shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

「改革」とは、即ち「粛清」の別称なり

鴉の鳴かない日はあれど、「改革」の絶唱が鳴り止む日はない。そう思えてくるほど、世間では、とかく「改革」の言葉が好まれる。「改革」されさえすれば全ての問題が解決されるかのような幻想が振りまかれ、見せかけの「特効薬」の効用書に惑わされた大衆が踊らされた挙げ句、悲惨な結末を迎えた事例は何度も反復されてきた。

 

特に、政界や財界から叫ばれる「改革」という掛け声には用心するに越したことはない。1980年代の中曽根内閣の行政改革、1990年代前半の細川内閣の選挙制度改革、1990年代後半の橋本内閣の財政金融改革、2000年代前半の小泉内閣構造改革、2000年代後半の旧民主党政権、最近の菅内閣と、まあ揃いも揃ってロクなことをしていない。

 

「身を切る改革」と称する日本維新の会も、「改革」の掛け声だけして、やっていることは日本の文化伝統を根絶やしにしかねない政策を提唱している。どれだけ不祥事を抱えた質の悪い党員が多いことか、有権者の目は余程節穴だらけなのがよくわかる。やはり、「民意」なるもので政治が右往左往されるようでは困りもの。もちろん、国家の統治権の行使に対して最終的に正当性を付与する権威又は権力は、憲法制定権力の主体であるところの「国民」であることに変わりないが、これは必ずしも具体的な有権者団と一致するわけではなく、あくまで観念的主体である。ましてや、その時々で付和雷同する「民意」であるわけではない。「あらゆる改革に反対である」という、反動ともとられかねない蓮實重彦の言葉は、今更ながら、なるほど至言と言うべきではないだろうか。

 

江戸時代における「三大改革」として歴史教育の場で称揚されてきた、八代将軍徳川吉宗による「享保の改革」、松平定信による「寛政の改革」、水野忠邦による「天保の改革」の結末を見ていくと、これら「改革」は、近年の「改革」騒ぎや「社会改良運動」の絶叫者の主張と同様、ロクな結果をもたらさなかったという点で、反復される悲劇=喜劇の中に位置づけられること間違いない。

 

家康・秀忠・家光の三代の世を通して徐々に確立されていった徳川幕藩体制は、四代家綱の治世になると、もはや将軍権力による独裁的支配という側面は鳴りを潜め、事実上は、酒井忠勝松平信綱などの補佐役による統治へと変貌していく。実際、家綱が亡くなろうとする時、幕閣連中は老中堀田正俊を除いて、将軍継嗣を皇族から迎え入れる案が大勢を占めていたほどであった。将軍とは、もはや安定した統治のための「御飾り」となっていたのである。

 

堀田が死の床についた家綱の枕元に赴き、五代将軍を弟である綱吉に指名するとの「ご遺命」を聞いたことで、結果として綱吉が五代将軍に就いたが、綱吉の将軍就任の最大の功労者である堀田正俊は、後々綱吉に煙たがられるようになり、遂には殿中にて刺殺された。その後は、元々二千石の家柄にすぎなかった牧野成貞や、百六十石の小身者の出である柳沢吉保側用人として権力を掌握し、譜代大名の力は徐々に削がれていった。幕府中枢におけるヒエラルキーの転倒が起こったのである。

 

六代将軍家宣の世になると、側用人として間部詮房が、そして侍講として一介の浪人の出でしかなかった新井白石が重用され、彼らが凡庸な家宣に代わって幕府の実権を手にする。特に、間部の権勢は頗る大きく、また木下順庵の愛弟子で当代きっての学者、儒学のみならず経済にも数学にも精通していた頭脳において「天下に並ぶ者なし」と言われた白石による統治は、文治政治の絶頂期を象徴する事象である。家宣により発令された宝永令は、家康時代の元和令の方針を抜本的に変更するものだった。「御飾り」の徳川将軍家を頂点に、将軍を補佐する幕府要人による事実上の統治としての「徳川ダイナスティ」の完成である。将軍の正室が「御台所」と呼ばれたのも、将軍の官位を従一位としたのも、この頃である。

 

しかし、間部・白石の壮大な企ては、志半ばで頓挫することになる。紀州徳川家から吉宗が八代将軍として江戸に入城するや否や、間部・白石の企ては頓挫、いわば「アンシャンレジーム」の復活がなる。それまで活気づいていた江戸の町は、吉宗入城後に様変わりし、経済は瞬く間に疲弊していった。その疲弊ぶりは、江戸市中に新築の家が一軒も見当たらなくなったと記する近衛摂関家の日記にあるほどの変容ぶりだった。

 

経済活動が衰えると、当然のことながら武士階級の生活苦が深刻となり、天領の年貢も大幅に増やされ、農民の生活も疲弊していった。加えて、幕府の財政再建のために米相場にも介入したため、その不利益が町人の生活にも飛び火し、町人までもがその被害を受けた。経済成長なくしては、どのような悲惨な末路を辿るかを示す好例である。増税による予算の捻出を主張する者に対する反証事例の一つにもなっているだろう。

 

百姓一揆などが頻発したのは、徳川吉宗の治世からであった。吉宗は、こうした事態に対して身分制強化を強権的に断行することで不満を封じ込めようとした。他にも、新たに本を出版することすら禁じた。のみならず、これまでの通説に反する一切の他説を論じることすらも禁じたのである。風紀を乱す輩には容赦なくあたり、少し派手な着物を身につけていようものなら、その場で身ぐるみ剥がされ没収されるという光景があちこちで見られたともいう。江戸町奉行大岡忠相を登用したり、目安箱を設置するなどの功績だけが注目されている一方、経済成長が滞るものだから、日々の生活や文化活動も疲弊し、社会全体として停滞する羽目に至ったという負の側面が教えられていないので、吉宗といえば、せいぜい「暴れん坊将軍」のイメージでしか捉えられていない。

 

ところが、吉宗が大御所として一線を退いた後に、頭角を現した田沼意次小姓組番頭格に就くと、田沼は徐々に能力を発揮し、遂には老中となり権勢を握ってからは、「田沼時代」と称される二十年間を演出した。田沼時代は「賄賂政治」が横行した時代である、と後世から批判されているものの、実際のところ田沼が金権政治の張本人であったのかどうか詳細定かならぬところがあり、後世の作り話であるとの説もある。

 

悪評にもかかわらず、田沼時代は経済発展著しかった。また文化面においても、本居宣長が『古事記伝』を執筆していた頃に該当するし、与謝蕪村柄井川柳上田秋成も活躍し、変人平賀源内が出現したし、『解体新書』や『蘭学階梯』が書かれるなど蘭学研究も飛躍的に発展した。林子平『三国通覧図説』、工藤平助『赤蝦夷風説考』が出版され、鈴木春信の錦絵や、その他浮世絵も普及してくる。これらは全て、吉宗の治世下では禁圧されていたことである。田沼は、これまでの幕府の経済政策を改め、商品経済化に対応するべく、次々と施策を実行に移した。経済も文化も活発化したのは、誰の目にも明らかだった。ちょうど、ギルドが西欧における市民社会形成に一定の役割を果たしたように、株仲間は、「お上」からの相対的自立性を持った「市民」の誕生の契機にもなりえた。このように、田沼時代とは、近代市民社会成立のための経済的・社会的素地が形成されるチャンスでもあったのである。

 

ところが、松平定信が「腐敗した」田沼時代の政治を清算することを目指して「寛政の改革」に乗り出すと、これら諸活動は再び禁圧され、経済活動も収縮していくことになった。『海国兵談』を執筆した廉で林子平は弾圧され、山東京伝も投獄の憂き目に遭った。「寛政異学の禁」により、学問研究が大幅に制限された。町人が髪結を頼むことを禁止し、菓子を食うことも禁止した。当然、景気が悪くなるので、「失業者」が大量に増える。そこで、これらの者を「人足寄場」を設けて収容する措置をとった。何のことはない、今で言う「強制収容所」である。

 

街から活気が失われ、「服装や性の乱れは、心の乱れだ!」、「風俗や有害図書はけしからんから、規制しろ!」と、独善的正義観念を他人に押しつけて回るPTAやNPOのオッサンやオバハンのように、風紀を乱す者を取り締まらんと幕吏が街を監視してまわった。堪忍袋の緒を切らした江戸や大坂の町人たちは、「ふざけるな!」とばかりに「天明の打ちこわし」として知られる暴動を連発したのである。

 

「白河の 清きに魚もすみかねて もとの濁りの田沼恋しき」と詠われたように、松平定信が失脚して後は、しばらく「エロ将軍」として知られる家斉の治世の下、文化文政の爛熟した文化が栄えることになる。「悪所」と呼ばれて繫栄した芝居町や吉原の遊郭に代表される花魁文化も栄に栄えた(もっとも、この時期は、元禄期までとは様相が変わり、男色は徐々に下火になっていた)。江戸市中で読み回された春画を目にしたことがあるが、これがまあ、今日のエロ動画より猥褻さが強烈なのもあって驚いたことがある。これまた、「いらんことしい」の水野忠邦による「天保の改革」で大弾圧を蒙ることになる。「蛮社の獄」が、その一例である。また株仲間も解散させられた。水野忠邦の上地令は、ある種の中央集権化の企てであり、この点は近代的契機とも言えるだろうが、しかし、総合的に見ると、やはり「天保の改革」は、我が国の文化や経済に負の結果をもたらしたと言うべきかと。人間は、原則として自らの欲望に素直な方が活き活きとなるものであるし、社会も発展する。無理やりに圧殺したところで、ロクなことにはならないのだ(こういう時、本居宣長ニーチェと並行して読むとよいだろう。もっとも、「宣長の徒」を自認する者としては、ニーチェよりも宣長の方が格段に優れていると言いたいわけだが)。

 

この点において、渡部昇一『腐敗の時代』の巻頭を飾る「腐敗の効用」は、日本エッセイストクラブ賞をとった随筆だけあって、面白く読めるエッセイである。ウォルポールが宰相の時代の英国を主に論じながら、日本の「田沼時代」や帝国陸軍皇道派青年将校などの話を交えつつ、それこそ「清き川」よりも多少「濁った川」の方が魚は生きていけるのと同様、(もちろん許容範囲はあろうが)社会には多少の「腐敗」があったとしても、全体としては健全に機能する場合があることを「腐敗の効用」として論じた文章である。

 

渡部昇一の政治・社会評論は概ねロクなものはないが、そのロクでもない著作の最たるものが『田中眞紀子総理大臣待望論-「オカルト史観」で政治を読む』(PHP)である(この点は、「お友達」の谷沢永一にも言えることだろう。しかし、ビブリオフィリアとしての渡部昇一谷沢永一に対しては敬意を抱いている)。この著作自体は、冒頭に書題の田中眞紀子総理大臣待望論が少しだけ触れられているにとどまり、後は、細川護煕の「侵略戦争発言」がどうちゃらこうちゃら、その嫁はんが上智の教え子で云々、EM農法がどうのこうのと、田中眞紀子とは無関係な内容が収録されている「看板に偽りあり!」という著作で、せいぜい3分もあれば読み通せるものだが、その巻末解説を谷沢永一が担当していたはず。

 

