shin422のブログ

反モダニズムの極右反動主義者による「便所の落書き」

安全保障と沖縄

 玉城デニー沖縄県知事安倍晋三首相と首相官邸で会談し、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の同県名護市辺野古への移設工事を巡り、政府による岩礁破砕の違法性を問う移設差し止め訴訟について、最高裁への上告を取り下げる方針を伝えたとの報道があった。報道によると、沖縄県側としては上告取り下げを譲歩カードとした上で、交換条件として工事中断と今後1カ月程度かけて県との協議の応対を求めたらしい。県側が先に譲歩したかたちになるが、どうやら安倍政権としてはこれに応じるつもりはなく、粛々と工事を進めていく方針を変更する意思はなさそうである。沖縄県にその多くの基地が密集する米軍の基地やその関連施設をめぐる議論は、大きく分けて二つのレヴェルに分かれる。一つは、我が国の安全保障政策をどうするのかという問題であり、もう一つは沖縄県に米軍基地が密集している状況をどう考えるのかという問題である。左翼は、沖縄に基地が密集しているか否かに関係なく、とにかく我が国の武装そのものを否定する集団なので、基地が自衛隊のものであろうと米軍のものであろうとかかわらず、また、その基地が沖縄県にあろうとなかろうと関係なく、いずれにせよ反対しているので、安全保障をめぐる客観的情勢からみて建設的な対話はほぼ不可能とみてよい。なにせ、左翼は中華人民共和国南北朝鮮の軍拡には一切言及せず、ことさら日本の武装のみを非難糾弾しているわけだから、多くの国民の理解を得られるわけがないだろう。しかし、そうしたイデオロギー上の理由ではない、理不尽なことへの切実な怒りの声に対しては一も二も理があるとの思いがする。

 

 冷戦構造が解体し、一時は米国による一極覇権構造が確立するかに見えたが、そうした一極構造は本来的不安定性を有しているために早番不安定となっていくだろうとの予想通り、米国の一極覇権構造は徐々に解体し、その後は米中二極構造になるのか、それとも多極化構造に至るのか、まだ判断することはできない。ただ国際政治の在り方としては多極化構造がごく自然な構造であって、複数の国や同盟が勢力均衡することにより安定を維持してきたのが通常である。1648年以来のウェストファリア体制は、相対的安定性を長く維持することに貢献した。その体制の解体を決定づけたのが、黒人やアジア人が大嫌いであった白人至上主義者の米国のウィルソン大統領による「国際協調外交」であったことが歴史の皮肉でもあった。それはともかく、ウォルトやミアシャイマーまたはウォルツやギルピンといったリアリストとされる国際政治学者は、今後、米国のプレゼンスは徐々に低下し、一極構造が崩壊した後は、多極化は不可避であることを述べている。おそらくその分析は正しい。もちろん、米国の外交スタンスは、リアリストとリベラリストとのせめぎあいの場でもあって、ベトナム戦争イラク戦争にリアリストが反対するのに対して、リベラリストが戦争を進めてきた事情を考えると、一極覇権構造になおしがみつくリベラリストが再び戦争を決断することもありうる。「戦争は平和主義者が起こす」としばしば言われるのも、米国の外交当局者を見れば理解されよう。問題は、戦争を回避するために力の均衡をどう図るかということである。「戦争反対」を絶叫することで戦争が回避できるわけではない。多くは、その絶叫こそが戦争を拡大してきた一因になってきたわけだから。

 

