shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

牙をちらつかせる中共と香港情勢

いわゆる「逃亡犯条例」案が議会に上程されて以降、これに抗議する若者を中心とした香港のデモは今もなお続いており、漏れ伝わるところ、一層過激さを増してきているという。香港で開催が予定されている「一帯一路サミット」が間近に迫る中、中共中央はこれにどう対処しようか手をこまねいている状況だ。北戴河会議中共の長老たちに突き上げをくらいつつも、強硬に打って出ると、再び第二次天安門事件第一次天安門事件とは。周恩来総理が死去した後の反「四人組」運動に対する弾圧を指す。第二次天安門事件とは、1989年6月4日に勃発した人民解放軍27軍による人民弾圧を指す。いわゆる「六・四事件」である)の再現となる騒動になりかねない。そうなると、中華人民共和国は世界中から糾弾され孤立化するおそれもあるから、安易な人民解放軍による鎮圧行動をとれそうもない。せいぜい武装警察を動員することぐらいだろう。

 

もっとも、1989年の第二次天安門事件勃発時と比べて、シナの経済規模は比較にならぬほどの大きさとなり、世界経済に占める地位は残念ながら日本よりも遥かに大きく、シナに経済的に依存する諸国も多いだけでなく、米国のブラックストーンをはじめ欧米金融資本が北京の中南海(特に中共中央政治局常務委員王岐山など)とズブズブの関係に入っていることから、完全に孤立するにまでは至らないと判断すれば、大方の予想に反して、人民解放軍による武力鎮圧に踏むこむ可能性もゼロではない。とはいえ、現実的には、デモ隊をより過激化させることでデモ隊と一般市民との間の離反を図り、最終的に一部の過激分子を孤立化させることで終息させようという公安警察的手法による幕引きの筋書きを当局は描いているのかもしれない。

 

いずれにせよ、香港の国際金融センターとしての地位の低下は免れず、その経済規模は増々隣の深圳に突き放されていくだろう(「一帯一路サミット」は、香港ではなく深圳で開催されるよう変更される可能性は大いにある)。より問題なのは、この動きが中華人民共和国建国70周年を祝う10月1日の国慶節まで続くかどうかである。毛沢東のような「皇帝型権力」を掌中に収めたい習近平国家主席からすれば、何の憂いもなく天安門楼閣上に立ちたいと願望しているので、是が非でも香港の混乱を終息させたいところだろう。そのため、焦りと驕りにより、徒な行動に走って不測の事態が発生させてしまうことで、かえって習近平の権力が低下し始めるきっかけを作る可能性もある。

 

中共の独裁体制によって支配されるシナの覇権がさらに膨張し、南シナ海の例のように、その脅威が肌で感じられる頃になったところで、今更どうしようもない事態に陥り、挙句は、習近平の抱く世界覇権が実現しようものなら、世界は暗黒の世になってしまう。そういう危機感を持って、香港の自由と民主を守ろうとする反中共の運動に連帯する動きが日本からあってもおかしくないのに、残念ながら細々とした動きしか見られない。

 

普段から「自由」だの「民主主義を守れ」だのと叫んでいる左翼系市民運動は、何をトチ狂ったのか、「韓国を敵視するな」と頓珍漢なことを主張するデモはやる一方、世界的な問題となっている香港市民のデモについて何も言わない。中共チベットウイグルにおける「ジェノサイド」同然の民族浄化政策に対して糾弾せず、また台湾への軍事力をちらつかせた恫喝の姿勢に対しても無批判のままである。それどころか、「日中友好」とこれまた寝とぼけたことを主張して憚らない。ついでに、日本人へのヘイト表現には賛同し、これを批判する声に対しては、「表現の自由」と言って擁護する一方、日本人による韓国・北朝鮮批判には「ヘイト・スピーチ」と言って糾弾する二枚舌に、多くの良識ある日本人も気がつき始め、特に韓国嫌いというわけでもない一般の国民すらもが、こうした左翼系市民運動団体や、これに呼応する左翼系の自称「知識人」たちの胡散臭さを感じ取り始めていることはよい傾向である。彼ら彼女らが騒げば騒ぐほど、一般の国民は、彼ら彼女らの信奉する「心の祖国」の意向を敏感にかぎとり、徐々に離れていくことだろう。

