shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

牙をちらつかせる中共と香港情勢

いわゆる「逃亡犯条例」案が議会に上程されて以降、これに抗議する若者を中心とした香港のデモは今もなお続いており、漏れ伝わるところ、一層過激さを増してきているという。香港で開催が予定されている「一帯一路サミット」が間近に迫る中、中共中央はこれにどう対処しようか手をこまねいている状況だ。北戴河会議中共の長老たちに突き上げをくらいつつも、強硬に打って出ると、再び第二次天安門事件第一次天安門事件とは。周恩来総理が死去した後の反「四人組」運動に対する弾圧を指す。第二次天安門事件とは、1989年6月4日に勃発した人民解放軍27軍による人民弾圧を指す。いわゆる「六・四事件」である)の再現となる騒動になりかねない。そうなると、中華人民共和国は世界中から糾弾され孤立化するおそれもあるから、安易な人民解放軍による鎮圧行動をとれそうもない。せいぜい武装警察を動員することぐらいだろう。

 

もっとも、1989年の第二次天安門事件勃発時と比べて、シナの経済規模は比較にならぬほどの大きさとなり、世界経済に占める地位は残念ながら日本よりも遥かに大きく、シナに経済的に依存する諸国も多いだけでなく、米国のブラックストーンをはじめ欧米金融資本が北京の中南海(特に中共中央政治局常務委員王岐山など)とズブズブの関係に入っていることから、完全に孤立するにまでは至らないと判断すれば、大方の予想に反して、人民解放軍による武力鎮圧に踏むこむ可能性もゼロではない。とはいえ、現実的には、デモ隊をより過激化させることでデモ隊と一般市民との間の離反を図り、最終的に一部の過激分子を孤立化させることで終息させようという公安警察的手法による幕引きの筋書きを当局は描いているのかもしれない。

 

いずれにせよ、香港の国際金融センターとしての地位の低下は免れず、その経済規模は増々隣の深圳に突き放されていくだろう(「一帯一路サミット」は、香港ではなく深圳で開催されるよう変更される可能性は大いにある)。より問題なのは、この動きが中華人民共和国建国70周年を祝う10月1日の国慶節まで続くかどうかである。毛沢東のような「皇帝型権力」を掌中に収めたい習近平国家主席からすれば、何の憂いもなく天安門楼閣上に立ちたいと願望しているので、是が非でも香港の混乱を終息させたいところだろう。そのため、焦りと驕りにより、徒な行動に走って不測の事態が発生させてしまうことで、かえって習近平の権力が低下し始めるきっかけを作る可能性もある。

 

中共の独裁体制によって支配されるシナの覇権がさらに膨張し、南シナ海の例のように、その脅威が肌で感じられる頃になったところで、今更どうしようもない事態に陥り、挙句は、習近平の抱く世界覇権が実現しようものなら、世界は暗黒の世になってしまう。そういう危機感を持って、香港の自由と民主を守ろうとする反中共の運動に連帯する動きが日本からあってもおかしくないのに、残念ながら細々とした動きしか見られない。

 

普段から「自由」だの「民主主義を守れ」だのと叫んでいる左翼系市民運動は、何をトチ狂ったのか、「韓国を敵視するな」と頓珍漢なことを主張するデモはやる一方、世界的な問題となっている香港市民のデモについて何も言わない。中共チベットウイグルにおける「ジェノサイド」同然の民族浄化政策に対して糾弾せず、また台湾への軍事力をちらつかせた恫喝の姿勢に対しても無批判のままである。それどころか、「日中友好」とこれまた寝とぼけたことを主張して憚らない。ついでに、日本人へのヘイト表現には賛同し、これを批判する声に対しては、「表現の自由」と言って擁護する一方、日本人による韓国・北朝鮮批判には「ヘイト・スピーチ」と言って糾弾する二枚舌に、多くの良識ある日本人も気がつき始め、特に韓国嫌いというわけでもない一般の国民すらもが、こうした左翼系市民運動団体や、これに呼応する左翼系の自称「知識人」たちの胡散臭さを感じ取り始めていることはよい傾向である。彼ら彼女らが騒げば騒ぐほど、一般の国民は、彼ら彼女らの信奉する「心の祖国」の意向を敏感にかぎとり、徐々に離れていくことだろう。

 

1997年に香港が英国から中華人民共和国に返還される直前、「一国二制度」という建前が、いずれなし崩しにあって本土並みの自由しか与えられなくなるだろうとの危惧を抱いた富裕層や知識人が、自由の圧迫を恐れて海外に逃避するといった事例がみられたが、それでも多くの香港人は香港にとどまる選択をした。政治的自由が脅かされる切迫性をそれほど感じていなかったせいもあろう。ところが、習近平政権になって本土からの流入者の影響もあり、香港人の生活水準や所得格差が悪化し、香港人自身が本土に経済的にも政治的にも完全に飲み込まれるのではないかという危機感が日増しに大きくなってきた。本土からやってきたシナ人が香港市民に対して、「貧乏人!」と罵る光景があちらこちらで散見されるようになったのもこの頃からである。

 

一国二制度」といっても、議会は完全な民主主義的制度になっているわけではなく、その半数は北京政府の息のかかった連中で占められている。つまり、議会といっても、実質は北京の傀儡で民主的正当性の基盤は希薄だということである。経済的にも本土への依存が高まり自立度が低下していっている状況で、次は政治的支配の貫徹が現実のものとなってきている。左翼全体主義国家である中華人民共和国の、特に国内での強権的支配体制と並行しつつ、対外的には覇権を拡張させていく野心を隠さない習近平の野望の犠牲になるのは、香港だけでなく我々日本もである。決して「対岸の火事」として傍観してはいられないのはそのためである。中華勢力圏に飲み込まれることだけは是が非でも避けねばならないことだが、安倍政権も含め日本のこれまでの政権の危機感の無さにはほとほとあきれるばかりである。脅威は足下に及んでいるのである。

 

我が国をとりまく安全保障環境は、日に日に危険度を増してきている。現に、日本以外の北東アジア諸国は、それに備えて軍拡を継続している。シナの大軍拡は常軌を逸した規模で行われているが、隣の韓国は特にムン・ジェイン政権の下で大規模な軍拡が推進されており、防衛費は近いうちに日本を超えることは間違いない。日本だけが、その経済力に見合った国防の拡充を怠り、平和を維持するどころか、むしろ危機に陥れることになる力の空白状況を作り出しているわけである。国際関係は力と力の衝突であって、それら力が微妙な均衡を維持することによって国家間の関係は相対的安定を確保している。そのような中で、日本が必要な防衛力を持たないとなれば、そこに力の不均衡が生じ、かえって北東アジアの不安定要因となりかねない。

 

とりわけ、中華人民共和国の覇権志向はとどまるところを知らず、南シナ海のみならず東シナ海をも勢力範囲に取り込もうとの一貫した方針のもとに軍拡を推し進め、着々と諸々の工作を続けている。中共中央の指導部は1992年に制定した「領海法」の下、南シナ海及び東シナ海をシナの「内海」と位置づけ、東南アジア諸国のみならず日本にまで触手を伸ばしている。実際、中共の機関紙「環球時報」は、ここ数年、沖縄県について取り上げ、「琉球は日本の領土ではなかった」という記事を観測気球にように打ち上げているが、こうした記事は、ここ最近になって露骨なまでになってきている。

 

習近平オバマに対して、「太平洋の覇権をそれぞれ半分ずつ米中で折半しよう」と提案し、オバマがこの提案を撥ねつけたことが知られているが、オバマに一度撥ねつけられたからといって、あきらめるようなシナではない。また武力による台湾併合も辞さないという方針も露骨に表明するに至っている。 特に、北東アジアにおける米軍のプレゼンスの相対的低下、イラク戦争後の米国の覇権の後退局面の中で、急速に軍事力を拡大したシナ海軍の中には自信過剰になって挑発的・好戦的言動を堂々と弄する高級将校まで出現してきた。

 

対して、我が国は必要な防衛力強化を怠り、軍事的不安定を加速させることに寄与してしまったのである。十数年前までは、我が航空自衛隊の第4世代戦闘機の機数は人民解放軍のそれを上回り、東シナ海の制空権は日本が握っていた。万一、シナとの軍事衝突があったとしても、航空自衛隊および海上自衛隊は、そう時間をかけずにシナの侵攻を撃破することができたが、以後の人民解放軍の大軍拡により、第4世代戦闘機の機数は日本を圧倒するようになり、この時期から尖閣諸島への干渉が始まった。石原慎太郎東京都知事による尖閣諸島の土地の買い上げ宣言及び野田佳彦首相による尖閣諸島の土地の国有化の方針表明以前から、尖閣諸島への干渉が起きており、この原因は概ね、東シナ海における軍事バランスの変遷によって説明できるというわけだ。耳触りの良い「平和主義的」軍縮政策が寧ろヴァルネラブルな状況を作り出し、逆に国防力の拡張が安定をもたらすという逆説がここでも見られたのである。

 

もちろん、野放図な軍拡をしろというのではない。必要以上の大軍拡は周辺諸国の対日警戒感を増し、かえって安全保障リスクを高めることにしかつながらないこともあるからだ。だから、国際政治学にいうセキュリティ・ディレンマやセキュリティ・パラドクスをも十分に顧慮しつつ、北東アジア地域における米軍のプレゼンス低下やシナ海軍の急速な軍拡に対応した必要十分な防衛力整備が求められる。軍事政策は、相手があってこその軍事政策であることを忘れてはならないだろう。相手が軍拡していないにもかかわらず、自国のみが必要以上の軍事力の拡大を図ることも危機をもたらすのと同様、相手の動きも見ずに、ただひたすら「平和」の御題目を唱えているだけでは、自国の脅威は増大するという真理を直視すべきであろう。「平和主義者」こそが戦争を招いてきたという歴史の事実を見なければならない。

 

中華人民共和国は1949年の建国以来、台湾の併合・統一を国是に掲げ、継続的に台湾への干渉を続けてきた。元国家主席江沢民は、2020年を目途に台湾併合を宣言していた。シナにとって台湾は国家の「核心的利益」であり、また将来の西太平洋一体の軍事覇権のための海洋進出の「橋頭堡」として欠くべからざる存在である。だから、台湾併合という目標を放棄することは絶対にないだろう。清朝が台湾を自国の領土として編入したのは16世紀頃である。「化外の地」として事実上統治の対象外であった台湾島日清戦争での敗北により日本に割譲されたことで初めて「領土」であったことを自覚するに至り、そのことに対する「中華民族の屈辱」を克服するという大義名分もある。すなわち、「東夷」である「小日本」なんぞに我が国の領土が奪われたという屈辱感をシナ人はいつまでも忘れていないのである。

 

アリューシャン列島から日本列島、沖縄諸島尖閣諸島、台湾、フィリピン、ボルネオと続く「第一列島線」がシナ大陸を包囲し、中国人民解放軍の空軍と海軍はいわばこの「第一列島線」に封じ込められている形になっている(つい最近になって、「第二列島線」に位置づけられるパプア・ニューギニアに急接近している)。今後、米国の勢力をアジアから駆逐して東アジアでの覇権を握るためには、この「第一列島線」による囲い込みを打破し、自由に外洋へと進出できなければならない。そうすると、台湾や尖閣諸島がそのための「橋頭堡」となるはずなのである。人民解放軍軍事科学院のある政治委員は

「台湾を回復しなければ、われわれは米国による対中海洋封鎖線を突破することはできない。われわれがこの封鎖線を突破しなければ、われわれは『シナの台頭』を実現することができない」

と明言しているし、マッカーサー

「台湾は、空軍と潜水艦にとって自然の要塞である。シナが台湾を獲得すれば、この地域における米軍の勢力維持が困難になるだろう。シナによる台湾獲得は、シナ軍の攻撃能力を数倍高める要塞を、彼らに提供することになる。シナは台湾の軍事基地を利用して、日本とフィリピンに圧力をかけることが可能になる」

と米上院軍事外交合同委員会で証言している。さらに国際政治学者ソーントンも

「もしシナが台湾を獲得すれば、マラッカ海峡から日本・韓国へ向かうシーレーンをシナに制覇されてしまう。シナによる台湾獲得が実現すれば、日本や韓国は『中華勢力圏の衛星国』に成り果てるだろう」

