shin422のブログ

右翼反動による「便所の落書き」擬きの日記

「保守の哲学」としての廣松哲学

 己の政治的立ち位置は民族派右翼であり現に行動右翼の団体に所属する構成員であるわけだが、同時に金融資本の走狗として働く身でもある状況に困惑すること屡でありながら、なお一層事態をややこしくしているのは、現在の政治経済状況の一端を分析する道具として今も「帝国主義論」が有効性を持っていることが否めないと考える立場でもあるからである。例えば、政治学者の渡辺治や社会哲学者の後藤道夫らによる日本社会の構造の特徴を捉えた「企業社会論」からの流れを汲む「新帝国主義論」は、数年前にベストセラーとなったデイヴィッド・ハーヴェイの『新自由主義-その歴史的展開と現在』(作品社)のネオリベラリズム批判に10年以上も先行していたわけで、この点については反共の立場である者からしても正当に評価するに吝かではないのである。彼らは周知の通り、日本共産党に近い学者であり僕とは全く思想的立場が異なる者だが、その党派性のバイアスがかかっているとはいえ、日本における新自由主義の萌芽が1980年代の中曽根康弘政権と見、後にこの動きが1993年の非自民連立政権として誕生した細川護熙政権以降に本格化したとする診断は正しかったわけである。

 

 渡辺治と後藤道夫は若干、日本共産党との距離の取り方が違っている。少なくとも渡辺治は、おそらく日本共産党の党員ではないだろうか。毎年のように「新春対談」と称して日本共産党の機関紙『赤旗』紙上で日本共産党委員長志位和夫と対談しているし、不破哲三の『スターリン秘史』(新日本出版社)が出されるや、その対談者として担ぎ出されていることから、渡辺は党幹部の覚えめでたい知識人なのであろう。彼らの議論は、戦後の日本経済の復活過程をどうみるかということに関して日本共産党の「公式見解」であった「従属帝国主義論」とは異なるいわば「自立帝国主義論」を展開している。そうした背景を持つ渡辺治は、研究者として反体制の旗印を掲げ、そのため書くものは勢い社会運動家の書き物と見紛う一面もある。この点を欠点とみるかそうでないか、意見の分かれるところであろう。研究の一端をみると、元々は憲法学者の奥平康弘の下で治安維持法の研究から出発したわけであるが、東京大学社会科学研究所という附置研究所在籍時に名著との定評のある『日本国憲法「改正」史』(日本評論社)を著したことを皮切りに、戦後の象徴天皇制がその時々の政治過程により役割と機能を変質させられていった次第を批判的に分析した『戦後政治史のなかの天皇制』(青木書店)、中曽根政権時に設けられた「臨教審」の場で繰り広げられた「教育改革」に潜むイデオロギーの分析を起点として、そこから「資本ー労働」関係の再編過程を検証していく『現代日本の支配構造分析-基軸と周辺』(花伝社)、高度成長から「バブル経済」をむかえる前までに形成されていった日本社会の特殊な構造を企業社会化の視点から特に日本に特徴的な企業別労働組合と連合の動向に注視しつつ「豊かな社会」を支える権威主義的支配秩序の形成と構造を取り上げた『「豊かな社会」日本の構造』(労働旬報社)、その延長にある『企業支配と国家』(青木書店)、日本において新自由主義を正面きって掲げた細川護熙連立政権を支えた小沢一郎の政策の中曽根路線との親和性を暴露した『「政治改革」と「憲法改正」-中曽根康弘から小沢一郎へ』(青木書店)。さらには90年代末から徐々に胚胎し始めたネオナショナリズムの性格と日本の多国籍化の関係を論定した『日本の大国化とネオナショナリズムの形成』(桜井書店)、そしてこれら一連の流れを資本のグローバル化ともに連動してきた(いわゆる「先進国」ではむしろ遅い方なのだが)日本企業の多国籍化と自立帝国主義化をレーニン帝国主義論を下敷きにしつつそれを大幅に改良した上で適用して分析を試みた「講座 現代日本(全四巻)」のシリーズの序巻を飾った『現代日本帝国主義化』(大月書店)、冷戦終焉後に世界を覆い尽くした経済グローバリズムの米国の帝国主義的行動やテロに走るイスラーム原理主義の発生との関係を分析しネグリやハートの『帝国』(以文社)や藤原帰一『デモクラシーの帝国』(岩波新書)の帝国論いずれをも批判した『「新しい戦争」の時代と日本』(大月書店)などなど。いずれも詳細な分析・記述がなされており、その冴えも光っている。しかし、新たな帝国主義化に対抗する勢力として称揚される市民運動・労働運動に対する過剰な期待と対抗戦略として打ち出される「新福祉国家」というオチは、その現状分析の鋭さとは対照的に拍子抜けの感がしないでもない。

 

 資本主義は、自己の経験可能領域を無限に押し広げていく運動すなわちフラットな一元化の運動を内在させた機制といってもよい。その意味で資本主義は「外部」を求め、「外部」を”食い尽くす”ことでそれを内在化させていく。毛色の異なるはずのヨーゼフ・シュンペーターローザ・ルクセンブルクにも共通していることだが、資本主義は「外部」としてのフロンティアを求め、かつ当該フロンティアを食い尽くすことによって成長を維持する。利潤の源泉を投下労働価値説に依拠する剰余価値の「搾取」に求めるにせよ(「マルクスの基本定理」)、あるいは共同体間の「差異」に求めるにせよ(岩井克人)、あるいは「イノベーション」に求めるにせよ、あるいは「植民地」に求めるにせよ、資本主義が駆動する力学の作動因でもあり目的因でもあるのが、この「利潤」であることに変わりない。資本主義が歴史的な経済システムであること、それゆえ資本主義を駆動せしめるメカニズムに亀裂が走ると、当然それは資本主義の「危機」として認識される。資本主義が数度の恐慌を乗り越えてきたのは、資本主義が自身を自己修正してきたからである。しかし同時に、資本主義というシステムの安定性はそう自明なものでもない。確かに恐慌は宇野弘蔵が論定した通り、資本主義の周期的なメカニズムの一契機にすぎないので恐慌が原因で資本主義が崩壊するとは安易に考えることはできない。ケインジアンの政策は、資源インフレやバブル経済崩壊に対して適切な処方箋を提起しえず慢性的スタグフレーションを放置したままにしていたことからその権威が失墜したわけだが、さりとて古典回帰してマネタリズムサプライサイド経済学で上手くわけでもない。

 

