shin422のブログ

『哲学のヤンキー的段階』のための備忘録

アラン・バディウ『存在と出来事』・『世界の諸論理』

  フランスの哲学者アラン・バディウの著作は数多く邦訳されてはいるが、肝心の主著となると未だ翻訳されていない(邦訳されているものと言えば、かなりハチャメチャや訳がまかり通っているのだからたまらない)。その主著とは、L’être et l’événement(以下『存在と出来事』)とその続編のLogiques des Mondes(以下『世界の諸論理』)である。前者すなわち『存在と出来事』は37に分けられた断章から構成された書物になっている。この書物の主要テーゼは、彼のよく知られた言葉でもある「数学とは存在論である」。バディウは、存在の概念を掘り下げていく過程において「出来事」の次元を発見する。この「出来事」への関与の仕方を「主体化」と絡めて論じるところに特徴を持つのが、バディウの思考の真骨頂である。そして、このことが読後もなお理解に苦しむ点なのであるが、バディウが一般的な形式的存在論として提示したものと、人間の措かれた基本的状況のモデル化の関係について論じる際の数学に与えられた役割が不明な点である。ということは、僕は本書の核心に対して全く同意できないということを意味している。

 

 結論から言うと、バディウの議論はその核心部分において知的詐術が散見されるほとんど「暴論」の類であるというのが僕の率直な感想である。バディウ集合論圏論の使い方に常々疑問を抱いている者からすれば当然なのだが、再度時間をかけて『存在と出来事』だけでなく、その続編にあたる『世界の諸論理』を読んでますますその思いを強くするし、バディウが明らかに英米系の分析哲学や科学哲学を意識して書いている箇所を見ても、おそらく建設的対話に至れるほどバディウの「よき読者」に恵まれるか疑わしい。バディウがその一般的存在論の定式化と人間の措かれた状況のモデル化を数学ことに集合論圏論に定位して論じるための正当化の手続きを欠いているというのが主な理由である。

 

 バディウの哲学は、「数学が存在論である」という主要テーゼと同時に「存在論は状況である」という主張とをどう関係させるのかが見物だわけだが、存在論は存在する者を汲みつくそうとはするものの、発生する者すべてを汲みつくせるわけではない。知への切迫と重要なものの知の政治的・実存的重要性との関係を考察する上で鍵になる概念が「真理」ということになるわけだが、この点でバディウは他のフランス現代思想の論者と決定的に異なるスタンスをとり、その姿勢は寧ろ古色蒼然とした形而上学者といった表情を時折見せもする。数学は、古代ギリシアの昔から存在としての知識を与えてきたが、バディウに言わせると、カントルの無限集合論が決定的なブレークスルーをもたらしたらしい。カントルは敬虔なカトリック信徒であり、カントルの論文を一読すればわかるように、無限についての思考と存在の概念を結びつけようとする形而上学的思考は神学の系譜を見ても何も突拍子もない「トンでも」の見解ではなく、カントルその人の元の発想にあったのであり、この傾向はクルト・ゲーデルにも直結している。ボルツァーノなどの名著を一瞥しても、そのことが了解されよう。バディウにとってカントルの無限集合論は、正に宇宙観そのものに決定的な刻印をいれた数学の革新でもあったのだそうだ。そこでは、「解釈不可能な」無限の存在に依存している有限の創造された世界の概念は、無限が現実のものとなった宇宙によって置き換えられる。

無限大に関する存在論的決定は、単純に次のように言い換えることができる。すなわち、無限の自然多様性が存在する。

 

バディウは言う。とはいえバディウは同時に、そこに単一の統一された本質ないしは<一>なる<神>の無限のイメージである「宇宙論的なもの」を指すものとして自然な無限階層性という考えを採らないように注意する。この点は、バディウ自身マルクス主義者というものの、レーニンと袂を分かっていると言えよう。集合論存在論は、全体と部分を扱わない。更に、集合は概念の延長として定義されるクラスと同義ではないので要素については何も言わず、したがって経験豊かな世界の質についても何も言わない。では、宇宙はいかにして「出来事」と呼ぶものに対応できるのか。確かに「出来事」には客観的な存在はない。バディウのいう「解釈的介入」を通してのみ起こる反省的構造を持つだけである。「出来事」は、それを認識する主体あるいはそれを出来事として推戴する主体とともに立ち現れる。「出来事」は、「出来事」の集合Xに属するすべての要素と「出来事」自体で構成されている。したがって、バディウがよく例に出す「フランス革命」は、1789年から1794年の間にフランスで起こった数え切れないほどの「出来事」のリストにとどまらない。これは、むしろ「フ​​ランス革命」という用語のことである。しかし、我々がこの特別なものを特定しようとするとき、我々は再び「出来事」の集合に直面している。バディウによると、「出来事」は「忠実性」を要求し特定の「出来事」つまり開示されている「真理」への取り組みに対する「忠実性」のみがある。この「忠実性」の概念は、それが「主体」であることが何を意味するのかについてのバディウの説明に必要な基礎をも提供する。

 

 バディウは、超越論的な経験可能条件としてのこの「主体」の概念に反論する。主観性は、介入と忠実な関係の規則の接点として匿名の「1として数える」プロセスによって捉えられる。そしてバディウにとって、そのような話題を呼ぶ「出来事」は4つの領域でのみ起こるというわけである。その4つの領域とは、「愛」の分野で、「科学」の中で、「芸術」の中で、そして「政治」の中である。バディウの「出来事」の概念の範囲と彼によるその定義が特定の歴史的出来事とどのように関連しているかが問われることになる。バディウの哲学によると、歴史的領域は単に登録することに関わるのではなく何が起こるのかを構成する自己関連性の反省の領域である。歴史的領域では、バディウが「状況の状態」と呼ぶレベルで「再提示される」集合は「異常」になる可能性があるためだ。自然の法則とは異なり、社会的慣習は常に「出来事」に侵害される。その要素のどれも「状況の状態」で表されない。「出来事」は「偶然の場所」(不確定な範囲の思考と活動)とその出来事それ自身からなる。ひとたび「出来事」が人間の世界の非常に風合いを作り上げていることを認めたならば、『存在と出来事』が繰り返し挑む質問はさらに強い力を持つ。歴史的世界はバディウの特権的な意味での「出来事」として推戴されるようになるのだろうか?バディウは、フランス革命ロシア革命、シナの革命、マラルメの詩、シェーンベルクのシリアリズム、ピカソキュービズム、カントルの数学といった比較的伝統的な科学的、美的、政治的革新のレパートリーから例を引き出す傾向があるが、これらの事件の多くでは関係する「出来事」が不可逆的な進歩であり、その継承者の無条件の「忠実性」を要求する画期的な出来事であるという含意が認められることはない。

 

 ここで提起されたより一般的な問題は、それらが見られる歴史的な視点自体が変化し続けるので、「出来事」の重要性が絶えず変化している方法に関する。極論すれば、かつて決定的な「出来事」として登場したものが完全にこの地位を失うことになるかもしれないということである。バディウは、特に黙示録的な革命の幻想の文脈において、「絶対的な新しさ」の概念を批判している。

出来事自体は、可能性が再発を必要とする介入によって提出される限りにおいてのみ存在する。支配された状況の構造へ。それ自体、いかなる新規性も相対的なものであり、事実の後でのみ命令の危険性として判読可能である 。

しかし同時にバディウは、そのような相対性がその「出来事」の解釈学的な格下げを可能にする可能性を排除しようとしている。彼はその「出来事」が「真理」の開示であると主張することによってそうしているのだ。単に変更可能で修正可能な意味ではない。しかしバディウの説明によると「真理」は証明できない。それは存在論的領域の知識に「穴を開ける」ことなのだ。 バディウの「出来事」への「忠実度」は、「出来事」自体よりも重要かもしれない。「忠実性」がなければ、人間はすべての一貫性を欠いた恣意的な衝動と欲望の断片化されたポストモダン的な自己になるかもしれない。「忠実性」を通して我々は「主体」となる。なぜなら私たちは考えと行動の継続を維持し、未来がどんな圧力と偶然をもたらすのか予想できないにもかかわらず我々自身の将来の自己を保証するからである。出来事に対する無条件への情熱の誤った方向づけ、さらに悪いことではないにしても、それは教義と独占の危険をもたらす。それはまた一つの最後の問題を提起する。バディウは繰り返し「神は存在しない」と宣言している。しかし、存在と「出来事」の全体は、「存在しないもの」すなわち「許容可能な存在論マトリックス」が存在しない「出来事」についての複雑な探究である。更に、バディウ自身の思考は、なぜ私たちが主体になるべきなのか、なぜ私たちは忠実な人生を約束するべきなのかという疑問に導くしかない。

 