10年ほど前に、古書店で立ち読みしただけなので朧気な記憶ではあるが、確か、渡部昇一にドイツのミュンスター大学の名誉哲学博士の学位が授与されたことを記念するパーティーの席上で読まれた谷沢永一による祝辞が、その解説になっていたように記憶している。祝辞という性格もあるのだろうけど、その内容たるや、歯の浮くようなおべんちゃらのオンパレードで、渡部昇一の『英文法史』(これは、渡部がミュンスター大学大学院に提出した博士論文をもとにした著書。Magna Cum Laudeだそうだから、それなりに優れた論文だったのだろう)や、『イギリス国学史』等の専門領域での業績について触れた後に、歴史エッセイ方面での功績として司馬遼太郎と並んで日本人を勇気づけた人と褒めちぎる。その言葉は、かえって「誉め殺し」に映るほどであった。この席上で、谷沢が歴史評論とともに持ち上げていたのが、この『腐敗の時代』所収の「腐敗の効用」である。

 

この「腐敗の効用」という随筆は、谷沢に持ち上げられるまでもなく、豊富なレトリックがふんだんに散りばめられた、読む者を楽しませてくれる優れた随筆であり、日本エッセイストクラブ賞受賞というのも伊達ではないことは確かである。『正義の時代』(PHP)所収の「小佐野賢治考」と並んで、楽しく読める代物。渡部昇一には、他にもまともな随筆があり、『いまを生きる心の技術-知的風景の中の女性』(講談社)もその一つである。極端なウーマンリブの運動が騒がれていた頃に出されたこの著作は、上智大学の学生時代に岩下壮一『カトリックの信仰』(筑摩書房)を読んで洗礼を受け入れたカトリック信徒であった渡部らしく、概ねカトリック保守派の家族観に支えられた読み物になっており、ウーマンリブの極端な主張をやんわりと嗜め、常識を擁護する好著である。慶應義塾塾長を長年務め、晩年は東宮御教育常時参与として当時東宮であられた現在の上皇陛下の教育係を担った小泉信三博士の御家族の写真についてのエピソードがさりげなく触れられているのが、これまたいい感じ。オールド・リベラリストの良質な部分を見る思いがした(小泉信三共産主義批判の常識』(講談社)は分量が少ないので、簡単に読める共産主義批判の著作として便利)。

 

こうみると、一連の「改革」とは、社会経済の発展にとって有害でしかないことばかりやってきたとわかる。御本人は、その歪な正義感を満足させることができたのかもしれないし、繁栄を謳歌する者を羨んでいた者が、羨望の眼差しの対象だった者が零落していく様を見て溜飲を下げれたのかもしれないが、社会にとっては何ら益にはならなかった。思うに、これら一連の「改革」がなされず、例えば、田沼政治の路線が継承されていたならば、徳川将軍家を最高最大の封建領主とする「大名連邦」としての幕藩体制の崩壊を早め、維新前夜に模索された大君制度による中央集権国家(初代大君には、おそらく徳川宗家の当主が就任することになっていたであろうが)に早々に移行していたかもしれない。少なくとも、「外圧」によって触発された明治維新によって、表向き「王政復古」を掲げた薩長土肥藩閥政府が主導する極端な欧化政策とその反動としての国粋主義化に振り回されることなく、近代国家への移行が円滑に進んでいた可能性は大いにある。

 

慶長から寛永の世、すなわち社会の流動性が徐々に失われ、武士が「サムライ」から「小役人」と化してくるにつれ、そんな社会に反発するかのように、「傾奇者」たちが町中を暴れまわった。後の「旗本奴」や「町奴」の先駆けである。今日で言うところの「ヤンキー」たちが、「去勢された小役人」ども嘲笑うかのように、無法者として江戸市中を跋扈し、独特の文化の開花をも用意した。現在の暴走族の派手な特攻服、三段シートやテールや風防あるいは六連ラッパを装着した派手な改造単車、LEDや蛍光ランプなどで内装し、極端に車高調にして着飾れた四輪車、地方のヤンキー中学生が数万円から十数万円かけて卒業式のためだけに用意する刺繍ランなどなどの独特のスタイルは、この種の「傾奇者」の系譜に位置づけられるかもしれない。

 

しかし、奇抜な格好、傍若無人な振る舞い、性別構わずやりまくった放縦な性生活、自由で暴力的かつ刹那的な生き方などは、いつの世でも、「改革」を絶唱する者から極度に嫌われた。なぜか。既存の秩序を撹乱する要因となると恐れられたからだ。「腐蝕・腐敗」は断じて許すまじと意気込む「清廉潔白」な「改革者」は、系を撹乱する要因を排除しようと大弾圧に乗り出す。ある系の微視的初期カオスは、巨視的な系の振舞いを左右することがありうる。「改革」とは、かかる「微視的初期カオス」としてのある種の「ノイズ」の排除に乗り出すかのように、秩序におさまらぬ「異端・異物」の類の駆除に躍起になった態度の現れとも映る。そう、「改革」とは、その表面的なイメージとは程遠い「粛清」の別称かもしれないのである。

fagging out

ギャングに属するゲイの男にとっての「男らしさ」とは、どのようなものなのか。ヴァネッサ・パンフィルのThe Gang's All Queer: The Lives of Gay Gang Members, NYU Press.はこう問いかけている。パンフィルは社会学と刑事政策の分野で学位を取得した女性研究者で、自らもレズビアンとしての性自認を持つ。

 

本書では、異性愛規範や過剰な「男性性」の発現がイメージされているギャングの一般的イメージが打ち壊されている。パンフィルは、オハイオ州コロンバスの53人のゲイやバイのギャング構成員へのインタビューと、その内部に入り込んだフィールドワークにおいて、彼らの生態を見ていく中、意外に数が多いゲイやバイのギャング構成員の「男性性」が絶えず揺れ動いていく様を詳細に分析している。

 

おそらく日本でも言えることなのだろうが、米国でも、ギャングという不良集団の中には、結構な数のゲイやバイがいるように思われる(その潜在的な者も含めて)。それゆえにこそ、自身の「女性性」の発現を極度に警戒し、その不安が増幅されていく。それがかえって、同性愛嫌悪の言動になって跳ね返っていくという現象も普遍的に見られることである。それほどまでに異性愛規範が現代社会の隅々にまで行き渡っているということなのだろう。

 

同性愛嫌悪がさほどなかったとされる江戸期以前において、例えば江戸時代中期に登場した、派手な衣装をまとった旗本奴や、その影響を受けた町人からなる町奴は、世間に反発する若者たちからなる不良集団として、江戸市中の厄介者とされたわけであるが、彼らも仲間内で夜な夜な性行為に盛り合っていた。現代でも、暴走族の集団の中には、ふざけ合って互いの性器をこすりあうなどの行為をしていたところもある(もちろん、これは少数であろうが、休刊した雑誌『チャンプロード』には、そうしたじゃれ合い行為を言っていたチームがあった。具体名は、差し控えるが)。

 

逆に、ゲイもしくはバイであると見られることを過剰に警戒するあまり、互いに牽制し合った結果として、むしろ同性愛嫌悪的な言動に出がちな者も確かにいる。当然と言えば当然であろう。ただ、米国のゲイ向けのポルノには、黒人のゲイのギャングっぽさを演出した作品が数多く存在する。本書の中に登場するゲイのギャングには、実際に売春行為で日銭を稼ぐ者もいる。

 

社会学理論におけるシンボリック相互作用論における枠組を強調しすぎるきらいはあるものの、それが上手く行かされているのも確かで、「意味づけ」プロセスを通じたアイデンティティ構築についての分析の冴が光る。ゲイのギャングが、ゲイとしてのアイデンティティを構築していく過程を、彼らの幼少時からの経験から掘り起こしていく。面白いのは、パンフィルが三つのグループに分けているところだろう。通常、この種の研究に予想されることは、ギャングに属する少数のゲイを取り上げるだけに終わりそうなもの。しかし、パンフィルは、ゲイが多数のギャング、ゲイとストレートの混在するギャング(ハイブリッド・ギャング)、そしてストレートが多数のギャングと三つのグループ分けをして、その違いを描いている。

 

ギャング構成員の複数のアイデンティティと、ギャングのメンバーシップの関係については、それぞれのグループでゲイのギャングがどう受け入れられていくのも記述されており、この辺の具体的な内容は、読んでいて面白いところではないか。その際、ゲイのギャングが「異端」と見なされることへの「不安」」を考慮して、「女性性」の行動兆候を防ぐため、彼らがどのような振舞いを見せるに至るかまで、微に入り細に入り記述している。

 

中でも、執拗に分析されている”fagging out”という独特のスラングが、異なる文脈で異なる意味において使用されている点に着目していることも、本書の際立った特徴である。時には、他のゲイのギャング構成員に対する言葉として使用されることもあれば、その「女性的」な行動を批判する時にも使われたりと、様々な意味に変容する。これは、「男性性」と「女性性」との間の揺動空間を図らずも表していることが取り出される。これは、ゲイのギャング自身の内面化された同性愛嫌悪に関係するものであると同時に、愛情の一形態として出されている点も見逃さない。

 

ゲイのギャングの内部に入り込んでのフィールドワークゆえ、違法行為による「経済活動」の詳細も描かれていて、彼らもやはりギャング。相当なことをやらかしているわけで、ここらの記載は、読む者によってはきついと感じるかもしれない。構造的不平等の中で、ゲイのギャングが自らのアイデンティティを模索し、もがき苦しむ姿を描くと同時に、彼らを単なる「犠牲者」・「被害者」として位置づけるような単純な視点を取らないことも好感が持てる。彼らゲイのギャングの暴力性と犯罪加害者としての側面を直視することも忘れない。

 

パンフィルは、同性愛嫌悪との闘いと違法活動への参加がどのようにバランスが取れているかを検討することを通して、ゲイのギャングの「抵抗」の持つ意味を再考する。その着眼点が、先述した”fagging out”という用語の使用文脈の分析である。これは、クィアとしての自己識別のためだけでなく、将来の嫌がらせから身を守るためにも使用されている言葉だ。パンフィルは、ギャングの周りにいることやその用語が彼女自身の語彙や行動にどのように影響したか、そして道徳的懸念など、議論された各テーマが自分自身にどのように関連しているかを検討するという点で、再帰的な研究になってもいるところが何より興味深い。

 

本書の対象となったギャングは、ほとんどが黒人の労働者階級に属する者たちである。対して、パンフィルの位置づけは、「部外者」つまり特権的な白人の女性学者である。しかし、パンフィル自身、レズビアンアイデンティティ社会学者・犯罪学者としての両側面から、ギャングたちの内部観察に入り込んでいく。パンフィルが自称する「ブッチ・アイデンティティ」によって、むしろギャングたちの警戒が解かれ、信頼を獲得していく様も面白いだろう。

 

いずれにせよ、ゲイの男性を対象にした研究書は数あるわけだが、ゲイのギャングを対象にした研究となると、ほとんどない。もちろん、対象となったギャングはオハイオ州コロンバスという局地的な場にいるギャングであることから、そこで指摘できることを全体化することは慎まねばならないが、今までになかった研究であるだけに、それだけでも本書は貴重な読書体験を与えてくれるだろう。