と論じている。中華人民共和国の「平和的台頭戦略」は2020年ごろまで継続させ、その後に露骨な軍事力を背景とした「恫喝外交」を本格化させる予定のようであるが、そこには、米国の「パワー」の相対的低下を予想した強かな戦略がある。目標は、米国勢力のアジアからの駆逐と台湾併合、そして日本の中華勢力圏への編入である。

 

表向き「平和的」な装いをしても、いざとなれば軍事力を行使した武力統一も辞さないというのが、北京の一貫した考えである。実際、①台湾が独立を正式に宣言した場合、②台湾で内乱が起きたとき、③外国政府が台湾の内政に干渉したとき、④台湾政府が中華人民共和国との統一交渉を遅らせる場合、⑤台湾が核武装したとき、には武力攻撃すると公言してきた。そのため、人民解放軍は7つの特殊部隊を編成しミサイル攻撃と同時に台湾内に潜伏している工作員と協働して台湾の軍事・行政・経済・通信・交通システムを攻撃し、潜水艦部隊は台湾の海港に機雷を敷設して港を封鎖するとともに、グアムや横須賀から台湾に支援に向かうはずの米海軍第七艦隊を阻止する行動をとる予定になっている。こうした脅威を前にして、台湾はシナによる侵略に抗することができるか。残念ながら、今の台湾の軍事力ではそれを阻止することは不可能であり、米軍の助力が必要不可欠である。

 

では、米軍は台湾有事の時に動くと期待できるか。確かに、以前の台湾の総統選のとき、人民解放軍台湾海峡で「ミサイル演習」を行ってその票の行方に影響を与えようとしたとき、米軍は空母機動部隊二個師団を派遣して事なきをえた、という歴史がある。いわゆる「台湾関係法」に基づく米軍の出動であった。しかし、「台湾関係法」があるからといって必ず米軍が出動するとは限らないのが実際のところではあるまいか。米国の国務省のアジア担当官などは、シナとの衝突は米国の国益に叶わないから、衝突回避すなわち台湾を見捨てることもやむなしと考えているかもしれない。傍若無人の居丈高な言動する人民解放軍将校の発言の中には、単なる虚勢も含まれていることだろう。しかし、米中首脳会談のさなかに人民解放軍の戦闘機が米空軍の戦闘機に急接近してきたことや、わが海上自衛隊護衛艦人民解放軍海軍東海艦隊所属の2000t級のフリゲート艦が射撃管制レーダーを照射した件でもわかるように、党中央軍事委員会人民解放軍の行動を完全に統制しきれている確証も持てない。

 

日本は、こちらから対立を醸成するかのような政策は講じるべきではないにしろ、今後確実に米国のプレゼンスが低下していき、米中のパワーバランスの相対的変化が必然となれば、当然にシナの軍事的脅威は増すわけであるから、日米同盟を基軸としつつも最悪の事態に備えて可能な限り「自主防衛」できるだけの防衛力を整備していくことが肝要である。未だ国内のコンセンサスは得られていないし、NPT体制からの離脱に伴う政治的リスクもあるので現時点では困難を極めるが、日本の核武装論は純粋に核戦略論からすれば一つのオプションたりうる。

 

もっとも、日本にはプルトニウムは抱負に存在するから、核武装するならばインプロージョン式の爆弾になるであろうが、そのための爆縮レンズの設計一つとっても思われているほど容易なことではないだろうし、実際に爆発するかどうか実験を行わねばならなくなるところ、一体どこで実験を行うというのかという現実的な問題も残る。大部分はコンピュータ・シミュレーションで代替できるだろうが、インプロージョン式だと一度は実地に爆発することが確証できなければならないだろう。仮に実験せずとも爆発すると確証しうる高濃縮ウランを利用したガンタイプ方法で開発するにせよ、遠心分離機にかけて高濃縮ウランを生成しなければならないのだから、その場合において莫大な電力消費を伴う。さらには核不拡散体制から脱退しなければならなくなるから、NPT体制からの離脱は関連諸国の経済制裁を伴い資源輸出がストップしてしまいかねない。何よりも、日本の自立を封じている米国の特に国務省サイドの人間が許すわけがない。すなわち、理想としては数百発の巡航核ミサイルだけでもいいから核武装することが望ましいが、現時点において現実的な選択とは言い難い。

 

核不拡散体制に抵触しないように、核兵器に代替できるいや核兵器よりもずっと効率的かつ効果的な最先端兵器の開発という方向が現実的な選択だろうが、残念ながら日本では軍事に結びつく研究を嫌悪する風潮がある。そのことはある意味で健全な傾向とも言えなくもないが、日本の場合、度を超えた「軍事嫌悪」の傾向が見られる。そうもいっていられない時代が必ずやってくるに違いない。まだ日本の基礎科学のレベルの相対的優位が維持されている状況で進めていかないと、取り返しのつかない事態に至りかねない。

 

中華人民共和国政府は、次世代においては「量子力学的知」が全世界を席巻し、特に軍事・安全保障の分野において、量子暗号や量子コンピュータの科学技術の先端を行く国家が世界の覇権を握ると確信して、この分野に莫大な投資をしている。AI研究など序の口で、ましてや5Gが云々と言っているようなレベルで考えてはいない。その意味で悲しいかな、中共中央の指導部は日本の政策担当者より遥かに長期的視点に立脚して政策立案しているのが現実で、逆に言えば、日本の政策担当者には長期的視点に基づく科学政策の考えがまるでないのである。これまでは、シナの科学技術は応用面が目立ち、基礎研究の面で日本に劣後していたが、一連の日本の基礎科学政策をみるにつけ、このまま事態を放置すれば、近い将来において、シナの基礎科学は日本の遥か上をいくことになるだろう。事態は切迫しているのである。

 

これまでの基礎研究のおかげで、辛うじて世界有数の科学技術力を誇ってきた日本は、この動きに対して安穏としていられないはずだが、いかんせん日本では、諸外国に比べて理科系の人材が報われているとは言えない。前にも述べた通り、量子情報理論の研究リーダーである潘建偉は、中国科学院が管轄する安徽省中国科学技術大学の常務副学長や中国科学院量子信息・量子科学技術創新研究院院長を務めるとともに、オーストリア科学院の外国籍院士でもあるわけだが、オーストリア科学アカデミー院長で量子論の最高権威の一人であるアントン・ザイリンガー教授の下で研究して後に母国に帰国し、今ではこの分野の権威者として世界的に知られる学者になっている。潘建偉を中心とした開発チームが世界初の量子通信衛星墨子号」打ち上げ成功という大事業を成し遂げたことは、国内外に大きな反響を巻き起こした。この「墨子号」の打ち上げの際、潘建偉の指導教官だったザイリンガーがリーダーを務めるチームが欧州宇宙機関と協力して宇宙と地上を結ぶ通信を試みたわけだが、事の重大性を理解した米国では驚異=脅威をもって対応するといった有様だったという。2018年には、物理学界における世界的権威のある学術雑誌Physical Reviewの速報誌であるPhysical Review Lettersに実験結果の速報を掲載され、それがトップニュースとして表紙を飾った。こうした基礎科学における重要な研究が次々とシナから出てきている。権威ある学術雑誌に掲載される優れた論文の投稿者もシナ人の数は増えてきている。
 

いたずらに「シナ脅威論」を煽ることは慎重であらねばならないものの、中共が米国に代わる世界の覇権を握ろうと国策を進めているのは紛れもない事実である。「一帯一路」構想もAIIBもその一環である。清華大学の経営委員会には国際金融資本の面々が多く参画している。この方面にも優れたシナ人や中共の幹部の子弟が大量に参入している(僕の同僚にもシナ人が大量にいて、日本人は圧倒的に少ない)。最先端の科学技術と金融そして軍事の覇権を掌中に収め、世界覇権を実現するという中共の野望が虎視眈々と進行中である。

 

日本の書店には、いますぐにでもシナ経済が破綻するかのようなことを述べる反シナ本の通俗書が平積みされ、それを読んで溜飲を下げているアホな日本人もいるようだが、そうしたwishful thinkingをして喜んでいるようでは、我が国もいつ脅威に直面するか時間の問題である。危機感を持たねば、この自由が奪われてしまう日も近いということになろう。

歴史の皮肉

福沢諭吉が時事新報に所謂「脱亜論」を執筆したのは、甲申事変が勃発した後の明治18(1885)年3月である。福沢は、強硬な対支開戦論を「時事新報」紙上において展開したために、しばしば当局から社説掲載を禁じられたり、「時事新報」自体が廃刊処分の危機に曝されたわけだが、この時代も今と同様に、対外強硬論を展開したのは政府というよりもむしろメディアの側であって、政府は逆に火消しに回ることが多かった、というのが実相のようである。

今日の謀をなすに、我国は隣国の開明を待ちて共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろその伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従つて処分すべきのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免るべからず。我は心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。

壬申事変の頃には、朝鮮の独立党の者への協力を通じて朝鮮の近代化のために援助と指導に惜しみない努力をし、「凡そ朝鮮人といへば満腔の同情を惜しまない」と言っていた福沢諭吉が、何ゆえにシナや朝鮮に対する批判者に転じたかと言えば、一言にして「失望」に尽きるといってよいだろう。アジア侵略の触手を伸ばしてきている欧米列強に対して、アジア諸国がこぞって近代化し、独立自尊の精神と互助によって互いの独立を守り抜かねばならないという切迫した思いが、遅々として近代化への方向へと動かないシナや朝鮮の現状に対する苛立ちと失望に転化したのである。

 

福沢にとって日本の独立は、ただ一国によって十全になし得るものではなかった。少なくとも、シナや朝鮮の近代化による「富国強兵」・「殖産興業」・「自由民権」・「文明開化」の必要は、シナや朝鮮自身のためでもあり、同時に日本の独立維持のための条件と考えたのは、福沢が隣家の火事の例を以って説明していることからも明らかだろう。

たとひ我が一家を石室にするにも近隣に木造板屋の粗なるものあるときは決して安心すべからず。故に火災の防禦を堅固にせんと欲すれば、万一の時に近隣を応援するのは勿論、無事の日にその主人に談じて我家に等しき石室を造らしむること緊要なり。或は時宜により強ひて之をつくらしむるも可なり。

米帝国主義諸国によるアジア侵略の野望にもかかわらず、朝鮮を属国のままにしておきたい清朝や、大院君派と閔妃派に分裂した朝鮮王室内の内紛から、清朝にすり寄ったりロシアにおもねたり、また日本にも近づこうとした節操なき事大主義によって周辺諸国をかき回し、北東アジアの不安定要因になっていた朝鮮に対して、苛立ちと失望を覚えた福沢諭吉の言を、現在の地点から、やれアジア人蔑視だの、やれ武断政治の肯定だのと言って糾弾する左翼がいるが、こうした言説は、それが我が国の独立と繁栄に直結しているがゆえの、危機感にかられての言説であったことを見ようともしない的外れの中傷と言うべきだろう。

 

韓国併合までの過程をその直近の出来事に限定して素描すると、日露戦争の要因が、結局のところ朝鮮であったことがよくわかる。明治37(1904)年1月、日露関係が抜き差しならぬ状況に至るや、国号を大韓帝国に変更していた朝鮮は、突如として「厳正中立」宣言を出した。既に、京城を制圧していたロシアは、兵を撤退させず無視を決め込んだ。実は、この宣言自身、ロシアが大韓帝国政府をして出さしめた宣言であって、その意図は、直近に迫る日露開戦の際に日本軍の朝鮮の領土利用を予め封じておくことにあった。ハルバートの研究書『朝鮮亡滅/古き朝鮮の終幕』にも描かれている通り、中立を装ったものであることが、ロシアの進軍を要請する書簡を持参する朝鮮人の乗る船を日本側が拿捕したことをきっかけとして発覚したのである。

 

同年2月、対露開戦の初戦に日本が勝利するや、俄かに朝鮮が日本にすり寄りはじめ、これまでの親露政策を親日政策に改め、その結果として日韓議定書が締結されることになる。議定書の要旨は、①韓国は施政改善に関して日本の忠告を容れること、②韓国の危機に際して、日本は軍事上必要の地点を収用できることを旨とするものであり、この議定書のおかげで、我が軍は朝鮮から満洲へと軍を進めることができるようになり、なんとかロシアに勝利することができたといっても過言ではない。この議定書の意義は、日本の生存を脅かすロシアの南下を封じ、防衛ラインを死守することができたという点と、同時に朝鮮に対するロシアの占領から朝鮮を救ったという点にある。

 