  バディウの主要テーマは、存在論形而上学そして政治理論の主要な問題のいくつかを通して一種の独特な形式主義を適用することである。バディウの『存在と出来事』 および『世界の諸論理』の双方において、結果的に形式主義の限界自体を露呈させる一種の逆説的形式主義という側面と、分析哲学の形式的な認識論と形而上学の理論的問題も扱われている。『世界の諸論理』では、主に「4つの一般的手続き」の分野における根本的な新規性または不連続で本質的に予測不可能な変化の可能性を理論化することが目指される。この目的のために、『存在と出来事』においてバディウは、数学的構造に基づく形式的存在論の革新的な理論、特にその標準となるツェルメロ、フレンケル、コーエンによる公理論的集合論が参照される。これによってバディウが「出来事」と呼ぶものを理論化することが可能になるというわけである。それは、そのようなものとしての対象や実体の外観を通常支配する基本的な公理を局所的に切断することによって本質的に新しいグループ分けを許すという逆説的な「出来事」として突然現われ、それらの変容的な効果を出現させることになる。『世界の諸論理』では「現象論」と呼んでいる包括的な形式的な外観理論で、この初期の「存在論的」な最終的な変化の説明を補足している。根底にある概念装置はまた数学的形式主義から引き出されているが、そのような変化の可能性の社会政治的意味もまたまた非常に重要性を帯びている。

 

 確かに「序文」の中で、バディウは現代の「自然な信念」の仮定を免れるもの、彼がポストモダン相対主義と規約主義の閉じ込めの教義として見るものを理論化する試みの一部として『世界の諸論理』の全体像を提示している。そのような見解は究極的には「民主的唯物論」の単調な体制のみを生み出すことができ、それはすべての文化とその主張をあるレベルで見ると実際の発展の可能性と根本的な変化を生み出す効果的な介入の両方を排除する機能を持つ。バディウは、この「公理的」な信念をアルチュセールに倣って「唯物論弁証法」と呼んでいるものに置き換えることを提案している。ここでの中心的な違いは、彼が「真理」と呼ぶものに対する躊躇なき肯定である。バディウによれば、それは現代の信念の正統性の議論の中では一般に否定されるか、抑圧されるのだが、ここでいうバディウの「真理」の概念は、ある種異常な概念であり、なじみのある対応説や整合説で言われている「真理」概念の観点から理解されるべきではないということだけは明白である。バディウにとって「真理」の意義とは、既存の知識体系を打ち破る能力であり、その結果、根本的な変革の方向性を定義することと関わっている。提示と表現の基本的な可能性を既存の順序の範囲内で並べ替えるわけだ。 

 

 『存在と出来事』は「出来事」が生起するための存在論的構造と条件について説明しているが、バディウが「世界」と呼んでいる決定的で構造化された状況における「出来事」の出現を左右する条件については明確に検討されてこなかった。外見の構造化とそれらがどのように変化し発展するかを理解する仕事は、バディウをして彼の以前の理論の様々な革新と修正に導かせることになった。ここで最も重要なのは、存在論が静的かつ非関係的であることはもっともらしいが、現象の領域は本質的に関係的、動的、そして可変であるということである。したがって、現象の領域では、2つの対象間に存在の度合いと「同一性」があり、対象とそれ自体の間にはそれよりも大きいまたは小さい程度の「同一性」がある。これらの同一性と存在の関係は、完全な不可視性または出現の失敗に対応する最小度から、構造化された世界内の最大の存在または有効性に対応する最大出現度までの範囲の出現強度を決定することになる。ここの立論は明らかにrealitasをめぐる中世スコラ哲学やデカルト省察』にも登場する形而上学的概念の理解が不可欠になるが、バディウはこの点について何の説明も加えていない。

 

 『存在と出来事』は存在の包括的な構造が標準的な集合論の公理によってモデル化されているとして理論化したが、『世界の諸論理』は代わりに圏論に現れている出現領域をモデル化する。一般にカテゴリーは関係の構造として理解することができる。このような関係の構造が保持されている限り、このように構造化された対象の同一性は関係ない。バディウにとって最も重要なことは論理的なものをモデル化するためにtopoiとして知られている特別な種類のカテゴリカルな構造を使うことも可能であるとしている点である。例えば、トポス理論を使用してすべての公理と標準的な古典命題論理の関係を代数的にモデル化することができる。実際、モデル化された論理が古典的なものである必要がないのは明らかである。確かに、topoiを使って直観主義者や多価値のものを含む非古典的な論理をいくつでもモデル化することができる。これらの非古典的論理はハイティング代数と呼ばれる全代数構造によって決定されるものとして一様に理解することができる。この圏論的な枠組みを使って、バディウは世界の特定のカテゴリーによって可能となる「真理」の程度に対応する様々な程度の存在を含む「論理」を決定する基本構造または各世界に存在するものとして決定される現象の関係を定義できるとする。

 

 バディウは、特定の世界のための存在のこれらの論理的な関係と強度を決定する特定の構造をその「超越」と言う。この用語はカントからフッサールまでの観念論的議論を反映しているが、バディウは「超越論的」のような構造化について話す際、いかなる意味においても超越論的主体の理論を与えるつもりはないと強調する。その代わりに、バディウの構造化された現象の関係は明確に客観的であり、例外なく特定の世界に「存在する」と理解できるもの、そしてその現象を構造化する独自の方法で「存在しない」または見えないままのものを決定する。同様に、ハイティング代数の採用と構造化された論理の多様性は直観主義的または構成主義的動機を示唆しているが、バディウは、構造世界が「超越」であることは重要ではないと強調している。バディウは、あらゆる形態の観念論的議論を完全に破ることを目指す。そのような立場は、世界の中で驚異的であるものの客観性、物が現れる能力およびそれらの独特の存在度を掌握することができないであろうと言うのである。したがってバディウは、圏論を使用して考えられる現象構造を集合論を使用して集合自体またはその濃度として考える。

 

 現象論的対象と存在論的多様性の根底にある同一性は、終局的な「変化の論理学」の新しい理論の主要な革新に導くという。世界自体の超越的な構造を最終的に変えるであろう一連の変化をもたらすこの奇妙な遡及的効果は、『存在と出来事』のように自己言及またはトートロジーの逆説的効果を通してのみ可能となるわけである。「出来事」が生起するためには、特定の集合がそれ自身の要素であることが必要である。バディウによれば、「偶然の場所」のこの準逆説的な構造が存在すると世界の変化の度合いや強度に応じてさまざまな方法でそれを取り上げることが直ちに可能になる。最も過激なケースでは、対象の最終的なサイトの構造の意味の忠実な追跡はその存在の程度において以前最小であった要素つまりはその特定の世界において文字通り「存在していた」という結果をもたらす。その存在の中には存在するが、世界の論理からは完全に見えない突然最大の存在度を達成すること、それが意味する既存の構造のすべての変化をそれにもたらすことになる。ここでのアナロジーは、マルクスの「何もない私たちはすべてのものになるだろう」という一種の政治革命に対するものである。

 

 バディウは、他の分野で可能な限りこの種の偶発的な変化、例えば、新しいオブジェクトを引き出し、以前は注意を免れていた目に見える現象を作り出すだけでなく、基本的には大規模な新たに変換された世界に存在すると見なされるものの大規模構造を捉えようとする。現れることができるものの定義と限界を理論化するための、そしてそれ故に根本的に新しいものが明るみに出る可能性を捉えるための数学的形式化の使用は確かに「斬新」と言われれば「斬新」であろう。しかし、バディウがその前身と一緒にそれを望んでいるという哲学的思考の一種の変革的な出来事を発表することに『世界の諸論理』が成功するというのならば、以下の疑問には最低応答できるものでなければならない。一つは、『世界の諸論理』がその中心的な理論的目的であるそれらの構造と「客観的に現れる」という関係についての理解を深めることに実際に成功するかどうかという問題である。これらは、対象への接近あるいは慣習的な決定または偶発的な言語コミュニティによって構造化または決定された外見ではなく、むしろ「存在論」から厳密に外れた「客観的」な現象ではなく事物の現実そのものである。バディウは、これらの程度と関係の詳細な形式を世界の中の現象や存在の可変的な「強度」まで提供するが、これらの「強度」が実際にはどうあるのかを確立できるかという疑問に決して答えていないのである。

 

 この超越論はハイティング代数と特別な非古典的な論理との関連性を示しているが、この理論には超越論的なものと論理が実際にどのように世界を構築するかを説明するものではない。この疑問に答えることが必然的に観念論の形態の1つに帰着することを恐れているという理由で、バディウは超越の起源とその適用権の起源についての論争を提起することを望んでいないということである。しかし、現象を決定する際の超越論的構造の力とその維持の問題に対する答え方において失敗すると、「超越論的なもの」は確かに言語学的または慣習的な慣習の構造であり確立され保持されるという自然な仮定を避けることは非常に難しい。特定の文化または言語コミュニティの行動の規則性もちろん、この仮定はバディウが避けたいと望む類の「文化的相対主義」に直接戻ってしまう。

 