訴訟における証明論の基礎

東京大学教養学部理科Ⅰ類から法学部に進学したという「変わり種」である太田勝造が、東京大学大学院法学政治学研究科に提出した修士論文(指導教官は、高名な民事訴訟法学者の新堂幸司。なお、新堂学説の中で最も有名な部類に入るだろう争点効理論については同意しかねる。とはいえ、訴訟法上の信義則でごまかそうとする判例の立場にも肯けないが。理論的に一番すっきりするのは、訴訟物の解釈に関して二分肢的訴訟物理論を採用する見解(ドイツの判例・通説)であるように思われる)を基にして著した『裁判における証明論の基礎-事実認定と証明責任のベイズ論的再構成』(弘文堂)は、裁判における事実認定の際の証拠の証明力を裁判所がどう評価しているかという点について、ベイズ確率を用いて定性的かつ定量的に分析した論文である。民事訴訟法解釈において、専ら裁判官の自由心証に基づくとの曖昧な表現でしか書かれていなかった証明力ある証拠による「証明」に関して、ベイズ決定理論を用いて明晰化した論文であると言ってよいだろう。

 

民事訴訟とは、訴訟上の請求の当否を法適用によって判断する手続きである。そして、法適用の前提に事実認定がある。当事者間の争いは、事実の存否についての争いが大半なので、適用される法規範にとって重要な事実の存否が解明されることが不可欠となる。裁判官は事実の存否につき、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果を斟酌して、自由な心証に基づき、当事者の事実主張の真偽を判断する(民事訴訟法247条)。

 

裁判所が事実の存否につき心証を形成できなかった場合にも裁判を行う義務があるので、その際、どのように裁判しなければならないかをめぐる問題が、本来の意味での証明責任の問題である。ある事実の存否が不明な場合に、そのことにより受ける一方当事者の不利益を証明責任と解しているような言及をよく目にするが(特に予備校本。これだから、予備校本は信用ならない)、これは証明責任の厳密な意味ではない。それは、証明責任分配規範からの帰結であって、証明責任そのものの意義とは別異である。もっとも、そう誤解したからといって、実務において特に支障が出るようなことはないだろうが、ただ言えることは、こうした誤解は、特に要件事実論を学び始めたばかりの者が犯す誤り、すなわち法律要件要素と「要件事実」とを概念的に混同する誤りに似ているということである。こうした概念上の誤解をしている者に往々にして見られる現象は他にもあり、例えば、刑事訴訟法における公訴事実と訴因との関係についての誤解は、その典型であろう。せいぜい、訴因変更が許容される範囲を画する機能概念としての公訴事実というくらいに理解しておけば、こと司法試験に合格するには十分だから、結局よくわかっていないのではないかと思われる法曹がちらほら存在するというのが実情だ。

 

裁判所は、原告の事実主張が適用法規の法律要件を充足するか否かを判断することから始め、原告の主張を正当化するのに必要な事実主張に欠ける場合は、裁判所は釈明権を行使するなどして補充を求めるが(法149条1項)、それがなければ原告の請求を棄却しなければならない。原告の事実主張が十分な場合、次に被告の主張を検討することになるわけだが、被告の主張は原則として、単純否認や積極否認または抗弁によって防御としてなされる。

 

被告の陳述によって、原告の主張する訴訟の実体法上の基礎が影響を受けるか否かが調査され、被告の防御陳述によってもなお、原告の請求が正当化される場合には、この防御陳述については証拠調べは行われない。このことは、被告が相殺の抗弁を提出したはいいが、例えば「相殺禁止特約」があったことを陳述するような場合、相殺の抗弁は法律上重要ではなくなり、たとえ反対債権の存否につき争いがあっても、抗弁自体が失当とされ、証拠調べは行われない。

 

「証明」とは、争いのある具体的な事実主張が真実であるとの確信を得させるべき当事者及び裁判所の活動であり、証拠申出と証拠調べから構成される。証拠の提出は弁論主義の下では、原則として当事者の責任であり、当事者の証拠申出がなければ証拠調べが行われない。ある事実が真偽不明になって不利益を受けることを望まない当事者は証拠を提出しなければならないが、いずれの当事者が証拠提出責任を負うかは、証明責任分配規範と一致するのが原則である。法は「証明」の目標につき、完全証明と疎明を区別し、この区別の相違は、証明度の相違とされる。証明度とは、裁判官がある事実主張が証明されたものとして、裁判の基礎とするために必要とされる証明の強度である。最高裁判例によると、この証明度は「真実の高度の蓋然性」となる。

 

最高裁判例で示されたこの「証明」の基準については、明確になっていない問題が存在したままである。すなわち、裁判官は事実が真実であるとの「確証」を得なければならず、かつそれで足りると解してよいのか。それとも、一定程度の客観的蓋然性の存在を要求するのかという問題である。この点につき、「真実の高度の蓋然性」という基準を示したのが、いわゆる「東大病院ルンバール事件」最高裁判決である。この判例は、民事訴訟における因果関係の証明について、どの程度の蓋然性が要求されるかということに加えて、心証形成の合理性の要求をも示唆する判断としても読めるからである。

 

訴訟法上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。

 

一見すると、最高裁は、客観的蓋然性の存在を要すると判示しているようにも読める。しかし同時に、「通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信をもちうるものであること」と述べているように、信念の度合いとしての主観確率をも示しているかに思える。客観確率主観確率の関係という確率の哲学における問題に、図らずも最高裁判決は触れているのである。

 

自由心証主義といっても、それは、裁判官の恣意的判断や不合理判断までをも是認する趣旨ではない。したがって、心証形成の合理性が問われるべきであって、この合理性の有無を定量的に確認する手段としては、今のところ確率論以外の方法は存在しない。最高裁の意思もそこにあると見るべきではないか。太田の著書は、事実認定における裁判官の心証形成の合理性をどう担保するかという問題にも触れ、それがベイズ決定理論を用いることで、一定のモデル化がなされると考えたのだった。

 

「世界には偶然(chance)のようなものはないが、あらゆる事象の真の原因についての我々の無知は、その理解に同じ影響を及ぼし、同じような種や信念や意見を生み出す」とデイヴィッド・ヒュームは述べている。デイヴィッド・ヒュームが「世界の偶然」の存在を否定した時、彼が否定したのは、自然界において基本的な役割を果たす確率の存在であった。しかし同時に、ヒュームは客観確率の代替概念を提供していた。それは、世界の根底にある決定論的因果構造に対する我々の無知に由来する概念である。

 

決定論的原因の無知によって生み出されたヒュームの信念や意見の種は、ピエール・ラプラスの先駆的な研究から生まれた確率の古典解釈の特徴でもある。ラプラスは、確率の分析において、可能性を等確率の結果に分割することを前提とし、次に可能性のあるすべてのケースの数に対する好ましいケースの数の比率で確率を定義した。その場合、状況の確率的特徴は、可能性がどのように等確率の結果に切り分けられるかに完全に依存する。つまり、ラプラスの議論は「無差別の原理」に依存しており、それによって証拠となる状況の対称性が等しい確率に反映されるという構造を持つ。

 

確率についての古典的描像は決定論的な古典物理学の全盛期に繁栄したが、量子力学の出現は、世界自体が客観的に確率的であるという見方を復活させたとも言える。ドナルド・ギリースは、確率へのアプローチを古典解釈、論理解釈、主観解釈、頻度解釈、傾向解釈に分類する。このギリースの分類に加えて、新たにエヴェレット流量子力学解釈(多世界解釈)に基づいた6つ目のアプローチが追加してもいいだろう。

 

主観主義は、主観的な可能性または信念の程度によって確率を識別する。このように解釈される確率は、エージェントに依存する。エージェントが異なれば確率も異なる可能性があり、エージェントがいなければ確率は存在しない。この主観主義に反対する理論は二元論であり、これは、客観的および主観的という2つの異なる形式の確率を認めている。主観確率ないし信憑(credence)は、個々のエージェントの個人的な信念の程度によって構成される。二元論は、主観確率客観確率を対比するが、客観確率は更に様々な方法で考えることができる。古典解釈によれば、確率の客観的要素は、可能な状態空間を等確率のセルに分割することにより得られる。論理解釈は、確率を命題間の論理的関係として理解する。頻度解釈は、確率を相対頻度として見る。傾向解釈は、確率が自然界の動的性質で構成されていると言い、エヴェレット主義は、確率を量子論的多宇宙の状態の分岐の重みとして理解する。

 

数学の哲学における論理主義と古典解釈に触発された確率の論理解釈のアプローチの特徴は、先述の通り、客観確率を命題間の論理的関係として扱うことであった。これは、この古典的なアプローチを2つの方法で一般化した。結果は異なる重みが付けられる可能性があり、証拠が対称的でない場合でも確率を定義することができる。論理解釈の代表はケインズ『確率論』であるが、ケインズと同様の思考が、ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』においても見られる。ルドルフ・カルナップ帰納論理は、このアプローチの帰結であり、それは「客観的ベイズ主義」へと至りつく。

 

論理解釈に対する初期の批判は、この解釈の中心にある命題間の論理的関係に向けられる。すなわちこの批判は、命題間の論理的関係とはそもそも神秘的に過ぎ、そのようなものは認識論的にアクセス不可能ではないかというフランク・ラムジーからの批判に由来する。代わりにラムジーは、主観主義の洗練されたバージョンを提供し、実用的な選択肢の間の選択に対する確率の帰属を訴えた。ラムジーは、エージェントの信念の程度がエージェントの賭けの性質に現れるという考えを導入し、意思決定理論における表現定理(意思決定のパターンに十分な構造を持つエージェントが、主観的な確率測度の観点から信念を表すことができることを証明する定理)に至る思考を準備した。

 

この主観主義者のプログラムは、ブルーノ・デ・フィネッティによってさらに一歩進められ、デ・フィネッティの試行の交換可能性の概念により、主観主義者はギャンブルの成功行動を合理化するために必要な信憑の回復の種類をモデル化することができた。いわゆる「ギャンブラーの誤謬」などを回避するには、特定の種類の結果を確率的に互いに独立しているものとして扱う必要がある。そして、デ・フィネッティは、一連の結果の異なる順列を同等の可能性があると見なす必要のあるエージェントによって、この独立性が捉えられることが可能であることを示したのである。

 

科学における統計的推論の成功によって、こうした哲学的問題は放置されてきたが、そこから頻度解釈が有力化されていく。ポパー、ライヘンバッハ、フォン・ミーゼスらによって主導された頻度解釈は、実験科学の成功に支えられていた。しかし、頻度主義は、単一のケースの確率に対処することも、客観的にありそうもない一連の結果の真の可能性を許容することもできない。潜在的頻度主義といっても、確率概念の基本的な問題を解決することはできないばかりか、それ自体が新しい問題を引き起こすことになる。しかも、統計のスタティックな性質は、量子確率のダイナミックな性質を正当化しないように思われた。頻度主義は、原子核物理学の遷移確率が特に顕著にした単一のケースの問題に対処する上で役に立たない。こうした理由から、カール・ポパーは頻度解釈を放棄し、彼が「傾向解釈」と呼んだ解釈に改説した。この傾向解釈は、後にメラーらによって洗練されていく。

 