それでもなお、事大主義的傾向への疑念が拭い難くあった朝鮮に対して先手を打つべく、議定書調印の半年後の明治38(1905)年8月、第一次日韓協約が締結され、日韓議定書の規定に基づき、大韓帝国政府は日本人1名を財政顧問とし、日本政府推薦の外国人1名を外交顧問として採用することになった。大韓帝国政府財政顧問には大蔵省主税局長を務めた目賀田種太郎が就任し、朝鮮の財政立て直しに尽力した。当時の朝鮮では、貨幣の濫鋳が甚だしく、粗悪を極め使い物にならなくなった貨幣の濫鋳を阻止すべく改革に乗り出した。日本の第一銀行京城支店に韓国政府の国庫事務を取り扱わせ、同行が朝鮮で発行する銀行券を通用させることにして、「世界最悪」と言われていた朝鮮の通貨の安定に寄与した。このことは、当時朝鮮に在住していたカナダ人ジャーナリストのマッケンジー『朝鮮の悲劇』にも書かれている。

 

こうした日本による外交および財政の面での韓国の保護国化は、第三国からみても東アジアの安定上やむを得なかったものとして評価されている。事実、当時の米国の大統領セオドア・ルーズベルトも、韓国保護国化に何の干渉もしなかったし、異論すらも差し挟まなかった。英国の外相ランズダウンも、「韓国は日本に近きこと、一人で立ちゆく能力なきが故に、日本の監理と保護の下に入らねばならぬ」と言っている。大国の共通認識として、日本による韓国の保護国化は、北東アジアの安定と平和の維持の目的からすれば当然の帰結であった。

 

親日的な朝鮮人団体であった一進会が結成されたのは、日露戦争最中の明治37年秋である。会長には元東学党幹部だった李容九が推戴され、その会員数は百万人にも上る韓国最大の政治組織であったと言われる。李容九は、日露戦争をロシアに代表される西欧列強の侵略勢力との決戦と位置づけ、日韓軍事同盟でロシアの侵略を阻止してアジアを復興することが朝鮮の進むべき道であると考えていた。そのため、一進会は日本への協力を惜しまず、当時釜山から京城までしか敷設されていなかった鉄道を、京城から新義州まで延伸せんと、鉄道敷設に人的面でも金銭面でも尽力した。

 

この京義鉄道敷設工事に参加した一進会の会員は、黄海道平安南道平安北道合わせて約15万人に上り、軍事物資運搬には約11万5000人もの会員が参加したと言われる。時に、反日活動家による妨害を受けながらも、日本に協力することで朝鮮の復興を企図した一進会の会員であった朝鮮人有志の活動が、日露戦争の勝利に貢献したことは歴然とした事実であるのに、歴史の影に隠れているために、中々指摘する声が出てこない。日本としては、こういう良識ある朝鮮人有志が数多く存在したことを記憶に留めておかねばならないだろう。

 

日露戦争中の明治38(1905)年8月には第二次日英同盟が締結され、先ず英米両国が日本による韓国保護国化を承認した。戦争終結後のポーツマス会議を終えた小村寿太郎に対して、米国大統領セオドア・ルーズベルトは「将来の禍根を絶滅させるには保護化あるのみ。それが韓国の安寧と東洋平和のための最良の策なるべし」と言っているし、英国は「日本の対韓措置に異議なきのみならず、却つて欣然その成就を希望する」と日本の立場をほぼ全面的に理解し承認したのであった。同年12月には第二次日韓協約が調印され、大韓帝国の外交権は大日本帝国に掌握される。明治40(1907)年には、李王朝第26代国王であり、大韓帝国初代皇帝の高宗による所謂「ハーグ密使事件」が起こり、事態が判明するや、高宗が譲位され、新帝として李王が即位された(併合後は李王殿下となられ、東京の赤坂に居をお移しになった)。第三次日韓協約が締結されるに及んで、日本は内政権をも掌握した。

 

韓国統監府の指導の下、政治・司法・産業・教育・衛生などの分野で、韓国近代化のための施策が促進されわけだが、翌年には、韓国統監府による施策を絶賛していた米国人外交顧問スティーヴンスが韓国人によって暗殺され、さらにその翌年には、伊藤博文も哈爾濱駅にて安重根に暗殺されるに及び、俄に日韓双方で併合論が叫ばれるようになった。遂に、日韓併合条約が明治43(1910)年に締結され、500年に及んだ李氏による朝鮮統治は幕を閉じた。

 

なお安重根に関しては、僕のような民族派にとっては複雑な思いがある。そもそも彼が真犯人だったのかどうか確証が持てないし、韓国政府が持ち上げるような「英雄」であるかは日本人として異なる意見を持たざるを得ないが、安重根自身は明治天皇に対する尊崇の念を持っていたようで、収監された監獄の刑務官の言によると、非常に高潔な人格の持ち主であったという。自民族の窮状に対するやむに已まれぬ思いにかられての行動であったということを鑑みれば、初代内閣総理大臣伊藤博文公を暗殺された国の国民からすると複雑な思いにかられるが(伊藤公は、大韓帝国保護国化までは容認していたが、朝鮮併合には反対の立場であったと言われる)、彼を単なるテロリストとして片づけてしまうの誤りであるように思われる。

 

締結された併合条約は、正式な手続きによって調印された(少なくとも形式的には)双方の合意の上に立脚した合法的な条約であって、これを現在の韓国政府が主張するような違法な条約と解するのは、国際法通説に反する主張である。韓国政府の主張に阿り、この無理筋の理屈に同調する高橋哲哉をはじめとする日本の左翼がいるのが困りもの。こういう存在が、逆に日韓離反の原因になっていると言えよう。日韓併合条約は、当時の国際法からしても瑕疵のない条約締結であり、韓国側がいかなる屁理屈を弄しても、この評価が覆ることはない。

 

確かに、大日本帝国大韓帝国との間には力の著しい不均衡があり、この点を捉えると、対等な関係の下での条約ではなかった。しかし、国際関係における「対等な関係」というのはおよそ幻想でしかなく、そもそもあり得ない相談である。歴史上、ほとんど全ての数の条約は、完全に対等な関係の下でなされたわけではない「不平等な」条約になり、これらを全て違法無効としては、条約など成り立ちようがない。戦後のあらゆる講和条約など、全て著しい力の不均衡状態において締結されたものであるから、形式的には成立しても、有効な条約とは判断されないということになってしまう。

 

この論理に従えば、ミズーリ号上での降伏文書調印も、圧倒的武力を背景とする中での意思表示となるわけだから無効とされてしまうだろうし、サンフランシスコ講和条約も当然のことに無効と解されるだろう。江戸幕府が締結した日米和親条約やら日米修好通商条約やらも、明らかな不平等条約だったわけだから無効という理屈になりかねない。しかし、それでは国際関係は成り立たなくなってしまうから、明治政府は、これら条約を有効と認めた上で、長い年月をかけて条約改正交渉によって不平等条約の改定に努めてきたのである。私人間の法律行為の評価の判断基準を、国家間のそれに直接持ち込むことはできない相談である。

 

現在の日本政府は、あくまで日韓併合条約は合法な条約であったとの立場を堅持している。昭和40(1965)年の日韓基本条約の締結により併合条約は、「もはや無効」すなわち将来的無効を確認したということであって、不法を理由とした遡及的無効を宣言したものではない。この解釈は何も突飛な解釈であるわけではなく、国際法を素直に解釈するならばそうなるということであって、現在の韓国政府及び最近の大法院判決、さらには韓国側主張を代弁する日本の左翼が誤った解釈をしているというだけのことである。日韓基本条約にあたって付随的に締結された昭和40(1965)年に締結された日韓請求権協定は、昭和20(1945)年8月15日までに発生した事由に基づく日韓両国及び両国民に対する財産権その他のあらゆる請求権は消滅し、いかなる理由があろうとも当該の主張はできない旨を最終的かつ完全に取り決めた合意である。たとえ、実体法上個人の請求権までは放棄されていないという解釈が成り立つ余地があるとしても、この協定により、両国及び両国民が互いに対して訴訟による救済を求める権利が消滅したことを確認したのである。

 

実体法上の権利の存否と訴権の存否とは性質上、別異の概念ある。したがって、この協定の反射的効果として、仮に韓国人がその個人請求権を行使したければ、その名宛人は韓国政府にこそある。だから、圧倒的多数の元募集工は韓国政府へと請求しているはずだ。今回の元募集工問題は、専ら韓国国内で解決されるべき問題であり、日本政府及び日本企業とは無関係の問題である。仮に、個人請求権は消滅していないのだから裁判での救済を認めないのはおかしいという理屈を撤回しないのならば、日本人が朝鮮半島に残してきた個人資産の返還請求権も認められることになるはずだ。

 

中には、西松建設三菱マテリアルなどが元中華民国国民の徴用工に支払ったケースを持ち出す者もいるが、この主張は全く事例を異にする問題を混同する暴論である。というのも、元中華民国国民の徴用工のケースでは、日本国と中華人民共和国との間に日韓請求権協定に該当する協定がそもそも存在せず、専ら中華人民共和国が日本政府に対する戦時賠償請求権を放棄していた状況でのケースである。実際に日本軍の交戦相手が中国共産党であったのか否かは歴史的事実としては怪しい点が残るが、それはともかく、日本は支那事変を戦ったわけで、中華民国は日本の交戦国であったわけであるから戦時賠償請求権は観念できるのに対して、当時の朝鮮は大日本帝国と併合されていたわけであり、朝鮮半島の住民も日本内地の住民と同様、大日本帝国の国民であった。サンフランシスコ講和の際、韓国も連合国として参加したい旨を表明したが、言下に断られている。当然である。当時の朝鮮半島は、あくまで大日本帝国の領土であり、当該領域内に住む者は日本内地と同様、日本国民だったからである。中には、国外の朝鮮人が何人かで名乗りをあげた大韓民国臨時政府の存在を主張する向きもあるが、それはほとんど実態がない、サークルに毛が生えたような団体でしかなく、しかも一旦消滅している。いかなる国家も承認していなかったのである。したがって、戦時賠償請求権など観念する余地はない。

 

韓国国内の司法判断がどうであれ、それが国家間合意の拘束を破ると解することはできない。三権分立を盾に、日本側の抗議に対して無視を決め込む韓国政府は、国際法上の違法状態を放置しているとされてもやむを得ないだろう。中には、日韓請求権協定の内容は当時の未払い賃金等の請求権に限定されたものであると主張する者もいるが、日韓請求権協定には「その他あらゆる請求権」としているように、未払い賃金等はあくまで例示列挙であって、限定列挙と解すべき根拠に欠ける。また、三権分立を理由に韓国大法院の判決を尊重せよと叫ぶ者に対しては、1965年の協定を根拠に訴えを退けた日本の最高裁の判断があるのだから、これら一連の判断を尊重しろと応答してやればよい。

 

そもそも、この問題に三権分立は無関係である。三権分立はその国の統治機構がどのように形成されているかという問題であって、その国が三権分立の制度を整えていようが、共産主義政党による独裁国家のような民主集中制を採っているかに関わりなく、国内裁判所の判決ないし決定が国際間の合意内容を拘束することはないというのが国際法解釈の常識である。それゆえ、憲法上条約に関する違法審査権が行使できるか否かという問題が生じるのである。条約については、憲法の条文上明文規定を欠いているので、条約の違法審査権は一切ないという有力説もあるが、条約についても国内法として効力が及ぶ範囲については違憲審査権の対象となると解する有力説もある。いずれにせよ、国家間合意の対外的効力に関する範囲については違憲審査権は及ばないと解する点は共通しており、この点から考えても、国内の一裁判所の判断が事後に国家間の合意内容を変質させる効果を持つと解することは到底できない。

 

したがって、韓国側の見解そして現在のムン・ジェイン政権の見解に呼応する一部日本の左翼の論者の見解は、実体法上の権利の不存在と訴権の放棄とを混同する誤謬に満ちた見解であるのみならず、国際法解釈の基本すら弁えない暴論の類である。実際、大法院判決が下される前では、韓国政府もその立場を採ってきたし、ノ・ムヒョン政権下でもそのことが確認されていたわけであって、その当事者でもあったムン・ジェインも重々承知していたはずのことである。日韓請求権協定など複数の協定に基づく日韓基本条約の根本が覆される事態は、両国の国交関係の基礎が転覆されるに等しく、国交断絶に発展したとしても何らおかしくはないほどの事態なのである。

 

