shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

安倍晋三革命政権の打倒

 新年度が始まる4月1日に、いよいよ予定されていた新元号が公表される。我々民族派は、この不敬極まる国賊安倍晋三政権に対して総理官邸前をはじめとした都内中心部での抗議街宣活動や国民に対してもこのような君側の奸による暴挙を許してはならないことを周知徹底させるための演説会などを展開しているが、どうも事の重大性を理解できていない国民が大多数であることが否めず、そのことに些かの虚しさを覚える。マスメディアも全く問題がないかのようにやり過ごしている。考えてみて欲しい。そもそも元号制定権は法的な次元を超えて歴史的には上御一人であられる天皇に存し、たかだが宰相の地位にあるだけの安倍晋三にあるわけではない。元号法制化を祈念して自決された大東塾・不二歌道会の影山正治先生が見ておられたらどうされるだろうか。安倍には『維新者の信條』を読めと言っても無駄なのかもしれないが。

 

 神武天皇による建国の御創業以来、我が国の2679年の歴史において、新帝御即位前での元号前倒し発表などという愚挙はありえなかった。これまでに藤原不比等藤原道長北条泰時長崎円喜足利義満織田信長豊臣秀吉徳川家康徳川家光など栄華を極めたいかなる権力者もかくのごとき畏れ多いことはやらなかったのである。天皇元号制定権を蹂躙するということは、時が天皇の御代であることそのものを否定することであり、これは時間的連続性のもとでその正統性が継承されていることを象徴する時間支配権を否定するということであって、ひいては皇国の歴史・文化・伝統をも破壊するという逆賊的な行為でもある。今上陛下の御譲位は4月末日である。当然に剣璽等承継の儀が行われておらず、新帝の御名御璽もない。したがって元号とは言わない。4月末日までは今上陛下の御代であって、新帝に即位あらせられる予定の東宮の御代ではないのである。勅定なき元号は未だ元号に非ず。それを利便性だか何だかに拘り前倒し発表し、あろうことか安倍自身が新元号についての政治的パフォーマンスとして抱負を述べるなど我が国の歴史・伝統に対する畏れのない思い上がりも甚だしい行為である。このような皇室伝統を愚弄するかのような暴挙は断じて許されない。

 

 思えば、増上漫の安倍晋三は陛下の大御心を蔑ろにするような言動をたびたび行ってきた。想像するに内奏時での陛下の御下問に対してもロクな上奏もしていないことがうかがえる。譲位の御意向を示された直後に宮内庁長官を差し換えるなど嫌がらせともとれることもしているし、あろうことか慰問のための行幸を茶化すかのような言動も弄したと耳にする。もし事実ならば万死に値する。思い起こすだけでも怒りに震える振舞いだが、御譲位についての有識者会議における櫻井よしこの発言は、今上陛下がどのような思いで被災地や戦地跡に赴き、亡くなられた方々に祈りを捧げておられたのか、朝な夕なに民安かれと祈られている聖上に対する敬慕の念を微塵も感じさせないものであったし、中には陛下はただ祈っていればいいなどと不敬極まる暴論をまくしたてていた輩も存在した。陛下が敢えて国民に対してテレビでの玉音放送を通じて述べられた御言葉に込められら御心を拝慮するならば、安倍晋三石原慎太郎やその取り巻きの連中には明らかに陛下の大御心がまったく伝わっていなかったのである。

 

 我が国には、侵してはならない聖域というものが存在する。それは言うまでもなく天皇の御存在である。人知が想起できるような理由などない。だめなものはだめ、ただそれだけである。警察も安倍晋三を守るべく、我々行動右翼の正当な抗議に対して過剰警備で応対することしかしない。警視庁は桜の代紋を掲げている。これは何を意味するのか。桜田門前にひかえる警視庁が宮内庁を除くどの官庁よりも皇居に近接しているのは、事なにかあれば皇室を御護りする使命があるからである。薩長土肥藩閥政治への評価とは別に、川路利良大警視の志が継承されていないのである。桜の代紋とはその使命に対する覚悟の証でもあるのだ。警察は一体何を守ろうとしているのか。国体かそれとも安倍晋三なのか。中野正剛建武中興史論』は次のように言う。

重圧に対抗するには抵抗あるのみ。抵抗するよりほかに弾圧を緩和する道はない。権力によって弾圧を加えたら、抵抗するよりほかない。屈従すれば相手はどこまでも増長する。俗悪なヤツほどそうだ。諸君は正しきを以って戦え。敵でもなんでも、強い弾圧にたいしては強い抵抗。抵抗のみが圧迫を緩和する。憐憫に訴えて手加減を願うということはダメ。権力の手先になっているヤツに人の情をかける者はめったにあるものじゃない。恐怖のみが彼らを反省せしめる。

 

 はっきりしておこう。安倍晋三政権は、戦後民主主義が生み出した最も悪質な左翼革命政権である。我が国の国体をその内部から蝕んでいくことを目的とした革命政権であり、このような売国奴の集団を打倒すること。ここに我々の当座の目的を絞らねばならない。安倍の目指す憲法改正案がロクな改正案でないことも明らかとなった。靖国神社の御英霊を蔑ろにし、次は皇室への不敬ときた。今、我々民族派のなすべき行動は、一刻も早く朝敵である安倍晋三革命政権を打倒し、かかる不敬の輩を権力の座から引きずり降ろし、二度と御所に近づけなくせしめることである。

 

 聖寿万歳、皇尊弥栄

The Bloomsbury Companion to Ethics

 日本から街の小さな「本屋さん」が消えていく趨勢が収まる気配はなく、むしろその勢いは加速しているように見える。そして「選択と集中」の結果として、都市部は特に大型書店だけが繁盛する傾向が著しい。そうした時代中でも、京都の一条寺に店を構える恵文社が特色ある「本屋さん」として僕のお気に入りの一つである。だが悲しいかな、京都在住者ではないので頻繁に通うわけにはいかない。きっと細々とであれ続いているものと願っているが、この「本屋さん」は、外観上とても書店には見えないところからして既に個性を発揮している。一乗寺という場所は、大学が狭い街に密集している場所柄のせいか大学生・大学院生の下宿が他の場所に比べて相対的に多いということ以外は繁華街から離れたごく普通の情緒ある住宅街である。強いて言えば、特徴のあるラーメン屋が密集していることで有名ゆえ僕のような他都道府県からの訪問客もそこそこいるといった程度である。交通にしても、京都市街地より北部の出町柳-鞍馬間または出町柳八瀬比叡山口間を走る叡山電鉄というとても使い勝手がよいとは言えない路面電車の一条寺駅が最寄の静かな佇まいをみせている街だ。だから、よほど京都をくまなく歩いている者でなければフラッと立ち寄ることもないだろう。

 

 恵文社はその一角にある。洒落た喫茶店かアンティークショップなのかなと思える店構え。店内の明かりも白色ではなく、古びた喫茶店のようなやや茶色ががった明かりが灯されていて、店内もほんわかした風情。そうした雰囲気もさることながら何より個性的なのは、小さな書店でありながらも品揃えが豊富に思える点である。おそらく卸問屋の言われるに任せて陳列するのではなく、店主や店員が各分野で面白そうな本を個別に選び出しているのだろう。その代わり、一般書店で積まれているベストセラー本や通俗的なビジネス本や自己啓発本の類は置かれていない。もちろん、一般書店の店頭に山積みされている元放送作家の国辱モノの本の類も置かれていないだろう。受験参考書などもってのほか。そんな無粋な本はこの書店には似つかわしくないとばかりに個別にセレクトされた本の陳列にセンスを感じさせる。絵本の品揃えが目立つが、その絵本も店主が実地に検分してよいと思ったものを選択して店棚に陳列していることがうかがえる。贅沢をいわせてもらえば、まっとうな自然科学や社会科学の本も充実してもらえたらと思う。対して人文系の品揃えはあの規模の書店にしては豊富である。ニューヨークにいる時は、職場に近いバーンズ・アンド・ノーブルという大型書店に立ち寄ることが多いが、日本の大型書店と違って(ジュンク堂丸善は、かなりマシな方だと思うが)レイアウトがよく、何時間も時間をつぶせる。

 

 ところで、日本と米国あるいは英国の出版環境が大きく異なると思えるのは、一般の啓蒙書と専門書との懸け橋になる中間的な書物が充実しているという点である。特に自然科学系の書物にその傾向が強い。日本と違ってポピュラーサイエンスの書物の中でもバカにできない水準の書物は断然充実しているといってよい。日本には少年向けの講談社ブルーバックスのシリーズが科学啓蒙書として歴史を有するが、その中には例えば南部陽一郎クォーク』や竹内外史『集合とは何か』あるいは和田純夫量子力学が語る世界像』などの名著も数冊あるものの、基本的に少年向けの書物が多いので如何せん内容が薄すぎる。概して日本の一般的な啓蒙書の中には誤解を招きかねない危うい書き方をしているものが多いし、しかも内容が希薄なものだから一知半解のまま「ものすごい世界」に突き進んでしまう読者があまた生産されてしまうという悲劇=喜劇が反復されたりもする。例えば科学に関心のある者ならば誰でも手にするだろう相対性理論量子力学に関する一般的な啓蒙書となると、その情報量は驚くほど少ない。そこから更に学びたいと思う者が次に手にするのはいきなり専門書ということになってしまう。

 

 特殊相対性理論に関してはテクニカルな知識は不要で、高校生程度の数学や物理の知識さえあれば容易に読めるだろう。しかし一般相対性理論ともなれば事情が違って、やれテンソル解析は出るわ非線形偏微分方程式は出るわで挫折を余儀なくさせられる人が多いだろうと想像する。もちろん、一般相対論の重力場方程式の意味を理解しよう思うなら、リッチ・テンソルだのエネルギー・モーメンタム・テンソルだのスカラー曲率だの重力ポテンシャルだのといった諸々の概念の意味を理解することは必須で、逆にリーマン幾何学すら理解できないとなれば重力と時空の曲率との関係をなぜ重力場方程式が表現していることになるのかという肝心要のことが理解できなくなる。数式は単なる計算の道具ではない。理論物理学のような抽象的な概念を扱う分野においては特に、数式は概念を表現する言葉そのものだからだ。その数式の意味が理解できていないということは、すなわちその抽象的な概念を理解できていないということである。だから問題は、一般の啓蒙書と専門書を橋渡しする中間的な書物がないということなのである。内井惣七アインシュタインの思考をたどる』(ミネルヴァ書房)は科学哲学を専門とする者による書物で、一般相対性理論が時間や空間の哲学にとって持つ意味を知る上で必要欠くべからざる核心部分に的を絞った解説書である。特殊相対性理論においてローレンツ幾何学で表現されるミンコフスキ空間についての丁寧な解説から始め、一般相対性理論の解説の段ではメトリック=計量の持つ意味に触れた説明を含めて数学的形式の持つ物理学的意味を中心に論じている点において、ともすれば数学的形式のみが前面に出がちな他の解説書とは一味も二味も違った個性を発揮している。更に、物理学者の中にも誤解が見られがちな一般共変性やホール・アーギュメントの問題も取り上げてあおり、おまけに量子重力理論の中で注目を集めている無時間的な物理理論も最後にさらりと紹介している点が心憎い良書である。テクニカルな側面については石井俊全『一般相対性理論を一歩一歩数式で理解する』(ベレ出版)が文字通り一歩一歩基礎的レヴェルから数式を追って一般相対性理論の導出過程から理解させようと試みた優れた道案内の役割を果たしている。こうした例外的な書物もごくわずかながら存在することは確かである。

 

 しかしこの点では、米国は一歩も二歩も進んでいる。例えば相対論に関する中間的な書物としてはジョン・ホイーラーとエドウィン・テイラーが著した『時空の物理学-相対性理論への招待』(現代数学社)という名著がある。それだけでは満足できないというのであれば、ジョン・ホイーラーとチャールズ・マイスナーとキップ・ソーンが書いた電話帳以上に分厚い『重力』(GravitationとしてFreemanから出版されている。邦訳があるのかわからないが、もしされていなければ即刻邦訳されることが望まれる。米国の研究の裾野が広いことを知らされるような書物である)という書物がある。もちろん後者を素人が読みこなそうと思えば大変で、僕も辞書代わりに利用しているにすぎない。それでも『時空の物理学』は古い本ではあるものの、さほどの分量ではなく理解を確認するための演習問題も充実しており、僕のような素人でもついていくことができたくらいなので、この方面に興味関心を持つ僕のような素人の一般読者は、それこそ演習問題を全部とは言わず一部でも解いていこうとする面倒を惜しまないならば、必ずや一定の理解にまで至れるものと思われる。そもそもジョン・ホイーラーといえば宇宙物理学の分野では誰もがその業績を知っている大家中の大家である。弟子も数々のビッグネームが多く、長く合衆国大統領直属の科学顧問を務めていたことでも知られ、マンハッタン計画やその後の水爆開発計画においても貢献した。キップ・ソーンにしても相対論の分野における大家として知られ、その『ブラックホールと時空の歪み-アインシュタインのとんでもない遺産』(白揚社)という一般書は問題の水準を落とすことなく、しかも一般の読者の興味を満足させるような本である。その道の大家が相当な労力を割いてこのような中間的な書物を著すということが如何にその上を目指そうとする次世代の層を厚くするのに資するかということを考えると、なるほど英語圏の研究のレヴェルの高さも納得できるというもの。残念ながら、日本にはそうした「啓蒙の志」が欠けている。