「傾向」は、世界の実在の特徴であると考えられている。しかし、それらは直接認識できないし、また測定可能でもない。そのようなとらえどころのない量が、我々の期待を合理的に制約することができるのだろうか。デイヴィッド・ルイスは、偶然(chance)と信憑性(credence)を結びつける確率の原理を設定することによって、この課題に一つの解決を図ろうとした。ルイスの「主要原理(Principal Principle)」である。すなわち、ここでは、既知の偶然(chance)は信用(credence)を制約すると述べている。ルイスは、許容できる偶然の理論は、その理論の偶然の候補に適用される「主要原理」が合理性の規範を構成する理由を説明する必要があると主張したのであった。

 

客観確率主観確率との関係に有望な見解を示しているかに見えるルイス主義の偶然の概念は、しかし制約的に過ぎる可能性がある。例えば、客観的偶然(0でも1でもない偶然)を決定論と両立させることができるのか否かという問題を提起するだろう。そして、ここにまた新たな論点が生まれる。ルイス主義の方向性で客観確率主観確率との関係を理解しようとする哲学者は、統計力学などの理論によって与えられる確率に対応するために、「主要原理」をより柔軟に修正していく方向性を模索することで、客観確率主観確率との調和を図ろうとしている。確かに、これは非常に魅力的なアプローチと思われるものの、未だ上手く行っているとは言い難い状況にある。

 

「東大病院ルンバール事件」最高裁判決が示した、訴訟法上の因果関係の証明の証明力に関する一見何気ない基準には、こうした客観確率主観確率との調和をいかに考えるかという哲学的難問を図らずも提起していたと理解することができるのではないか。

法学の基礎

最近漸く手にした菅野和夫『労働法の基軸-学者五十年の思惟』(有斐閣)を読むと、現在の我が国で最高峰に位置する労働法者の、業績に裏打ちされた自負と併せて、言葉には出さないまでも「俺が日本の労働法学を背負って立つんだ」という静かな気概に支えられながら、労働法解釈における通説の構築に勤しんできたこれまでの苦闘の歴史が感じられる。

 

と同時に、象牙の塔にひき籠ることをよしとせず、現実社会との緊張関係の中で絶えずその学説が吟味され洗練されていくはずの労働法解釈に、いかに一貫性と衡平性を持たせるか、我妻栄が「私法の方法論に関する一考察」において述べていた「一般的確実性を重んじつつ、具体的妥当性ある着地点を見出だす」ことに苦心してきたことも想像される。聞き手の岩村正彦・荒木尚志の手際の良さも冴える。

 

菅野和夫のような大家に対するインタビュー本としては、団藤重光が最高裁判事を退官する際に、弟子の井上正仁が聞き手となって編まれた『わが心の旅路』(有斐閣)がある。この著書は、僕が最も敬意を抱いている法学者だけに、何度も読み返したものである。三島由紀夫(平岡公威)とのエピソードも面白い。三島由紀夫とのエピソードについては、団藤重光『この一筋につながる』(岩波書店)にある「三島由紀夫刑事訴訟法」が、三島の小説の形式性と刑事訴訟法の論理を関連づけて論じている。三島は、実体法の刑法より手続法の刑事訴訟法に惹かれていたらしく、緑会の雑誌に寄せた文章で、団藤の刑事訴訟法の講義に感銘を受けたことが綴られている(井上正仁『刑事訴訟における証拠排除』(弘文堂)は名著。また、雑誌『ジュリスト』掲載の論文「刑事免責と嘱託証人尋問調書の証拠能力」も、「これぞ論文!」というお手本のような秀逸な論文)。三島ではないが、僕も実定法解釈学で最も好きなのを挙げろと言われたら、民事訴訟法と刑事訴訟法を挙げるだろう。

 

質の高い基本書がいくつも出されれている今でも、スタンダードの中のスタンダードな基本書と言えば、やはり名著『労働法』(弘文堂)であろう。とはいえ、菅野和夫が研究者の駆け出しの頃は、そのような状況ではなかった。菅野の若い頃は、こと労働法研究は、どちらかと言えば、京都大学法学部の後塵を拝していた状況であったという。いわば、この「ヘゲモニー」と威信を再び東京大学法学部の手に取り戻すために、将来を約束されていた若き菅野和夫に「指令」が下る。「他の雑用をする必要はないので、とにかくスタンダードになるような労働法解釈の基本書を執筆するよう専念せよ」と。菅野は、数年ががりで基本書執筆にとりかかる。その成果が、長年にわたって労働法解釈のスタンダードになっている『労働法』(弘文堂)であり、12版を数えるほど長年読み継がれている。そのようなあり方の是非はともかく、帝大時代から一貫して、特に、あらゆる実定法解釈学の世界を牽引していくべきとの期待と役割を担わされてきたのが、東大法学部である。その「東大法学部支配」が崩れている今日の状況とは違って、まだその権威が健在であった当時なら、それゆえ相当な重圧を感じながらの仕事だったと思われる。

 

菅野労働法解釈体系の特徴は、何と言っても、そのバランス感覚に基づいた解釈理論であると言えるだろう。それだけ捉えたら、いとも容易いことのように思われるかもしれないが、言うは易く行うは難し。「一般的確実性を重んじつつ、具体的妥当性ある着地点を見出し」、かつそれを首尾一貫した解釈体系にまとめ上げるには、並大抵の能力では覚束ない。とりわけ労働法解釈は、使用者側と労働者側の利益が真正面から衝突する場を対象にするので、ともすればどちらか一方に偏り気味になりがちである。「東の菅野」に対して、「西の西谷」と言われた西谷敏の労働法解釈は、明らかに労働者側の利益を重視している点が特徴であるが、対して菅野労働法解釈体系は、西谷解釈ほど偏りはなく、それゆえバランスのとれた解釈として圧倒的多くの論点において通説の位置を占めるに至ったのだろう。

 

もちろん、個別論点すべてにおいて、菅野説が通説を形成していたというわけではない。これは、「民法の神様」と言われた我妻栄の学説でさえそうなのであって、例を挙げれば、受領遅滞の責任の法的性格をめぐる争点においては、我妻説は少数説である。刑事訴訟法の論点においては特に、例えば、共犯者の自白に対する補強証拠の要否などを始めとして、団藤説は少数説になっている。また、通説か少数説かの違いとは別に、労働組合法の論点に関しては特に、論理的には西谷説の方が筋が通っていると思えるところが多々ある。さりながら、全体として通覧した時、やはり菅野の解釈体系が最もバランスを配慮した解釈体系であるとの評価は揺るがない。後の世代の研究者の中にも優れた者はいるにはいるが(先の荒木や水町勇一郎など)、菅野和夫を凌駕するほどの逸材は未だ現れていない。民法学における我妻栄星野英一、刑法学における団藤重光や平野龍一憲法学における芦部信喜樋口陽一行政法学における田中二郎塩野宏、そして労働法学における菅野和夫といったビッグネームを乗り越えることは、並大抵の力では厳しい。

 

そうしたビッグネームの一人である団藤重光博士が帰天されて、かれこれ十年近く経つ。法学を学んだ者で、我妻栄や団藤重光の名を知らない者は皆無である。いたとするならば、全く法律を勉強していなかったと言うも同然。この両者は特に、「伝説的」と言っても過言ではないほどの、我が国最高峰に位置する大学者である。両者とも東大法学部を退官した後は、望めば最高裁判所長官にもなれたわけだが、我妻栄の方は、最高裁長官就任の打診があったものの申し出を辞退、団藤重光の方は、最高裁判事に着任した頃から長官の最有力候補とされていたが、最高裁の「保守化」の動きの中で、石田コートの横槍から服部高顕が長官に任命されるという番狂わせ人事が行われ、団藤重光最高裁判所長官誕生は夢に終わった。

 

『刑法綱要総論』、『刑法綱要各論』、『新刑事訴訟法綱要』、『実践の法理と法理の実践』、『死刑廃止論』など数々の優れた名著を残した団藤博士であるが(大学の刑法の授業や、司法試験、公務員試験などの勉強に際しては、最新の学説や判例が補充されていないために、直接用いることはなかった。ちなみに、試験のためによく利用していた刑法の基本書と言えば、現在最高裁判事になっている山口厚先生の『刑法総論』と『刑法各論』と『問題探究刑法総論』と『問題探究刑法各論』と『新判例から見た刑法』である。刑事訴訟法の基本書となると、これといったものがなく、平野龍一が著したような洗練にして華麗な基本書は未だ現れておらず。酒巻匡『刑事訴訟法』(有斐閣)が当時出されていれば良かったのだが。手続法である訴訟法は特に、論理的整合性の取れた首尾一貫性が求められるところ、そうした基本書が意外に少ないのだ。既に、池田修・前田雅英刑事訴訟法講義』(東京大学出版会)があったが、全く評価できない基本書)、今も愛読している著作の中に、『法学の基礎』という有斐閣から出版された著作がある。一般に「法理学」に分類される類の本で、法学の勉強に入る前に読んでも、また法学を一通り勉強し終えた時に読んでも、それなりの味わいを醸し出す名著であることは、改めて確認するまでもない。内容に関しては言うまでもなく、何より団藤重光の、出版・編集という行為に対する誠実さも際立たせる著書となっている。

 

執拗に指摘していることだが、最近の学術書の中には索引の添付を疎かにしているものが目立ち過ぎる。とりわけ事項索引は、利用者の便を考え、できるだけ詳細な使い勝手のよいものが望まれる。しかし、索引を付する作業は案外骨の折れる作業であるらしく、出版業界の「手抜き工事」のマニュアルには、事項索引を省略するという慣行があるようで、それが堂々とまかり通っているのだ。岩波書店から出版された『プラトン全集』には、丸々一巻を費やして総索引が付されていたし、中央公論社から出された『中村幸彦著述集』にも、詳細な注と索引が付されていた。しかも、中村の場合、著者自らが編集作業を主導して、索引の付け方まで一々指摘していたという力の入れよう。さすが書誌学者でもあった中村幸彦である。

 

団藤重光もその例に漏れるものではなく、この『法学の基礎』には、人名索引や事項索引のみならず、法解釈学の基本書には当然ある判例索引を、基本書以上に詳細に付しているのでないかと思えるほどの出来栄え。その索引の充実ぶりは、他の有斐閣の書物と比しても際立っている。それほどまでに、学術書に対する思いは深いものがあったに違いないし、出版という行為の持つ重要さを自覚していた人でもあった。しかも、巻末に自宅の住所を掲載し、批判があれば、いつでも受けて立つという姿勢を見せるなど、寛容でありかつ硬派な「文士」の一面を持っていた。

 

この姿勢は、いわゆる「東大紛争」における「団交」という名の吊るし上げの場においても発揮され、その際は、怖気ずく他の教官と違って、また研究室を荒らされた後に捨て台詞を残した丸山真男とも、荒らされた研究室の床に落ちていた我妻栄の肖像を見て涙を流した川島武宜とも違い、団藤は堂々と喧嘩を買って出て、一人一人に対して反駁をしていた姿から「回心」したという者もいる(同じく、数学者の小平邦彦も、集団となると俄に勢いづくものの、一人になると怖じ気づくだけの全共闘の小物どを蹴散らしていた。「お前は、専門馬鹿だ」と糾弾しにかかる全共闘の学生に発した言葉は、「確かに自分は専門馬鹿だが、お前はなんだ?ただの馬鹿でないか」と応戦したという)。押しも押されぬ、戦後日本の刑事法学の最高峰に位置していた者としての自負と矜持が伝わってくるエピソードである。

