shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

解除の法的性質について

法学部(厳密に言うと、教養学部文科Ⅰ類在籍の者は2年時の後期から民法の一部分に関して履修が始まるが)で民法の講義を受講した者ならば必ず触れたことのある解除の効果についての法的性質に関し、学修したばかりの者からすれば、判例及び通説の見解に納得が行かず、あれこれイチャモンをつけていたことを思い出す。令和2年4月1日施行改正民法では、債権法分野が主として大規模に改正され、解除が認められる要件も変更されたが、判例・通説に対する当時の違和感の所在をはっきりさせるため、改正前民法施行時で下記の状況が与えられていたと仮定して、この問題を再考するとしよう(久しく日本法には触れていないので、当時の記憶も学説の理解もあやふやになっているだろうが)。

 

AとBとの間でA所有の土地につき売買契約が成立し、本件土地の引渡し及び所有権移転登記手続が完了してBの所有に帰した。ところが、代金支払債務が履行されず、数度の催促にも関わらず不履行状態が続いたために、Aが当該売買契約を債務不履行を理由に解除したという状況を想定しよう。

 

解除の効果について、判例・通説は直接効果説を採用するので、解除によって売買契約の遡及的無効という債権的効果のみならず、物権行為の独自性を認めないがゆえに、所有権も当初からBに移転しなかったものとみなされることになる。ところが、Bから第三者であるCに土地所有権が譲渡されていた場合、第三者Cが現れる時期が解除前であるか解除後であるかによって理論構成が異なる。

 

解除前にCが現れた場合、民法545条1項但書により第三者の利益を害することはできないので、AはCに対して解除の遡及効を主張することができない。もっとも判例は、Aが失う重大な利益との考量から、Cが保護されるには登記を要するとしていた。この登記の性格について、これを対抗要件と解するか、それとも権利保護要件と解するかについて争いがあるが、第三者との関係を対抗関係と見るのは妙であるという考えは今も変わらない。解除後にCが現れた場合、民法545条1項但書の問題ではなく、専ら民法177条の対抗問題として処理される。すなわち、Cが背信的悪意者でない限り、登記の具備により解決する方法が採られる。

 

この点につき、この理論的処理に違和感が残るとした文章を書き殴ったわけだが、何せ10年ほど前のことなので、もっと乱暴に記したような気がする。ともかく、解除の効果として直接効果説を採りつつ、解除後の第三者の扱いに関して復帰的物権変動論で処理することに何ら実務上の問題はないし、理論的にも不整合な解釈とは思われないという、おそらく法曹もしくは研究者と思しき方からの反論が寄せられたことを記憶している。もちろん、僕も実務上ほとんど問題が生じない処理であることは理解できることは認めるものの、やはり、どこか気色の悪さが拭えずにいたのである。

 

解除の効果として直接効果説を採用する以上、解除により当該契約の遡及的消滅が前提になるわけだから、当該土地所有権は当初から移転しなかったものとみなされる。そうすると、AとCは対抗関係に立つとする構成がなぜとれるのかという疑問が生じる。登記を「対抗要件」と解することはできないからこそ、「権利保護要件」と解する学説が出てくるのではないか。そう思われたのである。もちろん、「対抗要件」と解そうと、「権利保護要件」と解そうと、結論においては相違はない。

 

解除後の第三者が登場した場合の処理を考えてみよう。我妻栄が提起した復帰的物権変動論は、解除後の第三者が現れた場合、545条1項但書ではなく、177条の問題として処理する見解の根拠として持ち出される解釈論である。つまり、解除後のAは物権復帰の登記を具備できる状態であることを捉えて、Bを基点とした復帰的物権変動が生じるとする二重譲渡類似の関係としてAとCは対抗関係に立つ。そこで登記を具備しているかによって所有権の帰属が決せられる。しかし、そもそも契約が遡及的に消滅しているわけだから、Bを基点とした復帰的物権変動を観念すること自体が当初の前提と整合するのか疑問が生じる。今もその疑問は残ったままである。

 

この疑問を呈したことに対して寄せられた反論の一つは、論理的整合性を追求するならば、民法545条1項本文と同項但書の関係すらも矛盾の関係ということになってしまわないかというものであった。しかし、同条同項の本文と但書とでは矛盾の関係には立たないことは明白である。というのも、但書は本文の原則に対して制限を加えて適用領域を限定、もしくは原則の制限を一部解除するといった機能を果たすものなので、制限を加えられた領域もしくは制限を解除された領域とそうでない領域の内包が異なるわけだから、競合する関係にそもそも立たず、それゆえ矛盾は生じようがない。

