shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

悪さに魅せられる若者-荒井悠介『若者たちはなぜ悪さに魅せられたのか:渋谷センター街にたむろする若者たちのエスノグラフィー』を読む

荒井悠介『若者たちはなぜ悪さに魅せられたのか:渋谷センター街にたむろする若者たちのエスノグラフィー』(晃洋書房)は、一橋大学大学院社会学研究科に提出された博士論文が元になった社会学の研究書である。

 

十数年前に世に出た『ギャルとギャル男の文化人類学』(新潮社)で既に注目されていた著者だが、明治大学の学生が中心となって設立されたイベントサークル(いわゆる「イベサー」)として知られる「ive.」四代目代表という経歴を持つ。似たような存在はあちこちで作られ、法政大学の学生が中心となって設立したlogosという名のイベサーもその一つだった。

 

明治大学を卒業して慶應義塾大学SFCの政策・メディア研究科修士課程を修了したばかりの、いわば駆け出し研究者だった時、修士論文に手を加えて一般読者向けに書き改めた書が、この『ギャルとギャル男の文化人類学』だった。

 

この書は、新書の形で世に出たものだからすいすい読めるのに対して、『若者はなぜ悪さに魅せられたのか』は、博士論文が元になっていることから、幾分硬い書き方になっているものの、内容に関しては相変わらずの面白さだ。特に、前著でも触れられていた「悪さ」ないしは「悪徳性」に焦点があてられ、「悪徳資本」や「不良資本」という著者独自の新しい概念が提起されて行くところなどは、日本文化論としても面白く読めるのではないだろうか。

 

本書では、「サー人(イベントサークルなどの構成員のこと)」のメンタリティにおいて高い価値が付与された「悪徳性」の徴表として、①非常識で煽情的な方法で注目を集めたり、脱社会的な発想や行動をするという「ツヨメ(脱社会的逸脱行動)」・②異性愛を利用するという「チャライ(性愛の活用)」・③逮捕されない範囲で反社会的行動をとるという「オラオラ(反社会的暴力性)」が抽出され、その獲得された「悪徳性」を、いわば「資本」として、現代日本社会での経済的成功の糧にして行った「サー人」のその後の人生を追っていく本書は、ある意味で、現代日本社会の主たる潮流に対する挑発の意味を持ってもいる。単純化して言うならば、「草食性」に対する「肉食性」の対置である。

 

もっとも、「悪さ」に魅せられた一部の若者たちと言っても、古来我が国では「悪」という言葉に肯定的な意味を持たせてきた歴史がある。生まれてきた武士の男児に対して「悪太郎」だの「悪源太」だのと、「悪」の字を名前に加えることもあったくらいだ。これにはもちろん訳があって、「悪」とは、道徳的悪とは異なる「強さ」を意味することがあったからである。

 

ともかく、研究対象はいずれも、1990年代後半から2000年代にかけて、東京の「渋谷」に集ってグループを形成していった、概ね15歳から22歳までの若者の中で目立った存在であった「ギャル」とその男性形の「ギャル男」といったある種の「トライブ」であり、長期にわたる参与観察とインタビューに基づいて、その生態や価値観、行動態様や社会との関係性などを分析・記述した著書である点において共通している。

 

だが今回の書は、前著よりもある意味範囲を広げたように見えるし、更にそこで培った「悪さ」を上手く「資本」にしてその後の人生における経済的成功を収める様などが詳しく描かれていて、「ギャル」や「ギャル男」における表面的な「ギャル性」の描写は後退し、「悪徳性」に重きを置く内容になっている。

 

規範逸脱的な、場合によっては反社会的とも映る若者の行動態様や価値観などを調査した先行研究は、我が国においては、佐藤郁哉『暴走族のエスグラフィー』(新曜社)や打越正行『ヤンキーと地元』(筑摩書房)などが存在するし、1970年代の英国社会における労働者階級の子弟の「落ちこぼれ」を描いた、ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども-学校への反抗・労働への順応』や、米国オハイオ州コロンバスのゲイのギャング集団への参与観察を通してゲイやバイのギャング構成員の行為態様や内面等に迫った、バネッサ・パンフィルのThe Gang's All Queer: The Lives of Gay Gang Members. New York UP.も、その系譜に位置づけられるだろうが、予め参与観察者としてから観察対象に接近したのと(この点では、打越の書も同様だ)、当事者であった者が、事後的に観察対象との一定の距離を意識的にとりながら研究者として再コミットすることは決定的に異なり、著者の研究は後者である。

 

著者自身は、犯罪の抑制の意図を含みながら本書を執筆したということのようだが、本書から伝わってくるのは、時には犯罪に該当するような行為にも手を広げていた一部「サー人」の、「悪さ」の魅力にひきつけられていく様を肯定的に描きたいという欲望である。

 

表だっては口にしないが、コンプライアンスにうるさくなり、バイタリティを失っていく現在の日本社会に対する鬱屈した感情を持つあまり、かつての「サー人」をやや美化しているのではないかと思われるほどだが、著者自身がかつてそうであったように、本音のところでは今もイケイケであるために、現在の退屈で活力に欠ける社会に対して「糞喰らえ」という思いを抱いているに違いない。

 

だからこそ、単なる一大学の教員(助教)でいることに、学生時代から大所帯を上手く仕切ってきたほどの人物が満足できているのか、研究との二足のわらじでもいいから、ビジネスの世界で暴れる気はないのだろうかと問いたい気にもさせられる。

 

あくまで個人的な体験だが、米国の大学院に進んで確率論と出会った時に「これだ!」と思って取り憑かれたように夢中になっていったのは、何も高邁な学問的動機やら数理科学への情熱のためではなく、マーケットでリスクを取ったときに感じる興奮とスリルからだ。デリバティブは、トレードと複雑な数学が一体になっているものの、実のところ数学的取扱い扱いが難しい。強欲と恐怖が絡み合った世界でのリスクをドラッグとしたハイになった状態だ。

 

確率論は科学と哲学に跨がる論理だし、神学、哲学、心理学、物理学をはじめとする自然科学など様々な問題と関わるし、不確実性の下での意思決定やリスクマネジメントといった世俗的問題の中心に位置づけられるし、血生臭い暗号解読にも使われる。それでいて、大金をゲットできる可能性に開かれてるとなれば、関心を持たない方がどうかしている。それもこれも、リスクを自ら背負った勝負に我が身を晒すことのスリルと快感から来るのだ。

 

話を多少ずらすが、休刊した雑誌「men's egg」に掲載されていた広告ことを思い出す。日焼けした肌にタトゥーの入った、金メッシュの髪の男たちがケツ丸出しにしたその広告を目にした中学生の時、憧れを抱いただけでなく、同時に性的な関心にもなっていたことを思い出す。多感な思春期だからこそ、刺激的であったことは間違いない。

 

雑誌「men's egg」と同様に、休刊の憂き目にあった雑誌「チャンプロード」は、「暴走族御用達雑誌」と言われたことだけあって、取り上げる対象は暴走族やヤンキーあるいは暴走族のOBやOGの改造「VIPカー」で、時には、道路交通法違反(共同危険行為)を助長しているのでないかと映りかねない誌面構成であった。

 

以前は、「チャンプロード」のみならず、「ティーンズロード」や「ライダーコミック」といった、主に暴走族を取り上げた雑誌が刊行され、富士山麓の河口湖を目指して暴走する「初日の出暴走」や、全国の著名なチームの特集が組まれ、臨場感ある写真がその場の興奮を伝えてもいた。

 

チャンプロード」に関しては、休刊となるまで、(確か)毎月26日の発売日を楽しみにしているほどの愛読者だったが、単車にしてもサーフィンにしても、中学時代にこうした雑誌に遭遇していなければ、おそらく今もやっていたかどうかわかならないと思われるほどに決定的な影響を受けた。

 

僕にとっての、ある種の「感情教育」であったのだろう。当時は、「チャンプロード」で取り上げられる暴走族が格好よく思え、強烈な憧れを増していくに連れて、実家の近くの環状八号線を暴走する集団を見物しようと、夜中に家を抜け出して見に行ったものである。その頃は既に、暴走族の全盛期からは程遠い状況で、特に東京都23区の中でも、少なくとも世田谷区や大田区あるいは目黒区あたりでは、ほとんど消えかかっていたと言ってもよかった。そうした状況であっても、週末の夜中の環八には10台程度の集団がたまに暴走していた。

 

東京の族は、他道府県のそれと比べて硬派なチームが目立ち、サラシを巻いて特攻服を着込み、足元はテープをぐるぐる巻きにしたブーツか、あるいは素足に雪駄(特攻服を着ない時には普通のサンダルだったが)。こういうところにも地域色が出るもので、関西の暴走族は、地下足袋が多く、旧車會ならばともかく、特攻服を着こんで暴走する際は地下足袋スタイル。伝統的に暴走族のチーム数が多い北関東(茨城、栃木、群馬)では、地下足袋スタイルを目にすることはない。基本はブーツである。

 

東京の暴走族は硬派チームが専らで、特攻服にしても、色とりどりに派手な刺繍を施すわけでなく、右翼団体の隊服と変わらないシンプルな特攻服である。ケツに乗った者は金属バットやゴルフクラブもしくは木刀を振り回しながら対向車を威嚇し爆音を奏でているところを初めて目にした時は、鼓動が激しくなるほど興奮を覚えたものだ。時に敵対チームとの抗争でやられるかもしれない、時に事故に遭遇するかもしれない、時に警察に逮捕されるかもしれない、そうしたリスクに身を晒した上で、己の欲望に任せて突っ走ることへの憧憬とでも呼べるかもしれない。

 

ところが、「チャンプロード」は「有害図書」指定され、それでもしばらく生き延びてきたとはいえ、時代の趨勢に抗しきれなくなり、休刊した。メインの読者層の十代半ばの者にとって、紙媒体をわざわざ買うことが億劫になったこともあろうが、全体的にヤンキーやヤンキー好きな人間が激減したことが決定的に大きい。少子化の加速で十代の絶対数が減少し、それだけにヤンキー人口も激減するだけでなく、世の中全体の「クリーン化」とでもいうべき状況において、ヤンキーの居場所がなくなっていったことも大きく影響しているのかもしれない。もちろん、規制が厳しくなり社会がコンプライアンスにうるさくなってきたことも手伝っているだろう。

 

街が「クリーン化」されると同時に、その街独特のいかがわしさからくる魅力も消え失せてしまった。多少時期はずれるるが、イベサーの衰退も、街の「クリーン化」に伴って、いかがわしさが排除されていったことと無縁ではないはずだ。

 

1990年代後半から日本経済がデフレ状況に突入し、日本経済全体のパイが縮小していくにつれて、社会の活力も減衰していった。そのだめ押しがリーマンショック以後の低迷期である。反対に、日本経済の衰退傾向とは逆に勃興してきたアジア諸国の都市では、かつての日本の暴走族と見紛う集団が公道を暴走するようになっていく。

 

「天下の悪法」とも言うべき暴力団対策法や、内閣法制局による「事前審査」を通しては違憲の判断がなされるだろうことを考え、その抜け道として各地方自治体における条例という形で規制することを図った暴力団排除条例の影響によって、既存のヤクザ組織が弱体化し、代わりに一般人を直接狙った犯罪が密行性を高めた形で行われるようになり、ちょっと前まではチャイニーズ・マフィアが我が国の繁華街を大手を振ってもいた。特殊詐欺案件の急増が何を意味しているのか、その背景となる要因を分析していくと、明らかに暴対法や暴力団排除条例が直接ないしは間接に関係しているはずである。いわゆる「半グレ」の暗躍も、その例から漏れるものではない。

 

徒に規制が強化され、街の「無菌化」が図られようと、大半の「いい子ちゃん」はそれに盲目的に従うかもしれないが、いくら少子化になったとはいっても、そうしたものに抗いたくなる「アウトロー」的な若者は一定数は存在する。若者のエネルギーがここまでスポイルされようとも、それには満足できない「荒くれ者」は、それがたとえ違法と評価されるような行為であったとしても、「のし上がること」に優先的な興味を抱き、またそうして成功した者に強い憧れを抱く。

 

それは、そうした者たちが他の一般人にない魅力を湛えているからでもある。荒井の著書に登場する一部の「サー人」たちも(そしておそらく著者自身も!)、そんなメンタリティを共有していたに違いない。もちろん、大部分の「サー人」は、単に要領がいいだけの世渡り上手な典型であったかもしれない。だが、中にはそれとは別の人間もいた。

 

著者荒井悠介が研究対象としたのは、「ギャル」や「ギャル男」の中でも、さしたる目的もないイベントを企画・運営する「イベサー」と呼ばれる集団に属する若者たち、すなわち「サー人」と呼ばれる連中であった。この集団は、クラブイベントを行う「インカレ」と、「チーマー」と呼ばれる繁華街の愚連隊擬きの文化が混ざり合って形成された、若者たちの「逸脱集団」の要素をあわせ持っていた。場合によっては犯罪となりうる行為など、合法・違法の境界線での「ビジネス」にも関わっている者も含まれていた。

 