 

 このことは哲学・思想系についてもいえる。もちろん自然科学のように素人と玄人との圧倒的な断絶がはっきりしている分野ではないが、それでもこの細分化・専門化が進行した時代において、素人と玄人との境界はおぼろげながら存在する。数理論理学や物理学などの知識を要する専門性の強い一部の哲学領域ともなると尚更である。そうすると、一般的な啓蒙書と専門書との間の中間的な書物があってもおかしくないはずである。現に米国では、先述の自然科学系と同様に、より専門的な興味関心を満足させるための哲学・思想系の中間的な書物が充実している。専門家の中で今何が中心的に論じられているのか、特にどの論文が注目されているのかといったことについて、テーマごとに紹介している書物が多くある。例えばOxford HandbookのシリーズやCambridge Companionのシリーズなどがそうである。一般的な啓蒙書をきっかけとして哲学や倫理学などの思想系に関心を持った者、特にそれを専門としないまでも興味関心を持ち続けている者に対して、専門研究の中心課題として何がどのように論じられているのかについての情報を供してくれるこれら書物は貴重である。日本の哲学業界でも「岩波講座」や「現代思想冒険者」シリーズなど全くないわけではないが、どうしても物足りなさが残る。新書の類は粗製乱造され、ごく一部の例外はあるものの正直言ってロクなものがない。「~入門」だの「超解読~」だのといったド素人の出来の悪い作文が氾濫しているばかりのお寒い状況。驚くべきことに、哲学者・倫理学者と名乗るのが恥ずかしくないのかと思われるような著者による「入門書」も溢れている。酷いものになると、古代ギリシア・ラテンの教養に欠け、これまで蓄積されてきた膨大な研究成果に一顧だにせず単にプラトンを読んだ後の感想をプラトンの入門書として世に出すような厚顔無恥な者までいるという悲惨な状況である。入門書というのは本来、一応その道で精進してきた研究者もしくはそれに準ずる者としてその業界で認められている者が書くべきという原則があって、そういう「標準」となる定評のある書物がオーソドキシーとして確立しているからこそ、それに反旗を翻す「異端」の側からの読み方が新たに提示されることに意味が認められるようになるわけだが、ハチャメチャな素人の独りよがりの見解を「入門書」として江湖に出すというのはまともなことではない。

 

 そうした者に書かせる編集者も大概だが、そのような通俗書は学問の発展を阻害することにしかならないわけだから、たとえ一定数売れるとの算段がたっても出版人の良心にかけて敢えて出版しないという矜持をもってもらいたいものである。時々、「世紀の大発見!」であるかのように当人や当人の周囲の数人しか支持していない珍説を自信満々に発表する者がいるが、それを「標準」的な学問的知見であると喧伝して出版するようになればおしまいである。もっとも中には、児玉聡『功利と直観-英米倫理思想史入門』(勁草書房)や安藤馨『統治と功利-功利主義リベラリズムの擁護』(勁草書房)といった出来のよい書物は確かにある(後者は入門の域を出てるかもしれないが)。他にも個別には良書と呼べるものがあるに違いない。

 

 しかし、現在の倫理学研究の最前線でどのような議論が展開されているのか、その全体をサーヴェイできるような書物がないのである。最近でこそ徳倫理学の基本論文のアンソロジーが出されるようになったが、まだまだ薄く研究者の責務怠慢の感が無きにしも非ず。功利主義の研究にしても、欧米の研究では経済学との関係を踏まえて論じられることが一般だが、日本のそれは必ずしもそうなっていない。おそらく単にミクロ経済学に不案内の者が多いからだと思われるが、経済学に対する賛否にかかわらずこれを踏まえていないような功利主義の研究など大して実を得られる研究にはならないだろう。「快楽」概念から私的「選好」概念に組み替えられ、この選好集合の無矛盾性とその選好集合からの選択行為をもたらす原理としての合理的選択の原理が議論され、この合理的選択による公共的規範の導出が問題になっている欧米の功利主義の研究動向からみればなおさらそう思われてならない。日本やシナなど東洋の倫理思想の研究にしても、学説史の整理はそこそこ進展してはいるものの、それを基底として倫理学を展開していく者はなかなか現れない。未だ和辻倫理学は乗り越えられていない有様である。とかく我が国の研究者は一過性の流行には敏感に反応する傾向が見られるが、じっくり腰を据えて研究する態度に欠ける者が多く、これでは「正統」に対する「異端」の反逆も勢い腰砕けになってしまうだけに、まっとうな「正統派」の研究者も出てもらわないことには困るというものである。「族」は「お巡り」がいてこそその暴走も盛り上がるわけであって、今はその「お巡り」がグダグダな状態になっているのだ。

 

 この点で、ロンドンのウォーターストーンで購入したThe Bloomsbury Companion to Ethics,Bloomsburyは、僕のような倫理学の素人にとって全体を鳥瞰する上で役に立つ書物だった。全体で約500頁の小さなフォントでびっちり文字が詰まった書物で、冒頭にこの書の利用方法から対象としている読者層は誰かを述べ、今日のメタ倫理学や規範倫理学の展望と、そこに至るまでの倫理学史の概観、重要な倫理学上の方法論的問題や専門用語の紹介を一通り触れた後に、道徳実在論や表出主義や道徳と実践理性との関係や心理学との関係、帰結主義、義務論、徳倫理、フェミニスト倫理などのトピックを詳細に論じ、さらには今後の研究動向として実験倫理学や生物学なかでも進化論と倫理との境界にある道徳起源論の問題にまで触れている。

 

加えて、読むべき著作や論文のデータベースも紹介して、ここから更なる勉強を積み増しして行こうと志す者への便宜も図っている。おそらく倫理学をこれから研究していこうという卵にとって、自らの方向性を定める手がかりとなることだろう。もちろん、すべてを組み尽くせているわけではない。確かに英米系のテクストに偏っていて東洋の倫理思想はほとんど触れられいないし、フランス現代思想における倫理学的側面に関してもフーコー以外は無視されている点は否めないが、今日、倫理学の世界的な主流は哲学と同様に英語圏のそれであるのだから、この傾向に批判的な者からしても叩き台としてこれを役立てることができるだろう。

国家緊急権と例外状態

 自由民主党憲法改正推進本部は、改正条項に国家緊急権を条文化することを提案している。周知の通り国家緊急権とは、戦争や内乱及び大規模な自然災害や経済的困難など平時の統治機構では対処不可能な非常事態において、国家権力が国家の存立すなわち現代では憲法体制の存立の維持をかけて立憲的な法秩序の全部または一部を停止し、執行権者に付与された非常措置を執る権限のことを指す。憲法秩序を保障するために一時的にであれ、立憲的法秩序を停止させるという意味で憲法保障の側面を有しつつも、同時に立憲主義そのものを恒久的に破壊せしめる危険性を併せ持つがゆえに、特に日本の憲法学で真正面から議論されることがなかったといっても過言ではない論点の一つでである。

 

 もちろん、全く議論がなかったとまでは言えない。事実、国家緊急権を日本国憲法上どう位置づけるのか、それを直接認める明文規定を欠いていることから複数の学説が存在している。その中で有力な学説は、日本国憲法が明文で国家緊急権を認めていない以上、恣意的に運用されかねない国家緊急権を認めることは憲法の許容するところではないという解釈である。この解釈は、仮に国家そのものの存立にかかわる非常事態が出来したとしても、それはもはや事実上・政治上の問題であるとして憲法理論から放逐すべきであるとの考えを背景にしている。しかしこの問題は、戦争や内乱その他重大な危機などのために通常の制度的枠組みを前提としていては国家自体の存立にかかわる事態に言われるということでしかないということを改めて想起する必要があるように思われる。

 

 なぜ国家緊急権が問題となるのか。それは、国家それ自体の存立にかかわる事態に対応して国家の「国家性」のみの要求が前面におしだされるなかでも、辛うじてもう一方の「規則性」・「法治性」の要求に応えうるにはどのような法理論がありえるのかという問題が依然として残るからにほかならない。したがって、非常事態において立憲的な法秩序は一時的に停止するものの、そこに全く法理が反映されないということではなく、「非常事態の法理」に基づく国家の権限を観念でき、このレベルにおいても授権と制約が効く法理論でなければならないとの要請に応えることになる。この点、大日本帝国憲法では天皇の非常大権や戒厳の権限が認められ、伊藤博文憲法義解』にもそのことが解説されているが、なによりもワイマール憲法48条2項に規定される大統領の非常措置権の解釈をめぐるカール・シュミット憲法理論が参照されるべきであろう。シュミットやアベ・シエイエス憲法制定権力論についてはルソーの立法論と絡めて書いたものがあるので、ここではシュミットのいう「委任独裁」を見ていきたい。シュミットは、体制全般の危機に際しての克服の手段として「独裁」を提起したことはよく知られている。

 

 シュミットは「独裁」を危機克服の有効な手段と位置づけ、なおかつ、「独裁」が必ずしもデモクラシーに対立する関係に立つわけではないことを理論化した。『政治神学』では、現行法秩序の無効ないし欠如した「規範的無」を例外状態として想定し、不可避的な「決断」の契機をその主権論に結合させる。「例外状態において決断する者こそ真の主権者である」というわけである。改めて確認するまでもなく、シュミットが意味するデモクラシーとは、我々が憲法学を学ぶ最初に触れられるデモクラシーの本義と同じ「治者と被治者の自同性ないし形式的同一性」であり、シュミットはそこからさらに拡張させて、この同一性は異質な他者を排除することによって成立する民族的同質性を意味すると解した。この点でリベラルデモクラシーとは部分的に一致する要素こそあれ、その内容は大きく異なる。シュミットによると、「独裁」はデモクラシーの対立物ではないことはもちろんのこと、近代デモクラシーの欠くべからざる前提でもある「代表」の最良の選出方法を選挙ではなく大衆による「喝采」に求め、その「喝采」によって推戴された「独裁者」による統治の方が議会主義よりも本質的にデモクラシーの本義に叶うとすら主張した。

 

 シュミットは、この独裁を二種類に分ける。一つは「委任独裁」、もう一つは「主権独裁」。前者は現行憲法体制の存続が危惧される非常事態に際して当該憲法の授権の下、憲法の全部または一部の停止により憲法体制を防衛するための緊急の要に迫られた独裁である。ワイマール憲法48条にある大統領の非常措置権は、この「委任独裁」を認める規定であるとシュミットは解釈する。対して「主権独裁」とは、新たな憲法を頂点とする法秩序創造のための独裁であり、憲法制定権力による独裁と言い換えてもいい。この二つの独裁の違いは授権する権威の所在の違いにこそある。対して共通点としては、「手段性」・「過渡性」・「例外性」をメルクマールとして持つ点である。『憲法の番人』によると、ワイマール憲法は大統領を一般政治的かつ党派政治的には中性的な制度・権能のほかの中心点とすることによって政治的全体としての国民的統一体を確信しようと試みる。ワイマール憲法は特に大統領の権限を直接にドイツ国民の政治的総意と結合させ、それによって大統領とドイツ国民の合憲的統一と全体性の番人ないし擁護者として行動しうるための可能性を付与しようと試み、かかる試みこそがドイツ国家の存在を基礎づけるのだとする。

 

 こうした考えが拡張され、『国家・運動・国民-政治的統一の三重構造』においては、現代国家の政治的統一を国家・運動・国民の三重構造的結合として把握される。この三系列が相互に同列に併存するのではなく、その中の一つが国家機構の操作を通じて同時に運動を究極的には担うところの国民に「浸透」していくのであるというのである。ここでいう国家のうち、独裁において捉えられた中性国家=「政治静態的部分」は官僚制や常備軍組織といった国家機構を指し、運動は「政治動態的要素」を指し、国民は「非政治的側面」を指す。要は運動として党(ここでは国家社会主義ドイツ労働者党)が頂点に立ちながら国家機構を操作し、「非政治的側面」としての国民を指導するという。なるほど、国家緊急権としての点で見る場合、シュミットの主張はある意味もっともな見解であるといえるだろう。しかしながら同時に、このシュミットの立論には大きな矛盾が潜んでいるとも思われる。なんとなれば、シュミットの独裁概念は不連続的に「国家・運動・国民」という三重構造を持つ新国家の中に吸収され恒久化されてしまう構図になっており、そうすると、「委任独裁」のメルクマールとして挙げられた「手段性」・「過渡性」・「例外性」の定義と齟齬をきたすことになるからである。事実上恒久化されてしまうからというのではなく、その法理論からして恒久化されてしまう構図になっている。そのことがシュミットの「委任独裁」を内破してしまいかねない矛盾を見出すことができるように思われる。この「委任独裁」を内破しかねない矛盾によって「主権独裁」へと転化されてしまう危険性を考えておかねば、単純に国家緊急権の必要性だけを強調する主張に賛同するのは危なっかしいと言わねばならない。