 

1997年に香港が英国から中華人民共和国に返還される直前、「一国二制度」という建前が、いずれなし崩しにあって本土並みの自由しか与えられなくなるだろうとの危惧を抱いた富裕層や知識人が、自由の圧迫を恐れて海外に逃避するといった事例がみられたが、それでも多くの香港人は香港にとどまる選択をした。政治的自由が脅かされる切迫性をそれほど感じていなかったせいもあろう。ところが、習近平政権になって本土からの流入者の影響もあり、香港人の生活水準や所得格差が悪化し、香港人自身が本土に経済的にも政治的にも完全に飲み込まれるのではないかという危機感が日増しに大きくなってきた。本土からやってきたシナ人が香港市民に対して、「貧乏人!」と罵る光景があちらこちらで散見されるようになったのもこの頃からである。

 

一国二制度」といっても、議会は完全な民主主義的制度になっているわけではなく、その半数は北京政府の息のかかった連中で占められている。つまり、議会といっても、実質は北京の傀儡で民主的正当性の基盤は希薄だということである。経済的にも本土への依存が高まり自立度が低下していっている状況で、次は政治的支配の貫徹が現実のものとなってきている。左翼全体主義国家である中華人民共和国の、特に国内での強権的支配体制と並行しつつ、対外的には覇権を拡張させていく野心を隠さない習近平の野望の犠牲になるのは、香港だけでなく我々日本もである。決して「対岸の火事」として傍観してはいられないのはそのためである。中華勢力圏に飲み込まれることだけは是が非でも避けねばならないことだが、安倍政権も含め日本のこれまでの政権の危機感の無さにはほとほとあきれるばかりである。脅威は足下に及んでいるのである。

 

我が国をとりまく安全保障環境は、日に日に危険度を増してきている。現に、日本以外の北東アジア諸国は、それに備えて軍拡を継続している。シナの大軍拡は常軌を逸した規模で行われているが、隣の韓国は特にムン・ジェイン政権の下で大規模な軍拡が推進されており、防衛費は近いうちに日本を超えることは間違いない。日本だけが、その経済力に見合った国防の拡充を怠り、平和を維持するどころか、むしろ危機に陥れることになる力の空白状況を作り出しているわけである。国際関係は力と力の衝突であって、それら力が微妙な均衡を維持することによって国家間の関係は相対的安定を確保している。そのような中で、日本が必要な防衛力を持たないとなれば、そこに力の不均衡が生じ、かえって北東アジアの不安定要因となりかねない。

 

とりわけ、中華人民共和国の覇権志向はとどまるところを知らず、南シナ海のみならず東シナ海をも勢力範囲に取り込もうとの一貫した方針のもとに軍拡を推し進め、着々と諸々の工作を続けている。中共中央の指導部は1992年に制定した「領海法」の下、南シナ海及び東シナ海をシナの「内海」と位置づけ、東南アジア諸国のみならず日本にまで触手を伸ばしている。実際、中共の機関紙「環球時報」は、ここ数年、沖縄県について取り上げ、「琉球は日本の領土ではなかった」という記事を観測気球にように打ち上げているが、こうした記事は、ここ最近になって露骨なまでになってきている。

 

習近平オバマに対して、「太平洋の覇権をそれぞれ半分ずつ米中で折半しよう」と提案し、オバマがこの提案を撥ねつけたことが知られているが、オバマに一度撥ねつけられたからといって、あきらめるようなシナではない。また武力による台湾併合も辞さないという方針も露骨に表明するに至っている。 特に、北東アジアにおける米軍のプレゼンスの相対的低下、イラク戦争後の米国の覇権の後退局面の中で、急速に軍事力を拡大したシナ海軍の中には自信過剰になって挑発的・好戦的言動を堂々と弄する高級将校まで出現してきた。

 