ナショナリズム

大澤真幸ナショナリズムの由来』(講談社)を読んだのは、まだ大学に入学してしばらく経ち、一人暮らしがしたくなったために、実家から大学まで十分通えたにもかかわらず、「渋谷で乗り換えるのが面倒だ」とか何とかゴネた挙げ句、どうにか引越しすることに成功した頃だから、かれこれ10年ちょい前になる。再度手にとって眺めていると、案の定、いつもの「第三者の審級」の議論が「魔法の如意棒」の如く振り回されていて、「またか」とため息をつきそうになるのが正直なところである。さりながら、トライベッカのオデオンカフェ辺りにいそうな、口角泡を飛ばしているインテリおじさんのような語りの一つとして読むならば、別の側面から面白く読める。論理に多々飛躍が目立つとはいえ、理論社会学と呼べるものに出くわす機会が滅法少なくなってきた今日、こうした仕事に注力する大澤真幸の仕事は、これはこれで貴重な仕事かもしれないと思うと、幾分肯定的な気分にもなる。

 

仕事が一段落ついた後やら、まとまった休日を過ごしている時、あるいは酒をチビりチビりと飲みながら色々と妄想を巡らしている時、ふと仕事関係から遠く離れた内容の、特に、学生時代に読んだ書物に自ずと手が伸びてしまうのは、日本語に対する「飢餓感」がそろそろ生じてきたせいなのかもしれない。望郷の思いとは異なるが、日本語から離れている時間が長くなるに連れ、尚更そういう気分にさせられる。

 

大澤真幸の理論的な仕事に総じて言えることだが、大澤には基本的な「思考の型」というものが既に出来上がっていて、この「思考の型」は、若い頃に著した『行為の代数学-スペンサー=ブラウンから社会システム論へ』(青土社)、『身体の比較社会学Ⅰ、Ⅱ』(勁草書房)、『意味と他者性』(勁草書房)において概ね完成していたのだろう。後の仕事は、それを調理する対象ごとにアレンジして上手く料理して一丁上がりという姿勢が感じられる。それゆえ、完成した論文からは勢い、「金太郎飴」みたいな印象を受けてしまう者が多いのではないだろうか。

 

この点は廣松渉にも指摘できることで、廣松の場合だと、「関係の第一次性」・「四肢的構造連関」・「共同主観性」・「物象化」などの概念で以って、あらゆる哲学的諸問題をグレーダーのように均してしまいがちのところが見られる。大澤にも、「第三者の審級」・「遠心化作用」・「求心化作用」などの概念を様々な事象に当てはめて行く議論が目立つ。違いと言えば、大澤の場合、哲学や自然科学といった他分野からの借用が際立ち、例えば、プリゴジーヌの散逸構造論、複雑系の理論、内部観測論等々からの参照がされている。廣松渉の影響を強く受けており、岩波書店から出された『廣松渉著作集』全16巻の月報に寄せた文章には、駒場教養学部前期課程の学生向けの廣松の講義「哲学概論」を受講していた時の思い出を綴っていたかと思う。

 

久野収がとにかくしゃべりまくる人であったのに対し、大澤真幸はとにかく書きまくる人であるようだ。それゆえなのか、中には「お手つき」と言える駄作もいくつか見られる。例えば、『量子の社会哲学-革命は猫が救うと過去が言う』(講談社)がそれにあたる。この書は、アナロジーにつぐアナロジーを積み重ねた「こじつけ」の域を出ない「トンでも」と言われかねない著書で、好意的に受けとっても、娯楽本として編まれたものだと割りきって読む他ないエッセイ集。とても学術的使用に耐えられそうな著作とは言えない。

 

人文・社会科学系の一部の研究者や著述家が率先して話題にしたがる物理学の理論が、量子力学である。その次が相対性理論になるのだろうが、概ね特殊相対性理論しか相手にせず、より面白い哲学的問題を含むはずの一般相対性理論には飛びつかない。技術的な問題でついていけないからかもしれないが、しかし、それを言うなら、量子力学もある程度技術的な問題をクリアしない限り、何が真の問題なのかについて正確に掴むことはできないはず。基本的な四則演算すらままならない者が、加法や乗法などの概念を理解できているとは誰も思わないことと同様である。

 

大澤真幸も、盛んに「量子力学の深遠」と口にはするものの、量子論における抽象度の高い複雑な内容の核心には踏み込まず、一般に流通している量子力学に対する漠然としたイメージから、連想ゲームのように無関係と思われていることに接続させている。もっとも、哲学者・倫理学者の議論の中にも、聖アウグスティヌス以来の倫理学における重要な問題の一つをなす自由意志の問題の解決について、量子力学に期待する妙な議論もないわけではない。事実、我々が自由意志を持っているということを量子力学が保証すると主張するコンウェイとコッヘンによって提唱された「自由意志の定理」を参照して、自由意志と量子力学を結びつける見解を展開する者も存在する。しかし、今のところロクな成果は見られない。倫理学の問題と量子力学の問題が接点を持つ場面を探すとすれば、量子力学そのものではないが、その解釈論の一つである多世界解釈(もしくは、厳密にいえば多世界解釈とは異なるが、デイヴィッド・ルイスの様相実在論)を是とした際に、倫理学的問題が立ち上がってくるということくらいだろう。

 

国際関係論の研究者として著名なアレキサンダー・ヴェントのQuantum Mind and Social Science : Unifying Physical and Social Ontology, Cambridge UP.もまた、大澤の著書と論じられている中身が異なるし、大澤の著書よりは複雑な議論を展開してはいるという違いがあるものの、量子論を社会理論に接合して論じるために、いくつかの明白な誤謬を犯していることと、踏まえるべきステップを何段階もすっ飛ばした論理的飛躍が目立つことで、大澤の著書との共通性が見られる。

 

念のため、ヴェントの著書に触れておこう。ヴェントは、先に触れた通り、古典力学パラダイムを基底として理論構築がなされてきた社会科学理論の閉塞状態を指摘し、それに代わる量子力学的認識論・存在論を基底的パラダイムとする社会科学理論を再構成すべきことを説く。ヴェントの主著はSocial Theory of International Politicsであり、これは明らかに、国際政治学におけるネオ・リアリズムの大家ケネス・ウォルツの主著であるTheory of International Politicsを意識した著作名であろう(このウォルツの著書は、国際政治学における画期を告げるものであり、たとえて言うなら、我が国の民法学の金字塔とも言うべき我妻栄近代法における債権の優越的地位』(有斐閣)に匹敵する業績。とはいえ、僕が好きな民法学者は、「歩く通説」こと我妻栄ではなく、その弟子で「歩く反対説」との異名をとった四宮和夫である。この人のせいで論点が増えたではないかと恨む声もあろうが、四宮和夫・能見善久『民法総則』(弘文堂)は、今も輝きを失っていない名著である。但し、生意気ながら、民事訴訟法における訴訟物理論に関する立場については四宮博士には同意できず、僕は二分肢的訴訟物理論を支持する者である。団藤重光と平野龍一との関係もそうだが、単に師や兄弟子に追従するのではなく、弟子や弟弟子が、師や兄弟子とは異なる見解をぶつけながら、法学者としての力を身につけて行く環境が、東大法学部が優れた法学者を生み続けてきた所以なのだ)。

 

ともあれ、ヴェントは、この書によって国際関係論における有力なパラダイムの一つであるコンストラクティビズムを理論的に基礎づけようとしたが、コンストラクティビズムに対する賛否はさておき(僕は、ネオ・リアリズムの支持者である)、まともな労作であることは確かだった。それに引き換え、Quantum Mind and Social Science : Unifying Physical and Social Ontologyに関しては、量子論を社会理論に結びつけようとする言説によくありがちな誤りが方々に散りばめられているので、この種の誤謬の一覧を知っておくのには利用できる反面教師的な書物である。

 

ヴェントが問題視するのは、社会科学の諸学問の基底となっている古典力学的なモデルに則った世界理解が、社会科学の諸学問の閉塞状態を決定づけているという点である。それゆえ、新たな理解の枠組を模索しなければならず、新たな社会存在論としての量子論的社会存在論こそが、その枠組を提供する。それによって、例えば、エージェンシー問題や心身問題あるいは、意識と社会構造との関係などの諸問題が解明できる。このように、ヴェントは主張する。

 

大澤の著書は、量子論をアナロジーやメタファーとして使用するという点で、まだ謙抑的な主張に収まっていると言えるが、ヴェントの場合、量子論的社会存在論として文字通りの客観的記述を考えている。曰く、

古典物理学の実在像に基づく)これまでの社会科学の基本的前提が誤謬である可能性を探っていく。特に私が主張したいことは、人間の存在、それゆえその社会生活全体ということになるわけだが、それが量子論的可干渉性を示しており、我々は実際に波動関数を生きているということである。・・・この議論は、アナロジーでもなければメタファーでもなく、人間の真の存在の仕方がどういうものなのかということについての、実在論者としての主張なのである。・・・私自身の信念では、人間の存在は量子系であるということなのである。

と(これを目にした時は、「こいつ、マジかよ!?」と呟いてしまった)。

 

ヴェントがこの着想を得たのは、シカゴ大学構内の書店で手にしたイアン・マーシャルとダナ・ゾハーによるThe Quantum Societyを読んだ2001年だったらしい(ヴェントは、この経験を「アハ!体験」と書いている)。ヴェントに言わせれば、これまでの社会科学において、意識や社会生活は究極的には古典物理学的現象に還元しうるものという前提で思考されてきたが、意識を理解するにはそれでは不十分である。というのも、意識とはマクロレベルで現れた量子論的現象であるからだ。それゆえ、社会科学者は、量子論量子論解釈について戦わされている科学哲学的議論を取り込んで理論の再構築に努めなければならないらしい。

 

第一部では、量子力学の基本理論とその解釈について整理し、第二部では、量子論と意識の関係性について論じ、第三部・第四部では、人間の量子論的モデルやホーリスティックな「人間-社会」理解について触れ、第五部では、エージェンシー問題量子論的社会存在論から再構成するといった展開になっている。第二部の途中までは、その個々の事象の解説に関してという限定付きではあるが、重大な誤謬は見られない。この方面の物理学者や科学哲学者による著名な論文についても、ある程度サーヴェイできてはいる。

 

しかし、第二部の途中あたりから、徐々に雲行きが怪しくなってくる。意識の理解に量子力学の知見を導入するという議論は、もちろんヴェント以前にも見られた。事実、ヴェントはこの点で専ら先行する研究成果に則るだけで、彼独自の見解を披露しているわけではない。高名な物理学者で、数年前にノーベル物理学賞を受賞したロジャー・ペンローズによるShadows of the Mindや、その影響を受けて量産される量子脳理論の論文からの知見を惜しげもなく展開するわけだが、これ自体を直ちに「トンでも」と断定したいわけではない。ただ、量子論を意識や社会理論に応用する議論に往々にして見られる論理の飛躍と性急さが、粗として目立つ。この方向性が上手く行くには、幾重ものハードルを乗り越えなければならず、どれもこれも議論が安直に過ぎると言いたいのである。仮に上手く行くとするなら、量子情報理論がその媒介役を果たすだろうという漠然とした予感しか持てないというのが、僕のような素人から言える最大限のことだ。