衰退していく日本社会の動向に歩調を合わせるのではなく、それに逆行して荒々しく生きていく者に対して一部の若者が憧憬を抱くのはむしろ自然なことであって、マネーが特にモノを言う今日の世界においては、是が非でも他人より稼ぐことにより強烈な刺激と快感を覚えるようになるのも無理ない話である。

 

そういう一定数の者たちにとって、やれ「スローライフ」だの「脱経済成長至上主義からのライフスタイルへの転換」だのといったところで、全く魅力的には映らないし、そもそも絵空事の偽善くらいにしか思われない。偽善・欺瞞に対し敏感な嗅覚を持つ彼らにとって、人間の欲望を素直に肯定しようとしないこうした言説は、その嘘っぽさがプンプンして反吐が出るだろう。

 

型通りのレールに乗ったところで、稼げる額は高が知れている。しかし、そこからズレたところでは、知恵と度胸さえあれば、他人の何倍何十倍もの金を稼ぐことは意外と容易い。ならば、そうした進路を選択するのも悪くはないと思う若者が出てきても不思議ではない。

 

特に、日本社会は、先進諸国において稀に見る低学歴社会なので、「エリート」とされる者と非エリートとの境は曖昧だし、仮にエリートとされたところで、エリートに相応しい高所得が期待できるわけではない。ならば、海外に飛び出すか、さもなくば起業して「一発屋」を狙うしかないことになりそうだが、そのいずれかでもない場合、手っ取り早く稼ごうと思えば、グレーな領域にこそ可能性がある。ホワイトでもなくブラックでもないグレーゾーンに「金のなる木」が植わっているというわけだ。

 

早慶上智ICUGMARCH関関同立といった、いわば中途半端な大学の学部卒の、とりわけ文科系学部出身者は微妙な立ち位置にある。そこからのしあがろうとする数少ない血気盛んな若者は、イベサーなりで築いた人脈や対人コミュニケーションスキルを活用して、たとえグレー、場合によってはブラックな「ビジネス」と見なされるであろうと、その道を歩むことを一手段として選択するに躊躇しないだろう。そこで、最も動きがとりやすい「半グレ」として裏ビジネスを進んで選択する者も出てくる。ある意味、ナシーム・ニコラス・タレブの著書で盛んに登場する、ストリート・スマートの典型で架空の人物「デブのトニー」の口癖である「カモを見つけろ」というセリフを思い起こさせる。

 

もちろん、「半グレ」と「イベサー」は同じではないし、暴走族同様、異なる出自を持つ。と同時に、その具体的内容を明らかにできないという制約があるだろうから、「サー人」の行っていた「悪さ」をかなり薄めて描いているように思われるが、明らかに「半グレ」化して、性風俗業や貸金業などに違法な形で進出したり、違法薬物の売買や特殊詐欺に従事した「サー人」は数多く、中には、特殊詐欺やいかがわしいネットワークビジネスで荒稼ぎした資金を元に、不動産会社(中でも物上げ業の会社)を設立している者も存在する。

 

「悪さ」に魅せられた者たちは、特殊な専門的知識あるいは多額の資本を要するごく一部の領域におけるビジネスは別として、現在の日本社会における、文科系でも行ける大部分の領域のビジネスには高度な知識や技能あるいは資本は不要であり、本音のところでは、少なくとも日本の大学の学部段階で(特に文科系)学ぶ内容はビジネスに全くといっていいほど役に立たないと思い(大学は就職するためにあるわけではないので、当たり前のことだけど)、むしろストリート・スマートになって、人間集団における力学や対人スキルなどを身につけながら、本能的にグレーな領域こそが金になるとの嗅覚を鍛えていく。世の中の偽善や欺瞞をもあざとく感じとる敏感な感性の持ち主であるから、「清く・正しく・美しく」ではいられない。グレーなビジネスに対する抵抗感も薄いので、容易く道徳的軛を外して行動できるというわけだ。

 

あまり露骨に本音を出すと世間からのバッシングにさらされるのではないかとの危惧からか、抑えた調子で書かれているものの、全体に漂うトーンから見え隠れする本音は、社会の「クリーン化」やSNSの流通によって進行したある種の「監視化」、そして若者の「草食化」に対し、かつて自身もそうであったような、欲望煮えたぎらせギラついた愛すべきワルたちの放つ魅力を肯定的に描き、これを対置することではなかったか。単なる社会学者には収まりのつかぬ著者自身の実存が現れ出た著作である。

「新しい人」と「永遠の夢の時」-大江健三郎逝去

大江健三郎が88歳で老衰のため逝去という報を目にして、しばし茫然とするばかり。何とも言い難い虚脱感のような感覚に捕われ、仕事に身が入らない状況だ。

 

この報を目にしたのがつい先日であったので、おそらく、葬儀その他諸々の行事を親族だけで済ませて一旦落ち着いたところで公表したということなのだろう。年齢が年齢だけに、いつこのような事態が訪れても不思議ではなかったものの、いざ現実を突きつけられると、茫然自失状態に襲われるよりほかなかった。

 

高校生の時に読んだ『芽むしり仔撃ち』に衝撃を受けてから、ほぼすべての作品を読み親しんできた者として、そのあまりに偉大な文学的業績を残した現代世界文学最高の作家の喪失をどう受け止めていいのか。巨星墜つ、戦後日本文学は終わりを告げた。

 

ただ、若い頃から自裁の念に取りつかれてきた大作家が、そうした悲劇を迎えるのではなく、老衰というかたちで天寿を全うしたということに、『燃え上がる緑の木<第三部>大いなる日に』のラストではないけれど、Rejoice!という言葉を呟くべきなのかもしれない。


他の作家と比べるのが正しい態度なのかどうかはわからないが、大江健三郎の文学的才能は、どう考えても、その他の作家のそれを圧倒的に凌駕しており、そのあまりの偉大さが屹立していたために、ほとんど孤立していた作家でもあった。もちろん、交友関係は広く、多くの仲間から信頼され尊敬されもしていたことには違いないけれど、その文学自体は孤立していたというほかない。

 

政治的な思想の表層においては真逆のスタンスではあったが、そんなことは些細な相違でしかない。いや、右にも左にも、それこそ「揺れ動くヴァシレーション」アンビバレントな要素を持った存在。おそらく、政治的な表層でしか物事を判断できない愚かな者たちにはわからない両面価値的な含みを最初に嗅ぎとっていたのは、三島由紀夫だった。橋川文三『日本浪漫派批判序説』を読めばわかる。別の側面から言うと、小林秀雄が大切にしていた本居宣長直筆の書をなぜ大江健三郎に手渡していたのか、その意味を深く考えたこともない連中が「保守」を名乗るがちゃんちゃら可笑しいのと同様に、そうした連中は何一つ日本のことなどわかってはいない。

 

文学的業績の点では遥かに三島の上を行く存在であることは、いくら政治的な意見が異なろうと一目瞭然であり、肩をならべられる存在を探そうとするなら、谷崎潤一郎くらいなものではないだろうかと思えるほどであって(安部公房にも勝るだろう)、その違いすらわからない連中に日本文学を語る資格は毛頭ない。

 

大江健三郎が東大仏文科在学中に著した「奇妙な仕事」、「死者の奢り」、「飼育」などを目にした川端康成は開口一番、「異常な才能」と言い、またその川端がノーベル文学賞を受賞したとの報が流れたその日にお祝いに駆け付けた弟子の三島由紀夫が「次に日本人がノーベル賞をもらうなら、俺ではなくて大江だよ」と述べていた通り、当然の栄誉として授与されたノーベル文学賞が前面に報道されがちだが、仮にノーベル賞受賞を逃していたとしても、それがノーベル財団の恥となるくらいの圧倒的な作品群。

 

書くことは山ほどあれど、いざ書こうとしても力が入らない。ある程度時を経て、心の落ちつきを取り戻した際、改めて大江文学について、それこそギー兄さんに向けて幾通も手紙を書くことになるかもしれない。いまのところ、これだけは言えそうだ。

 

「新しい人」でありながら、「永遠の夢の時」の住人。大江健三郎はそんな人だったと。

「汚れ仕事」と日本社会

何年ぶりだろうか。久々に伊丹十三監督の映画『マルサの女』と『マルサの女2』を観た。両作品は、宮本信子が扮する東京国税局査察部の査察官板倉亮子が、脱税を働く会社経営者や地上げ屋稼業に勤しむ宗教法人役員といった海千山千の「悪党」らの不正を摘発する奮闘ぶりを描いたヒット作である。

 

両作品が公開された年は昭和62(1987)年と昭和63(1988)年で、ちょうど日本経済が「バブル経済」と呼ばれる好景気を演じていた時期に当たる。もちろん、僕はまだ生まれていない。

 

東京を中心とした見せかけの経済的繁栄を享受していたのは、何も大企業や不動産業者や銀行・証券会社だけでなく、都市中間層以上の者であれば、程度の差こそあれその恩恵にあずかれたというのだから、正に「バブル」と呼ばれるに相応しい状況であったのだろう。この「バブル期」を象徴するイメージとして、東京・芝浦にできた「ジュリアナ東京」での「お立ち台」の映像が映し出されたりするわけだが、妙な扇子を振りかざして、幕末の「ええじゃないか」みたいに我を忘れて踊り狂うワンレン、ボディコンの女の嬌態が表しているのは、既に崩壊が決定づけられた「バブル」自体の滑稽さを人々の目に焼きつけることになった。

 

その裏で、地価高騰の煽りを受けて「地上げ」のターゲットとなり、住み慣れた土地から追い出される者もいた。また、権威主義的企業支配の束縛から過労死する者も続出していたし、更には、そうした歪な社会構造が校内暴力などの現象となって噴出した負の側面を見なければならないだろう。80年代から90年代初頭までの消費社会・金満大国ニッポンというメダルの表と裏である。

 

こうした事態に胡座をかいて「バブルの宴」に酔いしれていたのは、人文社会系「知識人」を自認する者も含まれていた。「知識人」を自称しようと、何のことはない、最もミーハーな「大衆」的性格を持つ自称「知識人」は、その潮流に乗っかり、「バブリー」な言説を垂れ流してもいた。オルテガ『大衆の反逆』が言う「大衆」とは、正にそうした自称「知識人」を典型とする存在である。

 

そうした言説も「バブル経済」崩壊とともに腰折れとなり、デフレに突入する90年代後半にはその化けの皮が剥がされることになる。強いてこの時期の風潮に警鐘を鳴らしていたまともな言説を探るとすれば、廃刊された雑誌「新潮45」に掲載された石堂淑朗「一日千秋の思いで待つ『兜町大暴落』」くらいしか見当たらない。

 

昭和60(1985)年のプラザ合意以後の急速な円高に襲われた「円高不況」に陥った日本経済は、有効需要の内部的創出のため内需拡大政策を強力に推し進められた結果、国内の余剰資金が株や不動産といった資産に大量になだれ込み、株価や不動産価格の高騰を招いた。

 

日本社会にとって決定的なメルクマールの年を挙げるとすれば、プラザ合意があったこの昭和60(1985)年である。

 

東京のオフィス需要の高まりとともに都市再開発事業が強力に推進され、そのため「地上げ」行為が横行し、中には暴力的な「地上げ」までもがまかり通るような状況となった。警察は「民事不介入」という建前を通したために、民事介入暴力が各地で放置され、立ち退きに応じない者には暴力的な事実上の強制までなされてもいた。

 

三國連太郎が扮する地上げ屋で表向き宗教法人「天の道教団」の管長をしている鬼沢鉄平との死闘を繰り広げる『マルサの女2』は、こうした地上げ屋とその地上げ屋を利用して土地の転売によって荒稼ぎする商社や銀行や国会議員の姿を描く。エンターテーメントとしての性格上幾分誇張して描かれてはいるが、「バブル経済」に浮かれていた日本社会の裏の姿を見るのに参考の一つになるはず。

 

マルサの女』では、山崎努が扮するラブホテル経営者権藤英樹が様々な方法で脱税を試みる、異常に金銭に執着する守銭奴としての側面が描かれている。一方で、財産を一人息子に残したいと切実に望む父親としての人間味ある人物の側面も描写されている。

 

対して『マルサの女2』では、鬼沢鉄平の人としての弱さを描くシーンがないとは言わないまでも、基本的には「正義」に対する「巨悪」の側の一人として描かれている。双方とも基本は勧善懲悪のトーンになっているが、そのトーンは二作目がより強烈になっている(もっとも、『マルサの女2』では、現実的に真の「巨悪」はマルサの追及を逃れ得るわけだが)。

 

しかし本作の魅力は、こうしたわかりやすい勧善懲悪の物語にあるのではない。むしろ、東京国税局査察部(納税する身からすれば、査察以上に国税局の資料調査課の連中の方が怖いけれどね)の面々よりも「巨悪」とされた悪党どもの方の魅力が勝るというところなのだ。

 

但し、伊丹十三の他の作品『ミンボーの女』もそうなのだが、「悪」と決めつけられた「民事介入暴力(民暴)」を生業とする個々のヤクザの人々の描写が過分に戯画化されており、ヤクザのかっこよさが全く削ぎ落されいる(これを見て頭にきた仁侠界の人々もいるだろうなという内容。民族派団体の中には仁侠に生きる人々もいるわけだけど、このような戯画化されたヤクザはいない)。