 巨大株式会社の形態で主として重化学工業を発達させてきた列強の資本が、過剰資本の投資領域を拡張しようと世界分割戦争を繰り広げたのが、20世紀前半の資本主義の特徴であった。この要因は、過剰資本を吸収する内部的有効需要を創出しきれなかったことにある。1950年代以降は、金融と産業をつなぐ金融資本の組織性が耐久消費財を中心とする重厚長大型設備投資を実現していく経済システムへと転化していった。米国を中心とする資本主義世界の協調路線・通商拡大路線が安定的な国際通貨体制とともに冷戦構造を支える政治経済秩序とされ、これにより先進諸国の安定的な高度成長がもたらされたのである。冷戦下での巨大な軍事費支出は生産能力の過剰を吸収する有効需要を創出し、派生的産業技術によって耐久消費財の多様化・高度化がもたらされ、その結果として他の先進諸国の回復成長を助長しもした。他方で、先進諸国の耐久消費財中心の高度成長過程において、「第三世界」諸国の経済はモノカルチャー化による単一の一次産品輸出に特化され不利な交易条件を押し付けられたために停滞を極め、政治経済的混乱が反復される状況が常態化した。先進資本主義諸国はというと、ケインズ主義的政策によって完全雇用の維持と福祉の充実が第一義的課題として認識されてくるようになった。しかし、ケインズ政策では慢性的なインフレを抑えることが困難であるとの非難がなされるにつれて、米国や英国では1980年代のレーガノミクスサッチャリズムに見られるように、緊縮的財政金融政策によるインフレ沈静化、公営企業の民営化とそれにともなう労働運動への攻勢、情報技術の進展ならびにそれを利用したオートメーション化による非正規労働者の増大、企業の多国籍化による途上国低賃金労働者の利用拡大、労働力商品の供給制限、労働者の所得上昇の抑制ための法制度再編(日本でも労働法制の改訂、商法改正やその帰結としての会社法制定などに典型的に見られる)が、資本の論理のもとに推し進められたのである。労賃コストを大幅に圧縮して自己金融化傾向を強め、過剰設備を抱えがちになったことが金融の投機的バブルに動員されやすい累積資本を生む土壌が形成されていった。そんな中、米国はドルの国際基軸通貨特権のために国際収支赤字を積み重ねても経済が維持できる地位を享受しつつ、他方で主要諸国はドル債権を外貨準備として蓄積していった。こうした大きな枠組みのもとで、金融の「中心」とその「周辺」との非対称的関係が固定化され恒常化され拡大化されていったというわけである。とはいえ、専ら経済理論として所謂「マルクス経済学」を新たに宣揚することに意味があるとは思われないし、理論経済学としての「マルクス経済学」はこのままでは使い物にならない。こうした問題意識のもとに村上泰亮『反古典の政治経済学』(中央公論社)が書かれたと言えなくもない。村上のそれは、保守派の側からの煩悶の軌跡でもあった。

 

 所謂「正統派」のマルクス主義者に立つ者たちがエンゲルスレーニンに倣って自然科学によってマルクス主義哲学の理説を主張してきたことは、宇野弘蔵も論文「『資本論』と弁証法」(『講座哲学』岩波書店)で言及している通り「不見識の謗りを免れない」といえる。だが、現状の「政治経済学批判」の一つの契機をつかみ出す「道具」としては、マルクスの思考そのものは今もなお有効ではないかと思われる。これができるのは「マルクス経済学者」ではない。十分な社会科学的知見をバックにした哲学的分析こそのなせる業である。社会科学者は体系への懐疑を欠落させている。我々の生は多分に資本主義の力学に絡めとられている。あるいは我々の生は多かれ少なかれ資本主義によって条件づけられており、冷戦終結後にその放縦な正体を見せているこの資本主義という得体の知れれないものを思考を通じて格闘すること。そこにこそ、現在の喫緊の思想的・哲学的課題の一つが存しているはずなのである。だが残念なことに、哲学者は社会科学的知見に対する謙虚さを欠いている。これは自然科学に対する態度にも言えよう。哲学者が自然科学の諸問題の解決に直ちに貢献できるわけではない。とはいえ、物理学者が拠って立つ基礎的概念の理解が物理学の体系内部で反省的に理解されているわけでは必ずしもない。科学哲学でも問題になっているように、物理学者が使用する基礎的な概念の使用に見られる暗黙の前提に潜む哲学的問題は確かに存在するのである。その意味で、哲学が自然科学に間接的に貢献することはできるし、逆に自然科学の知見の刺激を受けて新たに哲学的思考が駆動することもある。問題は哲学者も自然科学者もあまりそのことに自覚的ではないという点である。自然科学者は日々の仕事に追われて、自らが拠って立つ基礎的な概念の使用に暗黙裡に潜む重大な問題を放置したまま、否、放置せざるを得ないほど多忙を極めるものだから当面無視を決め込むも、忘却しようとしたこと自体を忘却してしまい何ら反省的意識を持たないまま自らの営為を素朴に信じ込む「オメデタイ」人へと変貌し惰性が募ってなおのこと硬直化する。対して哲学者は、自然科学的知見を得るのに必要な作業を億劫がり、自然科学の成果に対して批判的視点を保ちつつも同時に謙虚に学ぼうとする姿勢を欠く傾向にある。それゆえ哲学者の発言には科学に対する無知・無学が露見されることが屡である。科学者の哲学的反省を欠いた能天気さも相変わらずだ。スノーがいうところの「二つの文化」が互いに没交渉なままだと、おそらく人文的素養のある科学者に任せて科学に全く不案内な人文系知識人についてはお払い箱にして構わないという議論が大勢を占めるということになろう。こうした状況は決して望ましいことではない。哲学的問題意識を持たず単なる「技術屋」と化している凡百の科学者・技術者も確かに大勢いる。しかし彼ら彼女らは、それこそ実利上「技術屋」として制度的に生き残っていくことだろう。他方、人文系知識人は、「人文知」が直接的に実利に結びつかない以上(間接的にはありうるかもしれない)、不要な存在とされかねないのである。もちろん、そうなるべきではない。

 

