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『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

「保守の哲学」としての廣松哲学

現代日本を代表するマルクス主義哲学者として、廣松渉の名を挙げない者ものはいないだろう。たとえ、マルクス解釈につき水と油の関係に立つだろう「正統派」に属する側の者であっても、廣松渉の業績を無視することは、学問的誠実性に欠ける態度というものである。少なくとも、日本共産党系の哲学者による、ほとんどスターリン主義と代り映えのしない弁証法唯物論を判で押しただけの「ただもの論」よりは、深くマルクスのテキストを読み込んでいる解釈である。周知の通り、廣松哲学の第一テーゼは「関係の第一次性」であり、それは「共同主観性」論を媒介とした「事的世界観」へと収斂する。

 

そのことは、「自然」をどう捉えるべきかについての立論にも端的に表れている。伝統的には、「自然」という概念に込められている意味とは、人間の主観なり技巧なりといった人為に依らず、「それ自体で」そのようなものとしてある存在である。アリストテレスの『形而上学』によれば、「自然」とは、神々や人間のその都度のテクネーに依存することなく、自らの内に生成消滅する原理ないしは原理を有するものである。自らの内に運動の原因を持っているので、他のものに依存することなく存立するものとして考えられた。こうしたアリストテレスの考え方は、その後の「自然」の捉え方に大きな影響を与えた。

 

伝統的な「自然」の捉え方に対して現象学は、志向対象の実在という超越者を措定するのではなく、自然をそれ自体で成立している現象ないし存在者であるように「意味されている」ものとして捉えることとし、「それ自体で成立している」とはどういうことか、という問題に立ち返って、現象学的分析がなされる。超越論的還元によって見出されたノエマは、「自我」のノエシスという構成的能作に還元されるものの、その「自我」が、それに対して受動的であると受けとられる「前言語的」な「自然」は、「理念の衣」を剥がされた直観のhyletichな基底層として規定される。「自然」というノエマを自我の構成的能作にいったん還元し、そこから明証性を獲得せんとする現象学は、当の「自然」を構成的に根拠づける主観性自体も生成消滅する「自然」との共通な存在解釈の内に動いていることを見出すというのである。

 

ハイデガーは、上記のようなフッサール現象学をさらに進めて、存在一般の意味の解明の途上の「予備的考察」的な側面が際立つ、『存在と時間』の中における「基礎的存在論」を展開した。それによれば、意味の了解者は意味世界に自らを投企する者であり、この了解される意味世界の成立は了解という能作に還元されないので、フッサールの思考の如き「自我」なり「主観」と捉えられるべきではないという。世界を対象として眼前に定立する世界外の「自我」ならぬ了解者による了解は、その者の自己投企を可能ならしめるOffenheitとして捉えられなければならないというのである。それゆえハイデガーは、「自我」も「主観」も使用せず、存在Seinが自らを開示する場であるところという意味で「現存在Dasein」という用語を使用した。

 

ハイデガーによると、フッサールもそう指摘する通り、物理学における客観的事象としての「自然」は、そのようなものとして理解している現存在の自己投企を忘却したからこそ措定できる。こうしたVorhandenseinは、現象とは須らく現存在の自己投企を可能に可能ならしめる限りでのみ、そのようなものとして現象しているに過ぎないにもかかわらず、そのことを忘却しているからこそ、可能な一種の錯覚に他ならないわけである。そうしたVorhandenseinとして出会われる世界の手前で、すなわち我々が生きている世界で出会われる物事は、いずれもZuhandenseinとして見出される。

 

ハイデガーの影響を大きく受けた和辻哲郎倫理学においては、『人間の学としての倫理学』の中の「マルクス」の章でのマルクス解釈に反映されている通り、人間の生活と乖離した「自然」というものを見ない。そのことが最も現れているテクストが、和辻の主著である『倫理学』である。この書は「人間存在の歴史的風土的構造を明らかにし、国民的存在の世界史における意義と、その当為とを考察したものである」。和辻は、『倫理学』の下巻の第四章の第二節「人間存在の風土性」において、次のように述べている。

