shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

「新帝国主義」という視点

マルクス主義者ではないどころか、経済理論に関しては、一見相互に矛盾するかに見える、ポスト・ケインズ主義とオーストリア学派を足して二で割ったような立場を採る者なので、当然にその主張の全てに必ずしも同意できるわけではないのだが、1980年代半ばから現在に至る日本政治史の一側面を分析する道具として、「新しい帝国主義」論に部分的な説得力を認めることは可能かと問うてみたい。

 

特に、1990年代からの「改革」を連呼する政治が、一体どのような力学からそうなったのかを分析する際には、一定の有効性を持っていると言えるかもしれない。「反共の闘士」たる右翼を自認する僕でも、そう思うことが時々ある。

例えば、政治学渡辺治や哲学者後藤道夫らによる、戦後日本社会の構造の特徴を捉えた「企業社会論」からの流れを汲む「新帝国主義論」は、数年前にベストセラーとなったデイヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義-その歴史的展開と現在』(作品社)における「ネオ・リベラリズム」批判に先行しており、彼らとは真逆の、「歴史の灰の山にコミュニズムを葬り去ること」にこだわる僕のような者からしても、無視を決め込むわけには行かないものに思えたことも確かだ。

渡辺治日本共産党に極めて近い関係に立つ政治学者であり(おそらく党員だろう)、共産党系の全労連や民医連の集会等にも登壇し、『前衛』(日本共産党中央委員会)や『経済』(新日本出版社)といった機関紙・雑誌の常連執筆者であるだけでなく、『しんぶん赤旗』紙上の「新春対談」において、日本共産党中央委員会委員長を長年務める志位和夫の対談相手になり、更には、不破哲三スターリン秘史-巨悪の成立と展開』(新日本出版社)が世に出るや、不破の対談者として担ぎ出され、『現代史とスターリン-『スターリン秘史-巨悪の成立と展開』が問いかけたもの』(新日本出版社)という共著まで出していることから、党幹部の覚えめでたい研究者であることは間違いない。したがって、その言説も勢い「党派性バイアス」がかかってしまうことは否めない。

 

かつての渡辺は、日本における「新自由主義」の萌芽が1980年代の中曽根康弘政権によってなされた一連の「行政改革(第二臨調)」にあると位置づけ、この動きが、1993年の、細川護熙を首班とする非自民連立政権以降に本格化したと診断していた。その見方は、概ね正しいだろう。細川政権を事実上仕切っていた小沢一郎こそ、正面切って新自由主義的政策を掲げた初期の代議士であり、読売新聞記者とともに執筆したその著書『日本改造計画』(講談社)は、ある種の「新自由主義宣言」でもあった。

 

今でこそ様相を異にしているが、そもそも、自由民主党は伝統的に、農村を強固な基盤とし、日本医師会など各種業界団体といった圧力団体の支持をも取り付けつつ、都市ホワイトカラー層全般にまで徐々にウイングを広げた「国民政党」である。ただ、こうした「国民政党」では、主として財界等の要求が直接通りにくい状況になるのも必至。そこで、財界や都市ホワイトカラー層の要求が直に反映する政策実現のために、自民党に代わって政権を担いうる政治勢力が求められた。この要求に応えて、(表向きは「政治改革」を掲げて)小沢一郎ら当時の竹下派経世会の一部が党を割る形で「新生党」を結成。先に自民党を離党していた武村正義率いる「新党さきがけ」や、元自民党参院議員で熊本県知事を経験した細川護熙が設立した「日本新党」などと連立して、細川護熙を首相に担いで、非自民連立政権を実現させた。

 

もっとも、その後の渡辺は、日本における「新自由主義」の萌芽をいつに求めるかに関して、立場を微妙に変えているかに見える。先のハーヴェイの著書『新自由主義』の監訳者解説として書かれた「日本の新自由主義」という文章では、「戦後政治の総決算」を掲げて1982年に誕生した中曽根康弘政権下で行われた第二臨調を中心とした「行政改革」路線こそが、我が国の「新自由主義」の萌芽となった旨のこれまでの主張を変えている。

 