 二つ目は、以前の『存在と出来事』にも関係する疑問である。これは、バディウの概念装置が、現存する哲学的営為と社会学的営為の両方に関して、バディウ自身のより批判的主張の根底にある究極の変革と一般的な「真理」の過激な政治的教義を実際に支える程度の問題である。バディウの最終的な変化の理論が、それが真に変容的であることであるならば、その出来事が突然の予測不可能な出現をもたらすことを要求している限り漠然としたアウトラインでさえも、これらの劇的な変化の可能性を予測する可能性、または「出来事」の後まで出現する可能性のある場所を突き止める可能性から我々を遠ざけよう。このように、バディウの理論がその強いレトリックにもかかわらずそれが表向きに想定している変化の種類を支持する上で実際に重要な役割を果たすことができるとは限らないのである。したがってバディウの読み手がこのレトリックを超えて、非常に示唆に富む形式とここで受け取る革新的な提起の両方を詳細に理解することが望まれる。

「清浄な心」と「ふしだらな心」

 二十歳の若さで夭折したフランスの詩人・小説家レイモン・ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』は、「ドルジェル伯爵夫人のそれのような心の動きは時代おくれなのだろうか?」という一文で始まっている。このラディゲの恋愛小説は、文学史的な位置づけでは、17世紀のラファイエット夫人クレーヴの奥方』を模範としつつ古典主義の心理劇を現代に蘇らせたものという評価が定着している。事実、古典的手法によって古典主義の時代と現代の架橋しがたい断絶と同時にその断絶の中に両者の「近さ」という矛盾した二重性を描くことに成功した作品と評価する声が多い。

 

 ドルジェル伯爵夫人は、夫に対する貞潔の義務感とあることがきっかけで偶然に出会った青年への恋愛の情との間に引き裂かれ、その旨を夫であるドルジェル伯爵に告げようと試みるも、夫は無関心を決め込んだままである。そんな夫の態度に業を煮やして遂には青年の母親に対して手紙を書こうとする。それは、自らの煩悶がよからぬ不道徳なことであることを青年の母親からたしなめてもらいたいとの思いから出た挙動だったが、手紙を書けば書くほど青年への恋心は募っていくばかりで、古典時代の「清浄な心」の持つ奇異な「ふしだらな心」が潜在していく無意識の働きが逆にいやましてくるのであった。「古きもの」と「新しきもの」、「清浄な心」と「ふしだらな心」に引き裂かれた個人という描像は、何もドルジェル伯爵夫人にばかり当てはまるものではなく、およそ近代という時代に生をうけた者の宿命的絵図でもある。

 

 明治期の日本における英文学研究の先端を担わされ英国留学にまで至った夏目漱石は、ロンドンにおいて神経衰弱を患うこととなったが、そんな漱石の心を最も落ち着かせたのは、漢文を読み漢詩をつくっていた時であったという。今の時代に漱石や鴎外のような知性が存在するのか怪しいが、その漱石や鴎外が、明治天皇の御大葬の日に乃木希典・静子夫妻が殉死した事件にある種の感動を覚え、方や『こころ』に方や『興津屋五右衛門の遺書』を書いている。

 

 晩年は、後の昭和天皇となられる迪宮裕仁親王殿下の教育係として学習院院長になった乃木希典は、学習院で教育を受けていた「白樺派」の連中からは新しい世に対応できない時代遅れの化石のごとき扱いを受けていたという。その「白樺派」と旧世代の漱石や鴎外の殉死に対する思いの断絶は、『こころ』の中の「明治の精神」に殉ずることを理解しない・しようともしない者との決定的な断絶でもある。

 

 江藤淳は、『こころ』の「先生」の自裁をある種の「自己処罰」として位置づけていた。確かに「先生」の「K」への裏切りにいつか決着をつけねばならぬと考えていた「先生」からして、「自由と独立と己れとに充ちた現代」にあって自らの行為を処罰することでこの時代を拒絶する意思を示す意味で「自己処罰」という側面もあろう。しかし僕としては、大江健三郎の解釈すなわち「自己解放」としての自裁という側面の方が強いように思われる。

 

 「先生」は、ちょうどドルジェル伯爵夫人のように「清浄な心」と「ふしだらな心」に引き裂かれていた。そして同時に、その「清浄な心」に「ふしだらな心」が潜在していることも自覚していた。そうした状況でこれ以上醜い己れでありたくない、沈みゆく船にいるのならば、なりふり構わず救命船に乗ろうとあがくことなく、ただ沈みゆく船とともに命を任せることを選ぶことで、「自由と独立と己れとに充ちた現代」だけは御免こうむりたいという強い意思を示したのではあるまいか。いずれ「ふしだらな心」に専有されることになるのが分かっているのならば、そうした自分を断固拒絶したい。これは処罰ではなく解放という言葉の方が相応しい。

 

 むろん我々も、程度の差こそあれ、そうした相克に苦しむことがある。しかし、それをそうと自覚する者と能天気な者つまり、かつて三島由紀夫が「口をききたくもない」と述べたその対象との断絶は、今日の軽薄な日本においてもまだ見られる現象である。さて、それらが無理にでも共存していくのがよいのか、あるいは逆にいずれかが滅びた方がよりましなのか、ここではっきりさせることはできないわけなのだが・・・。

ますます面白くなってきた日韓関係

 来月2日にも日本政府は、輸出管理における優遇措置の対象となる「ホワイト国」から韓国を除外するための政令改正の閣議決定を行うとの見通しだ。韓国政府や韓国の国民の「発狂」ともいえる異常な反応ぶりが報道を通じて伝わっているが、この措置に対して我が国民は、パブリックコメントの結果を見る限り、約9割もの人々が賛成の意を示してるという。結論から言えば、今回の戦略物資をめぐる輸出管理に関する日本政府の措置は妥当な判断だと思うし、むしろ遅すぎたとすら思っているほどであるから、今回の政府の決断には支持を表明したい。韓国の反応ときたら、まったくの筋違いのものばかりで、まともに取り合うに値する理屈は皆無と言ってよい。

 

 そもそも、安全保障上の輸出管理についての優遇措置を講じるか否かは当該国家の専権事項であって、相手国と交渉して決めるものではない。韓国が輸出管理上不適切な事案があったという証拠を示せと高圧的に恫喝的言辞を弄して日本を非難しているが、これもそもそも韓国側が不適切な事案はない旨の説明をし日本の納得を得るよう努力すべきことがらであって、日本側に挙証責任ある事柄ではない。フッ化水素など大量破壊兵器の製造に利用されかねない戦略物資の輸出は、当該国できちんと管理されていることが前提でなされるべきものであり、韓国の場合、大量の使途不明な点が存するものだから、日本政府は数年前からこの点についての説明を再三再四韓国政府に求め続けたにも関わらず無視を決め込んできた。そのことに関する措置なのだから、これまで通りの管理体制の継続を韓国政府が望むならば、日本政府の問い合わせに誠実に対処すればよいだけの話である。EU諸国も韓国に対して「ホワイト国」指定をしていない。

 

 ここまで話が通じない国がそもそも「ホワイト国」だということが不思議なくらいで、恩恵を受けていた者が逆に居直って恩恵を与えていた者に対して恩恵を施さないとはけしからんと言っているようなものである。さすがに温厚な日本人も堪忍袋の緒が切れるというもの。にもかかわらず、日本人の中には韓国政府の代弁者であるかのような言説を垂れ流すメディアや自称「知識人」がいるのが驚きだ。彼ら彼女らは、日本政府へ韓国に対する敵視政策を直ちに止め、輸出管理体制の強化の方針を撤回せよ、と主張する。彼ら彼女らの本音がとうとう表に現れたとみることもできるが、特定の外国勢力の肩をもつ彼ら彼女ら、また首相官邸前で集会をたびたび行っている「市民運動」家の正体を薄々感づき始めた国民も多かろうと思う。

 

 そもそも敵視政策を行っているのは韓国の方である。日本は教育や行政レベルで韓国敵視政策を行っているわけではない。逆に韓国は国レベルで反日政策を一貫して行ってきた。その証拠が長年にわたる「反日ヒステリー」である。日本の左翼は世界各国の左翼と異なり、自国の利益を毀損し、自国民の名誉と尊厳を傷つけることに邁進してきたわけだが、今回の日本政府の対応を批判しているということは、これまで通り戦略物資の横流し疑惑を不問にしておけということ、すなわち大量破壊兵器の製造に転用されかねない物資の使途不明な点など放置しておけばよいと言っているに等しく、これでは逆に欧米各国から日本に批判がなされる事態になりかねない。要は、無茶苦茶な韓国擁護論を展開しているわけであって、口先では平和だの反核だのと言っておきながら、北東アジアの不安定化の原因になっている中共北朝鮮の軍拡や軍事的挑発行為に対しては何ら批判を加えてこなかった二枚舌と同じ言動をものしているということが理解できる。その証拠に、日本の「市民運動」家の中には、韓国の明らかな親北朝鮮の市民団体や労働組合と「連帯」と称して外国勢力と通謀し、露骨な反日運動に加担している者もいる(文字通り「売国奴」と呼ぶにふさわしい)。

 