数へ切れぬ世代の人々が、この国土によつて養はれ、この国土の開発と組織のために働らき、さうしてこの国土の土のなかへ帰つていつた。だからそこには祖先の墓があり、祖先以来耕し続けてきた田畑があり、祖先以来漸次発達してきた灌漑組織がある。それは文字通りに「父祖の国」「祖国」である。人々はそこに深い連帯感を抱かざるを得ない。

 

 和辻にとって人間とは、時間的・空間的な構造をもって人倫的組織を形成する存在である。逆に言えば、時間も空間もそういう人倫的組織の刻印がされたものであって、その固有の歴史性や風土性を無視した時間や空間は抽象の結果でしかない。

歴史とは、国家を形成する統一的な人間共同体が、超国家的場面において自己の統一を自覚するとともに、この統一的な共同存在の独特な個性を規定してゐる過去的内容のうちの主要なるものを、共同の知識として何人も参与し得る客観的公共的な形に表現したものである。

 

国土の成立は一様に広がつてゐる土地の或る一部分に一定の固有な位置、固有な性格、固有な意義を与へるのである。それによつてこの土地は、他の土地と勝手に取りかへることのできぬもの、この位置、この形態において一定の人間存在と不可分の連関を有するもの、従つてこの人間存在に属せざる人間をそこから排除するもの、として公共的に承認される。このやうな土地の限定が人間のうちに醸し出す構造こそ、風土性の問題にほかならないのである。

 

この和辻の倫理学の根本発想を、こと「自然」の捉え方に関して共有ないしは類似の観念を持っている哲学者として、廣松渉を挙げることができる。実際、廣松と和辻のマルクス解釈は非常に似た側面があり、廣松自身、東京大学本郷キャンパス倫理学科の、ちょうど死去する一年前の1993年度夏・冬学期の演習にて、和辻倫理学を扱っていたことが、『廣松渉著作集』(岩波書店)の第15巻に収録されている「年譜」で確認できる。その廣松であるが、廣松が「自然」をどのように捉えていたかを確認しておくのに最も好都合な著作は、『世界の共同主観的存在構想』と『マルクス主義の地平』及び『物象化論の構図』ではないかと思われる。

 

ここでは、『物象化論の構図』における核心となる部分を確認しておきたい。廣松渉『物象化論の構図』の第Ⅳ章は「自然界の歴史的物象化」と題され、単刀直入に「自然」観の問題に取り組んでいる。まず通俗的マルクス主義解釈における「自然」観を確認し、これを批判することから始まっている。

マルクス主義の自然観といえば、「所詮は19世紀の自然科学的世界像をmutatis mutandis(適当な変更を加えて)追認したものにすぎない」という暗黙の了解が人口に膾炙されているように見受けられる。斯くの如き既成観念が拡延した経緯には自称・他称の“マルクス主義者”たちの論著が与っていることも否めない。某々国の官許マルクス主義教程ないしその義疏のごときは、戯画に堕した“弁証法”プロクルステスのベッドに截り合わせてはあるが、内実的には古典物理学的自然像の一変種という印象を賦えたとしても、蓋し無理からぬものがある。

廣松は、この文章にも反映されている通り、俗流唯物論と化した主流派のマルクス主義解釈の枠組みでは、所詮は古典物理学的世界像の一変種でしかなく、その中における「自然」の捉え方は誤っているということを言いたいわけである。さらに続けよう。

翻って惟えば、しかし、マルクス・エンゲルスの場合、ヘーゲル弁証法的な自然哲学との関係は暫くおくとしても、前世紀の中葉、まさにドイツの読書界を風靡したいわゆる俗流唯物論(これこそ自然科学的唯物論の一典型にほかならない)との厳しい対決を通して理論的構築がおこなわれている。この一事に鑑みても、マルクス・エンゲルスが自然科学的世界像を安直に追認したとは考え難い筈である。現に彼らは、近代哲学的世界了解の超克、新しい哲学的世界観の模索を公然と標榜したフォイエルバッハの提言を承けており、思想形成史上の経緯からいっても科学主義的Objektivismusの世界像(およびこれと双対をなす人間主義Subjektivismus)の地平を先駆的に踰越すべき問題状況下におかれていた。筆者が顕揚したい所以のものもこの案件に懸っているのであるが、マルクス・エンゲルスの原像に就こうとするかぎり、いわゆる科学的実在論の構図を誣いる既成観念は、この際、抜本的に革めらるべきであると考える。