 

マルサの女2』は、東京のとある場所で水死体としてなって発見された男から始まる。高層ビルの上層階の部屋で国会議員や銀行や商社の役員がタラバガニを遮二無二食いつつ次の地上げの標的となる土地の品定めをしながら、「水死体となった男は使えた地上げ屋だった」と回想しながら、次に使えそうな地上げ屋を紹介する小松方正が扮する国会議員の猿渡に対して、中村竹弥が演じるボス格にあたる国会議員の漆原が女性にマッサージされながら「お前の知り合いならどうせワルに決まっている。第一、地上げ屋なんか使い捨てりゃいいんだよ」と吐き捨てるシーンが強烈だ。

 

地上げで頭角を現す鬼沢鉄平率いる「鬼沢一家」は、表向きは「天の道教団」というインチキ宗教法人の看板を掲げ、アホな信者から多額のお布施をむしり取るなどの活動をする一方で、税務調査の入りにくい宗教法人のメリットを利用して脱税スキームのための一つの「ハンドバック」替わりに利用している。

 

ある日、父親の借金の「カタ」として連れて来られた洞口依子演じる女子高生の奈々を愛人にした鬼沢だったが、彼には加藤治子が扮する赤羽キヌという内縁の妻がおり、赤羽は「天の道教団」の教祖として信者からの信仰を集めている。とはいえ、インチキ宗教にありがちなことに、この赤羽キヌは贅の限りを尽くし、4500万円もするロシアン・セーブルの毛皮を衝動買いするほどの浪費家。奈々も最初は健気な女子高生だったが、愛人として暮らすうちに潜在していた欲望が開花したのか、豪奢な宝飾品で着飾るなど身なりも生活も派手になっていく。遂には教祖であるキヌにまで「鬼沢の心はとっくに離れているのだから、とっとと別れろ」と迫るほど、鬼沢一家の色に染まりきっていく。

 

鬼沢の収入に目を付けた東京国税局査察部の板倉亮子は調査を開始するも、中々尻尾を掴むことができない。鬼沢曰く、「地上げのコツは愛情と脅し」。手下の若い衆に地上げを成功させて大金をつかみ取ってみろと喝を入れ、チンピラたちはあるマンションで立ち退きに応じない数人と近くの寂れた食堂を営む夫婦に対して、多額の立退料を用意して交渉に当たる一方、それでも応じない者に対してはダンブカーで突っ込んだり、獰猛な犬を近くで飼ったり、大音量やいたずら電話などで嫌がらせするなどあの手この手で暴力的に立ち退きを迫る。

 

食堂の夫婦は遂に観念するも、マンションの部屋を借りてるゴシップ誌記者と大学の教員は中々難癖をつけて応じない。大学教師は鬼沢曰く「世間を知らない連中」だから、調子に乗って買取金額を吊り上げようと欲張るも、生き抜いていく力にかけては一枚も二枚も上手の鬼沢に敵う訳もない。結局鬼沢の計略に嵌り、スキャンダルをばらされたくなければ言うことを聞けと迫られ、立ち退きせざるを得なくなるに至る。質の悪いゴシップ誌記者の方は、地上げ屋を雇う銀行や商社の役員に直接抗議し記事にすると脅しにかかるわけだが、これまた鬼沢の計略に嵌って、自ら立退き承諾書の判をつかせてくださいと懇願する状況にまで追い込まれていく。

 

こうした手口で次々と地上げを成功させる鬼沢だったが、遂にボロを出す。国会議員で地上げ屋の黒幕になっている漆原が「自分の土地を売却したいが、税金を払うのがアホくさいから、どうにか脱税できないか」と鬼沢に相談を持ち掛ける。いつでも消せるチンピラ一人をかませた代物弁済を利用した脱税スキームを鬼沢は提案するが(現行制度ではこのスキームは使えないのだが)、これが国税に狙わた。

 

板倉たち査察部の面々は鬼沢の宗教法人に強制調査に入り、この脱税スキームが明らかになり、任意の取調べを受けるのだが、その鬼沢もスナイパーに命まで狙わるまでに追い詰められる。鬼沢に対して、板倉は「あんたもトカゲの尻尾なんだよ」と耳元で囁く。そこまで追い詰められた鬼沢だが、肝心のところで口を割らない。重要参考人のチンピラまで消されることになり、結局鬼沢の背後に潜む漆原など真の「巨悪」は摘発されず仕舞い。命を狙われた鬼沢は、妊娠していている奈々を連れて自分たちが入る予定の金で作ったどでかい墓の前で「俺の財産には指一本触れさせないぞ」と喚き散らして終わっていく。

 

ラストのラストは、鬼沢が地上げし、銀行や商社が転売で中抜きした土地に建設する高層ビルの地鎮祭を無事済ませた漆原たちの姿を冊越しに歯噛みしながら見つめる板倉亮子たちの無念の表情が映し出されてジ・エンド。

 

現在の日本には、約20万ほどの宗教法人が存在する。そして、宗教法人法に守られた宗教法人に対しては税法上の優遇措置が講じられ、宗教法人の非営利事業は原則的に非課税である他、営利事業に関しても特例があって課税標準が違っている。しかも財務状況の調査も難しく、それゆえ宗教法人を「ハンドバック」代わりに悪用してくれといわんばかりのシステムを利用しようと思う者が出てくるのは当然である。

 

日本では、安倍晋三元首相殺害事件以降、俄に旧統一教会(旧世界基督教統一神霊協会)と政界との癒着が取り沙汰されていているが、僕から言わせると「何を今さら」という思いを強くするばかりだ。旧統一教会は、安倍晋三の祖父岸信介笹川良一などを通じて日本に進出し、国際勝共連合などの活動とも相まって、徐々に政界や学界などにも浸透していった。特に自民党清和会系のタカ派の議員と懇ろな関係を結んで行ったことは、とうのむかしからマスメディアにおいて周知の事実だった。福田赳夫などは、教祖ムン・ソンミョンを前にして「世界の指導者」だの「現代のメシア」だの称賛していた。

 

この旧統一教会と政界との醜い癒着ぶりを下敷きにして描かれた小説が大藪春彦の『処刑軍団』である。この小説は、ちょうど福田赳夫がムン・ソンミョンを前にして歯の浮くようなべんちゃらを弄していた東京のホテルのシーンから始まる。事情に詳しい人ならば、具体的に名前が思い浮かぶように現実の人物が誰であるか特定できるだろう。やたらとSMシーンや薬物をきめてセックスに興じるシーンとかも出てくるが、それがまた、このカルト団体と政界との癒着の醜さをあらしていることがわかるだろう。

 

学界にも勝共講師団などで手なづけら大学教員も多くいた。松下正寿などその典型。統一教会系新聞である「世界日報」を「クオリティーペーパーだ」と絶賛していた渡部昇一(まあこの人は幸福の科学にもいい顔していた無節操な人だったが)も有名だ。その他にも、世日クラブに呼ばれて嬉々として講演を快諾して高額な講演料を得ていたエセ保守の大学教員や評論家がいて、数え出すとキリがないほど。

 

霊感商法などにより日本人の財産をむしりとることを教義の一つにしていた反日宗教として、心ある民族派は、旧統一教会の危険性について警告していた。旧統一教会日本支部の代表を長く務めていた久保木修己天皇に代わってムン・ソンミョンに跪づく儀式も行われていたことを耳にしたこともあり、民族派の中では怒り狂う人もいたが、残念ながらその声はいつも黙殺された。

 

統一教会ほどではないが、高額な献金を得ることを目的にした新興宗教は枚挙に暇がなく、日本会議を構成する主要メンバーに、こうした新興宗教の代表者が数多く存在する。その教団では、保守系政治家の応援に組織を動員するなど、とても創価学会公明党のことを揶揄することなどできないほど、集票マシーンと化した新興宗教の手先となっている癒着ぶりが見られる。

 

閑話休題地上げ屋鬼沢は、東京のオフィス需要を満たすべく高層ビル建設の用地を確保して企業を呼び込まなければ国際金融センターとしての地位を香港に奪われてしまうという危機感を口実に、自分たちの行為の正当性を主張する(実際、国際金融センターの地位は香港に奪われてしまったわけだが、香港の中共による香港の暴力的制圧によってどうなるかはわからない)。

 

一見、居直りともとれる鬼沢の主張ではあるが、同時にある意味正しいとも言える。銀行や商社は、自らは「汚い仕事」を引き受けることなく地上げ屋のおかげで利潤を得ていたわけで、この鬼沢の主張は、そうした者たちへの怒りをも含んでいる。

 

父親の借金の「担保」として鬼沢の愛人となった高校生の奈々は健気な女子高生だったものの、次第にそういう鬼沢を愛するようになり、鬼沢ファミリーの一員として別人に変容していくわけだが、借金の「カタ」にとられた不幸を経ながらも、それを単なる不幸な女としては描かれず、むしろ鬼沢すらも手玉にとるかのような女に変貌していく姿は、鬼沢鉄平という欲望剥き出しのワルの魅力を間接的に描き出してもいるようだ。

 

こうした地上げ行為は現在ではほとんど姿を消したわけだが、しかしいずれにせよ、用地取得は必要不可欠なことなので、かつての地上げ屋の行為に多少行き過ぎがあるとしても、その必要性を社会は認めてきた。東京など大都市の都市開発事業は、全て彼ら地上げ屋のおかげと言ってもいいだろう。

 

都市開発だけでなく、例えば東京ディズニーランド青森県六ケ所村の核燃料再処理施設もその例外ではない。日本の借地借家法は借地人や借家人を過剰に保護する法制なので、いざ開発をすすめるにあたっても中々進まないことが多く、その反動から地上げ屋のような存在が重宝された。もし、地上げ屋がいなければ都市開発など到底できるものではなかった。鬼沢曰く「誰かがやらないと」ダメな仕事いわば「必要悪」であったというのである。

 

こうした「汚れ仕事」は、表向ききれいな大企業が直接するわけではないし、また開発による直接間接の恩恵を受ける一般人も、それを可能ならしめた「汚れ仕事」の存在に気づきもせず、それどころか社会的な害悪として軽蔑の眼差しを向ける。自分は動物の肉を食いながら、その動物を屠殺する役割を担わされてきた者たちを「穢れ」ある者として蔑視し差別してきた者たちと同様の振る舞いをしてケロリとしている。

 

「汚れ仕事」に対して見て見ぬ振りをしてきた日本社会が、いつ真正面からこの問題を捉え返すのか。何も変わらないのだろうけど。

重信房子女史出所

日本時間5月28日午前に、重信房子日本赤軍最高幹部が刑期を満了して出所したとのこと。日本国内では大きなニュースとして取り上げられているようだが、大阪の高槻市で逮捕されたという衝撃の報から20年以上も経過していたことになる。

 

服役していた頃から体調が思わしからず、手術や入院も繰り返していたそうで、実際、出所後の記者会見でも毅然として質問に応答していた姿であったが、所々体調の悪さを感じさせられる場面も見られた。直近にもポリープの切除手術の予定だとか。ともかく、早く健康を取り戻して、残りの人生を心穏やかに過ごしてもらいたいものである。数々の短歌から想像されるに、鋭敏な感受性をお持ちの方だと推察される。政治経済的雑事に頭を悩ますことよりも、それこそ花鳥風月に生きていかれると、おそらく素晴らしい歌が生まれるのではないかと。

 

重信房子という名を耳にすれば、誰もが「日本赤軍最高幹部」という肩書をまず想起し、その次に「テロリスト」という形容がついてくるはず。確かに、日本赤軍が犯した数々の事件は、まさにテロリズムとしか言えない行為も含まれているし、あのような行為は世界の変革に結びつくような大衆の支持を受けられるはずも見込みもない、運動として未来の光がこぼれ出てくるような可能性もなかった。

 

日本赤軍とは真逆の政治思想を持つ僕のような者からすれば、日本赤軍の思想や行動には全く共感できないし、心ならずとはいえ、無辜の人を何らかの形で巻き込んでしまったことは許されるはずもない。そういう人々に対する一滴の涙すら流さない運動ならば、右左に関係なく、最悪の事態をもたらす。国内の医師を協力者にして偽造パスポートを利用して日本に密入国した際、精神疾患を抱える患者の名義を利用してしまったことを痛恨の極みとして猛省していた重信さんのことだから、そうした涙を持っておられずはずだ。その可能性に賭けたい。

 

日本赤軍連合赤軍と勘違いする、あるいは重信房子永田洋子と勘違いする言説が方々に溢れていることに対しては、重信女史を気の毒に思うことがある。連合赤軍で残忍なリンチ殺人の犠牲者になった遠山美枝子と重信房子は親友だった。日本赤軍は、連合赤軍森恒夫永田洋子のような残忍極まる人間によって支配された組織ではなかったし、重信房子は、決して永田洋子のような人間ではない。

 

