shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

ヘッジファンドへの誤解?

金融工学といっても、とてもじゃないが「科学」と呼べる域には達しておらず、その胡散臭さは身内からも指摘されて久しい。数学や物理学の研究者からすれば、「似非科学ではないか」との疑念を抱かれるだろうと想像される。確率論をその定量的側面だけではなく定性的な側面まで含めて学べば学ぶほど、そういう疑念が増してくるのも無理はない。

 

とはいえ、ある程度役には立つのも確か。例えば、ヨーロピアン・コールオプションプットオプションの拡張に当初から数値解析手法が用いられてきたわけだが、これらが更に応用され、オプション評価の簡易化や複製ポートフォリオの構築に必要な数値計算が可能になった。この点で、ブラック、ショールズ、マートンによる確率偏微分方程式のモデル(BSM)の貢献は大きい。もちろん欠陥もあるし、科学的理論であるかは大いに怪しい。

 

BSMは、我が国を代表する数学者の一人である伊藤清による確率微分方程式の応用例でしかないが、伊藤の確率解析そのものは難解な代物であって、正確に理解できている者がどこまでいるのか怪しいというのが、僕の率直な感想である。計算自体はさほど難しいものではないが、それすらできない者もいる。酷いのになると、単純化されたリニアな数値解析手法としての二項モデルの段階でギブアップというのが日系企業にはウヨウヨいる。これじゃあ、点でお話にならない。

 

BSMの基本的発想は、至極単純。無茶苦茶乱暴に簡略化すると、連続的な分布を単純な離散分布に近似させるというアイディアである。すなわち、時間を離散的に複数の期間に分割して、同一期間内において資産価格の上昇と下降の二者択一がなされると仮定する。任意の分岐点では資産上昇か下降しかありえないわけだから、各期間の資産上昇率及び下降率双方を固定する。デリバティブ価格と等しいポートフォリオを原資産と安全資産と合わせて各期間ごとにデリバティブ価格を複製するポートフォリオを構築するので、結果としてデリバティブの現在価格を無裁定原則により求めることができるというもの。

 

BSMの基本的アイディアは、任意の株式の期待収益率と市場の株式からなるポートフォリオの期待収益率との関係を明らかにしたウイリアム・シャープの資本資産評価モデル(CAPM)の発見にその基礎をおく。しかし、CAPMというのが実は怪しいのだが、とりあえず脇に置いておこう。このCAPMを使って、オプション価格と時間変化および資産価格の変化に対するオプション価格の変化を表す関係を示す偏微分方程式が導出される。

 

導き出されたBSM方程式は、現在の資産価格、オプションの行使価格、資産収益率のボラティリティ、満期までの時間、安全利子率という5つの変数からなる標準的ヨーロピアン・コールオプションの価格を導出する方程式だ。このBSMが「世界を変えた公式」と大仰な表現でもって喧伝されたが、ロング・ターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)社破綻と「ウォール街の借款団」による約36億ドル投入による救済という事後処理並びにその後の「リーマン・ショック(米国では「リーマン・ショック」という表現はあまり用いられない)」のせいもあって、ヘッジファンドとそれが駆使する金融工学が、日本では特に槍玉に挙げられた。

 

しかし、批判者たちの批判のポイントはほとんど全て的外れなもので、致命的な核心部分を突くような批判は、特に日本ではなされなかった。中でも、「過度の数理化が誤りだ」いう類のイチャモンはピンボケもいいところ。こういう酷い難癖は、数学がロクにできない者による戯言であるのが大半だ。

 

何より、ヘッジファンドは世界の金融システム全体にとって危険をもたらす要因だとして「悪魔視」する声すらも沸き起こったことが驚きだった。そうした批判は、ヘッジファンドが金融システムを安定化させる特徴を併せ持つという側面を無視しており、冷静な分析に基づく批判ではない。確かに、モデルを使用する場合、その可能性と同時にその限界をも認識すべきであり、この点の意識が、投資銀行ヘッジファンドなどで勤務する者の一部に足りてなかったという指摘は正しい。とはいえ、その程度の認識はたいていの者は素人に言われなくとも持っていた。

 

ヘッジファンドとは、ざっくり言うと、元々割高の株式を空売りしてその資金を利用し割安と考えられる株式を購入するというごく当たり前の簡単な戦略をとることから始まった。一方の株式から生まれた損失を他方の株式から生まれる利益で相殺する、つまりはポートフォリオがヘッジされるよう、リスクマネジメントの機能を有している。

 