確かにマルクスは、1841年の学位論文『デモクリトスエピクロスの自然哲学との差異』に見られるように、若い頃から「自然」の問題に関心を抱き続けていた。マルクス・エンゲルスによる1845年の『神聖家族』には、次のような表現がある。

ヘーゲル哲学のうちには三つの要素がある。すなわち、第一にスピノザの実体、第二にフィヒテの自己意識、第三に両者の統一物である絶対精神である。第一の要素は人間から切り離して形而上学的に改作された自然であり、第二のものは自然から切り離して形而上学的に改作された精神であり、第三のものは、これら両者の形而上学的に改作された統一であり、現実の人間、現実の人類である。

そして、自然と人間との真の統一という問題意識をヘーゲル左派のフォイエルバッハやブルーノ・バウアーから継承しつつ、新たな自然観・人間観ひいては新しい世界観の地平を開かんとしてして書かれた第二の共著『ドイツ・イデオロギー』には、次のようには述べられている。

フォイエルバッハは、彼をとりまいていいる感性的世界は決して永遠の昔から直接無媒介的に存在している恒常的に自己同一的な事物なのではなく、産業と社会状態の所産であるということをみない。

自然界とは、決して事物の真の本質を看取する高次の哲学的直観のみに与えられるような、あるいは物理学者などに眼にしか開示されないような自存的な実体的対象界ではないというのである。フォイエルバッハが選好する「最も単純な“感性的確知”の対象でさえ、社会的発展、産業ならびに商業交通によってのみはじめて彼に与えられるのである」。

事物が現実に如何にありそれは如何にして生起したものであるかに即して事物を捉えるわれわれの観方においては、意味深長な哲学的諸問題は経験的な一事実に解消する。例えば、人間と自然との関係についての重大問題、かの大評判の“人間と自然との統一性”なるものは、産業の場面で昔から厳存していたものであり、産業の発展の高低に応じて時代ごとに別様なあり方で厳存してきたということを洞見すればおのずと氷解する。

ここで論じられていることは、単純に自然界であるといえども、人間の営為によって変様された所産であると言っているわけではないということである。

歴史においてはどの段階にあっても、或る物質的な成果、生産諸力の一総体、歴史的に創造された対自然ならびに個人相互間の一関係が見出される。これは、各世代に先行世代から伝授されるものであるが、このものはなるほど一面では新しい世代によって変様されるとはいえ、他面では当の世代に対してそれ固有の生活諸条件を指定し、この世代に一定の発展、或る特殊な性格を賦与しもするということ、こうして人間が環況を作るのと同様、環況が人間を作るわけである。

廣松は、こうしたマルクス・エンゲルスの認識を捉え、“歴史内存在”ともいうべき存在の仕方を説明する。

この“歴史内存在”というべき在り方にあっては、自然的与件に対する人間の関係は、第一次的には、対象認識というテオレーティッシュな関係ではなく、物質的生活の関心に根差したプラグマティッシュ・プラクティッシュな関与であり、そこではまた、汝をはじめ他者との関係は、第一次的には他我としての認知といったスタティックなAnerkennungではなく、物質的生活の場での分業的協働という役割に編制されたペルソナ的な関係である。

マルクス・エンゲルスにとって現実の感性的自然界は、

産業と社会状態の生産物であり、しかもそれが歴史的な生産物であるという意味で、諸世代の全系列の活動の成果なのである。この活動、次々と進展する感性的な労働と創造、この生産こそが現に実存している全感性界の基礎なのである。尤も、この際、外的自然の先在性は残るし、史上はじめて登場した最初の人間には当てはまらない。がしかし、こういう区別だては、人間と自然とを区々別々のものとして考察するかぎりでしか意味をなさず、人間の歴史に先行するこの自然なるものは、最近誕生したばかりの二、三のオーストラリア沖の珊瑚島の上ならいざしらず、もはやどこにも存在しない代物である。・・・われわれは、「自然」といえども歴史的現実態においては既に、“人為”であるという前掲の提題や、自然を以って人間の非有機的身体と規定する発想(因みに、マルクスは後年の『経済学批判要綱』においても、労働の非有機的主体ないし非有機的諸条件としての自然を云々している)、これが自然界なるものを地表的規模でしか勘案していないかどうかは後段に委ね、マルクス・エンゲルスとしては、まずは「自然界」を人類の歴史的生活との即自対自的な統一性の相で捉えようとしているということ、このGruncverfassungを如上からあらためて念頭に納めねばなるまい。この際、謂うところの統一の媒介環が前項でみておいた通り、かの物質的生活の生産の場、対自然的・間主体的な実践的協働の場にほかならない。