対して、我が国は必要な防衛力強化を怠り、軍事的不安定を加速させることに寄与してしまったのである。十数年前までは、我が航空自衛隊の第4世代戦闘機の機数は人民解放軍のそれを上回り、東シナ海の制空権は日本が握っていた。万一、シナとの軍事衝突があったとしても、航空自衛隊および海上自衛隊は、そう時間をかけずにシナの侵攻を撃破することができたが、以後の人民解放軍の大軍拡により、第4世代戦闘機の機数は日本を圧倒するようになり、この時期から尖閣諸島への干渉が始まった。石原慎太郎東京都知事による尖閣諸島の土地の買い上げ宣言及び野田佳彦首相による尖閣諸島の土地の国有化の方針表明以前から、尖閣諸島への干渉が起きており、この原因は概ね、東シナ海における軍事バランスの変遷によって説明できるというわけだ。耳触りの良い「平和主義的」軍縮政策が寧ろヴァルネラブルな状況を作り出し、逆に国防力の拡張が安定をもたらすという逆説がここでも見られたのである。

 

もちろん、野放図な軍拡をしろというのではない。必要以上の大軍拡は周辺諸国の対日警戒感を増し、かえって安全保障リスクを高めることにしかつながらないこともあるからだ。だから、国際政治学にいうセキュリティ・ディレンマやセキュリティ・パラドクスをも十分に顧慮しつつ、北東アジア地域における米軍のプレゼンス低下やシナ海軍の急速な軍拡に対応した必要十分な防衛力整備が求められる。軍事政策は、相手があってこその軍事政策であることを忘れてはならないだろう。相手が軍拡していないにもかかわらず、自国のみが必要以上の軍事力の拡大を図ることも危機をもたらすのと同様、相手の動きも見ずに、ただひたすら「平和」の御題目を唱えているだけでは、自国の脅威は増大するという真理を直視すべきであろう。「平和主義者」こそが戦争を招いてきたという歴史の事実を見なければならない。

 

中華人民共和国は1949年の建国以来、台湾の併合・統一を国是に掲げ、継続的に台湾への干渉を続けてきた。元国家主席江沢民は、2020年を目途に台湾併合を宣言していた。シナにとって台湾は国家の「核心的利益」であり、また将来の西太平洋一体の軍事覇権のための海洋進出の「橋頭堡」として欠くべからざる存在である。だから、台湾併合という目標を放棄することは絶対にないだろう。清朝が台湾を自国の領土として編入したのは16世紀頃である。「化外の地」として事実上統治の対象外であった台湾島日清戦争での敗北により日本に割譲されたことで初めて「領土」であったことを自覚するに至り、そのことに対する「中華民族の屈辱」を克服するという大義名分もある。すなわち、「東夷」である「小日本」なんぞに我が国の領土が奪われたという屈辱感をシナ人はいつまでも忘れていないのである。

 

アリューシャン列島から日本列島、沖縄諸島尖閣諸島、台湾、フィリピン、ボルネオと続く「第一列島線」がシナ大陸を包囲し、中国人民解放軍の空軍と海軍はいわばこの「第一列島線」に封じ込められている形になっている(つい最近になって、「第二列島線」に位置づけられるパプア・ニューギニアに急接近している)。今後、米国の勢力をアジアから駆逐して東アジアでの覇権を握るためには、この「第一列島線」による囲い込みを打破し、自由に外洋へと進出できなければならない。そうすると、台湾や尖閣諸島がそのための「橋頭堡」となるはずなのである。人民解放軍軍事科学院のある政治委員は

「台湾を回復しなければ、われわれは米国による対中海洋封鎖線を突破することはできない。われわれがこの封鎖線を突破しなければ、われわれは『シナの台頭』を実現することができない」

と明言しているし、マッカーサー

「台湾は、空軍と潜水艦にとって自然の要塞である。シナが台湾を獲得すれば、この地域における米軍の勢力維持が困難になるだろう。シナによる台湾獲得は、シナ軍の攻撃能力を数倍高める要塞を、彼らに提供することになる。シナは台湾の軍事基地を利用して、日本とフィリピンに圧力をかけることが可能になる」

と米上院軍事外交合同委員会で証言している。さらに国際政治学者ソーントンも

「もしシナが台湾を獲得すれば、マラッカ海峡から日本・韓国へ向かうシーレーンをシナに制覇されてしまう。シナによる台湾獲得が実現すれば、日本や韓国は『中華勢力圏の衛星国』に成り果てるだろう」

