄下に置かれた。これが「新界」と呼ばれる地域である。

 

 1997年において予定されていた返還に関して、英国の考えはあくまで租借期限満了を迎える新界のみを対象としていた。香港島と対岸の九龍地区南側は割譲する意図はなかったのである。しかし、マーガレット・サッチャーと鄧小平との交渉によって、結局サッチャーは鄧小平に押し切られる形で「香港」全域を「返還」するということになり、英国は東アジアからの完全撤退を余儀なくさせられた。「香港」全域がもはや一体的な都市機能を持つに至り、香港島及び九龍半島南端部分と租借地である新界が不可分一体になっており、「香港」と言えば租借地も含めた領域のことを指すという認知が常識化していた。新界と切り離してしまっては、香港島及び九龍半島南端だけで自立することは不可能であったことに加え、かつてのパワーを失い衰退化していく英国に中共からの要求を撥ねつけるだけの力はなかったことも関係している。

 

 1982年から始まった英中交渉は、1984年12月に英中共同声明となって結実した。南京条約が結果的に反故にされる形に終わったことで、英国の統治権保持も叶わぬ夢となった。かろうじて「一国二制度」が確約されたといっても、香港住民の不安は拭い切れず、香港から脱出する者も多くいた。「一国二制度」とは、香港を「特別行政区」と位置づけ、この「特別行政区」では、社会主義の制度と政策を実施せず、従来の資本主義制度と生活様式を保持し、これを50年間変えないとするもので、これは「英中共同声明」に基づいて1990年4月に制定された「中華人民共和国香港特別行政区基本法」の基本理念でもある。

 

 その内容は、一見自由主義的諸制度を保障するように見えるが、そこには周到な罠が仕掛けられていた。さすが鄧小平の狡猾である。この基本法の第158条には、「本法の解釈権は、制定者たる全国人民代表大会常務委員会に帰属する」とある。更に第23条には、「反逆・国家分裂・反乱扇動・中央人民政府転覆・国家機密窃盗のいかなる行為をも禁止する」と規定する。香港の共産化を恐れ、毎年数万人規模での市民の脱出が続いている。さらに英国国民海外旅券(BNO)取得に大量の市民も殺到していた。

 

 国際政治の力学に翻弄されてきた香港の特殊な性格を、ハン・スーインはBorrowed place, Borrowed timeと呼んだ。英中いずれでもない漂流する根無し草のような都市としての香港。この漂流する根無し草ゆえの独自の性格と他に比せない「魅力」をも持った香港は、約束された「一国二制度」すら反故にされ、中共の暴政が覆い尽くそうとしている。既に、中共に手なずけられた香港の政界や財界が北京の軍門に下り(ショッキングだったのは、香港上海銀行HSBC)までもが目先の利益目的で中共側についたことである)、自由と民主の価値の重要性を主張する香港市民は、「香港国家安全維持法」に基づいて次々に拘束されている。

 

 これまで、自由世界の住民も、中華人民共和国の飛躍的経済発展のおこぼれにあずかろうと、中共の覇権拡大による世界の不安定化の流れに抗しようとはしなかった。米国もエンゲージメント戦略によって、中共のソフトな形での民主化が将来的には期待できるとの過度の楽観に基づいて対中政策を講じてきた。その間、中共は表向き牙を隠しつつ虎視眈々と覇権拡張の機会を見計らっていた。これも鄧小平の長期計画の成果である(いかに鄧小平が頭のいい政治家であったことがわかろう。現在の我が国の政治屋とは月とスッポン。テンで話にならないわけで、取り換えて欲しいくらいである)。

 

 それに比べて、習近平の頭の悪さが際立つ。習近平指導部の露骨な体制ゴリ押しは、当然に香港の経済発展の基礎となってきた「国際金融センター」としての役割を低下させる。なぜ香港が「国際金融センター」としての地位を築けたのか。金融市場に対する規制が少なく、しかも為替管理が課されておらず、資金移動の制約がない。のみならず、香港ドルが米ドルにペッグされているから、為替リスクが少ないというメリットが香港の相対的優位をもたらしてきた。この特殊な性格によってもたらされてきた恩恵を犠牲にしても、なおゴリ押しを断行する理由はどこにあるのか。

 

 精神的自由と経済的自由とは、本来密接不可分である。経済的自由をおざなりにして精神的自由を言祝ぐばかりなら、いずれ精神的自由さえ確保されなくなる。逆も然り。共産主義がその典型だ。共産主義社会には精神的自由も経済的自由もない。米国の優れた外交官ジョージ・ケナンの対ソ封じ込めに倣って、対中封じ込めと行きたいところだが、アフリカ諸国を始め、中共に借金漬けでどうにもこうにも抵抗できない国が多くなっているので、対ソ封じ込めのように上手く行くとは限らない。

 

 つくづく、我が国の戦前・戦後にわたる対中政策の失敗が悔やまれてならない。1つは、支那事変の早期収拾に失敗して事態を泥沼化させてしまった結果、大陸の共産化に貢献してしまったことだ。中には、コミンテルン中共のゲリラ活動によって撹乱されたことを理由に弁明する向きもあるが、たとえそれが事実であるとしても、最悪の事態を予見せずして大陸奥地にまで首を突っ込んでしまったのだから、これは言い訳にしかならないだろう。もう1つは、第二次天安門事件以後に孤立化した中共の国際社会復帰に日本が手を貸してしまったことだ。

 

 既に遅きに失する事態となってはいるものの、これ以上の中共の覇権拡張を許しては、いずれ我が国も「中華勢力圏」に呑み込まれてしまい、不十分ながらも比較的に自由な社会である今の社会すら維持できなくなってしまう。尖閣諸島の実効支配の切り崩しにかかる中共は、更に要求をエスカレートしていき、沖縄県全体をも日本の領土ですらないと言い始めてきた。『環球時報』ではそういう記事が目立ち始めた。これが政府の見解となるのも時間の問題だろう。沖縄県と北海道を取りに着々と戦略を練っている。現段階ではほとんど支持者のいない「琉球独立派」をけしかけてくるかもしれない。そういう状況なのに、東京の政治家は沖縄の分断を加速させるような不神経な言動を繰り返している。冷戦終結によって、共産主義に対する一応の勝利を見たと思えたのも束の間、細々と残っていた共産主義のこぼれ火が再び燃え盛らないよう、国内外の共産主義者から自由と独立を守るための自由社会の反共団結が切実に求められている。