 哲学は経験的対象をそのオンティッシュな側面において分析すること自体を目的とする学問ではない。それを超越論哲学というべきかはともかく、哲学における理性行使は、多かれ少なかれ超越論的理性行使たらざるを得ない。「幾何学を知らざる者は、この門に入るべからず」とプラトンが言ったか言わずかは知らないが、自然を対象にせざるを得ない存在論や認識論などにおいて現在の自然科学的知見を一切見ない哲学と堕しては単なる戯言と変わらない。元々哲学者は「自然学者」でもあったし、metaphysicsはphysicsなくしてはナンセンスである。今も刺激的な哲学は、哲学者が科学者でもあった17世紀から18世紀の哲学であると思われるほどである。デカルトは偉大な哲学者でもあると同時に偉大な数学者であったことを想起しよう。「万能の天才」ライプニッツともなれば尚更である。ホワイトヘッドが17世紀を「天才の世紀」と形容したのもむべなるかな。17世紀の哲学の残滓をとどめた18世紀のヒュームの哲学も現在の最先端の科学的知見と応接可能な哲学であり、その可能性の幅はむしろ20世紀の哲学よりも広いかもしれないのである。現代では異常に細分化されてしまっているから全く同じに解するわけにはいかないとしても、「自然学」との緊張関係の上に思考が促されていたからこそ高度な哲学的思惟が営まれていたのである。にもかかわらず現代哲学は、特に現象学を筆頭に自己完結的でつまらないものと化してしまっている。現象学現象学自身によって基礎づけられることにより自己完結的であろうとし、いわば「現象学現象学」の遂行を試みようとさえしている。まるで哲学上の「自己責任」といわんばかりである。「現象学とは思考の原理である」とのたまう御仁が現れるに至るや、何をか況やである。オイゲン・フィンクにより継承された『超越論的方法論―第六デカルト省察』(岩波書店)の問題意識はそれに貫かれている。確かに現象学の当初の目的が自然諸科学の基礎づけのプロジェクトに組み込まれていたところを見ると、方法としては完全に誤っていると思われるものの、緊張関係が全くなかったとは言えない。『形式論理学と超越論的論理学』(みすず書房)などの「確定的多様体」の議論などはその一例である。公理系の標準モデルとは、公理系定立に伴って志向される一意的対象領域たる多様体である。数学における演繹はこの志向された一意的標準モデルについての演繹なのであるからこそ有意味なのであるが、こうした標準モデルの概念は構文論的規定性とは異なる数学的厳密性を考える上でも重要な示唆を与えるはずである。その意味でフッサールの『論理学研究』(みすず書房)と『形式論理学と超越論的論理学』は、現象学の可能性の極北ではないだろうかと思われるのである。しかし結局は、その歴史的目的論に貫かれた『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(中公文庫)の中の特に第九節にみられる案山子を標的にしているに過ぎないガリレイ批判と「生活世界」論に貶せられ、後期のフッサールの思考はフッサールの意図とは別に、後の現象学者の自然諸科学に関する無知の弁明とその正当化の道具として機能するよう見える。

 

 かつて数学基礎論の研究者であった倉田令二朗が「現象学からマルクス主義へ」というエッセイで触れていたが、現象学は産業資本主義に照応するイデオロギーとみることもできなくはない。仮に現象学を使って思考するなら、現象学でいう「超越論的領野」は今なら「金融市場」(これは具体的な金融マーケットを意味するのではなく、何らかの価値の交換される場としてという意味である。超越論的領野とは意識に内在するものではなく、そこに於いて思考し、そこに於いて行為する基底的な場、すなわち社会的交通空間というべき場として強引に読み返すのである)のことだと強引に読み替えて(現代に生きる個々人の社会的紐帯を基礎づける可能性の条件となっているからである)、金融資本主義化に対応した使い方を試みるのもおもしろい。そうやって社会科学との接点をもとめることもできないわけではない。しかしそのためにも、「政治経済学批判」としてマルクスの哲学的思考を読み直す必要がある。マルクスには『資本論』において「マルクス経済学」なるものを体系化する意図などなく、哲学的思考を武器とする「政治経済学批判」こそが志向されていたはずである。社会の現状の認識と社会を対象として営々と理論体系が形成されてきた社会科学への見識をもちつつ、それを批判的に捉え返す便として虚心にマルクスと向き合って格闘するに相応しいのではないか。もしやこれから面白いマルクス研究が哲学の分野から登場することになれば、と思うのである。何もサルトルのような路線で行けというのではないが、サルトルの『弁証法的理性批判』(人文書院)みたいなマルクスとの応接をものした大著が登場してくれないかと思うのはないものねだりだろうか(『弁証法的理性批判』は物理的な量の多さだけでなく、必ずしも立論の筋が整序されて書かれているわけでもない上に、時に酒でも飲みながら書き殴っていると思われる箇所がいくつもあるので、レヴェルは段違いながら本ブログのように読みにくいことこの上ない。『存在と無』(ちくま学芸文庫)や『弁証法的理性批判』の序文をかざる『方法の問題-弁証法的理性批判序説』(人文書院)と比べても破格の難解さである。しかも、この世代の特徴なのか、やたらと冗長である。この「冗長さ」について蓮實重彦は、山内昌之との対談本『20世紀との訣別-歴史を読む』(岩波書店)において、「第三共和政的知識人の書く文章の特徴」と捉えている)。

 

 佐藤嘉幸・廣瀬純『三つの革命-ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』(講談社選書メチエ)が出された。買ったはいいもののまだ腰を据えて読んではいないのだが、パラパラとページを繰る限りでわかることは、この書はドゥルーズガタリとの連名で書かれた三つの書物、すなわち『アンチ・オイディプス』、『千のプラトー』、『哲学とは何か』(いずれも河出書房新社)が「いかにして資本主義を打倒するか」という一貫した戦略のもとで書かれたテクストであり、それぞれの時代状況に応じた各々のテクストに現れた固有の戦術を明らかにした上でそれに照応する一見相異なる社会運動を反資本主義という文脈において捉え直すことを目的に書かれている。つまり、これら三つのテクストをあくまで政治哲学の書として読み解こうとするのである。そのため、文体も歯切れの良い切迫した文体になっており、筆者がこの時期にどうしてもこれだけは言っておかねばならないという焦りの感情すら滲み出ているように思われる。ドゥルーズと政治というテーマについて主として二つの立場に分かれてきた。雑誌『思想』に掲載された佐藤嘉幸の論文「出来事から出来事の生産へ-『アンチ・オイディプス』におけるドゥルーズ=ガタリ的政治-」の冒頭や、國分功一郎ドゥルーズの哲学原理』(岩波全書)の冒頭にも触れられている通り、「政治的ドゥルーズ」、「非政治的ドゥルーズ」のいずれが実相かという争いである。スラヴォイ・ジジェクアラン・バディウなどに代表されるドゥルーズは本来政治には関心のない哲学者であるという見方を「非政治的ドゥルーズ」の描像とすれば、ドゥルーズのテクストから何らかの政治哲学的に含意を引き出すことに意義があると考えるネグリやハートのような立場は「政治的ドゥルーズ」の描像でドゥルーズを捉えている。『三つの革命』で展開する立論が「政治的ドゥルーズ」の側面を前面に出すのに対して、少なくとも日本国内に出ているドゥルーズに関する書物は「非政治的ドゥルーズ」の像を強く押し出すものが多く、「政治的ドゥルーズ」の像が前面に押し出されることは稀でしかなかった。そんな日本の言論状況に苛立って執筆に踏み切ったのかもしれない。我々の生を条件づけている資本主義がいよいよその凶暴な姿を現し始めている現在において、「哲学者は何悠長に構えて見せているのだ」という叫びの声でもあるようだ。「フランス現代思想」とは、その言説の曖昧性やいい加減さに対する評価を別にすれば、当初から専ら政治的な闘争の場であったはずである。その闘争は、総じて我々の生を条件づけている資本主義に対するあからさまとまではいかぬ不要な謙抑性に彩られていたきらいはあれど、銘々の足場に立脚した政治的闘争であった。その意味で市田良彦の診断は正しいし、見せかけの「非政治性」の持つ陰険な政治性に対して敏感になる気持ちも理解できる。第一、「フランス現代思想」を哲学・形而上学として読もうとしたところでさしたる成果は期待できそうもない。そんなことならよりましな哲学・形而上学の書物は「フランス現代思想」以外のジャンルがより精緻な思考を働かせているはずであって、「フランス現代思想」に魅力があるとするならば、その政治性の持つ魅力でしかない。