日本赤軍の思想と行動には可能性はなかった。世界革命の標語に踊らされた空騒ぎという面も否定できない。しかし、重信房子女史は、一言でいうならば、節操を保った人物であり、この点においては尊敬に値する人物であるということだ。さらに人一倍純真な精神を持ち、かつ自らの生き方に誇りと矜持を抱きつづけて最後までブレなかった。それは、彼女の短歌を読めばわかる。繊細で頭脳明晰で、しかもある種の気品さえ漂わせた人物のそれだ。

 

方向性は完全に間違っていたと思うが、重信女史を悪しざまに罵る者には嫌悪感をつい抱いてしまう。果たして、その人物が重信女史ほどに節操を持って生きている人物なのだろうか。重信房子女史の御尊父は、戦前の血盟団事件に関与した民族派の人物だったし、女史の令嬢メイさんが無国籍という不安定な立場から日本への帰国ができるように尽力した人物も民族派の人士であった。政治思想は根本的に異なれど、この人ならば信を置けると思わせるだけの魅力があったのだろう。

 

いずれにせよ、刑期を満了して出所した今、これからは病気の治療と静養を最優先にしつつ、後世に何かを託せるはずのその人生経験から得られた思いや考えを、未来の若者たちへの言の葉として伝えてもらえたらなと思わずにはいられない。重信房子さん、長い刑務所生活でお辛いこともあったとは思いますが、ともかくご苦労様でした。

 

偉大な碩学の足跡

我が国における西洋中世哲学研究の権威として高名な稲垣良典九州大学名誉教授が今月15日に帰天されたという。享年93歳とのことだが、最近まで新書の形で一般読者向けにわかりやすく、しかしなるべく問題の水準を落とさないような工夫を施しつつ、形而上学キリスト教神学について書かれていたことを思う時、何だか急な訃報に思えて些かなりにも衝撃を受けている。西洋中世哲学やキリスト教神学を学んできたわけでもなければ、哲学を専攻した者ですらない、全くの畑違いの門外漢である僕ですら、「この人は、ガチの学者だなあ」という畏敬の念を抱きながらその著作に接してきた。

 

カトリックの信仰を持ちながら、しかし同時に哲学者として幾分か距離を置きつつ控えめなトーンで綴られてきた若い時分の研究書とは異なり、晩年の『カトリック入門-日本文化からのアプローチ』(筑摩書房)や『神とは何か-哲学としてのキリスト教』(講談社)といった一般読者向け著作では、率直にカトリックの信仰者としての立場を押し出していたように思われる。特に前者は、後半部分においてカトリック信仰における「保守的」立場を宣揚する、ほとばしるような「信仰告白」とも読め、カトリック信仰を持たない僕が読んでも、碩学の筆から遂に溢れ出た熱情に感動を覚えた。

 

後者は、人生の旅路を歩んできた一人の老哲学者が、一貫して手放さなかった根源的問い、すなわち「神とは何か」という単純にして超絶に難しい問いに挑み続けてきた総決算のような高密度な内容で、とてもじゃないが流し読みすることなど到底許されないという雰囲気を醸し出す。一文一文丁寧に何度も精読してついて行かないことには、著者の高速度な思考から振り落されること必至である。新書の形で出された哲学書の中では、おそらく最も難解な部類の著作なのではないかと想像される。同じ新書でも、約50年前に書かれ、数年前に増刷された名著『現代カトリシズムの思想』(岩波書店)と若干趣が異なる。

 

稲垣良典博士の業績は、何といってもトマス・アクィナスの神学及び哲学についての膨大な研究である。門外漢ゆえ、正確にその意義を整理することなどできないわけだが、『トマス・アクィナス哲学の研究』(創文社)や『トマス・アクィナスの神学』(創文社)そして『トマス・アクィナス「存在」の形而上学』(春秋社)、難解極まる『抽象と直観-中世後期認識理論の研究』(創文社)を始めとして数々のトマス研究の学術書(『トマス・アクィナス倫理学の研究』だけは入手できなかったので、まだ読めていない)、そして何十年もの歳月を要して漸く完訳された『神学大全』全45巻のうち約半数の翻訳を担った大業は、後々の世にも燦然と輝き続けるに違いない。なお、それら一連の学術書には、詳細な事項索引・人名索引が充実しており、学術書を出版するとはどういうことか、手抜き作業が目立つ最近の出版業界への反省を促すものともなっている。特に、『トマス・アクィナスの神学』は、きめ細やかな事項索引のみならず、用語解説まで付する念の入れよう。氏がどれだけ本書に対して愛着を持っていたかが伺われる。

 

あくまで素人としての感想でしかないが、氏の功績により我が国の西洋中世哲学はより奥行きのあるものになったのではないかと思われる。というのも、それ以前は中世哲学研究をメインに研究する者は、『「存在の論理学」研究』(岩波書店)や『存在論の諸問題』(岩波書店)などの著作で知られた松本正夫などの研究者がいたとはいえごく僅かであって(両書とも手元にあるのだけれど、後者の特に「存在論的認識論に関する覚書」と題する論文は、その分析の手法が現象学的分析を彷彿とさせるような印象を与えていて意外性のある論文。前者は、ズボラ故に未読のまま)、東京大学の哲学研究室でも古代や近世の哲学の研究者が中世哲学の研究を志す者を研究指導するということが見られたほど研究者の層が薄かったのだそうだ。卒業論文の指導は、それゆえアリストテレス研究で知られる出隆教授が担当したという。

 

九鬼周造天野貞祐そして和辻哲郎などと同窓で稀代の大秀才であった岩下壮一が欧州留学から帰国後、用意されていた東京帝国大学の中世哲学担当教授の職を辞退していなかったならば、おそらく我が国の西洋中世哲学研究のシーンは一変していたのであろうが、恩賜の銀時計を賜るほどの優秀さを誇った岩下壮一は、英国のセント・エドモンズ大神学校やベルギーのルーヴェン大学、そしてバチカンのコレジョ・アンジェリコなど欧州の大学や神学校に留学中にカトリックの司祭となり、帰国後は神父としての活動とともにハンセン氏病患者のための病院で奉仕する人生を選択することで、我が国の中世哲学研究の歩みは大きく左右された。

 

しかし、その岩下壮一の書いた「公教要理」とも言うべき『カトリックの信仰』(筑摩書房)や、神学についての論文や随筆をまとめた『信仰の遺産』(岩波書店)の詳細な解説の執筆者に稲垣良典、解題の執筆者に山本芳久両氏がなっているところを見ると、岩下壮一の蒔いた種が回り回って花開いたと言えるのかもしれない。岩下壮一の果たした日本の哲学研究史上での役割については、中公新書から出た熊野純彦編『日本哲学小史』にも触れられている。というか、最終的には大学の哲学研究者の道を選択せずカトリック司祭となった岩下壮一神父の学問的業績の偉大さを正当に評価し、相応の分量を割く方針を定めた熊野純彦の慧眼に改めて驚かされる。フランス語で執筆したという岩下の卒業論文を改稿した「アウグスティヌスの神国論」という一種の「歴史哲学」の論文を目にした時、簡潔きわまる文体と明晰な論理の運びに接して、「当時の最優秀の帝大生って、こんな水準のものを書いていたのか」と驚嘆したものである。岩下の功績に触れる熊野の筆致から薄々とであれ感じ取れる岩下壮一への畏敬の念も本書の読みどころの一つだろう。『カトリックの信仰』でも触れられている近代哲学批判に対して(特に、カントに対する批判には相当な分量が割かれている)、近代以降の哲学はきちんと応答し得ているのだろうかという反省をも喚起させられるもしよう。

 

先ほど「畑違い」とは言ったが、完全にそうなのかと言われればそうでもない。法学部の学生として法実証主義の思想的前提に根本的な疑問を抱いていた僕は(法実証主義には、決定的に重要な何かが欠けているのだ)、法実証主義に対する批判を展開するネオ・トミズムの自然法思想に基づく法哲学にも多少の関心を抱き、その中で稲垣良典『法的正義の理論』(成文堂)を参考にさせてもらった。法実証主義の思想が支配的な現在では、キリスト教神学と密接に関係する自然法思想は支持者が少ないように見える。フラ―などの自然法理論などを参考にしながら、顧みられなくなった共通善正義の思想(ライプニッツが、その「最後」の提唱者だろう)の復権を静かにしかし同時に切実に展望する著作である。ジョン・フィニス『自然法自然権』が登場した後に著されていたとするならば、きっと面白い対話が実現していたに違いない。自然法思想はトミズムと密接に関わるものであっても、もちろん全く同じではなく、キリスト者でなくとも十分に示唆に富む思考に親しめるはずだ。特に、法実証主義に欠落している重要な何かがあるはずだと日々疑問を抱く者にとっては、その苛立ちを上手くすいとってくれているように思われたのである。

 

ハーバード大学でジョン・ロールズと親交を結んでいた氏は、ロールズの「正義論」には全面同意はできかねるものを持っていたとはいえ、ロールズの志に、法実証主義の根本的思想に収まりのつかぬ何かを感じとっていたのかもしれない。ただ残念なことに、ロールズはその何かについて探究する姿勢を見せていない。むしろ、ともすれば「反動的」とも捉えられてしまうような、「共通善正義」への拘りを持たれた氏に共感を覚えてしまう。法哲学への関心も最晩年の著書『神とは何か-哲学としてのキリスト教』の最終章にまで貫かれている。「自由」や「人間の尊厳」などを巡って、とりわけ日本国憲法における「個人の尊厳」原理の不十分さを突く筆致は、とても90代の年齢の人が書いたとは思えないほどシャープな切れ味である。

 

また、カトリックの哲学者ジャック・マリタンの『人間と国家』の翻訳も共訳の形で手掛けている。氏の「人権」や「主権」についての考えは、相当程度このマリタンの思想の影響を受けているように思われ、それが「ペルソナ的存在論」を打ち出した『人格《ペルソナ》の哲学』(創文社)に色濃く現れているように思われるし、「国民主権」の概念にも懐疑的であった氏の態度も、なるほどマリタンの思考由来であることも伺える。『人格《ペルソナ》の哲学』の一節を見てみよう。

 

万人の平等について言うと、人々の間の様々の差異を相対化して平等の原則を基礎づけることのできるような、人間の固有の価値は完全に不明なままである。また「自立」の重要性は強調されるが、自立すべき者(「私」「自己」)の「存在」に光があてられることはほとんどないし、さらに「個人の尊厳」とか「かけがえのない個」という言葉が明確な価値観の指標であるかのように語られるが、個々の人間に帰せられるべき価値は人間という「存在」に固有の価値にもとづくものであって、後者なしには空虚な幻影にすぎないことはなぜか無視されている。社会的通念ともいえる人間観にひそんでいるこうした欠陥は、いずれも「人格」概念の不在-「人格」という言葉、あるいは「人格の尊厳」「人格の形成」という標語は広く流通しているにもかかわらず-に由来する、と私には思われた。・・・われわれが「私」「自己」と呼んでいる存在を明確に認識し、その存在に固有な価値を基礎づけることができるのは、人間を「個人」あるいは「個」として捉える立場を超え出て、人間を明確に「人格」として経験し、理解することによってである。

 

ジャック・マリタンは『三人の改革者-ルター、デカルト、ルソーTrois Réformateurs, Luther, Descartes, Rousseau』において、近代社会を支配した宗教改革者である自我中心主義者ルター、哲学の改革者である天使の座についたデカルト、道徳の改革者である聖徒ぶったルソー3人を批判したわけだが(特に、デカルトを「天使主義」として批判したことが有名だが、批判のトーンはルターに対するものよりは控えめである)、この批判は最晩年の著書『神とは何か-哲学としてのキリスト教』(講談社)で触れられているデカルトに対する批判にも緩やかな形で反映されている。ついでなので、このジャック・マリタンのTrois Réformateurs, Luther, Descartes, Rousseau, éd. Plon.にある一節を取り出して訳してみよう。

 

デカルトの過ちは、天使主義の過ちである。デカルトは、認識と思惟とを救いようもない混乱と不安の深淵に陥れたのである。これは、デカルトが人間の思惟を天使の思惟の型に当てはめて考えたからである。このことを一言で表わすならば、「思惟の事物に対する独立」である。これこそが、デカルトが人間の思惟のうちに認め、その中に植え付けたものであり、また思惟に自覚させたことでもある。デカルトの罪は精神的なものであり、抽象の第三段階においてなされたので衒学者の長衣を纏った狂人たちの、すなわち高等法院評定官のジョアシャン・デカルトが己の息子について言っているように、子牛の皮で製本させる連中だけの関心事に過ぎなかったのではなかろうか。

 

『現代カトリシズムの思想』(岩波書店)では、第二バチカン公会議の機運の影響もあったり、また南米での「解放の神学」の運動の熱気も冷めやらぬ頃であったからだろうか、マルクス主義との応接にも心を配るような記述が見られる。