もちろん、こうした主張に対しては、人類誕生以後のあるいはせいぜいが地球表面上の事象に限局される立論ではないかとの反論があることを廣松は予め想定している。廣松は、エンゲルスに即して次のように言う。

この議論がカントの物自体Ding an sichに対する認識論的批判としてどこまで妥当するか、これには異見の余地がありうるであろうし、人工的に創出できるようになればDing an sichがDing fur unsに転ずるという論点は、エンゲルス自身、認識論的にはこれで完結すると考えていたわけではあるまい。彼は「物質そのものals solcheというのは純粋な思惟の創造物であり、純粋な抽象である。・・・物質そのものは感性的に実存するものではない。自然科学が単元的物質そのものを探求すべく志すとき・・・自然科学の企図していることは、サクランやリンゴの代わりに、果物そのもの・・・を見出そうと努めるのと同断である」と考えており、彼としては、このように『物質そのもの』は実在せずと言い、あくまでDing fur unsに定位しようとする。「われわれにとっての事物」というのは、しかし、単なる「認識された事物」という次元においてではなく、人間の歴史的実践(基底的にはかの「生産活動」)によって開示されたDa-und Soseinの謂いであって、開示というのは、しかも、即物的な対象的創出ないし変成そのことの謂いではなく、an und fur sich wersen-bei sich seinの現成である。この故に、歴史的に現成した自然というのは、“地表的な環境世界に局限されるのではないか”との疑念はしりぞけられるのであって、人間が間主体的な協働的対象活動zusammenwirkkende gegenstaendliche Taetigkeitにおいて、“内・存在”する「自然」は、それが歴史的に開示されるかぎり、いわゆる大宇宙的な規模に及びうる次第であるとし、結論として、マルクス・エンゲルスは、いわゆる社会的・文化的な形象が物象化versachlichenされて現前するかぎりで、自然の歴史化と併せて歴史の自然化をも問題にしていくのであるが、総じてこの世界は、ハイデガー流のZuhandenseinでこそなけれ、歴史的に被媒介的な共同的生世界である。マルクス・エンゲルスは、原基的には、このような相で「自然」を観ずる。

マルクス・エンゲルスは、「われわれは唯一つの学、歴史の学しか知らない。歴史は二つの側面から考察され、自然の歴史と人間の歴史とに区分されうるが、しかし両側面は切り離すことができない。人間が生存するかぎり、自然の歴史と社会の歴史とは相互に制約し合う」として、自然と社会との統一的な「歴史」のWissenschaftの構想を打ち立てたものの、結局実現には至らなかった。「自然化された歴史」と「歴史化された自然」という二契機のうち、前者に関しては一定の体系的著述を残したが後者に関しては立ち入った論述を展開しなかったというのが廣松のマルクス・エンゲルス評価である。廣松は彼らの意図を勘案しつつ、かつ独自の拡大された物象化論をひっさげて「自然」の問題を論述したのであった。