 

 この点で、柄谷行人『世界史の構造』(岩波書店)は、ある意味でマルクスの遺産を独自な仕方で継承した仕事であり、宇野弘蔵や鈴木鴻一郎の理論を上手に取り入れた立派な仕事だと思われる。こうした変化の兆候を『トランスクリティーク-カントとマルクス』(岩波書店)に見て取ることができよう。柄谷の「マルクス回帰」というべきかはともかく、顧みると80年代から90年代中頃までの仕事が酷い有様だっただけに、この「回帰」は喜ばしいものであった。柄谷行人の現在の仕事を評価するが故に敢えて何度も強調することになるが、80年代から90年代中頃にかけて柄谷自身の言うところの「形式化」にこだわって(形式化すること自体は別に問題ではない)「自己言及のパラドクス」だの「ゲーデル問題」だのと言って悦に浸り自惚れ鏡にポーズを決め込む柄谷行人の仕事は全くのデタラメであったと言っても過言ではない。ゲーデルの定理を哲学体系の議論に直に当てはめる愚は、ちょうどフランスのコレージュ・ド・フランス教授でウィトゲンシュタイン研究で知られる哲学者ジャック・ブーブレスが『アナロジーの罠-フランス現代思想批判』(新書館)において、特にレギス・ドブレなどが社会や共同体の問題に対して何の前提もなくゲーデルの定理を濫用している点を指摘したことにも現れている通り、柄谷行人のみならずフランス現代思想系の思想家にも見られたファッショナブル・ナンセンスであって、批判に対する居直りともとれる態度は知的不誠実の極み以外の何物でもなかった(アラン・ソーカルやジャン・ブリクモンによる『「知」の欺瞞ーポストモダン思想における科学の濫用』(岩波書店)に対するジャック・デリダの反論は批判に対して正面から答えておらず、論点をはぐらかす醜態だけが目立った。この点につき、ブーブレスが的確なデリダ批判を展開している。ジョン・サールとの論争にしてもそうだが、何かにつけてはぐらかす手法に苛立ちを覚える者は多かろう。その代表格がウィラード・オーマン・クワインである。とはいえ、デリダの思考には優れたものがあり、初期の『「幾何学の起源」序説』(青土社)の長大な解説文は、明晰なフランス語で書かれ、後の「差延」の概念の萌芽が端的に見てとれるし、その中におけるメルロ・ポンティのフッサール解釈に対する批判も的確で、きわめて筋の通った論文になっていた。ゲーデルの定理は「自己言及のパラドクス」とは何の関係もない。1931年のゲーデル論文を読めば、多少の論理学の知識がある者ならゲーデルの定理が「自己言及のパラドクス」なるものを明らかにしたなどとは読みようがない。柄谷行人ではないが、ゲーデルの定理についてこれを人間の理性の限界や人間機械論への反駁を決定づけたものとして理解する言説がポピュラーサイエンスの本などで一時期流通したが(その典型は、吉永良正ゲーデル不完全性定理-“理性の限界”の発見』(講談社ブルーバックス)であろう)、これも端的に誤りである。ゲーデルの定理は、初等整数論が整合的であるならばその肯定も否定も定理では証明できない式が存在することを主張するものであって、ゲーデルの定理そのものは真であり何も「自己言及のパラドクス」なるものを抱懐した定理であるわけではない。「論理体系は必ず不完全であり、いかなる論理体系であろうとも全ての真なる命題を証明できない」などということも意味しない。不完全性定理とは、いかなる論理体系でも証明できない真なる命題を持つと主張するものではなく、極めて特殊な高階述語論理で体系づけられる数学の命題を表せる非常に強い論理体系においては真でありかつ証明不可能な命題を見つけ出すことができるという定理なのであるから、自己言及や自己参照ないしは自己指示(要するにself-reference)の一般的不可能性を意味するわけでも何でもないのである。これは解釈云々以前の問題であって、「ゲーデル問題」云々と言っているのは数学・論理学の論文が単に読めていないというに等しい。したがって、柄谷行人に見られる完全に誤った理解に則りそれを土台として議論構築している東浩紀存在論的・郵便的-ジャック・デリダについて』(新潮社)は初っ端から議論がつまずいている。ソール・クリプキ『名指しと必然性-様相の形而上学と心身問題』(産業図書)の議論を『ウィトゲンシュタインのパラドクス-規則・私的言語・他人の心』(産業図書)の議論にそのまま持ち込んでいる乱暴さもさることながら、その固有名論とラッセルの確定記述に関する議論についての理解が誤っている点も目立つ(ちなみに僕は、クリプキにおける個体の貫世界同定の主張は誤りであって、この点については、デイヴィッド・ルイスの見解にくみする)。誤解をあげつらえばきりがないが、とはいえこの仕事を全否定するつもりはない。東浩紀の責任というよりも、当時まだ20代だった東浩紀を結果的に誤らせてしまった柄谷行人や『有限責任会社』(法政大学出版局)にて「決定不可能性の完全性」だの意味不明な与太を飛ばしたデリダこそ責めを負うべきかもしれない。ともあれ、ほとんど意味不明な言説で埋め尽くされた中期デリダの思索について何とかこれを合理的な理解にもたらしコンスタティブな言説として組み直そうとして体当たりした東浩紀の意欲は肯定されるべきである。自己言及的システムについて論じるその参照項がゲーデルではなくルーマンであれば、まだ理解できただろう。というのもルーマンは、機能的に分化した社会システムを自己言及的システムとみなしているからである。またドイツ観念論の哲学にも似たような思考を見つけ出すことはできたであろう。自己関係性をこそ問題にしていたわけであるから。自己言及的システムとは、自己自身に関係しなければならないシステムのことである。システムがパラドクスによって自壊しないためにその都度の状況に応じて脱パラドクス化される必要があるものの、この脱パラドクス化はパラドクスの一時的不可視化であるに過ぎないことを論定するという構えになっているからである。そして、この点についてはルーマンのみならずルーマンについて研究している長岡克行による堅実な研究が参考になるはずだ。対して、この時期の柄谷行人の戯言を『成城だより』(講談社文芸文庫)において「数学的寝言」、「なおこの人と数学の話をするのは予めお断り。まともな話はできそうにない」と適切に指摘した大岡昇平の卓見が際立つ。その毒舌ぶりは「ケンカの大岡」との異名を持つ大作家の面目躍如たるものがある。大岡昇平は、70歳を超えてもなお数学者に個人教授してもらって数学基礎論位相幾何学など貪欲に吸収していった。連続体仮説選択公理、果ては圏論まで勉強していたらしい(定評のある圏論のテキストとして有名なマクレーンによる『圏論の基礎』(丸善出版)に目を通せばわかろうが、読み通すにはかなり骨が折れる教科書。もちろん、大岡昇平の存命中には、本書のような圏論の本格的なテキストは日本語では出されていなかっただろうから、語学の堪能な大岡昇平のことであろうから、外国語のテキストから学んだのだろう)。井上靖との「『蒼き狼』論争」にしろ、森鴎外の『堺列挙始末』を批判した『堺港攘夷始末』(中公文庫)にしろ、納得のいかないものに関しては徹底的に調べ上げ、理解できたことだけを正直に語るという知的誠実さのお手本のような存在というべきかもしれない。再度言うように、現在の柄谷行人の仕事を評価すればこそこの時期の仕事のデタラメぶりを指摘するわけだが、『批評空間』の共同討議「ドゥルーズと哲学」(柄谷行人『シンポジウム3』所収)を読むと、我田引水、牽強付会夜郎自大な言辞が飛び交い、ゲストの前田英樹と財津理が少々気の毒に思えるほどであった(もっとも、前田英樹の『小林秀雄』(河出書房新社)は、いささか贔屓のひき倒しという面なきにしもあらずで、小林秀雄を無理矢理にベルグソンドゥルーズに引き寄せて読み込むものだから、小林秀雄の思考なのか前田英樹の思考なのかが判別し難いものになっていて残念の一言)。蓮實重彦とは論点がズレていたので話は当然噛み合わず(ドゥルーズはジャン・ルノアールに負けているだの、映画は哲学者の手に負えないだの、人を誑かす舞文曲筆を弄して、それはそれで面白いのだが)、潜在的なものの存在論の解釈にしても浅田彰前田英樹の会話は噛み合わず、中でもにドゥルーズの哲学を整理する財津理に対しては暴言とも取れる言辞を柄谷行人が弄しているわで、はじめから喧嘩を売ったような内容で建設的な討議がなされたとは思えない討議内容である(喧嘩腰なのは別にいいねだが、喧嘩には喧嘩の礼節というものがあろうもの)。しかも、柄谷行人がまたもや「形式化」が云々とインチキ与太を飛ばすものだから(蓮實重彦が、ドゥルーズにはハナから形式化への関心なんてものはないと間接的にたしなめる場面もあったが)、途中で放り投げた読者も多かったのではないかと思われる(浅田彰による冒頭の整理は、僕とは若干解釈の相違はあれど、相変わらずの手際の良さである。但し、『近代日本の批評』(講談社文芸文庫)における戦後批評史の整理は時間がなかったせいか、かなり手抜き仕事であろう。それに谷澤永一のかなりまともな仕事である『大正期の文藝評論』(中公文庫)に対して、適切な評価をしていなかったのも不満の一つである)。