ルフェーブルは「こんにち主要な世界観は三つしかない」といい、「個人主義が死滅したあとに残って面と向きあっているのはカトリシズムとマルクス主義である」といいきっている。もし、この言明になんらかの真実がふくまれているとしたら、それはマルクス主義とカトリシズムとの対話が緊急に必要だ、ということであろう。わたくしがいいたいのは、マルクス主義者はカトリシズムとの対話を通じて、カトリック思想家はマルクス主義との対話を通じて、それぞれ自らの思想を厳密なものにし、また豊かにしてゆく必要があるのではないか、ということである。

 

もっとも、ジャック・マリタンが第二バチカン公会議の方向性に疑問を抱いていたように、氏もまたカトリック正統派の言うなれば「保守派」の思想に共感を抱いておられたように思われなくもない。少なくとも、カール・ラーナーやハンス・キュングのような「リベラル」とされるカトリック神学者の立場とは異なった見解をお持ちであったように思われる(この点に関連して、今野元『教皇ベネディクトゥス一六世-「キリスト教的ヨーロッパ」の逆襲』(東京大学出版会)は滅法面白いと言える)。もちろん僕はカトリックの信仰を持たない部外者であるし、カトリシズムの思想に全くの不案内な者だから、勝手な推測でしかないことは承知している。

 

僕が稲垣良典という学者を初めて知ったのは、確か哲学書房から出ていた『季刊哲学』のバックナンバーを図書館で漁っていた頃だと記憶している。ライプニッツやクザーヌスに関心を持っていたので(法学部進学予定の身としてはスアレスにも興味があったわけだが、『神とは何か』を読む限り、スアレスへの評価は辛いようにも思える。面白いのは、既に指摘する声も一部にはあるけれど、改めてスアレスデカルトへの影響を述べているところである)、この雑誌が取り上げていた論題は至極魅力的に映った。可能世界やアナロギアや存在の一義性やカントルの集合論など現代哲学と中世哲学ないし神学が邂逅する場面に着目する特集を組んでいたかと思う。その内容は、『批評空間』やら『現代思想』やら『情況』よりも遥かに僕の興味を惹きつけていたことは間違いない。もちろんディレッタントの域を出ないものであったとはいえ、近代以降の哲学者で「こいつは抜群にオツムが切れるな」と思えた存在はごくわずかしかいないのに、近世や中世ともなると「こいつは明らかに俺とはオツムの出来が違いそうだ」と思えるのがわんさかいたので驚嘆したものである(興味深いことに、現代の理論物理学者の中でもとびきり抽象的な思考を好むクリストファー・アイシャムの論文を読んでいると、中世の神学者のような思考との親和性を感じさせられもするのである。それもそのはず、アイシャムは神学に親しむカトリック信者だったと知ってなるほどと思ったりもした)。ともかく、『季刊哲学』で「稲垣良典」という名を知ったのである。

 

それにしても、哲学書房が出版したラインナップを見ると、「編集者はいいところに目をつけるなあ」という思いを強くする。と同時に、一般受けするものではないだろうから、出版社の経営状態はよくないだろうとも感じていたが、案の定、哲学書房は廃業の憂き目に遭った。『神学大全』の翻訳を出版した創文社も廃業。出版助成制度が改悪されてしまい、こうした篤実な出版社が次々と潰れていっている。やはり、我が国の現状は狂っている。そう考えると、詐話師ロバート・キヨサキの品性下劣なエロ本『金持ち父さん、貧乏父さん-アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学』を出した筑摩書房を安易に責められないという気にもさせられる(このアホな「エロ本」に騙されて、よく知りもしないで「投資」に血道を上げるバカの金を巻き上げて、それを篤実な出版社への助成金にまわせねえかなあ)。

 

ズブの素人としての感想だが、稲垣博士が最も傾注していたのは、トマス・アクィナスの哲学の枢要をなす「存在esse」と「認識intelligere」の問題であったように思われる。そして、そこにこそ近代以降の哲学の趨勢に対する根源的批判の足場を求めた。トマスにおいては、認識の働きについての認識がなされるのは、知性の対象である「存在するものens」に含まれる。最高の完全性としての「存在esse」の認識は自己認識を介してのみ達成される。というのも、「存在esse」とは事物がそれによって存在する実体的形相にとっての現実態actusであり、そうすると「存在esse」の認識はこの形相の認識において成立する。しかし、事物の形相は不可知であり、唯一の例外が自己認識を介して達せられる人間の精神の本性の認識である。そこで、「存在esse」を捉えるための「通路」として自己認識が位置づけられる。ここが重要なのだが、自己認識とは自己意識への還帰ではないということだ。精神が自身の存在を通じて自らを認識するという時の自己認識と、人間精神の本性が普遍的な仕方で種的・類的認識によって認識する場合の自己認識とは異なる。前者につき、トマスは『真理論De Veritate』第10問第8項において以下のように述べている。

或る人は、自分が感覚したり、認識したり、その他この種の生命活動を行使していると知覚することにおいて、自らが霊魂を有し、生きており、存在していると知覚する。・・・霊魂はそれが認識もしくは感覚していることを通じて自らが存在している現実に知覚するに到る。

 

トマスは、感覚し認識していると知覚する(percipere)に到るところの自己認識を「最も確実certissima」であるとする。この自己認識が自明の根源的所与であり、人間の認識一般の出発点である確実性の所在とするならば、デカルトの「コギトcogito」とそう遠い距離にはないように見える。氏が着目するのは、にもかかわらず、トマスはこの種の自己認識に何らの理論的重要性を認めていないという点である。ここで言われた「最も確実」というのは、あくまで「我々にとって」の限定が付くものであって、かつ、自分が存在していることの知覚はそれがなにであるかもわからない現存の意識に過ぎず、最高の完全性としての「存在esse」の把握とは異なる。意識の事実としては「最も確実」であるとしても、認識としては不明確かつ混乱した不完全な状態に過ぎないと考えるのがトマスの見解であることをはっきりと抽出した。トマスは、人間精神の本性が直接・無媒介的にすなわち「自分自身に即して可知的secundum seipsam intelligibilis」であるとは認めない。それゆえ、哲学がそこから出発すべき根源的所与であるはずがないのである。

 

氏は、トマスの『神学大全』を現代への「挑戦の書」として位置づけた。『トマス・アクィナスの神学』の「まえがき」は、以下のように述べる。

この書物は全体としてわれわれに、われわれ自身の生き方の吟味を強く迫ってくる。もちろん、トマス自身はこの書物で「道」であるキリストに従って、人間の真実の幸福をめざして旅するために最も重要な「知恵の探究」を徹底的に行っているのであるが、その探究は安易な妥協や暫定的な解決にとどまることを許さない徹底した問いかけであるかぎりにおいて、読者に対して「あなたは人間として善く生きるための知的探究を徹底して行っていますか」と鋭く問いかける挑戦という側面をおびてくるのである。

 

そこには近代哲学が削ぎ落してきた肝心要のことを再び思い出させる意図があったように思われる。現代の哲学では、思想における近代主義批判と相即する形で近代哲学への批判の動きが起こって久しい。かつて我が国でも論じられた「近代の超克」の議論も、近代哲学ないしは近代的思考が依って立つ前提に対する深刻な反省によって動機づけられていたと言えよう。さらに、この課題を自らの哲学の枢要として位置づけた廣松渉の哲学や、大森荘蔵の哲学も我が国では注目されてきた。局地的に一時期話題になった「思弁的実在論」による相関主義批判も、この近代哲学批判の文脈に位置づけて理解できるだろう。

 

但し、そうした試みが上手く行っているかは甚だ心許ない。そういう状況で、豊かな思考が展開された西洋中世哲学の精華に立ち返ることは、実り豊かな思考をもたらす契機にもなるはず。その意味で、稲垣良典博士の足跡は、過去の豊かな遺産の将来への継承ともなる、偉大な碩学からの贈り物なのかも知れない。『神とは何か-哲学としてのキリスト教』は次のように記す。

人間の生が旅路であるとは、「旅人なる人間」(homo viator)は人間であることの完全な実現である幸福への到達をめざして旅する者だ、ということを意味する。そして知識がこの旅それ自体、つまり時として危険と困難が避けられない人間の営為を、できる限り有効かつ快適に遂行することに関わるのに対して、知恵は旅の目的地である人間の真実の幸福に関わる。ところで完全な幸福は旅路の終わりに、いわばオーケストラの「本番」演奏として実現されるが、それに先立って旅路の合間の憩いの時にいわばリハーサルとして予感される。そしてそのいずれにおいても幸福の本質は人間の最高の能力による最高の働きとしての観想である、というのが知恵の教えるところである。

 

エーリッヒ・ベッヘルの形而上学-「哲学のヤンキー的段階」理解のための予備的考察③

職場の同僚の話によると、エーリッヒ・ベッヘルはドイツでは優れた哲学者として知られているらしいが、現在の日本ではほとんど触れられることはない。ドイツ出身でカトリック教徒である知人から紹介されるまで僕も知らなかったわけだから偉そうに言えないのだが、ミュンヘン大学などで教鞭をとるなど活躍したものの、若くして亡くなったこともあって、なおのこと日本で知る者は少ない。

 

ちなみに、その知人に日本の神道について簡単に説明すると、「古代ゲルマンにも似たような原始的な宗教はあった」とか何とか抜かしやがったので、頭にきて「エリアーデか何かの読み過ぎじゃねえ?」と返してやったが、同時に「こいつには、我が惟神の道は永久にわかんねぇんだろなぁ」と思うより他なかった。調べてみると、エーリッヒ・ベッヘルの著作は、Einführung in die Philosophieが『哲学入門』(創元社)として訳されているだけのようである。

 

形而上学と自然科学との関係について深く思考したベッヘルの哲学は、その最終的な結論には同意できなくても、現代における形而上学の可能性を考える上で、示唆に富む思考を供してくれている。ベッヘルの哲学的営為は、19世紀半ばから20世紀初頭にかけてドイツで起きた形而上学復興運動の系譜に位置づけることができる。

 

幸い、ベッヘルの書くドイツ語は比較的読みやすく、エルンスト・カッシーラーの読みやすいドイツ語の文章を読んでいる気分にさせられもする。カントやヘーゲルあるいはフッサールのような、少なくとも僕にとっては、読むのに苦痛を感じさせるようなドイツ語の文章とは違う。例えば、カントのこんな調子の文と比べてみるといいだろう。

Da die Zeit nur die Form der Anschauung, mithin der Gegenstände, als Erscheinungen, ist, so ist das, was an diesen der Empfingung entspricht, die transzendentale Materie aller Gegenstände, als Dinge an sich(die Sachheit, Realität). 

どう考えてもヘンテコな一文であり、読み手がその意味合いを思い切り斟酌しながら読んであげなければ直ちにはその文意がはっきりせず、それゆえ、ひどく読み手を疲労させてしまうに違いない。ざっと文意を掴むとすれば、時間は感覚の形式であり、物自体としての対象について実在性と語られてきたものが、現象としての対象においては、質料としての感覚に対応するものであるという感じに解しておけば一般読者としては済むのだろうけど、しかしこうした掴み方は、ある程度カントについての情報を予め持っているからこそ可能なものだとも言えよう。いずれにせよ、カッシーラー等の文章のようなスラスラ流して読める文ではないことは明らかだ。

 

19世紀半ばの形而上学復興は、カント主義に対する反動として、ドイツ観念論の衰退後に形而上学を改革して復活させようと、ヘーゲルの自然哲学の路線とは別に、形而上学と自然科学との関係を再定義することから始まった。既に、ヘーゲルの観念論的な自然哲学は、当時の自然科学者の目からも「失敗」と見なされるようになっていたのだ。

 

そんな状況下で、形而上学復興運動の支持者は、形而上学のための異なる方法を提案したわけだが、そのプログラムは経験的諸科学にしたがって形而上学を構築するという考えに基づいていた。特に、経験的諸科学が行ってきたように、経験に定位しつつ帰納的推論を使用するという方法を選択した。

 

ベッヘルにとっては、経験的現象を超えるいかなるものの合理的肯定に対する道も閉ざすことを主張するカントの反実在論的・反形而上学的立場の認識論は容認できないものであった。「神の宇宙論的証明」に対するカントの批判はトマス・アクィナスによる論証の筋を誤解したものであって、Ens realissimumの観念から必然的存在を演繹するものではないにも関わらず、カントはそれを演繹と解して反駁しているところなどを見ると、カントが持っていた論証概念に首を傾げざるを得ない。

 

あくまで素人としての感想でしかないだろうが、僕がトマスを読む限りでは、トマスの論証は、カントが反駁したと称する手順とは正に反対の順序で構成されている。すなわち、必然的存在の実在が因果論的論証から打ち立てられたのなら、そのような存在は同時に必然的かつ有限であることはできないという論証の順であるということだ。というのも、本性的に有限として存在の原因を求めるからであり、そうであればこそ必然的存在は無限であるに違いなく、単純に一なるものであると考えられるからである。

 

そもそもカントが理解するように、完全性の観念からの演繹にはなっているわけではない。こうしたカント的立場に公然と対決するベッヘルの意気込みは理解できるし、そうであればこそ同僚に勧められて読むに至ったわけだが、とはいえ最終的には、ベッヘルの形而上学には無理があることを予め言っておかねばならない。

 