 

 シュミットの主権論の持つ哲学的含意を真剣に検討しているのは、今では憲法学ではなくて「フランス現代思想」系の思想家の方であるといえるかもしれない。デリダの『友愛のポリティクス』(みすず書房)や『法の力』(法政大学出版局)そしてイタリアの哲学者・美学者ジョルジョ・アガンベンの『例外状態』にみられる思考がその極北である(この点、デリダアガンベンの「例外状態」論について分析しているのは、佐藤嘉幸『新自由主義と権力-フーコーから現在性の哲学へ』(人文書院)である)。確かに、デリダを含めた「フランス現代思想」がアラン・ソーカルらによって批判を受け(少なくとも『「知」の欺瞞-ポストモダン思想における科学の濫用』(岩波書店)では、デリダについて触れられているものの直接の批判対象にはなっていない。デリダがこの騒動に関して批判を受けたのは、ソーカルらの批判に対するデリダポストモダン側に立った弁明の言い分が、フランスの科学哲学者ジャック・ブーブレスの『アナロジーの罠-フランス現代思想批判』(新書館)によって批判されたということなのである。

 

 もちろん、ブーブレスの批判は的を射た適切なデリダ批判であることは肯定するが、デリダの思想の核心部分については主題ではなかった)、ファイヤアーベントの方法論的なアーナーキズムや科学相対主義やハンソンによる観察の理論負荷性などに対する批判になお慎重な議論を要するがゆえに条件付き留保がともなうの一方、ことポストモダンの思想家たちが無意味に科学用語や数学用語を濫用して人をたぶらかすかのような文章をものしていたことに対するまっとうな批判に関しては当然に首肯すべきものと思われるものの、シュミットの主権論に対する哲学的考察としてはデリダアガンベンの思考には否定しがたい輝きがあることも同時に強調されるべきであろう。

丸山真男と「日本的なるもの」

江藤淳は、クロード・レヴィ=ストロースとの対談を終えた後、在パリ日本大使館で催された夕食会の席に夫人とともに招かれた時の思い出をについて、『天皇とその時代』(PHP)で触れている。中でも、同席していたフェリックス・ガタリとの会話が印象深い。時は昭和63年。昭和天皇崩御の前年である。

 

夕食会の席でガタリと交わされた話題は、先のレヴィ=ストロースとの間で交わされた東洋思想と西洋思想についての両者の考え方をはじめとして、昭和天皇の御不例を案じて皇居前広場に詰めかけている日本人のことにまで及んだという。その席で、ガタリは次のように言った、と江藤は記している。 

私たちフランス人は、神を殺し、王を殺しました。そして皇帝を追放し、もう一人の皇帝をも倒しました。更には人民戦線の神を殺し、共産主義の神を殺し、実存主義の神をも殺してしまいました。その結果、私たちの国は御覧の通り解体の一途をたどっているではありませんか。それに引き換え、日本人はどうでしょう。私は精神病理学者ですが、皇居前に集う日本人の心理を、個人の病理からは説明することができません。これはおそらく一つの祭儀なのです。日本人にとってこの上なく深い意味を含んだ、厳粛な祭儀であるに違いないのです。そのなかで、終焉が再生を喚び起す大切な祭儀、それに日本人は参加しつつ、いま再生しようとしているのです。

 

江藤淳は、最近の自称「保守」の連中とは一線を画す、戦後日本にごく僅かしか存在しない良質な保守の知性の一人だから、クロード・レヴィ=ストロースが相手であろうと、フェリックス・ガタリが相手であろうと、相応の対話をなしうることにさしたる驚きはないが、ガタリのテクストを読む限りでのイメージからは、些か距離のある発言内容に意外な思いがしたものである。この発言が、時が時、場所が場所、相手が相手のために吐かれた単なる社交辞令の域にとどまるものとは思われない。単なる儀礼上の発言にしては、ガタリの態度についての描写と相容れがたいものがあるからだ。

 

昭和天皇の御不例から崩御に至る一連の日本人の行動を苦々しい思いで見つめていただろう一人の知識人に、丸山真男がいた。皇室の伝統を含め「日本的なるもの」に対して苛立つどころか、露骨に嫌悪の感情を顕にしていた丸山であるが、その「日本的なるもの」を徹底的に呪詛する意図を正面切って表出した論文は、『日本の思想』(岩波新書)所収の論文「日本の思想」であろう。

 

あまりにも有名なこの論文の要点は、乱暴にまとめると以下のように整理されるだろう。日本においては、座標軸となるべき思想的伝統が形成されないまま、近代において「伝統」的とされる思想と「外来」思想が雑居するという奇妙な事態が出来した。それゆえ、思想が歴史的に構造化されがたい「無構造の構造」というべき特有の「構造」が抽出される。このような「無構造の構造」においては、新たな思想は次々と受容されはしても、決して血肉化されることはない。それゆえ、傍らに忘却されていた「過去の伝統」が突如として「背後から現在のなかにすべりこ」み、ある時ふと「思い出」といった形で噴出する事態が繰り返されるというのである。

周知のように、宣長は日本の儒仏以前の「固有信仰」の思考と感覚を学問的に復元しようとしたのであるが、もともとそこでは、人格神の形にせよ、理とか形相とかいった非人格的な形にせよ、究極の絶対者というものは存しない。・・・(中略)・・・この「信仰」にはあらゆる普遍宗教に共通する開祖も経典も存しない。・・・(中略)・・・「神道」はいわば縦にのっぺらぼうにのびた布筒のように、その時代時代に有力な宗教と「習俗」してその教義内容を埋めてきた。この神道の「無限抱擁」性と思想的雑居性が、さきにのべた日本の思想的「伝統」を集約的に表現していることはいうまでもなかろう。

 

これまでの丸山の営為とは随分趣きが違うように思われるが、ここで指弾されている対象とは、前近代的論理としての「日本的なもの」である。公私の分離、個人の内面性の解放と保持、主体的作為という近代性の論理の欠如態として「日本的なもの」を見る視点の発生である。この「日本的なもの」の中核となる「無構造の構造」という論理は、いわゆる「天皇制」国家の「無責任の体系」を生み出す原基と位置づける際の論理ともなっている。

 

『日本政治思想史研究』(東京大学出版会)に収録されている第一論文「近世儒教の発展における徂徠学の特質並にその国学との関連」を一瞥してみよう。朱子学自然法則と道徳法則を連続性の相において考えていたのに対して、荻生徂徠の学問においては、そうした朱子学的思惟様式から離脱して自然法則と道徳法則の分離、及び政治的・社会的「公」と個人的・内面的「私」の分離という思惟様式が見出される。その営為には、徂徠の学問に「近代的なもの」の重要な標徴を見る当時の丸山の思考が反映しているわけだが、こうした思考と『日本の思想』収録の諸論文に見られる「日本」叩きの論理に見られる思考との間には明らかに思想的断絶が存する。

われわれがこれまで辿つて来た規範と自然の連続的構成の分解過程は、徂徠学に至つて規範(道)の公的=政治的なものへまでの昇華によつて、私的=内面的生活の一切のリゴリズムよりの解放となつて現はれたのである。

 

抑々この様にして儒教思想の自己分解のなかに近代意識を探ることに一体如何なる現代的価値があるのか、さうした近代的な思惟こそまぎれもなく現在『危機』を叫ばれるゐるところではないのか。現代精神のあらゆる混乱も無秩序も遡つて行けば、そこに源泉が見出されるのではないか。われわれはこの疑問にたいしてかう答へるよりほかない。まさにその通りである。しかしながら問題は近代的思惟の困難性は果たして前近代的なものへの復帰によつて解決されるかといふ点に存する。市民は再び農奴となりえぬごとく、既に内面的な分裂を経た意識はもはや前近代的なそれの素朴な連続を受け入れる事は出来ない。

 

つづく第二論文「近世日本政治思想における『自然』と『作為』」は、第一論文で描かれた私的道徳と「政治的なもの」の分離に続く、「作為の論理」が抽出される。

完全に近代化されたゲゼルシャフト的思惟様式に於ては、自由意思の主体としての人間が社会秩序を作為すると構成がすべての個人について認められる。『社会契約説』はその必然的帰結である。しかるに徂徠学では秩序を作為する人格は第一義的に聖人であり、次にそのアナロギーとして一般的支配者である。しかもその聖人は殆ど宗教的絶対者にまで高められてゐる。

 

この様にして維新の身分的拘束の排除によつて新たに秩序に対する主体的自由を確保するかに見えた人間は、やがて再び巨大なる国家の中に呑み尽され様とする。『作為』の論理が長い忍苦の旅を終つて、いま己れの青春を謳歌しようとしたとき、早くもその行手には荊棘の道が待ち構へてゐた。それは我が国に於て凡そ『近代的なるもの』が等しく辿らねばならぬ運命であつた。徳川時代の思想が決して全封建的ではなかつたとすれば、それと逆に、明治時代は全市民的=近代的な瞬間を一時も持たなかつたのである。

 

ここには、明らかに後の丸山の思考との断絶がみられる。丸山真男の初期の思考は「政治学に於ける国家の観念」(『戦中と戦後の間』みすず書房)という東大法学部緑会懸賞論文から始まるわけだが、そこでは、近代個人主義にもまた全体主義でもない「弁証法全体主義」の立場が提起されている。この「弁証法全体主義」の立場は、務台理作『社会存在論』(こぶし書房)ひいては田邊元の「種の論理」の理路と軌を一にしていると言ってよい。ところが、いつの間にかこの立場が放棄され、上記の通り、近代的主体の萌芽を江戸思想に見出す方向へとシフトし、そこから転じて「日本的なるもの」一般を徹底的に糾弾する方向へと様変わりしていく。

 

「日本よ、死ね!」と藁人形に五寸釘を打ち付けるかのように、丸山真男が「日本的なるもの」への呪詛の言葉を弄するようになるのは、おそらく昭和20年代後半、ちょうど我が国がサンフランシスコ講和会議を経て主権を回復する前後である。特に「ある自由主義者への手紙」や「日本におけナショナリズム」あるいは座談会「日本人の道徳」に端的に現れている。「日本におけるナショナリズム」では、

戦後日本の民主化が高々、国家機構の制度的=法的な変革にとどまつていて、社会構造や国民の生活様式にまで浸透せず、いわんや国民の精神構造の内面的変革には到つていない

 

としている。「日本人の道徳」では、遂に「天皇制」に対する呪いの言葉をぶつけるに至る。

天皇制がモラルの確立を圧殺している。これを倒さなければ絶対に日本人の道徳的自立は完成しない。・・・天皇制の批判は、それが天皇を含めて日本人の人間解放を執拗にはばむ一番非人間的な制度だという点に重点を置くべきだ。

 

まるで、「郵便ポストが赤いのも何もかも、天皇制が悪い!」と叫んでいるようなものである。前近代的思惟様式を決定づけてもいる「日本的なるもの」への批判にとどまることなく、その責任を天皇の存在に帰すようなことまで言ってのけている。その論理は無茶苦茶である。

 

丸山が蛇笏のごとくに嫌った「日本的なるもの」への徹底的批判は、最終的には論文「歴史意識の『古層』」(『忠誠と反逆』ちくま学芸文庫)となって結実する。本居宣長が取り出してみせた日本人の「固有信仰」こそが、その原基であるとして捉え返されたのである。

 

ここに、『日本政治思想史研究』において「内面性」の契機を取り出した宣長への肯定的評価が打って変わって、今度は呪いの対象と化したという大転換を見ることができる。カトリシズムに典型な超越の観念を持つことのなかった日本の歴史意識の基底に流れつづけていた思惟様式が、『古事記』・『日本書紀』に基づいて、「つぎつぎとなりゆくいきほひ」という「古層」として抽出された。

 

もっとも、この論文に対して、「日本的なるもの」の抽出方法として選択された消去法について、丸山自身も「一種の循環論法になる」おそれを認めている通り、あまたの批判がなされており、その代表的なものが雑誌『現代の理論』に掲載された子安宣邦の論文「『古層』論への懐疑」である。この論文はアカデミズムを超えて様々な論者が言及するに及び、例えば精神科医斎藤環による『世界が土曜の夜の夢なら-ヤンキーと精神分析』(角川書店)おいても触れられている。その読み方は、政治思想史から見れば当然に疑問符がつくものであり、学術的水準には到底達していない「評論」として消費されていく読み物に過ぎないわけだが、さほどにこの論文が伝播して読み継がれていることを示す例証にはなるだろう。だが、そこに含意されている時間論がうまく摘出・分析れていないし、引用される割にはそのテクストの読み込みがなされているとは言い難いのが実情である。