 

 現代日本を代表するマルクス主義哲学者として廣松渉の名を挙げないものはいないだろう。たとえ、マルクス解釈につき水と油の関係に立つだろう「正統派」に属する側の者であっても、廣松渉の業績を無視することは学問的誠実性に欠ける態度というものである。少なくとも、日本共産党系の哲学者によるほとんどスターリン主義と代り映えのしない弁証法唯物論を判で押しただけの「ただもの論」よりは深くマルクスのテクストを読み込んでいる解釈であるはず。周知の通り、廣松哲学の第一テーゼは「関係の第一次性」であり、それは「共同主観性」論を媒介とした「事的世界観」へと収斂する。そのことは「自然」をどう捉えるべきなのかについての立論に端的に表れている。伝統的には、「自然」という概念に込められている意味とは人間の主観なり技巧なりといった人為に依らず「それ自体で」そのようなものとしてある現象なり存在者なりといった類である。すなわちアリストテレスの『形而上学』(岩波文庫)によれば、「自然」とは神々や人間のその都度のテクネーに依存することなく自らの内に生成消滅する原理ないしは原理を有するものである。自らの内に運動の原因を持っているので、他のものに依存することなく存立するものとして考えられた。こうしたアリストテレスの考え方は、その後の「自然」についての捉え方に大きな影響を与えた。こうした伝統的な「自然」の捉え方に対して現象学は、志向対象の実在という超越者を措定するのではなく、自然をそれ自体で成立している現象ないし存在者であるように「意味されている」ものとして捉えることとし、「それ自体で成立している」とはどういうことかという問題に立ち返って現象学的分析がなされる。超越論的還元によって見出されたノエマは「自我」のノエシスという構成的能作に還元されるものの、その「自我」がそれに対して受動的であると受けとられる「前言語的」な「自然」は「理念の衣」を剥がされた直観のhyletichな基底層として規定される。「自然」というノエマを自我の構成的能作にいったん還元しそこから明証性を獲得せんとする現象学は、当の「自然」を構成的に根拠づける主観性自体も生成消滅する「自然」との共通な存在解釈の内に動いていることを見出すというのである。

 

 ハイデガーは、上記のようなフッサール現象学をさらに進めて存在一般の意味の解明の途上の「予備的考察」的な側面が際立つ『存在と時間』の中における「基礎的存在論」を展開した。それによれば、意味の了解者は意味世界に自らを投企する者であり、この了解される意味世界の成立は了解という能作に還元されないのでフッサールの思考の如き「自我」なり「主観」と捉えられるべきではないという。世界を対象として眼前に定立する世界外の「自我」ならぬ了解者による了解は、その者の自己投企を可能ならしめるOffenheitとして捉えられなければならないと。それゆえハイデガーは「自我」も「主観」も使用せず、存在Seinが自らを開示する場であるところという意味で「現存在Dasein」という用語を使用したわけである。ハイデガーによると、フッサールもそう指摘する通り、物理学における客観的事象としての「自然」はそのようなものとして理解している現存在の自己投企を忘却したからこそ措定できるという。こうしたVorhandenseinは、現象とは須らく現存在の自己投企を可能にかのうならしめる限りでのみそのようなものとして現象しているに過ぎないにもかかわらず、そのことを忘却しているからこそ可能な一種の錯覚に他ならないわけである。そうしたVorhandenseinとして出会われる世界の手前で我々が生きている世界で出会われる物事は、いずれもZuhandenseinとして見出される。「自然」もそのようなものとして捉えられる。

 

 ハイデガーの影響を大きく受けた和辻哲郎倫理学においては、『人間の学としての倫理学』の中の「マルクス」の章でのマルクス解釈に反映されている通り、人間の生活と乖離した「自然」というものを見ない。そのことが最も現れているテクストが、和辻の主著である『倫理学』である。この書は「人間存在の歴史的風土的構造を明らかにし、国民的存在の世界史における意義と、その当為とを考察したものである」。和辻は、『倫理学』の下巻の第四章の第二節「人間存在の風土性」において次のように述べている。

 

「数へ切れぬ世代の人々が、この国土によつて養はれ、この国土の開発と組織のために働らき、さうしてこの国土の土のなかへ帰つていつた。だからそこには祖先の墓があり、祖先以来耕し続けてきた田畑があり、祖先以来漸次発達してきた灌漑組織がある。それは文字通りに「父祖の国」「祖国」である。人々はそこに深い連帯感を抱かざるを得ない」。