ベッヘルの出発点は、『形而上学と自然科学: 両者の関係についての認識論的研究Metaphysik und Naturwissenschaften. Eine wissenschaftstheoretische Untersuchung ihres Verhältnisses』である。その他にも、『自然哲学Naturphilosophie』や『人文科学と自然科学: 科学の理論と分類に関する研究Geisteswissenschaften und Naturwissenschaften. Untersuchungen zur Theorie und Einteilung der Realwissenschaften』を著している。

 

ベッヘルは、形而上学と自然科学の関係の研究を体系的に比較することから始める。ベッヘルは、自然科学の知識の対象として、実在の物理的対象と見なす自然の対象と特性と関係及びそれらが関与する過程を特定する。しかし、個々の自然科学は常に物理世界の特定の部分または側面のみを扱う。例えば、植物学は地質学以外の自然の部分を研究する。そして、自然のすべての領域に影響を与えるように見える物理学でさえ、自然物の特定の側面のみを調べ、これらの側面は、例えば化学によって調べられるものとは異なる。それゆえベッヘルは、自然科学を「部分的諸学Partialrealwissenschaften」と呼ぶ一方で、形而上学を世界に対して包括的な視点をもたらす「全体的学Totalrealwissenschaft」と呼ぶ。

 

もっとも、形而上学もまた実在の特定の部分や側面を考慮することがあるが、自然科学とは異なり、常に全体的な実在に関連している。例えば、生物学は有機生命に関係しているが、形而上学有機生命が全体的な実在の他の部分、例えば魂や意識にどのように関連しているかという問題を扱う。

 

このように、形而上学と自然科学は、それらの対象に関して互いに接触している、あるいは重なり合っているとさえ言える。しかし形而上学は、全体的な実在の観点から、個々の科学の結果の単なる並置を超えた主張をしているとベッヘルは指摘する。

 

自然科学と形而上学の対象に関する関係をこのように位置づけることができるとしても、知識の基礎と方法の観点から、それらが互いにどのように関係しているかという問題が出てくるだろう。俄かには受け入れがたい主張であるが、ベッヘルによれば、形而上学の方法は自然科学の方法の分析から導き出すことができると言うのである。

 

自然科学は特定の方法、すなわち彼が詳細に分析する経験的帰納的方法によって特徴づけられる。この方法では、自然科学は知識の究極の源泉として知覚から出発する。なぜならば、知覚のプロセスが我々が実在を直接把握できる唯一の方法であると言えるからである。もっともベッヘルは、我々が自身の現在の意識内容に直接アクセスすることしかできないと考えている。しかし、自然科学の経験的帰納法や日常生活において重要な役割を果たす特定の認識原理を利用することで、意識の領野を超越できると指摘している。

 

ベッヘルによると、自然科学にとって最も重要である3つの原則は、

①「記憶の信頼推定要件Voraussetzung des Erinnerungvertrauens」、

②「合法則性の推定要件Gesetzmäßigkeitsvoraussetzung」、

③「因果原理Kausalprinzip」

である。①の「記憶の信頼推定要件」は、我々が日常生活でも信頼している基本原則である。一方、②「合法則性の推定要件」と「因果原理」は、より基本的な推定である「規則性の推定要件Regelmäßigkeitsvoraussetzung」に基づいている。

 

ベッヘルが指摘するように、規則性のより弱い推定は、我々の科学以前の日常の現実認識に関係している。合法則性のより強い推定と因果原理は規則性の推定の強化されたものであり、それらは自然科学の産物である。

 

「記憶の信頼推定要件」によれば、過去の記憶は少なくとも、原則として信頼できると推測される。記憶は現在の意識内容であり、過去の経験の複製として理解されている。とりあえず反論がない場合、我々は通常これらの表現を信頼する。

 

しかし、ベッヘルが指摘しているように、我々の記憶が常に我々を欺く可能性を排除することはできない。記憶の信頼性を先験的に証明する方法はない。更に、記憶の信頼性も経験的に正当化することはできない。過去に頼ることなく、記憶の信頼性を経験的に検証することもできない。そうするためには、記憶の信頼性を前提としなければならず、その結果、記憶の信頼性のそのような経験的正当化は常に循環的な営為となってしまう。

 

超越論的または経験的な正当化がない場合、我々はそれを証明または正当化することができずに、我々の記憶の信頼性を信頼する以外に選択肢はない。我々が記憶の信頼性に依拠しなければならない理由は、それが知識の獲得に必要な(erkenntnisnotwendig)要件だからである。ベッヘルはNaturphilosophieにおいて、以下のように述べている。

それがなければ、我々は現在の意識の領域を超越することはできなかった。特に、過去の知識を得ることができなかった。つまり、それは我々の認識の対象として不可欠であるため、我々はそれを信頼しているのである。

 

更なる別の原則が含まれていなければ、しかし我々の知識は、我々の現在と過去の意識の領野に閉じ込められたままになる。この領野を超越するために、我々は別の原則すなわち「規則性の推定要件」に依拠する。

 

第一に、この原則は我々自身の経験に関する「規則性の推定要件」である。過去の経験から未来の経験について何事かを推測する場合、我々は観察できる規則の原則に依存している。これまでの経験の領野は未来にも当てはまるというような要件がなければ、我々は現在と過去の意識の領野を超えることはできない。だからこそ、この要件は我々の日常生活と科学の営為における「理解Erkenntnis」にとって不可欠である。

 

しかし、「記憶の信頼推定要件」の場合と同様、Geisteswissenschaften und Naturwissenschaftenにおいて、ベッヘルは「規則性の推定要件」は循環論法なしでは、超越論的にも経験的にも正当化することはできないとも述べている。未来についての知識を得たいのであれば、それを信頼しなければならない。もっとも、それが真理であることの理由を与えることができるという意味で、この原則が正当化できるとは言えない。にもかかわらず、それが経験的知識を得る唯一の方法であるため、この原則を適用することには一定の正当性があるというのである。

 

ベッヘルは、類推と帰納的一般化に関し、Naturphilosophieにおいて、それらを密接に関連した推論の形式であると位置づけている。類推は、例えば私が最初に私の意識の特定の状態を決定した時に働く。痛みは、私の体の特定の反応と相関している。叫んでいると、別の人が叫んでいるのを聞いた時、私は類推によって彼にも対応する痛みの感覚があると推測する。帰納的一般化は、例えば、水銀が加熱されると膨張するという観察から推測する時、これは将来水銀が加熱される時にも起こるだろうと推測する。

 

推論は「規則性の推定要件」に依存している。ベッヘルは、規則性の要件が自然科学にとって特に重要であることを強調する。というのも、自然法則についての推論は帰納的一般化に基づいており、したがって規則性の要件に基づいているという他ないからである。

 

ベッヘルはまた、Geisteswissenschaften und Naturwissenschaftenにおいて、この「規則性の推定要件」により、過去への推論を引き出すことが可能になるとも述べている。例えば、夏と冬は思い出せなくても5歳のときに経験したと推測できる。しかし、これは記憶への信頼の要件に基づいて得た結果と、規則性の要件に基づいて得た結果が互いに矛盾する可能性があることを意味する。

 

次に、この場合、関係する知識の原則のどれを優先すべきかを決定する必要がある。これは、知識を獲得するために必要なこれらの原則が、あらゆる場合に争うことのできない前提ではないことを意味する。特に、他の認識原理の結果との競合、または同じ原理に基づく他の結果との競合は、特定の使用に疑問を投げかける可能性がある。これらの原則は、我々が何をしようとしているのかという前提ではなく、反駁可能な推論を伴う規則である。

 

これまでのところ、厳密に言えば、我々は我々自身の意識の領野を超えていない。記憶の信頼要件は、我々自身の意識の過去の状態を推測することを可能にする。規則性の要件により、過去の経験から未来の経験まで推測することができる。これは現在の意識内容を超越することを可能にするが、我々はまだ外の世界に一歩踏み出していない。

 

しかし、上で見たように、ベッヘルは、形而上学と同様に自然科学も知識の対象として物理的対象を持っていると考えている。ベッヘルは、我々が実在の知識を持つことができ、これは形而上学に限らず、自然科学や日常生活にもある程度見られる一種の知識であると明確に主張している。したがって、我々は外界の物体の知識を得ることができるように、我々自身の現在、過去、そして未来の意識の知識をどのように拡大することができるかを問う必要がある。

 

実在論の正当化において、ベッヘルはこの形式を明示的に反映させることなく、別の形式の帰納的推論すなわち最良の説明への推論に暗黙的に依拠している。実在論の正当化におけるこの推論形式の使用は、帰納的一般化や類推のように、最良の説明への推論が規則性の要件に基づいていることを示している。これは、推論形式の「最良の説明への推論」が形而上学にとってどれほど中心的な役割を担っているかを示唆する有益な例である。

 

ベッヘルは、実在の物体の知識は、未来の知識のように規則性の要件に基づいていると指摘する。ベッヘルによる実在論の再定礎は、全体的な実在を次のように見ることができるように、実在の物体の存在の仮定を導入する。我々自身の意識だけが存在すると仮定した場合、生起することの多くは、我々自身の意識状態に限定されるだろうし、それはいかなる規則にも従わないことになるだろう。

 

私が意識の内容に集中する場合、例えば突然の大きな音は、いかなる規則に従っても私の意識の以前の内容とは関係のない出来事である。一方、外部の物体の存在を仮定して文脈を拡張し、それを知覚体験の原因として理解することができれば、それによって大きな音の体験を通常の全体的な文脈に組み込むことができる。大きな音は、木の板の荷降ろしなど定期的に大きな音を発生させる外部プロセスによって因果的に説明することができる。

 

このことは、経験の多くについて等しくあてはまる。ベッヘルはまた、外部の物体が我々の知覚をどのように引き起こすかについての理論を構築するために、最初から始める必要はないことを指摘している。この外部対象の仮定は、最良の説明への推論によって支持されていると言えるだろう。

 

第一に、最良の説明への推論の方法は、説明を必要とする一連の観察された現象から始まる。第二に、様々な仮説が検討される。これらの仮説が真である場合、観察された現象を説明する。第三に、これらの仮説を比較して、どの仮説が現象を最もよく説明しているかを判断する。第四に、どの仮説が最良の説明を提供するかが決定されると、推論が導き出される。第五に、観察された現象の最良の説明であると考えられる仮説を推論する。このようなステップを辿るというのである。

 

ベッヘルは、世界全体を可能な限り規則的なものと見るために、我々の一連の知覚の因果的説明として、実在の外部対象があるという仮説を導入した。したがって説明は、規則性の要件に基づいていると言えるだろう。規則性の要件を背景に、この仮説は我々の知覚の(そうでなければ不規則な)系列の最良の説明である。つまり、規則性の推定に従って、世界全体(一連の知覚を含む)が非常に規則的であると表示される。

 

ベッヘルが対立する見解に対してどのような批判を向けているか。これら対立する見解は、我々の一連の知覚の出現を説明できない、あるいは少なくとも十分に説明できないとベッヘルは批判する。外界は起源と未来の認識を予測する手段として使用するフィクションであるとする見解を、ベッヘルは批判する。なぜなら、そのような立場の支持者は、我々の知覚が外部の物体があるかのように見えることを認めているからである。この立場は、実在論とは対照的に、満足のいく説明を提供しえないのである。

 

同様に、カントとフィヒテの観念論的な立場も排除する。Metaphysik und Naturwissenschaftenにおいて、観念論は子供が天文学の法則を知らないにもかかわらず天文学の計算に合った正確な位置で月を見ているという事実についての最良な説明を提供しえないと批判する。観念論では、子供たちの理解または私が月をどのように正確な位置に置くようにしているのか理解できない。したがって、観念論は実在論より劣っている。実在論では、子供でさえ月が正しい場所にあるという事実を簡単に説明できる。ベッヘルが述べているように、知覚された物体はそれ自体が実在であるという仮説は、観念論よりも「比類なき強力な仮説eine unvergleichliche leistungsfähigere Hypothese」である。つまり実在論は、我々の一連の知覚の最良の説明を提供するというわけである。

 

ベッヘルの形而上学の文脈では、そう簡単に却下できないバートランド・ラッセルによって提唱された理論を考えてみる(とはいえ、ベッヘルはラッセルについて言及していない)。対象は単なる知覚の可能性であるという考えを考慮し、ジョージ・バークレーにまで遡らせている。この理論によれば、実在の物体はないが、実在になり得るのは我々の知覚と特定の知覚の可能性だけである。例えば、今は気づいていない背中の後ろの壁は、振り返るとすぐに実在になる知覚の可能性である。この理論に対するベッヘルの異議は、それでは不十分であるとういうものである。実在ではなく、単に実現されていない可能性であるというだけでは因果関係を持つことができず、実在の因果関係に組み込むことはできない。それゆえ、そのような単なる知覚の可能性の仮定は、世界のあり方を実在の法則によって支配されるあり方と見なすことはできないのである。

 

ラッセルの理論は、この現象主義の一つのバージョンと見做せるだろう。Mysticism and logic and other essays所収の論文“The relation of sense-data to physics”で示されたラッセルの目的は、感覚与件から物理的対象を構築することであった。感覚与件とは、我々の感覚の直接の対象、例えば特定の色のパッチや特定のノイズを意味する。

