shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

「新しい人」と「永遠の夢の時」-大江健三郎逝去

大江健三郎が88歳で老衰のため逝去という報を目にして、しばし茫然とするばかり。何とも言い難い虚脱感のような感覚に捕われ、仕事に身が入らない状況だ。

 

この報を目にしたのがつい先日であったので、おそらく、葬儀その他諸々の行事を親族だけで済ませて一旦落ち着いたところで公表したということなのだろう。年齢が年齢だけに、いつこのような事態が訪れても不思議ではなかったものの、いざ現実を突きつけられると、茫然自失状態に襲われるよりほかなかった。

 

高校生の時に読んだ『芽むしり仔撃ち』に衝撃を受けてから、ほぼすべての作品を読み親しんできた者として、そのあまりに偉大な文学的業績を残した現代世界文学最高の作家の喪失をどう受け止めていいのか。巨星墜つ、戦後日本文学は終わりを告げた。

 

ただ、若い頃から自裁の念に取りつかれてきた大作家が、そうした悲劇を迎えるのではなく、老衰というかたちで天寿を全うしたということに、『燃え上がる緑の木<第三部>大いなる日に』のラストではないけれど、Rejoice!という言葉を呟くべきなのかもしれない。


他の作家と比べるのが正しい態度なのかどうかはわからないが、大江健三郎の文学的才能は、どう考えても、その他の作家のそれを圧倒的に凌駕しており、そのあまりの偉大さが屹立していたために、ほとんど孤立していた作家でもあった。もちろん、交友関係は広く、多くの仲間から信頼され尊敬されもしていたことには違いないけれど、その文学自体は孤立していたというほかない。

 

政治的な思想の表層においては真逆のスタンスではあったが、そんなことは些細な相違でしかない。いや、右にも左にも、それこそ「揺れ動くヴァシレーション」アンビバレントな要素を持った存在。おそらく、政治的な表層でしか物事を判断できない愚かな者たちにはわからない両面価値的な含みを最初に嗅ぎとっていたのは、三島由紀夫だった。橋川文三『日本浪漫派批判序説』を読めばわかる。別の側面から言うと、小林秀雄が大切にしていた本居宣長直筆の書をなぜ大江健三郎に手渡していたのか、その意味を深く考えたこともない連中が「保守」を名乗るがちゃんちゃら可笑しいのと同様に、そうした連中は何一つ日本のことなどわかってはいない。

 

文学的業績の点では遥かに三島の上を行く存在であることは、いくら政治的な意見が異なろうと一目瞭然であり、肩をならべられる存在を探そうとするなら、谷崎潤一郎くらいなものではないだろうかと思えるほどであって(安部公房にも勝るだろう)、その違いすらわからない連中に日本文学を語る資格は毛頭ない。

 

大江健三郎が東大仏文科在学中に著した「奇妙な仕事」、「死者の奢り」、「飼育」などを目にした川端康成は開口一番、「異常な才能」と言い、またその川端がノーベル文学賞を受賞したとの報が流れたその日にお祝いに駆け付けた弟子の三島由紀夫が「次に日本人がノーベル賞をもらうなら、俺ではなくて大江だよ」と述べていた通り、当然の栄誉として授与されたノーベル文学賞が前面に報道されがちだが、仮にノーベル賞受賞を逃していたとしても、それがノーベル財団の恥となるくらいの圧倒的な作品群。

 

書くことは山ほどあれど、いざ書こうとしても力が入らない。ある程度時を経て、心の落ちつきを取り戻した際、改めて大江文学について、それこそギー兄さんに向けて幾通も手紙を書くことになるかもしれない。いまのところ、これだけは言えそうだ。

 

「新しい人」でありながら、「永遠の夢の時」の住人。大江健三郎はそんな人だったと。