 

 和辻にとって人間とは、時間的・空間的な構造をもって人倫的組織を形成する存在である。逆に言えば、時間も空間もそういう人倫的組織の刻印がされたものであって、その固有の歴史性や風土性を無視した時間や空間は抽象の結果でしかない。

 

「歴史とは、国家を形成する統一的な人間共同体が、超国家的場面において自己の統一を自覚するとともに、この統一的な共同存在の独特な個性を規定してゐる過去的内容のうちの主要なるものを、共同の知識として何人も参与し得る客観的公共的な形に表現したものである」。

 

 

「国土の成立は一様に広がつてゐる土地の或る一部分に一定の固有な位置、固有な性格、固有な意義を与へるのである。それによつてこの土地は、他の土地と勝手に取りかへることのできぬもの、この位置、この形態において一定の人間存在と不可分の連関を有するもの、従つてこの人間存在に属せざる人間をそこから排除するもの、として公共的に承認される。このやうな土地の限定が人間のうちに醸し出す構造こそ、風土性の問題にほかならないのである」。

 

 この和辻の倫理学の根本発想を、こと「自然」の捉え方に関して共有ないしは類似の観念を持っている哲学者として廣松渉が挙げられる。実際、廣松と和辻のマルクス解釈は非常に似た側面があり、廣松自身、東京大学本郷キャンパス倫理学科の、ちょうど死去する一年前の1993年度夏・冬学期の演習にて和辻倫理学を扱っていたことが、『廣松渉著作集』(岩波書店)の第15巻に収録されている「年譜」で確認できる。その廣松であるが、廣松が「自然」をどのように捉えていたかを確認しておくのに最も好都合な著作は、『世界の共同主観的存在構想』と『マルクス主義の地平』及び『物象化論の構図』ではないかと思われる。ここでは『物象化論の構図』における核心となる部分を確認しておきたい。廣松渉『物象化論の構図』の第Ⅳ章は「自然界の歴史的物象化」と題され、単刀直入に「自然」観の問題に取り組んでいる。まず通俗的マルクス主義解釈における「自然」観を確認し、これを批判することから始まっている。

 

マルクス主義の自然観といえば、『所詮は19世紀の自然科学的世界像をmutatis mutandis(適当な変更を加えて)追認したものにすぎない』という暗黙の了解が人口に膾炙されているように見受けられる。斯くの如き既成観念が拡延した経緯には自称・他称の“マルクス主義者”たちの論著が与っていることも否めない。某々国の官許マルクス主義教程ないしその義疏のごときは、戯画に堕した“弁証法”プロクルステスのベッドに截り合わせてはあるが、内実的には古典物理学的自然像の一変種という印象を賦えたとしても、蓋し無理からぬものがある」。

 

 廣松は、この文章にも反映されている通り、俗流唯物論と化した主流派のマルクス主義解釈の枠組みでは所詮は古典物理学的世界像の一変種でしかなく、その中における「自然」の捉え方は当然い誤っているということを言いたいわけである。さらに続けよう。

 

「翻って惟えば、しかし、マルクス・エンゲルスの場合、ヘーゲル弁証法的な自然哲学との関係は暫くおくとしても、前世紀の中葉、まさにドイツの読書界を風靡したいわゆる俗流唯物論(これこそ自然科学的唯物論の一典型にほかならない)との厳しい対決を通して理論的構築がおこなわれている。この一事に鑑みても、マルクス・エンゲルスが自然科学的世界像を安直に追認したとは考え難い筈である。現に彼らは、近代哲学的世界了解の超克、新しい哲学的世界観の模索を公然と標榜したフォイエルバッハの提言を承けており、思想形成史上の経緯からいっても科学主義的Objektivismusの世界像(およびこれと双対をなす人間主義Subjektivismus)の地平を先駆的に踰越すべき問題状況下におかれていた。筆者が顕揚したい所以のものもこの案件に懸っているのであるが、マルクス・エンゲルスの原像に就こうとするかぎり、いわゆる科学的実在論の構図を誣いる既成観念は、この際、抜本的に革めらるべきであると考える」。

 

 確かにマルクスは、1841年の学位論文『デモクリトスエピクロスの自然哲学との差異』に見られるように、若い頃から「自然」の問題に関心を抱き続けていた。マルクス・エンゲルスによる1845年の『神聖家族』には次のような表現がある。

 

ヘーゲル哲学のうちには三つの要素がある。すなわち、第一にスピノザの実体、第二にフィヒテの自己意識、第三に両者の統一物である絶対精神である。第一の要素は人間から切り離して形而上学的に改作された自然であり、第二のものは自然から切り離して形而上学的に改作された精神であり、第三のものは、これら両者の形而上学的に改作された統一であり、現実の人間、現実の人類である」。

 

そして、自然と人間との真の統一という問題意識をヘーゲル左派のフォイエルバッハやブルーノ・バウアーから継承しつつ、新たな自然観・人間観ひいては新しい世界観の地平を開かんとしてして書かれた第二の共著『ドイツ・イデオロギー』には、次のようにマルクス・エンゲルスは述べる。

 

フォイエルバッハは、彼をとりまいていいる感性的世界は決して永遠の昔から直接無媒介的に存在している恒常的に自己同一的な事物なのではなく、産業と社会状態の所産であるということをみない」。

 

自然界とは、決して事物の真の本質を看取する高次の哲学的直観のみに与えられるような、あるいは物理学者などに眼にしか開示されないような自存的な実体的対象界ではないというのである。フォイエルバッハが選好する「最も単純な“感性的確知”の対象でさえ、社会的発展、産業ならびに商業交通によってのみはじめて彼に与えられるのである」。

 

「事物が現実に如何にありそれは如何にして生起したものであるかに即して事物を捉えるわれわれの観方においては、意味深長な哲学的諸問題は経験的な一事実に解消する。例えば、人間と自然との関係についての重大問題、かの大評判の“人間と自然との統一性”なるものは、産業の場面で昔から厳存していたものであり、産業の発展の高低に応じて時代ごとに別様なあり方で厳存してきたということを洞見すればおのずと氷解する」。

 

ここで論じられていることは、単純に自然界であるといえども人間の営為によって変様された所産であると言っているわけではないということである。

 

「歴史においてはどの段階にあっても、或る物質的な成果、生産諸力の一総体、歴史的に創造された対自然ならびに個人相互間の一関係が見出される。これは、各世代に先行世代から伝授されるものであるが、このものはなるほど一面では新しい世代によって変様されるとはいえ、他面では当の世代に対してそれ固有の生活諸条件を指定し、この世代に一定の発展、或る特殊な性格を賦与しもするということ、こうして人間が環況を作るのと同様、環況が人間を作るわけである」。

 

廣松はこうしたマルクス・エンゲルスの認識を捉え、“歴史内存在”ともいうべき存在の仕方を説明する。

 