 

しかしラッセルは、実際に感知された感覚与件だけから物理的対象を構築することは不可能であることを理解していた。このためラッセルは、彼は「センシビリアsensibilia」と呼ぶ追加の実体を導入する。「センシビリアsensibilia」は感覚与件と若干異なり、必ずしも実際ーに感知されるとは限らない。対象の外観は、実際の外観(感覚与件)と可能な外観(未感知)に分けることができる。次に、常識的な対象は、それらの実際の外観と可能な外観のクラスとして定義される。

 

単なる知覚の可能性の理論との違いは、「センシビリアsensibilia」は実際に感知されることとは独立して存在するという主張にある。是は存在論的に言えば、対象の可能な外観は実際には存在する「センシビリアsensibilia」であり、実際には感知されないことを意味する。そうすると、ラッセルの主張は、ある種の実在論を含意するかに思える。ラッセルは、誰にも感知されることなく存在する「センシビリアsensibilia」の存在を仮定しているからである。ベッヘルとラッセルが、各々の理論を発展させる際の進め方には類似性がある。我々の知覚の範囲を特定の理解可能な規則に従う世界の全体像に拡大するために実在の物体を仮定するベッヘルのように、ラッセルは、我々の一連の知覚のギャップを埋めるために「センシビリアsensibilia」を仮定する。とはいえ、重要な問題は、同じ与件の様々な可能な説明をどのように決定するかである。

 

ラッセルは、Our knowledge of the external world as a field for scientific method in philosophyにおいて、自分の理論は単なる仮説であり、科学の仮説と同様、確実性を主張することはできず、未来の更なる証拠あるいはより良い代替案によって転覆される可能性があることを認めている。では、ラッセルがなぜ、他の競合する理論よりも自身の理論を選択すべきと考えたのか。ラッセルは、別の理論ではなく特定の理論を採用する基準として「オッカムの剃刀」を持ち出す。

 

ラッセルによって仮定された「センシビリアsensibilia」は感覚与件と類似ではあるけれど、それ自体としては無意味である。他方、ベッヘルの実在論は、我々がすぐにアクセスできる知覚とは完全に異なる種類の対象つまりそれ自体のものを仮定している。したがってラッセルは、仮説がその一般的な存在論的コミットメントに関してより単純であるため、自分の仮説が一連の認識のより良い説明につながると主張しているのである。

 

しかし、ラッセルの理論は、仮定された実体のタイプに関しては単純だと言えても、「センシビリアsensibilia」から構築された特定の物理的対象は、ベッヘルによって仮定された対象よりも単純と言えるだろうか。ラッセルの理論によれば、各物理的対象は、無限に多くの「センシビリアsensibilia」で構成され、各々がその時点で構築された対象の潜在的な観察者の異なる潜在的な視点を表していることになろう。

 

そうすると、ラッセルは、「センシビリアsensibilia」からの対象構築が実際にどのように機能するかを説明するために長い時間を費やす必要があり、それゆえ、ラッセルの理論がラッセルが考えているほど単純とは言えないのではないか。少なくとも、「オッカムの剃刀」の基準では、ラッセルとベッヘルいずれの理論のどちらが優れているかは明らかにはならない。

 

この議論は、ベッヘルが実在論的な存在論の議論の基本的な考え方について興味深い見通しを示している一方で、それが成功するためには多くの詳細を検討する必要があることを示している。現在の証拠に基づいてどの説明が最良であるかを判断できるようにするために、説明を評価するための具体的な基準を検討する必要がある。

 

このための最初のステップは、説明が科学でどのように機能するかを調べ、競合する可能性のある説明が科学的実践でどのように評価されるかを分析することである。自然科学の経験的帰納的方法は、いくつかの異なる部分的なステップを組み込んだ複雑な方法である。それは知識の究極の基礎としての知覚に基づいているので、この点では経験的な方法である。様々な形式の帰納的推論(帰納的一般化、類推、および最良の説明への推論)が含まれているため、この点では帰納的方法である。

 

しかし、演繹的要素と先験的要素も含まれているという事実も見逃してはならないだろう。自然科学は、経験に基づかない数学的知識も活用している。ベッヘルは、帰納的推論に加えて演繹的推論が自然科学において重要な役割を果たしていると述べている。

 

一方で、帰納的推論された一般法則からさらに具体的な法則が演繹的に導き出される。他方、未だ確認されていないと考えられている仮説は、それらから演繹的に結果を導き出すことによって検証でき、その後、経験に基づいて検証することができる。

 

我々自身の現在の意識内容の領野を超越することを可能にする帰納的推論は、経験的に正当化できない推論に基づいている。それらが超越論的に正当化できないとしても、ベッヘルはそれらを超越論的原則と呼んでいる。それが自然科学の方法である。

 

では、形而上学の方法をどのように設計すべきか。これに関するベッヘルの見解は、経験的帰納的方法を形而上学にも適用する必要があるというものである。ベッヘルは古典的な形而上学の超越論的方法に批判的であった。形而上学は超越論的方法に従わなければならないという考えは、形而上学で言及される全体的な実在が我々の経験の限界を遥かに超えているという事実によって生み出される。

 

しかし、形而上学的体系のどれもが批判に耐えられることが証明されていないのである。未確認の経験的要素が常にこれらの体系の構築に組み込まれている。ここで主張されている超越論的体系は、経験的要素が全くないわけではない。それゆえ、形而上学においても経験的根拠を求めるべきである。ベッヘルは、こう結論するのである。

 

ベッヘルに言わせると、自然科学で証明され、成功裏に使用されてきた経験的帰納法は、形而上学の分野にも適用できる。形而上学では、知識の究極の基礎としての知覚も不可欠である。形而上学が探求しようとしている実在と接触しているからである。経験的帰納的方法の枠組の中で経験の限界を超えることができないという恐れは、その根拠がないことが既に証明されているというわけである。自然科学はまた、特に認知に必要な超越論的推定の形で、経験的帰納的方法において超越論的要素と原理に依存していることが明らかになった。

 

したがって、特に規則性の要件に基づく最良の説明への推論を使用することにより、経験の限界を超越することができ、即時の経験を超越する領域で洞察を得ることができる。これが、形而上学の枠組の中で同様に行うことができるということなのである。但し、形而上学であっても、それが完全であるとは決して保証されず、経験と証明できない認識の原則に基づいているため、決して確実であるとは考えられない。

 

こうしたベッヘルの形而上学の考えは、「形而上学」で意味されている内容が若干異なるように思われるので即断することは慎まれるものの、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインによる「形而上学」批判がそのまま妥当するようにも思える。もちろん、ウィトゲンシュタインによる「形而上学」批判は、時間・世界・存在といった形而上学的問いの重要性を否定したものと受け取るべきではない。但し、そうした形而上学的問いを、日常的な言語使用の延長により経験的事実に準えて考えることを否定したに過ぎないという点に注意するべきかもしれない。ウィトゲンシュタインによる「形而上学」批判とは、無時間的かつ非経験的事実である事柄について、特殊な時間的存在や持続的に存在する経験的対象のように考える愚を諫めたと理解すべきだろう。そう考えると、エーリッヒ・ベッヘルによる形而上学の試みに対して、少なくとも部分的に、このウィトゲンシュタインによる批判が妥当してしまうように思われるのであるが、だからといって、古典的な形而上学に可能性があるのかと問い返されたら、これまた心許ない返答しか用意できない。

「自己責任」論と「無料オプション」

去年の今頃は、アホほど高かったニューヨークのアパートメントの家賃相場は一旦下落傾向を示したけれど、そんな状況は長続きせず、いつの間にやら再び高騰に転じ、コロナ禍前の水準に戻ろうという勢いが見られるところがチラホラ出始めてきた。マンハッタン区でも、場所にはよるけれど、例えば比較的在留邦人が多く住むイーストヴィレッジなどでも家賃相場が高騰し、そこそこの部屋だと月7000ドル以上の支出を要する部屋も多い。1万ドルを超える部屋など山ほど存在し、その数は東京の比ではない(東京だと、7000ドルも出せば、かなり好立地の物件のそこそこの広さの部屋にありつける)。

 

ニューヨークやサンフランシスコ、ロンドンやフランクフルトそして香港も、家賃相場は概ね東京より高い水準で推移している。世界の主要都市の中で、東京の不動産は割安と受け止められているのも宜なるかな。収益物件の表面利回りも他の主要都市に比べればまだ高い方だと受けられている。それゆえ、東京都心部の好立地の不動産を狙っている海外の不動産投資家やファンドは、条件さえ満たせば、多少利回りが低くなろうと買い漁る。

 

一般庶民は一般庶民で、できれば東京23区内に、それが無理ならその近郊に狭小戸建住宅を建てようと必死になり、今では住宅用地が不足するような状況だ。新庄耕の小説『狭小邸宅』(集英社)で描かれている不動産会社のモデルとなった某O社のここ数年の大躍進は、こうした東京及びその周辺の南関東圏一帯の不動産市況を反映したものである。

 

一時のニューヨークは、主として高級レジデンスなどが供給過剰気味で、専ら投資用として購入した買手が多いものだから、人が住まない空室がチラホラ目立ち始めて、価格も下落傾向に向かう兆候を見せてきていたが、元々空室率が2%を切るような人気エリアなので、基本は貸主の天下である。しかも、日本の借地借家法のような借主保護のための法制度が完備されていないので、なおさら借主の立場は弱い。賃料が払えなければ即退去である。

 

ニューヨーク在住者の大多数は、持ち家を持たない借家人である。米国人の平均所得並みの年収しかない者だと、サンフランシスコ市街地ほどではないにせよ、一段と住みにくい場所になりつつあるのかもしれない。憧れからマンハッタン区に転居したはいいが、再び家賃の上昇にともない、泣く泣くブルックリン区やら隣のニュージャージー州に出ていくことを余儀なくされる者もいる。なるほど、ホームレスが数万人という異常な都市である理由もよくわかる。

 

ニューヨークの冬は糞寒い。それゆえ、冬を乗り越えることは、ホームレスにとって命賭けのこと。毎年凍死者が続出するわけだが、できるだけ凍死者を出さないため、一時的な「避難シェルター」が設けられている。そこに5万人ほどが押し掛けるというのだから、この国はどこか狂っていると言う他ない。

 

東京はまだニューヨークと比べると、表に出ている数字の上では、ホームレスの人数は圧倒的に少ない。しかし、諸事情から友人や知人の家を転々とする者、24時間営業のマンガ喫茶やファスト・フード店で毎夜を過ごさざるを得ない状況に陥っている者など「事実上のホームレス」が勘定に入っていないので、行政の視線も、目につきやすい路上生活者だけにしか向けられていない。「事実上のホームレス」を含めると、表に現れている数字の数倍のホームレスが存在していてもおかしくはない。

 

ましてや、「街中アート」と称して、ホームレスが野宿に利用していた場所に妙なオブジェを作って野宿させなくするなど正気の沙汰ではない。今の日本も、相当に狂っていると言うべき。

 

今年の東京は、例年比べて一段と冷え込んでいると聞く。しかも、(実はコロナ禍以前から見られたことだけど)コロナ禍が貧困層の増大に拍車をかけ、住居確保給付金等の補助が講じられたとはいっても、コロナ禍が長期化している状況で思うような職に就けずにいるうちに支給期間が満了となり、家賃が支払えずやむ無く退去せざるを得なくなった者もいる。路頭に迷い、極寒の冬を過ごせるのか不安に苛まれている者も相当数に上ることが容易に想像できる。中には、「ボロ雑巾」のように酷使された外国人技能実習生が放り出された例もあるかもしれない(この問題は、外国メディアでも取り上げられており、日本の恥というべき問題。どうして、日本社会はかくも醜くなってしまったのか)。

 

根本的解決には資さないが、とりあえず一時凌ぎのための暖房の効いた部屋と食料を提供する「避難シェルター」のような施設を各地に設けたり、あるいは空室になっているホテルを政府や自治体が一括して借りて部屋を用意するなど、凍死や餓死など含め衰弱して命を落とす者を極小化するために、政府や自治体のできる施策を早急に実行に移すことが肝要。現場の状況を把握できないのであれば、生活困窮者支援を日常的に行っているNPOやボランティア等から情報収集して、その意見を参考にするなり、場合によっては協力体制を整えて今すぐ打てる手を尽くす。

 

ネット上での情報でしかないが、こうした日本社会の貧困問題を考え、住居を失った・失う可能性の濃厚な状態にある生活困窮者を大量に生み出す日本社会の現状を告発し、困窮者支援活動に乗り出す学生ボランティアの団体もいくつか現れているようだ。仮に、日本国の基本的なあり方や外交・安全保障などの面では意見を異にする、言うなれば「右」と「左」の違いがあろうと、日本社会の貧困問題がもはや放置できないレベルにまでに至っているとの問題意識は共有したい。

 

「棄民国家」になっては、何のための国民国家なのかわからない。ここまで社会問題化した貧困層の増大は、国民国家の存在理由そのものが問われかねない事態なのだという自覚を持たない為政者がいるとするならば、そうした天誅に値する売国奴は有害無益の存在なので、早々に政治の現場からご退場願いたい。