 

とはいうものの、どうしても氷解しない問題が残る。意識を量子論に関係づけて理解する主張の前提には、非局所性と量子的干渉性の問題が、脳の広範な領域同士が相互にどう干渉しあっているのかという問題に結びついているという直観があるらしいのだが、波動関数がマクロなオブザーバブルへと(ペンローズの言うところの)「客観的収縮」する過程を意識に関係づけるといったところで、この種の議論には、その波動関数の「客観的収縮」過程とやらについての理論的裏付けがすっぽり抜け落ちているのに、どうして一足飛びに意識へと結びつけて論じることができるのかという疑問が拭いきれない。これなら、意識の非計算的過程について、証明論の観点からペンローズを批判するヒラリー・パトナムの主張の方が余程筋が通っていよう。そもそも、ある精神的状態を脳の特定の様相とみなすことは、あるクラスの脳の状態との同一視であって、このような同一視は、クラス分けに明確な特徴づけがなされない段階における物理的概念への還元的説明でしかない。量子論を意識のようなある種の精神的状態に適用しようとするならば、先ずは状態空間の数学的構造なりオブザーバブルの集合を考えなければならないはずで、果たして「精神状態の空間」というものが観念できると仮定して、それが射影ヒルベルト空間の構造を有すると解すべき根拠はない。ある状態から別の状態への遷移確率を決定する内積を、ある精神状態と別の精神状態の間の関係から定義する方法すらない。それほどまでに、この種の議論にはギャップがある。それゆえ、量子論と社会理論を安直に結びつけるような「お話」においそれと飛びつくわけには行かない。大澤の立論にも、こうしたヴェントのような「ヤバさ」を感じる。

 

話は大いに逸れたが、数年前に復刊された、高名な物理学者で科学哲学者でもあった渡辺慧の『時』(河出書房新社)の冒頭解説にしても、渡辺慧の業績、収録論文、随筆に関する直接的な言及が極端に少なく、大澤の関心事に偏った我田引水が過ぎる解説になっており、渡辺慧の業績を知らない読者が初めて手にして冒頭解説を読んだとすれば、誤解するのではないかと恐れる(予言の遡言の非対称性に基礎を置く渡辺慧の立論には、僕は納得できないが)。河出書房新社の編集者は、一般読者には馴染みの薄い渡辺慧の著書の復刊に際して、知名度のある大澤に冒頭解説を依頼して多少なりなりとも売上向上を図りたいと願ったのかもしれないが、人選ミスの感が拭えない(大澤真幸を貶めているのではない。明らかに領域違いだということだ)。

 

もっともこの著書は、渡辺が方々で書いてきた文章の寄せ集め集であり、アルバート・アインシュタインからアンリ・ベルグソンそしてカール・バルトまでの、物理学・哲学・神学にまたがる広範囲の領域に関わる題材を取り上げている上、渡辺の『時間と人間』(中央公論社)の第1章と第3章に収録されている論文のようなまとまりに欠けているので(第2章は、確か仏教思想とショーペンハウアーニーチェとの時間論的観点から捉えられる関係についての渡辺ドロテアの論文が収録されていたかと記憶するが)、解説者の選定に困難を極めることは理解できる。物理学・哲学・神学全域に明るかった柳瀬睦男のような碩学がいたらと思わずにはいられない。

 

閑話休題。話を本題に戻すと、『ナショナリズムの由来』は三部構成をとっている。第一部は、ナショナリズムとネーションの構造・発生・展開が論じられる。第二部は、第二次大戦世界後の「第三世界」に起こった「ナショナリズムの最後の波」以降のナショナリズムの構造と「資本主義」との関係が論じられる。第三部は、ファシズムの問題が論じられる。おそらく一読した読者は、この部分が、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』と、ジョルジョ・アガンベンホモ・サケル』を下敷きに構成されていると直感するだろう。

 

注意すべき点は、大澤が本書で言及する「資本主義」が、通常そう思われているような資本主義とは意味が異なっているということである。大澤は、経済現象に限定されない社会システム一般の特徴として拡大解釈された資本主義を「広義の資本主義」と命名し、この「広義の資本主義」とナショナリズムの相同性を論定する。この辺の議論は、『戦後の思想空間』(筑摩書房)の第二章で論じられていたことと一部重なるだろう。

 

大澤によると、「広義の資本主義」は、より包括的かつ普遍的な規範的地平、つまりは経験可能領域の先取をめぐる競争によって定義され、社会システムの標準的な経験可能領域も、順次包括的なものへと遷移して行くと理解される。この経験可能領域の包括化とは、許容される行為とそうでない行為の区別、つまりは行為の当/不当を区別する境界が弛緩していく過程として把握される(この辺りの論理構成は、『行為の代数学』や、『意味と他者性』における冒頭の章、すなわちソール・クリプキによるウィトゲンシュタイン論(俗に「クリプケンシュタイン」と呼ばれているそうだが)に仮託させて論じた規則随順性の問題に扱った章(うろ覚えだが)が色濃く反映されているだろう)。そして、包括化した多様な行為の間に機能的に有効な連関を与えるために、規範は同時により抽象的なものへと転換される必要がある。この無限拡張性を本義とする「資本主義」は、規範的地平を拡張させていく一方、それにともない規範は、より抽象度を増すことにより対応する。

 

「資本主義」は、<第三者の審級>の不断の抽象化を伴うので、これが究極のまで突き詰められると、<第三者の審級>の不在にまで至りつくことになる。これは、社会的規範の完全な失効を含意する。だからこそ、社会システムとしては、最小限の具象性を備えた超越的審級が抽象化傾向の抵抗として措定され、最小限の積極的かつ実定的な内容を有する規範によって構築されるインテグリティが、ある特定の範囲の共同体に対して想定されることになる。そうはいっても、普遍的な規範が要請する社会的世界の均質性に関する想定は、現実には充足されない。なぜなら、それがは規範が通用しない外部を含むからであり、多様性を呈さざるを得ないのが実際の社会的世界だからである。それゆえ、この社会の規範的均質性の想定と実際上の不可能性との乖離を埋める装置として、ナショナリズムが要請される。ざっと整理すると、こんな感じになろうか。

 

さらに、規範的均質性の要請と、それをもたらす視点の措定に絡み、ナショナリズム(nationalism)とノヴェル(novel)の「二つのN」の相同性を導き出す。このことは、かつて蓮實重彦『表象の奈落−フィクションと思考の動体視力』(青土社)所収の「小説の構造」において暗に指摘されていたことを、大澤が定式化したと言えるかもしれない。大澤は、この「広義の資本主義」とナショナリズムの関係を、カントロヴィッツの「王の二つの身体」、すなわち〈政治的身体〉と〈自然的身体〉の二重性の「お話」に仮託させて、その先駆的形態を西欧中世に見出す。

 

大澤の議論は、<第三者の審級>の話を矢鱈滅多に振り回すのだが、極めつけは、「逆説的な第三者の審級の回帰」として論じる段である。その論筋を大雑把に整理すると、こうなる。すなわち、資本主義のダイナミズムは、<第三者の審級>をより抽象度の高いものへと置換させていく過程であるという点を確認した上で、かかる過程は、その度に<外部>が見出され、それを経験可能領域へと包摂していくことの反復であると捉えられる。対して、逆に<外部>の側から見ると、かかる過程は<外部>が<第三者の審級>を「これは求めていたものではない」としての拒絶作用の反復として捉えられる。そして「この普遍性は、不十分であって限界があること」だけが真の普遍性の可能性を保証しているという仕方で逆説的に捉え返されて理解され、「この<第三者の審級>は違う」という否定性そのものを具現する<第三者の審級>が立ち現れると考えるというのである。すなわち逆説的な仕方で回帰する<第三者の審級>というわけである。この<第三者の審級>が普遍化不可能性を直接に実定化するものであるならば、それは具象的現れにおいてほかにありえない。その具象的現れがナショナリズム成立を保証する可能性の条件となる。この辺りの論理構成は、『身体の比較社会学』で見られたものと類似の構造を持つように思われる。

 

この他にも、個別の事象について膨大な参照事例が紹介されているわけだが、キリがないので割愛する。ただ、大澤のナショナリズム論の骨格となる論理構成の核心部分については、以上のようにまとめられるように思われる。実証主義的スタンスから社会学研究を行っている者からすると、相当異質な社会学研究の書に映るに違いないが、社会哲学としてみた場合、こういう思弁的方法でナショナリズムを語る論説は当然ありうる(もちろん、どこまで説得力があるかは心許ない)。

 

大澤真幸の論文を、仮に欧米人が初めて目にしたとするならば、おそらくは、大澤真幸が意外にも直接引用することの少ないヘーゲル哲学の影響下で仕事をしている社会哲学者による論文との印象を受けるのではないだろうか。この他にも、ニコラス・ルーマン廣松渉に多大な影響を受けていることも明々白々だが(といっても、かく言う僕は、ヘーゲルや廣松の文章には慣れ親しんできたつもりでも、ことルーマンに関しては、主要著作をすべて読んだわけではないので、こう断言するのは憚られるべきかもしれない)、これまた意外にも直接引用されることは少ない。逆に言うと、それほどまでに、自身の「思考の型」の形成途上に決定的役割を果たしていることを暗示しているのかもしれない。

 

いずれにせよ、『行為の代数学』や『身体の比較社会学』そして『意味と他者性』を経て、幾度も繰り返し登場する「第三者の審級」論を手当たり次第に振り回すことの単調さという欠点を抱えつつも、こうした電話帳より分厚いナショナリズム論をものした力技は大したものである。

「リベラル」と「ヤンキー」

ヤンキーは、「市民生活」のルーティンに堪えることへの侮蔑を背景に非日常的な「冒険」や「破天荒な行為」に興奮する傾向が強く、それゆえ行為の目的や意味よりも過程において惹起される波瀾それ自体に「祝祭」としての強い興味を覚えることに加え、公共的規範随順の責任意識が希薄である一方で特定の人的関係における「掟」への感覚が発達している者が多い傾向にあるように思われる。

 

世間一般でイメージされるヤンキーとは異なるものの、荒井悠介『ギャルとギャル男の文化人類学』(新潮社)の中で分析対象となった「イベサー」の連中の一部にも見られた気質でもある。知り合いにも、元は愛知県西尾市の暴走族であったが、東京に出て来て「イベサー」に入り、今はない雑誌『men's egg』に掲載された者がいたくらいなので、犯罪を躊躇しない者も属していた「イベサー」の実態を描写する荒井の記述は、僕の経験からも理解できる。また、かつて暴走族だった者が比較的多い民族派右翼の団体にもホストクラブで働く者も属しているし、抗議街宣その他靖国神社橿原神宮などへの集団参拝の際には組織力の誇示のためもあってホストたちが水商売で働く馴染みの「彼女」たちを動員するという光景も見られる。暴走族の数が激減するのに伴い、右翼団体構成員の若年比率も低下して行き、常時運動に従事している者の高齢化は避けらなくなっている(とはいえ、左翼団体よりはまだ若年比率は高い方だとは思うが)。

 