事柄の全部面を対自化するためには、次のごときありうべき借間に仮託すると便利である。『ドイツ・イデオロギー』では、人間の生産活動が「感性界(つまり、見たり聞いたり触れたり、感覚的認知の対象となる現実的世界)全体の基礎」であると言われており、「感性界は産業と社会状態の生産物である」「感性界は歴史的生産物である」とまで断定されているが、しかし、人間の対象変容的活動が実地に及ぶのは地球表面の限られた一部だけであり、大宇宙的自然は人間の存在や活動とは殆んど無関係に自存するのではないか?また、人間による“自然改造”が地表的部分でおこなわれるとはいっても、それは皮相的変化たるにすぎず、“真の実在たる原子”といったレヴェルでみれば、産業や社会状態には関わりなく、独立自存するのではないか?もしそうだとすれば、「自然の歴史と人間の歴史とは切り離すことができない」と称して「唯一つの学」たる「歴史の学」を構想するのは、そもそも失当ではないのか?この可能的反問に答えるには、存在論的・認識論的な次元に立ち入って論考することを必要とするが、マルクスエンゲルスも、この次元にわたる主題的な論述は書遺していない。とはいえ、われわれは彼らが書遺している断片的な言説を手掛かりにして、彼らがもし右の反問に直面したとした場合、おおよそどのような線で回答をおこなったであろうかを推察することはできる。ここでは無論、この作業を周到に試みる段ではないが、大旨を簡略に述べてみよう。読者は、先の引用文中に「物理学者や化学者の眼にした開示されない秘密」云々とあったことを憶えておられるであろう。マルクス・エンゲルスの整理に従えば、フォイエルバッハは「直観」というとき、二重の相で考えている。その一つは、“肉眼”に明白な相での自然的事物を看取する普通の日常的直観であり、もう一つは、“真の本質”相での事物を看取する高次の学問的直観である。後者が嚮に謂う「物理学者や化学者の眼」に当たるものであり、フォイエルバッハとしては、この学問的直観の方を日常的直観よりも上位に置いている。このことが予備知識として念頭に置かれねばならない。さて、件の“反問”にあっては、まさに、“事物の「真の本質」相を看取する高次の学問的直観”、“物理学者や化学者の眼”に開示される相での自然が問題にされている。この相での自然ひいては事物一般こそが、通念では、客観的実在相そのものであり、肉眼に明白な相での自然は“見掛”にすぎないものと遇されるのが普通である。これに対して、マルクス・エンゲルスは、両者の優劣関係を単純に逆転させるわけでは決してないが、謂うところの“学問的な眼”そのものが歴史的・社会的な形成物なのであること、従って、この“眼”で“看取”された“客観的実在相”なるものも歴史的・社会的に相対的なものであること、この旨を指摘しようとする。人は、ここで、更に反問して言うかもしれない。歴史的・社会的に相対的な“客観的な”実在相なるもの、その都度の時代と社会における“学問的な直観”に開示される“自然”なるものは、自然そのものではなく、自然についての認識像にすぎないのではないか?認識像としての自然像はなるほど歴史的・社会的に相対的であり、「産業と社会状態の生産物」と言われうるにしても、自然的実在そのものは人間の存在や活動とは無関係に自存するのではないか?云々。旧来の認識論は、「自然そのもの」と「自然像」とを峻別してきた。これにはしかるべき理由があることであり、両者を単純に混同するようなことは許されない。だが、「自然そのもの」と称されているところのものの実情は何か?それは、なるほど“肉眼に明白な相での自然”ではない。だが、それは結局のところ、今日における“学問的な直観に開示された相での自然”にほかならないのではないか?それは、つまり、今日における「物理学者や化学者の直観」に開示された“学問的な自然像”に帰一しはしないか?なるほど、この学問的自然像とは別に“客観的自然そのもの”を想定することは論理上可能であろう。そして、現にそれを想定するのが近代認識論の常套でもある。だがしかし、具体的な“学問的自然像”を離れては、その“客観的自然そのもの”なる概念は実質的に空虚ではないのか?実際問題としては、その都度の時代・社会・文化圏において、“真実相”であると“公認”されているかぎりでの“学問的自然像”、これが事実上の客観的“自然そのもの”にほかならないのではないか?自然像とか世界像とか言うと、「対象-内容-作用」という近代認識論の三項図式のもとでは主観に内在的なな心像であるかのように扱われてしまうが、学問的自然像と呼ばれるものは、決して文字通りに“頭の中”にあるものではなく、まさしく人々の外部にある大自然そのものと別物ではないのである。この意味での「大自然」つまり「物理学者や化学者の眼に開示される自然」、これは人間の活動によって実地に直接的に変化するものでこそなけれ、やはり、歴史的・社会的に相対的な、歴史的所産なのである。マルクス・エンゲルスは、この構制を少なくとも即自的には把えていたが故に「感性的世界をそれを形成しつつある諸個人の<結合された>総体的生動的な感性的活動として把握する」立場を自己のものとし、「自然の歴史、すなわち、いわゆる自然科学」という言い方をも敢えてなし、「自然の歴史と人間の歴史とは切り離すことはできない」と言って、「唯一つの学」としての「歴史の学」を構想しえたのだと忖度される。読者のうちには、ここで反って次のように推測されるむきを生じるかもしれない。それは、いわゆる“学問的直観”に開示される自然なるものはイデオローギッシュな第二次的構築物であり、「肉眼に明白な相での自然」こそが真実在である、とマルクス・エンゲルスは考えていたのではないかという推測である。結論から先に言えば、この推測は正鵠を失している。「肉眼に明白な相での自然」つまり「感覚的な現認相」もまた、マルクスの考えでは、既にして、イデオローギッシュたることを免れない。『ブリュメール十八日』(1852年)の援用が許されるならば、マルクスは「感覚や幻想や思考様式」などをも「社会的な生存諸条件にもとづいて、特有の仕方で形成される」ところの「上部構造」に算入しており、実証主義者の流儀で「感覚」だけはニュートラルな超歴史的に妥当する終局的な与件であるとするような発想は断じて採っていないのである。「肉眼に明白な相での自然」、人々が日常的に関わっている直接的な対境的自然は、人々の対象変容的な活動によって実地に歴史化されているだけでなく、その「開示され方」においても間接的に歴史化されている。総じて、自存的な相で現前する自然界なるものは、「学問的直観に開示される相」であれ、「肉眼に明白な相」であれ、実際には「諸個人の<結合された>総体的生動的感性活動」の物象化に俟って現成している「歴史化された自然」なのである。