 我が国をとりまく安全保障環境は、日に日に危険度を増してきていることは事実である。現に、日本以外の北東アジア諸国はそれに備えて軍拡を継続している。日本だけが、経済力に見合った国防の拡充を怠り、平和を維持するどころかむしろ危機に陥れることになる力の空白状況を作りだしているわけである。とりわけ、中華人民共和国の覇権志向はとどまるところを知らず、南シナ海のみならず東シナ海をもシナの勢力範囲に取り込もうと一貫した方針のもとに、軍拡を推し進めその他諸々の工作を続けている。中華人民共和国共産党指導部は1992年に制定した領海法の下、南シナ海及び東シナ海をシナの「内海」とすべく東南アジア諸国のみならず日本にまで触手を伸ばしていることは、これまでの歴史的事実として衆目の一致するところである。また台湾併合への野心も露骨に表明するに至っている。 特に、2000年代において北東アジアでの米軍のプレゼンス相対的低下、イラク戦争後の米国覇権の世界的後退過程の中で、急速に軍事力を拡大したシナ海軍の将校の中には、自信過剰になっている将校も徐々に増え、中には挑発的・好戦的言動を堂々と弄する高級将校まで出現してきた。「中国共産党」指導部にはさすがに自国の海軍の実力のほどを弁えている者もいるようだが、人民解放軍は世界を知らない悪い意味での「田舎者」の集団であるから、客観的な実力以上に自身の実力を見積もる傾向があるようで、このような状況が軍事衝突のリスクを一層高める一因ともなっている。北東アジアの安全保障環境が激変する中で、わが国は必要な防衛力強化を怠り、軍事的不安定を一側加速させることに「寄与」してしまった。よかれと思った「平和的な」軍縮政策がヴァルネラブルな状況を作り出し、逆に国防力の拡張がむしろ安定をもたらすという逆説。もちろん野放図な軍拡は、かえって安全保障リスクを高めることにしかつながらないものの、このようなセキュリティ・ディレンマやセキュリティ・パラドクスをも十分に顧慮しつつ、北東アジア地域における米軍のプレゼンス低下やシナ海軍の急速な軍拡に対応した必要な防衛力整備が求められるだろう。なぜなら、これ以上の米軍のプレゼンス低下とシナの軍拡の延長は、もはや北東アジア地域でのシナの覇権・権益拡張を抑えきれなくなる危険性を告げているからである。

 

 中華人民共和国1949年建国以来、台湾の併合・統一を国是に掲げ、継続的に台湾への干渉を続けてきた。元国家主席江沢民は、2020年を目途に台湾を併合することを宣言していた。今後も、台湾に対する武力による併合をも含め、台湾との統一を放棄することは絶対にないだろう。その理由としては、思想的な理由と安全保障上の理由が存する。清朝が台湾を自国の領土として編入したのは16世紀ごろだったと思われるが、それでも「化外の地」として事実上の統治の対象外であった台湾島が、日清戦争での敗北により日本に割譲されたことへの「中華民族屈辱」を克服するという大義名分がある。すなわち、「東夷」である「小日本」なんぞに我が国の領土が奪われたという屈辱感を、シナ人はいつまでも忘れていないのである。それから安全保障上、中華人民共和国米国の勢力をアジアから駆逐して東アジアでの絶対的覇権を制するには、台湾統一はぜひとも実現しなければならない案件であるということである。アリューシャン列島から日本列島沖縄諸島尖閣諸島、台湾、フィリピンボルネオと続く「第一列島線」がシナ大陸を包囲し、中国人民解放軍空軍海軍は、いわばこの「第一列島線」に封じ込められている。今後、米国の勢力をアジアから駆逐して東アジアでの覇権を握るためには、この「第一列島線」による囲い込みを打破し、自由に外洋へと進出できなければならない。そうすると、台湾や尖閣諸島がそのための橋頭保となるはずであって、中華人民共和国の膨張政策にとっては絶対に妥協できない「領土」なのである。事実、人民解放軍軍事科学院の政治委員は「台湾を回復しなければ、われわれは米国による対中海洋封鎖線を突破することはできない。われわれがこの封鎖線を突破しなければ、われわれは『シナの台頭』を実現することができない」と明言しているし、マッカーサーも「台湾は、空軍と潜水艦にとって自然の要塞である。シナが台湾を獲得すれば、この地域における米軍の勢力維持が困難になるだろう。シナによる台湾獲得は、シナ軍の攻撃能力を数倍高める要塞を、彼らに提供することになる。シナは台湾の軍事基地を利用して、日本とフィリピンに圧力をかけることが可能になる」と米上院軍事外交合同委員会で証言している。さらに国際政治学者ソーントンも「もしシナが台湾を獲得すれば、マラッカ海峡から日本・韓国へ向かうシーレーンをシナに制覇されてしまう。シナによる台湾獲得が実現すれば、日本や韓国は『中華勢力圏の衛星国』に成り果てるだろう」と論じている。

 