と論じている。中華人民共和国の「平和的台頭戦略」は2020年ごろまで継続させ、その後に露骨な軍事力を背景とした「恫喝外交」を本格化させる予定のようであるが、そこには、米国の「パワー」の相対的低下を予想した強かな戦略がある。目標は、米国勢力のアジアからの駆逐と台湾併合、そして日本の中華勢力圏への編入である。

 

表向き「平和的」な装いをしても、いざとなれば軍事力を行使した武力統一も辞さないというのが、北京の一貫した考えである。実際、①台湾が独立を正式に宣言した場合、②台湾で内乱が起きたとき、③外国政府が台湾の内政に干渉したとき、④台湾政府が中華人民共和国との統一交渉を遅らせる場合、⑤台湾が核武装したとき、には武力攻撃すると公言してきた。そのため、人民解放軍は7つの特殊部隊を編成しミサイル攻撃と同時に台湾内に潜伏している工作員と協働して台湾の軍事・行政・経済・通信・交通システムを攻撃し、潜水艦部隊は台湾の海港に機雷を敷設して港を封鎖するとともに、グアムや横須賀から台湾に支援に向かうはずの米海軍第七艦隊を阻止する行動をとる予定になっている。こうした脅威を前にして、台湾はシナによる侵略に抗することができるか。残念ながら、今の台湾の軍事力ではそれを阻止することは不可能であり、米軍の助力が必要不可欠である。

 

では、米軍は台湾有事の時に動くと期待できるか。確かに、以前の台湾の総統選のとき、人民解放軍台湾海峡で「ミサイル演習」を行ってその票の行方に影響を与えようとしたとき、米軍は空母機動部隊二個師団を派遣して事なきをえた、という歴史がある。いわゆる「台湾関係法」に基づく米軍の出動であった。しかし、「台湾関係法」があるからといって必ず米軍が出動するとは限らないのが実際のところではあるまいか。米国の国務省のアジア担当官などは、シナとの衝突は米国の国益に叶わないから、衝突回避すなわち台湾を見捨てることもやむなしと考えているかもしれない。傍若無人の居丈高な言動する人民解放軍将校の発言の中には、単なる虚勢も含まれていることだろう。しかし、米中首脳会談のさなかに人民解放軍の戦闘機が米空軍の戦闘機に急接近してきたことや、わが海上自衛隊護衛艦人民解放軍海軍東海艦隊所属の2000t級のフリゲート艦が射撃管制レーダーを照射した件でもわかるように、党中央軍事委員会人民解放軍の行動を完全に統制しきれている確証も持てない。

 

日本は、こちらから対立を醸成するかのような政策は講じるべきではないにしろ、今後確実に米国のプレゼンスが低下していき、米中のパワーバランスの相対的変化が必然となれば、当然にシナの軍事的脅威は増すわけであるから、日米同盟を基軸としつつも最悪の事態に備えて可能な限り「自主防衛」できるだけの防衛力を整備していくことが肝要である。未だ国内のコンセンサスは得られていないし、NPT体制からの離脱に伴う政治的リスクもあるので現時点では困難を極めるが、日本の核武装論は純粋に核戦略論からすれば一つのオプションたりうる。

 

もっとも、日本にはプルトニウムは抱負に存在するから、核武装するならばインプロージョン式の爆弾になるであろうが、そのための爆縮レンズの設計一つとっても思われているほど容易なことではないだろうし、実際に爆発するかどうか実験を行わねばならなくなるところ、一体どこで実験を行うというのかという現実的な問題も残る。大部分はコンピュータ・シミュレーションで代替できるだろうが、インプロージョン式だと一度は実地に爆発することが確証できなければならないだろう。仮に実験せずとも爆発すると確証しうる高濃縮ウランを利用したガンタイプ方法で開発するにせよ、遠心分離機にかけて高濃縮ウランを生成しなければならないのだから、その場合において莫大な電力消費を伴う。さらには核不拡散体制から脱退しなければならなくなるから、NPT体制からの離脱は関連諸国の経済制裁を伴い資源輸出がストップしてしまいかねない。何よりも、日本の自立を封じている米国の特に国務省サイドの人間が許すわけがない。すなわち、理想としては数百発の巡航核ミサイルだけでもいいから核武装することが望ましいが、現時点において現実的な選択とは言い難い。