さらには、人権蹂躙による個人の慰謝料請求権は消滅していないなどという暴論を展開する論者もいないではないが、再度確認する通り、請求権協定は「あらゆる請求権」が訴訟上行使できないことを日韓両国の合意により確認するものであって、たとえ人権蹂躙の慰謝料請求権(そのようなものが観念できるとしたとしても。もちろんできるわけないが)であるといっても例外ではない。そもそも、当時の日本による統治が違法無効だから、その元でなされた行為に対して不法行為に基づく慰謝料請求権を観念できると解するという理屈を立てるとすれば、当時の朝鮮人及びその遺族が皆等しく日本に対して請求権を持つという理屈となってしまう。

 

このような無茶苦茶な愚論が通じるわけがない。旧植民地(日韓併合が、果たして植民地化であったのかどうか議論かあるが)の人々が旧宗主国に対して慰謝料請求権を持つなどと言い出せば、欧米各国は大変なことになるだろうし、それゆえ、そのような暴論に与する国は出てこないだろう。日本の立場は、日韓併合はあくまで合法であって、慰謝料を基礎づける不法な状態という前提をそもそも共有しない。また、戦争もしていない。何ら賠償請求権が発生する基本事由が存在しないのである(むしろ、日本が朝鮮に多額の資本を投じたものの現地に残してきた財産を返還してもらいたいくらいである。日韓請求権協定によって、日本側が請求権を放棄したことで韓国側こそ救われたというのが真相であろう)。

 

韓国政府とりわけ今日のムン・ジェイン大統領が主張する「日本は加害者であり、韓国は一方的な被害者」(なぜだか、韓国は自国がベトナムに侵略し、多くの現地の女性を蹂躙した上、今もなおライダイハン問題を抱えることに無反省だし、左翼系市民運動家も声をあげない。ありとあらゆる事柄において二枚舌を弄するのが、左翼系市民運動家の特徴でもある)というのは、あまりに歴史を単純化した主張である。確かに、加害の側面もあったことは間違いないが、同時に、当時の朝鮮側にも非があった。しかも僅かな非ではなく、我が国の生存を考えたならば多大な非があり、一方的な被害者などとは決して言えない。むしろ、ある意味で「加害者」でもあったとさえ言える。

 

日清戦争日露戦争も、元はといえば朝鮮半島の不安定が要因の戦争であり、我が国は朝鮮のために多大な犠牲を払わされてきたとも言える。福沢諭吉の理屈を借りるならば、火の手が差し迫っているにもかかわらず消火活動の意思もなく、それどころか他家の延焼を招き寄せようとする隣家に対してこれを何とかしろと迫るのは、自家を守ろうとするものにとっては当然の理である。歴史は大局的な視点からも見つめる必要があり、局所的な事項ばかりをみていてはその評価と判断を誤る。当時のわが国のおかれた安全保障環境を考える時、日本は決して安穏としていられる状況ではなく、ともすれば欧米帝国主義国による侵略と占領すら危惧される切迫した状況だった。朝鮮の事大主義的行動によって振り回され、安全保障上明らかに差し迫った危機に直面していた我が国の対朝鮮政策全てが正しかったとまでは断言しないが、もし朝鮮を放置していれば、当時の状況や行動そしてそれを裏づける史料によって明らかになっているロシアの朝鮮半島占領計画が実現し、日本までもがロシアに侵略されるか、あるいは直接占領されることは免れていたとしても、ロシアの勢力圏に吸収され、国の独立を維持できたかどうか危うい状況に追い込まれていたであろう。この地域にそうした不安定な状況を作出してしまった朝鮮には、この意味での責任がある。

 

韓国の独立を最初に承認したのは、日本である。にもかかわらず、韓国は独立する意志も能力もなかったのが、今となっては残念の極みである。当初、併合する気はなかったのに、俄かに併合論が広まったのは、独立の気概も能力もない朝鮮が再び不安定要因となって北東アジアの安全保障環境の更なる悪化を招き、延いては我が国の生存を脅かす事態を招来するといった事態を回避するためだった。もっとも、日本から朝鮮にわたった商人などが朝鮮の人々に高圧的な態度で臨んだり、時には統監府の傲慢な態度に怒りを覚えた人々もいたであろうと想像する。特に、第二次日韓協約調印時、せめて国家の体だけは維持させて欲しいと哀願された高宗に対して、伊藤博文が高圧的な態度で臨んだエピソードを読むたびに、そのあまりの気の毒さに胸が締めつけられる思いがする。我が国政府高官の大韓帝国皇帝陛下に対する数々の無礼は非難されてしかるべきであるし、日本にも責められるべき点が多々あったことは確かである。

 

また、第三次日韓協約が締結されて軍隊すら解散され、元軍人たちがいわゆる「義兵闘争」に参加していった過程を考えると、彼らの祖国への思い切なるものがあったと同情を禁じ得ないことも確かだ。1919年3月1日の「三・一独立運動」の宣言文に込められた思想は、今見ても崇高さを感じさせる高邁で格調高い精神性を感じさせもする。逆に、そうした人々に支持されなかった日本の政策に多大な問題があったことも認めよう。朝鮮の真の独立が叶うまで統監府をおいて、一時的な保護国化をするまではやむを得なかった措置であるとしても、果たして併合をして朝鮮総督府をおいて、之を数十年間にもわたって統治するまでする必要があったのかどうか。朝鮮経営が日本側の大幅な持ち出しの大赤字であった結果を鑑みれば、なおさら併合という措置は不必要だったのではないかと思われないではない。「内鮮一体」とは聞こえはいいが、朝鮮民族の文化伝統に対する配慮の無さは(もちろんハングルを広めた功績などもあるにはあるが)、朝鮮神宮創建などの面にも表れており、こうした事態に屈辱を感じた民族派の人士もいただろうと想像する。

 

したがって、日本は朝鮮の近代化のためにインフラを整備し、近代的統治システムを構築し、京城帝国大学をはじめとした各種教育機関を設置して内地とほとんど変わりのない教育水準に向上しようと努力し、結果的に朝鮮の人口が倍になるほどの豊かさをもたらした事実はあれど、だからといって日本の行為に感謝しろという居丈高な言葉をぶつける気にはなれない。そうした居直りの言動は慎まれるべきであろうが、韓国側にある過度な被害者意識も当然問題である。しかも、日本に対する劣等感を含んだ歪な「恨」の感情のあまり、日本の過去の行為を過剰に悪く描こうと、中にはありもしなかった事実やら過剰に演出された架空の物語を作り上げてしまう癖が韓国側に存在することも確かだ。

 

歴史は、決して自身の都合の良いように描かれるファンタジーではないし、自身の政治的主張を実現するためのプロパガンダでもないし、ましてや恫喝によるユスリ・タカリの道具でもない。歴史は、好むと好まざるを問わず、意図しようと意図しなかろうと関係なく、否が応でも引きずらていく「歴史的世界」のロジックと力学に沿って淡々と推転していく「自然史的過程」である。国家も個人もこの力学に翻弄されている脆い存在である。この冷徹な力学を何とか理解にもたらし、何とかして徒に翻弄されぬよう自律を志向してもがき苦しんでいるところに歴史の悲喜劇が反復されていくのである。そこに過剰な道徳観念を持ち込むことが誤りであることは、火を見るより明らかだろう。

 

それにしても、何故あの崇高な独立宣言の精神が遅くとも開国直後に現れ、それが朝鮮の独立自尊・自主独立のための近代化への動きへと昇華されなかったのかと思わずにはいられない。そうであれば、あの悲劇も防げたかもしれないと思うと、脳裏によぎるのは、歴史的運命の皮肉である。日韓関係は現在、極めて険悪な関係にあるが、隣国であるからといって無理に良好な関係を期待する必要はない。過剰な思い入れは、寧ろ歪な関係に寄与するだけだ。

 

日韓関係は再構築期に入っており、今はその過渡期であると考えて、日韓友好幻想やその逆の過剰な嫌韓思想を捨て、個別の具体的問題に関しても粛々とザッハリヒに法的に割り切る対応こそ求められる。冷却期間をおくことも重要なことだ。今やれることは、軍事衝突などの不測の事態が発生しないように、現場レベルの意見交流のツールを維持しておくべきを互いに確認し、消えかかっている日韓の知韓派・知日派の有力者間のパイプを再構築してことくらいである。従北路線に突き進み、対日関係どころか対米関係までをも拗らせ、外交的にどん詰まり状況にあるムン・ジェイン政権下では日韓関係の好転は望めず、寧ろますます反日挑発行動を次々と繰り出してくるだろうから、基本的には「丁寧な無視」を決め込みつつ、もはや容認できない事態に至れば韓国経済を一撃で即死させかねない伝家の宝刀を抜くという二段構えの方針で事にあたるより他ない。

 

とはいえ、日本も韓国と同様に厄介な存在がいることも確かだ。日韓関係が拗れた原因の一つは、双方の左翼「市民」運動であり、日本の左翼は、とにかく日本の保守政権のやることは何でも反対したいあまり、外国勢力と通謀して自国を貶め自国の利益を棄損するために精を出す一方で、韓国の左翼は過剰な民族主義に走る親北朝鮮系の団体によって牽引されている。韓国での反日・反米デモの先頭に立つ人物は毎度同じ顔触れであり、彼ら彼女らの背景には北朝鮮の影がちらついていることも知られている。日本に対する軍事的挑発行為に対してまでも支持するところに日本との友好などつゆだに考えていないことが端的に表れているし、それに呼応する日本の左翼「市民」運動も同様に、日本の対韓国輸出管理体制の見直し程度に激高して韓国の肩を持つくせに、韓国軍による我が自衛隊機へのレーダー照射問題について何も言わないどころか、露骨なまでの韓国擁護の無理筋な暴論を吐く者までいる。上皇陛下への謝罪要求発言に対しても批判を向けない。韓国が不法占拠する竹島周辺での大規模な軍事演習は、日本に対する挑発行為以外の何物でもないのに、この点に関しても日韓友好を主張するのならば、明らかにその動きに逆行する韓国の行為に対して批判を向けてもよさそうなのに、それも意図的に無視する。

 

俄かに騒ぎ始めた旭日旗(現自衛艦旗)に対する難癖に対しても、これに同調する日本の「市民」もいることには驚きだ。旭日旗は、現在は自衛艦旗として法的根拠を持ち、その掲揚を義務づけられている海上自衛隊を象徴する旗として国際的にも承認されている。この旗に難癖をつけるというのは、日本国に対する侮辱行為であり、その含意は、日本の自衛隊の存在は認めないということである。日本の左翼「市民」も旭日旗を否定しているということは、自衛隊の存在を認めないということを意思表示しているも同然である。旭日旗は日本軍国主義の象徴であるという。ならば、英国のユニオン・ジャックも米国の星条旗もフランスのトリコロールもシナの五星紅旗もさらには韓国の太極旗もすべからく侵略の象徴と解すこともできよう。

 

韓国の福島県に対する差別的言動に対して呼応するかのような彼ら彼女ら日本の左翼「市民」運動に対して、怒りを覚えている福島県人も多いと聞く。日本のメディアの中には、特にネット上の言説の中の韓国人に対する差別的な意見に対して批判するも、それがほとんど説得力を持たないのは、韓国の対日言動の酷さの圧倒的なる現実に対しても同時に批判しないアンフェアな態度が透けて見えてしまうからである(民族全体を否定するかのような極論は確かに許しがたいし、民族差別的言説は表現の自由として保障されるに値しないという意見については全く同感だが)。

 

韓国をめぐるいささか扇情的なメディアの在り方に疑問を供するのは頷けるが、同時に韓国内にみられる異常な反日言説に対しても批判を向けるのが公平な態度であるのに、韓国の国民は反日ではなく反安倍政権を言っているに過ぎないと言い含めようとする。しかし、この主張が実態に反していることは、韓国に行ってみればわかる。ソウル地下鉄には堂々とボイコット・ジャパンのステッカーが貼られているし、日本を「戦犯国」だと揶揄するステッカーまで出回っている。しかも、地方議会のレベルで反日決議がなされたりもしている。

 