 ここでは具体名は敢えて伏せておくが、通謀している団体はチュチェ思想に感化された団体として有名であって、そこと関係を持つ「市民運動」家も元は毛沢東思想に被れた弱小政治党派の構成員であることを知っている国民がどれほどいるか。よく観察すればわかるように、日本の左翼「市民運動」家の大半は、例えば中華人民共和国北朝鮮の苛烈な人権弾圧に対しては抗議の声をあげない。また韓国の過度な民族主義に対しても異論を差し挟まない。日本の嫌韓ムードなど比較にならぬほどの排外主義的な反日ナショナリズムに対して一点の批判もしない。台湾独立の声や香港のデモに対しても、明らかに覇権主義的な行動をとっているのは北京政府であるにも関わらず、全く声をあげない。日本の左翼・リベラルなどが称揚する「市民運動」は、一見普通の市民の声であるように見せかけているが、騙されて参加している素朴な人々を除いて、それを主宰する者は極端な左翼活動の残党であったり、外国勢力とりわけ北朝鮮や北京政府の意向にしたがって活動している工作員であるということに大多数の国民は気づくべきだろう。

 

 日本政府としては粛々と事にあたればよいし、次なる対韓措置を早期に講じてもらいたい。韓国経済を締め上げるには今は絶好の好機である。対ドルでのウォン価格は現在1184.24であり、防衛ラインといわれる1200まで間近である。禁輸でもなんでもなく、単に韓国が安全保障上の物資に関する管理体制をきちんとすれば今まで通り輸入できるわけだから(中華人民共和国も台湾もそうしているわけだ)、何も騒ぐことはないのに日本による輸出管理の厳格化だけで狂騒を演じているところを見ると、「ホワイト国」除外により規制対象品目が飛躍的に増えることによる韓国経済への打撃は相当なものになるが、なお一層韓国を締め上げるには金融方面での制裁が効果を発揮するものと思われる。韓国の輸出入に絡む日本の銀行による確認信用状を停止することもその一つかもしれない。もっとも、日本の銀行はそのことで利益を得ているので、日本の銀行にとってのお得意先の一つをなくしてしまうことも意味する。韓国への貸し付けも約7兆円もあるので、これの回収にあたることも或る程度効果を発揮しよう。さらに送金停止までいくと、これは事実上の経済的な国交停止にまで至ることを意味するが、そうなると韓国経済は一気に干上がり、「即死」状態に至るだろう。但し、そうなると日本経済にも返り血が多少降りかかることも予想されるので、だから得策としては徐々に血を抜いて死に至らしめる方が再起不能となる点で有効。暴落するウォンの動きを加速させウォンを市場で売り浴びせることによって外貨準備をそれほどもっていない韓国銀行は早々に白旗を揚げるだろうが、これもからかい半分で乱高下させることもできないわけでもなく、こうすることで韓国を焦土化するという戦略もありうる。

 

 日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄を仄めかし米国を激怒させるわ、それをしめたとみた北朝鮮が早速韓国に破棄を要求するわで、文政権は自爆している状況で韓国は政治的にも経済的にも自滅の道を歩んでいくことだろう。挙句は東京五輪ボイコットまで仄めかし始め、もはや正気の沙汰ではない韓国は、ごくわずかの良識ある保守派の声は「土着倭寇」というヘイトの声によってかき消され、身動き取れずにいるさまである。日本での報道や韓国のメディアのアホさ加減をみれば、韓国人は皆愚かなのではないかと勘違いしそうであるが、さすがにこの状態を憂いているまともな韓国人も確かに存在する。そうした良質な保守の陣営の声が大きくなってくれないものだろうか。中露が日米韓の安全保障関係の隙間を見るや早速挑発的行動に出てきたように、本来なら日米韓の連携は重要であることは間違いない。しかし残念ながら、韓国は既に信用のおけない国と化してしまった。国家間の条約や協定を反故にするかのような行動をとり、北朝鮮やシナに重要な軍事情報を手渡したり、わが海上自衛隊の艦旗である旭日旗に難癖をつけだしたり、艦船に我が国を侵略した「世宗大王」の名をつけ、揚陸艦に「独島」と名づけたりと日本の神経を逆なでする行為を働き、おまけに先だってのレーダー照射問題や先帝陛下への国会議長による謝罪要求などとても正気とは思えない韓国側の言動をみれば、これを今まで優遇措置の対象にしてきた日本政府がどうかしていたのだ。

 

 今回の日韓対立は、米国との関係もあってよもや国交断絶とまではいかないだろうが、少なくとも文在寅政権が続く限り悪化の一途を辿るだろう。もちろん日本も相応の痛手を負うだろうが、韓国のそれは比較にならぬほどの、ともすれば経済が崩壊しかねないほどの破局を迎えるかもしれぬ痛手となるだろうし、サムソンやLGといった韓国企業は、日本の製造業にとって欠くべからざる資本財を提供する企業ではなく、逆に日本の企業の競合相手であるので、むしろ潰れてくれた方が好都合な側面もある。日本の資本財製造企業は代替性がないので、その強みを生かして他社におろせばよいだけのこと。この機会を奇貨として、再び韓国を文字通りの「発展途上国」に転落させる戦略を講じてみるのも一興だろう。

変態フーコー

 久方ぶりにデイヴィッド・ハルプリン『聖フーコーーゲイの聖人伝に向けて』(太田出版)を読み返してみて、ミッシェル・フーコーという歴史家/思想家は、その狭義の政治的主張には同意できなくとも、やはり偉大な知識人だったのだなと改めて思う。フーコーが私生活において実際に何をやっていたかといえば相当変態的な行為に及んでいたことまで知られるに至っているが、その変態ぶりは思わず顔を背けたくなるような醜悪さを感じさせるようなものではなく、むしろ清々しいとでも言えるような変態ぶりである。その所持品から想像するに、ゲイ同士のハードSMが趣味だったフーコーのスキャンダラスな一面がしばしば興味本位に取り上げられるわけだが、この点に正面切って焦点を当てた研究書となると、実は驚くほど少ない。フーコーが亡くなった後に発見された遺品の中には、ゲイ同士のハードなSMの道具もあったというのだから、強烈な性欲の塊であったに違いない。彼の性行為はフィストファックをも含めたハードプレイだったに違いなく(フィストファックなどやったこともなければ、やりたいとも思わないが)、大多数の者の性行為の範疇に収まらないという意味で、まぎれもなくフーコーはド変態であった。

 

 アナルセックスならばかなりの人は普通に理解できるし、経験済みの者も多かろう。最初は前立腺への刺激は痛みを伴うものであれ、放すときにゆっくりしてやるなど工夫すれば徐々に慣れていく。そうしているうちに強烈な快感を得ることができるようになる。ことさら同性を意識しない男であったとしても、人並み以上に性欲が強い者ならば、おそらくその快感が癖になってしまうほどの性的快楽を得ることができる(人によっては所謂「トコロテン」を体験する者もいる。激しいドライ・オーガズムを体験することもある)。とはいえ、さすがにフィストファックまでは理解できる人はごくわずかでしかないだろう。端から見れば「危険な遊戯」に映る。

 

 フーコーの場合、彼の変態ぶりについて取り上げることは、何も皮相がるにはあたらない。フーコーの思想の核心に関わらざるを得ないからである。その意味で、ウィトゲンシュタインが「彼を性的に満足させる用意のあった粗野な若者」たちとの同性愛行為に惑溺していたことを主張する(但し、明確な証拠に基づいて論証されているわけではない)ウィリアム・バートレー『ウィトゲンシュタインと同性愛』(未来社)が持つ皮相さとは決定的に異なる。この書では、ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』を世に出し、もはや哲学に関わるまいとしてアカデミズムから脱出してから再びケンブリッジに戻るまでの「空白の10年間」に焦点を当て、彼の同性愛的傾向とその哲学との内的必然性が存在するとの仮説を論証しようとするものであるわけだが、逆に読めば読むほどウィトゲンシュタインの哲学と彼の同性愛的嗜好との内的必然性はないという結論に至り着いてしまうところが皮肉なことである。それよりも大事なことは、ウィトゲンシュタインが同性愛的嗜好に対して罪の意識を持ち続けていたことの方であり、母方の宗教であったカトリックに強い影響を受け、また福音書を読み続けて実際に修道院の修行僧のような禁欲的生活を送っていたほどの敬虔なクリスチャンとしての側面を有していたことである(もっとも「制度的」にも従順なカトリック信徒であったというわけでは必ずしもないようであるが)。彼の基本的信条は、それゆえに極めて保守的なものであった。だから、仮にウィトゲンシュタインフーコーの思想を目にしようものならば、おそらく怒りすら覚えていたであろうことが想像できる。

 

 フーコーウィトゲンシュタインとは逆で、ゲイとして男同士でのセックスの享楽を味わうことを「罪」と解させてしまう力学に対して抗い、時には死に至りついてしまうかもしれないハードなSM行為に耽りながら性の快楽を全肯定する。だからといって、同じく異性との放縦な性生活を謳歌しつつも「厭世家」ぶった存在であったショーペンハウアーとも違う。フーコーが並みの知識人と違う点は、彼が自らの身体を一つの実験として生きたという点である。その意味で、フーコーは変態であったというより敢えて「変態になる」という生き方をしていたのかもしれない。このような思想家は、いそうでいていない。特に、現代の日本社会にはほとんどいない。