 

牙を抜かれて久しい日本人の「大人しさ」をいいことに、やるべき施策を一向に講じず、ましてや問題を問題として自覚すらせず、権力の座に安穏しながら「床屋政談」のような他人事としてのおしゃべりに身を窶す連中だから、本来なら、そうした連中に対して暴動が連発していてもおかしくはない状況なのである。

 

前政権を担った菅義偉は、首相就任して早々に「自助・共助・公助」と、現況を正しく把握しない絵空事を述べ立てていたわけだが、形式的には一見常識的に思えるこの言葉が首相の口から飛び出すことが何を意味するか。それは、国家としての責任を放棄するとの無意識の表明だったわけである。貧困層貧困状態に陥ったのは当人の責任であるとでも言いたげなこの寝惚けた戯言が端的に誤りであることは、多少考えればわかろうもの。

 

最近20年の間に貧困層が増加傾向にあり、そしてコロナ禍により更に深刻化したわけだが、では最近になって日本人が急に怠け者になったというのだろうか。突然、無能な人が急増したとでもいうだろうのか。高度成長期の日本人より、現在の日本人の方が格段に能力的に劣り、しかも努力をしなくなったというのか。社会におけるマスの現象を個々人の能力や努力などに還元して単純化する言説が愚かな主張であることくらい、そこらの中学生でもわかる話である。

 

ついでに言うなら、個々人の経済的成功に関しても、それを個々人の努力や能力の帰結に還元してしまう見方も誤りである。その要素が皆無とは言わないが、むしろ他の複数の要因が絡んだ上での結果というべきである。事実、「まぐれ」としか言いようがないケースもまま見られる。例えば、先の不動産業界を例に挙げるとすれば、同じ労働内容でも、取引される物件の価格によって得られる報酬は異なる。そして高額物件にありつけるか否かには必然性はなく、専ら偶然の賜物である。

 

ところが、当人はその報酬があたかも己の努力と才能といった「実力」の結果なのだと勘違いする。投資家も似た面があろう。不動産業界よりは露骨ではないが、例えば、ナシーム・ニコラス・タレブのFooled by Randomnessは、投資家を含め、経済的成功を収めた者がいかに「まぐれ」によって左右されているか、にもかかわらず成功の原因を自分の実力の賜物と勘違いすることが往々にしてあるかを論じている。

 

こうした社会構造の歪みに対して「自己責任」の一語で片付けようとする者の頭の悪さもさることながら、何もかも全て資本主義が悪いと大風呂敷を広げて何かを言ったつもりになっている者もいる。両者は正反対に見えるが、目の前にある問題から目を背けて手前勝手のイデオロギーを振り回しているだけという点では同じ穴の貉である。

 

確かに、現代の金融資本主義のあり方に強い違和感を持つこと自体は、当事者の一人でもある僕自身にも理解できる。というより、金融資本主義の「走狗」に成り下がっている当事者だからこそ寧ろ、理論的に論証することなどできないものの(投下労働価値説が正しいとするならば、マルクス剰余価値学説は正しいとの帰結に至り、いわゆる「搾取」の存在を論証することができるとする主張に説得力はあろうが、投下労働価値説が誤った前提に基づく見解であるだけに、マルクス剰余価値学説は必ずしも妥当な見解であるとの結論にはならない)、少なくとも直感としては、「資本主義は倫理として悪なのではないか」という思いをふと抱くこともないではない。

 

しかし、「資本主義を打倒せよ」だの、「これからは脱成長型の経済のあり方を模索すべき」だのと言った大上段に構えた言説は、こと目の前の社会問題の改善には何ら資さない、イデオロギーを振り回して悦に入ってる左翼の自己満足に終始する有害な言説でしかない。

 

おそらく、増大する貧困層の大半は、何も「資本主義の打倒」だの「脱成長への経済構造の転換」だのといった抽象的お題目を唱えているわけではない。宙に浮いた絵空事を絶叫して何かを言ったつもりになっている左翼とは違い、贅沢な望みを抱いているのではなく、「普通に働き、普通の生活をしたい」、「人としてのディグニティを回復したい」という切実な望みを抱いているだけなのだと思われる。決して、イデオロギーを振り回したいわけではないのだ。

 

経済状況が悪化すると、非自発的失業が増えたり、失業を恐れて劣悪な待遇でも生きていくにはやむを得ないと低賃金労働に甘んじる他ない者も増える。使い捨てされて精神疾患を抱える者もいる。

 

最近になって、事何か発生するとすぐさま生活困窮者に追いやられる貧困層が急増したのは、政策の結果である。何のことはない。いざ不況になれば、そのツケだけを背負わせる対象を意図的に作ってきたからである。利益が出れば自分たちに、不利益が出れば他人にツケだけを背負わせる。こうしたある種の「無料オプション」を掠め取ってきた者たちがいよいよ可視化されてきた。

 

そして、このオプションを掠め取っている者とは、必ずしもいわゆる「富裕層」であるとは限らない。「富裕層」といっても、どのようにして富を築いてきたのか人によって様々だし、「富裕層」とまでは言わずとも、その代弁者となって禄をもらっている者も、この種のオプションを享受してきた者に含まれる。要は、金持ちであるかそうでないかの違いではないということである。

 

「富裕層」でも、真っ当な手段で富を得た者、努力と才能と運が上手くかみ合って富を得た者、あるいは全く偶然を自らの富の拡大に活かし得た者もいる。これは何ら咎められることではない。問題は、ここで言う「無料オプション」を掠め取ってきた者であるのか、そうでないのかという違いである。

 

正当に富を得た者ではなく、「無料オプション」を他人に生じる害悪を犠牲にして掠め取ってきた連中が自己の利益を防衛したいがために口にする好都合な言葉の一つが、「自己責任」という言葉である。「自己責任」とは、アンフェアな状況を作り上げた者が、自己利益を防衛するために社会に蔓延させたイデオロギーと化してしまった。

 

「自己責任」という言葉は、相応のリスクを自らが背負う覚悟を持ち、現にリスクを背負って何事かに挑み、他人に対してツケを回さない者だけが口にすべき言葉である。そうすると、この言葉を正当な資格をもって口にしうる者は皆無に近いくらい少数だということがわかる。

 

もちろん、皆無とは言わない。周りから冷ややかな視線に晒されながらも身銭を切り、失敗に次ぐ失敗を重ねながら発明や発見を成し遂げた極く僅かな者、あるいは残念ながら夢破れた者で、自らの決断に後悔をしていない者が口にする「自己責任」という言葉は、むしろ清々しさや高邁ささえ感じられよう。

 

しかし、そういう者はかえって、その具体的状況を何ら斟酌せずして他人に対して安易に「自己責任」という言葉をぶつけるような真似はしまい。自らのスネに傷がある者、あるいは、どこか後ろめたいものを薄々感じてはいるが、しかし同時にそれを認めたくはない者、さらには自分の成功や安定は実は自分の能力や努力の帰結ではなく「まぐれ」でしかないことを認めたくはない者が、自己防御の身振りとして使用しているケースが多いのではないだろうか。

 

その典型が、多くの経営者である。インセンティブベースのストックオプションの形で業績好調の際には不釣り合いな高額の報酬を得たり、お手盛り同然の役員報酬につり上げたりする一方、従業員に対しては適正な分配をせず出し渋りする。それどころか、人件費を削るため安易に雇用責任を放棄し、「備品」調達のノリで派遣従業員で人員を調達し始める。酷い会社となると、雇用契約から業務委託契約に切り替える。やりたい放題である。

 

事何か起これば整理解雇するしか能のない経営者が「自己責任」と口にする時には、必ず「但書」が添えられている。すなわち、「自分はこの限りに非ず」という但書だ。解雇が一概に悪いというのではない。解雇規制が実態にそぐわないケースもあろう。だが、他人に多大な不利益を強いるのであれば、自らも応分のリスクを背負うべきだ。整理解雇が状況によって必要な場面は、もちろん存在する。したがって、やむを得ない場合もあろう。但し、雇用責任を全うできず整理解雇せざるをえないような事態を招いた経営陣も経営責任をとって会社を去るべきであろう。

 

経営が傾くも、職位と報酬に相応な責任をとることはなく、せいぜい役員報酬の数%をカットする程度でお茶を濁す。これまで支払われてきた高額報酬が没収されるというような当然課されるべきペナルティもない。仮に、今辞めたとしても、逃げ切れるだけの蓄財をしているわけだ。明日から路頭に迷う心配はもちろんない。

 

そういう「逃げ得」を許さないために様々なペナルティ条項を委任契約に明記したとしても、雇用契約の場合と違って労働基準法24条等に抵触することはないのだから、「自己責任」を他人に向けて吐く経営者は、率先して委任契約の条項に、その職位と報酬に見合った責任を負わせる旨の条項を加えるなどしてはいかがか。少なくとも、公的資金を注入して救済された銀行の経営陣らの個人資産を全て没収するくらいのペナルティを与えなければ、リスクとリターンの著しい不均衡は解消されない。

 

高額報酬が背負うリスクと責任に見合うものであるならば、誰も文句は言わない。問題は、そうなっていないということなのだ。自らの経営判断の誤りによって他人を路頭に迷わせ、ともすればその生命すら事実上殺めてしまいかねない可能性を常に抱えている経営者に対しては、いざとなればその財産と生命を差し出させるくらいの負担を強いて然るべきなのである。それが嫌なら、経営者にならないことだ。

 

他方で、使い捨てられる従業員は、その職位と対価に見合う責任を担わされるという多大なリスクを抱えている。タレブに言わせれば、ダウンサイドだけ負わされて、アップサイドが与えられていないというわけだ。こうした状況は、決してフェアな状況とは言えない。自らが背負い込める以上のリスクを他人に背負わされる一方、自分が抱えるリスク以上のリターンを掠め取る連中に、「自己責任」の一語を他人にぶつける資格はないのである。

 

ウォール街の元オプション・トレーダー兼クオンツで、確率論や不確実性の科学や認識論の研究者でも知られる作家ナシーム・ニコラス・タレブが、倫理について興味深い視点を提供している。タレブは、誰かがアップサイドを手に入れることにより、もう一方が知らない間にダウンサイドを負わされ損を蒙っているという事態をアンフェアであると言う。こうしたアンフェアな状況を利用して何ら責任のない者にダウンサイドを負わせることは、倫理として許されないことだとタレブは言うのである。

 

罪刑法定主義」や「比例原則」の考えの元になったとも言うべき「ハンムラビ法典」を評価するタレブの主張によると、世界には3種類の人々がいる。一つ目は、リスクを取らずに他人から利益を貪り傷つける人々、二つ目は、他人から利益を奪うこともないし、また他人を傷つけることもない人々、三つ目は、他人のために自己を犠牲にして率先して害を引き受ける人々である。

 

伝統的な社会では、三つ目の人々こそが「英雄的」とされ称賛され、価値ある生き方とされてきた。他人のためにどれだけダウンサイドを背負う覚悟があるかでその人の価値や評価が決まったというのである。タレブが挙げる例は、騎士や将軍や聖人である。

 

逆に、現代では一つ目の人々が増え、明らかに利益と不利益の非対称性が大きくなっている。いわゆる「エージェンシー問題」がその典型である。タレブが挙げる例は、銀行家や企業幹部や政治家や評論家など、社会から「無料オプション」を掠め取ってデカい面をしている連中だ。

 

タレブは、もちろん「富裕層」ないしブルジョアを糾弾しているわけではない。また、資本主義を批判し社会主義を礼賛しているわけではない。したがって、資本家や経営者を糾弾し、労働条件の待遇改善を主張したいというわけでもない。労働者が一方的に搾取されていると非難しているわけでもなければ、福祉国家を望んでいるわけでもない。

 

僕から言わせれば、むしろタレブは社会主義とは真逆のリバタリアンである。しかし、リバタリアンであればこそ、アンフェアな事態は倫理的に容認できないという立場なのだろうと思われる。要は、(潜在的)リスクとリターンの著しい不均衡によって他人に害を及ぼすことは倫理的に悪であるというもの。

 

タレブの提案は、成功したか失敗したかに関係なく、起業家やリスク・テイカーなどをピラミッドの頂上に置くべきであり、反対に、他人をリスクに晒すくせに自分ではリスクは負わない非倫理的な人々をピラミッドの底辺に置くべきというものだ。それなのに、現代社会ではその逆を行っていると言うのである。

このタレブの主張には賛同できる点とそうでない点もあろう。はっきりしていることは、「金持ち」は「貧乏人」から搾取しているというような乱暴な議論には与していないということである。「金持ち」がフェアな状況で(つまり「無料オプション」を掠め取っているわけではない状況で)、しかも他人を傷つけずに「金持ち」になることは、何ら咎められることではない。「金持ち」であろうが、そうでなかろうが、リスクとリターンの著しい不均衡をおいて、自分は利益を得つつ、不利益については他人に負わせるだけのアンフェアな行動をとることが倫理的非難に値する行為なのだということなのである。