「この“歴史内存在”というべき在り方にあっては、自然的与件に対する人間の関係は、第一次的には、対象認識というテオレーティッシュな関係ではなく、物質的生活の関心に根差したプラグマティッシュ・プラクティッシュな関与であり、そこではまた、汝をはじめ他者との関係は、第一次的には他我としての認知といったスタティックなAnerkennungではなく、物質的生活の場での分業的協働という役割に編制されたペルソナ的な関係である」。

 

 

マルクス・エンゲルスにとって現実の感性的自然界は、

 

「産業と社会状態の生産物であり、しかもそれが歴史的な生産物であるという意味で、諸世代の全系列の活動の成果なのである。この活動、次々と進展する感性的な労働と創造、この生産こそが現に実存している全感性界の基礎なのである。尤も、この際、外的自然の先在性は残るし、史上はじめて登場した最初の人間には当てはまらない。がしかし、こういう区別だては、人間と自然とを区々別々のものとして考察するかぎりでしか意味をなさず、人間の歴史に先行するこの自然なるものは、最近誕生したばかりの二、三のオーストラリア沖の珊瑚島の上ならいざしらず、もはやどこにも存在しない代物である」。

 

「われわれは、『自然』といえども歴史的現実態においては既に、“人為”であるという前掲の提題や、自然を以って人間の非有機的身体と規定する発想(因みに、マルクスは後年の『経済学批判要綱』においても、労働の非有機的主体ないし非有機的諸条件としての自然を云々している)、これが自然界なるものを地表的規模でしか勘案していないかどうかは後段に委ね、マルクス・エンゲルスとしては、まずは『自然界』を人類の歴史的生活との即自対自的な統一性の相で捉えようとしているということ、このGruncverfassungを如上からあらためて念頭に納めねばなるまい。この際、謂うところの統一の媒介環が前項でみておいた通り、かの物質的生活の生産の場、対自然的・間主体的な実践的協働の場にほかならない」。

 

もちろん、こうした主張に対しては、人類誕生以後のあるいはせいぜいが地球表面上の事象に限局される立論ではないかとの反論があることを廣松は予め想定している。廣松は、エンゲルスに即して次のように言う。

 

「この議論がカントの物自体Ding an sichに対する認識論的批判としてどこまで妥当するか、これには異見の余地がありうるであろうし、人工的に創出できるようになればDing an sichがDing fur unsに転ずるという論点は、エンゲルス自身、認識論的にはこれで完結すると考えていたわけではあるまい。彼は『物質そのものals solcheというのは純粋な思惟の創造物であり、純粋な抽象である。・・・物質そのものは感性的に実存するものではない。自然科学が単元的物質そのものを探求すべく志すとき・・・自然科学の企図していることは、サクランやリンゴの代わりに、果物そのもの・・・を見出そうと努めるのと同断である』と考えており、彼としては、このように『物質そのもの』は実在せずと言い、あくまでDing fur unsに定位しようとする。この際。『われわれにとっての事物』というのは、しかし、単なる『認識された事物』という次元においてではなく、人間の歴史的実践(基底的にはかの「生産活動」)によって開示されたDa-und Soseinの謂いであって、開示というのは、しかも、即物的な対象的創出ないし変成そのことの謂いではなく、an und fur sich wersen-bei sich seinの現成である。この故に、歴史的に現成した自然というのは、“地表的な環境世界に局限されるのではないか”との疑念はしりぞけられるのであって、人間が間主体的な協働的対象活動zusammenwirkkende gegenstaendliche Taetigkeitにおいて、“内・存在”する『自然』は、それが歴史的に開示されるかぎり、いわゆる大宇宙的な規模に及びうる次第である」とし、結論として、「マルクス・エンゲルスは、いわゆる社会的・文化的な形象が物象化versachlichenされて現前するかぎりで、自然の歴史化と併せて歴史の自然化をも問題にしていくのであるが、総じてこの世界は、ハイデガー流のZuhandenseinでこそなけれ、歴史的に被媒介的な共同的生世界である。マルクス・エンゲルスは、原基的には、このような相で『自然』を観ずる」と締めくくっている。

 

マルクス・エンゲルスは、「われわれは唯一つの学、歴史の学しか知らない。歴史は二つの側面から考察され、自然の歴史と人間の歴史とに区分されうるが、しかし両側面は切り離すことができない。人間が生存するかぎり、自然の歴史と社会の歴史とは相互に制約し合う」として、自然と社会との統一的な「歴史」のWissenschaftの構想を打ち立てたものの、結局実現には至らなかった。「自然化された歴史」と「歴史化された自然」という二契機のうち、前者に関しては一定の体系的著述を残したが後者に関しては立ち入った論述を展開しなかったというのが廣松のマルクス・エンゲルス評価である。廣松は彼らの意図を勘案しつつ、かつ独自の拡大された物象化論をひっさげて「自然」の問題を論述したのであった。

 