中曽根政権時に設けられた「臨教審」の場で繰り広げられた「教育改革」に潜むイデオロギー分析を起点として、そこから「資本-労働」関係の再編過程を検証していく『現代日本の支配構造分析-基軸と周辺』(花伝社)や、高度成長から「バブル経済」を迎える前までに形成されていった日本社会の特殊な構造を「企業社会」化の視点から、特に日本に特徴的な企業別労働組合と連合の動向に注視しつつ、「豊かな社会」を支える権威主義的支配秩序の形成と構造を取り上げた『「豊かな社会」日本の構造』(労働旬報社)、日本において新自由主義を正面きって掲げた細川護熙連立政権を支えた小沢一郎の政策の、中曽根路線との親和性を分析した『「政治改革」と「憲法改正」-中曽根康弘から小沢一郎へ』(青木書店)を読めば明らかだ。

 

渡辺治がこれまでの見解を捨てたのは、「新自由主義」が要請される背景には資本蓄積の危機が顕在化されたことがあげられるところ、中曽根政権時においては、そうした資本蓄積の危機が顕在化するような状況は見られなかったので、日本において「新自由主義」が導入される必然性はなかったというのがその理由にあるのではないか(この点については、おそらく異論を持つ読者も多かろうと思われる)。

90年代末から徐々に胚胎し始めたネオナショナリズムの性格と日本の多国籍化の関係を論定したのが、『日本の大国化とネオナショナリズムの形成-天皇ナショナリズムの隘路と模索』(桜井書店)である。この著作は、90年代後半に、藤岡信勝西尾幹二を中心とする「自由主義史観」を標榜する「新しい歴史教科書をつくる会」が発足し、歴史教科書改正運動が起こり、西尾幹二『国民の歴史』(産経新聞ニュースサービス)や藤岡信勝編著『教科書が教えない歴史』(同)が出され、更には、「薬害エイズ問題」を通して特に一定の若者の支持を得ていた漫画家小林よしのりによる『新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論』(小学館)がベストセラーとなって、歴史認識をめぐる議論が盛んに戦わされていた時期に照応するもので、かつての『戦後政治のなかの天皇制』の見解を若干修正するものとなっているのが面白い。

先へ進む。資本のグローバル化とともに連動してきた日本企業の「多国籍化」と「自立帝国主義化」を、レーニン帝国主義論を下敷きにしつつ、それを大幅に改良した上で分析を試みた『講座 現代日本(全四巻)』(大月書店)のシリーズの序巻を飾った『現代日本帝国主義化-構造と形成』もよく書けた著作である。冷戦終焉後に世界を覆い尽くした経済グローバリズムに基づく米国の帝国主義的行動や、テロに走るイスラム原理主義の発生との関係を分析し、ネグリやハートの『帝国』(以文社)や藤原帰一『デモクラシーの帝国』(岩波書店)の帝国論いずれをも批判した共著『講座 戦争と現代1「新しい戦争」の時代と日本』(大月書店)所収の論文も、詳細な分析・記述がなされており、特に、藤原帰一『デモクラシーの帝国』に対する批判の冴えは光っていた。

この見解は、主として後藤道夫に影響されてのことだろうが、日本共産党の主張と完全に同一であるわけではない。渡辺・後藤の議論は、戦後日本経済の復活過程をどう見るかという点に関して、日本共産党の「公式見解」であった「従属帝国主義論」とは異なる、「自立帝国主義論」に軸足を置いた傾けた議論を展開している。あからさまに「反体制」の旗印を掲げ、そのために書くものは勢い、「社会運動家の書き物か」と見紛う一面もある。この点を欠点と見るかそうでないか、意見の分かれるところだろう。

研究の一端を見ると、元々は、憲法学者の奥平康弘の下で治安維持法の研究から出発したわけだが、東京大学社会科学研究所在籍時には、名著との定評のある『日本国憲法「改正」史』(日本評論社)を皮切りに、戦後の象徴天皇制が、その時々の政治過程により役割と機能を変質させられていった次第を批判的に分析した『戦後政治史のなかの天皇制』(青木書店)を著し、本格的に憲法学から現代日本政治史の方に軸足を移し始め、遂には現代帝国主義論へと発展した。

但し、小泉純一郎政権の性質を一連の「構造改革」政治の延長として捉える『構造改革政治の時代-小泉政権論』(花伝社)や、安倍政権の分析に関する『安倍政権論-新自由主義から新保守主義へ』(旬報社)以降の著作は、これまでの主張に時事的課題を付加した食傷気味の感あるものに劣化しており、以前のような分析の冴えは見られなくなっていった。講演録が多くなったというせいもあるだろうが、かつてのような研究者としての論文というより、政治活動家としての文章という側面が目立つ。