反日ナショナリズムが過剰なまでに行き渡っていることは、日本だけでなく米国でも知られている。ウイーン条約に違反する行為までやっているのは、韓国であって日本ではない。国ぐるみで反日を絶叫していると解されても致し方ない。それを反安倍政権と言っているにすぎないと誤魔化す意図がどこにあるのか、考えれば自ずと理解されよう。日本の左翼「市民」運動は、実は日韓友好などを目的としてはいないのではあるまいかと思わずにはいられない。彼ら彼女らの本音は、日韓・米韓の関係を悪化させることによって彼ら彼女らの信奉する北朝鮮を利することにあると考えれば、彼ら彼女らの不可解な主張にも合点がいく。ことごとく北朝鮮の利益にかなう方向で主張を展開していることが、列挙していけば明らかになるだろう。韓国の市民と連帯すると称しているが、反日デモよりも遥かに参加者の多いムン・ジェイン批判のデモに参加する市民には連帯しないし、北朝鮮の意向に沿ってGSOMIA破棄をも訴えていたのが何よりの証左である。そもそも「市民」たちが北朝鮮の拉致や核開発あるいはミサイル発射など一連の行為に対して抗議の声をあげているところを見たことがない。

 

人権が大事だというのなら、なぜ中共による独裁的統治の犠牲者に対して支援の声を上げないのだろうか。なぜ強制収容所国家たる北朝鮮の悍ましい人権抑圧に沈黙するどころか露骨なまでの親北朝鮮の団体に呼応するのか。韓国人慰安婦については騒ぐくせに圧倒的多数の日本人慰安婦については言わない。ましてや慰安婦どころの騒ぎではないベトナムのライダイハンこうしたところにも日本の左翼「市民」運動を主導する者たちの本音が現れている。韓国におけるパク・クネ大統領退陣を求める「ローソク・デモ」に日本も学ぶべきといっても、決して香港市民の反中共デモに学ぼうとは言わない。この点についても、なるほど彼らのイデオロギーからすれば当然だともいえる。

 

数十年前の左翼学生運動や労働運動が挫折し、その拠り所を「平和運動」や「環境保護運動」へと求めた成れの果てである日本の左翼「市民」運動は、その末端の参加者はともかく、その中心となる人物の思想は共産主義の幻想に憑りつかれたままの状態であって、中共朝鮮労働党の信奉者である実際の姿を隠しているだけのことである。この場においては敢えて具体名は伏せておくが、この種の運動に常に顔を出している中心人物が何故「市民」運動だけに専従し職業を持たずに生活を送れているのかを想像してみるといい。彼はかつての労働組合にいた専従活動家ではなく、社会主義を報じる親中共の弱小政治党派の党員なわけだが、表向きは、あくまで市民運動家と称して「反自衛隊」・「反日米安保」・「反原発」・「憲法九条擁護」どの活動を主導するだけで職業生活を送っている形跡はない。

 

少なくとも、公安当局がマークするほど実のところ外国勢力とつながっている可能性が大いにあるということに用心しておかねばらないだろう。原発政策や集団的自衛権行使の一部容認を規定した平和安全法制あるいは一連の安倍晋三政権の施策に対する素朴な疑問・異議から偶々市民運動に参加したという人もいることだろう。政治信条は異にするものの、その人の良心を疑うわけではないが、その運動を先導している中心人物が本音のところでどういう思想の持主であり、どういう勢力と背後で繋がっているのかと一度立ち止まって考える余裕を持って欲しい。そうしないと、油断している間に気がつけば外患誘致のお先棒を担がされているという事態になりかねない。さほどに、日本の左翼「市民」運動には胡散臭さが漂っているわけである。もし左翼「市民」運動に参加したことのある方がおられたら、一度でいいからその中心人物に「あなたはどうやって飯食っているのですか?」と尋ねてみて欲しい。おそらく、まともに答えずお茶を濁したような返答がかえってくるはずである。それが何を物語っているのかについて改めて説明するまでもないだろう。

経済の量子論的アプローチ?

 経済学に対する「量子論的アプローチ」なるものは、貨幣システムが離散性・不確定性・エンタングルメントなどの量子論的特性を示しているという経験的事実に触発されている。もっとも、「量子論的アプローチ」が経済のあらゆる側面をモデル化する最良の手法となると主張しているのではなく、経済現象がコンテクストに応じて明示的または黙示的に考慮される必要があるかもしれない量子論的特性を持っていると主張するものであるらしい。

 

 経済学では、経済行動は個人や企業ごとの単位で適切なレベルにおいてモデル化されるべきであるとされているので、量子論的特性は直接的に関係しないはずである。一方、物理学では、原子爆弾などの技術が量子論的特性をマクロ・レベルまで考えられているが、貨幣は設計された技術でありその特性は貨幣の創造などの現象を通じて経済全体に影響を与えるためにスケールアップすることにある。

 

 モデルは、最終的にデータの説明と予測に成功することで正当化される。そこで、理論の基本的なツールを提示しそれらが具体的な結果ではなく、経済取引の性質にどのように関連するかを示すことに焦点が当てられる。複雑系の出現特性と同様に、「量子経済学」のより広い領域には、エージェント・ベースのモデルから当該系のダイナミクスにまで、さまざまな複雑性に基づく技術が組み込まれており、経験的にテストされているという。

 

 新古典派経済学は、数学者ジョン・フォン・ノイマンと経済学者オスカー・モルゲンシュテルンによる著書『ゲームの理論と経済行動』により体系化された期待効用理論に基づいている。その目的は、社会経済の参加者に対する『合理的行動』を定義する数学的な原理を見つけ、その行動の一般的特徴を導き出すことである。そして、彼らは4つの原理ないしは公理のリストに到達した。

 

 エージェントが異なる潜在的ペイオフを持つ2人ゲームまたは宝くじAとBに直面しているとする。①完全性公理は、エージェントが明確に定義された選好を持ち、常に2つの選択肢の間で選択できることを前提としている。②推移性公理は、エージェントが常に一貫して意思決定を行うことを前提としている。Aを好むなら、彼らは明日それを好むというように。③独立性公理は、エージェントがAをBより好む場合、無関係な宝くじCを導入してもその好みは変わらないと仮定することである。最後の④連続性公理は、エージェントがAよりBを好み、BがCより上に好む場合、最も好まれるAとBとBと同様に魅力的な最も好ましくないCの組み合わせがあるべきであると仮定する。

 

 エージェントがこれらの4つの公理を満たしている場合、その好みは効用関数を使用してモデル化することができる。 各宝くじの期待効用は、各結果の確率配分された可能な結果の効用の合計として定義される。宝くじAには確率 p (a1) を持つ金額1 と確率p(a2) を持つ金額2という2つのペイオフがあるとすると、期待効用はU(A)=p(a1)u(a1)+p(a2)u(a2)=p(a1)a1+p(a2)と表現される。そして、期待効用がU (B)>U(A) を満たす場合は、宝くじBが優先される。

 

 この古典的意思決定理論に代えて量子論的意思決定理論の適用を主張する声もあり、この方面も百家争鳴の観がある。「量子論的アプローチ」は、個人レベルの認知作用に対して量子論的意思決論による量子論的認知論と市場のレベルに対する量子ファイナンス理論の両方で経済現象をモデル化することを続けているが、果たして成功しているかは甚だ怪しい。

 

 量子論的意思決定理論(QDT)は、ヒルベルト空間の数学に基づく意思決定理論であり、量子力学への応用のために物理学で知られている枠組みである。この枠組みは、特に認知プロセスに現れる不確実性やその他の効果の概念を形式化し、意思決定の研究に適しているとされる。

 

 QDTは、意思決定者の選択を客観的な効用関数と主観的なそれとの合計である確率的な出来事として記述し、意思決定者に対する平均的効用などを供給しグループのデータを調べる。いずれの場合も、系の状態はヒルベルト空間を使用して表現されるのだが、意思決定や遷移などの測定手順は既知の固有値などの内部状態よりも優先される。したがって、「量子論的アプローチ」は古典的なものとは異なり、経済全般の代替モデルを提供するために拡張することができるというのである。

 

 このように「量子論的アプローチ」は、確かに人間の意思決定をモデル化するのにより自然に適合しているように見えなくもないし、「量子ファイナンス」は金融業界で広く採用されているとは言えないものの、一部のトレーダーは、例えば非流動資産の挙動を理解し予測するために量子論的方法論を採用していていると耳にする。

 

 「量子経済学」の観点から「量子論的アプローチ」の主な利点を考えるならば、それが自然に貨幣の二元的特性を組み込んでいることである。古典的な経済学では、価格は本質的に価値と同一視される。「量子論的アプローチ」では、価格は金融取引から生まれると見なされている。その結果、価格と価値の間の直接的なリンクを切断する。市場モデルの自然な拡張と興味深い長期的な研究プロジェクトは、住宅市場のようなものの量子エージェント・ベースのモデルになる。個々の株式を売買する傾向をモデル化するために使用されるアプローチに従って、各家は別々の単一資産市場とみなすことができる。

 

 このようなモデルは、価格が上昇しているときに「逃す恐れ」など住宅市場で見られる市場の伝染の種類をシミュレートすることができる。また、資金供給を拡大し資産価格のインフレにつながる民間融資を通じた資金創出プロセスも含まれる可能性もある。

 

 「量子論的アプローチ」は、不確定性やエンタングルメントなどの主要な経済的特性をモデル化するための自然な枠組みを提供するために考案された。また、金融を除く経済学において小さな役割を果たしている種類の確率的な動学的効果を説明している。

 

 物理学を背景知識とする人々は量子論的アプローチに精通しており、例えば量子統計力学から簡単に方法を適用して結果を導き出すことまでしていることは一部にみられる。しかし、「量子経済学」の主な教訓の一つは、経済が量子効果から出現するからといって、「量子論的モデル」が常に正しいことを意味するわけではないということである。

 

 最終的に量子特性から生じる水の複雑な挙動は気象システムを駆動するが、気象モデルの一部ではない可能性があり、同様に古典論的な方法で貨幣の流れをシミュレートすることもが可能であり、大多数はそう考えているということである。わざわざ量子レベルに下がる必要なく、その複雑な出現特性を調べる代替案が存在しないわけではない。「量子論的アプローチ」は、均衡などの古典的な仮定に依存する動学的確率論的一般均衡モデルに代わりうるかは未知数である。

 

アラン・バディウ『存在と出来事』・『世界の諸論理』

  フランスの哲学者アラン・バディウの著作は数多く邦訳されてはいるが、肝心の主著となると未だ翻訳されていない(邦訳されているものと言えば、かなりハチャメチャや訳がまかり通っているのだからたまらない)。その主著とは、L’être et l’événement(以下『存在と出来事』)とその続編のLogiques des Mondes(以下『世界の諸論理』)である。前者すなわち『存在と出来事』は37に分けられた断章から構成された書物になっている。この書物の主要テーゼは、彼のよく知られた言葉でもある「数学とは存在論である」。バディウは、存在の概念を掘り下げていく過程において「出来事」の次元を発見する。この「出来事」への関与の仕方を「主体化」と絡めて論じるところに特徴を持つのが、バディウの思考の真骨頂である。そして、このことが読後もなお理解に苦しむ点なのであるが、バディウが一般的な形式的存在論として提示したものと、人間の措かれた基本的状況のモデル化の関係について論じる際の数学に与えられた役割が不明な点である。ということは、僕は本書の核心に対して全く同意できないということを意味している。

 

 結論から言うと、バディウの議論はその核心部分において知的詐術が散見されるほとんど「暴論」の類であるというのが僕の率直な感想である。バディウ集合論圏論の使い方に常々疑問を抱いている者からすれば当然なのだが、再度時間をかけて『存在と出来事』だけでなく、その続編にあたる『世界の諸論理』を読んでますますその思いを強くするし、バディウが明らかに英米系の分析哲学や科学哲学を意識して書いている箇所を見ても、おそらく建設的対話に至れるほどバディウの「よき読者」に恵まれるか疑わしい。バディウがその一般的存在論の定式化と人間の措かれた状況のモデル化を数学ことに集合論圏論に定位して論じるための正当化の手続きを欠いているというのが主な理由である。

 