 

 他方で僕自身、自分の実存の問題を直接理論化して考えようという気が端からないのかもしれないが、ゲイもしくはバイであることに過度に拘る言説については付いていけないのである。また、カミングアウトにことさら重要な意義すら見出すこともできない。個人の措かれた個別の事情が異なるわけだし、また個人的なのっぴきならぬ理由もあるわけだから、各々のカミングアウトに踏み切った決断を否定する気もなければ、否定する権利も持ち合わせていない。ただ、カミングアウトという行為一般が持つ傾向に、往々にして結局自己正当化にしかつながっていないのではないかと思われる言説が紛れ込んでいることが気がかりなのである。過度にゲイであることに拘り、バイは不純であるかのように主張する言説を見つけるとげんなりしてしまうのは、それがヘテロ至上主義とメダルの表裏の関係でしかないからである。

 

 ホモ・セクシャルであるとかヘテロ・セクシャルであるとかあるいはバイ・セクシャルであるといった「アンデンティティの思考」に拘泥することを否定し、生の新しい可能性を生むある種の触媒として「ゲイになること」を位置づけ、抑圧とそこからの解放というストーリーに押しつぶすことなく、多様な関係性の産出を志向するというフーコーのモチーフは、結局は「やりたいようにやる」ということに収斂するものと思われる。それは抑圧からの解放とは違う。欲望を放棄せず、その実現に向けた生のスタイルを肯定することであって、幸運なことに、これは我が日本文化の伝統でもあるのだ。完全なホモ・セクシャルが完全なヘテロ・セクシャルと同様にさほど多くはなく、むしろ潜在的にはバイ・セクシャルが意外に多いと考えられることから、自己の性の在り方を固定化してみる必要はないし、実際に同性・異性を問わず性行為の対象にできると考える者もいるという当たり前の事実を肯定すればよい。男色の歴史に事欠かない我が国の文化伝統に照らせば、現在の日本の性に対する見方はむしろ偏狭に過ぎ、僕のように女と行為に及んだ後にあっさり男との性行為の享楽を味わう者は、ごくごく普通に存在したし今も存在する。

 

 ゲイの肉体は、見た目の美しさとともに自分の欲望の対象として広告する方法である。ゲイの筋肉は力を意味せず、肉体労働が生み出す種類の筋肉には似ておらず、それどころかゲイの誇張され肉体は、エロティシズムをかきたてられるように緻密に設計されている。そう『聖フーコー』の著者は主張する。確かに、ジムで鍛えられた肉体に有用性はなく、例えばボディ・ビルダーがきつい肉体仕事に耐えられるかと問うてみればよいだろう。でも、そうした「イカニモ」というべきガチムチ系の男ばかりがゲイであるわけではないし、バイまで広げるとありとあらゆる系統の男どもがいるわけであって、それは異性愛の姿と何ら変わりのないことである。強いて違いを言えば、ゲイはノンケよりも圧倒的にセックスの回数が多いくらいなものである(両方経験すればわかろうが、即物的なセックスの快感の度合だけでいうならば、断然男同士のセックスの方が上である。ケースごとに違うだろうが、男同士のセックスは概して性的快楽のみを追求したものであるのに対して、男女間のセックスは、単なる性的快感を目的にしているのではなく、そこに様々な物語的要素をはらんだ意味を読み込んでしまうところが厄介な点なわけだ)。

 

 フーコーは自らを実験的に生きた。そういう思想家はほとんどいない。自らの欲望を制約せず、しかし同時に過度になってしまって自らを徒に傷つけるようなことに至らぬように自己への配慮を施しつつ、それでもやりたいようにやろうと生きた。この点にフーコーの「偉さ」があるように思われる。そういう変態的な思索者が今の日本に現れてくれたら、多少は日本の思想シーンも風通しがよくなることだろう。

ドゥルーズ・ブーム

1980年代に、浅田彰『構造と力-記号論を超えて』(勁草書房)が火付け役となってドゥルーズのブームが沸き起こり、蓮實重彦フーコードゥルーズデリダ』(河出書房新社)や中沢新一チベットモーツアルト』(講談社)や宇野邦一『意味の果てへの旅-境界の批評』(青土社)などが矢継ぎ早に刊行された時期があった。ブームが一旦終息した後、2010年代に入ると、再び活況を呈してきたかのように、ドゥルーズ関連の書籍が刊行され続けている。

 

いくら何でも偏りすぎてはいないかと思えるほど、やや食傷気味の感がするのが正直なところだが、今のブームが明らかに80年代と異なる点は、80年代のブームが社会思想史(経済学部に講座が開設されていることが多いだろう)やフランス文学または表象文化論の領域といった哲学以外の領域の研究者に支えられていたのに対し、2010年代のそれは、もちろんこれまで通り東大駒場表象文化論系の者によるものもあるとはいえ、主として哲学を専攻してきた若手研究者によりなる書籍が目立つという点である。このことは、ドゥルーズ研究が哲学アカデミズムでの「市民権」を得てきたことの証しとも言え、それまで認められ辛かったドゥルーズの文献が、いわば哲学の「古典」として認められるに至ったということを意味している。こうした流れの中で、ドゥルーズを博士論文などの主題にするのは憚られてきた暗黙の軛が徐々に取り外されて行った。

 

英米の哲学アカデミズムでは、いわゆる分析系の哲学や科学哲学ないしは従来の古典研究が主流を占めているので(カーネギーメロン大学のような極端な傾向を持つところもあるが。ここは、数学専攻か計算機科学専攻かと見紛うような研究のラインナップであるのが面白い)、「フランス現代思想」が狭義の哲学の中核に据えられて研究されることはない。しかし、その関連分野においては「フレンチセオリー」としてデリダ研究やフーコー研究とともにドゥルーズ研究は旺盛になっていることも事実のようで、この点では日本の方が先を行っているのかもしれない。日本の哲学アカデミズムでのドゥルーズ研究「解禁」に先鞭をつけたのは、おそらく2000年に刊行された小泉義之ドゥルーズの哲学-生命・自然・未来のために』(講談社現代新書)だろう。これを機に江川隆男『存在と差異-ドゥルーズの超越論的経験論』(知泉書館)といった本格的な研究書が出され、雑誌「思想」に連載された論文をまとめた檜垣立哉『瞬間と永遠-ジル・ドゥルーズの時間論』(岩波書店)も世に出た。若手によるものだと、全ては網羅できないものの、少なくとも僕自身が読んだものでは、國分功一郎ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)、千葉雅也『動きすぎてはいけない-ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)、山森裕毅『ジル・ドゥルーズの哲学-超越論的経験論の生成と構造』(人文書院)、渡辺洋平『ドゥルーズ多様体の哲学-20世紀のエピステモロジーにむけて』(人文書院)、小倉拓也『カオスに抗する闘い-ドゥルーズ精神分析現象学』(人文書院)などで、これからしばらく哲学系の領域の研究者によるドゥルーズ研究書が量産されていくことだろう(どこまで長続きするかは疑問だけれど)。

 

そのこと自体は悪くはないものの、ちとやりすぎの感なきにしもあらず。哲学者は何もドゥルーズばかりではあるまい。ドゥルーズは確かに目立ってはいるもののアカデミズムでの主流とは言えないだろうし、さらに言うならばドゥルーズよりも冴えた哲学者もいるのだから、哲学研究の全体の動向と出版業界の方向性に些かのギャップを感じてしまう人もいるだろう。もちろん、僕自身が英米系の文献を目にする機会が多い分、余計にそう感じてしまうのかもしれないが、哲学の「中心地」など観念できないとしても、やはり米国の状況と比較すると、特に日本の商業誌が牽引するブームに対してはどうしても斜に構えてしまいたくもなる。実は日本のアカデミズムにおいても、ドゥルーズ研究は必ずしもメインストリームを形成しているわけでもないのだろうが、あまりに偏りすぎると他の研究に注目がいかなくなる危険性があることに出版サイドは意識的になるべきだろう。もちろん、この責任は当のドゥルーズ研究者に帰されるべきことではなく、専ら商業誌の編集者に帰されるべき問題だ。

 

ところで、そのドゥルーズだが、『スピノザ-実践の哲学』(平凡社ライブラリー)には、次のような一説がある。ドゥルーズは優れた哲学史研究者でもあり、ベルグソンをはじめ、ヒュームやライプニッツあるいはニーチェやカントを取り上げていたことで知られているが、いずれも全面的な肯定まではしていない中で、唯一手放しで称賛しているのがスピノザである。

