shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

法学の基礎

最近漸く手にした菅野和夫『労働法の基軸-学者五十年の思惟』(有斐閣)を読むと、現在の我が国で最高峰に位置する労働法者の、業績に裏打ちされた自負と併せて、言葉には出さないまでも「俺が日本の労働法学を背負って立つんだ」という静かな気概に支えられながら、労働法解釈における通説の構築に勤しんできたこれまでの苦闘の歴史が感じられる。

 

と同時に、象牙の塔にひき籠ることをよしとせず、現実社会との緊張関係の中で絶えずその学説が吟味され洗練されていくはずの労働法解釈に、いかに一貫性と衡平性を持たせるか、我妻栄が「私法の方法論に関する一考察」において述べていた「一般的確実性を重んじつつ、具体的妥当性ある着地点を見出だす」ことに苦心してきたことも想像される。聞き手の岩村正彦・荒木尚志の手際の良さも冴える。

 

菅野和夫のような大家に対するインタビュー本としては、団藤重光が最高裁判事を退官する際に、弟子の井上正仁が聞き手となって編まれた『わが心の旅路』(有斐閣)がある。この著書は、僕が最も敬意を抱いている法学者だけに、何度も読み返したものである。三島由紀夫(平岡公威)とのエピソードも面白い。三島由紀夫とのエピソードについては、団藤重光『この一筋につながる』(岩波書店)にある「三島由紀夫刑事訴訟法」が、三島の小説の形式性と刑事訴訟法の論理を関連づけて論じている。三島は、実体法の刑法より手続法の刑事訴訟法に惹かれていたらしく、緑会の雑誌に寄せた文章で、団藤の刑事訴訟法の講義に感銘を受けたことが綴られている(井上正仁『刑事訴訟における証拠排除』(弘文堂)は名著。また、雑誌『ジュリスト』掲載の論文「刑事免責と嘱託証人尋問調書の証拠能力」も、「これぞ論文!」というお手本のような秀逸な論文)。三島ではないが、僕も実定法解釈学で最も好きなのを挙げろと言われたら、民事訴訟法と刑事訴訟法を挙げるだろう。

 

質の高い基本書がいくつも出されれている今でも、スタンダードの中のスタンダードな基本書と言えば、やはり名著『労働法』(弘文堂)であろう。とはいえ、菅野和夫が研究者の駆け出しの頃は、そのような状況ではなかった。菅野の若い頃は、こと労働法研究は、どちらかと言えば、京都大学法学部の後塵を拝していた状況であったという。いわば、この「ヘゲモニー」と威信を再び東京大学法学部の手に取り戻すために、将来を約束されていた若き菅野和夫に「指令」が下る。「他の雑用をする必要はないので、とにかくスタンダードになるような労働法解釈の基本書を執筆するよう専念せよ」と。菅野は、数年ががりで基本書執筆にとりかかる。その成果が、長年にわたって労働法解釈のスタンダードになっている『労働法』(弘文堂)であり、12版を数えるほど長年読み継がれている。そのようなあり方の是非はともかく、帝大時代から一貫して、特に、あらゆる実定法解釈学の世界を牽引していくべきとの期待と役割を担わされてきたのが、東大法学部である。その「東大法学部支配」が崩れている今日の状況とは違って、まだその権威が健在であった当時なら、それゆえ相当な重圧を感じながらの仕事だったと思われる。

 

菅野労働法解釈体系の特徴は、何と言っても、そのバランス感覚に基づいた解釈理論であると言えるだろう。それだけ捉えたら、いとも容易いことのように思われるかもしれないが、言うは易く行うは難し。「一般的確実性を重んじつつ、具体的妥当性ある着地点を見出し」、かつそれを首尾一貫した解釈体系にまとめ上げるには、並大抵の能力では覚束ない。とりわけ労働法解釈は、使用者側と労働者側の利益が真正面から衝突する場を対象にするので、ともすればどちらか一方に偏り気味になりがちである。「東の菅野」に対して、「西の西谷」と言われた西谷敏の労働法解釈は、明らかに労働者側の利益を重視している点が特徴であるが、対して菅野労働法解釈体系は、西谷解釈ほど偏りはなく、それゆえバランスのとれた解釈として圧倒的多くの論点において通説の位置を占めるに至ったのだろう。

 

もちろん、個別論点すべてにおいて、菅野説が通説を形成していたというわけではない。これは、「民法の神様」と言われた我妻栄の学説でさえそうなのであって、例を挙げれば、受領遅滞の責任の法的性格をめぐる争点においては、我妻説は少数説である。刑事訴訟法の論点においては特に、例えば、共犯者の自白に対する補強証拠の要否などを始めとして、団藤説は少数説になっている。また、通説か少数説かの違いとは別に、労働組合法の論点に関しては特に、論理的には西谷説の方が筋が通っていると思えるところが多々ある。さりながら、全体として通覧した時、やはり菅野の解釈体系が最もバランスを配慮した解釈体系であるとの評価は揺るがない。後の世代の研究者の中にも優れた者はいるにはいるが(先の荒木や水町勇一郎など)、菅野和夫を凌駕するほどの逸材は未だ現れていない。民法学における我妻栄星野英一、刑法学における団藤重光や平野龍一憲法学における芦部信喜樋口陽一行政法学における田中二郎塩野宏、そして労働法学における菅野和夫といったビッグネームを乗り越えることは、並大抵の力では厳しい。