 

このような丸山真男とは逆に、もともとは『作家は行動する』(講談社文芸文庫)を著しつつも、後に『小林秀雄』(講談社文芸文庫)や『一族再会』(講談社文芸文庫)において保守回帰を遂げた江藤淳が、昭和天皇崩御に際して雑誌『文藝春秋』に寄稿した文章はこうある。

願わくは「平成」の時空間が、「昭和」の時空間と同じように悠久の古代に通じ、そのなかで死者と生者が相逢うことのできるような時空間でありつづけることを。そして「後世子孫」のために、皇室の「尊厳神聖」が「我国の至宝として之に触るることなく」、とこしえに伝えられんことを。謹んで天皇陛下に冀い奉る、われらの死後もそののちの世にも、この国をとわに亡し給わざらんことを。

 

平成の御代が終わろうとしている今、改めて昭和の御代の終焉にも思いを馳せねばならないと思う。

他者論の奇怪さ

 蓮實重彦は『「知」的放蕩論序説』(河出書房新社)において、当時隆盛を極めていた「他者論」に対して、「表象不可能」と言いながらある「高さ」のイメージを伴いながらそこから無限に言説が紡ぎ出されていく事態だと表し、こうした言説に対して嫌味を述べていたかと思う。

 

 柄谷行人も、この時期の「他者論」の隆盛に影響されてかどうかは判然としないが、「カントの『物自体』とは、他者である」という言説を残していた。あながち間違いというわけでもない解釈だと思う(とはいえ、全く正しいとも思わないが。後に触れるように、超越論的主観性ないしは超越論的領野とその「外部」としての「他者」との関係のように、「他者」を認識論的主観の「外部」として理解できるということである)。

 

 蓮實重彦柄谷行人そして浅田彰には功罪両面あるものの、この点で3者がある程度の見識を持っていたと思われるのは、安易に「表象不可能性」というマークの下で無限に言説が紡ぎあげられていく構図に収まっていた「他者論」に多く見られた言説に対して、それぞれの仕方で「抵抗」の身振りを示していたように思われるからだ。

 

 当時、生まれてもいなかった者としては想像の域を出ないが、雑誌『朝日ジャーナル』のバックナンバーを繰ると(僕は、この『朝日ジャーナル』を、ロッキード裁判批判をめぐる渡部昇一立花隆との泥沼の論争を確認したくて大学の総合図書館でバックナンバーを取り寄せて読み漁ったことを今も鮮明に記憶している)、1980年代に「スター」扱いされていた頃の浅田彰ないしは「浅田彰現象」は、本人にその責を帰すことはできないものの、今から見るとメディアが無理矢理作り上げた虚像に踊らされている滑稽さがないわけでもなく、そうした現象に対して旧来の左翼から批判が寄せられもしたようだ。

 

 例えば、英文学者の富山太佳夫は、浅田彰『逃走論』(ちくま文庫)に収録されている「マルクス主義ディコンストラクション」に対して批判を加えた1人であるが、その富山太佳夫に対して、ドゥルーズ自裁した1995年の翌年に刊行された雑誌『批評空間』(太田出版)に掲載された「(共同討議)ドゥルーズと哲学」の冒頭において、名前こそ出してはいないが、浅田がチクりと嫌味を言うなど意趣返しをしているところに浅田の粘着質的な性格を見てとることもできなくはない。おそらく雑誌『現代思想』(青土社)に掲載された富山の「追悼拒否」という文章を指してのことなのだろうと想像する。

 

 しかし、現代の批評シーンが、個別の論者では面白い人も僅かながら存在するものの、概して「多摩川の二軍選手」(蓮實重彦柄谷行人闘争のエチカ』(河出文庫))が出しゃばっているような貧しい現状をみると、彼らの相対的優秀さがどうしても目立ってしまう。いずれにせよ、蓮實重彦の言う「『深さ』の誘惑に身を晒しながら『浅さ』にとどまる」(蓮實重彦『物語批判序説』(中公文庫))ことも必要だという思いにかられる。

 

 サルトル『自我の超越』(人文書院)によると、現象学において意識は志向性として定義されるのであるから「超越論的自我」というようなものはありえず、むしろ「超越論的自我」なる概念は有害ですらあるという。

 

 他方フッサールによると、現象学的還元によって見出された超越論的主観性は、一切の客観的存在と真理に対してその存在と認識の根拠を与えるものであるとされる。世界その他の志向的相関者は、認識論的主観の意識能作を超越して自存するものではない。だからフッサールとしては、世界の超越は世界を究極的に構成する自我との相関における超越に他ならず、かかる意味において、自我は存在する一切の超越に対する絶対的な前提としての地位が保障される。

 

 こと意識の志向性に定位すれば、世界のみならず自我すらも徹底的に還元の対象になるのだから。サルトルに言わせると、「経験的自我」と区別される「超越論的自我」なる概念は、むしろ還元の不徹底をこそ意味するものにほかならなかった。つまり自我は、世界及びその他の対象と同じくすべて意識の志向的対象の一つであって、この自我を世界へ向けて投げ出せねばならないというのである。「世界に向けて己を炸裂させる」という言葉は、かかる意味として理解される。したがって、意識それ自体は何ものでもなく、正に「白紙状態une table rase」ないしは素裸の「無」というほかない。

 

 かくして現象学的還元は、サルトルにおいては以後「無化作用neantisation」という意義を付与されることになる。すべてであるところの充実したものとしての後のサルトルのいう「即自存在l'etre-en-soi」と、存在から抜け出た無としての「対自存在L'etre-pour-soi」であるところの意識。ここにおいては、「超越論的自我」なる概念が成立する余地はない。だがフッサール自身は、「超越論的自我」なる概念が成立する余地などないというような結論に至る還元の方法について受け入れはなしなかった。というのも、フッサール自身もかかる表現を既にしていたというだけでなく、超越論的他者経験についても言及していることからすれば、当然に超越論的相互主観性の問題に拘っていたからである。

 

 「経験的なもの」を可能にする条件である「超越論的なもの」は「経験的なもの」から純化される必要があるにもかかわらず、それがなされなかったというのが、ドゥルーズのカント批判の一つだった。ドゥルーズの「超越論的経験論」は、「超越論的なもの」を「経験的なもの」の諸形象から転写することのできない唯一の手段であると『差異と反復』(河出書房新社)に描かれている。だがドゥルーズからすれば、カントの「超越論的なもの」はあくまで「経験的なもの」の転写でしかない。「経験的なもの」であるにもかかわらず、そこに見出されたものの諸形象を「超越論的なもの」にスライドさせ、「超越論的なもの」の「資格」を欠くものを「超越論的なもの」と錯視することによって「経験的なもの」の基礎づけの構図を描くという悪循環の誤りを犯しているというのである。

 

 さてフッサールは、「自然的態度」において思念されたものをすべて「ノエマ的意味」に還元し、自然的に思念されていた他者も同じく還元の対象とされる。『デカルト省察』(岩波文庫)では、超越論的主観性による他者構成の機制を解明していくことになるが、ここにおいて言われる「他者」とは、世界の側の対象となる被構成体としての他者を意味するものではなく、「ともに」世界を構成する「他者」、つまりは超越論的主観性において世界を構成するときに既に居合わせているところの「他者」である。

 

 換言すると、「等しく世界をともに構成する他者」という「間接的」現前ないしは呈示の仕方でしか現象しないところの「他者」である。とはいえ、かかる「他者」経験を発生論的場面に即しつつ「対化」という「受動的総合」の一形式による「類比化的統覚」が決定的役割を果たす「自己移入論」を展開する『デカルト省察』は、こと「他者」構成論に限っては明白な破綻をきたしているとの悪評が流通している。

 

 レヴィナスの思考に見られる「他者」の「他性」は、意識に我有化されないという意味で還元不可能である一方、フッサールは再び超越論的相互主観性の議論に持ち込んでおり、「他者」を自己の志向的変様態としか扱っていない。還元によって明るみになった超越論的領野とは、すべてのものが「そこ」にもたらされるところの「場」であって、「現象する」とは即ちこの「場」において立ち現われることに他ならず、この「場」の外部など想定できない。レヴィナスの「他者」は、この超越論的領野に現れはしないのである。もはや「他者」だの「外部」だのという表現すらもが無意味になる臨界において問われているのが、ここに言うレヴィナスの「他者」であり「外部性」なのである。

 

 ただそうすると、フッサールの思考にみられたパースペクティブ性すなわち現出の相関性に定位した現象学的還元の初歩のあり方は一体どこへ行ってしまうのだろうか。繰り返すが、超越論的領野の「外部」としての「他者」は世界内の具体的他者ではありえないとする解釈を採るならば、世界内の具体的他者とおぼしき者への形容と「他者」の形容を混同するわけにはいかなくなるはずである。他者は「顔visage」そのものではないが、「顔visage」は「他者の痕跡」として位置づけられるとする一方、超越論的領野の「外部」としての「他者」は世界内の具体的他者と無関係に思われることをどう解すればよいのか。

 

 「存在すること」へと集約されていく歩みを持つ西欧哲学への異議申し立てとしてのレヴィナスの思考は、存在の思惟としての西欧哲学が当初から排除してしまった当のものへと視線を向ける。決して現前しえないがゆえに隠蔽されてしまった「根本的事実」を語ろうとする不可能事を強いられた思考の「可能性」に賭けるのがレヴィナスであった。

 

 「存在すること」は「戦争」という極度の「共時性」であり、逆に「平和」とは「存在への執着」としての利害に基づいて理性によってこれを調停することにより見出されるものであった。しかし、何者も存在のうちにあり続けることは利害関係の不可避性を意味するわけだから、「平和」は存在者たちの利害の言いなりとならざる得ない。「平和」とは、それゆえに本質的に不安定たらざるを得ない。レヴィナスは、この「存在すること」に基づいているかぎり「戦争」は不可避であると考える。だから重要なのは、この「存在すること」の彼方を思考する可能性に賭けることなのだと考えた。

 

 だから、日常的に出会われる具体的他者は、「他者」ではありえない。なぜならば、一個の存在者として知の対象となった他者は、すでにその「他性」を剥奪され何らかの属性を有する「存在」として同一化されていることを意味するからである。

 

 レヴィナスの「他者」とは、知の対象となった存在者の同一性に回収されるものではなく、それを「無限に凌駕」するものであるがゆえに絶対的な「他なるもの」である。しかし、なぜ「他者」は「世界-内-存在」としての存在者たる具体的人間の「顔visage」の「彼方」に非現前という仕方で辛うじて指し示されるのか。人間の「顔」の「彼方」こそが私をして単独の「主体」たらしめるのであり、かかる人間の「顔」の「彼方」として「彼性の痕跡」をとどめている限りで、それに対する私はすでに応答可能性としての「責任」を負っているということだけが綴られるのみである。

 

 現象学に立脚したこうしたレヴィナス読解に異を唱える人もいる。例えば小手川正二郎によると、一連のレヴィナス研究は非現前の「他者」との関わりとしての現象学の展開や、西欧哲学とりわけ存在論にみられる「他者」への暴力の批判、デリダの批判にみられるような「存在論的言語」から「倫理的言語」への転回というかたちをとってきたが、少なくともレヴィナス『全体性と無限』(岩波文庫)に関して言うならば、現象しないえない「他者」つまりは非現前の「他者」についての論ではなく、具体的他者との対話や愛をめぐる批判的検討に開かれた「他人論」であるという主張もある。

 

 さらには、雑誌『現代思想』に連載された「アウト・イン・ザ・ワイルズ」でレヴィナスを論じた千葉雅也も、上のようなレヴィナス研究の動向について抵抗を示す合田正人の言に共感する姿勢を見せている。いわゆる「他者論」ないしは「応答可能性としての責任」の話へと収斂していく「第一哲学としての倫理」とは別の仕方を模索し、レヴィナスにそれを読み込もうと企図せんとしているかにみえる。

 

 もっとも、小手川と千葉は専ら現象学解釈からのレヴィナス読解に異を唱える共通性はあれど、小手川はレヴィナスに向けられる「人間主義」との批判は的外れであるとする一方、千葉はハーマンに仮託させて「人間主義」の批判をレヴィナスにぶつける。

 

 このように様々な読み方がなされているレヴィナスであるが、その「他者論」が最も奇怪な仕方で語られた言説は、1990年代後半に起こった加藤典洋敗戦後論』(ちくま文庫)をめぐる加藤と高橋哲哉との間で起こったいわゆる「歴史主体論争」における高橋哲哉の言説である。

 

 ここでは、この論争についてあれこれ言うつもりはないが、一言しておくならば、レヴィナスの「他者」の解釈をめぐる論争でもあった点を見逃してはならないだろう。論争とはいえ、彼らに共通しているのは、レヴィナスの「他者」のイメージとして「2000万人のアジアの犠牲者」だの「元慰安婦」だのが持ち出され、自分のイデオロギーに都合よく利用している点である。