 バディウの哲学は、「数学が存在論である」という主要テーゼと同時に「存在論は状況である」という主張とをどう関係させるのかが見物だわけだが、存在論は存在する者を汲みつくそうとはするものの、発生する者すべてを汲みつくせるわけではない。知への切迫と重要なものの知の政治的・実存的重要性との関係を考察する上で鍵になる概念が「真理」ということになるわけだが、この点でバディウは他のフランス現代思想の論者と決定的に異なるスタンスをとり、その姿勢は寧ろ古色蒼然とした形而上学者といった表情を時折見せもする。数学は、古代ギリシアの昔から存在としての知識を与えてきたが、バディウに言わせると、カントルの無限集合論が決定的なブレークスルーをもたらしたらしい。カントルは敬虔なカトリック信徒であり、カントルの論文を一読すればわかるように、無限についての思考と存在の概念を結びつけようとする形而上学的思考は神学の系譜を見ても何も突拍子もない「トンでも」の見解ではなく、カントルその人の元の発想にあったのであり、この傾向はクルト・ゲーデルにも直結している。ボルツァーノなどの名著を一瞥しても、そのことが了解されよう。バディウにとってカントルの無限集合論は、正に宇宙観そのものに決定的な刻印をいれた数学の革新でもあったのだそうだ。そこでは、「解釈不可能な」無限の存在に依存している有限の創造された世界の概念は、無限が現実のものとなった宇宙によって置き換えられる。

無限大に関する存在論的決定は、単純に次のように言い換えることができる。すなわち、無限の自然多様性が存在する。

 

バディウは言う。とはいえバディウは同時に、そこに単一の統一された本質ないしは<一>なる<神>の無限のイメージである「宇宙論的なもの」を指すものとして自然な無限階層性という考えを採らないように注意する。この点は、バディウ自身マルクス主義者というものの、レーニンと袂を分かっていると言えよう。集合論存在論は、全体と部分を扱わない。更に、集合は概念の延長として定義されるクラスと同義ではないので要素については何も言わず、したがって経験豊かな世界の質についても何も言わない。では、宇宙はいかにして「出来事」と呼ぶものに対応できるのか。確かに「出来事」には客観的な存在はない。バディウのいう「解釈的介入」を通してのみ起こる反省的構造を持つだけである。「出来事」は、それを認識する主体あるいはそれを出来事として推戴する主体とともに立ち現れる。「出来事」は、「出来事」の集合Xに属するすべての要素と「出来事」自体で構成されている。したがって、バディウがよく例に出す「フランス革命」は、1789年から1794年の間にフランスで起こった数え切れないほどの「出来事」のリストにとどまらない。これは、むしろ「フ​​ランス革命」という用語のことである。しかし、我々がこの特別なものを特定しようとするとき、我々は再び「出来事」の集合に直面している。バディウによると、「出来事」は「忠実性」を要求し特定の「出来事」つまり開示されている「真理」への取り組みに対する「忠実性」のみがある。この「忠実性」の概念は、それが「主体」であることが何を意味するのかについてのバディウの説明に必要な基礎をも提供する。

 

 バディウは、超越論的な経験可能条件としてのこの「主体」の概念に反論する。主観性は、介入と忠実な関係の規則の接点として匿名の「1として数える」プロセスによって捉えられる。そしてバディウにとって、そのような話題を呼ぶ「出来事」は4つの領域でのみ起こるというわけである。その4つの領域とは、「愛」の分野で、「科学」の中で、「芸術」の中で、そして「政治」の中である。バディウの「出来事」の概念の範囲と彼によるその定義が特定の歴史的出来事とどのように関連しているかが問われることになる。バディウの哲学によると、歴史的領域は単に登録することに関わるのではなく何が起こるのかを構成する自己関連性の反省の領域である。歴史的領域では、バディウが「状況の状態」と呼ぶレベルで「再提示される」集合は「異常」になる可能性があるためだ。自然の法則とは異なり、社会的慣習は常に「出来事」に侵害される。その要素のどれも「状況の状態」で表されない。「出来事」は「偶然の場所」(不確定な範囲の思考と活動)とその出来事それ自身からなる。ひとたび「出来事」が人間の世界の非常に風合いを作り上げていることを認めたならば、『存在と出来事』が繰り返し挑む質問はさらに強い力を持つ。歴史的世界はバディウの特権的な意味での「出来事」として推戴されるようになるのだろうか?バディウは、フランス革命ロシア革命、シナの革命、マラルメの詩、シェーンベルクのシリアリズム、ピカソキュービズム、カントルの数学といった比較的伝統的な科学的、美的、政治的革新のレパートリーから例を引き出す傾向があるが、これらの事件の多くでは関係する「出来事」が不可逆的な進歩であり、その継承者の無条件の「忠実性」を要求する画期的な出来事であるという含意が認められることはない。

 

 ここで提起されたより一般的な問題は、それらが見られる歴史的な視点自体が変化し続けるので、「出来事」の重要性が絶えず変化している方法に関する。極論すれば、かつて決定的な「出来事」として登場したものが完全にこの地位を失うことになるかもしれないということである。バディウは、特に黙示録的な革命の幻想の文脈において、「絶対的な新しさ」の概念を批判している。

出来事自体は、可能性が再発を必要とする介入によって提出される限りにおいてのみ存在する。支配された状況の構造へ。それ自体、いかなる新規性も相対的なものであり、事実の後でのみ命令の危険性として判読可能である 。

しかし同時にバディウは、そのような相対性がその「出来事」の解釈学的な格下げを可能にする可能性を排除しようとしている。彼はその「出来事」が「真理」の開示であると主張することによってそうしているのだ。単に変更可能で修正可能な意味ではない。しかしバディウの説明によると「真理」は証明できない。それは存在論的領域の知識に「穴を開ける」ことなのだ。 バディウの「出来事」への「忠実度」は、「出来事」自体よりも重要かもしれない。「忠実性」がなければ、人間はすべての一貫性を欠いた恣意的な衝動と欲望の断片化されたポストモダン的な自己になるかもしれない。「忠実性」を通して我々は「主体」となる。なぜなら私たちは考えと行動の継続を維持し、未来がどんな圧力と偶然をもたらすのか予想できないにもかかわらず我々自身の将来の自己を保証するからである。出来事に対する無条件への情熱の誤った方向づけ、さらに悪いことではないにしても、それは教義と独占の危険をもたらす。それはまた一つの最後の問題を提起する。バディウは繰り返し「神は存在しない」と宣言している。しかし、存在と「出来事」の全体は、「存在しないもの」すなわち「許容可能な存在論マトリックス」が存在しない「出来事」についての複雑な探究である。更に、バディウ自身の思考は、なぜ私たちが主体になるべきなのか、なぜ私たちは忠実な人生を約束するべきなのかという疑問に導くしかない。

 

  バディウの主要テーマは、存在論形而上学そして政治理論の主要な問題のいくつかを通して一種の独特な形式主義を適用することである。バディウの『存在と出来事』 および『世界の諸論理』の双方において、結果的に形式主義の限界自体を露呈させる一種の逆説的形式主義という側面と、分析哲学の形式的な認識論と形而上学の理論的問題も扱われている。『世界の諸論理』では、主に「4つの一般的手続き」の分野における根本的な新規性または不連続で本質的に予測不可能な変化の可能性を理論化することが目指される。この目的のために、『存在と出来事』においてバディウは、数学的構造に基づく形式的存在論の革新的な理論、特にその標準となるツェルメロ、フレンケル、コーエンによる公理論的集合論が参照される。これによってバディウが「出来事」と呼ぶものを理論化することが可能になるというわけである。それは、そのようなものとしての対象や実体の外観を通常支配する基本的な公理を局所的に切断することによって本質的に新しいグループ分けを許すという逆説的な「出来事」として突然現われ、それらの変容的な効果を出現させることになる。『世界の諸論理』では「現象論」と呼んでいる包括的な形式的な外観理論で、この初期の「存在論的」な最終的な変化の説明を補足している。根底にある概念装置はまた数学的形式主義から引き出されているが、そのような変化の可能性の社会政治的意味もまたまた非常に重要性を帯びている。

 

 確かに「序文」の中で、バディウは現代の「自然な信念」の仮定を免れるもの、彼がポストモダン相対主義と規約主義の閉じ込めの教義として見るものを理論化する試みの一部として『世界の諸論理』の全体像を提示している。そのような見解は究極的には「民主的唯物論」の単調な体制のみを生み出すことができ、それはすべての文化とその主張をあるレベルで見ると実際の発展の可能性と根本的な変化を生み出す効果的な介入の両方を排除する機能を持つ。バディウは、この「公理的」な信念をアルチュセールに倣って「唯物論弁証法」と呼んでいるものに置き換えることを提案している。ここでの中心的な違いは、彼が「真理」と呼ぶものに対する躊躇なき肯定である。バディウによれば、それは現代の信念の正統性の議論の中では一般に否定されるか、抑圧されるのだが、ここでいうバディウの「真理」の概念は、ある種異常な概念であり、なじみのある対応説や整合説で言われている「真理」概念の観点から理解されるべきではないということだけは明白である。バディウにとって「真理」の意義とは、既存の知識体系を打ち破る能力であり、その結果、根本的な変革の方向性を定義することと関わっている。提示と表現の基本的な可能性を既存の順序の範囲内で並べ替えるわけだ。 

 

 『存在と出来事』は「出来事」が生起するための存在論的構造と条件について説明しているが、バディウが「世界」と呼んでいる決定的で構造化された状況における「出来事」の出現を左右する条件については明確に検討されてこなかった。外見の構造化とそれらがどのように変化し発展するかを理解する仕事は、バディウをして彼の以前の理論の様々な革新と修正に導かせることになった。ここで最も重要なのは、存在論が静的かつ非関係的であることはもっともらしいが、現象の領域は本質的に関係的、動的、そして可変であるということである。したがって、現象の領域では、2つの対象間に存在の度合いと「同一性」があり、対象とそれ自体の間にはそれよりも大きいまたは小さい程度の「同一性」がある。これらの同一性と存在の関係は、完全な不可視性または出現の失敗に対応する最小度から、構造化された世界内の最大の存在または有効性に対応する最大出現度までの範囲の出現強度を決定することになる。ここの立論は明らかにrealitasをめぐる中世スコラ哲学やデカルト省察』にも登場する形而上学的概念の理解が不可欠になるが、バディウはこの点について何の説明も加えていない。

 

 『存在と出来事』は存在の包括的な構造が標準的な集合論の公理によってモデル化されているとして理論化したが、『世界の諸論理』は代わりに圏論に現れている出現領域をモデル化する。一般にカテゴリーは関係の構造として理解することができる。このような関係の構造が保持されている限り、このように構造化された対象の同一性は関係ない。バディウにとって最も重要なことは論理的なものをモデル化するためにtopoiとして知られている特別な種類のカテゴリカルな構造を使うことも可能であるとしている点である。例えば、トポス理論を使用してすべての公理と標準的な古典命題論理の関係を代数的にモデル化することができる。実際、モデル化された論理が古典的なものである必要がないのは明らかである。確かに、topoiを使って直観主義者や多価値のものを含む非古典的な論理をいくつでもモデル化することができる。これらの非古典的論理はハイティング代数と呼ばれる全代数構造によって決定されるものとして一様に理解することができる。この圏論的な枠組みを使って、バディウは世界の特定のカテゴリーによって可能となる「真理」の程度に対応する様々な程度の存在を含む「論理」を決定する基本構造または各世界に存在するものとして決定される現象の関係を定義できるとする。

 

 バディウは、特定の世界のための存在のこれらの論理的な関係と強度を決定する特定の構造をその「超越」と言う。この用語はカントからフッサールまでの観念論的議論を反映しているが、バディウは「超越論的」のような構造化について話す際、いかなる意味においても超越論的主体の理論を与えるつもりはないと強調する。その代わりに、バディウの構造化された現象の関係は明確に客観的であり、例外なく特定の世界に「存在する」と理解できるもの、そしてその現象を構造化する独自の方法で「存在しない」または見えないままのものを決定する。同様に、ハイティング代数の採用と構造化された論理の多様性は直観主義的または構成主義的動機を示唆しているが、バディウは、構造世界が「超越」であることは重要ではないと強調している。バディウは、あらゆる形態の観念論的議論を完全に破ることを目指す。そのような立場は、世界の中で驚異的であるものの客観性、物が現れる能力およびそれらの独特の存在度を掌握することができないであろうと言うのである。したがってバディウは、圏論を使用して考えられる現象構造を集合論を使用して集合自体またはその濃度として考える。

 