全員とは言わないが、概して「リベラル」を自認する言論人は、彼ら彼女らのような存在を嫌悪し、時には露骨な蔑視感情を吐露することがある。そして、「ヤンキー」とされる側も薄々そういう感覚を肌感覚で察知しているものだから、例えば日本共産党立憲民主党の人間が成人式会場付近で新成人に祝意を表しながら、自党への支持を呼び掛ける言葉に対して覚めた眼差しを向ける。逆に、派手な出で立ちで改造車に乗って会場や会場周辺で暴れまわる新成人の一部は、一緒になって暴れまわる右翼の街宣車に興味を惹き付けられる。たいてい年の近い先輩が街宣車を運転しているからそうなるとも言えるが、彼ら彼女らは本能的に「リベラル」的言説の偽善・欺瞞を嗅ぎ取る臭覚を持っているので、表面的には過激に映ろうと本音で語りかけてくれる右翼に惹かれる。もちろん、「リベラル」的言説が全て偽善・欺瞞な言説であるとまでは言えないわけだが、少なくともその「嘘臭さ」が透けて見えてしまうような者が目立ってしまう。その背景には、「リベラル」を自認する者が持つ「野蛮な暴力」への怯えが潜んでいるものと思われる。彼ら彼女らが言う「多様性」とは、あくまで彼ら彼女らにとって好都合な、つまり一般の「市民社会」に包摂可能な、いわばコードに随順する者だけの範疇に収まっている。主体について論じる言説が概ね責任論と対になって語られるのも、その現れとも言える。

 

斎藤環『世界が土曜の夢なら-ヤンキーと精神分析』(角川書店)から感じとられることは、「進歩的知識人」の代表的存在とされる丸山真男の言説と同様に、西欧近代の「市民社会」を一つの理想的モデルと解して、その地点から日本社会の「後進性」を裁断する姿勢である。その「後進性」が表れた人間類型として槍玉に挙げられたのが「ヤンキー」という存在なのである。露骨には表明しないものの、そのいかがわしい「日本文化論」の裏に隠し持っている本音にある心情は、斎藤の言うところの「ヤンキー」に対する強烈な蔑視感情であり、そこから抽象された「ヤンキー的なもの」と二重写しとなった(斎藤が想像するところの)「日本社会」に対する嫌悪感である。斎藤自身は、自らの中に潜む「内なるヤンキー性」を認めるのであり、必ずしも「ヤンキー」を蔑視しているのではないと弁明するかもしれないが、戯画化された「ヤンキー」像の提示と自らの政治信条に反するものに対する「ヤンキー的」とのレッテル貼りを繰り返す言動から判断されることは、蔑視と恐怖の二つの感情に絡めとられての言説であるということである。

 

斎藤にとって「ヤンキー」とは、丸山真男と同じく「進歩的文化人」とされた大塚久雄のいう「近代的人間類型」から逸脱した「前近代的・半封建的残滓」としての「日本的なもの」が吹き出た現象として捉えられているのではないか。「私的領域-公共世界」という二領域のリゴリスティックな分離を前提にする近代市民社会の成員として相応しくない類型の存在くらいにしか思っていないのではあるまいか。だからこそ、「ヤンキー的なもの」を否定する言説の根拠に、「ヤンキー」たちの「パブリックもの」に対する意識の欠如を見るのだろう。しかし、そうした西欧近代のイメージは、往々にして明治期以来の西洋哲学思想史の教科書によって捏造された虚像でしかない可能性は大いにある。この点を丸山真男批判として展開したのが、加藤尚武が雑誌『諸君!』で発表した論文「堕ちた偶像-丸山真男」である。近代社会を担う「自律的個人」など実はどこにも存在しはしない。もちろん、西欧社会にもいない。「私的領域-公共世界」の厳格な分離が見られない社会などごまんと存在する。これも思想史の教科書が作りあげた虚構である。「ムラ社会」的論理は、何も日本だけでなくとも一定の条件を充足した環境ならば、多かれ少なかれどこでも見られることである。

 

丸山真男の論文「歴史意識の『古層』」(『忠誠と反逆』(筑摩書房)所収)において、日本文化の「執拗低音」として「つぎつぎになりゆくいきほひ」という「古層」が抽出された。斎藤はこの「古層」に、彼が言うところの「ヤンキー性」の徴表としての「気合いとアゲアゲのノリ」を重ねていく。これ自体、味噌も糞も一緒にした類の噴飯物の暴論である。そもそも丸山の論文が、本居宣長の『古事記伝』における

凡て世間のありさま、代々時々に、天下の閲かる大事より、民草の身々のうへの事にいたるまで、悉に此の神代の始めの趣きに依るものなり。・・・古へより今に至るまで、世の中の善悪き、移りもて来しさまなどを験むるに、みな神代の趣に違へることなし。今ゆくさき万代までも思ひはかりつべし

という文を引用しつつ、『古事記』・『日本書紀』から日本人の歴史意識及び日本文化や日本社会の特質を論定する立論自体が、本居宣長のテクストを全体として読み込んでいない代物であり、日本政治思想史研究上における「非常識」な立論であることくらい、膨大な宣長研究の蓄積を踏まえればわかるはず。

 

少なくとも、本居宣長のテクストに慣れ親しんできた僕からすれば、丸山の宣長解釈は総じて酷い。伊藤仁斎にしても荻生徂徠にしても、丸山の立論にはその時々のバイアスがかかりすぎているあまり、首尾一貫性がない粗も目立つ。丸山は社会科学の領域の研究者にしては豊富な文学的レトリックを駆使する才能に恵まれた研究者であったけれど、その立論のロジックと言えば、肝心要のところでレトリックによる誤魔化しが目立つ粗雑な主張をしていたことも近年徐々に指摘されつつある。

 

ヤンキー(ここでいうヤンキーとは所謂「マイルド・ヤンキー」とされている者を除く、暴走族の構成員であったり「半グレ」集団の一員であったり、仁侠の世界に足を踏み入れようとしている者を想定している)は、既存の社会規範には従わないか、もしくは従っている振りをしつつも、その正当性を承認しているわけではない。もちろん、何らかの「共同体」の紐帯に繋ぎとめらていることに関しては、一般市民社会と同様である。暴走族や「半グレ」あるいはヤクザにも、社会公共の規範ではない別種の「掟」が、その強弱の違いはあれど一種の「自生的秩序」として存在している。

 

しかしその紐帯は、正当性の調達を不可避的前提とする公共的紐帯ではなく、極めて私的な仲間意識からくるものであって、市民的公共性が成立する以前のより「動物的」な要素から成り立つ紐帯である。その紐帯は、本質的にはいつでもどこでも切断可能であり、またいつでもどこでも結びつきを形成しうる、浮遊した刹那的つながりである点を見落としてはならない。その関係は、単なる一個の実存として世界に偶然に投げ込まれた者同士の力が衝突する場での関係である。ヤンキーは、この謂わば「力動の場」のみが真の場所であると見て、反対に公共空間という人為的・計画的に拵えられた「偽り」の空間の欺瞞を本能的に嗅ぎ取っているようにも見える。

 

散乱する剥き出しの欲望に忠実であれば、市民的公共性との衝突も不可避となる場面もある。市民的公共性の次元では捉えられない端的な偶然的事実性に晒された次元での関係=倫理は、偶然の邂逅によって生まれた刹那的紐帯は社会公共の規範に優越すると考える者らの倫理となる。それは、公共的規範を「内面化」してしまった「善良な市民」の「良識」を多分に逆撫でしてしまうであろう「反社会的性」と映り、恐怖の対象となる。そこで唱えられる「自由」とは、それゆえ「好きなことさせろや!」という、自由に付随する「責任」が伴わない傍若無人な自由だから、その怯えが「ヤンキー」に対する侮蔑という反応となって現れ出たということである。しかし、こうした反応こそ、むしろ「ヘタレ」の醜態を曝け出してもいるのである。

 

多世界解釈に対する素人からの疑問―ボルンの規則の導出について

量子力学多世界解釈における確率の問題は、世界の分岐がボルンの規則と無関係であるために発生する。この理論では、測定結果の可能な組み合わせ系列は量子振幅のサイズに関係なく(それがゼロでない場合)量子状態のいくつかの分枝で実現される。これは、理論に経験的な内容が付与されていないことを意味する。

 

ヒュー・エヴェレットとブライス・ド・ウィットは、ボルンの規則は理論自体から(つまり、ユニタリーな量子力学と、その相対状態解釈から)導出できると主張した。この主張は後に、デイヴィッド・ドイッチュ、デイヴィッド・ウォレス、サイモン・サウンダーズらによって復活され(「オックスフォード学派」と呼ぶ向きもあるようだ)、ボルンの規則は幾つかの非確率論的な合理的意思決定理論の公式から導出できると主張している。この考えの要点は、ユニタリーな量子力学に合理的決定理論を適用し、決定理論の表現定理の量子論的バージョンを証明することである。その結果は、エヴェレット的(デイヴィッド・ルイスの言うところの)「主要原理Principal Principle」になるということであり、このエヴェレット的「主要原理」によると、多世界宇宙において分岐した観測者は、もしその観測者が合理的ならば、行為のための主観確率として量子確率を採用するよう制約されるはずだというのである。したがって、量子状態の全体的な決定論的力学にもかかわらず、合理的観測者は量子測定の結果が真に確率的であると信じるだろう。確率は、崩壊を伴う標準的な量子力学がそうであるように、ボルンの規則によって与えられる。

 

あくまで門外漢としての僕の疑問でしかないが(こと確率論については、これまで研究してきたし、何より仕事で利用している身だから、素人ではないつもりだが、物理学については全くの素人である)、ここでの感想は、次の2点に集約できるだろう。すなわち第一に、このような主張は、量子状態の決定論的力学と分岐描像と完全に一致しないため、非量子論的な頻度の世界の発生確率がゼロもしくはゼロに近いことを否定することができないという点である。つまり、多世界理論では、量子測度ゼロを確率ゼロで識別することは意味がないと思われる点である。

 

第二に、たとえ合理的観測者が多世界理論を真であると信じていたとしても、量子力学の統計的予測が正しいと信じる理由はないのだから、合理的決定理論に訴えることによって問題を解決できるかどうかは明らかにはならないという点である。多世界解釈の有力な提唱者であるデイヴィッド・ドイッチュの決定理論的アプローチも、いまいち説得力を欠く。特に、ボルンの規則は、多世界理論から導き出すことはできないと考えられるからである。

 

多世界理論が仮に真である場合でも、全世界の一部の部分集合で発生する頻度のみがボルンの規則に合致するのみである。したがって、この部分集合の世界を追跡する観測者のみが、ボルンの規則と量子論双方が真であると見ることになる。さらに、多世界理論では、ボルンの規則だけでなく、確率法則も無意味になる。この問題を解決する唯一の方法は、多世界理論に、やはり確率的な要素を追加することでしかないのではないかということである。

 

エヴェレットとド・ウィットは、量子力学の多世界(または相対状態)解釈を量子力学における測定問題の明示的な解決策として提案した。多世界理論の動機は、それが相対論的定式化で記述できるという事実から始まる。この点で、崩壊理論と「隠れた変数」理論の両方の説明よりも優れているように思われたからである。多世界理論では、崩壊のないユニタリーな量子力学を完全な理論とみなしているため、理論が世界について言及することを理解するには、量子状態の解釈の根本的変更が必要となる。

 