「事柄の全部面を対自化するためには、次のごときありうべき借間に仮託すると便利である。『ドイツ・イデオロギー』では、人間の生産活動が『感性界(つまり、見たり聞いたり触れたり、感覚的認知の対象となる現実的世界)全体の基礎』であると言われており、『感性界は産業と社会状態の生産物である』『感性界は歴史的生産物である』とまで断定されているが、しかし、人間の対象変容的活動が実地に及ぶのは地球表面の限られた一部だけであり、大宇宙的自然は人間の存在や活動とは殆んど無関係に自存するのではないか?また、人間による“自然改造”が地表的部分でおこなわれるとはいっても、それは皮相的変化たるにすぎず、“真の実在たる原子”といったレヴェルでみれば、産業や社会状態には関わりなく、独立自存するのではないか?もしそうだとすれば、『自然の歴史と人間の歴史とは切り離すことができない』と称して『唯一つの学』たる『歴史の学』を構想するのは、そもそも失当ではないのか?この可能的反問に答えるには、存在論的・認識論的な次元に立ち入って論考することを必要とするが、マルクスエンゲルスも、この次元にわたる主題的な論述は書遺していない。とはいえ、われわれは彼らが書遺している断片的な言説を手掛かりにして、彼らがもし右の反問に直面したとした場合、おおよそどのような線で回答をおこなったであろうかを推察することはできる。ここでは無論、この作業を周到に試みる段ではないが、大旨を簡略に述べてみよう。読者は、先の引用文中に『物理学者や化学者の眼にした開示されない秘密』云々とあったことを憶えておられるであろう。マルクス・エンゲルスの整理に従えば、フォイエルバッハは『直観』というとき、二重の相で考えている。その一つは、“肉眼”に明白な相での自然的事物を看取する普通の日常的直観であり、もう一つは、“真の本質”相での事物を看取する高次の学問的直観である。後者が嚮に謂う『物理学者や化学者の眼』に当たるものであり、フォイエルバッハとしては、この学問的直観の方を日常的直観よりも上位に置いている。このことが予備知識として念頭に置かれねばならない。さて、件の“反問”にあっては、まさに、“事物の『真の本質』相を看取する高次の学問的直観”、“物理学者や化学者の眼”に開示される相での自然が問題にされている。この相での自然ひいては事物一般こそが、通念では、客観的実在相そのものであり、肉眼に明白な相での自然は“見掛”にすぎないものと遇されるのが普通である。これに対して、マルクス・エンゲルスは、両者の優劣関係を単純に逆転させるわけでは決してないが、謂うところの“学問的な眼”そのものが歴史的・社会的な形成物なのであること、従って、この“眼”で“看取”された“客観的実在相”なるものも歴史的・社会的に相対的なものであること、この旨を指摘しようとする。人は、ここで、更に反問して言うかもしれない。歴史的・社会的に相対的な“客観的な”実在相なるもの、その都度の時代と社会における“学問的な直観”に開示される“自然”なるものは、自然そのものではなく、自然についての認識像にすぎないのではないか?認識像としての自然像はなるほど歴史的・社会的に相対的であり、『産業と社会状態の生産物』と言われうるにしても、自然的実在そのものは人間の存在や活動とは無関係に自存するのではないか?云々。旧来の認識論は、『自然そのもの』と『自然像』とを峻別してきた。これにはしかるべき理由があることであり、両者を単純に混同するようなことは許されない。だが、『自然そのもの』と称されているところのものの実情は何か?それは、なるほど“肉眼に明白な相での自然”ではない。だが、それは結局のところ、今日における“学問的な直観に開示された相での自然”にほかならないのではないか?それは、つまり、今日における『物理学者や化学者の直観』に開示された“学問的な自然像”に帰一しはしないか?なるほど、この学問的自然像とは別に“客観的自然そのもの”を想定することは論理上可能であろう。そして、現にそれを想定するのが近代認識論の常套でもある。だがしかし、具体的な“学問的自然像”を離れては、その“客観的自然そのもの”なる概念は実質的に空虚ではないのか?実際問題としては、その都度の時代・社会・文化圏において、“真実相”であると“公認”されているかぎりでの“学問的自然像”、これが事実上の客観的“自然そのもの”にほかならないのではないか?自然像とか世界像とか言うと、『対象-内容-作用』という近代認識論の三項図式のもとでは主観に内在的なな心像であるかのように扱われてしまうが、学問的自然像と呼ばれるものは、決して文字通りに“頭の中”にあるものではなく、まさしく人々の外部にある大自然そのものと別物ではないのである。この意味での『大自然』つまり『物理学者や化学者の眼に開示される自然』、これは人間の活動によって実地に直接的に変化するものでこそなけれ、やはり、歴史的・社会的に相対的な、歴史的所産なのである。マルクス・エンゲルスは、この構制を少なくとも即自的には把えていたが故に『感性的世界をそれを形成しつつある諸個人の<結合された>総体的生動的な感性的活動として把握する』立場を自己のものとし、『自然の歴史、すなわち、いわゆる自然科学』という言い方をも敢えてなし、『自然の歴史と人間の歴史とは切り離すことはできない』と言って、『唯一つの学』としての『歴史の学』を構想しえたのだと忖度される。読者のうちには、ここで反って次のように推測されるむきを生じるかもしれない。それは、いわゆる“学問的直観”に開示される自然なるものはイデオローギッシュな第二次的構築物であり、『肉眼に明白な相での自然』こそが真実在である、とマルクス・エンゲルスは考えていたのではないかという推測である。結論から先に言えば、この推測は正鵠を失している。『肉眼に明白な相での自然』つまり『感覚的な現認相』もまた、マルクスの考えでは、既にして、イデオローギッシュたることを免れない。『ブリュメール十八日』(1852年)の援用が許されるならば、マルクスは『感覚や幻想や思考様式』などをも『社会的な生存諸条件にもとづいて、特有の仕方で形成される』ところの『上部構造』に算入しており、実証主義者の流儀で『感覚』だけはニュートラルな超歴史的に妥当する終局的な与件であるとするような発想は断じて採っていないのである。『肉眼に明白な相での自然』、人々が日常的に関わっている直接的な対境的自然は、人々の対象変容的な活動によって実地に歴史化されているだけでなく、その『開示され方』においても間接的に歴史化されている。総じて、自存的な相で現前する自然界なるものは、『学問的直観に開示される相』であれ、『肉眼に明白な相』であれ、実際には『諸個人の<結合された>総体的生動的感性活動』の物象化に俟って現成している『歴史化された自然』なのである」。

 

 このように廣松のマルクス解釈は先駆的で、他の凡百のマルクス学者のレベルとは桁外れであることは間違いないものの、ただどうしても廣松のマルクス解釈からは「唯物論」としてのマルクスが帰結しがたいとの疑問がなお残る。確かに「正統派」の解釈は、マルクスのテクストというよりもむしろエンゲルスの主張しかもそのエンゲルスの主張を更に体系的に精緻化したカウツキーとその影響を露骨に受けたレーニンの解釈に基づいている。そしてこの系譜に連なる解釈はマルクスのテクストを子細に検討するならば無理のある解釈であると言わざるを得ず、ことマルクス解釈の点では廣松に分があることも確かなのである。このマルクス解釈はむしろ和辻哲郎によるマルクス解釈に近い。和辻のマルクス批判は直接的にマルクスそのものへの批判の形をとるというより、マルクス主義哲学者たちのマルクス解釈に向けられたものであるように思われる。和辻はマルクス唯物論として理解すべきではなく、むしろ「現実主義」との表現でもって主張する方が相応しいというのである。抽象的な認識論的主観から出発する傾向にある近代哲学の一部の系譜に対して、マルクスが『ドイツ・イデオロギー』において「生きた現実的諸個人」を出発点に据えて対置させたこと及び自然を生きた現実的諸個人の関係の織り成す生産諸活動との関係でもって捉えられた「歴史化された自然」を論定するマルクスを評価する和辻に対して、戸坂潤はむしろ「正統派」の解釈をぶつけ和辻を批判する。しかしながら熊野純彦も指摘するように、ことマルクス解釈に関してあくまで「正統派」の解釈に固執する戸坂よりも和辻の方こそマルクスのテクストを子細に読み込んでいたということになる(なお、戸坂潤はマルクス主義を標榜していたが、それ以前の新カント派的な方向で書いていた『空間論』の方がマルクス主義に転向した後より格段に面白いのである。時代の限界があるとはいえ、あの当時の哲学者で相対性理論をあれほど勉強していた者は、田邊元のような例外はあるとはいえ、ほとんどいない)。ところが、この廣松哲学と和辻倫理学の親和性が際立つほど、「変革の哲学」とは異質の「保守の哲学」に至りついてしまうのではないかとの疑いが強くなってくる。とりわけその側面は、共同主観性と正義の関係をめぐる議論で際立つのである。この点で、廣松の共同主観性の哲学からは変革の論理が導き出せないと佐藤優が『復権するマルクス-戦争と恐慌の時代に』(角川新書)で指摘していたことは、あながち間違いでもないのかもしない。