 

 そもそも、国家間の争いでもある問題に非対称的な「自己-他者」関係をもってきて議論すること自体ナンセンスであり、そのようなことをやれば先方の国の一方的な言いたい放題にくみすることになるのが必定。謝罪と賠償の責任を問うというのであれば債権債務関係の存在を認めるわけであるから、双方が権利義務の帰属主体である法理念上の主体として観念されなければならないはずである。そして法は、権利義務の帰属主体につき原則として一方だけに当てはまり他方には当てはまらないといった非対称的関係を認めず、したがって相互に交換可能な対称性を前提にしないことには成り立たない。にもかかわらず、「他者」に対することで「単独者」としての主体たることが自覚されるところの自己とそれに対する他者の非対称的関係をそこに持ち込むこと自身が無理筋の議論である。

 

 レヴィナスの他者論に対して、デリダは「現前の形而上学」であることを免れていない旨の批判をしていたはずだ。「他者」に対するパロールの主体が暗に前提されているからだ。その際に「他者」の「顔」が「現前の形而上学」の「暴力」を逃れているとも言えないのに、高橋は素朴なまでに具体的な「慰安婦」やら「2000万人のアジアの被害者」を「他者」の「顔」に等値し、挙句は「日本国民」に対して「汚辱の記憶を維持し、それに恥じ入り続けよ」と恫喝するわけである。雑誌『群像』(講談社)の「汚辱の記憶をめぐって」は、次のようにいう。 

汚辱の記憶を保持し、それに恥じ入り続けるということは、あの戦争が「侵略戦争」だったという判断から帰結するすべての責任を忘却しないということを、つねに今の課題として意識し続けるということである。・・・侵略者である自国の死者への責任とは、死者としての死者への必然的な哀悼や弔いでも、ましてや国際社会の中で彼らを“かばう”ことでもなく、何よりも、侵略者としての彼の法的・政治的・道義的責任をふまえて、彼らとともまた彼らに代わって、被侵略者への償いを、つまりは謝罪や補償を実行することでなければならない。

 

 ここまで戦没者やその遺族を罵り嘲る文章をよくものしたものだと怒りに震えるが、それはともかくとして、あれだけ階層秩序的二項対立の思考を告発しておきながら、ここでは露骨なまでの、僕に言わせればあまりに歴史を単純化した二項対立を持ち込んでしまう二枚舌を弄する高橋哲哉の意図は奈辺にあるのか。

 

 高橋哲哉は、哲学的思考の帰結としての責任論を展開しているのではなく、初めから結論ありきの政治的主張に都合のよい他者論を展開しているにすぎないのではないか。ましてや、個人の域を超えて「日本国民」という観念上の主体を持ち出さねば他国に対する責任など問えるわけではないのだから、言ってることが支離滅裂である。

 

 国家間の問題を論じるのであるならば、一方の問題ばかりをあげつらうのではなく、他方の問題をも指摘しなければフェアな議論とは言えないし、多くの国民を納得させることなど無理な話である。「慰安婦」に力点をおくならば、朝鮮半島出身者より内地出身者つまり日本人のそれの方が圧倒的に数が多いという事実には目をつぶり、相手側の「証言」自体も整合性がないものや史料的裏づけが全くとれないようなものまで含めて鵜呑みにしたアンフェアな態度が垣間見られる。

 

 さらに「侵略戦争」に力点をおくならば、当時の朝鮮半島大日本帝国と併合していたわけであるから、朝鮮半島出身者は「侵略戦争」の加害者であるということになるはずだが、その点については不都合なのか無視する。しかも、朝鮮半島で徴用令が施かれたのは、内地よりずっと遅い昭和19年である。

 

 また高橋は、日韓併合条約に関して当初から違法であったとの韓国側の立場を無条件で肯定している。条約の解釈なので様々な解釈がありえるし、当初から違法無効の条約であったとの韓国側の立場を高橋が肯定することは自由である。しかし、そのような解釈は国際法解釈として妥当であると考える専門家はほぼ皆無であり、ましてや当時の国際状況からし日韓併合条約を違法無効とする国は唯の一国もなかった。

 

 日韓基本条約日韓併合条約の将来的無効を確認したのであって、遡及的無効を確認した条約ではない。もし遡及的無効であるならば当然双方に原状回復義務が発生するわけであるから、大日本帝国大韓帝国併合後に投下した多額の資本も回収するということになろうが、当時の日本の朝鮮政策は大赤字であるほど日本側からの持ち出しが圧倒的であったので韓国側が逆に日本に対して投下した資本に見合う資金を拠出しなければならないほどである。こうした韓国側の不都合には目をつむる。したがって、高橋の見解は極めて奇特な解釈でしかないという事実を断っておくのがフェアな議論の態度であるはず。

 

 こうした一方だけに過剰に肩入れしたアンフェアな理屈は、「慰安婦」問題のみならず朝鮮学校授業料無償化撤回を批判する言説にも垣間見られる。もし日本政府や各自治体が朝鮮籍の人間に対して教育を受ける権利を侵害しているならば、憲法国際人権規約に違反する不当な処分であるとする批判は納得できよう。人権は、所属する国家の構成員たる国民のみを対象としているものと解される権利を除き、ただ人間であることの固有性から当然に認められるべき権利であるという近代的人権観念の原則からすれば、朝鮮籍である者に対しても日本国民に対するのと同様の権利が保障されるべきだという理屈には理がある。この点に関して日本政府は、朝鮮籍の者に対しても教育を受ける権利を保障しているはずだ。

 

 日本の教育基準を満たすとして認可されたいわゆる一条校に入学することを妨げていないし、入学後も日本国籍の者と同様な取り扱いをしているはずである。国公私立を問わず、また特色ある教育を行う学校であるか否かを問わず、一定の基準を充足している限りで特段別異な取り扱いはしていない。

 

 問題は、朝鮮学校に通う生徒の学習権を認める認めないということではなく、朝鮮学校という「教育機関」が無償化の対象として相応しいと判断するための基準を充たしているか否かということ、ただその一点なのである。朝鮮学校は、周知の通り、系統からし朝鮮総連直属の組織であり、この朝鮮総連とは現在も破壊活動防止法上の監視対象となっている組織とされている。しかも朝鮮総連は、朝鮮労働党統一戦線部の指揮命令に服しており、これまでも対日工作拠点として拉致や麻薬取引あるいは不正送金など様々な我が国の存亡にかかわる違法活動を展開してきたことが疑われてきた団体である。

 

 かつて、朝鮮総連の議長は、朝鮮大学校の学生が加盟を強制される在日本朝鮮青年同盟での挨拶において、「朝鮮大学校の学生は金正恩元首様のために働く戦闘する戦士であり、米国をはじめとする敵対勢力と生死を賭けた激しい戦闘を展開する海外戦闘部隊である」として自ら明言している通り、朝鮮総連及びその系統下にある関連団体が対日工作機関ではないかとの疑念を持たれるような状況が続いている。ともすれば我が国や国民の重大な利益を棄損するやもしれぬ組織に直属する「教育機関」に国民の税金を拠出することなどできないと考えることには十分な合理性があるはずである。

 

 無償化適用を求める主張は、「こどもの人権」を盾にした恫喝にしか聞こえないと思うのは無理からぬことである。もし、そこで学びたい生徒のことを思いやるならば、朝鮮学校は今すぐにでも朝鮮総連との関係を断つべきだし、チュチェ思想に彩られた政治教育をやめるべきであろう。また、上部組織の朝鮮総連朝鮮労働党統一戦線部の対日工作機関であった過去を断ち、今後はその指揮命令下から抜けるなど生まれ変わらねばならないだろう。

 

 そうした努力も一切せずに、一方的に「こどもの人権」だけを主張することは、具体的事情を無視した暴論であり、このような主張に呼応する言説は完全に朝鮮労働党の対日工作にくみする政治的効果しかもたらさないということに自覚的になるべきではないか。

 

 もちろん、巷間言われる「ヘイトスピーチ」のように、朝鮮民族であるというそのことだけを以って彼ら彼女らを非難・罵倒したり、況やその生存すら認めないという類の言説については、僕のような民族派右翼に立場にある者としても許し難い。日本民族日本民族としての誇りと矜持を持つように、朝鮮民族朝鮮民族としての誇りと矜持を持っているはずであり、そのことは尊重されるべきである。

 

 かつて、新井将敬衆議院議員総選挙に立候補した際に、石原慎太郎の選対事務所の人間が新井の選挙ポスターに「北朝鮮から帰化」というシールを貼って回った事件があったが、その時に石原慎太郎の選挙事務所に抗議にいったのは、民族派右翼である大悲会の野村秋介であったことを想起しよう。右翼の重鎮の一人であり葦津珍彦の門弟だった野村にとって、そのような理不尽な差別は人間としてまた日本民族の誇りにかけても許されるべくもなかったのである。

 

 そうした理不尽な差別と合理的な理由のある区別を混同してはならない。相手にも尊厳と誇りの感情があることを認めつつ批判すべきところは批判する。そうした態度こそ相手を真に対等な相手として遇することである。一方を単なる「かわいそうな被害者」と見立てて、その者が主張することなら理由もなく肯定してしまうその無茶苦茶な言説こそ、高橋が忌み嫌う「ヘイトスピーチ」なるものを増幅せしめている潜在的原因の一つになっていることに自覚的になるべきではないか。無理難題や理不尽なことを要求され続ければ、誰だってそれに対してフラストレーションが溜まって逆に過剰な反応を示すものであるからだ。

安全保障と沖縄

 玉城デニー沖縄県知事安倍晋三首相と首相官邸で会談し、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の同県名護市辺野古への移設工事を巡り、政府による岩礁破砕の違法性を問う移設差し止め訴訟について、最高裁への上告を取り下げる方針を伝えたとの報道があった。

 

 報道によると、沖縄県側としては上告取り下げを交換条件として、工事中断と今後1カ月程度かけて県との協議の応対を求めたらしい。県側が先に譲歩したかたちになるが、どうやら安倍政権としてはこれに応じるつもりはなく、粛々と工事を進めていく方針を変更する意思はなさそうである。

 

 沖縄県にその多くの基地が密集する米軍の基地やその関連施設をめぐる議論は、大きく分けて二つのレヴェルに分かれる。一つは、我が国の安全保障政策をどうするのかという問題であり、もう一つは沖縄県に米軍基地が密集している状況をどう考えるのかという問題である。左翼は、沖縄に基地が密集しているか否かに関係なく、とにかく我が国の武装そのものを否定する集団である。だから、基地が自衛隊のものであろうと米軍のものであろうと関係がない。また、その基地が沖縄県にあろうとなかろうと、関係ない。とにもかくにも防衛のための実力部隊を持つこと自体に反対しているので、安全保障をめぐる客観的情勢からみて建設的な対話はほぼ不可能。なにせ、左翼は中華人民共和国南北朝鮮の軍拡には一切言及せず、ことさら日本の武装のみを非難糾弾しているわけだから、多くの国民の理解を得られるわけがないだろう。しかし、そうしたイデオロギー上の理由ではない、理不尽なことへの切実な怒りの声に対しては一も二も理があるとの思いがする。

 

 冷戦構造が解体し、一時は米国による一極覇権構造が確立するかに見えたが、そうした一極構造は本来的不安定性を有しているために早番不安定となっていくだろうとの予想されていた。その通り、米国の一極覇権構造は徐々に解体し、その後は米中二極構造になるのか、それとも多極化構造に至るのか、まだ判断することはできない。ただ国際政治の在り方としては多極化構造がごく自然な構造であって、複数の国や同盟が勢力均衡することにより安定を維持してきたのが通常である。

 

 1648年以来のウェストファリア体制は、相対的安定性を長く維持することに貢献した。その体制の解体を決定づけたのが、黒人やアジア人が大嫌いであった白人至上主義者の米国のウィルソン大統領による「国際協調外交」であったことが歴史の皮肉でもあった。それはともかく、ウォルトやミアシャイマーまたはウォルツやギルピンといったリアリストとされる国際政治学者は、今後、米国のプレゼンスは徐々に低下し、一極構造が崩壊した後は、多極化は不可避であることを述べている。おそらくその分析は正しい。

 

 もちろん、米国の外交スタンスは、リアリストとリベラリストとのせめぎあいの場でもあって、ベトナム戦争イラク戦争にリアリストが反対するのに対して、リベラリストが戦争を進めてきた事情を考えると、一極覇権構造になおしがみつくリベラリストが再び戦争を決断することもありうる。「戦争は平和主義者が起こす」としばしば言われるのも、米国の外交当局者を見れば理解されよう。問題は、戦争を回避するために力の均衡をどう図るかということである。「戦争反対」を絶叫することで戦争が回避できるわけではない。多くは、その絶叫こそが戦争を拡大してきた一因になってきたわけだから。

 