第二次世界大戦後の世界経済をマルクス主義的視点から整理すると、巨大株式会社の形態で、主として重化学工業を発達させてきた列強資本が、過剰資本の投資領域を拡張しようと世界分割戦争を繰り広げたのが、20世紀前半の資本主義の特徴であった。この要因は、過剰資本を吸収する内部的有効需要を創出しきれなかったことにある。

 

1950年代以降は、金融と産業をつなぐ金融資本の組織性が耐久消費財を中心とする重厚長大型設備投資を実現していく経済システムへと転化していった。米国を中心とする資本主義世界の協調路線・通商拡大路線が安定的な国際通貨体制とともに冷戦構造を支える政治経済秩序とされ、これにより先進諸国の安定的な高度成長がもたらされた。

 

冷戦下での巨大な軍事費支出は、生産能力の過剰を吸収する有効需要を創出し、派生的産業技術によって、耐久消費財の多様化・高度化がもたらされ、その結果として、他の先進諸国の回復成長を助長しもした。他方で、先進諸国の耐久消費財中心の高度成長過程において、「第三世界」諸国の経済はモノカルチャー化による単一の一次産品輸出に特化され、不利な交易条件を押し付けられたために停滞を極め、政治経済的混乱が反復される状況が常態化した。

先進資本主義諸国はというと、ケインズ主義的政策によって完全雇用の維持と福祉の充実が第一義的課題として認識されてくるようになった。しかし、ケインズ政策では慢性的なインフレを抑えることが困難であるとの非難がなされるにつれて、「反ケインズ革命」が経済学の世界で巻き起こり、米英では、1980年代の「レーガノミクス」や「サッチャリズム」に見られるように、緊縮的財政金融政策によるインフレ沈静化、公営企業の民営化と、それに伴う労働運動への攻勢、情報技術の進展ならびにそれを利用したオートメーション化による非正規労働者の増大、企業の多国籍化による途上国低賃金労働者の利用拡大、労働力商品の供給制限、労働者の所得上昇の抑制ための法制度再編(日本でも労働法制の改訂、商法改正やその帰結としての会社法制定などに典型的に見られる)が、「資本の論理」のもとに推し進められた。

 

労賃コストを大幅に圧縮して自己金融化傾向を強め、過剰設備を抱えがちになったことが金融の投機的バブルに動員されやすい累積資本を生む土壌が形成されてもいった。そんな中、米国はドルの国際基軸通貨特権のために、国際収支赤字を積み重ねても経済が維持できる地位を享受しつつ、他方で主要諸国は、ドル債権を外貨準備として蓄積していった。こうした大きな枠組みの下、金融の「中心」とその「周辺」との非対称的関係が固定化され恒常化され拡大化されていったというのである。 

この点、日本は内需中心の経済体制であり続けたので、米国と比べて、資本のグローバル化はむしろ遅れていた。日本企業の多国籍化の流れが本格化するのは、むろん円高の影響も大きいが、1990年代に入ってからである。但し、そのための準備が敷かれたのは、やはり中曽根政権であったと見るのが妥当ではないか。この時期、イラン・イラク戦争の際に、ペルシャ湾自衛隊の掃海艇派遣の打診が米国からなされ、中曽根政権はこの要請に応えるべく自衛隊派遣に踏み切る一歩手前だった。時の官房長官後藤田正晴閣議にかけられた際には断固署名はしない意思を中曽根に伝え、結局実現しなかったが、その自衛隊の海外派遣が「国際貢献」という名の下に実行されたのは、1990年の湾岸戦争後のことであり、この動きは、日本企業の多国籍化の流れに無縁とは言えない。

 

時折冴えた分析を見せる渡辺治の著作に共通している欠点は、「敵」としての「支配層」なるものを対立者に据え、その「支配層」が一個の主体として現代日本の「新たな帝国主義化」に好都合な国内体制の再編を企図するという構図を描き、この動きへの対抗主体として過剰な期待を担わされている「市民運動」・「労働運動」を称揚し、対抗戦略として「新福祉国家」を打ち出すというストーリーが陳腐に過ぎるという点であろう。しかも、始めに結論ありきで、予め素描した構図を上手く裏づけできるに相応しい好都合な事実関係を拾い集めて自説の補強とする方法が露骨に現れ、定量的データに支えられた「社会科学」的言説にはなりえていないという粗も目立つ。

 

ともあれ、1980年代から90年代の再編過程を経て今日に至る日本社会に対する一つの視点として、渡辺治の「現代帝国主義論」を参照するのは無駄ではないだろう。