これは以下のように、まとめることができるだろう。宇宙の純粋な量子状態が与えられた場合、その部分集合には常に、独自の量子状態を割り当てることができる。一般に、この状態は純粋ではなく混合状態である。但し、時間tでの宇宙の全体的な状態を考えると、ゼロ以外の振幅を持つ宇宙の部分系の状態は、同じ時間tでの宇宙の残りの相対状態を一意に決定するのだと。

 

「相対状態」の意味を理解するには、次のことを考えればいいだろう。Hを宇宙のヒルベルト空間とし、宇宙に(純粋な)量子状態があるとする。宇宙を2つのサブシステムH =H1⊗H2に分割することを考える。H1は特定の物理系に関連づけられた空間であり、H2は「宇宙の残り」であると考えることができる。H1の基底とH2のを取って、宇宙の状態について、これら基底に関して表現する。

 

多世界理論では、物理系には絶対的な量子状態ではなく、同じ分岐内の別の系の状態に対する相対的な量子状態が割り当てられる。これは、重ね合わせの各分岐がある種の独立した存在と見なすことができ、すべての分岐を同等のステータスで扱う必要があるという直感を正当化するために取られている。エヴェレットとド・ウィットが述べたことは、標準(崩壊)量子理論とその統計的予測のすべての通常の機能は、ユニタリーな量子力学と一緒に普遍的な量子状態によって与えられた説明から、相対状態のスキーム内で導出できるはずであるという信念からだった。ここでは崩壊は想定されておらず、量子力学的状態以上の余分なまたは「隠れた変数」は仮定されていない。

 

多世界理論において、デコヒーレンス(例えば、ディーター・ツェーの言う)は、いわゆる優先基底問題(我々の経験が、特定の粗視化された状態に関連づけられている理由の問題)を解決するための鍵である。デコヒーレンスは、デコヒーレント状態の観点から定義された粗粒の分岐を生成することを示すことができ、これは通常の準古典的な経験を説明するのに十分である。デコヒーレントな分岐は互いに独立して進化し、そのような分岐では再干渉の観測可能な影響は無視でき、観測者は波動関数の分裂(自分の状態の分裂のどちらでもない)を認識できない。

 

多世界理論の主な問題は、標準的な崩壊量子力学の確率論的内容をどのように説明するかである。この問題は、エヴェレット-ド・ウィット的分岐が量子確率とは無関係であるために発生する。繰り返し測定の有限集合では、シーケンスがゼロ以外の量子振幅を持っている限り、標準理論の予測とは根本的に異なる相対頻度のシーケンスを含め、結果のシーケンスが確実に発生する。対照的に、標準理論は、崩壊仮定とボルンの規則を介して確率に関係づけられている。したがって、発生する可能性が高い典型的な分岐と、非典型的であり確率が減少しかつ観察されることは稀である逸脱分岐との間には、自然な違いがある。多世界理論における問題は、我々の経験を説明する標準理論のこの特徴を説明することである。

 

標準的量子力学は、確率論的崩壊仮説のおかげで、結果のシーケンスが多項確率であるランダムなものであることを意味する。標準理論では、これらの確率は真の確率過程に対応するものとして解釈される。すべての組み合わせ可能なシーケンスから、1つだけが実現される。さらに、Nが∞に近づくと、実際のシーケンスが量子確率と一致する相対頻度を示す確率は1に近づく。言い換えれば、典型的な一連の結果がボルンの規則に従うという事実は、ランダム変数についての古典理論の大数の法則の単純な帰結である。

 

他方、多世界理論では、上記の一連の測定は、量子状態での分岐によって完全に記述される。この状態は分岐の重ね合わせであり、実際には長さNのシーケンスのすべての組み合わせ可能な組み合わせを使い果たし、それらはすべて実在している。これは、観測者の組み合わせの過半数が、量子力学が彼らの経験と矛盾することを発見することを意味する。したがって、一般的な規則として、観測された頻度から量子確率が(経験的推測として)推測される可能性があると明確に主張することはできない。さらに、振幅の二乗係数を定義したとしても、その確率は、すべての分岐が実在のものであるため、無関係である。つまり、真の確率論的プロセスとしての測定がない場合、世界の組み合わせの大多数はまだ典型的ではない。

 

あくまで素人の思いつきでしかないが、組み合わせの数え方が正しいものであると思われないのである。要は、確率測度が多世界理論によって自然に選択される意味がまったくないという点である。これまでのところ、測定の分岐の数は、考えられるすべての結果の数によって決定されると想定してきた。これは、エヴェレットが理論を画定した方法である。しかし、デコヒーレンスに基づく説明では、各結果に関連づけられた分岐の数は無限であることが指摘されている。これは、この数がデコヒーレンス基準の正確な選択、粗視化の程度、および他の要因に敏感に依存することを意味する。

 

一連の測定の可能な結果の有限集合は、少なくとも1つの実際の分岐(世界)に対応する。多世界理論は、それ自体では分岐を超える尺度を提供しない。そのような方法がない場合、ある分岐が別の分岐よりも典型的であるかどうかを判断する方法はない。問題は、典型的であるという概念(typicality)や分岐に関する尺度を直接的または間接的に想定せずに、ボルンの規則を多世界理論から導き出すことである。果たして、それが可能なのか、疑問が尽きない。

 

世界の部分集合を、状態によって記述された分岐に関連づけるとしよう。各部分集合の測定値は、対応する分岐の振幅の2乗で与えられ、ウェイトが大きい部分集合は、ウェイトが小さい部分集合よりも多くの世界を含むと解釈される。このような理論は、測定結果に関する標準的な量子力学の予測と互換性を持たせることができる。しかし、僕が思うに、それは個々の世界が確率的に個々の世界の文脈遷移確率で進化するという変装された「隠れた変数理論」とどう違うのかという疑問につながる。さらに、そのような理論では、世界の部分集合は含まれない量的特性を持ち、量子論自体から推測することはできないのではないか。

 

ド・ウィットは、崩壊仮説のない量子力学の非確率論的部分から単純に続くと主張した。つまり、量子確率と一致しない頻度を持つ分岐の量子測度はゼロであるため、量子力学的分岐は実際には典型的(測度1を持つ)であり、頻度が異なる分岐は非量子確率は、発生する確率はゼロである。しかし、これは循環論法である。相対頻度の定理は、量子力学的頻度を持つ分岐が量子測度1を持つことのみを伴う。シーケンスは、ヒルベルト空間の内積によってR∞iに収束する。したがって、ボルンの確率則は、R∞iの固有値を一般的なシーケンスの制限頻度で特定するときに暗黙的に想定されている。ド・ウィットの議論は、相対頻度の限界として確率を定義するために、古典的な強法則を適用する試みに類似している。

 

ドイッチュ、ウォレス、サウンダーズ、グレーブスなどによって進められた多世界理論における意思決定理論的アプローチに目を向けるとすると、ドイッチュは、量子論の非確率論的公理および古典的決定理論の非確率論的公理となるものから、ボルンの規則を導出できると主張している。ボルンの規則を導き出す際のドイッチュの核心的な考えは、ドイッチュの定理が仮定されているということである。ヒルベルト空間形式のみに依存するか、または先験的な合理性の原理に依存するかである。したがって、ドイッチュの定理を解釈して、決定理論の非確率論的公理によって定義される意味で、量子力学がボルンの規則を取り除いたものも、ボルンの規則を行為の一意の確率関数として採用するように制約されていることを意味すると解釈される。これは、多世界理論が真である場合(これは崩壊とボルンの規則が取り除かれた量子力学であると想定されている場合)、合理的なエージェントが量子測定の結果の予測に依存するすべての決定を必ず行うことを意味すると見なされている。

 

ドイッチュ、ウォレス、サウンダーズなどによると、崩壊を伴う標準的な量子力学の確率論的解釈全体は多世界理論で導き出せるものであり、その結果、確率問題が解決されるとされている。ドイッチュのアプローチは、ラムジー、サベージ、デ・フィネッティなど、合理的エージェントにおける優先順位に基づいて確率を定義しようとする者らによって展開された確率の哲学における「主観主義」の伝統に属する。しかし、ドイッチュの定理は、特定の選好集合に対して一意的な確率関数をもたらさない、古典的決定理論の一般的結果よりも遥かに強い主張をしている。明らかに、量子確率へのドイッチュのアプローチが成功した場合、それは一般に、確率への主観的アプローチに強力な支持を与えることに違い。しかしながら、だからと言って、ドイッチュの定理が多世界理論の確率問題を解決するとは考えられない。

 

ドイッチュは、古典的な決定理論が多世界理論に適用可能であると想定している。後者は決定論であり、閉じた系の(純粋な)量子状態がそれを完全に説明すると仮定されているため、これは自明ではない。一方、決定理論は不確実性に直面した合理的な行動の理論である。多世界宇宙でエージェントが直面する不確実性の性質が何であるかは、正確には明らかではない。対照的に、古典的決定理論へのすべての基本的なアプローチは、事前に不確実性の概念を前提としている。これは、確率によって直接表されるか、または事後確率が確率を生じさせる尤度次数として表される。したがって、決定理論を適用するために必要とされる不確実性の概念は欠落しており、それがなければ、ドイッチュの証明を根拠にすることはできないはずである。それにもかかわらず、多世界理論ではある種の主観的不確実性は量子状態とその決定論的力学の完全な知識と互換性があると主張されているわけである。

 

多世界理論では、ボルンの規則は合理的決定理論(の確率論的でない部分)があろうとなかろうと、量子力学の非確率論的な部分から導出することはできない。分岐は、量子力学的確率とは無関係であるということである。しかし、問題はさらに深くなる。多世界理論でボルンの規則は導出できないだけでなく、観測者が事後測定で自分自身を見つける確率分岐は、普遍的な量子状態におけるその分岐の確率振幅の2乗に等しいとする確率規則を追加の経験的仮説として仮定することも理解できなくなるのである。

 

多世界理論において、確率を使って量子測定を多世界理論における確率として同定することの意味を考えてみる。確率をどのように理解しても(つまり、信念の度合い、相対頻度、客観的偶然)、確率がその役割を果たすことになっている場合、それは少なくとも、我々の世界で実際に発生する相対頻度が典型的であることが判明するような仕方で我々の世界において出来事が生起する統計的パターンに少なくともアポステリオリに関連している必要があるということである。物理学理論において、確率がどのような役割を果たすのであれ、これは必要条件である。量子論的確率規則は、多世界理論ではこの条件を充足しえない。なぜなら、この理論では、力学は量子確率と無関係に、いかなる可能な組み合わせのシーケンスも完全な確実性を以って起こることを論理的に含意してしまうからである。

 

量子状態のユニタリーな力学では、ボルンの規則を世界で発生する頻度に関連する方法で選択するものは何もない。我々のようなエージェントでさえ、アポステリオリに量子確率に適合しているように見える系列を観察したとしても、未来の行為に対する主観確率として量子確率を採用することは、完全に恣意的である。というのも、量子確率に合致しない頻度を観測するように制限されている我々の複製が存在するからである。我々そして我々の未来の「コピー」の何人かにとって、量子確率規則が誤っていることが判明するだろう。したがって、多世界理論が真であると信じる場合、未来の行為の主観確率として量子確率規則を採用することはまったく不合理である。そうすると、そもそも合理的決定理論が多世界理論に適用できるかどうかさえ自明ではなくなる。