 我が国をとりまく安全保障環境は、日に日に危険度を増してきていることは事実である。現に、日本以外の北東アジア諸国はそれに備えて軍拡を継続している。日本だけが、経済力に見合った国防の拡充を怠り、平和を維持するどころかむしろ危機に陥れることになる力の空白状況を作りだしているわけである。とりわけ、中華人民共和国の覇権志向はとどまるところを知らず、南シナ海のみならず東シナ海をもシナの勢力範囲に取り込もうと一貫した方針のもとに、軍拡を推し進めその他諸々の工作を続けている。

 

 中華人民共和国共産党指導部は1992年に制定した領海法の下、南シナ海及び東シナ海をシナの「内海」とすべく東南アジア諸国のみならず日本にまで触手を伸ばしていることは、これまでの歴史的事実として衆目の一致するところである。また台湾併合への野心も露骨に表明するに至っている。 特に、2000年代において北東アジアでの米軍のプレゼンス相対的低下、イラク戦争後の米国覇権の世界的後退過程の中で、急速に軍事力を拡大した人民解放軍海軍将校は自信過剰になっている将校も徐々に増え、中には挑発的・好戦的言動を堂々と弄する高級将校まで出現してきた。

 

 「中国共産党」指導部にはさすがに自国の海軍の実力のほどを弁えている者もいるようだが、人民解放軍は世界を知らない悪い意味での「田舎者」の集団であるから、客観的な実力以上に自身の実力を見積もる傾向があるようで、このような状況が軍事衝突のリスクを一層高める一因ともなっている。北東アジアの安全保障環境が激変する中で、わが国は必要な防衛力強化を怠り、軍事的不安定を一側加速させることに「寄与」してしまった。よかれと思った「平和的な」軍縮政策がヴァルネラブルな状況を作り出し、逆に国防力の拡張がむしろ安定をもたらすという逆説。

 

 もちろん野放図な軍拡は、かえって安全保障リスクを高めることにしかつながらないものの、このようなセキュリティ・ディレンマやセキュリティ・パラドクスをも十分に顧慮しつつ、北東アジア地域における米軍のプレゼンス低下やシナ海軍の急速な軍拡に対応した必要な防衛力整備が求められるだろう。なぜなら、これ以上の米軍のプレゼンス低下とシナの軍拡の延長は、もはや北東アジア地域でのシナの覇権・権益拡張を抑えきれなくなる危険性を告げているからである。

 

 中華人民共和国1949年建国以来、台湾の併合・統一を国是に掲げ、継続的に台湾への干渉を続けてきた。元国家主席江沢民は、2020年を目途に台湾を併合することを宣言していた。今後も、台湾に対する武力による併合をも含め、台湾との統一を放棄することは絶対にないだろう。その理由としては、思想的な理由と安全保障上の理由が存する。清朝が台湾を自国の領土として編入したのは16世紀ごろだったと思われるが、それでも「化外の地」として事実上の統治の対象外であった台湾島が、日清戦争での敗北により日本に割譲されたことへの「中華民族屈辱」を克服するという大義名分がある。すなわち、「東夷」である「小日本」なんぞに我が国の領土が奪われたという屈辱感を、シナ人はいつまでも忘れていないのである。それから安全保障上、中華人民共和国米国の勢力をアジアから駆逐して東アジアでの絶対的覇権を制するには、台湾統一はぜひとも実現しなければならない案件であるということである。

 

 アリューシャン列島から日本列島沖縄諸島尖閣諸島、台湾、フィリピンボルネオと続く「第一列島線」がシナ大陸を包囲し、中国人民解放軍空軍海軍は、いわばこの「第一列島線」に封じ込められている。今後、米国の勢力をアジアから駆逐して東アジアでの覇権を握るためには、この「第一列島線」による囲い込みを打破し、自由に外洋へと進出できなければならない。そうすると、台湾や尖閣諸島がそのための橋頭保となるはずであって、中華人民共和国の膨張政策にとっては絶対に妥協できない「領土」なのである。

 

 事実、人民解放軍軍事科学院の政治委員は「台湾を回復しなければ、われわれは米国による対中海洋封鎖線を突破することはできない。われわれがこの封鎖線を突破しなければ、われわれは『シナの台頭』を実現することができない」と明言しているし、マッカーサーも「台湾は、空軍と潜水艦にとって自然の要塞である。シナが台湾を獲得すれば、この地域における米軍の勢力維持が困難になるだろう。シナによる台湾獲得は、シナ軍の攻撃能力を数倍高める要塞を、彼らに提供することになる。シナは台湾の軍事基地を利用して、日本とフィリピンに圧力をかけることが可能になる」と米上院軍事外交合同委員会で証言している。

 

 さらに国際政治学者ソーントンも「もしシナが台湾を獲得すれば、マラッカ海峡から日本・韓国へ向かうシーレーンをシナに制覇されてしまう。シナによる台湾獲得が実現すれば、日本や韓国は『中華勢力圏の衛星国』に成り果てるだろう」と論じている。

 

 中華人民共和国の「平和的台頭戦略」は2020年ごろまで継続させ、その後に露骨な軍事力を背景とした「恫喝外交」を本格化させる予定のようであるが、そこには米国の「パワー」の相対的低下を予想したしたたかな戦略がある。最終目標はもちろん、米国勢力のアジアからの駆逐と台湾併合、そして日本の中華勢力圏への編入である。表向き「平和的」な装いをしても、いざとなれば軍事力を行使した武力統一も辞さないというのが、北京政府の一貫した考えである。例えば、台湾が独立を正式に宣言した場合、台湾で内乱が起きたとき、外国政府が台湾の内政に干渉したとき、台湾政府が中華人民共和国との統一交渉を遅らせる場合、台湾が核武装したとき、には武力攻撃すると公言してきた。

 

 そのため、人民解放軍は7つの特殊部隊を編成し、ミサイル攻撃と同時に台湾内に潜伏している工作員協働して台湾の軍事・行政経済通信・交通システムを攻撃し、潜水艦部隊は台湾の海港に機雷を敷設して港を封鎖するととに、グアムや横須賀から台湾に支援に向かうはずの米海軍第七艦隊を阻止する行動をとる予定になっている。

 

 こうした脅威を前にして、台湾はシナによる侵略に抗することができるか。残念ながら、今の台湾の軍事力ではそれを阻止することは不可能であり、米軍の助力が必要不可欠である。では、米軍は台湾有事の時に動くと期待できるか。確かに、以前の台湾の総統選のとき、人民解放軍台湾海峡で「ミサイル演習」を行ってその票の行方に影響を与えようとしたとき、米軍は空母機動部隊二個師団派遣して事なきをえた、という歴史がある。いわゆる台湾関係法に基づく米軍の出動であった。

 

 しかし、台湾関係法があるからといって必ず米軍が出動するとは限らないのが、実際のところではあるまいか。米国の国務省のアジア担当官などはシナとの衝突は米国の国益に叶わないから、衝突回避、すなわち台湾を見捨てることもやむなしと考えているかもしれない。シナは、事あるごとに核攻撃をちらつかせて、「ニュークリア・ブラックメール」を米国高官に送りつけている。「台湾に干渉することがあれば、米国の大都市を核攻撃する用意はいつでもできている」というのである。

 

 傍若無人の居丈高な言動する人民解放軍将校の発言の中には、単なる虚勢も含まれていることだろう。しかし、米中首脳会談のさなかに人民解放軍戦闘機が米空軍の戦闘機に急接近してきたことや、わが海上自衛隊護衛艦人民解放軍海軍東海艦隊所属の2000t級のフリゲート艦が射撃管制レーダーを照射した件でもわかるように、党中央軍事委員会人民解放軍の行動を完全に統制しきれているのかも怪しげな状況である。人民解放軍の行動が抑制的であると期待するのは、あまりにも楽観的な見方である。

 

 日本国民は、こちらから対立を醸成するかのような政策は講じるべきではないにしろ、しかし、今後確実に米国のプレゼンスが低下していき、米中のパワーバランスの相対的変化が必然となれば、当然にシナの軍事的脅威は増すに決まっているわけであるから、最悪の事態に備えて、可能な限り「自主防衛」できるだけの防衛力を整備していくべきであろう。

 

 その意味で、いまだ国内のコンセンサスは得られていないが、一部論者が主張するような核武装論は、核戦略論からすれば一つのオプションであろう。もっとも、日本の技術力からしてすぐにでも核武装が可能であるかのように主張する楽観論がみられるが、核武装は数か月で可能になるほど容易なものではない。机上の空論では可能なのかもしれないが、いざ核武装するとなると、クリアしなければならない技術上の困難を抱えざるを得ない。例えば、日本にはプルトニウムは抱負に存在するから、核武装するならばインプロージョン式の爆弾になるであろうが、そのための爆縮レンズの設計一つとっても、これは容易なことではないはずだ。だから、実際に爆発するかどうか実験を行わねばならなくなるわけだが、一体どこで実験を行うというのか、この狭い日本ではほぼ不可能なことは自明である。実験なくして爆発することが確証できるような技術が開発されることが要件もなろう。仮に実験せずとも爆発すると確証しうる高濃縮ウランを利用したガンタイプ方法で開発するにせよ、遠心分離機にかけて高濃縮ウランを生成しなければならないのだから、その場合において莫大な電力消費を伴ってしまう。

 

 政治的事情を考えれば、日本は核不拡散体制から脱退しなければならなくなるから、NPT体制からの離脱は、関連諸国の経済制裁を伴い、資源輸出がストップしてしまいかねない(間違いなく、オーストラリアからの輸入はストップする)。何よりも、日本の自立を封じている米国の特に国務省サイドの人間が許すわけがないだろう。すなわち、理想としては数百発の巡航核ミサイルだけでもいいから核武装することが望ましいが、現時点において現実的な選択とは言い難い。

 

 核武装が現実的に難しいのであれば、むしろCSMの開発に本気になって取り組むことを考えるのもありではないか。米国も次世代兵器として注目しているし、のみならず、それこそ日本の技術力が劇的に効果を発揮する可能性があると言われている。ミサイルのブースト段階で叩けるので、開発中のBMDよりずっと効果的であるし、なにより技術的に実現可能性が高いように思われるからである。核不拡散体制に抵触することもない。

 

 いたずらに「シナ脅威論」を煽ることは慎重であらねばならないものの、同時に、東シナ海での不測の事態の連鎖による軍事衝突の可能性がないとは言えなくなっているのが現実である。仮に尖閣海戦ともなれば、現時点ではおそらく海上自衛隊航空自衛隊の実力を考えれば、シナ海軍および空軍による侵略行為をはねつけることはできようが、局地戦において日本に大敗することで国内の反共産党暴動を抑えきれなくなった共産党指導部が「飛び道具」として核ミサイルを日本本土に発射しないとは確実に言えないので、たとえ局地戦での勝利を予想できたとしても、安穏としていられない事情がある。そのような脅威を抱え込むゆえ、尖閣で十分な防衛行動をとることを躊躇してしまう事態も最悪の場合として考えられる。

 

 背後に控える「飛び道具」の脅威を払拭するためにも、CSMやその他ミサイル艦隊を創設するなど適切な防衛力を強化することが、今後さらに傍若無人な挑発ないしは武力による威嚇を弄してくるであろう周辺諸国に対する最低限の備えとなる。自力で防衛する能力が完全ではないゆえに、一部は米軍の存在に頼らなければならない状況は屈辱的なことではあるが、そうした屈辱的状況をなくしていく方策としての核武装論は、今後ますます高まってくるであろう。

 

 むろん、今の政治環境でそれがすぐにでも実現可能であるとは思えない。NPT体制にも加わっている上、同盟国である米国に日本の軍事的・政治的独立が押さえつけられている状況では、今できる政策には限りがあることだろう。だが、米国内にもこれまでの対日政策を変更し、日本の軍事的自立を認めざるをえないと考える有識者や政府高官も少数派ではあるが、増えてきている。中・長期的な日本の安全保障の戦略を打ち立てることが急務であるのに、それを怠っている政治の責任は重大である。日本国および日本国民の独立的生存と繁栄を守るために何をなすべきか、それを考える政治家があまりにも少ない。

 

 このように日本をとりまく安全保障関係は相当危険水域にまで達しているとはいえ、そのことを認めることが辺野古への代替施設建設を強行する理由にはならないことも、また確かなことなのである。

 

 移設問題をめぐる報道のあり方も、相変わらずの東京視点に立脚した物言いしかできておらず、かつそのことに無自覚であり続けている。在京マスメディアの視点と、例えば琉球新報や沖縄タイムズの視点を見比べてみればいい。その社説に賛成する反対するに別にして、少なくとも琉球新報や沖縄タイムズは、基地問題に関して相当な情報・知識に基づいて理詰めで米軍基地が沖縄に集中していることの重大性を論じているのに対し、在京メディアは安全保障の観点からのみ強調するきらいがある。

 