 中華人民共和国の「平和的台頭戦略」は2020年ごろまで継続させ、その後に露骨な軍事力を背景とした「恫喝外交」を本格化させる予定のようであるが、そこには米国の「パワー」の相対的低下を予想したしたたかな戦略がある。最終目標はもちろん、米国勢力のアジアからの駆逐と台湾併合、そして日本の中華勢力圏への編入である。表向き「平和的」な装いをしても、いざとなれば軍事力を行使した武力統一も辞さないというのが、北京政府の一貫した考えである。例えば、台湾が独立を正式に宣言した場合、台湾で内乱が起きたとき、外国政府が台湾の内政に干渉したとき、台湾政府が中華人民共和国との統一交渉を遅らせる場合、台湾が核武装したとき、には武力攻撃すると公言してきた。そのため、人民解放軍は7つの特殊部隊を編成し、ミサイル攻撃と同時に台湾内に潜伏している工作員協働して台湾の軍事・行政経済通信・交通システムを攻撃し、潜水艦部隊は台湾の海港に機雷を敷設して港を封鎖するととに、グアムや横須賀から台湾に支援に向かうはずの米海軍第七艦隊を阻止する行動をとる予定になっている。こうした脅威を前にして、台湾はシナによる侵略に抗することができるか。残念ながら、今の台湾の軍事力ではそれを阻止することは不可能であり、米軍の助力が必要不可欠である。では、米軍は台湾有事の時に動くと期待できるか。確かに、以前の台湾の総統選のとき、人民解放軍台湾海峡で「ミサイル演習」を行ってその票の行方に影響を与えようとしたとき、米軍は空母機動部隊二個師団派遣して事なきをえた、という歴史がある。いわゆる台湾関係法に基づく米軍の出動であった。しかし、台湾関係法があるからといって必ず米軍が出動するとは限らないのが、実際のところではあるまいか。米国の国務省のアジア担当官などはシナとの衝突は米国の国益に叶わないから、衝突回避、すなわち台湾を見捨てることもやむなしと考えているかもしれない。シナは、事あるごとに核攻撃をちらつかせて、「ニュークリア・ブラックメール」を米国高官に送りつけている。「台湾に干渉することがあれば、米国の大都市を核攻撃する用意はいつでもできている」というのである。傍若無人の居丈高な言動する人民解放軍将校の発言の中には、単なる虚勢も含まれていることだろう。しかし、米中首脳会談のさなかに人民解放軍戦闘機が米空軍の戦闘機に急接近してきたことや、わが海上自衛隊護衛艦人民解放軍海軍東海艦隊所属の2000t級のフリゲート艦が射撃管制レーダーを照射した件でもわかるように、党中央軍事委員会人民解放軍の行動を完全に統制しきれているのかも怪しげな状況である。人民解放軍の行動が抑制的であると期待するのは、あまりにも楽観的な見方である。

 

 日本国民は、こちらから対立を醸成するかのような政策は講じるべきではないにしろ、しかし、今後確実に米国のプレゼンスが低下していき、米中のパワーバランスの相対的変化が必然となれば、当然にシナの軍事的脅威は増すに決まっているわけであるから、最悪の事態に備えて、可能な限り「自主防衛」できるだけの防衛力を整備していくべきであろう。その意味で、いまだ国内のコンセンサスは得られていないが、一部論者が主張するような核武装論は、核戦略論からすれば一つのオプションであろう。もっとも、日本の技術力からしてすぐにでも核武装が可能であるかのように主張する楽観論がみられるが、核武装は数か月で可能になるほど容易なものではない。机上の空論では可能なのかもしれないが、いざ核武装するとなると、クリアしなければならない技術上の困難を抱えざるを得ない。例えば、日本にはプルトニウムは抱負に存在するから、核武装するならばインプロージョン式の爆弾になるであろうが、そのための爆縮レンズの設計一つとっても、これは容易なことではないはずだ。だから、実際に爆発するかどうか実験を行わねばならなくなるわけだが、一体どこで実験を行うというのか、この狭い日本ではほぼ不可能なことは自明である。実験なくして爆発することが確証できるような技術が開発されることが要件もなろう。仮に実験せずとも爆発すると確証しうる高濃縮ウランを利用したガンタイプ方法で開発するにせよ、遠心分離機にかけて高濃縮ウランを生成しなければならないのだから、その場合において莫大な電力消費を伴ってしまう。政治的事情を考えれば、日本は核不拡散体制から脱退しなければならなくなるから、NPT体制からの離脱は、関連諸国の経済制裁を伴い、資源輸出がストップしてしまいかねない(間違いなく、オーストラリアからの輸入はストップする)。何よりも、日本の自立を封じている米国の特に国務省サイドの人間が許すわけがないだろう。すなわち、理想としては数百発の巡航核ミサイルだけでもいいから核武装することが望ましいが、現時点において現実的な選択とは言い難い。核武装が現実的に難しいのであれば、むしろCSMの開発に本気になって取り組むことを考えるのもありではないか。米国も次世代兵器として注目しているし、のみならず、それこそ日本の技術力が劇的に効果を発揮する可能性があると言われている。ミサイルのブースト段階で叩けるので、開発中のBMDよりずっと効果的であるし、なにより技術的に実現可能性が高いように思われるからである。核不拡散体制に抵触することもない。