 

そうしたビッグネームの一人である団藤重光博士が帰天されて、かれこれ十年近く経つ。法学を学んだ者で、我妻栄や団藤重光の名を知らない者は皆無である。いたとするならば、全く法律を勉強していなかったと言うも同然。この両者は特に、「伝説的」と言っても過言ではないほどの、我が国最高峰に位置する大学者である。両者とも東大法学部を退官した後は、望めば最高裁判所長官にもなれたわけだが、我妻栄の方は、最高裁長官就任の打診があったものの申し出を辞退、団藤重光の方は、最高裁判事に着任した頃から長官の最有力候補とされていたが、最高裁の「保守化」の動きの中で、石田コートの横槍から服部高顕が長官に任命されるという番狂わせ人事が行われ、団藤重光最高裁判所長官誕生は夢に終わった。

 

『刑法綱要総論』、『刑法綱要各論』、『新刑事訴訟法綱要』、『実践の法理と法理の実践』、『死刑廃止論』など数々の優れた名著を残した団藤博士であるが(大学の刑法の授業や、司法試験、公務員試験などの勉強に際しては、最新の学説や判例が補充されていないために、直接用いることはなかった。ちなみに、試験のためによく利用していた刑法の基本書と言えば、現在最高裁判事になっている山口厚先生の『刑法総論』と『刑法各論』と『問題探究刑法総論』と『問題探究刑法各論』と『新判例から見た刑法』である。刑事訴訟法の基本書となると、これといったものがなく、平野龍一が著したような洗練にして華麗な基本書は未だ現れておらず。酒巻匡『刑事訴訟法』(有斐閣)が当時出されていれば良かったのだが。手続法である訴訟法は特に、論理的整合性の取れた首尾一貫性が求められるところ、そうした基本書が意外に少ないのだ。既に、池田修・前田雅英刑事訴訟法講義』(東京大学出版会)があったが、全く評価できない基本書)、今も愛読している著作の中に、『法学の基礎』という有斐閣から出版された著作がある。一般に「法理学」に分類される類の本で、法学の勉強に入る前に読んでも、また法学を一通り勉強し終えた時に読んでも、それなりの味わいを醸し出す名著であることは、改めて確認するまでもない。内容に関しては言うまでもなく、何より団藤重光の、出版・編集という行為に対する誠実さも際立たせる著書となっている。

 

執拗に指摘していることだが、最近の学術書の中には索引の添付を疎かにしているものが目立ち過ぎる。とりわけ事項索引は、利用者の便を考え、できるだけ詳細な使い勝手のよいものが望まれる。しかし、索引を付する作業は案外骨の折れる作業であるらしく、出版業界の「手抜き工事」のマニュアルには、事項索引を省略するという慣行があるようで、それが堂々とまかり通っているのだ。岩波書店から出版された『プラトン全集』には、丸々一巻を費やして総索引が付されていたし、中央公論社から出された『中村幸彦著述集』にも、詳細な注と索引が付されていた。しかも、中村の場合、著者自らが編集作業を主導して、索引の付け方まで一々指摘していたという力の入れよう。さすが書誌学者でもあった中村幸彦である。

 

団藤重光もその例に漏れるものではなく、この『法学の基礎』には、人名索引や事項索引のみならず、法解釈学の基本書には当然ある判例索引を、基本書以上に詳細に付しているのでないかと思えるほどの出来栄え。その索引の充実ぶりは、他の有斐閣の書物と比しても際立っている。それほどまでに、学術書に対する思いは深いものがあったに違いないし、出版という行為の持つ重要さを自覚していた人でもあった。しかも、巻末に自宅の住所を掲載し、批判があれば、いつでも受けて立つという姿勢を見せるなど、寛容でありかつ硬派な「文士」の一面を持っていた。

 

この姿勢は、いわゆる「東大紛争」における「団交」という名の吊るし上げの場においても発揮され、その際は、怖気ずく他の教官と違って、また研究室を荒らされた後に捨て台詞を残した丸山真男とも、荒らされた研究室の床に落ちていた我妻栄の肖像を見て涙を流した川島武宜とも違い、団藤は堂々と喧嘩を買って出て、一人一人に対して反駁をしていた姿から「回心」したという者もいる(同じく、数学者の小平邦彦も、集団となると俄に勢いづくものの、一人になると怖じ気づくだけの全共闘の小物どを蹴散らしていた。「お前は、専門馬鹿だ」と糾弾しにかかる全共闘の学生に発した言葉は、「確かに自分は専門馬鹿だが、お前はなんだ?ただの馬鹿でないか」と応戦したという)。押しも押されぬ、戦後日本の刑事法学の最高峰に位置していた者としての自負と矜持が伝わってくるエピソードである。