スピノザは、きわめて精巧な体系的で、学識の深さをうかがわせる並外れた概念装置をそなえた哲学者であると同時に、それでいて、哲学を知らない者でも、あるいはまったく教養をもたない者でも、これ以上ないほど直接に、予備知識なしに出会うことができ、そこから突然の啓示、『閃光』を受けとることができる稀な存在である。・・・他に類を見ないスピノザの特徴は、じつに哲学者中の哲学者である彼が、哲学者自身に、哲学者でなくなることを教えている点にある。そして、けっして難しくはないが、最も速い、無限の速度に達している『エチカ』の第五部において、まさに哲学者と哲学者ならざる者、この両者はただひとつの同じ存在となって結び合っているのだ。

 

『差異と反復』(河出書房新社)によると、ドゥルーズ潜在的多様体の現働化として延長において現実化する能力を強度的差異すなわちスパティウムと呼び、この強度的差異の分布は、ノマド的で瞬間的な配分、すなわち「戴冠せるアナーキー」であるという。そうすると、このスパティウムと、潜在的多様体と、それが現働化した延長のうえに個体化したものは異なるレベルにあることがわかる。そこで、この三者の関係をいかに解すればよいか。「潜在性の存在論」としての自然哲学を捉えようとするドゥルーズにとって重要な問いである。

 

ドゥルーズ潜在的多様体微分多様体を指す。そうすると、ここで考えられることは、潜在的多様体とスパティウムの関係をベクトル空間とその双対空間の関係として理解する方途である。ベクトル空間を考えてみる。行ベクトルと列ベクトルを掛け合わせてスカラー値を得る作業を想起しよう。この行ベクトルは、列ベクトル全体上に定義された線形関数とみなすことができる。ある経路に沿った関数の方向微分が関数の勾配とその経路に接する接ベクトルの積として表現することができ、余接ベクトルはこの積により、接ベクトルに対する線形関数とみることができる。ここで、ひとつのベクトル空間を構成する任意の集合Xのスカラー値関数全体を考えてみよう。このベクトル空間の双対空間と構成すると、仮に当該双対空間が有限次元であれば、前記ベクトル空間と同サイズになる。しかし、無限次元であるならば、その差異が明確になる。スパティウムは個体化の強度的な場である。この場において一定の微分関係と一定の点が現実化するというのが、ドゥルーズの描く個体化のメカニズムである。

 

先にあげた三者のレベルの違いを踏まえるならば、この双対空間は無限次元を構成する。しかし、この双対空間はもちろん有限次元で構成することもできる。概念上両者の差異はあるものの、有限次元だと両者のサイズは見分けがつかない。とはいえ、ドゥルーズの立論では、三者の関係において不明な点が以前残る。ベクトルの完全な測定ないし認識において、基底の選択はベクトルを測る特定の「座標系」を導入していることを意味する。どのような座標系において見るかは、何らかの恣意性ないし状況依存性を伴わざるを得ない。基底とは無関係に、線型構造だけで決まるベクトル空間を持ってくるのも、この恣意性ないし状況依存性を排除した世界を措定するために有用な概念として利用することができるというわけだ。ところが、ベクトル空間そのものを恣意性・状況依存性を排除した世界として提出できたとしても、ベクトル空間だけで世界が完結しはしない。ある種の「外部」の視点が関係していること、そしてベクトル空間と双対空間の関係は双対という関係を通して相互規定しあっていることをみなければならないのである。ドゥルーズ『差異と反復』は、結論を言ってしまえば「潜在的なもの」を捉え損なっているようだ。

 

ソーカルによる批判以後、悪名高い微分解釈が展開される第四章の「微分」の節に続く「量化可能性および規定可能性の原理」において、原始関数と導関数とを取り上げ、微分が理念の理念を発生させていくピュイサンス(力=累乗)であることを論じていくわけだが、実関数を微分したところで導出されるのは実関数であって、なぜそれが内包的な差異と絡む概念として提示されねばならないのか理解ができない。この点に関して比較的丁寧に触れている論文は、僕の知る限り小泉義之ドゥルーズにおける普遍数学-『差異と反復』を読む」と近藤和敬「『差異と反復』における微分法の位置と役割」ぐらいなものである。両者ともまともな論文だが、それでもなお、ドゥルーズは失敗しているとしか思われないのは、ドゥルーズの念頭には複素空間が全く念頭におかれていないからである。

 

檜垣立哉西田幾多郎の生命哲学』(講談社)の最後にある、小泉義之檜垣立哉との対談における小泉の発言にあるように、西田幾多郎の「場所」論を当時の場の量子論の展開に重ねて読み込むという強引な読み方ができるのに対して、『差異と反復』における差異化=微分化の議論は、そこらにまで思考が届いていないのではないかと思われる。加えて、ユークリッド空間を数個張り合わせることにより位相多様体が構成できるが、潜在的多様体=位相多様体というわけにはいかない。なぜなら、位相多様体の中には微分の操作が不可能なものまで構成されてしまうからである。微分トポロジーにおける多様体の可微分写像の構造を明らかにされないから、多様体の可微分構造とその可微分写像の上にあらわれる特異点との関係がわかるわけがない。

 

『差異と反復』は、確かに優れた書物である。だが同時に、かなりの欠陥を併せ持つ書物でもある。ところが、些か過剰に評価する研究書が日本だけでなく海外の研究書にも見られる。例えば、James Williamsの一連の研究書が典型である。ここでは、その一つのGilles Deleuze's Philosophy of Timeにある次のような一節を見ておこう。

Deleuze sets out one of the most original and sophisticated philosophies of time to have appeared in the history of philosophy. It ranks alongside the work on time achieved by Kant in the Critique of Pure Reason, Heidegger in Being and Time and later essays, and by Henri Bergson in Time and Free Will and Matter and Memory. It allows for productive debates with the emerging scienntific and philosophical views of time in twentieth-century physics, not only in terms of dynamic systems and relativity but also in terms of quantum mechanics.

 

要するに、ドゥルーズは、これまでの哲学史において現れた時間論の中でも最も独創的かつ洗練された時間論の一つを提示し、それはカント『純粋理性批判』やハイデガー存在と時間』やその他後期の著述あるいはアンリ・ベルグソン『時間と自由意思』や『物質と記憶』によって達成された業績に並び立つ仕事であって、しかも力学系や相対論のみならず量子力学といった20世紀の物理学の知見から新たに生み出された科学的かつ哲学的な時間の見方とも生産的な対話可能な時間論になっているとまで、かなり大風呂敷を広げた物言いをするのである。

 

この研究書は、ドゥルーズの『差異と反復』の時間の三つの総合の議論や『意味の論理学』のクロノスやアイオーンの時間の議論を中心に取り上げつつ、最後に『シネマ』の時間論をあっさり触れるといった構成なのだが、最大の不満は冒頭で触れられていた相対論や量子論の知見から得られた時間論との「生産的な対話」の可能性がどこを読んでもまともに論じられぬままに終始し、表面的な部分を軽くなぞるだけになっている点である。確かに「注」において、しかるべき人物によるテキストには触れてはいる。しかし、どれもこれも問題の核心に斬りこむ考察がほとんどないのである。冒頭、期待させる文言があったのに、いざ読んでみるとがっかりさせられる著作になっているのが非常に残念である。

ドゥルーズの社会存在論

 西田幾多郎は、『無の自覚的限定』に収録されている論文「私と汝」において、いかなる具体的な場でもない、開かれた普遍性の極限にあるという意味で、とりあえず「無」という他ない「場所」が自己限定していく分節作用によって、私と汝が何者でもない「裸の存在」として邂逅するという論理を述べている。この論文と、「場所」という論文を重ねて読んでいくと、「物となって」世界に内在する私と他者の共存する原基的場面を西田が思考していたことがわかる。「無の場所」の自己限定によって、次々と個別的なものが規定されていく西田のこの思考パターンは、一者から次々とあらゆる個物が生まれ出でるプロティノスの流出論と違いがないではないかという田辺元による批判もわからないではない。田辺にとって、このような媒介を欠いた認識は受け入れられなかったに。いずれにせよ、この原基的場所は、明らかに和辻哲郎が考えた共同体とは異質なものであるし、廣松渉が『世界の共同主観的存在構造』で描いた社会的協働連関とも異なる、更に手前の事態である。

 

京都学派左派の一人である戸坂潤が、西田哲学を批判しつつも、それを「世界第一級の哲学」と評価していたように、西田は相当深いレベルの思索をしていたことは間違いなさそうだ。ちなみに、戸坂は筋金入りの左翼といっても、今日のボンクラ左翼とはオツムの出来が違う優秀な哲学者であり、初期の「空間論」に見られるように、あの当時で一般相対性理論を理解していた数少ない哲学者であった。マルクス主義というより新カント派、中でもマールブルク学派に影響されたと思われる戸坂の科学哲学研究は、決して田辺元下村寅太郎の科学哲学研究にひけをとるものではない。マールブルク学派のみならず西南ドイツ学派も含め、新カント派の哲学が日本において盛んに研究され隆盛を誇った一時期がある。当時のドイツでは今と違って、秀才たちが率先して哲学部に入ってきたという現象が見られたらしい。ところが一転して、現象学実存主義が流行することにになり、文科系の秀才たちの多くは再び法学部へと回帰していった。今では新カント派の研究者は片手で数えることができるほどに激減してしまったのは残念でならない。