 

核不拡散体制に抵触しないように、核兵器に代替できるいや核兵器よりもずっと効率的かつ効果的な最先端兵器の開発という方向が現実的な選択だろうが、残念ながら日本では軍事に結びつく研究を嫌悪する風潮がある。そのことはある意味で健全な傾向とも言えなくもないが、日本の場合、度を超えた「軍事嫌悪」の傾向が見られる。そうもいっていられない時代が必ずやってくるに違いない。まだ日本の基礎科学のレベルの相対的優位が維持されている状況で進めていかないと、取り返しのつかない事態に至りかねない。

 

中華人民共和国政府は、次世代においては「量子力学的知」が全世界を席巻し、特に軍事・安全保障の分野において、量子暗号や量子コンピュータの科学技術の先端を行く国家が世界の覇権を握ると確信して、この分野に莫大な投資をしている。AI研究など序の口で、ましてや5Gが云々と言っているようなレベルで考えてはいない。その意味で悲しいかな、中共中央の指導部は日本の政策担当者より遥かに長期的視点に立脚して政策立案しているのが現実で、逆に言えば、日本の政策担当者には長期的視点に基づく科学政策の考えがまるでないのである。これまでは、シナの科学技術は応用面が目立ち、基礎研究の面で日本に劣後していたが、一連の日本の基礎科学政策をみるにつけ、このまま事態を放置すれば、近い将来において、シナの基礎科学は日本の遥か上をいくことになるだろう。事態は切迫しているのである。

 

これまでの基礎研究のおかげで、辛うじて世界有数の科学技術力を誇ってきた日本は、この動きに対して安穏としていられないはずだが、いかんせん日本では、諸外国に比べて理科系の人材が報われているとは言えない。前にも述べた通り、量子情報理論の研究リーダーである潘建偉は、中国科学院が管轄する安徽省中国科学技術大学の常務副学長や中国科学院量子信息・量子科学技術創新研究院院長を務めるとともに、オーストリア科学院の外国籍院士でもあるわけだが、オーストリア科学アカデミー院長で量子論の最高権威の一人であるアントン・ザイリンガー教授の下で研究して後に母国に帰国し、今ではこの分野の権威者として世界的に知られる学者になっている。潘建偉を中心とした開発チームが世界初の量子通信衛星墨子号」打ち上げ成功という大事業を成し遂げたことは、国内外に大きな反響を巻き起こした。この「墨子号」の打ち上げの際、潘建偉の指導教官だったザイリンガーがリーダーを務めるチームが欧州宇宙機関と協力して宇宙と地上を結ぶ通信を試みたわけだが、事の重大性を理解した米国では驚異=脅威をもって対応するといった有様だったという。2018年には、物理学界における世界的権威のある学術雑誌Physical Reviewの速報誌であるPhysical Review Lettersに実験結果の速報を掲載され、それがトップニュースとして表紙を飾った。こうした基礎科学における重要な研究が次々とシナから出てきている。権威ある学術雑誌に掲載される優れた論文の投稿者もシナ人の数は増えてきている。
 

いたずらに「シナ脅威論」を煽ることは慎重であらねばならないものの、中共が米国に代わる世界の覇権を握ろうと国策を進めているのは紛れもない事実である。「一帯一路」構想もAIIBもその一環である。清華大学の経営委員会には国際金融資本の面々が多く参画している。この方面にも優れたシナ人や中共の幹部の子弟が大量に参入している(僕の同僚にもシナ人が大量にいて、日本人は圧倒的に少ない)。最先端の科学技術と金融そして軍事の覇権を掌中に収め、世界覇権を実現するという中共の野望が虎視眈々と進行中である。

 

日本の書店には、いますぐにでもシナ経済が破綻するかのようなことを述べる反シナ本の通俗書が平積みされ、それを読んで溜飲を下げているアホな日本人もいるようだが、そうしたwishful thinkingをして喜んでいるようでは、我が国もいつ脅威に直面するか時間の問題である。危機感を持たねば、この自由が奪われてしまう日も近いということになろう。