 

次に、契約の遡及的消滅はあくまで法律上の擬制にすぎず、事実上の関係がなかったことまで含意しないので問題ないという反論もある。もちろん、解除による遡及的消滅はある種の法的擬制であるが、問題の本質はこの点にあるのではなく、理論内部の論理的整合性の問題こそが本質的な疑問点なのである。例えば、契約が最初から存在しなかったものと擬制しておきながら、他方で債権者に履行利益賠償を認めて契約目的の利益状態を損害賠償の形で許容することは、「契約が最初から存在しなかったものとみなす」という前提をとりつつ、「契約は最初から存在しなかったものみなすわけではない」という相反する前提を同時にとることを含意するということである。履行利益賠償は、契約の存在を当然に含意するものだからである。遡及的構成をとりつつ損害賠償を許容するには、履行利益賠償ではなく信頼利益賠償しか許容されないとの帰結に至らないのだろうか。

 

当時、拙いオツムを使って下した結論は、こと解除の性質について遡及的構成は採れないのではないかというものだった。では、間接効果説に立つのかと問われれば、答えは否。なぜならば、間接効果説において、解除は既履行給付についての返還請求権を発生させる制度であって、この返還請求権の行使を通じて既履行給付分の返還がされた結果として、間接的に契約が効力を失うのと同様の結果がもたらされるとする。すなわち解除は、返還請求権を通じて契約の失効へと間接的に作用するに過ぎないと解する見解である。

 

ところが間接効果説だと、未履行給付について厄介な問題を抱えてしまう。すなわち、未履行給付については、解除をしたからといって契約が消滅するのではないから、履行請求権は依然として消滅しはしないという帰結に至る。なるほど、間接効果説からの説明として、未履行給付については履行拒絶の抗弁権が発生するという仕方でこの不都合を回避できるかに見える。しかし、抗弁権不行使時に生じる不都合を回避できないという点で、依然として問題が残るだろう。折衷説もあるが、既履行給付については新たな原状回復義務を生じさせる一方、未履行給付については将来に向かってのみ契約を消滅させる制度と捉えており、結果の妥当性のみに合わせたアドホックなつじつま合わせで、とてもじゃないが賛同できない。

 

原契約が変容すると解する方が整合的な理論になるだろう。すなわち。解除により、原契約関係は契約からの離脱を実効たらしめるために本来履行すべきであった債務内容を含めて原状回復へと向けた内容の清算過程へとむかう債権関係に転換されると解するのである。既履行給付に関する原状回復は清算関係であり、未履行債務からの解放という効果は、原契約変容による清算関係の一環として位置づけられるというわけである。解除されても、原因となった契約が遡及的に消滅しないため、遡及的構成と違って「法律上の原因」に基づいた給付として位置づけられる。したがって、民法545条1項本文に規定された原状回復請求権は、不当利得返還請求権とは位置づけられない。あくまで、解除の意思表示の結果として、「法律上の原因」に基づいた既履行給付を含めて清算過程に取り込むことを明記した規定として解釈される。

 

そうすると、545条3項の損害賠償については、以下のように捉えることができることになる。すなわち、解除は債務不履行の結果として契約の拘束力を維持する利益が脱落することを理由として解除権者に契約からの離脱を認めるものである、と。債務不履行による契約解除および契約関係の清算債務不履行による履行利益賠償は論理的に併存可能になり、545条1項と同条3項を整合的に理解することができるというわけだ。なお、545条1項但書の趣旨をそこから捉え返すと、同条にいう「第三者」を原状回復関係に取り込まず、この者との関係では契約に基づく権利変動が存続している状態を仮定して、その法的地位を確保するものと解する。

 

例えば、AとBとの契約が解除される前に、BからCが目的物の所有権を譲り受けたという場合、Cから見てA、B、Cの関係は相次譲渡として構成され、Cとの関係では、BからAへの復帰的物権変動を考慮する必要はなくなる。よって、二重物権変動の対抗関係ないしは二重物権変動対抗関係類似の関係と構成する必要はない。545条1項本文の解除の法的性質が、「契約の解除」及び「契約関係の清算」という二つの意味を持っていると考えるということである。このように二つの意味を持つと解することは許容されている解釈論の方法の一つである。

 