 「日米安保が重要である」。この主張を是としても、これが即ち沖縄にこれ以上の負担を押し付ける理由にはならないということが論じられねばならないだろう。したがって、沖縄へのこれ以上の負担 を許さないとの言説に対して、日米安保の重要性を持ち出しても何らの説得的な反論足り得ない。もし、日米安保が不要であるという理屈でのみ批判するのであれば、日米安保の重要性を説明することは反論になりうるだろう。今回の問題は、これ以上の沖縄への過剰負担を押し付けるか否かが主要な争点になっているのだから、有効な批判にはならないということである。

 

 仮に日本国民が、日米安保が重要で海兵隊の訓練施設も日本の安全保障上必要不可欠な存在であるとみなすならば、日本国民自身応分の負担をすべきであり、それは日米安保のもとで経済発展と平和を最も享受してきた東京がその経済力に見合った負担をすべきであって、その意味で「沖縄の米軍基地のすべてを東京に持って いけ」という主張も、とりあえず地政学的利点を無視するとして、あながち暴論とも言いがたいのである(現実的にそれが可能とは思われないが)。

 

 辺野古基地建設に対して専らイデオロギーから反対運動している左翼にはいささかもくみしたくない。しかし、そういう左翼とは別に、あまりに理不尽な日本政府の沖縄政策に対して素朴な怒りを示す沖縄県民の声には胸が痛まないわけにはいかない。

「保守の哲学」としての廣松哲学

現代日本を代表するマルクス主義哲学者として、廣松渉の名を挙げない者ものはいないだろう。たとえ、マルクス解釈につき水と油の関係に立つだろう「正統派」に属する側の者であっても、廣松渉の業績を無視することは、学問的誠実性に欠ける態度というものである。少なくとも、日本共産党系の哲学者による、ほとんどスターリン主義と代り映えのしない弁証法唯物論を判で押しただけの「ただもの論」よりは、深くマルクスのテキストを読み込んでいる解釈である。周知の通り、廣松哲学の第一テーゼは「関係の第一次性」であり、それは「共同主観性」論を媒介とした「事的世界観」へと収斂する。

 

そのことは、「自然」をどう捉えるべきかについての立論にも端的に表れている。伝統的には、「自然」という概念に込められている意味とは、人間の主観なり技巧なりといった人為に依らず、「それ自体で」そのようなものとしてある存在である。アリストテレスの『形而上学』によれば、「自然」とは、神々や人間のその都度のテクネーに依存することなく、自らの内に生成消滅する原理ないしは原理を有するものである。自らの内に運動の原因を持っているので、他のものに依存することなく存立するものとして考えられた。こうしたアリストテレスの考え方は、その後の「自然」の捉え方に大きな影響を与えた。

 

伝統的な「自然」の捉え方に対して現象学は、志向対象の実在という超越者を措定するのではなく、自然をそれ自体で成立している現象ないし存在者であるように「意味されている」ものとして捉えることとし、「それ自体で成立している」とはどういうことか、という問題に立ち返って、現象学的分析がなされる。超越論的還元によって見出されたノエマは、「自我」のノエシスという構成的能作に還元されるものの、その「自我」が、それに対して受動的であると受けとられる「前言語的」な「自然」は、「理念の衣」を剥がされた直観のhyletichな基底層として規定される。「自然」というノエマを自我の構成的能作にいったん還元し、そこから明証性を獲得せんとする現象学は、当の「自然」を構成的に根拠づける主観性自体も生成消滅する「自然」との共通な存在解釈の内に動いていることを見出すというのである。

 

ハイデガーは、上記のようなフッサール現象学をさらに進めて、存在一般の意味の解明の途上の「予備的考察」的な側面が際立つ、『存在と時間』の中における「基礎的存在論」を展開した。それによれば、意味の了解者は意味世界に自らを投企する者であり、この了解される意味世界の成立は了解という能作に還元されないので、フッサールの思考の如き「自我」なり「主観」と捉えられるべきではないという。世界を対象として眼前に定立する世界外の「自我」ならぬ了解者による了解は、その者の自己投企を可能ならしめるOffenheitとして捉えられなければならないというのである。それゆえハイデガーは、「自我」も「主観」も使用せず、存在Seinが自らを開示する場であるところという意味で「現存在Dasein」という用語を使用した。

 

ハイデガーによると、フッサールもそう指摘する通り、物理学における客観的事象としての「自然」は、そのようなものとして理解している現存在の自己投企を忘却したからこそ措定できる。こうしたVorhandenseinは、現象とは須らく現存在の自己投企を可能に可能ならしめる限りでのみ、そのようなものとして現象しているに過ぎないにもかかわらず、そのことを忘却しているからこそ、可能な一種の錯覚に他ならないわけである。そうしたVorhandenseinとして出会われる世界の手前で、すなわち我々が生きている世界で出会われる物事は、いずれもZuhandenseinとして見出される。

 

ハイデガーの影響を大きく受けた和辻哲郎倫理学においては、『人間の学としての倫理学』の中の「マルクス」の章でのマルクス解釈に反映されている通り、人間の生活と乖離した「自然」というものを見ない。そのことが最も現れているテクストが、和辻の主著である『倫理学』である。この書は「人間存在の歴史的風土的構造を明らかにし、国民的存在の世界史における意義と、その当為とを考察したものである」。和辻は、『倫理学』の下巻の第四章の第二節「人間存在の風土性」において、次のように述べている。

数へ切れぬ世代の人々が、この国土によつて養はれ、この国土の開発と組織のために働らき、さうしてこの国土の土のなかへ帰つていつた。だからそこには祖先の墓があり、祖先以来耕し続けてきた田畑があり、祖先以来漸次発達してきた灌漑組織がある。それは文字通りに「父祖の国」「祖国」である。人々はそこに深い連帯感を抱かざるを得ない。

 

 和辻にとって人間とは、時間的・空間的な構造をもって人倫的組織を形成する存在である。逆に言えば、時間も空間もそういう人倫的組織の刻印がされたものであって、その固有の歴史性や風土性を無視した時間や空間は抽象の結果でしかない。

歴史とは、国家を形成する統一的な人間共同体が、超国家的場面において自己の統一を自覚するとともに、この統一的な共同存在の独特な個性を規定してゐる過去的内容のうちの主要なるものを、共同の知識として何人も参与し得る客観的公共的な形に表現したものである。

 

国土の成立は一様に広がつてゐる土地の或る一部分に一定の固有な位置、固有な性格、固有な意義を与へるのである。それによつてこの土地は、他の土地と勝手に取りかへることのできぬもの、この位置、この形態において一定の人間存在と不可分の連関を有するもの、従つてこの人間存在に属せざる人間をそこから排除するもの、として公共的に承認される。このやうな土地の限定が人間のうちに醸し出す構造こそ、風土性の問題にほかならないのである。

 

この和辻の倫理学の根本発想を、こと「自然」の捉え方に関して共有ないしは類似の観念を持っている哲学者として、廣松渉を挙げることができる。実際、廣松と和辻のマルクス解釈は非常に似た側面があり、廣松自身、東京大学本郷キャンパス倫理学科の、ちょうど死去する一年前の1993年度夏・冬学期の演習にて、和辻倫理学を扱っていたことが、『廣松渉著作集』(岩波書店)の第15巻に収録されている「年譜」で確認できる。その廣松であるが、廣松が「自然」をどのように捉えていたかを確認しておくのに最も好都合な著作は、『世界の共同主観的存在構想』と『マルクス主義の地平』及び『物象化論の構図』ではないかと思われる。

 

ここでは、『物象化論の構図』における核心となる部分を確認しておきたい。廣松渉『物象化論の構図』の第Ⅳ章は「自然界の歴史的物象化」と題され、単刀直入に「自然」観の問題に取り組んでいる。まず通俗的マルクス主義解釈における「自然」観を確認し、これを批判することから始まっている。

マルクス主義の自然観といえば、「所詮は19世紀の自然科学的世界像をmutatis mutandis(適当な変更を加えて)追認したものにすぎない」という暗黙の了解が人口に膾炙されているように見受けられる。斯くの如き既成観念が拡延した経緯には自称・他称の“マルクス主義者”たちの論著が与っていることも否めない。某々国の官許マルクス主義教程ないしその義疏のごときは、戯画に堕した“弁証法”プロクルステスのベッドに截り合わせてはあるが、内実的には古典物理学的自然像の一変種という印象を賦えたとしても、蓋し無理からぬものがある。

廣松は、この文章にも反映されている通り、俗流唯物論と化した主流派のマルクス主義解釈の枠組みでは、所詮は古典物理学的世界像の一変種でしかなく、その中における「自然」の捉え方は誤っているということを言いたいわけである。さらに続けよう。

翻って惟えば、しかし、マルクス・エンゲルスの場合、ヘーゲル弁証法的な自然哲学との関係は暫くおくとしても、前世紀の中葉、まさにドイツの読書界を風靡したいわゆる俗流唯物論(これこそ自然科学的唯物論の一典型にほかならない)との厳しい対決を通して理論的構築がおこなわれている。この一事に鑑みても、マルクス・エンゲルスが自然科学的世界像を安直に追認したとは考え難い筈である。現に彼らは、近代哲学的世界了解の超克、新しい哲学的世界観の模索を公然と標榜したフォイエルバッハの提言を承けており、思想形成史上の経緯からいっても科学主義的Objektivismusの世界像(およびこれと双対をなす人間主義Subjektivismus)の地平を先駆的に踰越すべき問題状況下におかれていた。筆者が顕揚したい所以のものもこの案件に懸っているのであるが、マルクス・エンゲルスの原像に就こうとするかぎり、いわゆる科学的実在論の構図を誣いる既成観念は、この際、抜本的に革めらるべきであると考える。

確かにマルクスは、1841年の学位論文『デモクリトスエピクロスの自然哲学との差異』に見られるように、若い頃から「自然」の問題に関心を抱き続けていた。マルクス・エンゲルスによる1845年の『神聖家族』には、次のような表現がある。

ヘーゲル哲学のうちには三つの要素がある。すなわち、第一にスピノザの実体、第二にフィヒテの自己意識、第三に両者の統一物である絶対精神である。第一の要素は人間から切り離して形而上学的に改作された自然であり、第二のものは自然から切り離して形而上学的に改作された精神であり、第三のものは、これら両者の形而上学的に改作された統一であり、現実の人間、現実の人類である。

そして、自然と人間との真の統一という問題意識をヘーゲル左派のフォイエルバッハやブルーノ・バウアーから継承しつつ、新たな自然観・人間観ひいては新しい世界観の地平を開かんとしてして書かれた第二の共著『ドイツ・イデオロギー』には、次のようには述べられている。

フォイエルバッハは、彼をとりまいていいる感性的世界は決して永遠の昔から直接無媒介的に存在している恒常的に自己同一的な事物なのではなく、産業と社会状態の所産であるということをみない。

自然界とは、決して事物の真の本質を看取する高次の哲学的直観のみに与えられるような、あるいは物理学者などに眼にしか開示されないような自存的な実体的対象界ではないというのである。フォイエルバッハが選好する「最も単純な“感性的確知”の対象でさえ、社会的発展、産業ならびに商業交通によってのみはじめて彼に与えられるのである」。

事物が現実に如何にありそれは如何にして生起したものであるかに即して事物を捉えるわれわれの観方においては、意味深長な哲学的諸問題は経験的な一事実に解消する。例えば、人間と自然との関係についての重大問題、かの大評判の“人間と自然との統一性”なるものは、産業の場面で昔から厳存していたものであり、産業の発展の高低に応じて時代ごとに別様なあり方で厳存してきたということを洞見すればおのずと氷解する。

ここで論じられていることは、単純に自然界であるといえども、人間の営為によって変様された所産であると言っているわけではないということである。

歴史においてはどの段階にあっても、或る物質的な成果、生産諸力の一総体、歴史的に創造された対自然ならびに個人相互間の一関係が見出される。これは、各世代に先行世代から伝授されるものであるが、このものはなるほど一面では新しい世代によって変様されるとはいえ、他面では当の世代に対してそれ固有の生活諸条件を指定し、この世代に一定の発展、或る特殊な性格を賦与しもするということ、こうして人間が環況を作るのと同様、環況が人間を作るわけである。

廣松は、こうしたマルクス・エンゲルスの認識を捉え、“歴史内存在”ともいうべき存在の仕方を説明する。

この“歴史内存在”というべき在り方にあっては、自然的与件に対する人間の関係は、第一次的には、対象認識というテオレーティッシュな関係ではなく、物質的生活の関心に根差したプラグマティッシュ・プラクティッシュな関与であり、そこではまた、汝をはじめ他者との関係は、第一次的には他我としての認知といったスタティックなAnerkennungではなく、物質的生活の場での分業的協働という役割に編制されたペルソナ的な関係である。

