shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

京都の志村

 数学者ジョン・コンウェイがCOVID-19の発症後、間もなくして肺炎で亡くなったという報がプリンストン大学から流された。コンウェイの専攻は数論であるが、学生の頃にウィリアム・パウンドストーン『ライフゲイムの宇宙』を読んでその名を知り、計算機科学の基礎論に若干興味を持った関係で、その元となるジョン・フォン・ノイマンアラン・チューリングそしてクルト・ゲーデルの業績を集中的に読むのにはまっていた時期に、関連していくつかの論文を目にすることがあった。もっとも、今では仕事で用いる関係上、確率解析論関連の学術論文を読むことはさほど困難を感じなくなったが、専門外の数論関係の論文となると、更に抽象度が増すために至難を極める。しかし、「数学の女王」といえば数論に決まってるという素人なりの思い込みがあり、また強い憧れを抱き続けてきただけあって、何とか追えるように勉強してきているつもりではあった。

 

 数論といえば、本ブログでも昔から度々言及してきた望月新一京都大学数理解析研究所教授のABC予想についての論文が証明に成功との報が流されたようで、世界中の数論幾何学の専門家による8年がかりの査読の結果、数理解析研究所が発刊する国際的に定評のある学術誌に掲載される運びとなった(もっとも、疑問を呈する声もあると耳にしているが)。京都大学数理解析研究所は名実ともに我が国最高峰の研究機関であり、そのスタッフの陣容といい積み上げらてきた業績といい他を圧倒するものであって、我が国が世界に胸をはれる極く少数しかいない学者集団でもある。大学教員のポストを得ているだけで世間からは「学者」・「研究者」との体裁を保ってはいるものの実態はさしたる業績も残せないエセが蔓延っている我が国のアカデミズムの現状を思う時、真の学者とはどういう者かということを我々に告げ知らせてくれているかのようだ。

 

 文科系に関しては昔からそうだったが、理科系ですら最近では優秀な層も学究生活を目指さなくなり、国際金融やIT関連の職を志望する傾向が著しくなったことをマイケル・ルイスが嘆いていたが、欧米では特にその勢いに拍車がかかって久しい。数学科でも昔は数論や代数幾何学の専攻を志望する者が多かったのが、今では確率論・確率解析など金融方面にも直接役立つ分野を志望する者が多くなっていると聞く。純粋数学理論物理学といった成果を出すには飛びきり上等なオツムが要求される分野に資質の恵まれた最優秀層が目指さなくなるのは人類の知の発展にとって大きな損失なので、是非ともその資質を存分に数学研究や物理学研究に傾注してもらいたいものである(金儲けは僕のような凡人にお任せあれ!)。

 

 こうなってしまったのも、純粋数学理論物理学のアカデミズムでのポストに就くのが至難の技で、単に才能に恵まれるだけでなく運の要素にも左右されるので、その道を選択するのはプロスポーツ選手の第一線で活躍することを目指すのと同様、相当なリスクテイクを強いられ、またそのリスクテイクに見合うような報われ方がされないからである。文科系の場合は就職市場からはなから相手にされない者が行き着く先として大学院があるわけだが、数学や物理学においてそうであっては困るわけである。もちろん、理科系の大学院は文科系の大学院より遥かにマシであろうが、研究職が刺激も魅力もなくしてしまっては国家の一大事である。

 

 ちょうど8年前にABC予想証明発表のニュースを耳にした時も、その衝撃のあまりブログで適当なことを書き散らかしたかと記憶している。論文の逐一を追えるほど頭の出来がよくない僕のようなチンピラがとやかく言える資格などないが、その数学の極めて洗練された「格好よさ」だけは肌で感じとることができ、専門外の法学徒の若造ながらも「この人は、正真正銘の天才に違いない!」という確信を抱いてきただけに、現実に証明が成功したらしいとの報を耳にすればその喜びも一入である。フィールズ賞受賞者ではないものの、かなり前から望月新一の名声は轟いていたわけで、事実、その業績の一端でも早期に発表してフィールズ賞受賞の年齢制限に間に合うようにと助言する声もあったようだ。しかし望月新一教授は賞などにまるで関心がなかったようで、黙々と自分の研究に邁進してきたという。学会活動にも消極的で、名誉欲にまみれたどす黒いアカデミズムの住人にありがちな臭いとも無縁である。途中経過の成果を惜し気もなくウェブ上にアップし(確か、お弟子さんにあたる院生の修士論文もアップされていたが、修士論文にしては相当出来の良い論文だったと記憶している。それには僕のようなアホでも何とか最後までついて行くことができた)、万人に公開するという太っ腹な姿勢も注目された。我々凡人とは遥か高いレベルの世界に住んでいるのだろう。