例えば、民法424条の詐害行為取消権の法的性質をめぐる解釈論において、多数説である相対的取消権説が(僕自身は、「歩く通説」こと我妻栄より、「歩く反対説」こと四宮和夫の方が好みということもあって、多数説である「相対的取消権説」にも反対という立場だ)、請求権としての性質と取消権としての性質を併有するものとして捉えているように、多少技巧的すぎるきらいはあるものの、解釈論として許容されるレベルだろう。この立場からすると、契約の解除により契約は終了するが、遡及的消滅と解する必要はない。

 

契約の終了後の原状回復関係については以下の処理となるだろう。既履行給付については原状回復義務の発生が、未履行給付については、原状回復義務の発生は抽象的に観念できるものの履行がそもそも不要だから消滅する。原状回復義務は損害賠償義務とは直接関係しない。一旦有効に成立した契約及び当該契約によって保証されている債権者の契約利益まで否定するのではなく、契約に基づく個別債務だけを消滅させる。すなわち、既履行給付であれば返還させるだけであり、それでもなお償われずに残ることのありうる債権者の利益については、債務不履行を理由とする損害賠償請求の可能性を残していると捉えれば済む。

 

問題は、その範囲である。原物については返還、給付物の利用利益については、金銭の場合は解除により金銭を返還する時はその金銭を受領した時から利息を付して返還することが義務となる(545条2項)。金銭受領者が善意であっても、金銭の利用可能性を取得したのだから、その価値をも返還しなければ原状を回復したことにはならないので、利息返還義務が生じる。この点、遡及的構成を採って、不当利得返還請求権として理論構成した場合、民法703条、同704条では、善意・悪意によって処理が異なることになってしまうだろう。

 

他方、金銭以外の場合は、目的物から生じた法定果実を取得した場合、金銭の場合と同じく、相手方に返還しなければ原状を回復したことにはならない。現実に果実を収受しなくとも、目的物の利用可能性を取得したのであれば、その価値を返還しなければならないことは当然である。なお、545条3項は、あくまで損害賠償することを妨げるものではないと明記しているだけであって、履行利益賠償まで認められると一義的には捉えられない。遡及的構成だと契約が最初からなかったこととみなされるので、論理的には、履行利益賠償を請求できると解せず、せいぜい信頼利益賠償が導けるのみと解するのが素直な読みであろうと思われる。この点も10年前の考えと全く変わっていない。したがって、545条3項があるから、遡及的構成を採っても、履行利益賠償まで認められるのだとの主張は説得力に欠けるように思われる。

 

では、損害賠償と原状回復義務との関係について、どう考えるべきか。解除の効果は原状回復に限られ、損害賠償責任とは無関係である。したがって、損害賠償責任は債務不履行における損害賠償の原則規定たる民法415条により認められ、545条3項は原状回復義務を認めることが債務不履行による損害賠償請求の妨げになるものではない、つまりは原状回復義務と損害賠償責任との併存可能性を許容する規定と解されることになる。事実、545条3項の文言は、「解除は損害賠償請求を妨げない」との規定となっており、文意に沿う。

 

解除の効果については、そもそも契約の遡及的消滅まで認める必要ない。未履行の義務についてはそれ以上履行の必要がないとし、かつ既履行給付については、返還を認めさえすれば解除の目的は達成できるのに、わざわざ契約を遡及的に消滅させるまでの必要はないはず。むしろ、損害賠償責任を基礎づける際に難点を抱え込むおそれがある。そもそも遡及的消滅構成をとる見解が登場したのは、ドイツ法では直接効果説の遡及的構成を採る見解が通説だったからである。しかし、ドイツにおいて直接効果説が主張された理由は、解除を選択した場合、同時に損害賠償を請求することができない旨の規定が存在したからである。解除を選択しても、それが損害賠償請求することを妨げることにはならないとする545条3項を持つ我が国の民法とは事情が異なるのである。

 

解除後の第三者の扱いについては、以下のように考える方がいいだろう。この第三者は、545条1項但書の「第三者」には該当しない。この点は判例・通説と共通している。しかし、不遡及的構成を採るならば、177条によって処理する法的構成は可能であると考えるが、遡及的構成を採りつつ復帰的物権変動論を採ることは整合しないと考える者からすれば、177条の問題として処理する判例・通説の立場には首肯できず、94条2項の類推適用によって処理が図られるべきであるというのが僕の結論であったわけである。

 

(再度、断りを入れておくが、改正前民法施行時とする)