 現象論的対象と存在論的多様性の根底にある同一性は、終局的な「変化の論理学」の新しい理論の主要な革新に導くという。世界自体の超越的な構造を最終的に変えるであろう一連の変化をもたらすこの奇妙な遡及的効果は、『存在と出来事』のように自己言及またはトートロジーの逆説的効果を通してのみ可能となるわけである。「出来事」が生起するためには、特定の集合がそれ自身の要素であることが必要である。バディウによれば、「偶然の場所」のこの準逆説的な構造が存在すると世界の変化の度合いや強度に応じてさまざまな方法でそれを取り上げることが直ちに可能になる。最も過激なケースでは、対象の最終的なサイトの構造の意味の忠実な追跡はその存在の程度において以前最小であった要素つまりはその特定の世界において文字通り「存在していた」という結果をもたらす。その存在の中には存在するが、世界の論理からは完全に見えない突然最大の存在度を達成すること、それが意味する既存の構造のすべての変化をそれにもたらすことになる。ここでのアナロジーは、マルクスの「何もない私たちはすべてのものになるだろう」という一種の政治革命に対するものである。

 

 バディウは、他の分野で可能な限りこの種の偶発的な変化、例えば、新しいオブジェクトを引き出し、以前は注意を免れていた目に見える現象を作り出すだけでなく、基本的には大規模な新たに変換された世界に存在すると見なされるものの大規模構造を捉えようとする。現れることができるものの定義と限界を理論化するための、そしてそれ故に根本的に新しいものが明るみに出る可能性を捉えるための数学的形式化の使用は確かに「斬新」と言われれば「斬新」であろう。しかし、バディウがその前身と一緒にそれを望んでいるという哲学的思考の一種の変革的な出来事を発表することに『世界の諸論理』が成功するというのならば、以下の疑問には最低応答できるものでなければならない。一つは、『世界の諸論理』がその中心的な理論的目的であるそれらの構造と「客観的に現れる」という関係についての理解を深めることに実際に成功するかどうかという問題である。これらは、対象への接近あるいは慣習的な決定または偶発的な言語コミュニティによって構造化または決定された外見ではなく、むしろ「存在論」から厳密に外れた「客観的」な現象ではなく事物の現実そのものである。バディウは、これらの程度と関係の詳細な形式を世界の中の現象や存在の可変的な「強度」まで提供するが、これらの「強度」が実際にはどうあるのかを確立できるかという疑問に決して答えていないのである。

 

 この超越論はハイティング代数と特別な非古典的な論理との関連性を示しているが、この理論には超越論的なものと論理が実際にどのように世界を構築するかを説明するものではない。この疑問に答えることが必然的に観念論の形態の1つに帰着することを恐れているという理由で、バディウは超越の起源とその適用権の起源についての論争を提起することを望んでいないということである。しかし、現象を決定する際の超越論的構造の力とその維持の問題に対する答え方において失敗すると、「超越論的なもの」は確かに言語学的または慣習的な慣習の構造であり確立され保持されるという自然な仮定を避けることは非常に難しい。特定の文化または言語コミュニティの行動の規則性もちろん、この仮定はバディウが避けたいと望む類の「文化的相対主義」に直接戻ってしまう。

 

 二つ目は、以前の『存在と出来事』にも関係する疑問である。これは、バディウの概念装置が、現存する哲学的営為と社会学的営為の両方に関して、バディウ自身のより批判的主張の根底にある究極の変革と一般的な「真理」の過激な政治的教義を実際に支える程度の問題である。バディウの最終的な変化の理論が、それが真に変容的であることであるならば、その出来事が突然の予測不可能な出現をもたらすことを要求している限り漠然としたアウトラインでさえも、これらの劇的な変化の可能性を予測する可能性、または「出来事」の後まで出現する可能性のある場所を突き止める可能性から我々を遠ざけよう。このように、バディウの理論がその強いレトリックにもかかわらずそれが表向きに想定している変化の種類を支持する上で実際に重要な役割を果たすことができるとは限らないのである。したがってバディウの読み手がこのレトリックを超えて、非常に示唆に富む形式とここで受け取る革新的な提起の両方を詳細に理解することが望まれる。

「清浄な心」と「ふしだらな心」

 二十歳の若さで夭折したフランスの詩人・小説家レイモン・ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』は、「ドルジェル伯爵夫人のそれのような心の動きは時代おくれなのだろうか?」という一文で始まっている。このラディゲの恋愛小説は、文学史的な位置づけでは、17世紀のラファイエット夫人クレーヴの奥方』を模範としつつ古典主義の心理劇を現代に蘇らせたものという評価が定着している。事実、古典的手法によって古典主義の時代と現代の架橋しがたい断絶と同時にその断絶の中に両者の「近さ」という矛盾した二重性を描くことに成功した作品と評価する声が多い。

 

 ドルジェル伯爵夫人は、夫に対する貞潔の義務感とあることがきっかけで偶然に出会った青年への恋愛の情との間に引き裂かれ、その旨を夫であるドルジェル伯爵に告げようと試みるも、夫は無関心を決め込んだままである。そんな夫の態度に業を煮やして遂には青年の母親に対して手紙を書こうとする。それは、自らの煩悶がよからぬ不道徳なことであることを青年の母親からたしなめてもらいたいとの思いから出た挙動だったが、手紙を書けば書くほど青年への恋心は募っていくばかりで、古典時代の「清浄な心」の持つ奇異な「ふしだらな心」が潜在していく無意識の働きが逆にいやましてくるのであった。「古きもの」と「新しきもの」、「清浄な心」と「ふしだらな心」に引き裂かれた個人という描像は、何もドルジェル伯爵夫人にばかり当てはまるものではなく、およそ近代という時代に生をうけた者の宿命的絵図でもある。

 

 明治期の日本における英文学研究の先端を担わされ英国留学にまで至った夏目漱石は、ロンドンにおいて神経衰弱を患うこととなったが、そんな漱石の心を最も落ち着かせたのは、漢文を読み漢詩をつくっていた時であったという。今の時代に漱石や鴎外のような知性が存在するのか怪しいが、その漱石や鴎外が、明治天皇の御大葬の日に乃木希典・静子夫妻が殉死した事件にある種の感動を覚え、方や『こころ』に方や『興津屋五右衛門の遺書』を書いている。

 

 晩年は、後の昭和天皇となられる迪宮裕仁親王殿下の教育係として学習院院長になった乃木希典は、学習院で教育を受けていた「白樺派」の連中からは新しい世に対応できない時代遅れの化石のごとき扱いを受けていたという。その「白樺派」と旧世代の漱石や鴎外の殉死に対する思いの断絶は、『こころ』の中の「明治の精神」に殉ずることを理解しない・しようともしない者との決定的な断絶でもある。

 

 江藤淳は、『こころ』の「先生」の自裁をある種の「自己処罰」として位置づけていた。確かに「先生」の「K」への裏切りにいつか決着をつけねばならぬと考えていた「先生」からして、「自由と独立と己れとに充ちた現代」にあって自らの行為を処罰することでこの時代を拒絶する意思を示す意味で「自己処罰」という側面もあろう。しかし僕としては、大江健三郎の解釈すなわち「自己解放」としての自裁という側面の方が強いように思われる。

 

 「先生」は、ちょうどドルジェル伯爵夫人のように「清浄な心」と「ふしだらな心」に引き裂かれていた。そして同時に、その「清浄な心」に「ふしだらな心」が潜在していることも自覚していた。そうした状況でこれ以上醜い己れでありたくない、沈みゆく船にいるのならば、なりふり構わず救命船に乗ろうとあがくことなく、ただ沈みゆく船とともに命を任せることを選ぶことで、「自由と独立と己れとに充ちた現代」だけは御免こうむりたいという強い意思を示したのではあるまいか。いずれ「ふしだらな心」に専有されることになるのが分かっているのならば、そうした自分を断固拒絶したい。これは処罰ではなく解放という言葉の方が相応しい。

 

 むろん我々も、程度の差こそあれ、そうした相克に苦しむことがある。しかし、それをそうと自覚する者と能天気な者つまり、かつて三島由紀夫が「口をききたくもない」と述べたその対象との断絶は、今日の軽薄な日本においてもまだ見られる現象である。さて、それらが無理にでも共存していくのがよいのか、あるいは逆にいずれかが滅びた方がよりましなのか、ここではっきりさせることはできないわけなのだが・・・。

ますます面白くなってきた日韓関係

 来月2日にも日本政府は、輸出管理における優遇措置の対象となる「ホワイト国」から韓国を除外するための政令改正の閣議決定を行うとの見通しだ。韓国政府や韓国の国民の「発狂」ともいえる異常な反応ぶりが報道を通じて伝わっているが、この措置に対して我が国民は、パブリックコメントの結果を見る限り、約9割もの人々が賛成の意を示してるという。結論から言えば、今回の戦略物資をめぐる輸出管理に関する日本政府の措置は妥当な判断だと思うし、むしろ遅すぎたとすら思っているほどであるから、今回の政府の決断には支持を表明したい。韓国の反応ときたら、まったくの筋違いのものばかりで、まともに取り合うに値する理屈は皆無と言ってよい。

 

 そもそも、安全保障上の輸出管理についての優遇措置を講じるか否かは当該国家の専権事項であって、相手国と交渉して決めるものではない。韓国が輸出管理上不適切な事案があったという証拠を示せと高圧的に恫喝的言辞を弄して日本を非難しているが、これもそもそも韓国側が不適切な事案はない旨の説明をし日本の納得を得るよう努力すべきことがらであって、日本側に挙証責任ある事柄ではない。フッ化水素など大量破壊兵器の製造に利用されかねない戦略物資の輸出は、当該国できちんと管理されていることが前提でなされるべきものであり、韓国の場合、大量の使途不明な点が存するものだから、日本政府は数年前からこの点についての説明を再三再四韓国政府に求め続けたにも関わらず無視を決め込んできた。そのことに関する措置なのだから、これまで通りの管理体制の継続を韓国政府が望むならば、日本政府の問い合わせに誠実に対処すればよいだけの話である。EU諸国も韓国に対して「ホワイト国」指定をしていない。

 

 ここまで話が通じない国がそもそも「ホワイト国」だということが不思議なくらいで、恩恵を受けていた者が逆に居直って恩恵を与えていた者に対して恩恵を施さないとはけしからんと言っているようなものである。さすがに温厚な日本人も堪忍袋の緒が切れるというもの。にもかかわらず、日本人の中には韓国政府の代弁者であるかのような言説を垂れ流すメディアや自称「知識人」がいるのが驚きだ。彼ら彼女らは、日本政府へ韓国に対する敵視政策を直ちに止め、輸出管理体制の強化の方針を撤回せよ、と主張する。彼ら彼女らの本音がとうとう表に現れたとみることもできるが、特定の外国勢力の肩をもつ彼ら彼女ら、また首相官邸前で集会をたびたび行っている「市民運動」家の正体を薄々感づき始めた国民も多かろうと思う。

 

 そもそも敵視政策を行っているのは韓国の方である。日本は教育や行政レベルで韓国敵視政策を行っているわけではない。逆に韓国は国レベルで反日政策を一貫して行ってきた。その証拠が長年にわたる「反日ヒステリー」である。日本の左翼は世界各国の左翼と異なり、自国の利益を毀損し、自国民の名誉と尊厳を傷つけることに邁進してきたわけだが、今回の日本政府の対応を批判しているということは、これまで通り戦略物資の横流し疑惑を不問にしておけということ、すなわち大量破壊兵器の製造に転用されかねない物資の使途不明な点など放置しておけばよいと言っているに等しく、これでは逆に欧米各国から日本に批判がなされる事態になりかねない。要は、無茶苦茶な韓国擁護論を展開しているわけであって、口先では平和だの反核だのと言っておきながら、北東アジアの不安定化の原因になっている中共北朝鮮の軍拡や軍事的挑発行為に対しては何ら批判を加えてこなかった二枚舌と同じ言動をものしているということが理解できる。その証拠に、日本の「市民運動」家の中には、韓国の明らかな親北朝鮮の市民団体や労働組合と「連帯」と称して外国勢力と通謀し、露骨な反日運動に加担している者もいる(文字通り「売国奴」と呼ぶにふさわしい)。

 

 ここでは具体名は敢えて伏せておくが、通謀している団体はチュチェ思想に感化された団体として有名であって、そこと関係を持つ「市民運動」家も元は毛沢東思想に被れた弱小政治党派の構成員であることを知っている国民がどれほどいるか。よく観察すればわかるように、日本の左翼「市民運動」家の大半は、例えば中華人民共和国北朝鮮の苛烈な人権弾圧に対しては抗議の声をあげない。また韓国の過度な民族主義に対しても異論を差し挟まない。日本の嫌韓ムードなど比較にならぬほどの排外主義的な反日ナショナリズムに対して一点の批判もしない。台湾独立の声や香港のデモに対しても、明らかに覇権主義的な行動をとっているのは北京政府であるにも関わらず、全く声をあげない。日本の左翼・リベラルなどが称揚する「市民運動」は、一見普通の市民の声であるように見せかけているが、騙されて参加している素朴な人々を除いて、それを主宰する者は極端な左翼活動の残党であったり、外国勢力とりわけ北朝鮮や北京政府の意向にしたがって活動している工作員であるということに大多数の国民は気づくべきだろう。