マルクス・エンゲルスにとって現実の感性的自然界は、

産業と社会状態の生産物であり、しかもそれが歴史的な生産物であるという意味で、諸世代の全系列の活動の成果なのである。この活動、次々と進展する感性的な労働と創造、この生産こそが現に実存している全感性界の基礎なのである。尤も、この際、外的自然の先在性は残るし、史上はじめて登場した最初の人間には当てはまらない。がしかし、こういう区別だては、人間と自然とを区々別々のものとして考察するかぎりでしか意味をなさず、人間の歴史に先行するこの自然なるものは、最近誕生したばかりの二、三のオーストラリア沖の珊瑚島の上ならいざしらず、もはやどこにも存在しない代物である。・・・われわれは、「自然」といえども歴史的現実態においては既に、“人為”であるという前掲の提題や、自然を以って人間の非有機的身体と規定する発想(因みに、マルクスは後年の『経済学批判要綱』においても、労働の非有機的主体ないし非有機的諸条件としての自然を云々している)、これが自然界なるものを地表的規模でしか勘案していないかどうかは後段に委ね、マルクス・エンゲルスとしては、まずは「自然界」を人類の歴史的生活との即自対自的な統一性の相で捉えようとしているということ、このGruncverfassungを如上からあらためて念頭に納めねばなるまい。この際、謂うところの統一の媒介環が前項でみておいた通り、かの物質的生活の生産の場、対自然的・間主体的な実践的協働の場にほかならない。

もちろん、こうした主張に対しては、人類誕生以後のあるいはせいぜいが地球表面上の事象に限局される立論ではないかとの反論があることを廣松は予め想定している。廣松は、エンゲルスに即して次のように言う。

この議論がカントの物自体Ding an sichに対する認識論的批判としてどこまで妥当するか、これには異見の余地がありうるであろうし、人工的に創出できるようになればDing an sichがDing fur unsに転ずるという論点は、エンゲルス自身、認識論的にはこれで完結すると考えていたわけではあるまい。彼は「物質そのものals solcheというのは純粋な思惟の創造物であり、純粋な抽象である。・・・物質そのものは感性的に実存するものではない。自然科学が単元的物質そのものを探求すべく志すとき・・・自然科学の企図していることは、サクランやリンゴの代わりに、果物そのもの・・・を見出そうと努めるのと同断である」と考えており、彼としては、このように『物質そのもの』は実在せずと言い、あくまでDing fur unsに定位しようとする。「われわれにとっての事物」というのは、しかし、単なる「認識された事物」という次元においてではなく、人間の歴史的実践(基底的にはかの「生産活動」)によって開示されたDa-und Soseinの謂いであって、開示というのは、しかも、即物的な対象的創出ないし変成そのことの謂いではなく、an und fur sich wersen-bei sich seinの現成である。この故に、歴史的に現成した自然というのは、“地表的な環境世界に局限されるのではないか”との疑念はしりぞけられるのであって、人間が間主体的な協働的対象活動zusammenwirkkende gegenstaendliche Taetigkeitにおいて、“内・存在”する「自然」は、それが歴史的に開示されるかぎり、いわゆる大宇宙的な規模に及びうる次第であるとし、結論として、マルクス・エンゲルスは、いわゆる社会的・文化的な形象が物象化versachlichenされて現前するかぎりで、自然の歴史化と併せて歴史の自然化をも問題にしていくのであるが、総じてこの世界は、ハイデガー流のZuhandenseinでこそなけれ、歴史的に被媒介的な共同的生世界である。マルクス・エンゲルスは、原基的には、このような相で「自然」を観ずる。

マルクス・エンゲルスは、「われわれは唯一つの学、歴史の学しか知らない。歴史は二つの側面から考察され、自然の歴史と人間の歴史とに区分されうるが、しかし両側面は切り離すことができない。人間が生存するかぎり、自然の歴史と社会の歴史とは相互に制約し合う」として、自然と社会との統一的な「歴史」のWissenschaftの構想を打ち立てたものの、結局実現には至らなかった。「自然化された歴史」と「歴史化された自然」という二契機のうち、前者に関しては一定の体系的著述を残したが後者に関しては立ち入った論述を展開しなかったというのが廣松のマルクス・エンゲルス評価である。廣松は彼らの意図を勘案しつつ、かつ独自の拡大された物象化論をひっさげて「自然」の問題を論述したのであった。

事柄の全部面を対自化するためには、次のごときありうべき借間に仮託すると便利である。『ドイツ・イデオロギー』では、人間の生産活動が「感性界(つまり、見たり聞いたり触れたり、感覚的認知の対象となる現実的世界)全体の基礎」であると言われており、「感性界は産業と社会状態の生産物である」「感性界は歴史的生産物である」とまで断定されているが、しかし、人間の対象変容的活動が実地に及ぶのは地球表面の限られた一部だけであり、大宇宙的自然は人間の存在や活動とは殆んど無関係に自存するのではないか?また、人間による“自然改造”が地表的部分でおこなわれるとはいっても、それは皮相的変化たるにすぎず、“真の実在たる原子”といったレヴェルでみれば、産業や社会状態には関わりなく、独立自存するのではないか?もしそうだとすれば、「自然の歴史と人間の歴史とは切り離すことができない」と称して「唯一つの学」たる「歴史の学」を構想するのは、そもそも失当ではないのか?この可能的反問に答えるには、存在論的・認識論的な次元に立ち入って論考することを必要とするが、マルクスエンゲルスも、この次元にわたる主題的な論述は書遺していない。とはいえ、われわれは彼らが書遺している断片的な言説を手掛かりにして、彼らがもし右の反問に直面したとした場合、おおよそどのような線で回答をおこなったであろうかを推察することはできる。ここでは無論、この作業を周到に試みる段ではないが、大旨を簡略に述べてみよう。読者は、先の引用文中に「物理学者や化学者の眼にした開示されない秘密」云々とあったことを憶えておられるであろう。マルクス・エンゲルスの整理に従えば、フォイエルバッハは「直観」というとき、二重の相で考えている。その一つは、“肉眼”に明白な相での自然的事物を看取する普通の日常的直観であり、もう一つは、“真の本質”相での事物を看取する高次の学問的直観である。後者が嚮に謂う「物理学者や化学者の眼」に当たるものであり、フォイエルバッハとしては、この学問的直観の方を日常的直観よりも上位に置いている。このことが予備知識として念頭に置かれねばならない。さて、件の“反問”にあっては、まさに、“事物の「真の本質」相を看取する高次の学問的直観”、“物理学者や化学者の眼”に開示される相での自然が問題にされている。この相での自然ひいては事物一般こそが、通念では、客観的実在相そのものであり、肉眼に明白な相での自然は“見掛”にすぎないものと遇されるのが普通である。これに対して、マルクス・エンゲルスは、両者の優劣関係を単純に逆転させるわけでは決してないが、謂うところの“学問的な眼”そのものが歴史的・社会的な形成物なのであること、従って、この“眼”で“看取”された“客観的実在相”なるものも歴史的・社会的に相対的なものであること、この旨を指摘しようとする。人は、ここで、更に反問して言うかもしれない。歴史的・社会的に相対的な“客観的な”実在相なるもの、その都度の時代と社会における“学問的な直観”に開示される“自然”なるものは、自然そのものではなく、自然についての認識像にすぎないのではないか?認識像としての自然像はなるほど歴史的・社会的に相対的であり、「産業と社会状態の生産物」と言われうるにしても、自然的実在そのものは人間の存在や活動とは無関係に自存するのではないか?云々。旧来の認識論は、「自然そのもの」と「自然像」とを峻別してきた。これにはしかるべき理由があることであり、両者を単純に混同するようなことは許されない。だが、「自然そのもの」と称されているところのものの実情は何か?それは、なるほど“肉眼に明白な相での自然”ではない。だが、それは結局のところ、今日における“学問的な直観に開示された相での自然”にほかならないのではないか?それは、つまり、今日における「物理学者や化学者の直観」に開示された“学問的な自然像”に帰一しはしないか?なるほど、この学問的自然像とは別に“客観的自然そのもの”を想定することは論理上可能であろう。そして、現にそれを想定するのが近代認識論の常套でもある。だがしかし、具体的な“学問的自然像”を離れては、その“客観的自然そのもの”なる概念は実質的に空虚ではないのか?実際問題としては、その都度の時代・社会・文化圏において、“真実相”であると“公認”されているかぎりでの“学問的自然像”、これが事実上の客観的“自然そのもの”にほかならないのではないか?自然像とか世界像とか言うと、「対象-内容-作用」という近代認識論の三項図式のもとでは主観に内在的なな心像であるかのように扱われてしまうが、学問的自然像と呼ばれるものは、決して文字通りに“頭の中”にあるものではなく、まさしく人々の外部にある大自然そのものと別物ではないのである。この意味での「大自然」つまり「物理学者や化学者の眼に開示される自然」、これは人間の活動によって実地に直接的に変化するものでこそなけれ、やはり、歴史的・社会的に相対的な、歴史的所産なのである。マルクス・エンゲルスは、この構制を少なくとも即自的には把えていたが故に「感性的世界をそれを形成しつつある諸個人の<結合された>総体的生動的な感性的活動として把握する」立場を自己のものとし、「自然の歴史、すなわち、いわゆる自然科学」という言い方をも敢えてなし、「自然の歴史と人間の歴史とは切り離すことはできない」と言って、「唯一つの学」としての「歴史の学」を構想しえたのだと忖度される。読者のうちには、ここで反って次のように推測されるむきを生じるかもしれない。それは、いわゆる“学問的直観”に開示される自然なるものはイデオローギッシュな第二次的構築物であり、「肉眼に明白な相での自然」こそが真実在である、とマルクス・エンゲルスは考えていたのではないかという推測である。結論から先に言えば、この推測は正鵠を失している。「肉眼に明白な相での自然」つまり「感覚的な現認相」もまた、マルクスの考えでは、既にして、イデオローギッシュたることを免れない。『ブリュメール十八日』(1852年)の援用が許されるならば、マルクスは「感覚や幻想や思考様式」などをも「社会的な生存諸条件にもとづいて、特有の仕方で形成される」ところの「上部構造」に算入しており、実証主義者の流儀で「感覚」だけはニュートラルな超歴史的に妥当する終局的な与件であるとするような発想は断じて採っていないのである。「肉眼に明白な相での自然」、人々が日常的に関わっている直接的な対境的自然は、人々の対象変容的な活動によって実地に歴史化されているだけでなく、その「開示され方」においても間接的に歴史化されている。総じて、自存的な相で現前する自然界なるものは、「学問的直観に開示される相」であれ、「肉眼に明白な相」であれ、実際には「諸個人の<結合された>総体的生動的感性活動」の物象化に俟って現成している「歴史化された自然」なのである。

このように、廣松のマルクス解釈は先駆的で、他の凡百のマルクス学者のレベルとは桁外れであることは間違いないものの、ただどうしても廣松のマルクス解釈からは「唯物論」としてのマルクスが帰結しがたいとの疑問がなお残る。確かに「正統派」の解釈は、マルクスのテクストというよりもむしろエンゲルスの主張しかもそのエンゲルスの主張を更に体系的に精緻化したカウツキーとその影響を露骨に受けたレーニンの解釈に基づいている。そしてこの系譜に連なる解釈はマルクスのテクストを子細に検討するならば無理のある解釈であると言わざるを得ず、ことマルクス解釈の点では廣松に分があることも確かなのである。

 

このマルクス解釈は、むしろ和辻哲郎によるマルクス解釈に近い。和辻のマルクス批判は、直接的にマルクスそのものへの批判の形をとるというより、マルクス主義哲学者たちのマルクス解釈に向けられたものである。和辻は、マルクス唯物論として理解すべきではなく、むしろ「現実主義」との表現で以って主張する方が相応しいというのである。抽象的な認識論的主観から出発する傾向にある近代哲学の一部の系譜に対して、マルクスが『ドイツ・イデオロギー』において「生きた現実的諸個人」を出発点に据えて対置させたこと及び自然を生きた現実的諸個人の関係の織り成す生産諸活動との関係で以って捉えられた「歴史化された自然」を論定するマルクスを評価する和辻に対して、戸坂潤は、むしろ「正統派」の解釈をぶつけ和辻を批判する。しかしながら、熊野純彦も指摘するように、ことマルクス解釈に関して、あくまで「正統派」の解釈に固執する戸坂よりも、和辻の方こそマルクスのテクストを子細に読み込んでいたということになる(なお、戸坂潤はマルクス主義を標榜していたが、それ以前の新カント派的な方向で書いていた『空間論』の方がマルクス主義に転向した後より格段に面白いのである。時代の限界があるとはいえ、あの当時の哲学者で相対性理論をあれほど勉強していた者は、田邊元のような例外はあるとはいえ、ほとんどいない)。

 

ところが、この廣松哲学と和辻倫理学の親和性が際立つほど、「変革の哲学」とは異質の「保守の哲学」に至りついてしまうのではないかとの疑いが強くなってくる。とりわけその側面は、共同主観性と正義の関係をめぐる議論で際立つのである。この点で、廣松の共同主観性の哲学からは変革の論理が導き出せないと佐藤優が『復権するマルクス-戦争と恐慌の時代に』(角川新書)で指摘していたことは、あながち間違いでもないのかもしない。