 

それに引き換え、当時のソ連の理論家たちは、レーニン唯物論と経験批判論』のマッハ批判やアヴェナリウス批判に合わせるように相対論や量子力学を「ブルジョア的で観念論的」として否定して回ったわけで、戸坂の目にそれがどう映っていたのかと思うことがある。共産党の極端な論者は、弁証法唯物論に矛盾するものとして量子力学そのものを拒絶しもした。もちろん、そんなことをすれば原子爆弾をはじめ今日の科学技術は成り立ちようがない。そんことだと米国を盟主とした自由主義陣営との冷戦に敗北してしまう。そこで、あの手この手といろいろ理屈を弄して量子力学を受け入れていく。その時の正当化の理屈が笑わせてくれるのだ。弁証法唯物論は機械論的唯物論より豊かでそれゆえに捉えがたいものであるからして、弁証法唯物論の立場からも量子現象の全体論的性格は物理学者と測定装置がともに自然の一部であるという事実を反映しているにすぎず、また量子レベルの奇妙な性質はそれがどんなものであるにせよ物質の尽きることのない多様性を示すものとして理解できるというものであった。全く正当化のための方便としてもお粗末極まる。共産党の考えそうなことではある。

 

「隠れた変数理論」で知られるデイヴィッド・ボームや、「坂田モデル」で知られる坂田昌一のような優れた物理学者も弁証法唯物論に引きずられてしまって、意固地なまでに唯物論決定論に拘ってしまったタイプとされているわけだが、それほどまでにマルクス主義が知的世界の一端に確固とした場をもっていたことは、今から見れば不思議なことだし、相当な知の浪費であったとも言える。これはマルクスその人の責めに帰すべきことではなく、僕に言わせれば、レーニン、カウツキー、エンゲルスに帰すべき事柄である。マルクスは、思考や存在に一貫して妥当する法則としての弁証法唯物論なるものを説きはしなかったし、ましてや自然弁証法なる奇妙な代物を主張しはしなかった。

 

檜垣立哉西田幾多郎の生命哲学』(講談社学術文庫)の最後に収録されている、小泉義之檜垣立哉との対談の中で、小泉は、西田幾多郎が当時の量子論の動向をチェックしてハイゼンベルグディラックの論文をも読み込んでいただろうと推測した上で、西田幾多郎の「場所」や「自覚」の概念を無限次元ヒルベルト空間やヒルベルト空間内のベクトルを関係づける演算子に準えて理解するという、かなり強引ではあるが面白い読み方を提示していたかと記憶している。この辺りで、小泉と檜垣の対話は噛み合っていないのがこれまた面白く、解説に代わる対談の機能を果たしていない。ともかく、ゲラゲラ笑えたのを覚えている。ただ実際どう絡んでいるのかはわからない。もっとも、それについて論じようとしたら、おそらく本一冊分の量を要するだろうから仕方ないし、むしろ西田をめぐる一冊分の対談本として出しても面白いだろう。とはいえ、小泉の言わんとすることは何となくわかる気もする。「永遠の今」がデデキントの切断概念からインスピレーションを得ているだろうとの指摘はなるほどと思うとこもあるし(『差異と反復』の第4章で、デデキントの「切断」概念について触れられていたはず)、個体の生成消滅のロジックが世界のロジックと地続きになっていることへの疑問など、西田哲学の核心部分に斬り込む内容になっていて、対談として噛み合っていなくとも、ここでの小泉の発言は滅法面白い。但し、本題の生命哲学はどこぞへとぶっ飛んでしまっている。

 

しかし、そこまで理解できている小泉が、ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)の潜在性の存在論について点が甘いのが気にかかる。もちろん、ドゥルーズは優れた哲学者だ。それはわかるけど、少なくとも『差異と反復』におけるドゥルーズ存在論潜在的なものを示そうとして挫折したという面を批判してもよいのではないかと思われるのである。西田幾多郎とは逆に、ドゥルーズこそ、社会的世界の存在論として読むに相応しいと言うべきではないかと。また、西田のロジックが歴史的世界の話に持ち込まれるや勢いキナ臭い感じがしてくると適切な評価も同時にしていたかと思う。自然の論理を社会の論理に無媒介に接続するような話は胡散臭いに決まっているわけで、かつてプリゴジーヌの散逸構造論から発展した自己組織化論が、社会システムを論じる場で振り回されたことがあり、フランスや日本でも大流行になったことがあったが、現代の僕が読んでみると相当胡散臭い話になっていて、これはプリゴジーヌにもある程度の責任があるようだ。

 

ドゥルーズも、ミーハーなところがあったようで、自己組織化論やカオス理論にも飛びついていた。そういう軽薄なところもドゥルーズの面白さなのだが(『哲学とは何か』なんて、結構いい加減なことまくし立てていて、どうやらウイスキーの1本や2本空けたんだろうなあという感じ)、これは話半分に聞いておくというリテラシーがないと、とんでもない世界にトリップしてしまう。この点、ドラッグきめては鼻血を出し、またドラッグきめては鼻血を出しという感じで論文を書いていた折口信夫に似たところがある。17世紀のデカルトライプニッツみたいな天才的な頭脳の持ち主ではなく、新カント派のエミール・ラスクやエルンスト・カッシーラーのような秀才肌でもなく、逆に不器用な部類に入るだろうドゥルーズや折口ではあるが、彼らが並みの思索家ではなかったのは、ヤク中のハイテンションのなせる業としか言いようのないぶっ飛び度なのである。

 

それはともかく、西田が当時の量子論の動向に格別の注意を払っていたというのはどうやら事実のようなので、ひょっとしたら西田はそこから思考の源泉となるアイディアを掴み、それを西田哲学の思考に合うように概念化していたと考えられる。西田の長男である西田外彦は京都帝国大学理学部出身の理論物理学者で、湯川秀樹朝永振一郎の教室の先輩にあたる人物である(そういえば、朝永振一郎も朝永三十郎という哲学者を父に持っている)。湯川秀樹朝永振一郎が京大を卒業した年は1927年であり、この時期はちょうど量子力学場の理論に拡張されていく草創期にあたる時期と重なる。この場の量子論を研究する京大卒業生たちによる「自主ゼミ」の最上級生が西田外彦なのであった。西田幾多郎は、現代物理学の最先端についてテキストだけからでなく、息子とのやり取りからもそのエッセンスをつかみ出していたのかもしれない。

 

そういう強引な読みによって、西田幾多郎の思考からどのような哲学の可能性を引き出すことができるかは未知数である。あくまで感想の域にとどまるが、日常言語だけで複雑で抽象的な概念を取り扱わねばならぬ形而上学的なレベルでは、破綻を免れないのではないかと思われる。僕が現象学存在論に点が辛いのも、現象学が超越論的還元を遂行する際に、その当の言語に対して何ら意識的でないことや、したがって勢い概念装置として貧弱で使い物にならない道具しか備えていないと思われるからである。「現象学的言語」なるものがあればよいが、日常の言語使用によってその語の意味内容が決定するはずの言語自身で以って現象学的分析を遂行したところで何が得られるのだろうかという素人からの素朴な疑問に現象学は何ら応えていないと思われるのである。ウィトゲンシュタインは、形而上学を批判するときも、時間や世界や存在といった形而上学的問いの重要性を否定したのではなく、また数学の思考を否定したわけでもない。そうした刑事学的問いを日常的な経験言語によって経験的事実に準えているように考えることを否定したにすぎない。非時間的で経験的事実ではない事柄については、特殊な時間的存在や持続的に存在する経験的な対象のように考える愚を諫めていた。

 

 しかし、ドゥルーズには時間がなかったのだろう。数学や物理学に対する好奇心は旺盛であっただろうが、いかんせん乏しい知識しかなかった。もしドゥルーズにせめてホワイトヘッドくらいの知識があればドゥルーズの哲学も違った装いを示していたかも知れない。あくまで1人の読書人として言わせてもらうと、ドゥルーズの哲学は残念ながら自然哲学としてみた場合、成功しているとは思えない。しかし社会存在論としては未だ組み尽くせていない豊饒な可能性はあると思う。この点が、僕がドゥルーズを放り出せない理由になっているのだが、社会哲学者、倫理学者としてのドゥルーズドゥルーズドゥルーズに関するあまたの論考も自然哲学にはなっていない。我々の生きている世界内の社会存在論であり、ドゥルーズ哲学の可能性はそこにある。ドゥルーズの哲学が西田幾多郎田辺元の哲学とある意味で親和的なのも当然と言えば当然である。田辺の「種の論理」は、後に務台理作『社会存在論』や丸山真男の東大法学部緑会懸賞論文「政治学に於ける国家の概念」に影響することになるが、ドゥルーズ哲学もこの次元で読み込まれるべきと思われる。