このように、廣松のマルクス解釈は先駆的で、他の凡百のマルクス学者のレベルとは桁外れであることは間違いないものの、ただどうしても廣松のマルクス解釈からは「唯物論」としてのマルクスが帰結しがたいとの疑問がなお残る。確かに「正統派」の解釈は、マルクスのテクストというよりもむしろエンゲルスの主張しかもそのエンゲルスの主張を更に体系的に精緻化したカウツキーとその影響を露骨に受けたレーニンの解釈に基づいている。そしてこの系譜に連なる解釈はマルクスのテクストを子細に検討するならば無理のある解釈であると言わざるを得ず、ことマルクス解釈の点では廣松に分があることも確かなのである。

 

このマルクス解釈は、むしろ和辻哲郎によるマルクス解釈に近い。和辻のマルクス批判は、直接的にマルクスそのものへの批判の形をとるというより、マルクス主義哲学者たちのマルクス解釈に向けられたものである。和辻は、マルクス唯物論として理解すべきではなく、むしろ「現実主義」との表現で以って主張する方が相応しいというのである。抽象的な認識論的主観から出発する傾向にある近代哲学の一部の系譜に対して、マルクスが『ドイツ・イデオロギー』において「生きた現実的諸個人」を出発点に据えて対置させたこと及び自然を生きた現実的諸個人の関係の織り成す生産諸活動との関係で以って捉えられた「歴史化された自然」を論定するマルクスを評価する和辻に対して、戸坂潤は、むしろ「正統派」の解釈をぶつけ和辻を批判する。しかしながら、熊野純彦も指摘するように、ことマルクス解釈に関して、あくまで「正統派」の解釈に固執する戸坂よりも、和辻の方こそマルクスのテクストを子細に読み込んでいたということになる(なお、戸坂潤はマルクス主義を標榜していたが、それ以前の新カント派的な方向で書いていた『空間論』の方がマルクス主義に転向した後より格段に面白いのである。時代の限界があるとはいえ、あの当時の哲学者で相対性理論をあれほど勉強していた者は、田邊元のような例外はあるとはいえ、ほとんどいない)。

 

ところが、この廣松哲学と和辻倫理学の親和性が際立つほど、「変革の哲学」とは異質の「保守の哲学」に至りついてしまうのではないかとの疑いが強くなってくる。とりわけその側面は、共同主観性と正義の関係をめぐる議論で際立つのである。この点で、廣松の共同主観性の哲学からは変革の論理が導き出せないと佐藤優が『復権するマルクス-戦争と恐慌の時代に』(角川新書)で指摘していたことは、あながち間違いでもないのかもしない。