 

 日本政府としては粛々と事にあたればよいし、次なる対韓措置を早期に講じてもらいたい。韓国経済を締め上げるには今は絶好の好機である。対ドルでのウォン価格は現在1184.24であり、防衛ラインといわれる1200まで間近である。禁輸でもなんでもなく、単に韓国が安全保障上の物資に関する管理体制をきちんとすれば今まで通り輸入できるわけだから(中華人民共和国も台湾もそうしているわけだ)、何も騒ぐことはないのに日本による輸出管理の厳格化だけで狂騒を演じているところを見ると、「ホワイト国」除外により規制対象品目が飛躍的に増えることによる韓国経済への打撃は相当なものになるが、なお一層韓国を締め上げるには金融方面での制裁が効果を発揮するものと思われる。韓国の輸出入に絡む日本の銀行による確認信用状を停止することもその一つかもしれない。もっとも、日本の銀行はそのことで利益を得ているので、日本の銀行にとってのお得意先の一つをなくしてしまうことも意味する。韓国への貸し付けも約7兆円もあるので、これの回収にあたることも或る程度効果を発揮しよう。さらに送金停止までいくと、これは事実上の経済的な国交停止にまで至ることを意味するが、そうなると韓国経済は一気に干上がり、「即死」状態に至るだろう。但し、そうなると日本経済にも返り血が多少降りかかることも予想されるので、だから得策としては徐々に血を抜いて死に至らしめる方が再起不能となる点で有効。暴落するウォンの動きを加速させウォンを市場で売り浴びせることによって外貨準備をそれほどもっていない韓国銀行は早々に白旗を揚げるだろうが、これもからかい半分で乱高下させることもできないわけでもなく、こうすることで韓国を焦土化するという戦略もありうる。

 

 日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄を仄めかし米国を激怒させるわ、それをしめたとみた北朝鮮が早速韓国に破棄を要求するわで、文政権は自爆している状況で韓国は政治的にも経済的にも自滅の道を歩んでいくことだろう。挙句は東京五輪ボイコットまで仄めかし始め、もはや正気の沙汰ではない韓国は、ごくわずかの良識ある保守派の声は「土着倭寇」というヘイトの声によってかき消され、身動き取れずにいるさまである。日本での報道や韓国のメディアのアホさ加減をみれば、韓国人は皆愚かなのではないかと勘違いしそうであるが、さすがにこの状態を憂いているまともな韓国人も確かに存在する。そうした良質な保守の陣営の声が大きくなってくれないものだろうか。中露が日米韓の安全保障関係の隙間を見るや早速挑発的行動に出てきたように、本来なら日米韓の連携は重要であることは間違いない。しかし残念ながら、韓国は既に信用のおけない国と化してしまった。国家間の条約や協定を反故にするかのような行動をとり、北朝鮮やシナに重要な軍事情報を手渡したり、わが海上自衛隊の艦旗である旭日旗に難癖をつけだしたり、艦船に我が国を侵略した「世宗大王」の名をつけ、揚陸艦に「独島」と名づけたりと日本の神経を逆なでする行為を働き、おまけに先だってのレーダー照射問題や先帝陛下への国会議長による謝罪要求などとても正気とは思えない韓国側の言動をみれば、これを今まで優遇措置の対象にしてきた日本政府がどうかしていたのだ。

 

 今回の日韓対立は、米国との関係もあってよもや国交断絶とまではいかないだろうが、少なくとも文在寅政権が続く限り悪化の一途を辿るだろう。もちろん日本も相応の痛手を負うだろうが、韓国のそれは比較にならぬほどの、ともすれば経済が崩壊しかねないほどの破局を迎えるかもしれぬ痛手となるだろうし、サムソンやLGといった韓国企業は、日本の製造業にとって欠くべからざる資本財を提供する企業ではなく、逆に日本の企業の競合相手であるので、むしろ潰れてくれた方が好都合な側面もある。日本の資本財製造企業は代替性がないので、その強みを生かして他社におろせばよいだけのこと。この機会を奇貨として、再び韓国を文字通りの「発展途上国」に転落させる戦略を講じてみるのも一興だろう。

変態フーコー

 久方ぶりにデイヴィッド・ハルプリン『聖フーコーーゲイの聖人伝に向けて』(太田出版)を読み返してみて、ミッシェル・フーコーという歴史家/思想家は、その狭義の政治的主張には同意できなくとも、やはり偉大な知識人だったのだなと改めて思う。フーコーが私生活において実際に何をやっていたかといえば相当変態的な行為に及んでいたことまで知られるに至っているが、その変態ぶりは思わず顔を背けたくなるような醜悪さを感じさせるようなものではなく、むしろ清々しいとでも言えるような変態ぶりである。その所持品から想像するに、ゲイ同士のハードSMが趣味だったフーコーのスキャンダラスな一面がしばしば興味本位に取り上げられるわけだが、この点に正面切って焦点を当てた研究書となると、実は驚くほど少ない。フーコーが亡くなった後に発見された遺品の中には、ゲイ同士のハードなSMの道具もあったというのだから、強烈な性欲の塊であったに違いない。彼の性行為はフィストファックをも含めたハードプレイだったに違いなく(フィストファックなどやったこともなければ、やりたいとも思わないが)、大多数の者の性行為の範疇に収まらないという意味で、まぎれもなくフーコーはド変態であった。

 

 アナルセックスならばかなりの人は普通に理解できるし、経験済みの者も多かろう。最初は前立腺への刺激は痛みを伴うものであれ、放すときにゆっくりしてやるなど工夫すれば徐々に慣れていく。そうしているうちに強烈な快感を得ることができるようになる。ことさら同性を意識しない男であったとしても、人並み以上に性欲が強い者ならば、おそらくその快感が癖になってしまうほどの性的快楽を得ることができる(人によっては所謂「トコロテン」を体験する者もいる。激しいドライ・オーガズムを体験することもある)。とはいえ、さすがにフィストファックまでは理解できる人はごくわずかでしかないだろう。端から見れば「危険な遊戯」に映る。

 

 フーコーの場合、彼の変態ぶりについて取り上げることは、何も皮相がるにはあたらない。フーコーの思想の核心に関わらざるを得ないからである。その意味で、ウィトゲンシュタインが「彼を性的に満足させる用意のあった粗野な若者」たちとの同性愛行為に惑溺していたことを主張する(但し、明確な証拠に基づいて論証されているわけではない)ウィリアム・バートレー『ウィトゲンシュタインと同性愛』(未来社)が持つ皮相さとは決定的に異なる。この書では、ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』を世に出し、もはや哲学に関わるまいとしてアカデミズムから脱出してから再びケンブリッジに戻るまでの「空白の10年間」に焦点を当て、彼の同性愛的傾向とその哲学との内的必然性が存在するとの仮説を論証しようとするものであるわけだが、逆に読めば読むほどウィトゲンシュタインの哲学と彼の同性愛的嗜好との内的必然性はないという結論に至り着いてしまうところが皮肉なことである。それよりも大事なことは、ウィトゲンシュタインが同性愛的嗜好に対して罪の意識を持ち続けていたことの方であり、母方の宗教であったカトリックに強い影響を受け、また福音書を読み続けて実際に修道院の修行僧のような禁欲的生活を送っていたほどの敬虔なクリスチャンとしての側面を有していたことである(もっとも「制度的」にも従順なカトリック信徒であったというわけでは必ずしもないようであるが)。彼の基本的信条は、それゆえに極めて保守的なものであった。だから、仮にウィトゲンシュタインフーコーの思想を目にしようものならば、おそらく怒りすら覚えていたであろうことが想像できる。

 

 フーコーウィトゲンシュタインとは逆で、ゲイとして男同士でのセックスの享楽を味わうことを「罪」と解させてしまう力学に対して抗い、時には死に至りついてしまうかもしれないハードなSM行為に耽りながら性の快楽を全肯定する。だからといって、同じく異性との放縦な性生活を謳歌しつつも「厭世家」ぶった存在であったショーペンハウアーとも違う。フーコーが並みの知識人と違う点は、彼が自らの身体を一つの実験として生きたという点である。その意味で、フーコーは変態であったというより敢えて「変態になる」という生き方をしていたのかもしれない。このような思想家は、いそうでいていない。特に、現代の日本社会にはほとんどいない。

 

 他方で僕自身、自分の実存の問題を直接理論化して考えようという気が端からないのかもしれないが、ゲイもしくはバイであることに過度に拘る言説については付いていけないのである。また、カミングアウトにことさら重要な意義すら見出すこともできない。個人の措かれた個別の事情が異なるわけだし、また個人的なのっぴきならぬ理由もあるわけだから、各々のカミングアウトに踏み切った決断を否定する気もなければ、否定する権利も持ち合わせていない。ただ、カミングアウトという行為一般が持つ傾向に、往々にして結局自己正当化にしかつながっていないのではないかと思われる言説が紛れ込んでいることが気がかりなのである。過度にゲイであることに拘り、バイは不純であるかのように主張する言説を見つけるとげんなりしてしまうのは、それがヘテロ至上主義とメダルの表裏の関係でしかないからである。

 

 ホモ・セクシャルであるとかヘテロ・セクシャルであるとかあるいはバイ・セクシャルであるといった「アンデンティティの思考」に拘泥することを否定し、生の新しい可能性を生むある種の触媒として「ゲイになること」を位置づけ、抑圧とそこからの解放というストーリーに押しつぶすことなく、多様な関係性の産出を志向するというフーコーのモチーフは、結局は「やりたいようにやる」ということに収斂するものと思われる。それは抑圧からの解放とは違う。欲望を放棄せず、その実現に向けた生のスタイルを肯定することであって、幸運なことに、これは我が日本文化の伝統でもあるのだ。完全なホモ・セクシャルが完全なヘテロ・セクシャルと同様にさほど多くはなく、むしろ潜在的にはバイ・セクシャルが意外に多いと考えられることから、自己の性の在り方を固定化してみる必要はないし、実際に同性・異性を問わず性行為の対象にできると考える者もいるという当たり前の事実を肯定すればよい。男色の歴史に事欠かない我が国の文化伝統に照らせば、現在の日本の性に対する見方はむしろ偏狭に過ぎ、僕のように女と行為に及んだ後にあっさり男との性行為の享楽を味わう者は、ごくごく普通に存在したし今も存在する。

 

 ゲイの肉体は、見た目の美しさとともに自分の欲望の対象として広告する方法である。ゲイの筋肉は力を意味せず、肉体労働が生み出す種類の筋肉には似ておらず、それどころかゲイの誇張され肉体は、エロティシズムをかきたてられるように緻密に設計されている。そう『聖フーコー』の著者は主張する。確かに、ジムで鍛えられた肉体に有用性はなく、例えばボディ・ビルダーがきつい肉体仕事に耐えられるかと問うてみればよいだろう。でも、そうした「イカニモ」というべきガチムチ系の男ばかりがゲイであるわけではないし、バイまで広げるとありとあらゆる系統の男どもがいるわけであって、それは異性愛の姿と何ら変わりのないことである。強いて違いを言えば、ゲイはノンケよりも圧倒的にセックスの回数が多いくらいなものである(両方経験すればわかろうが、即物的なセックスの快感の度合だけでいうならば、断然男同士のセックスの方が上である。ケースごとに違うだろうが、男同士のセックスは概して性的快楽のみを追求したものであるのに対して、男女間のセックスは、単なる性的快感を目的にしているのではなく、そこに様々な物語的要素をはらんだ意味を読み込んでしまうところが厄介な点なわけだ)。

 

 フーコーは自らを実験的に生きた。そういう思想家はほとんどいない。自らの欲望を制約せず、しかし同時に過度になってしまって自らを徒に傷つけるようなことに至らぬように自己への配慮を施しつつ、それでもやりたいようにやろうと生きた。この点にフーコーの「偉さ」があるように思われる。そういう変態的な思索者が今の日本に現れてくれたら、多少は日本の思想シーンも風通しがよくなることだろう。