謎としての自然

 『平家物語』巻九では、主として一ノ谷の合戦の様子が描かれているが、特に「知章最期」の段は、生田の森の大将軍新中納言知盛の心の動きを追っていくことを主旋律として、その知盛の子である知章の最期が物語られてゆく切ない箇所である。とりわけ、監物太郎という侍と知盛父子とただ三騎になって、助けの船の見える渚へと落ちていく場面は秀逸だ。結局、助けの船に乗れずに知章も首を打ち取られ、監物太郎も討死し、知盛ただ一人が生き残って名馬にまたがり海を泳がせ、総大将平宗盛の船に命からがら辿り着く。この一ノ谷で討死した平家一門は、一ノ谷の大将軍通盛、弟の業盛、小松殿重盛の末子師盛生年十四歳で、経正、清定、清房、経俊、忠度、敦盛、知章である。味方の軍勢に見捨てられて討死したも同然であったという。「落足」の段では、この哀切を滔々と次のような名文で綴っている。

いくさ破れにければ、主上をはじめ奉つて、人々みな御船に召して出給ふ心のうちこそ悲しけれ。汐に引かれ、風にしたがひて、紀伊路へおもむく船もあり。芦屋の沖に漕ぎいでて、浪にゆらるる船もあり。あるは須磨より明石の浦伝ひ、泊り定めぬ梶枕、片敷く袖もしほてつつ、おぼろかかすむ春の月、心をくだかぬ人ぞ無き。あるは淡路の瀬戸を漕ぎ通り、絵嶋が磯にただよへば、波路かすかに鳴きわたり、友まよはせる小夜千鳥、これもわが身のたぐひかな。

 

 「小宰相身投」の段では、海上の船で恋しい人の安否を気遣う小宰相のもとに、通盛最期の様子を急ぎ伝えに来た侍がいて、君は今朝、湊河の川下で敵七騎に取り込められて遂には御最期を遂げられたと告げる。小宰相は泣き臥して、もはや伝えに来た侍の言葉が耳に入らない。知らせを受けたのは二月の七日。この日暮れから十三日まで泣き臥したまま決して起きてこなかった。ところが船が屋島に到着せんとする十四日の夜更け、満月にほぼ近い月の光に照らされる海に、小宰相はわが身を投げて沈んでいった。

ちつとまどろみたりけるひまに、北の方、やはら舷へ起き出でて、漫々たる海上なれば、いづちを西とは知らねども、月の入るさの山の端を、そなたの空とは思はれけん、しづかに念仏し給へば、沖の白洲に鳴く千鳥、天の戸渡る梶の音、折からあはれやまさりけん、忍び声に念仏百返ばかりとなへ給ひて、なむ西方極楽世界教主、弥陀如来、本願あやまたず浄土へみちびき給ひつつ、あがで別りし妹背の仲らへ、必ず一つ蓮にむかへたまへと、泣く泣くはるかにかきくどき、南無ととなふる声ともに、海にぞ沈み給ひける。

 

 小林秀雄は、『無常といふ事』(新潮文庫)に所収の「平家物語」において、この「小宰相身投」の段を取り上げ、次のように書いている。

通盛卿の討死を聞いた小宰相は、船の上に打ち臥して泣く。泣いてゐる中に、次第に物事をはつきりと見る様になる。もしや夢ではあるまいかといふ様な様々な惑ひは、涙とともに流れ去り、自殺の決意が目覚める。とともに突然自然が目の前に現れる、常に在り、而も彼女の一度も見た事もない自然が。

 

この後すぐに小林は、

漫々たる海上なれば、いづちを西とは知らないけれども、月の入るさの山の端を

 

を引用する。

 

 ここで小林のいう「自然」とはどのようなものであったのか、我々には想像することぐらいしかできないわけだが、この点に関し、フランス文学者杉本秀太郎が面白い指摘をしている。小林秀雄が小宰相に見させた「自然」とは、ランボーが『地獄の季節』によって暴いた「自然」であり、小林が自作の小説『おふえりあ遺文』でオフェリアに見させている「自然」であり、あるいは『平家納経』の表紙、見返しの随所に描かれている蓮の花や、死して『納経』の料紙に浮かぶ月輪こそが、ここでの「自然」なのであり、この「自然」とは、いわば謎を無限に吸い込む架空の実体だというのである。

 

 「自然」というものをどう捉えるべきなのか。もちろん立場や見方によって千差万別であろうが、哲学・思想の歴史を紐解いてみるならば、それこそ千差万別の「自然」に対する捉え方が見られる。哲学史の伝統からすれば、「自然」という概念に込められている意味とは、人間の主観なり技巧なりといった人為に依らず「それ自体で」そのようなものとしてある現象や存在者である。

 

 アリストテレスの『形而上学』によれば、「自然」とは、神々や人間のその都度のテクネーに依存することなく、自らの内に生成消滅する原理ないしは原理を有するものである。自らの内に運動の原因を持っているので、他のものに依存することなく存立するものとして考えられた。こうしたアリストテレスの考え方は、その後の「自然」についての捉え方に大きな影響を与えた。ところでヘーゲルは、『小論理学』の補遺に

悟性が主張するような抽象的な「あれか、これかは実際どこにも、天にも地にも、精神界にも自然界にも存在しない。あるものはすべて具体的なもの、したがって自分自身のうちに区別および対立を含むものである。・・・一般に、世界を動かすものは矛盾である。

 

と述べ、『大論理学』の中の「矛盾」のカテゴリーに関する注釈において

矛盾はあらゆる運動と生動性の根元であり、或るものは自分自身のうちに矛盾を持っているかぎりにおいてのみ、運動し、推進力と活動性を持っている。・・・矛盾というものはたんにあちこちに現れる一つの異常と見るべきものではなく、それは、その本質的規定のうちにある否定的なもの、あらゆる自己運動の原理であり、あらゆる自己運動は矛盾の現示にほかならない。運動は定有する矛盾そのものである。・・・或るものは、自分のうちに矛盾を含んでいるかぎりにおいてのみ、しかも、矛盾を自分のうちに容れ持ちこたえる力であるかぎりにおいてのみ、生動的である。

 

と述べている。

 

 この箇所につきレーニンは『哲学ノート』で以下のようにコメントしている。

運動と「自己運動(これに注意せよ?自分自身のうちから生み出される、自主的な、自発的な、内的に必然的な運動)「変化」「運動と生動性」「あらゆる自己運動の原理」「運動」および「活動」の「推進力」-「生命のない存在」とまさに反対のもの-これが、あの「ヘーゲルぶり」の、すなわち抽象的でひどくわかりにくい(重苦しくて不合理な?)ヘーゲル主義の核心であることを、だれが信じるであろうか?ところが、人はこの核心をこそ発見し、理解し、「救い出し」、殻からとりだし、純化しなければならなかったのであって、このことをマルクスエンゲルスは実際になしとげたのである。

 

 この箇所は、毛沢東『矛盾論』にも取り上げられている。それもそのはず、毛沢東はマルクのテクストからはほとんど引用せず、レーニンからの孫引きで書いているものがほとんどなのだ。毛沢東も、矛盾こそが世界の駆動の契機と考えたが、実はレーニン毛沢東が強調するほどヘーゲルは矛盾を理念の発展過程の究極的な位置に据えていなかったのではないかと思われる。確かにヘーゲルは、矛盾を理念の発展過程の不可欠の契機とみなしてはいた。ところが、『小論理学』には、

矛盾というものは考えられないというのは、笑止のことである。このような主張において正しい点はただ、矛盾は最後のものではなく、自分自身によって自己を揚棄するということであり・・・哲学とくに思弁的論理学は、もちろん区別を看過する単なる悟性的同一性の無価値を示すが、他方、単なる差別には満足せず現存するものの内的同一性の認識を要求する。

 

とし、「内的同一性の認識」と言っているように、矛盾の止揚による自己同一的理念の達成を究極的位置に措く。矛盾は過程にすぎず、矛盾の揚棄こそが理念の達成である。思弁的方法は、①直接的なものであり単純な一般者として始原をなすもの。②この直接的なものの否定であり、他者であり、直接的なものを他者とするところの他者であり、ここに矛盾があり、媒介がある。③否定の否定であり、矛盾の止揚であり、直接性と媒介との統一である。この①同一性、②矛盾、③同一性の回復がトリプリティテートの環を形成する。ヘーゲルは、『エンチクロベディー』の最後で

永遠な、即自且向自的に存在する、理念は、絶対的精神として永遠に自己を活動させ、産出し、享受する。

 

と述べた後に、アリストテレス形而上学』第12巻第7章の自己観照し自己充足している永遠の高貴な神の思惟の、つまりは絶対者の自己思惟という考えが述べられている箇所を引用しているように、ヘーゲルの絶対精神の哲学的基盤をアリストテレスのこの箇所に見て取ることもできる。

 

 しかし、ここには、あの謎を吸い込む実体としての「自然」はない。あらゆるものをその同一性に回収させるところの絶対理念の自己同一性において、謎は本来の意味での謎であることをやめる。これは自然弁証法における自然においても同じことが言える。