 

 いたずらに「シナ脅威論」を煽ることは慎重であらねばならないものの、同時に、東シナ海での不測の事態の連鎖による軍事衝突の可能性がないとは言えなくなっているのが現実である。仮に尖閣海戦ともなれば、現時点ではおそらく海上自衛隊航空自衛隊の実力を考えれば、シナ海軍および空軍による侵略行為をはねつけることはできようが、局地戦において日本に大敗することで国内の反共産党暴動を抑えきれなくなった共産党指導部が「飛び道具」として核ミサイルを日本本土に発射しないとは確実に言えないので、たとえ局地戦での勝利を予想できたとしても、安穏としていられない事情がある。そのような脅威を抱え込むゆえ、尖閣で十分な防衛行動をとることを躊躇してしまう事態も最悪の場合として考えられる。背後に控える「飛び道具」の脅威を払拭するためにも、CSMやその他ミサイル艦隊を創設するなど適切な防衛力を強化することが、今後さらに傍若無人な挑発ないしは武力による威嚇を弄してくるであろう周辺諸国に対する最低限の備えとなる。自力で防衛する能力が完全ではないゆえに、一部は米軍の存在に頼らなければならない状況は屈辱的なことではあるが、そうした屈辱的状況をなくしていく方策としての核武装論は、今後ますます高まってくるであろう。むろん、今の政治環境でそれがすぐにでも実現可能であるとは思えない。NPT体制にも加わっている上、同盟国である米国に日本の軍事的・政治的独立が押さえつけられている状況では、今できる政策には限りがあることだろう。だが、米国内にもこれまでの対日政策を変更し、日本の軍事的自立を認めざるをえないと考える有識者や政府高官も少数派ではあるが、増えてきている。中・長期的な日本の安全保障の戦略を打ち立てることが急務であるのに、それを怠っている政治の責任は重大である。日本国および日本国民の独立的生存と繁栄を守るために何をなすべきか、それを考える政治家があまりにも少ない。

 

 このように日本をとりまく安全保障関係は相当危険水域にまで達しているとはいえ、そのことを認めることが辺野古への代替施設建設を強行する理由にはならないことも、また確かなことなのである。移設問題をめぐる報道のあり方も、相変わらずの東京視点に立脚した物言いしかできておらず、かつそのことに無自覚であり続けている。在京マスメディアの視点と、例えば琉球新報や沖縄タイムズの視点を見比べてみればいい。その社説に賛成する反対するに別にして、少なくとも琉球新報や沖縄タイムズは、基地問題に関して相当な情報・知識に基づいて理詰めで米軍基地が沖縄に集中していることの重大性を論じているのに対し、在京メディアは安全保障の観点からのみ強調するきらいがある。「日米安保が重要である」。この主張を是としても、これが即ち沖縄にこれ以上の負担を押し付ける理由にはならないということが論じられねばならないだろう。したがって、沖縄へのこれ以上の負担 を許さないとの言説に対して、日米安保の重要性を持ち出しても何らの説得的な反論足り得ない。もし、日米安保が不要であるという理屈でのみ批判するのであれば、日米安保の重要性を説明することは反論になりうるだろう。今回の問題は、これ以上の沖縄への過剰負担を押し付けるか否かが主要な争点になっているのだから、有効な批判にはならないということである。仮に日本国民が、日米安保が重要で海兵隊の訓練施設も日本の安全保障上必要不可欠な存在であるとみなすならば、日本国民自身応分の負担をすべきであり、それは日米安保のもとで経済発展と平和を最も享受してきた東京がその経済力に見合った負担をすべきであって、その意味で「沖縄の米軍基地のすべてを東京に持って いけ」という主張も、とりあえず地政学的利点を無視するとして、あながち暴論とも言いがたいのである(現実的にそれが可能とは思われないが)。辺野古基地建設に対して専らイデオロギーから反対運動している左翼にはいささかもくみしたくない。しかし、そういう左翼とは別に、あまりに理不尽な日本政府の沖縄政策に対して素朴な怒りを示す沖縄県民の声には胸が痛まないわけにはいかない。