 

 優れた数学者だからといってその人がフィールズ賞受賞者となるかと言えば、必ずしもそうではない。受賞者でなくとも、そこらの受賞者より遥かに優れた業績を残した数学者もいるということを忘れてはならない。ノーベル賞にもその傾向があろうが、どうしても西洋人を優遇しているとの疑念を払拭できないわけで、仮に「ノーベル数学賞」があって年齢に関係なく授与されるとするならば、日本人数学者の受賞者は少なく見積もっても両手では足りないものと思われるほどだ。「ノーベル経済学賞」という名の「アルフレッド・ノーベルを記念するスウェーデン国立銀行賞」など不要なので、これを廃止して「ノーベル数学賞」を創設する方がよほど良いのではあるまいか。今では、「アーベル賞」が創設されているとはいえ、ノーベル賞知名度とは雲泥の差であるので、人類最高級の知性を讃えるには最も相応しい扱いなのではないかと思われるのである。とはいえ、ともすればフェルマーの定理の証明に成功したプリンストン大学教授アンドリュー・ワイルズに対してフィールズ賞特別賞が例外的に授与されたように、望月新一に対しても授与されることも考えられる。今回の証明はそのくらいの偉業なのだそうである。こうした慶事に続くことだったからこそ、同じプリンストン大学繋がりのコンウェイが亡くなったという悲報はつらい(そういえば、望月教授もプリンストン大学出身だったはずだ)。

 

 昨年のこの時期、同じくプリンストン大学教授であった数学者志村五郎が亡くなったはず。志村五郎といえば、多少数学にコミットした者ならば、たとえ専門の数論の専攻者でなくとも誰もが知るところの日本を代表する世界的な数学者であり、その圧倒的な業績を前にすれば、極端な表現になろうが、大部分の研究者の業績がほとんどゴミ同然に思えてしまうほどだ。一般には、ワイルズが証明したフェルマーの定理の証明に貢献した日本人数学者の数々の業績の一つとして、「岩澤主予想」と並んであげられる「谷山・志村予想(証明されたので谷山・志村定理というべきか)」で知られているが、それのみならず虚数乗法論や志村多様体などの業績を残し、アーベル賞を受賞する可能性の最も高い日本人数学者だったといってよい。仮に、今も現役で活躍している日本人数学者で受賞の可能性があるのは、先ほどの望月新一京都大学数理解析研究所特任教授の柏原正樹ではないだろうか(あくまでド素人の感想だけど)。

 

 僕は、一度だけ志村五郎に直接会ったことがある。それは、ちょうど法学部に進学した大学三年の頃の夏期休暇の時期だったと記憶している。祖父母のいる西宮に泊まっていたから確かだと思う。なぜか知らないが夏期の特別講義が京都大学理学部で催されていて、その中に志村五郎プリンストン大学教授による特別講義があり、ミーハーな僕は「あの志村五郎が一時帰国してるんだ。こりゃ見に行かねば」と、まるでスーパースター見たさに馳せ参じたわけである。さほど大きな教室ではなかったが、聴講者には京大の教授陣も何人かいて、その中には当時理学部の教授であり今はシカゴ大学教授に就いている加藤和也もいたかと思う。ちょっとした興奮状態であったところに、町工場のじいさんみたいな人が教室に入るや無言で黒板に書き始めるではないか。黒板を掃除する用務員のおじさんが何を血迷ったか訳のわからないことを書きなぐり出したのかなと一瞬疑いはしたものの、書かれた内容をよく見るとディリクレのL関数だったので、「このじいさんが志村五郎なのか!」とぶったまげたものである。

 

 勝手なイメージながら数学者は板書のスピードがやたらと速い人が多いと思っていたが、志村五郎は年のせいもあるのかひじょうにゆっくりしたスピードでしかも丁寧な書きっぷりであった。とはいえ、筆圧が弱いために字が薄くて読みづらくもあった。神保町の明倫館書店で買った志村五郎の大阪大学助教授時代に書いた虚数乗法論に関する書籍を持っていたから持参してサインでももらっておけばよかったと思ったと後悔したものの、講義終わりに話をすることができたのは幸せな経験だった。講義内容は大学院生向けのものだったからディレッタントの域を出ない僕でさえ何とかついて行くことができたわけだが、その時のノートは今も大切に保管している。