本来、ヘッジファンドとはリスクを請け負うビジネスであって、その存在は、市場の効率化と流動性の向上をもたらしつつ、同時に市場のアノマリーを解消するのにも寄与している。そうした側面を正当に評価せず、貧しいイメージに基づく偏見を巻き散らかした自称「インテリ」による非難が幾度となく繰り返されたことを思い出しておこう。そうした非難は、主として人文系の大学教員や評論家の類からなされたわけだが、経済にも金融にも疎い者たちによる総じて低レベルな「居酒屋漫談」の域を出るものではなかった。

 

現代金融理論の世界では、ポートフォリオ構築は伝統的に2つの中心的な仮定の少なくとも1つの下で動いてきたと言える。

 

制約は効用関数から派生したものであり、原資産のリターンの多変量確率分布は完全に既知のものとされる。実際には、パフォーマンス基準と情報構造の両方が著しく異なるわけだが、リスクを取るエージェントは、ポートフォリオのリターンのテールを制約して、VaR、ストレステスト、あるいはCVaRの条件を満たすようポートフォリオを構築することが半ば義務づけられている。確率分布の残りの特性については、ほとんど無知のままである。

 

これとは別の方法もある。制約や期待に応じてエントロピーが最大になるポートフォリオ分布の形状を導くというもの。確率分布の左側の制約は、従来の理論の他の考慮事項を無効にするほど強力であり、関連性の限られた個々のポートフォリオ成分を表す。そうすると、一方の側で最大の確実性、もう一方の側で最大の不確実性が見出せる構造を利用しようというものだ。日本でもベストセラーになった『ブラックスワン』の著者、元クオンツ系トレーダーで数学者・哲学者・作家で、テールヘッジ戦略で知られるヘッジファンド「ユニバーサ・インベストメンツ」科学顧問のレバノン系米国人ナシーム・ニコラス・タレブの採っていた「ダイナミック・ヘッジング」という投資戦略は、基本的にこの路線に乗っている。

 

バーゼル規制以降、ある制度的枠組みで作業する場合、オペレーターとリスクテイカーは、規制により義務づけられたテールロス制限を使用してポートフォリオにリスクレベルを設定している。それらは実用性を無視して、ストレステスト、ストップロス、VaR、CVaR及び同様の損失削減方法に依存している。

 

制約の選択に組み込まれている情報は、控えめに言っても、リスクに対する欲求と望ましい分布の形についての意味のある統計でしかない。一方オペレーターは、あるタイムストラクチャーで直面する可能性のあるドローダウンよりも、ポートフォリオの変動にあまり関心がない。更に、ポートフォリオ内の成分の同時確率分布を認識しないで最大リスクに基づいた配分方法で損失を制御できると考えていたりする。

 

しかし、効用と分散の従来の概念を使用できるが、それらに関する情報がテールロスの制約に埋め込まれているため、直接使用することはできない。ストップロス、VaR、CVaR及びその他のリスク管理方法は、損失領域のマイナス側である分布の1つの断片のみに関係していたりする。

 

歴史的に見ると、ファイナンス理論はパラメトリックで堅牢性の低い方法を優先してきた。意思決定者が将来の見返りの分布について明確で不可謬な知識を持っているという考えは、実用的・理論的有効性が欠如しているにも関わらず存続してきた。例えば、相関は不安定すぎて正確な測定を行うことができない。これは、分布とパラメトリックな確実性に基づいている。これはこれで研究には資するかもしれないが、責任あるリスクテイクには対応していない。

 

この点に関して、およそ2つの考えがある。1つは、経済学の理論にも見られるような高度にパラメトリックな意思決定に基づいた考え(その典型がマーコビッツ)。もう1つは、「ケリー基準」として知られている考え。但し、ケリー基準は、平均値などの将来の収益に関する正確な知識を必要とする。この欠陥を克服するには、リターンに関する不確実性に対応できるようでなければならない。オペレーターはデリバティブやその他の形態の保険、またはストップロスに基づく動的ポートフォリオ構築によってのみテールを制御できる。収益に関する最大の不確実性を仮定し、リターン分布を制約の最大エントロピー拡張と等置する。これは、非テール・ゾーンでのリターンまたはログリターンの期待だけでなく、テールの動作に対する統計的期待として表される。

 

数理ファイナンスの文献でエントロピーを扱っているほとんどの論文は、最適化基準としてエントロピーの最小化を使用している。例えば、最小エントロピーマルチンゲール基準の単一性を示し、エントロピーの最小化が、期待される最終益の指数関数の最大化に等しいことを示すという具合に。要は、資産配分の不確実性の認識としてエントロピー最大化が捉えられている。

 

このように、次から次へと新規な論文が量産され、しかも「玉石混交」といった有様。その内9割はゴミ同然だけど、これは全ての知的生産活動に当てはまりそうだ(笑)。